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闇に咲く花~王を愛した少年~㊸

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 王子はしばらくもがいていたが、直にくったりと力を失い、動かなくなった。
 お許し下さい、邸下。
 誠徳君と出逢ってからの想い出の数々が甦る。笑顔、泣き顔、様々な表情が光の粒子のようにきらめきながら、脳裡を駆けめぐった。
―たとえ一緒に遊ぶ兄弟がおらずとも、そなたを姉のように思い慕うておるゆえ、淋しくはない。
 見上げてそう言ったときの愛くるしい笑顔が唐突に甦り、胸が苦しくなった。
 自分を姉だと言った七歳の王子、その生命を自分がここで奪うのか―。
 誠徳君のか細い首は、少し力を込めれば非力な誠恵でもすぐに折ってしまいそうだ。
 王子は気を失ったのか、眼を瞑り、ぐったりと四肢を投げ出して横たわっている。ここで、完全に息の根を止めてしまうことは簡単だ。まるで本当に死んでしまったかのようにピクリとも動かない。
 王子の顔を気が抜けたように見つめていた誠恵は愕然とした。
「まさか、そんな―」
 誠恵の瞼に、遠く離れて暮らす弟の面影が甦る。誠恵が知る弟は、五年前の八歳のときのままだ。貧しさゆえに人買いに売られ、連れられてゆく兄を泣きながら見送っていた幼い弟。
 できない、私にはできない!!
 今、王子の顔は、あのときの弟の泣き顔を彷彿とさせた。
 もしかしたら、王子は誠恵が首を絞めるところをはっきりと見たかもしれない。気を失ったのは一瞬の後だったが、真正面から近づいて首を絞めたのだから、見ている確率の方が高いには高い。
 この場に居合わせたのは誠恵と王子だけなのだから、たとえ見ていなかったとしても、王子が誠恵に襲われたと思うのは、ごく自然ななりゆきだろう。
 仮にこのまま王子の息の根を止めなければ、誠恵は今日中には世子を暗殺しようとした大罪人として義禁府の役人に捕らえられることは必定である。
 そんな危険を冒してまで、王子を助けるべきなのだろうか。王子が目ざめるまでに宮殿から逃走することは可能ではあるけれど、家族の安全を領議政に楯に取られているからには、身動きもろくにままならない。このまま宮殿にとどまり続けるしかないのであれば、やはり選択肢は一つしかない。
 このまま王子を殺してしまえば、自分の仕業だと露見することもないだろう。
 やはり、王子には死んで貰わなければならない。
 誠恵は王子に再び近づいた。とどめを刺そうと、その首に手を巻き付けようとしたその時、王子の固く閉じた眼の淵に涙が残っているのを見つけた。
―私がいつか転んで泣いていたら、そなたがこうして慰めてくれた。だから、これでおあいこだ。
 花のような笑顔でそう言い、手ずから誠恵の涙を拭いてくれた誠徳君。
 誠恵は眼を瞑り、唇をきつく噛みしめる。
 できない、できるはずがない。
 誠恵は眼をゆっくりと開き、王子の涙をそっと拭った。
 まるで眼にしたくないものから遠ざかるように、そのまま王子を残して走り去った。

 光宗は、まるで自分が悪い夢を見ているのではないかと思った。
 あのままでは、誠徳君が殺される。
 そう思って、飛び出そうとしても、身体が言うことをきかない。まるで見えない鎖に戒められでもしたかのように動かなかった。
 心のどこかでは、それでもまだ緑花を信じていた。あの女が何の罪もない幼き世子を手にかけるはずがないと思いたかった。
 今日、光宗は趙尚宮の許を訪れた。いつもは後をぞろぞろと付いてくる内官や尚宮たちは追い払い、単身脚を運び、緑花に逢いにきたと告げたのである。
 あの日―数日前の夕刻の出来事は、弁解のしようがなかった。緑花に何度逢いたいと連絡しても、なしのつぶてが続き、光宗の苛立ちは最高潮に達していた。大殿内官が諫めるのもきかず、毎夜、大殿で夜更けまで酒浸りの日々を送っていたのだ。
 とうとう緑花恋しさに負けて、夕方、大殿をひそかに抜け出し、緑花の姿を探し求めて彼女の住む殿舎の近くをふらふらと彷徨っていた。
 緑花を背後から襲い、猿轡と目隠しをして空き部屋に連れ込む道中、光宗は二人連れの女官に遭遇した。いかにも若い娘らしく、小声ではあるが愉しげに話し込んでいた二人は、光宗の姿を見ると慌てて脇に寄り頭を垂れた。が、一瞬、彼を見た彼女らの顔は、まるで狂人を見たかのように恐怖に強ばっていた。
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