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運命を賭ける瞬間④
無垢な令嬢は月の輝く夜に甘く乱される~駆け落ちから始まった結婚の結末は私にもわかりませんでした。
しおりを挟む夜になった。陽がとっぷり暮れた頃、サヨンは今度は沈清勇の屋敷に向かった。三日前の夜、二人は確かに〝三日後に決行する〟と言っていた。ならば、決行は明日、義承大君はその日に備えて今夜も清勇の屋敷にいる可能性が高いと読んでいた。
もとより、門から入っていって取り次ぎを頼んでも、逢えるはずはないと判っている。サヨンはトンジュには門前の目立たない場所に待機して貰い、単身、屋敷に乗り込んだ。
塀を越えて敷地内に侵入し、広い庭を慎重に横切って例の離れに向かう。三日前の夜、サヨンが監禁されていた場所でもあり、沈清勇と義承大君が密談を重ねていた場所でもあった。
自分の身の丈よりもはるかに高い塀を乗り越えながら、サヨンはしみじみと思った、自分はたった二ヶ月余りで何と変わったのだろう。トンジュと逃げるために屋敷を出るときは、これよりも低い塀ですら一人では乗り越えられなかったのに。
確かに彼女は変わった。もう、世間知らずで一人では何もできなかった怯えてばかりの少女いない。いや、元々、彼女の中に強くて運命に敢然と立ち向かってゆく、したかなもう一人のサヨンが潜んでいたのだ。そして、彼女から新たな可能性を引き出したのは他ならぬトンジュであった。
淡い闇の中で、離れが闇よりも更に濃く黒い影となって背景に溶け込んでいる。ここからでは明かりがついているのかは判別できず、サヨンはそっと正面の階から中へと身をすべらせた。
記憶を辿りながら長い廊下をひた歩いていると、やがて見憶えのある室の前に至った。思ったとおり、室からは淡い明かりが洩れている。
決行の前夜ともなれば、屋敷や庭内にも用心のために兵士がひそかに配備されているかと危ぶんでいたのだが、幸いにも兵士らしい姿は見当たらなかった。誰にも知られずに隠密裡に戦に必要な人員を確保するのは困難なことだ。だとすれば、屋敷の警備に割く兵士の余裕などないのかもしれない。
三日前、サヨンは義承大君の顔を見ることはなかった。だが、これから対面することになる。たかたが十九歳の小娘が国王の弟と堂々と渡り合えるだろうか。
サヨンの胸の鼓動が大きくなった。心ノ臓が口から飛び出るのではないかというほど烈しく打っている。
「お話し中、失礼いたします」
扉を開け、すべるように身を躍り込ませたサヨンを、義承大君と清勇は呆気に取られて見つめた。
サヨンは、両手を組み合わせ眼の高さに掲げて立った。それから座って頭を下げる。更にもう一度立ち上がり、深々と礼をした。目上の者に対する最上級の敬意を表す拝礼である。
「お初に御意を得ます」
「な、何だ、この娘は」
義承大君よりも沈清勇の方が動揺し、騒ぎ始めた。
サヨンは、大いに狼狽える清勇の方ではなく、正面の義承大君の方に向き直った。
「貴様、ここをどこだと思っている! このお方がどなたかを心得ておるのかッ」
清勇は口から唾を飛ばしてサヨンを恫喝した。しかし、サヨンは清勇には一切、取り合わず座ったまま頭を下げた。
「国王さまの弟君義承大君であらせられます」
義承大君は見たところ、三十代半ばくらい。清勇と同様、義承大君も特に戦衣装に身を包んではおらず、薄紫の高級そうなパジチョゴリに帽子を被っている。
鶯色の座椅子(ポリヨ)にゆったりと座り、墨絵の蓮花が大胆に描かれた屏風を背にして座っている。流石に清勇のような小者と違い、その場の空気を変えるような威圧感を全身から放っていた。
大君は値踏みをするように感情の読み取れぬ眼でサヨンを見つめている。サヨンを射竦める鋭い眼光に、身がすくみそうになるが、必死で気力を奮い立たせた。
「大君さま、私のお話を聞いて頂きたいのです」
いきなり切り出したサヨンを、清勇が気違いでも見るような眼で見た。
「話にならん。お前のような者が一体、大君さまに何の話があるというのだ! ええい、誰かいるか、この怪しい娘をつまみ出せ」
清勇が喚くと、すぐに扉が開いて、屈強な男が顔を覗かせた。やはり、呼べばすぐに来られる場所に人を配置しているのだ。間違いなく決行は明日だ。サヨンは確信を深めた。
「この女を連れてゆけ」
清勇が顎をしゃくり、サヨンは現れた大男に腕を掴まれた。そのまま強引に引き立てられてゆこうとされ、大声で叫ぶ。
「お願いです、話だけでも聞いて下さい。大切な明日という日のためには是非とも必要な話です」
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