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2-12『あと一手の差』

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「どうした、先程のように私を触手で追い詰めてはどうだ? それとも、そのような図体では追うこともままならんか?」
『GIIIIIIII!!!』
 嘲笑を多分に含んだ夜叉さんの高らかな声が、西区の街に響く。それから遅れて、耳をつんざくようなナメクジの咆哮が木霊する。
 彼女は現在、ナメクジを挑発しながら西区の街を駆け抜けている真っ最中だ。
 目指す先は、商業街から南に下った場所にある6車線の大通り。建物がひしめく都会の中で、一定の広さと見晴らしが確保された数少ない場所だ。
 作戦の都合上、障害物の多い場所や狭い場所では成功率が著しく低下してしまう。だから彼女には、こうしてナメクジを煽りつつ誘導してもらう必要があった。
『GIGIGI! GIGIIIIIII!!』
「ハッ! 喚くばかりで話にならんな。そら、もっと機敏な動きを見せたらどうだ? 素早く動かせるのは触手だけか?」
 ……それはそれとして、夜叉さんが妙にノリ気に見えるのは気のせいだろうか。堂に入っているというか、なんというか。
 まあ何にしても、手筈通りにコトが進んでいるようで俺は胸を撫で下ろす。
 そして作戦通り、夜叉さんは無事にナメクジを大通りに連れ出すことに成功した。

 作戦はこうだ。
 まずは前述の通り、夜叉さんがナメクジの注意を一手に引き付けるところから始まる。いわゆる囮役だ。
 このことは事前に伝えた上で引き受けてもらっているが、ハッキリ言ってかなり危険な役割である。けれど逆に捉えれば、無理してナメクジを倒しに行く必要が無いということでもあった。
 彼女の身のこなしを以って回避に専念すれば、おそらく触手は大した脅威にはならない。加えて途中途中で攻撃の“素振り”を見せていれば、牽制として少なくない効果が得られるだろう。
 とはいえ常に死と隣り合わせである以上、身体及び精神に負担が掛かるのはどうあれ必至。長時間の囮は期待できないし、するべきではない。
 そこで俺だ。
「――ジェット噴射起動、ブースト展開」
 夜叉さんに戦線を任せる一方、俺は少し離れた場所にある見晴らしのいいビルの屋上で、後ろ手に伸ばした両掌から放出するジェット噴射を維持しつつ戦いを静観する。
 この間、戦線に加わるようなことはしない。ただ只管ひたすらに“その瞬間”が来るのを噴射に耐えながら待つのみだ。
 噴射の勢いで姿勢が崩れないよう、足腰に力を入れて踏ん張り続ける。一瞬でも気を抜けば暴発は免れない。
 ――キッツイなぁ……ッ。でも、今も戦ってる夜叉さんに比べれば、このくらい……ッ!
 俺が俺に求めるのは、最善最良の見極め。
 狙うは、ナメクジが全ての意識を夜叉さんに向けたタイミング。ヤツの意識から俺が消えた瞬間ワンショット
 ナメクジ側からすれば、つい先程まで二人居た相手が一人になったんだ。当然目の前以外の存在にも意識を向けて然るべきだろう。しかし、全快した上に隙あらば攻撃の素振りを見せる夜叉さんを、片手間で相手取れるわけも無い。
『GIIIIIIIIIII!!!!』
 実際戦線では、大通りへの誘導が完了して戦法をヒットアンドアウェイに切り替えた夜叉さんに、ナメクジは苛立ち混じりの咆哮を挙げていた。
 当然だ。別のことにも意識を裂きたいのに一々ちょっかいを掛けられたら、誰だって苛々するに決まってる。それも「倒せそうなら倒しに行くけど、無理そうなら妨害に徹します」なんて動きをされたら尚更だ。
 ――まだだ。
 故にヤツは、どこかのタイミングで否が応にも夜叉さんの排除に意識を向けざるを得なくなる。
 俺が狙っているのは、その切り替わりの瞬間。もっともガードが薄くなる一瞬の隙。そこに、最大火力を一気に叩き込む。
 戦線では、夜叉さんが触手を避けつつカウンターを仕掛ける素振りを見せて、ナメクジに揺さぶりをかけていた。
 ――まだ。
 俺に出せる最大火力、即ち巨腕のラブイーターの半身を吹き飛ばした諸刃の一撃、“ジェットバースト”。
 今の姿勢と放出し続けているジェット噴射は、ジェットバーストをいつでも撃てるようにするための準備だ。
 反動は身を以って経験しているし、失敗したらという不安もある。
 けれど同時に、決まれば勝てるという確信めいた自信もあった。なら、命を懸けるに充分だ。
 ……ちなみに技名は、学校で昼休み中に決めた。我ながらイケてると思う。
『GIIIIIII!!!』
 そして戦線は、いよいよ作戦の佳境を迎えようとしていた。
 夜叉さんの動きに疲れは見えず、今も洗練された素早い立ち回りでナメクジを翻弄し続けている。
 対するナメクジはすっかり夜叉さんにお熱のようで、徐々に動きが乱暴かつ大雑把になっていた。最早もはや彼女以外の存在は眼中にないのだろう。俺への警戒に当てていた数本の触手さえも用い始める始末だ。
 やがてナメクジは、痺れを切らすように触手と目玉を夜叉さん一点に定めて、一斉攻撃を仕掛ける動きを見せた。
 ――今だッ!
 刹那、俺は飛び立つように地面を踏み蹴り、凄まじい風圧を物ともせずナメクジ目掛けて建物の間を翔け抜ける。
 ナメクジに居場所を悟られないよう少し離れた位置からの襲撃だが、音速を超えたスピードなら一秒もあれば届くだろう。
 加えてヤツの背中は、夜叉さんの挑発うごきに誘導されガラ空きだ。
 その時、
 ズパァンッ!!
 巨腕の時と同じく、銃声を何倍にも増幅したような破裂音が空に響いた。音速の壁を越えた証、ソニックブ-ムだ。
 途端、ナメクジは音に反応して明滅する目玉を勢いよくこちらに向ける。だがもう遅い。
 既に触手は夜叉さん目掛けて伸び始めていることから、直前で防御に切り替えても間に合わないことは明白だ。
 光弾という不安要素はあるものの、発光具合から推測するに辛うじて一発撃つのが間に合うかどうか。その上幾度となく見たそれに、今更遅れをとる筈もなく――。
 ――った!
 気付けば俺の目と鼻の先には、すっかり無防備なナメクジの頭部が迫っていた。
 けれどそれを遮るように、明滅を一層激しくする目玉が紙一重のタイミングで構えられる。どうやら寸分の差で光弾の充填が間に合ったらしい。
 でも、
 ――それがどうした。
 放たれる光弾を避けるため、俺は僅かに身体を右に傾ける。
 こちとら西区での戦闘が始まって以降、光弾には数え切れないほど狙われ続けてきたんだ。今さら苦し紛れの最後っ屁が命中するほど腑抜けちゃいない。
 案の定、光弾は俺が身体を傾けたことで空いた脇の下を潜る。
 俺は通り過ぎようとしている光弾を注意から外し、ナメクジの頭部目掛けて右の拳を振り絞った。
 だが、次の瞬間――。
 パァン!
「は――?」
 脇の下を通り過ぎようとしていた光弾が、突如割れた水風船のように“弾けた”。
 そして瞬く間に拡散するつぶてが、局所的な奔流となって俺を飲み込まんと言わんばかりに広がる。
 途端俺は、ゾワリとした悪寒と共に全身から血の気が引いて行くのを感じた。
 ――あ、これはマズイ。
 本能が察する、これに当たったらただでは済まないと。続けて理性が告げる、これは避けられないと。 
 西区に入ってすぐに倒した、おそらく相当弱い部類であろう分裂個体の光弾ですら、軽微とはいえ俺に傷を負わせた。 
 ならば2000メートル級から放たれたソレを全身で浴びた場合、一体どうなってしまうというのだろう。
「――!」
 視界の端で、俺の状況に気付いた夜叉さんが、何かを叫びながら必死にこちらへ駆ける姿が映る。
 でも、どうやったって間に合わない。ゴーグル越しの視界が光一色に塗りたくられる。
『GIGIGI』
 俺を見るナメクジの目玉が、あざけるように歪んで見えた。
 ああ、終わっ――。

「大丈夫。あと一手の差で“私たち”の勝ちさ」

 その時、耳元で知らない女の声が聞こえた。続けてパチンと、指を鳴らすような音が鼓膜を叩く。
 すると、
「え?」
『GIGII!?』
 俺を覆わんとしていた光弾の礫が、手品のように綺麗サッパリ消え去ったのだ。
 一体何が起きたのか、まるで理解出来ない。けれどナメクジも同様に驚愕している姿を見て察する。
 どうやらこれは、ヤツにとっても不測の事態らしい。なら……!
「オルァァァアッ!!!」
「――ッ!」
 どちらも呆けているというのなら、先に気を取り直した側が勝利を掴むのは明白。
 俺は気力を振り絞り、諦めかけた己の心を奮い立たせる為に全力で叫ぶ。
 また夜叉さんも、咄嗟に判断を切り替えると即座に跳躍。そのまま跳び掛る勢いで気迫の乗った刀を横薙ぎに振るう。
 そして俺の握った拳と、夜叉さんの刃が、ナメクジを挟んで交錯し――。
『GI――』
 刎ね上がったナメクジの首に、一つの巨大な風穴を開けた。
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