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1-7『その時少女は光を見た』

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 夢子と楓は、いわゆる幼馴染みと呼ばれる間柄だ。
 その出会いは幼稚園の年少時代から始まり、付き合いは高校一年きょうまで続いている。
 そんな彼女たちにとって互いの存在は、家族以外でもっとも心の許せる、否、もやは家族同然といっても過言ではなかった。
 万が一片方の身に何かあれば、もう片方はとても冷静ではいられないだろう。

「うそ、でしょ? ねぇ、うそでしょ、夢子」
 錯乱した楓から、悲痛な声がこぼれる。
 彼女が呼び掛ける先には、巨大なトカゲの足元にできた血溜まりの中、腰から下を失い力なく横たわる夢子の姿があった。
 辛うじて薄い呼吸こそしているものの、それもあと数秒で途絶えるであろうことは明らかだ。
『GURURU……』
「なんで、なんでこんなこと……」
 トカゲが、低く唸る。
 しかし今の楓に、その姿は映らない。なぜなら彼女の視界は、横たわる夢子に向かって一も二もなく只管に伸びていたからだ。
 「こんなのありえない」と、「一体なにをやっているんだ」とうわ言のように繰り返す楓は、震える足で一歩一歩少女の元へと歩いていく。
『GURUA――』
 だが、トカゲがそんな楓を見逃す筈がない。
 トカゲは口に含んでいた誰かの下半身を唾を吐くように吐き出すと、いざ襲い掛からんと言わんばかりに首を持ち上げ大きく口を開いた――かと思いきや。
『GYA,GYAGYAGYA!!』
 トカゲは、力なく座り込みボロボロと涙を溢して夢子を抱く楓の姿を観察しながら、せせら嗤うような声を発したのだ。
 悲しむ者の心を痛めつけることだけを目的とした、悪趣味極まりない嘲笑を。
「夢子ぉ……夢子ぉ……!」
 けれど楓は、そんなトカゲを意に介さない。否、気にする余裕すらない。
 やがて呆然と繰り返されるうわ言はすすり泣きに、すすり泣きは慟哭に変わる。
 その時、
「かえで、ちゃん……」
「夢、子……? 夢子ッ!」
 楓の腕の中で、夢子が今にも事切れそうな小さな声で囁いた。
 少女の瞳は虚ろに濁り、唇を動かすだけでも相当無理をしていることは一目見て分かる。
 それでも必死に何かを伝えようと喉を震わせ、少女は魂を削って言葉を吐き出した。
「ごめん、ね、かえで、ちゃん……。トカゲがかえでちゃんを、見てたから、わたし、気を逸らさせようと、したんだけど……」
「夢子、もういい、もう分かったから。ダメ、喋っちゃダメ! 絶対助けるから、だから!」
 文字通り命懸けで語った夢子の言葉に、楓の感情が爆発する。どうにかしなきゃという思いが逡巡し、叶いもしない願望ねがいが口を吐く。
 けれど楓は、この状況で少女を救う方法を知らない。また話す体力を温存したところで、良くてコンマ数秒の延命にしかならないことも彼女は分かっていた。
 つまり夢子を助けられる可能性は、0%以下。
「ごめんね、かえでちゃん」
 夢子もそれがわかっていたのだろう。
 もう一度楓に謝り儚い微笑を浮かべると、終わりを受け入れるように瞼を閉じていく。
「待って、ダメ、目を開けて! お願いだから、夢子ッ!」
「……」
「ゆめ、こ……?」
 途端、夢子の身体がふと軽くなった。
 懸命に呼び掛ける楓の声にも、もはや反応を示さない。
 腰から滴る鮮血の量だけが、秒毎に増えていくばかりだ。
『GUGYAGYAGYAGYA!!』
 そんな少女たちを、トカゲが盛大な嘲笑を上げながら見下ろす。
 そして今度こそ、楓に襲い掛からんとその口を開いた。
「誰か……誰か……」
 失意の只中にいる楓は、しかしそれに気付かない。
 けれど少女は、辺りを見回しながら誰にでもなくすがる。
 歯を食い縛りながら、救いを求め叫ぶ。
「誰か夢子を、助けてーッ!」
 唯一無二の、親友ともの救いを。
 その時、
 ドオォォォォォンッ!!
『GURU……?』
「え――」
 中庭から突然、特撮映画の爆発を思わせる爆音が轟いた。続けて、舞い上がった砂埃が風に乗って校舎に雪崩れ込み、周囲の視界を瞬く間に砂色に塗り替える。
 突然の出来事に、楓はおろかトカゲさえも中庭に目を向けた。
 次の瞬間――。
「おらぁぁぁぁぁぁあ!!!」
『GRURAAAAAAA……』
 怒号を上げる一人の男が砂埃に風穴を開け、トカゲ目掛けて飛び出してきた。
 そして男は、大きく開かれたトカゲの口を勢いのまま横殴りにしたかと思えば、そのまま空中で一回転しながら踵落としの動きでトカゲの頭を踏みつけたのだ。
 二度の攻撃を受けて堪らず絶叫を上げたトカゲは、頭を踏みつけられるなりパタリと動かなくなった。
「な、なにが……。アンタは……」
 楓は、呆然と見上げる。突然現れたかと思えば、一瞬でトカゲを叩きのめした男の姿を。
 彼が身に着けていたのは、彼女たちが着ている学生服の男子用。加えてネクタイの色が緑色であることから、この学校の二年生であることが窺えた。
 またよく見ると男の拳には、五本指仕様のボクシンググローブをスマートにしたような黒い手袋が嵌められている。
 ハッキリいってダサいなと、楓は漠然と思った。
「……ッ。……! なぁ、ウサギもどき、確かーー」
 一方男は、楓の呼び掛けに答えない。
 代わりに彼女の腕の中にいる少女を見ると、歯を食い縛って沈痛な表情を浮かべる。
 しかし直後、何かを閃いたように顔を上げると、突然独り言を呟き始めた。
「ね、ねぇ……」
 楓は困惑する。
 突然現れたかと思えば、夢子の今の姿を悲しみ、しかし突然顔色を変えて独り言を呟き始める男に。
 状況の整理が出来ずにいた楓は、思わず呆気に取られる。
 しかし、説明を求める為に再び声を掛けようとしたその時、
「――大丈夫。この娘は、僕が救ってみせる」
 沈痛な面持ちから一転して表情を引き締めた男は、その場に片膝を付けてしゃがみ込むと、そう言って夢子の傷口にそっと手をかざした。

※ ※ ※ ※ ※

 ――ここは……?
 暗闇の中、夢子はふと目を覚ます。
 瞼を開いた彼女の視界に広がっていたのは、上下の区別もつかず境界も見当たらない真っ黒な空間だった。
 光源なんてものはない。あるのは、海月のように暗闇をたゆたうような己の肉体と、落ちているのか上がっているのかも判別つかない浮遊感。
 そして、
 ――さ、寒い……。それに、なんだかすっごく眠たく……。
 まるで冷凍庫の中に裸で放り込まれたような、度し難い寒気。
 心臓を中心に広がる凍えるような震えは、彼女の熱を刻々と奪い微睡みへ引き摺り込もうとしていた。
 途端、夢子はそれに気付くと自身の体温を逃すまいと咄嗟に体を縮こまらせ両腕を抱こうとする。
 その時、違和感を覚えた。
 ――腕、どこ?
 夢子は確かに、己の腕を抱いた筈だった。しかし、まるで感触がないのだ。
 そのことを不審に思うなり、少女は寒さに震えながらもゆっくりと抱擁を解いて自身の腕を見る。
 途端、目を見開いた。
 ――腕が、壊れてる。
 まるでペンキの塗装が錆びで剥がれるように、少女の手がパラパラと崩れていたのだ。
 また既に、彼女の両腕は肘から先が消滅していた後だった。
 夢子は、思わずギョッとした表情を浮かべる。
 そしてまだ残ってい肘から上を守るように、慌てて背中を丸めながら一層体を縮み込ませた。
 だが、
 ――止まって、止まって……!
 崩壊は止まらない。
 少女の懇願も虚しく腕は剥がれ、千切れ、最後は虚空に消えていく。
 それから数秒と経たないうちに、彼女は両腕を完全に失った。
 やがて、そんな少女の胸にある思いが飛来する。
 ――いや、いやだよぉ……。
 それは、圧倒的絶望感。そして、言語化すら困難と思えるほどの無力感。
 けれど両腕の消失に悲しむ間も無く、今度は足先から急速な崩壊が始まる。
 抗う術を持たない少女には、どうすることも出来なかった。
「誰、か」
 暗闇を見上げる少女は、喉を震わせ懇願する。
 何かにすがる為の腕は、もうない。
 逃げる為に動かそうとした身体も、気付けば首から下は完成に崩壊が終わっている。
「たす、け……」
 崩壊は、発声の最中でも構わず少女を蝕み、遂には発言する唇すらも奪っていった。
 ――ああ、もうダメだ。ごめんね、楓ちゃん……。
 もはやどうすることもできず、夢子は諦めを悟って瞼を閉じる。
 その時――。
 ――ひか、り?
 閉じた筈の瞼の裏が、突然真っ白に染まった。続けて和やかな昼下がりを思わせる暖かな風が頬をを撫で、少女の瞼を驚きでこじ開ける。
 そして少女は、光を見た。
 暗闇の中で燦然と輝く、暖かで眩い極光を。
「綺麗……!」
 思わず手を伸ばそうとして、夢子は気付く。
 崩壊した筈の自身の身体が、いつの間にか元の形を取り戻していたことに。
 そして驚きと共に、再び顔を上げた次の瞬間――。

「――……めこ、夢子!」
「……!」
「かえで、ちゃん?」
 目を覚ました夢子は、涙や鼻水で顔をクシャクシャにしながら眼前で叫ぶ楓と、その後ろで慌てて背を向けた男子生徒の姿を見た。
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