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未来都市での愉快な一日
1-15『覆面集団』
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「はぁ……はぁ……『銀髪の姉ちゃん』様は、どこに、いらっしゃるのでしょう……」
静閑な夕闇の廃街に、幼い少女の荒い息づかいが木霊する。アリアだ。
無事アリーナから脱出したアリアは、ジンが言った『銀髪の姉ちゃん』なる人物と合流するため、ひとり街中を駆けていた。
けれど暫く走った末、彼女はあることに気づく。
銀髪の姉ちゃんに関する情報を、ジンから何一つ聞かされていなかったのだ。容姿はもちろん、落ち合う場所もである。
闇雲に探し回るには、廃街はあまりに広く入り組んでいる。おまけに陽も落ちた今では視界も不安定だ。
「どこに、どこ……に……」
走り続けるアリアの脳裏に不安が過る。もし合流が叶わず、このまま迷子になってしまったら。そうでなくとも再び誘拐犯に捕まってしまったら、ジンの頑張りを台無しに……。
心細い状況下で抱くそれは、まさに毒だ。
一度でもネガティヴな思考に犯されたら最後、精神はジワジワとマイナス方向へと蝕まれていく。それが年端もいかない少女であれば尚のこと。
やがてアリアの足は徐々に進む力を無くし、最後は今にも泣きだしそうな顔でその場に立ち竦んだ。
その時、
「見つけた。一体どこに向かって──あれ?」
ふと背後から聞こえた、自分以外の声。聞いたことのない声だった。
それは救いか。はたまた詰みの報せか。
電流が流れるようにピンと背筋を伸ばすアリアは、恐る恐る振り返る。
そこに居たのは──。
「銀髪の、姉ちゃん様……?」
「……もしかしてアリア? どうして一人で、こんなところに」
銀色の髪をした、見るからに自分より年上の少女。襲いかかってくる気配は、ない。それどころかスマコを片手に疑問と驚愕が入り交じった表情でこちらを見ている。
アリアは一目見て直感した。彼女こそが、ジンの言っていた『銀髪の姉ちゃん』であると。
「あぁ……ようやく合流が叶いました。これでジン様のがんばりを無駄にせずに済みます」
目的の人物と合流したことで力が抜けたのだろう。アリアはその場にへたり込む。
そんな彼女に、銀髪の姉ちゃんと思しき少女は困惑しながら口を開いた。
「えっと、安心しているところ悪いんだけど、どうしてアリアがこんなところに? それにジンのスマコの反応まで」
「スマコ、でございますか?」
何のことか分からず首を傾げるアリア。
しかし冷静になったことで、服のポケットに覚えのない感触があることに気付く。
思わず手を入れてみると、見覚えのないスマコが顔を出した。
「間違いない。ジンのスマコだ」
「まぁ、どうして私のポケットに……? あぁ、そういえば」
やっぱり、と銀髪の姉ちゃんが頷く。
一方アリアは不思議そうに、より深く首を傾げる。
しかしふと、あることが脳裏を過った。
思えばトラーバに襲われジンに抱えられた時から、腰周りをまさぐられるような感覚があったのだ。
あの時は気にしている余裕など無かったが、恐らくそこで忍ばされたのだろう。
アリアは、それを銀髪の姉ちゃんに伝える。
「さすが旅人、抜け目ない。……ところで、トラーバさんに襲われたってどういうこと? ジンは今、何をしているの?」
「あ、そうでした。実はジン様から、銀髪の姉ちゃん様に言伝を預かっておりまして──」
すっかり安心して気が抜けていたのだろう。
銀髪の姉ちゃんに訊かれ、目的を思い出すアリアは慌てて経緯を語った。
「……事情はわかった。一先ずアイギスに通報して、わたし達は廃街を出よう。ついてきて、アリア」
「あ、あの! ジン様は大丈夫なのでしょうか……」
不安げなアリアの声。
なにせジンの相手は、常日頃からボディーガードとして傍にいたトラーバだ。その実力は彼女も十分に理解している。
だからこそジンを心配せずにはいられなかった。
しかし、
「大丈夫」
銀髪の姉ちゃん──エイムは、揺るぎない自信と声で言い切った。
「ジンは負けないよ……わたしの知る限り、この国で彼より強い人はいないから」
果たして、この国で最も強いのがジンかどうかは定かではない。
しかし──。
※ ※ ※ ※ ※
アリアの心配に対する答えとして、エイムの言葉には一つの間違いもなかった。
「何故っ、こんなことが……!」
金属がぶつかり合うような音に、焦燥する男の声が混じる。トラーバだ。
およそ人間とは思えない速さで縦横無尽にアリーナを駆け巡るトラーバは、その中心にいる男めがけて何度も拳を放つ。
しかし、
「効かねェよ」
「ぐぅっ!?」
その先にいる男──ジンは、まるで子供の相手をするかのように全ての拳を刀で往なし続けていた。
また、それだけに留まらず、拳を振り抜いて隙だらけなトラーバの脇腹に柄の裏側を叩き付ける。
途端にトラーバは呻き声をあげ、表情を歪ませながら大きく後退して距離を取った。
「何故……何故だっ! さっきは確かに、懐にまで迫ったというのに……!」
まるで相手にならないと、トラーバは奥歯を噛み締める。
パワードスーツを起動して以降、彼は幾度となくジンに攻撃を仕掛けていた。
しかし真っ当に撃ち合えたのは最初に迫った時の一度きり。その後の攻撃は一度たりとも届いていなかった。
だが決して、それはトラーバが弱者であることを意味するわけではない。
歳は若くなく腹も出っ張っているが、それでもショーガンが直々に娘のボディーガードに任命するほどの腕を持つ男だ。
仮にパワードスーツを着ていなくとも、そこらの不良数人程度では相手にならない実力を持っている。
だからこそ、"こう"なる理由は一つしかなかった。
「あァ、急に詰められた時は流石に焦ったよ。ったく、熟この国は愉快な技術で溢れてやがんな。……まァ、そういうのがあるって判ったンなら、"それを考慮したうえで"立ち回ればいい訳だが」
「そんなこと、出来るわけ……」
「どれだけ速く動き回られようが銃弾よりは遅ェンだ。そう難しいことじゃねェよ」
「……ありえない。お前は、本当に人間なのか? ……どちらにせよ、これ以上の戦闘に意味はない、か」
人間としての規格が違う──否。もはや奴を人間として扱うべきなのかと、トラーバは現実逃避めいたことを思う。
けれど事実として、まともに戦ったところで敵う相手でないことは、これまでの撃ち合いから嫌というほど理解した。
であれば、これ以上戦闘を続けても無意味に自分を追い込むだけだ。せめて身代金の回収だけでも済ませたかったが、それもジンを相手にしながらでは不可能だろう。
ここらが潮時、何事も引き際が肝心だ。そう溜め息を溢し、トラーバは後方の出口に向かってジリジリと後退を始める。
「悪ィが、逃がしゃしねェぞ」
「っ!」
しかしジンが、それを見逃す筈もない。
背を向けようとしたトラーバは次の瞬間、全身が凍り付くような悪寒を感じた。
思わず反射的に銃を抜き、振り返る。
その先ではジンが、心胆寒からしめる眼差しでトラーバを睨んでいた。
腰を引いて足を前後に開き、"両手"で握った刀を肩の位置で水平に構える姿は、まるで獲物を襲う準備ができた肉食獣のよう。
「くっ……!」
やらかしたと、トラーバは内心で舌打ちする。ジンの迫力に気圧され、後退の足を止めてしまった。
再度、逃げようとしたところで間に合わない。安易に背中を向けたその瞬間、一気に距離を詰められ御陀仏だ。
無意識に呼吸が速まる。額を流れる汗が鬱陶しい。
逃げる以外にこの場を切り抜ける手段がない一方、下手に動くことのできないジレンマ。
なにか、なにか打開策は──。
「は……?」
その時だった。トラーバの視界から、突如ジンの姿が"消えた"のは。
目を離した訳ではない、離す筈がない。むしろ穴が空くほどに一挙手一投足を注視していた。
だが強いて言うなら──瞬きだ。
瞬きという一秒にも満たない刹那の間に、ジンは忽然と居なくなった。
隠れた? どこに、どうやって。
実はジンなんて存在しなかった? 全ては幻だった? そんな訳がない。
不可解な出来事を前に、混乱するトラーバの脳裏で支離滅裂な逡巡が過る。
それを破ったのは──。
「──終いだ」
「……っ!?」
背後から聞こえた声。ジンのものだ、それもかなり近い。
途端、トラーバは反発する磁石のようにその場から飛び退き、銃を構えようとする。
しかし、ふらりと右足から力が抜けたかと思えば、その身体はバランスを崩して仰向けに倒れた。
「なん、で。足に、力が……」
目を白黒させ、トラーバは足元に目をやる。そこには、知らぬ間に赤い液体の水溜まりが出来ていた。
赤い液体は、自身の脹脛から今も止めどなく流れている。
顔を上げれば、月の逆光で表情を闇に染めたジンが、感情の込もっていない声で言葉を発した。
「腱を切った。さっきみてェに、ちょこまか動かれたら面倒だからな」
「あ、あぁ……」
トラーバがその言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
しかし遅れてやってきた痛みと、肌を湿らせる赤い液体の熱が伴うに連れ、脳は否応なく状況の把握を進め──。
「あああああああああッ!!!」
「喧しい」
直後、喉が張り裂けんばかりの絶叫。それは痛みによるものか、はたまた退路が絶たれたことによる絶望か。
半狂乱に陥ったトラーバは、もはや狙いすら定まっていない発砲を無我夢中で繰り返した。
しかし当然、そんな射撃が命中する筈もない。そればかりかジンが放った一蹴りで、手元の銃はアリーナの隅へと弾き飛ばされる。
今のトラーバに自身を守護するものは、何も残されていなかった。
「ちょっと黙ってろ」
「や、やめ……」
腕を振り上げるジン。月光を浴びた刃が銀色に煌めく。
命乞いをするには、あまりに遅すぎた。
「やめろおおおおおお!!!」
懇願も虚しく、勢いよく振り下ろされるジンの腕。
痛みを感じる前に意識を手放せたことだけが、トラーバにとって唯一の幸福だった。
※ ※ ※ ※ ※
「大袈裟なやつだなァ。別に殺すつもりなんざ無ェっての」
白目を剥いて失神したトラーバに、納刀するジンはヤレヤレと首を振って呟いた。
振り下ろした刃がトラーバの脳天を真っ二つに裂く──ことはなかった。
刃がトラーバの眉間に触れる直前、ジンが寸止めしたからだ。
躊躇した訳ではない。初めから殺す気は無かった。
「儂が勝手に手ェ下すのも、なァ。その辺はショーガン氏に丸投げした方がいいだろ」
ジンが思い返すのは、便利屋でトラーバに圧を掛けていたショーガンの姿。そしてウエポン邸でメイドから聞いた話。
アリアが無事とはいえ、それでトラーバに温情が掛かるとは思えない。なんといっても彼は、この誘拐事件の主犯だ。
この男の処遇は、一度ショーガンとアリアを経由してから然るべき機関へと送り届けるのが妥当だろう。
そう結論付け、ジンはトラーバからパワードスーツを脱がせ手足を拘束する。
そして漸く一息つこうとした、その時。
「いやはや素晴らしいお手前だよ。あのトラーバを、こうも容易く仕留めるなんてね」
パチパチと、乾いた拍手の音がアリーナに響いた。そして客席から、なんとも緊張感のない男の声が発せられる。
それは誘拐犯でも、当然トラーバでもない第三者の声だった。
「……ったく、次から次へと虫みたいに沸きやがって。いい加減しつけェぞ」
誘拐犯を全滅させたと思えば、次は黒幕トラーバの登場。そしてトラーバを倒したかと思えば、新たに現れる刺客。
ジンは「またか」と大きな溜め息を吐くと、心底ウンザリした口調で声のした方向を睨み付けた。
「ああ、ごめんよ。連戦で疲れているもんね、ずっと見ていた。でも安心してほしい、ボクに戦う意思はないからさ。というか、戦ったところで勝てるとも思えないしね」
そこに居たのは、明らかにサイズが合っていないブカブカの白いジャケットを着た十代半ばから後半頃の少年。
ショートカットの銀髪は誰もが羨むような美しい艶を持ちながら、その毛先は"寝グセの塊"と形容する他ない程に暴れている。宝石のようなエメラルドグリーンの瞳に整った顔立ちも相まって、これほどまでに「もったいない」という言葉が似合う男もそうそう居ないだろう。
しかし何より目を引いたのは、顔の下半分を覆うように装備している紺色のガスマスクだ。
オアシスを訪れてようやく一日が経とうとしているジンの知識でも、その出で立ちが一般的なモノでないと判断することは容易だった。
「……こんな時間に、こんな場所を子供が彷徨くモンじゃないぜ。用がないならさっさと帰りな」
「ご忠告どうも。お言葉通り、そうさせてもらうよ。それに用事も、ホラ。たった今済ませたところだからね」
「っ……!」
状況を鑑みれば、少年が誘拐犯の仲間であることは間違いない。ジンは軽口を叩きつつも左手を鞘に添えて臨戦態勢に入る。
しかし少年が手にしているモノを目にした途端、その表情に焦りが浮かんだ。
「……お前さん、それが何か分かっているんだろうな」
「勿論。身代金だろう? でもアリアは無事に救出された。ならコレの役目はもう終わったんだ、だったらボクが代わりに頂いても問題ないだろう?」
「問題しかねェよ。冗談で済むうちに、さっさと返せ」
飄々と語る少年に、ジンは早足でにじり寄っていく。
少年との距離は、およそ一五メートル弱。平場なら一瞬で迫れる距離だ。
しかしジンがいる広場と客席を隔てる壁の高さを考慮すると、よじ登るだけでも数秒かかってしまう。
少年がトラーバ同様パワードスーツを装備していると仮定した場合、逃げ切るには十分過ぎる時間だ。
「残念だけど、それはできないかな──それじゃあね」
「チッ、逃がすかよ」
歯噛みするジンに、少年は勝ち誇るような笑みを浮かべて背を向ける。
間に合わない。
そう判断したジンは鞘を壁に立て掛けると、それを足掛かりに一気に客席へと駆け上がった。
丸腰になってしまうが仕方ない。対応は追い付いた後に考える。
しかし、
「へぇ、その機転は素直に驚いたよ」
客席には既に、少年の姿はなかった。
代わりに感嘆の声だけが、ジンの頭上から降りてくる。
そう、頭上からだ。
「……クソがッ」
悪態を吐かずにはいられなかった。
ジンが見上げる先には、巻き取り式のワイヤー銃を手にした少年が、既にアリーナの天井近くまで上昇していたのだ。
こうなった以上、もはや打つ手はない。どれだけ身体能力が優れていようと、人は自在に宙を飛ぶことはできないのだから。
追うことも叶わず遠退いて行く少年の姿を見上げるしかないジンは、悔しげに拳を握りしめる。
「ここまで頑張ったんだ、ご褒美くらいはあげるよ」
しかし最後の一瞬まで抗ったジンを称えてか、少年は純粋な微笑みを浮かべる。
そして、告げた。
「覆面集団、それがボクらの名前さ。もし路頭に迷った時は、いつでも歓迎するよ。旅人さん」
そう言い残す少年は、やがて天井に辿り着くとそのままアリーナを出る。
それから暫くして、廃街にはアイギスの到着を知らせるサイレンの音が響き渡った。
静閑な夕闇の廃街に、幼い少女の荒い息づかいが木霊する。アリアだ。
無事アリーナから脱出したアリアは、ジンが言った『銀髪の姉ちゃん』なる人物と合流するため、ひとり街中を駆けていた。
けれど暫く走った末、彼女はあることに気づく。
銀髪の姉ちゃんに関する情報を、ジンから何一つ聞かされていなかったのだ。容姿はもちろん、落ち合う場所もである。
闇雲に探し回るには、廃街はあまりに広く入り組んでいる。おまけに陽も落ちた今では視界も不安定だ。
「どこに、どこ……に……」
走り続けるアリアの脳裏に不安が過る。もし合流が叶わず、このまま迷子になってしまったら。そうでなくとも再び誘拐犯に捕まってしまったら、ジンの頑張りを台無しに……。
心細い状況下で抱くそれは、まさに毒だ。
一度でもネガティヴな思考に犯されたら最後、精神はジワジワとマイナス方向へと蝕まれていく。それが年端もいかない少女であれば尚のこと。
やがてアリアの足は徐々に進む力を無くし、最後は今にも泣きだしそうな顔でその場に立ち竦んだ。
その時、
「見つけた。一体どこに向かって──あれ?」
ふと背後から聞こえた、自分以外の声。聞いたことのない声だった。
それは救いか。はたまた詰みの報せか。
電流が流れるようにピンと背筋を伸ばすアリアは、恐る恐る振り返る。
そこに居たのは──。
「銀髪の、姉ちゃん様……?」
「……もしかしてアリア? どうして一人で、こんなところに」
銀色の髪をした、見るからに自分より年上の少女。襲いかかってくる気配は、ない。それどころかスマコを片手に疑問と驚愕が入り交じった表情でこちらを見ている。
アリアは一目見て直感した。彼女こそが、ジンの言っていた『銀髪の姉ちゃん』であると。
「あぁ……ようやく合流が叶いました。これでジン様のがんばりを無駄にせずに済みます」
目的の人物と合流したことで力が抜けたのだろう。アリアはその場にへたり込む。
そんな彼女に、銀髪の姉ちゃんと思しき少女は困惑しながら口を開いた。
「えっと、安心しているところ悪いんだけど、どうしてアリアがこんなところに? それにジンのスマコの反応まで」
「スマコ、でございますか?」
何のことか分からず首を傾げるアリア。
しかし冷静になったことで、服のポケットに覚えのない感触があることに気付く。
思わず手を入れてみると、見覚えのないスマコが顔を出した。
「間違いない。ジンのスマコだ」
「まぁ、どうして私のポケットに……? あぁ、そういえば」
やっぱり、と銀髪の姉ちゃんが頷く。
一方アリアは不思議そうに、より深く首を傾げる。
しかしふと、あることが脳裏を過った。
思えばトラーバに襲われジンに抱えられた時から、腰周りをまさぐられるような感覚があったのだ。
あの時は気にしている余裕など無かったが、恐らくそこで忍ばされたのだろう。
アリアは、それを銀髪の姉ちゃんに伝える。
「さすが旅人、抜け目ない。……ところで、トラーバさんに襲われたってどういうこと? ジンは今、何をしているの?」
「あ、そうでした。実はジン様から、銀髪の姉ちゃん様に言伝を預かっておりまして──」
すっかり安心して気が抜けていたのだろう。
銀髪の姉ちゃんに訊かれ、目的を思い出すアリアは慌てて経緯を語った。
「……事情はわかった。一先ずアイギスに通報して、わたし達は廃街を出よう。ついてきて、アリア」
「あ、あの! ジン様は大丈夫なのでしょうか……」
不安げなアリアの声。
なにせジンの相手は、常日頃からボディーガードとして傍にいたトラーバだ。その実力は彼女も十分に理解している。
だからこそジンを心配せずにはいられなかった。
しかし、
「大丈夫」
銀髪の姉ちゃん──エイムは、揺るぎない自信と声で言い切った。
「ジンは負けないよ……わたしの知る限り、この国で彼より強い人はいないから」
果たして、この国で最も強いのがジンかどうかは定かではない。
しかし──。
※ ※ ※ ※ ※
アリアの心配に対する答えとして、エイムの言葉には一つの間違いもなかった。
「何故っ、こんなことが……!」
金属がぶつかり合うような音に、焦燥する男の声が混じる。トラーバだ。
およそ人間とは思えない速さで縦横無尽にアリーナを駆け巡るトラーバは、その中心にいる男めがけて何度も拳を放つ。
しかし、
「効かねェよ」
「ぐぅっ!?」
その先にいる男──ジンは、まるで子供の相手をするかのように全ての拳を刀で往なし続けていた。
また、それだけに留まらず、拳を振り抜いて隙だらけなトラーバの脇腹に柄の裏側を叩き付ける。
途端にトラーバは呻き声をあげ、表情を歪ませながら大きく後退して距離を取った。
「何故……何故だっ! さっきは確かに、懐にまで迫ったというのに……!」
まるで相手にならないと、トラーバは奥歯を噛み締める。
パワードスーツを起動して以降、彼は幾度となくジンに攻撃を仕掛けていた。
しかし真っ当に撃ち合えたのは最初に迫った時の一度きり。その後の攻撃は一度たりとも届いていなかった。
だが決して、それはトラーバが弱者であることを意味するわけではない。
歳は若くなく腹も出っ張っているが、それでもショーガンが直々に娘のボディーガードに任命するほどの腕を持つ男だ。
仮にパワードスーツを着ていなくとも、そこらの不良数人程度では相手にならない実力を持っている。
だからこそ、"こう"なる理由は一つしかなかった。
「あァ、急に詰められた時は流石に焦ったよ。ったく、熟この国は愉快な技術で溢れてやがんな。……まァ、そういうのがあるって判ったンなら、"それを考慮したうえで"立ち回ればいい訳だが」
「そんなこと、出来るわけ……」
「どれだけ速く動き回られようが銃弾よりは遅ェンだ。そう難しいことじゃねェよ」
「……ありえない。お前は、本当に人間なのか? ……どちらにせよ、これ以上の戦闘に意味はない、か」
人間としての規格が違う──否。もはや奴を人間として扱うべきなのかと、トラーバは現実逃避めいたことを思う。
けれど事実として、まともに戦ったところで敵う相手でないことは、これまでの撃ち合いから嫌というほど理解した。
であれば、これ以上戦闘を続けても無意味に自分を追い込むだけだ。せめて身代金の回収だけでも済ませたかったが、それもジンを相手にしながらでは不可能だろう。
ここらが潮時、何事も引き際が肝心だ。そう溜め息を溢し、トラーバは後方の出口に向かってジリジリと後退を始める。
「悪ィが、逃がしゃしねェぞ」
「っ!」
しかしジンが、それを見逃す筈もない。
背を向けようとしたトラーバは次の瞬間、全身が凍り付くような悪寒を感じた。
思わず反射的に銃を抜き、振り返る。
その先ではジンが、心胆寒からしめる眼差しでトラーバを睨んでいた。
腰を引いて足を前後に開き、"両手"で握った刀を肩の位置で水平に構える姿は、まるで獲物を襲う準備ができた肉食獣のよう。
「くっ……!」
やらかしたと、トラーバは内心で舌打ちする。ジンの迫力に気圧され、後退の足を止めてしまった。
再度、逃げようとしたところで間に合わない。安易に背中を向けたその瞬間、一気に距離を詰められ御陀仏だ。
無意識に呼吸が速まる。額を流れる汗が鬱陶しい。
逃げる以外にこの場を切り抜ける手段がない一方、下手に動くことのできないジレンマ。
なにか、なにか打開策は──。
「は……?」
その時だった。トラーバの視界から、突如ジンの姿が"消えた"のは。
目を離した訳ではない、離す筈がない。むしろ穴が空くほどに一挙手一投足を注視していた。
だが強いて言うなら──瞬きだ。
瞬きという一秒にも満たない刹那の間に、ジンは忽然と居なくなった。
隠れた? どこに、どうやって。
実はジンなんて存在しなかった? 全ては幻だった? そんな訳がない。
不可解な出来事を前に、混乱するトラーバの脳裏で支離滅裂な逡巡が過る。
それを破ったのは──。
「──終いだ」
「……っ!?」
背後から聞こえた声。ジンのものだ、それもかなり近い。
途端、トラーバは反発する磁石のようにその場から飛び退き、銃を構えようとする。
しかし、ふらりと右足から力が抜けたかと思えば、その身体はバランスを崩して仰向けに倒れた。
「なん、で。足に、力が……」
目を白黒させ、トラーバは足元に目をやる。そこには、知らぬ間に赤い液体の水溜まりが出来ていた。
赤い液体は、自身の脹脛から今も止めどなく流れている。
顔を上げれば、月の逆光で表情を闇に染めたジンが、感情の込もっていない声で言葉を発した。
「腱を切った。さっきみてェに、ちょこまか動かれたら面倒だからな」
「あ、あぁ……」
トラーバがその言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
しかし遅れてやってきた痛みと、肌を湿らせる赤い液体の熱が伴うに連れ、脳は否応なく状況の把握を進め──。
「あああああああああッ!!!」
「喧しい」
直後、喉が張り裂けんばかりの絶叫。それは痛みによるものか、はたまた退路が絶たれたことによる絶望か。
半狂乱に陥ったトラーバは、もはや狙いすら定まっていない発砲を無我夢中で繰り返した。
しかし当然、そんな射撃が命中する筈もない。そればかりかジンが放った一蹴りで、手元の銃はアリーナの隅へと弾き飛ばされる。
今のトラーバに自身を守護するものは、何も残されていなかった。
「ちょっと黙ってろ」
「や、やめ……」
腕を振り上げるジン。月光を浴びた刃が銀色に煌めく。
命乞いをするには、あまりに遅すぎた。
「やめろおおおおおお!!!」
懇願も虚しく、勢いよく振り下ろされるジンの腕。
痛みを感じる前に意識を手放せたことだけが、トラーバにとって唯一の幸福だった。
※ ※ ※ ※ ※
「大袈裟なやつだなァ。別に殺すつもりなんざ無ェっての」
白目を剥いて失神したトラーバに、納刀するジンはヤレヤレと首を振って呟いた。
振り下ろした刃がトラーバの脳天を真っ二つに裂く──ことはなかった。
刃がトラーバの眉間に触れる直前、ジンが寸止めしたからだ。
躊躇した訳ではない。初めから殺す気は無かった。
「儂が勝手に手ェ下すのも、なァ。その辺はショーガン氏に丸投げした方がいいだろ」
ジンが思い返すのは、便利屋でトラーバに圧を掛けていたショーガンの姿。そしてウエポン邸でメイドから聞いた話。
アリアが無事とはいえ、それでトラーバに温情が掛かるとは思えない。なんといっても彼は、この誘拐事件の主犯だ。
この男の処遇は、一度ショーガンとアリアを経由してから然るべき機関へと送り届けるのが妥当だろう。
そう結論付け、ジンはトラーバからパワードスーツを脱がせ手足を拘束する。
そして漸く一息つこうとした、その時。
「いやはや素晴らしいお手前だよ。あのトラーバを、こうも容易く仕留めるなんてね」
パチパチと、乾いた拍手の音がアリーナに響いた。そして客席から、なんとも緊張感のない男の声が発せられる。
それは誘拐犯でも、当然トラーバでもない第三者の声だった。
「……ったく、次から次へと虫みたいに沸きやがって。いい加減しつけェぞ」
誘拐犯を全滅させたと思えば、次は黒幕トラーバの登場。そしてトラーバを倒したかと思えば、新たに現れる刺客。
ジンは「またか」と大きな溜め息を吐くと、心底ウンザリした口調で声のした方向を睨み付けた。
「ああ、ごめんよ。連戦で疲れているもんね、ずっと見ていた。でも安心してほしい、ボクに戦う意思はないからさ。というか、戦ったところで勝てるとも思えないしね」
そこに居たのは、明らかにサイズが合っていないブカブカの白いジャケットを着た十代半ばから後半頃の少年。
ショートカットの銀髪は誰もが羨むような美しい艶を持ちながら、その毛先は"寝グセの塊"と形容する他ない程に暴れている。宝石のようなエメラルドグリーンの瞳に整った顔立ちも相まって、これほどまでに「もったいない」という言葉が似合う男もそうそう居ないだろう。
しかし何より目を引いたのは、顔の下半分を覆うように装備している紺色のガスマスクだ。
オアシスを訪れてようやく一日が経とうとしているジンの知識でも、その出で立ちが一般的なモノでないと判断することは容易だった。
「……こんな時間に、こんな場所を子供が彷徨くモンじゃないぜ。用がないならさっさと帰りな」
「ご忠告どうも。お言葉通り、そうさせてもらうよ。それに用事も、ホラ。たった今済ませたところだからね」
「っ……!」
状況を鑑みれば、少年が誘拐犯の仲間であることは間違いない。ジンは軽口を叩きつつも左手を鞘に添えて臨戦態勢に入る。
しかし少年が手にしているモノを目にした途端、その表情に焦りが浮かんだ。
「……お前さん、それが何か分かっているんだろうな」
「勿論。身代金だろう? でもアリアは無事に救出された。ならコレの役目はもう終わったんだ、だったらボクが代わりに頂いても問題ないだろう?」
「問題しかねェよ。冗談で済むうちに、さっさと返せ」
飄々と語る少年に、ジンは早足でにじり寄っていく。
少年との距離は、およそ一五メートル弱。平場なら一瞬で迫れる距離だ。
しかしジンがいる広場と客席を隔てる壁の高さを考慮すると、よじ登るだけでも数秒かかってしまう。
少年がトラーバ同様パワードスーツを装備していると仮定した場合、逃げ切るには十分過ぎる時間だ。
「残念だけど、それはできないかな──それじゃあね」
「チッ、逃がすかよ」
歯噛みするジンに、少年は勝ち誇るような笑みを浮かべて背を向ける。
間に合わない。
そう判断したジンは鞘を壁に立て掛けると、それを足掛かりに一気に客席へと駆け上がった。
丸腰になってしまうが仕方ない。対応は追い付いた後に考える。
しかし、
「へぇ、その機転は素直に驚いたよ」
客席には既に、少年の姿はなかった。
代わりに感嘆の声だけが、ジンの頭上から降りてくる。
そう、頭上からだ。
「……クソがッ」
悪態を吐かずにはいられなかった。
ジンが見上げる先には、巻き取り式のワイヤー銃を手にした少年が、既にアリーナの天井近くまで上昇していたのだ。
こうなった以上、もはや打つ手はない。どれだけ身体能力が優れていようと、人は自在に宙を飛ぶことはできないのだから。
追うことも叶わず遠退いて行く少年の姿を見上げるしかないジンは、悔しげに拳を握りしめる。
「ここまで頑張ったんだ、ご褒美くらいはあげるよ」
しかし最後の一瞬まで抗ったジンを称えてか、少年は純粋な微笑みを浮かべる。
そして、告げた。
「覆面集団、それがボクらの名前さ。もし路頭に迷った時は、いつでも歓迎するよ。旅人さん」
そう言い残す少年は、やがて天井に辿り着くとそのままアリーナを出る。
それから暫くして、廃街にはアイギスの到着を知らせるサイレンの音が響き渡った。
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