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未来都市での愉快な一日
1-14『形勢逆転』
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「これはこれは、ジン様でしたか。失礼、裸でお嬢様に迫る不埒者とばかり」
アリーナの出入り口から姿を現す人影。その正体は、ジンが名前を呼んだ通りトラーバだった。
早とちりだったと詫びるトラーバは、構えていた銃を降ろすと微笑みながら二人の元へ近付いていく。
しかし当然、そんな言い訳が通用する筈もない。
「よく言うぜ、真っ直ぐお嬢を狙いやがったクセによォ。吐くならもっとマシな嘘にしやがれ」
「……」
ジンの言葉にトラーバは足を止めると無表情で黙り込む。アリアが無事に保護されたにも関わらず、彼の指は引き金に掛かったままだ。
二人の間で、無言の睨み合いが続く。
先に沈黙を破ったのはジンだった。
「……なァお嬢。お嬢が拐われる直前、ボディーガードは何をしていた?」
「……っ」
いきなり話を振られ、ビクリと震えるアリア。
けれど彼女は意を決して、"トラーバが現れてから"怯えるように閉ざしていた唇を動かした。
「み、見ているだけ、でした。秘密の遊び場を教えてあげると路地裏へ連れ込まれ、そしたら突然複数の男性に囲まれて……。何度助けを求めても、トラーバはただ、見ているだけで……」
当時の出来事を思い返すアリアは、徐々に顔色を青ざめると縋り付くようにジンに抱きつく。それだけで彼女が感じた恐怖を察するのは容易だった。
トラーバが敵であることに、もやは疑念の余地はない。
「答えは出たな。ったく、不埒者はどっちだゲス野郎が」
「……」
ヤレヤレと肩を竦めるジンは、アリアの頭を優しく撫でる。
けれど瞳は、蔑みに満ちた眼差しでトラーバを睨んでいた。
一方トラーバは、相変わらず無言のまま立ち竦んでいる。
「ま、弁解があるなら聴いてやるさ。片方の言い分だけじゃ不公平だからな」
煽るように言うジン。
しかしトラーバは、ゆっくりと首を横に振った。そしてジンの真意を見透かすかのように再び銃を構える。
「……いいえ、必要ありません──エイム様が来るまでの時間稼ぎに付き合う気はありませんので」
「チッ、やっぱバレてんのかよッ!」
直後、再び持ち上げられるトラーバの腕。連続で放たれる弾丸。
服を脱いだ際、一緒に刀も手放した今のジンにそれを防ぐ手段は無かった。
アリアを抱えたまま、全力で回避に徹する。
「……よく避けますこと。もしかして弾が見えているのですか?」
「さァて、どうだろうな──ッ!」
トラーバの射撃には一切の躊躇いがない。それは正しく人を殺めることに慣れた人間の動きだった。
また、その腕前は誘拐犯連中など比較にならずジンをしてギリギリで避けるのが精一杯。防戦一方を余儀なくされていた。
とはいえ、どれだけ銃の腕が良くても弾が無限に撃てる訳ではない。
「……っ」
不意に銃声が止む。弾切れだった。
残弾の確認を怠ったのか、あるいは撃ち尽くすこと自体を想定していなかったのか。
トラーバは不愉快そうに眉を顰め、胸ポケットから取り出した弾倉を急いで付け替える。
その僅かな隙を、ジンは見逃さなかった。
「──今ッ!」
逃げの姿勢から一転。刀を拾うためトラーバが居る方向へと一気に駆けるジン。
そんな彼の猛進を、自分を狙ったものと勘違いしたのだろう。
「浅はかな」
トラーバは呆れるように目を細めると、慌てることなく銃を構えた。
寸前、柄に触れるジンの指先。響き渡る銃音。
そして──。
「間一髪、儂の勝ちだ」
「なっ!?」
弾けるような金属音に、トラーバは目を見開いた。
まさか、と思う他なかったのだろう。銃弾が刃物に両断されるなど、と。
そんなトラーバの反応に、ジンはニヤリと口端を吊り上げる。
「こいつがありゃ、もう逃げ回る必要はねェ。形勢逆転、こっからは儂が狩る側だ」
「……運が良く弾が刃に当たっただけでしょう。それで得意になるのは如何なものかと」
「あァ、その通りだな。確認のために、もう何発か試してみるかい?」
再び動きを止めて睨み合うジンとトラーバ。けれど二人の間に流れる緊張は、先程までとは比較にならないほど重い。
そんな中ジンは、こっそりとアリアに耳打ちする。
「お嬢、後ろの出入り口から外に出ろ。そんでエイム……あー、銀髪の姉ちゃんと合流したら、ここでのコトを伝えてくれ」
「じ、ジン様は、どうなさるのですか……?」
「ちょいとトラーバをブチのめす。なァに負けやしねェさ──こいつは、お嬢にしか頼めねェ役目だ。出来るかい?」
視線はトラーバから外さない。それでもアリアが小さく頷いたのがジンには分かった。
それを合図に、ジンはアリアを抱える腕の力を徐々に緩めていく。
そして、
「行けッ!」
ジンの声と共に腕から飛び出すアリアは、後方の出入り口を目指して力いっぱい駆け出した。
「させませんよ」
当然、トラーバが易々と見逃す筈もない。
アリア目掛けて、何度も引き金を引く。
しかし、それはジンも同じこと。
「こっちがな」
アリアを庇って立ち塞がるジンは、虫でも払うかのように全ての弾丸を切り伏せた。
それから幾度となく、アリーナに銃声と金属音が響く。激化する攻防。
その間に出入り口に到着したアリアは、一瞬ジンへと振り返り、すぐさまアリーナの外に脱出した。
途端、空気が一変する。
「……ふゥ。此にて依頼は達成だ。儂としては、これ以上ドンパチする理由は無くなった訳だが……」
ジンの──否、便利屋の目的は人質の救出である。
アリアが無事に誘拐犯、及びトラーバの元から脱したこの瞬間、ジンに戦闘を継続する理由は無くなっていた。
とはいえ、それがトラーバにも当てはまるかは別の話。
答えは判り切っているものの、ジンは敢えて訊ねる。
「お前さんはどうするよ? トラーバ。お嬢の殺害に失敗した以上、続けたところで無用な傷を増やすだけだ。さっさと降参するのが賢明な判断だと思うぜ」
「……なにか勘違いをされているようですね」
投降を勧めるジン。不遜も謙遜なく、彼は自身の勝利を疑っていなかった。
銃は通用せず、仲間の誘拐犯も全滅。更には人質という最大の切り札であったアリアにも逃げられている。
もはやジンでなくとも、この状況でトラーバに逆転の目があるとは思わないだろう。
ただし、それはトラーバの目的が"アリアの殺害"であると前提した場合の話である。
肩を竦めるトラーバは、面倒そうに息を吐きながら口を開いた。
「"俺"の目的は、あの小娘を殺すことじゃない。それは飽くまで、後々ショーガンにチクられない為の保険だ。本命は別にある」
「……いよいよ本性出してきやがったな。なら、その本命ってのは一体何なんだい?」
「決まっている──身代金だ」
急速に崩れていくトラーバの口調。これが執事として繕わない彼の本性ということだろう。
それを補強するかのように、肩を落とすトラーバは物憂いげに語り始めた。
「一億B。それだけあれば、この俺が毎日クソみてぇな雇い主の顔色を窺う必要もない。もっと言えば、ガキのお守りに甘んじる必要も。予定では今頃、ガキの口封じを完了してメビウスから去っている筈だったんだが……」
「儂らの活躍で叶わなかった、と。お前さんの不満は知ったこっちゃねェが、要は上司が気に入らない上に仕事が面倒だったってコトだろ。とんでもねェコト画策しやがる割に、動機が頗るみみっちいな」
「旅人にだけは言われたくない。全うに働いたことあんのか」
「返す言葉もねェ」
トラーバの言い分に心底呆れるジン。
とはいえ就労経験を盾にされては何も言えない。
風向きが悪いことを察し、ジンは慌てて話を逸らす。
「にしても、誘拐してからの挙動が随分と回りくどくねェか? 身代金を渡された時点でトンズラこけば良かっただろうに」
「テメェはショーガン・ウエポンって男を知らなさ過ぎる。あれはガキのことになると、どんな些細なことも追及するような生き物だ。身代金の持ち逃げがバレたら、その時点で手配書行き確定だ。だったらガキを殺して俺自身も死んだと思わせた方がよっぽど楽だ」
「あァ、なるほど。お嬢を殺すのが保険ってのはそういう意味か」
追っ手を撒くのに一番確実な方法は何か。それは対象が死んだと相手に思い込ませることだ。
アリアを殺して自身も誘拐犯に殺されたことにすれば、晴れてトラーバは自由の身。どれだけ執念深い人間も死者を追うことは出来ない。
ジンは納得するように頷きかけて、ふと違和感に首を傾げた。
「……それで、お嬢が逃げ切った途端、急に口達者になったのはどういう心境の変化だい? 同情を誘ってる、って訳でもなさそうだが」
「単純な話だ。一つ取引きをしよう──俺と組まないか? ジン」
それは予想だにしない提案だった。
アリアを逃がしたことで自棄になっているのか、あるいは現状を打破するための苦し紛れか。まさか本気で言ってる、なんてコトはないだろう。
であれば当然、ジンが首を縦に振る筈もない。
「阿呆か。寝言は寝て言え」
「そう邪険にするな、これはお前にも得のある話だ。ビジネスチャンスと言ってもいい」
「おら、とっとと話せ」
「……」
『得のある話』、『ビジネスチャンス』。元旅人の心に、その言葉は深く響いた。
バカにするような態度から一変。宝の地図を見つけた海賊のように、ジンの瞳が金色に輝く。
そんなプライドの欠片もない変わり身を見せたジンに、トラーバは一瞬言葉を失った。
とはいえトラーバにしてみれば、ジンを味方に付ける絶好のチャンス。これを逃す手は無い。
「単純な話だ。俺は金が欲しい、お前は……どうせ旅人だ、出国料金が必要なんだろう? なら身代金を必要な分だけ割り振ったとしても互いの目的を果たすことは十分に可能だ。俺はメビウスから、お前はオアシスからオサラバできる。どちらにとっても悪い話じゃないと思うが」
「確かに、そりゃ魅力的な提案だな」
トラーバの言葉に、ジンは顎に指をあてて考え込む。
正直に言ってしまえば、確かにトラーバの提案は悪い話ではなかった。
そもそもアリア救出に出向いた大本の目的は、便利屋に雇ってもらい出国料金を稼ぐためである。逆に言えば、必要額を用意できるのなら便利屋に拘る必要もない。
おまけにアリアの救出も完了した今、後ろ髪を引かれるようなことが果たしてあるのか。
理由を並べればキリが無いほどに、トラーバの提案は魅力を増していく。
しかし、
「まァ、お断りなんだが」
いっそ清々しいほどアッサリと、そして他人事のように、ジンはトラーバの提案を切り捨てた。
「……理由は?」
その答えに、トラーバは思わず絶句する。しかし発言の意味を理解していくにつれ、彼の表情は忽ち怒りに染まった。虚仮にされたと感じたのだろう。
それでも平静を装い、問い質す言葉を捻り出すトラーバ。
対して、ジンの答えは至ってシンプルだった。
「旅人にとって、その場限りの口約束は無いも同然なンだよ。信用して背中見せた瞬間、後ろからズドンなんてよく聞く話だ。まァつまり──個人的に、お前さんが信用ならんって話よ」
「……はぁ、まさか実利より感情を優先するとは。もとより旅人に知性など期待していなかったが、これほどに愚鈍だったとは……仕方ない」
ジンの返答を聞いたトラーバは、小さく息を吐くと残念そうに首を振った。
もはや彼に怒りはない。まるで食肉に加工される豚を眺めるような、そんな憐れみを込めた眼差しでジンを見つめる。
そして徐に、トラーバは纏っているタキシードのボタンを外し始めた。
「うおっ、なんだ急にっ!? 脱ぐな脱ぐな儂にそういう趣味は無ェ……って」
脈絡なく服を脱ぎ始めたトラーバ。ジンは、今の自身の格好も忘れて大いに焦る。
しかしタキシードの下から現れたモノを目にした途端、ジンの警戒はそこに移った。
「なんだ? そのダセェ柄のスーツは」
タキシードの下から現れたモノ、それは独特な模様が刻印された黒色のスーツだった。
スーツはトラーバの首から手足の指先まで全身を丸々と覆っている。
胸部には水晶のような蒼白い菱形の鉱石が埋め込まれ、そこから白線が四肢に向かって枝分かれするように延びていた。
「パワードスーツ……といっても、お前には理解できないだろうさ」
「なんだとゴラァ」
明らかに侮蔑の籠ったトラーバの発言に憤慨するジン。
一方トラーバは、ジンを無視して胸部の水晶を軽く撫でる。
途端、水晶は仄かに光を放ち、それに呼応して白線も淡い発光を始めた。
そしてトラーバは一歩、地面に強く足を踏み込む。
刹那──。
「理解する頃には、くたばっているだろうからな──!」
「っ!?」
地面を一蹴りしただけで、トラーバの身体は突風のような勢いでジンに迫っていた。
その速さは、ジンをして反応が遅れるほど。
更には、
「いい反応だ。だが、腰が入ってないな」
「なッ!?」
辛うじて刀を振るったものの、あろうことか刃はトラーバの拳に受け止められる。
目を見開くジン。そんな彼の反応を見て、トラーバはニヤリと笑った。
「形勢逆転、だな──さて、第二ラウンドと行こうか」
アリーナの出入り口から姿を現す人影。その正体は、ジンが名前を呼んだ通りトラーバだった。
早とちりだったと詫びるトラーバは、構えていた銃を降ろすと微笑みながら二人の元へ近付いていく。
しかし当然、そんな言い訳が通用する筈もない。
「よく言うぜ、真っ直ぐお嬢を狙いやがったクセによォ。吐くならもっとマシな嘘にしやがれ」
「……」
ジンの言葉にトラーバは足を止めると無表情で黙り込む。アリアが無事に保護されたにも関わらず、彼の指は引き金に掛かったままだ。
二人の間で、無言の睨み合いが続く。
先に沈黙を破ったのはジンだった。
「……なァお嬢。お嬢が拐われる直前、ボディーガードは何をしていた?」
「……っ」
いきなり話を振られ、ビクリと震えるアリア。
けれど彼女は意を決して、"トラーバが現れてから"怯えるように閉ざしていた唇を動かした。
「み、見ているだけ、でした。秘密の遊び場を教えてあげると路地裏へ連れ込まれ、そしたら突然複数の男性に囲まれて……。何度助けを求めても、トラーバはただ、見ているだけで……」
当時の出来事を思い返すアリアは、徐々に顔色を青ざめると縋り付くようにジンに抱きつく。それだけで彼女が感じた恐怖を察するのは容易だった。
トラーバが敵であることに、もやは疑念の余地はない。
「答えは出たな。ったく、不埒者はどっちだゲス野郎が」
「……」
ヤレヤレと肩を竦めるジンは、アリアの頭を優しく撫でる。
けれど瞳は、蔑みに満ちた眼差しでトラーバを睨んでいた。
一方トラーバは、相変わらず無言のまま立ち竦んでいる。
「ま、弁解があるなら聴いてやるさ。片方の言い分だけじゃ不公平だからな」
煽るように言うジン。
しかしトラーバは、ゆっくりと首を横に振った。そしてジンの真意を見透かすかのように再び銃を構える。
「……いいえ、必要ありません──エイム様が来るまでの時間稼ぎに付き合う気はありませんので」
「チッ、やっぱバレてんのかよッ!」
直後、再び持ち上げられるトラーバの腕。連続で放たれる弾丸。
服を脱いだ際、一緒に刀も手放した今のジンにそれを防ぐ手段は無かった。
アリアを抱えたまま、全力で回避に徹する。
「……よく避けますこと。もしかして弾が見えているのですか?」
「さァて、どうだろうな──ッ!」
トラーバの射撃には一切の躊躇いがない。それは正しく人を殺めることに慣れた人間の動きだった。
また、その腕前は誘拐犯連中など比較にならずジンをしてギリギリで避けるのが精一杯。防戦一方を余儀なくされていた。
とはいえ、どれだけ銃の腕が良くても弾が無限に撃てる訳ではない。
「……っ」
不意に銃声が止む。弾切れだった。
残弾の確認を怠ったのか、あるいは撃ち尽くすこと自体を想定していなかったのか。
トラーバは不愉快そうに眉を顰め、胸ポケットから取り出した弾倉を急いで付け替える。
その僅かな隙を、ジンは見逃さなかった。
「──今ッ!」
逃げの姿勢から一転。刀を拾うためトラーバが居る方向へと一気に駆けるジン。
そんな彼の猛進を、自分を狙ったものと勘違いしたのだろう。
「浅はかな」
トラーバは呆れるように目を細めると、慌てることなく銃を構えた。
寸前、柄に触れるジンの指先。響き渡る銃音。
そして──。
「間一髪、儂の勝ちだ」
「なっ!?」
弾けるような金属音に、トラーバは目を見開いた。
まさか、と思う他なかったのだろう。銃弾が刃物に両断されるなど、と。
そんなトラーバの反応に、ジンはニヤリと口端を吊り上げる。
「こいつがありゃ、もう逃げ回る必要はねェ。形勢逆転、こっからは儂が狩る側だ」
「……運が良く弾が刃に当たっただけでしょう。それで得意になるのは如何なものかと」
「あァ、その通りだな。確認のために、もう何発か試してみるかい?」
再び動きを止めて睨み合うジンとトラーバ。けれど二人の間に流れる緊張は、先程までとは比較にならないほど重い。
そんな中ジンは、こっそりとアリアに耳打ちする。
「お嬢、後ろの出入り口から外に出ろ。そんでエイム……あー、銀髪の姉ちゃんと合流したら、ここでのコトを伝えてくれ」
「じ、ジン様は、どうなさるのですか……?」
「ちょいとトラーバをブチのめす。なァに負けやしねェさ──こいつは、お嬢にしか頼めねェ役目だ。出来るかい?」
視線はトラーバから外さない。それでもアリアが小さく頷いたのがジンには分かった。
それを合図に、ジンはアリアを抱える腕の力を徐々に緩めていく。
そして、
「行けッ!」
ジンの声と共に腕から飛び出すアリアは、後方の出入り口を目指して力いっぱい駆け出した。
「させませんよ」
当然、トラーバが易々と見逃す筈もない。
アリア目掛けて、何度も引き金を引く。
しかし、それはジンも同じこと。
「こっちがな」
アリアを庇って立ち塞がるジンは、虫でも払うかのように全ての弾丸を切り伏せた。
それから幾度となく、アリーナに銃声と金属音が響く。激化する攻防。
その間に出入り口に到着したアリアは、一瞬ジンへと振り返り、すぐさまアリーナの外に脱出した。
途端、空気が一変する。
「……ふゥ。此にて依頼は達成だ。儂としては、これ以上ドンパチする理由は無くなった訳だが……」
ジンの──否、便利屋の目的は人質の救出である。
アリアが無事に誘拐犯、及びトラーバの元から脱したこの瞬間、ジンに戦闘を継続する理由は無くなっていた。
とはいえ、それがトラーバにも当てはまるかは別の話。
答えは判り切っているものの、ジンは敢えて訊ねる。
「お前さんはどうするよ? トラーバ。お嬢の殺害に失敗した以上、続けたところで無用な傷を増やすだけだ。さっさと降参するのが賢明な判断だと思うぜ」
「……なにか勘違いをされているようですね」
投降を勧めるジン。不遜も謙遜なく、彼は自身の勝利を疑っていなかった。
銃は通用せず、仲間の誘拐犯も全滅。更には人質という最大の切り札であったアリアにも逃げられている。
もはやジンでなくとも、この状況でトラーバに逆転の目があるとは思わないだろう。
ただし、それはトラーバの目的が"アリアの殺害"であると前提した場合の話である。
肩を竦めるトラーバは、面倒そうに息を吐きながら口を開いた。
「"俺"の目的は、あの小娘を殺すことじゃない。それは飽くまで、後々ショーガンにチクられない為の保険だ。本命は別にある」
「……いよいよ本性出してきやがったな。なら、その本命ってのは一体何なんだい?」
「決まっている──身代金だ」
急速に崩れていくトラーバの口調。これが執事として繕わない彼の本性ということだろう。
それを補強するかのように、肩を落とすトラーバは物憂いげに語り始めた。
「一億B。それだけあれば、この俺が毎日クソみてぇな雇い主の顔色を窺う必要もない。もっと言えば、ガキのお守りに甘んじる必要も。予定では今頃、ガキの口封じを完了してメビウスから去っている筈だったんだが……」
「儂らの活躍で叶わなかった、と。お前さんの不満は知ったこっちゃねェが、要は上司が気に入らない上に仕事が面倒だったってコトだろ。とんでもねェコト画策しやがる割に、動機が頗るみみっちいな」
「旅人にだけは言われたくない。全うに働いたことあんのか」
「返す言葉もねェ」
トラーバの言い分に心底呆れるジン。
とはいえ就労経験を盾にされては何も言えない。
風向きが悪いことを察し、ジンは慌てて話を逸らす。
「にしても、誘拐してからの挙動が随分と回りくどくねェか? 身代金を渡された時点でトンズラこけば良かっただろうに」
「テメェはショーガン・ウエポンって男を知らなさ過ぎる。あれはガキのことになると、どんな些細なことも追及するような生き物だ。身代金の持ち逃げがバレたら、その時点で手配書行き確定だ。だったらガキを殺して俺自身も死んだと思わせた方がよっぽど楽だ」
「あァ、なるほど。お嬢を殺すのが保険ってのはそういう意味か」
追っ手を撒くのに一番確実な方法は何か。それは対象が死んだと相手に思い込ませることだ。
アリアを殺して自身も誘拐犯に殺されたことにすれば、晴れてトラーバは自由の身。どれだけ執念深い人間も死者を追うことは出来ない。
ジンは納得するように頷きかけて、ふと違和感に首を傾げた。
「……それで、お嬢が逃げ切った途端、急に口達者になったのはどういう心境の変化だい? 同情を誘ってる、って訳でもなさそうだが」
「単純な話だ。一つ取引きをしよう──俺と組まないか? ジン」
それは予想だにしない提案だった。
アリアを逃がしたことで自棄になっているのか、あるいは現状を打破するための苦し紛れか。まさか本気で言ってる、なんてコトはないだろう。
であれば当然、ジンが首を縦に振る筈もない。
「阿呆か。寝言は寝て言え」
「そう邪険にするな、これはお前にも得のある話だ。ビジネスチャンスと言ってもいい」
「おら、とっとと話せ」
「……」
『得のある話』、『ビジネスチャンス』。元旅人の心に、その言葉は深く響いた。
バカにするような態度から一変。宝の地図を見つけた海賊のように、ジンの瞳が金色に輝く。
そんなプライドの欠片もない変わり身を見せたジンに、トラーバは一瞬言葉を失った。
とはいえトラーバにしてみれば、ジンを味方に付ける絶好のチャンス。これを逃す手は無い。
「単純な話だ。俺は金が欲しい、お前は……どうせ旅人だ、出国料金が必要なんだろう? なら身代金を必要な分だけ割り振ったとしても互いの目的を果たすことは十分に可能だ。俺はメビウスから、お前はオアシスからオサラバできる。どちらにとっても悪い話じゃないと思うが」
「確かに、そりゃ魅力的な提案だな」
トラーバの言葉に、ジンは顎に指をあてて考え込む。
正直に言ってしまえば、確かにトラーバの提案は悪い話ではなかった。
そもそもアリア救出に出向いた大本の目的は、便利屋に雇ってもらい出国料金を稼ぐためである。逆に言えば、必要額を用意できるのなら便利屋に拘る必要もない。
おまけにアリアの救出も完了した今、後ろ髪を引かれるようなことが果たしてあるのか。
理由を並べればキリが無いほどに、トラーバの提案は魅力を増していく。
しかし、
「まァ、お断りなんだが」
いっそ清々しいほどアッサリと、そして他人事のように、ジンはトラーバの提案を切り捨てた。
「……理由は?」
その答えに、トラーバは思わず絶句する。しかし発言の意味を理解していくにつれ、彼の表情は忽ち怒りに染まった。虚仮にされたと感じたのだろう。
それでも平静を装い、問い質す言葉を捻り出すトラーバ。
対して、ジンの答えは至ってシンプルだった。
「旅人にとって、その場限りの口約束は無いも同然なンだよ。信用して背中見せた瞬間、後ろからズドンなんてよく聞く話だ。まァつまり──個人的に、お前さんが信用ならんって話よ」
「……はぁ、まさか実利より感情を優先するとは。もとより旅人に知性など期待していなかったが、これほどに愚鈍だったとは……仕方ない」
ジンの返答を聞いたトラーバは、小さく息を吐くと残念そうに首を振った。
もはや彼に怒りはない。まるで食肉に加工される豚を眺めるような、そんな憐れみを込めた眼差しでジンを見つめる。
そして徐に、トラーバは纏っているタキシードのボタンを外し始めた。
「うおっ、なんだ急にっ!? 脱ぐな脱ぐな儂にそういう趣味は無ェ……って」
脈絡なく服を脱ぎ始めたトラーバ。ジンは、今の自身の格好も忘れて大いに焦る。
しかしタキシードの下から現れたモノを目にした途端、ジンの警戒はそこに移った。
「なんだ? そのダセェ柄のスーツは」
タキシードの下から現れたモノ、それは独特な模様が刻印された黒色のスーツだった。
スーツはトラーバの首から手足の指先まで全身を丸々と覆っている。
胸部には水晶のような蒼白い菱形の鉱石が埋め込まれ、そこから白線が四肢に向かって枝分かれするように延びていた。
「パワードスーツ……といっても、お前には理解できないだろうさ」
「なんだとゴラァ」
明らかに侮蔑の籠ったトラーバの発言に憤慨するジン。
一方トラーバは、ジンを無視して胸部の水晶を軽く撫でる。
途端、水晶は仄かに光を放ち、それに呼応して白線も淡い発光を始めた。
そしてトラーバは一歩、地面に強く足を踏み込む。
刹那──。
「理解する頃には、くたばっているだろうからな──!」
「っ!?」
地面を一蹴りしただけで、トラーバの身体は突風のような勢いでジンに迫っていた。
その速さは、ジンをして反応が遅れるほど。
更には、
「いい反応だ。だが、腰が入ってないな」
「なッ!?」
辛うじて刀を振るったものの、あろうことか刃はトラーバの拳に受け止められる。
目を見開くジン。そんな彼の反応を見て、トラーバはニヤリと笑った。
「形勢逆転、だな──さて、第二ラウンドと行こうか」
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