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異世界への扉
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そして、美里さんの「オトコってオンナが操縦する乗り物よ」だなんて、否定しにくい、いや、私も、そうなのかもしれない、と同意したい意見のせいかしら。
「ほーら、テレビ見ながらもぐもぐしないの、一生懸命に作ったお料理なんだから、上の空で食べるのやめてよ」
と、シカメ顔のお母さんに言われて。
「あ・・うん・・ごめん。今日のカツも美味しいよ」と上の空の言い訳をする、お父さん。
「私に言われてから、そう言っても嬉しくないし」とアナウンサーが男の人に変わった途端にテレビに顔を向けて「ったくもう」モグモグしながらブツブツ言い続けるお母さんの視線がそれた隙に。
「あ・・なぁ・・今日も美味しいよな」
って、私に振らないでよ、と思いながら観察しているお父さんとお母さん。間違いなく、お父さんはお母さんに操縦されている乗り物? いや・・シモベ・・かな。お父さんは、どんな時も絶対にお母さんに逆らわなくて。
「キャベツにマヨネーズかけるの? ドレッシングにする?」
という選択を迫られた時は。
「あっ・・マヨネーズ」とお母さんが手に持っているものを必ず選択するけど。その瞬間に、お母さんはマヨネーズをテーブルに置いて、まったく息が合わないタイミングで、
「あっ・・ドレッシングでもいいよ」とあわてて言い直すから。
「もぉ、どっちかにしてよね」
とドレッシングをかけてるお母さんの機嫌をこれ以上悪くさせないように、自分でマヨネーズに手を伸ばして。
「美樹はどっち?」
と、私に助けを求めているよう。だから・・。
「ドレッシングにする」とお母さんが手にしているものを選択しないと、後が怖い‥ような気がしている。という、いつもの夕食時のこの雰囲気って、こんなだった? と思うけど。私の意識が変わったからこんな風に見えるようになった、というべきかな。お母さんにどんなに言いたい放題言われても、それが幸せそうなお父さんの笑顔は、奈菜江さんに言いたい放題言われても嬉しそうだった慎吾さんのようで。こんなお父さんだけど、「強い男を従えてこそ一流の女よ」と言ってた美里さんの意見も、確かにそんな感じかな。つまり、お母さんって一流の女? ということは、私も春樹さんと結婚したら、春樹さんをこんな風に、・・と自然の成り行きで何かを空想しようとした瞬間、お父さんが私に振り向いて。何も言わずに。
「ニッコリ」
するから、空想したかった何かを何も空想できなくなってしまった。それに。つられて私もニッコリするべきか、お母さんの視線を気にするべきか。そんな判断を迫られて、お母さんがいる左側の頬はそのまま。お父さんがいる右側の頬を・・・って、難しいねコレ。でも、どうしてこんなに雰囲気が急に変わっちゃったんだろう。本当に異世界に迷い込んだ感じもする。そして。
「ご馳走様、美味しかったよ」とお父さんがテーブルを離れた時を狙って。とりあえず、お母さんに言っておかなきゃならないコトを。こんな言葉でわかりやすく正確に。
「お母さん、水曜日に春樹さんがオートバイを停めに来るから」
と打ち明けてみると。黙ったまま、ギロッと私に顔を向けたお母さん。
「え・・春樹さんが来るの? 水曜日? 何しに来るの?」と問い質す。だから
「春樹さん、家に、オートバイ停めさせて欲しいって」と嘘偽りのない説明をしたつもりなのに。
「家にオートバイを停めて何するの?」
だから・・それ以上の説明は・・その・・。
「なにって・・その」つまり、デートするつもりだけど。デートと言うより。
「春樹さん・・一緒に、運動しようかって・・」正直に言ったつもり。だから。
「運動? ってなにそれ?」って、お母さんの顔は、そんなに怖くなってないし、どちらかと言えば笑っていそうたから、もう少し詳しく説明しても大丈夫かな・・。
「だから、水曜日に学校の帰りにアスパのマックスポーツで一緒に運動しようって、アスパからオートバイ押すの重いから、家に停めさせてッて」
「って・・それって・・デート? 春樹さんと」どきっ・・としてしまうよね。相変わらず、核心部分を鋭く突かれると・・。だから・・まぁ・・デート・・と言えば・・デートかもしれないけど。そういうことを、こんなにはっきりと言ってもいいのかどうか。
「だから・・デートと言うより・・運動・・」そう言った方が、罪悪感がない・・いや、これって罪悪感・・なのかな? と考え込むと。
「運動って。スポーツのコト?」
と更に追及するお母さんの顔は・・。私が「・・ともいうかな」そううなずくと。にやぁっとなって。
「へぇぇ、春樹さんが、美樹を誘ったの?」だんだんと緩んで・・「ふーん」と縦に揺れ始めた・・。
「・・まぁ」誘ったというか・・提案されたというか。まだ「ふーん」と揺れているお母さんから視線をうつむかせると。
「で、オートバイを家に停めて、アスパまで歩いて行って、デートして、帰りは一緒に、オテテ繋いで夜道を歩いて帰って来ると」
ほら・・お母さんって、いつも、言わなくてもわかってるし。と思っている私をじぃぃぃっと見つめるお母さんは、もっとニヤニヤし始めて。。
「美樹って、本当に春樹さんと付き合い始めたの?」と、聞かなくても良さそうなことを聞くから。
「えっ・・」まぁ・・どう答えたらいいのかな・・私たち付き合いましょう、とお互いで宣言しあったけど。付き合い始めた・・だなんて。言ってもいいの? と決意をこめようとしたら。ニヤッとしてた顔を、ギュっと真面目に戻して。
「ところで、春樹さん、知美さんとはどうなったの?」だなんて、やっぱりそれを聞くし・・。だから。
「えっ・・」まぁ・・詳しくは知らないけど、上手くいってなさそう。知美さんアメリカに行っちゃってるし・・って顔に書いていないかな・・と思ったら。
「まあいいわ、家に来るなら私から追及するから」なんて・・なにを追及する気・・。
「やめてよ、追及なんて」どんなこと追及する気なのよ。チュッチュしたの・・とか。知美さんとは別れたの・・とか。そんなこと・・。とお母さんの顔を見つめると、考えていること、全部が思っている以上に伝わってしまいそう。でも。
「やめてよって、どうして、美樹のお婿さんになってくれるかもしれない人なんだから、お母さんもプッシュしちゃうわよ。善は急げって、春樹さんもシャンとしない、だらしない、決断しない男の子だからさ、周りからその気にさせてあげないと。美樹もその方がイイでしょ」
って・・周りからその気にさせてあげないと・・って、そんなことを言われたら、また・・
「美樹ちゃん、春樹くんと結婚しなさい」
ってお母さんの顔が藤江のおばさんの顔になって、同じことを言ったような錯覚。その時。
「どうしたの?」とお父さんが戻って来て。お母さんは何のためらいもなく。
「水曜日に春樹さんが来るんだって。あなたからも言ってあげてよね。美樹のコトよろしくねって」だなんて気安すぎる言葉を言い放って。
「えっ・・春樹くん・・来るって、なにしに・・まさか」と一瞬で表情を変えたお父さんは、私をじっと見つめて、まさか・・って、何を考えてるの?
「だから・・」オートバイ停めに来るだけでしょ。と言いたいのに。
「まぁ・・春樹くんならお父さんも反対はしないけど・・」とぼやいているお父さんの悲壮すぎる顔って・・どんな意味があるの?
「それじゃ、水曜日はナニか美味しいもの作ってお迎えしましょ」だなんて、嬉しそうなお母さんと。
「美樹・・あの・・まだ・・」と声が上ずって、うろたえてるお父さんに。
まだ・・ナニよその次って。と思いながら。
「ご馳走様・・だから、春樹さんが水曜日に来るから、ヘンなこと言わないでよね。オートバイ停めるだけだから」
と、その場から逃げ出すことにした・・けど。
「美樹・・もしかして・・春樹君と・・」とお父さんの声が聞こえて。
「その内、そうなって欲しいでしょ。今からでも早くはないわよ、そういう事早めに意識させて、行き遅れないように周りがよいしょしなきゃ」とお母さんの声も聞こえたけど。そうなって欲しいって・・どうなること? 行き遅れるとか、周りがよいしょなんて、そういうことを意識すればするほど息が止まりそうになるし。もうやめてよ、と言いたいのに。
「美樹って、本当に春樹くんと、結婚するのか・・」今度はお父さんの顔までもが、藤江のおばさんの顔に見えて。
「美樹ちゃん、春樹くんと結婚しなさい」
またこのセリフが頭の中で響き始める。うわー、私、このタタリの言葉にノロわれていそう。結婚なんて、考えられないし、だから、まだしないし・・どうしてみんながそう言うのよ。ったく。
「まだだよな・・」というお父さんに。
「まだに決まってるでしょ」と荒く言い捨てて、ノロイから退散して、タタリから遠ざかろう。
そして。一応、お母さんには言いましたから・・と春樹さんにメールして。
「それじゃ、運動できる服と靴を準備して、ボール遊びしてみましょ。水曜日5時半にアスパのマックスポーツで待ち合わせ。6時から30分予約しておくから。7時には帰れると思う。お母さんにもそう言っておいて」
という返事に「わかりました」と答えようとしたら・・。続けて届いたメール。
「それと、これは、あゆみちゃんに教えてあげた物理の問題。美樹も中間テストの準備そろそろ始めなさいよ」
と、添付されてきた問題の解き方をびっしりとカラフルに説明してるノートの写真。そう言えば、そんなこともあったね。あゆみが春樹さんに補習してもらってる話。あーだめだめ、私はこういうこと同時に処理できない。とりあえずはデート・・いや、運動。ボール遊び。だから、勉強なんてできる気がしないし。今この瞬間も、ちょっと気を抜くと・・。あーまた。「美樹ちゃん、春樹くんと結婚しなさい」と藤江のおばさんの逆らうことのできない笑顔と声が響き始める。はぁぁぁぁ、気が狂いそう・・どうしたら、この、ノロイの言葉が聞こえなくなるのだろう?
そして、水曜日。いつもの教室で携帯電話を広げて春樹さんが言っていた「スカッシュ」なるものを検索して予習していると。
「美樹って、今度はナニを始める気?」
とまた、後ろから覗き込むあゆみの一言に。仕方なく画面を見せながら。
「うん・・春樹さんが運動しようって言うから、予習してる」と説明したら。
あゆみは動画を見ながら。
「運動・・予習・・ってそれってスカッシュって言うんでしょ」と答えてくれるから。
「そうだけど、壁に向かってボールを打ち合って、ナニが楽しいのコレ?」と聞いてみたら。いつも通りに横から弥生が冷めたトーンで。
「さぁ・・楽しい人には楽しいんでしょ」まぁ、それは、もっともな意見・・。
だから、私も冷めた気持ちで。
「なにが楽しいのかなこんなの、やってみないと解らないのかな」と答えて。
私、ボール遊びなんてしたことないし。と、ため息つくと。
「まぁ、やってみないと・・って言うより、そもそも、美樹って運動したことあるの?」
そんな、素朴すぎるあゆみの一言に。あっ・・そうだ。それよそれ、と思ってしまう。体育の授業くらいでしか体を動かしたことがない私にとって、運動・・なんて。確かに、そんな部分から不安を感じなければならないのかとも気付いて。
「春樹さんって、そう言えば、プールで会った水着のとき、結構いい体格してたよね、背も高いし、がっしりと筋肉質で力強そうで、いや、力強かったし、お姫様抱っこされたしさ、あーアレって水の中だったからかな? 片腕に一人ずつお姫様抱っこされて・・春樹さんって実はブリバリスポーツマン?」
ブリバリスポーツマン? ってナニ・・というより、いつの話し思い出してるのよと思うあゆみの声に。
「スポーツマンと言うか、確かに片腕に一人ずつお姫様抱っこって・・あの時は、あゆみが無理やりしがみついてただけでしょ」
と、弥生もあの時の事を思い出したようで。
「ねぇ」だなんて、二人で私を見つめないでよ。それに、お姫様抱っこなんて、と思い出すより先に、確か私も、「丸太運ぶみたいにひょいっと」担がれて・・お店のみんな、優子さんだったかな・・にそう言われたよね、記憶にないアノ日の出来事、お店で倒れちゃったとき。だから、春樹さん、力強くて。
「ブリバリスポーツマン・・・」とつぶやいたら。
「うん、本当はさ、普段あんなに爽やかそうな人だけど、実は」とまたあゆみが笑いながら私をからかいそうな言葉を用意してる。私はこれ以上聞きたくないのに。
「実は・・ナニ?」と弥生が聞きただすから。
「ゼーはーゼーはー、気合いだ、根性だ、汗の臭いがナンダ、暑苦しいのがナンダー・・」あゆみがそうふざけて。
「うわー・・汗臭くて暑苦しいのイヤぁー」と弥生がのけぞった。そして。
「だったらどうする?」とあゆみが私に聞くけど。
そんなこと、どんなに頑張っても空想できませんよ・・なによ・・気合いとか根性とか汗臭いとか暑苦しいとか・・ってリピートしたら、暑苦しい春樹さんを空想できてしまいそうだけど。
「でも、私は暑苦しいのはイヤだけど・・ラグビー選手とかは好きだな」と弥生。ラグビー選手? ってどんなの? それに。
「えーそぉ? 私はラグビー選手より、スケートのゆず君かな」
とあゆみが言うゆず君って誰?
「まぁどっちにしても、男の子はさ、スポーツ選手っぽい方がイイかなって思うよね」
弥生はそうなのね、スポーツ選手か・・そんなことを空想してみると。確かに・・強い男を従えてこそ一流のオンナよ・・ってどうして美里さんの声がこのタイミングで聞こえるの・・。強い男ってスポーツ選手のコト? と言う気がしたその時。
「でもさ、思うけど、春樹さんとなら、何やっても楽しいんじゃないの、美樹って」
とあゆみが フフン と言い放った一言に。
「あっ・・」そうか・・そこに気づかなかったのはナゼ? 確かに、春樹さんと一緒に何かするって・・初めて・・いや、水族館デート以来。でも、デートとは違うよね。運動って・・と何かを空想しようとしたら、なんだか顔がにやけてきそう。なのに。
「でもさ、運動って言ったの? 春樹さん」と聞くのはあゆみ。
「うん、運動しようって」と返して、何かヘンかな? と思ったら。
「スポーツじゃなくて」と聞き返すあゆみに思うこと。確かに「スポーツ」ではなかった・・物理の勉強を兼ねた運動・・って言ったかな? あの時。だから。
「うん、スポーツじゃなくて、運動しようかって。物理の勉強を兼ねて・・」と答えたら。
「物理の勉強ぉ?」と視線を右上に向けるあゆみが気になるから。
「ナニ・・ナニかヘン?」と聞いた。すると。
「うん・・こないだマックで、春樹さん振り子の実験してくれたじゃん、あの時の春樹さんって雰囲気がなんとなく違ってたような。ということを思い出してるの。どうして?」
どうしてって・・どうしてそんなことを思い出すのかな? どんな関連? というべきか。だから。
「まぁ、確かに・・先生みたいな話し方で熱くなってたね、あの時。でも、それと、運動がどうつながるの?」と聞くと。
「どうつながると言われると、どうつながるのだろう・・春樹さんって、運動方程式が、とかって言い出して、何人たりとも逆らえない物理法則、とか言いながら熱くなってたような・・だから、本当はどんな人なのかなって・・今、私の中で妙に引っかかってる」
「妙に引っかかってる・・どんな人なのかな」そう言えば、熱くなってたような・・と思い出すけど、同時に、そう言われてみれば、私も春樹さんのコトは、よく知らないと言えばよく知らないことにも気づいて。私って春樹さんのコト他にナニか知ってる? と自分に聞こうとしたら。
「あーアレよアレ」と私に指を差したあゆみが。目を開ききって、何かを思い出した。だから。
「ナニが、アレ?」と私も目を開いて聞いてみると。
「私、春樹さんに試験勉強メールで教えてもらったの。美樹が許可してくれたから、一日2問くらい。ここ最近毎日」
そう言えば、昨日も春樹さんからそんなメールが来てたね。でも。
「毎日・・?」と、妙に不安な気持ちになる。それって。するとニヤッとしたあゆみが。
「うん・・いいでしょ・・本当に試験勉強だけだから一日2問。それ以外は何もしていないから」というから。
「うん」と返事するけど、いいのかな。と思ったら。
「えぇ~春樹さん個別授業してくれるの? それってずるくない、私にも回してよ、イイでしょ」なんて弥生も、私にそんなこと言うから。
「うん・・まぁ」と返事するしかないか。そしたら。あゆみが。
「でね、春樹さんに教えてくださいってメールすると、国語とか歴史とか文系の問題だと、答えが一行とか一言で返ってくるのだけど、数学とか物理とかになると、ほら」
と見せてくれた携帯電話の画面・・。私も昨日チラッと見た、あの、びっしり書かれたカラフルなノートの写真・・。をもう一度マジマジと見つめて。
「うーわ・・ナニコレ」と弥生が小さく叫んだことに、私も叫びそうになったのは、物理の問題をこんなに手書きの1ページに絵とか文字とか記号とか・・方程式とかが・・びっしり。
「パッと見た感じ、混乱の極みのような、ピカソっぽい落書きのようにも見えるけど。この番号に沿って、順番通りに最初から読むと、無茶苦茶わかるのよコレ。運動エネルギーとか質量とか速度とか重力加速度とか。ちなみにこれは、質量小mの小物体を乗せた質量大Mの台がばねにぶつかって止まる時の問題。速度がいくらで小mの物体が滑り出すとかさ、最大摩擦力とか慣性力とかばね定数とか接地面積とか、なんたらかんたらのちんぷんかんぷんな問題だけどさ。文章をしっかり読みながらこんな文章通りの絵を描いてみる。大Mの台、小mの物体、ばねにぶつかって止まる。ことを動画で空想しながら」
と一緒になって拡大された画面を見ると、空想力を発揮して、文章をこんな風にビジュアル化しよう。次に、定数とか方程式は必ず覚えるコト。何人たりとも逆らってはいけない物理法則。とか蛍光ペンで、・・春樹さんって、あゆみとこんなやりとりしてたんだ。確かに許可はしたけど。ってさっきも思ったけど。春樹さんからの報告は・・。あったかな・・ちらっとだけ・・だったよね、と、チラッとだけだったことに、イラっとした感情が湧きたったと思ったら。
「あっ、美樹ってば、ムッとしたでしょ今」なんて、突然、弥生が私を観察しながら言う。
「えっ、してないわよ」と反射的に言い返したら、私自身、ㇺっとした自覚があったけど。
「あー、美樹って、あゆみと春樹さんがこんな仲になってること知らなかったんだ」
こんな仲って言われたら、まさに今の私の気持ちを私より先に言葉にする弥生。確かに、知らなかったと言えば知らなかったけど、あゆみと春樹さんがこんな仲? だなんて、そんなこと・・別に気にすることではないと強気で思うから。
「違うし‥そんなじゃない・・」ことはないのだけど。それ以外の言葉、今のこの感情をどう表現するべきなのか、まったく思いつかなくて。あゆみが。
「えぇ~・・春樹さんって、美樹に言ってないの、私がこんなことしてるって」
と聞くけど。いや・・春樹さんからは聞いてた。でも、ほんの少しの事だと思ってたのに。こんなに詳しい試験勉強、私にしてくれた時より丁寧に見える手書きノートだなんて。
「美樹って春樹さんと付き合ってるから安心して聞けていたのに、そうじゃないなら・・」
ないなら? って? ナニ? とニヤつくあゆみを見つめたら。
「春樹さんって、もしかして、私にも気がありそう?」
ぷるん・・なんて大きな胸を張って言う。でも。あるわけないでしょ・・と声にできないのは、不安過ぎて、言いきれない? から?
「私にこんなに親切にしてくれてること、美樹に内緒だったの? もしかして」
内緒だった? いや・・違うでしょ・・別に報告するほどのことでも・・いや・・報告は受けてたと思う・・けど・・こんなに親しくしてるとは・・いや・・春樹さんのコトだから、軽い報告で私に全部通じてると思ってた? 「あの子ニブイのよ」と言ったのは知美さんだし。って、なんで知美さんが出てくる? 「あんな男のどこがイイの?」って言ったのは美里さんでしょ・・えっ・・どっち? あー私、また、混乱し始めてる。思考回路がパチパチ音を立ててパニックになりかけたら。
「で・で・なんの話してたんだっけ・・春樹さんがあゆみに親切にしてる話?」
と弥生が軌道修正してくれて。
「あーそーそーそー。物理と運動の話しよ」とあゆみ。
「物理と運動の話し・・だっけ? スカッシュじゃなかった?」と弥生。
「スカッシュという運動と、物理の勉強を兼ねてする・・という話だったよね。ね」とあゆみは私に顔を向けて。私は何も言えずに。
「あーそっだったね、それが、その試験勉強とどう関係するの?」と言う弥生に顔を向けて。キョロキョロしてしまう。するとあゆみは。
「試験勉強というより、そのなんてゆうか、春樹さんって、だから、物理オタクなんじゃないの?」
と顔を寄せながら言って、ゴクリと唾を飲みこんだ。
「物理・・オタク?」と私が聞き返すと。
「ほら、マックでさ、振り子の実験しながら、福山雅治みたいとかって盛り上がったでしょ。ありえない・・キターとかって」
確かに、遥さんとか美晴さんとかがいて盛り上がってたね。ジャジャジャジャーンとかって。そのことは私も覚えているけど。だから・・ナニ?
「つまり、春樹さんって、あんな人なんじゃないの・・という話ヨ」
「あんな人?」と聞き返すと、あゆみが顔を近づけて、声がだんだん、ひそひそ話調になってゆく・・。
「あんな人、つまり、福山雅治がドラマでしてた役。湯川先生よ。僕は、物理の理論に興味があるのであって、カワイイ女の子に興味があるわけではない」
えっ・・。ナニソレ?
「春樹さんって、こんな風に物理の問題を解くことに興味があるわけで、実は、女の子に興味なんてないんじゃないかなって、私のカン」
とびっしり書かれたノートを指さしながら。あゆみが真剣な顔をすると。
「じゃ・・美樹の事は・・」と弥生がもっと小さな声でそう言ってから私に振り向いた。
「物理を教えてあげられるなら誰でもいいのよ。春樹さんは、こんな風に物理を教えてあげることに情熱を注げればいい・・ぶ・つ・り・オ・タ・ク・・なのよ。突然ヘンな数式とか書き出したりしない? どぉなの?」
えぇ~、どうして、背筋に悪寒が走るの? スウシキってなに?
「なーによ・・そのオチ」と弥生は顔を遠ざけながら笑うけど。私は、もしそうだったら・・あゆみの推理が正しかったらどうしようと本気になっているかもしれない。
「えぇーそんな感じしない? コノびっしり書かれたノート、普通じゃないでしょコレ」
あゆみがまだ言ってるから。でも・・。弥生の。
「まぁ・普通じゃないかもしれないけど、春樹さんって優しいから、ひときわ丁寧にしてくれてるだけじゃないの?」と言う意見の、春樹さんが優しいから、の部分にすがりたくなった私は。「どうして? ひときわ丁寧って、どうして? ひときわ丁寧なの」と弥生の言葉を、心の中で2回繰り返してる。すると。
「だから、あゆみが美樹の友達だからでしょ」と弥生は素な顔で言う。
「私が美樹の友達だから・・?」あゆみが私の友達だから・・。ポロン・・と琴の音がした。あ・・それだ、そういうことだ・・と、神様の声が聞こえた? いや、ただ気付いただけかな。確かに「こういう場所では美樹ちゃんの友達を優先します。美樹の彼氏って優しくてイイ人ねって言われたいし」ということだよね・・この話。そう思うと。なんだ・・そういう・・どうでもいい話だったのか・・と、ようやく気づけて、胸を撫で下ろせたのかもしれない。なのに。
「だから、スカッシュも、ボール遊びをしたいのではなくて、美樹に物理を教えてあげたいってことが優先順位高いとかさ」とあゆみはまだ言っていて。
「あー、それは、そう言われると、そうかもしれないね」とどうして弥生はココで相槌を打つの。また心が揺らいでくるでしょ。だから。
「それは、そうかもしれないって?」と聞いてしまったら。素な顔のままの弥生が。
「美樹とどうこうしたのではなくて、春樹さんはスカッシュを題材にした物理を教えてあげたい。美樹の気を引きたいのではなくて、ただ、物理をくどくどと喋りたい人なのよ」
と、やたらと説得力のあることを言うから。
「だったらどうする・・うーわー・・ぶ・つ・り・お・た・く・・こわーい。いゃぁぁぁ。道路にヘンな数式書かないで」
あゆみも調子に乗ってそんなことを言うから。
「そんなこと・・」ないとも言えないような・・思い当たる節がチラリ・・あるから。
今度は、本当はそうなのかもしれないという気持ちがブクブクと泡立ち始めて。
「だからさ、春樹さんって、この問題わからないんです、教えてくださいって迫ると、美樹をほったらかして。んっ、しかたないなぁ、こっちにオイデ、優しくナデナデしながら教えてあげるよ」
って低い声で一人勝手にしゃべり始めるあゆみに。
「優しく教えてください、抱きついてもいいですか」
と弥生が調子に乗り始めて。弥生に抱きつかれたあゆみがもっと調子に乗って。
「うん・・いいよ・・抱きつく時の力をF、弥生ちゃんのおっぱいの弾力がP、ナデナデする回数をNとした時、春樹さんの気持ちは、FかけるNかける、うれPぃー・・・」
なんて言ったら。
「自分で言ってて恥ずかしいでしょ」と弥生があゆみから離れながら呆れてる。
「ちょっとね・・くくくく」と笑うあゆみと。
「ぷぷぷぷぷぷぷ」と笑う弥生が。二人同時に。
「あーそんなことしていそうな美樹の事がうらやましいよ。もしかして、今日の帰りにスカッシュするの? アレってこのヘンだと、マックスポーツ」と指を差し合って。
「あーマックスポーツでできるよね、スカッシュ」と私にもう一度指を差しながら。
「ふらふらっと行ってみようかな・・」にやぁっするあゆみと。
「しれぇ~っと・・行こっか」くすくす笑う弥生。
と二人して、私をこんなにからかうだなんて・・また邪魔しに来るの・・と思うと泣きたいかも。だから、顔が歪んで・・。
「あー、美樹がまたイジケタ。もぉぉ、ちょっとからかっただけでしょ、はいはいもぉ、そんな顔しないでよ。邪魔なんてしないから、二人で楽しんできてよ。ねぇ」と弥生は笑って。
「あー、でも、うらやましいよね、男の子とボール遊びなんて」とあゆみが本当にうらやましそうな声で言う。そして。弥生も。
「うらやましいよね、私ボール遊びなんてしたことないし」
「そうよね・・ボール遊びか・・」
と二人して、私を湿っぽく見つめて。
「ボール遊び・・」と繰り返すあゆみと・・。
「それって言い方変えるとアレよね」といやらしい笑い方し始めた弥生。
「うん・・私も今そう思った」
「ぷぷぷぷっ」
「くっくっくっく」
「なによ・・何が可笑しいの?」
「言っちゃうと乙女心が傷ついちゃうかもしれないから言わない」
「言わない・・言っちゃダメ」
と二人で顔を見合って、ぷぷぷぷーっと笑っていて。分けわからないままでいると。
「この中で美樹が一番ノリだなんて、信じられないね」と弥生がまじめにつぶやいて。
「何が一番ノリ?」と聞くと。
「男の子とボール遊び・・」と答えてくれたけど。まだわけわからない。
「一番乗り・・って・・」と聞いたら。。
「一番乗りでしょ。もぉぉ、そんなイジケタ顔しないでよ」とあゆみもわけわからないことを言ってる。
「ねぇ、愛のキャッチボール・・私もしたい・・今度春樹さんにお願いしよう。私もしたいですって。で、で、運動した後は、疲れたでしょ、マッサージでもしてあげようか」
「はい、お願いします」
「もみもみもみもみ」
「あんあんあんあん」
「ってなっちゃうよね、普通は」
「あーいいなーいいなーいいなー。そういう成り行きって憧れるよね」
「憧れるぅ~自然と導かれてゆく・・愛・・そのまま美樹は春樹さんのボールをコロコロ」
「あゆみってば、それ以上言っちゃダメでしょ」
と、二人に、からかわれるがまま、「そのまま私は春樹さんのボール・・」と同じことを・・つまり・・自然と導かれてゆく私たちがたどり着く「愛」という終着駅で「美樹、許して、気持ちを抑えられない」なんてあの日の春樹さんの声が、そして、私は自動的にそれからのアレを空想しようとしていることに気付いて・・なぜか春樹さんのぷらんぷらんしてたアレ・・ボール? たまたま・・を思い出したら・・。内腿がムズムズして・・だから。
「やめてよ・・」と言えずにいたら、チャイムが鳴り始めて・・また、退屈な授業が始まった。でも。スカッシュだなんて・・愛のキャッチボールか・・それに・・物理オタク・・確かに、春樹さん、いつか私にキャパシティがどうのこうのと言うナニか難しい話をくどくどと・・したよね。どうしよう・・春樹さん、私とイチャイチャしたいのではなくて、物理の講義をしたいのかな・・あゆみが変なこと言うから・・またそんな邪念が渦巻き始めてる。それに・・。授業に集中しようとすると・・。
「愛」という終着駅・・に待ち構えているのは。春樹さんではなくて・・どうして。
「美樹ちゃん、春樹くんと結婚しなさい」という藤江のおばさんの笑顔がムクムク。
「オテテ繋いで夜道を歩いて帰って来ると」とお母さんの顔もモヤモヤ。
「美樹・・春樹くんと本当に・・」と言ってたお父さんの悲壮な表情がヒシヒシ。
「周りがよいしょしなきゃ」と言ってたお母さん・・どうしてそんなにニヤニヤするの?
「美樹ちゃんは春樹とくっついてバラ色の膨らみ過ぎた飛行船に乗って順風満帆の人生を歩めばいいんだよ。なっ」って、うわぁ・・チーフまでもがネチネチと出てきた。
もうダメ。邪念がさらなる邪念を呼び起こして・・。あー・・暴風雨が吹き荒れている頭をガシガシしたいけど・・ヘンなことして先生に当てられても困るから・・とりあえずは、じっと我慢しよう・・平静を装って・・そうしよう・・あー授業なんて何も頭に入らないよ。
そして、とりあえず無難に学校が終わって・・。自転車置き場で帰り支度してると。
「あー、美樹も来る? マックで試験勉強しよってあゆみが言ってるけど」
と私を誘ってくれたのは、相変わらず長い髪がとてもきれいな遥さん。でも。
「美樹はこれから大事な大事な用事があるんだって」とあゆみが割り込んできて。
「ねぇー」と嫌味っぽくニヤニヤと強調するから。
「ねぇーって、用事・・大事な大事な・・まさか・・もしかして・・あの春樹さんと」
と、指ささないで・・でも、どうしても、そう連想しちゃうのね・・と思うしかないか・・。とため息吐いて。何も言い返せないでいると。
「そういうこと。ねぇ・・あーうらやましいったらありゃしない」とあゆみがナニか根に持っていそうな言い回しで。
「いいな いいな いいなー。あんな彼氏がいる人は」と遥さんまでもが歪んだ顔してるし。
「ホントそれ、あーあ、お幸せにね。女の友情って儚いよね・・」
って、あゆみ、それって私に言ったの? それに、お幸せに、の前の、あーあ・・ってナニよ・・と思うけど。
「春樹さんによろしくね、また、マックに連れてきてよ・・」
と今はニコニコしてる遥さんに。「うん・・まぁ・・」とまた曖昧な返事をしながら二人を見送る私。「じゃぁまた明日ね」と言ってくれる二人に手を振りながら、とりあえず、一難去ったかな・・とため息ついてから自転車に乗って、アスパの隣のマックスポーツを目指す決意をして。その前に、携帯電話を取り出すと、春樹さんからのメッセージは何もない。そろそろ家に来てるころかな・・。お母さんに何か言われている頃・・ともいえるのかな? 何か言われてたらどうしよう・・。追及・・私とどこまで進んだの? ちゅうとかしちゃったの? 結婚するつもり? とか言われたら・・春樹さんのコトだから・・あのお母さんにヘンなことを素直に答えそうだし・・あーもぉ、どうしてこんなモヤモヤと不安な気持ちが湧きたってくるのだろう。彼氏ができたら本当はこうなの? 何かこう、恋ってお花畑をスキップすることだと、ずっと思っていたのに、そんな空想とか想像とは全然違う、遠くから真っ黒な雲がイナズマのようなみんなのひそひそ話を「美樹の彼氏ってね、美樹の彼氏ってさ、美樹の彼氏ってあれよ、美樹の彼氏ってそうなの」なんて轟かせながら、今の私の感情を邪念が覆いつくしてゆくこの気持ち、雲の切れ目から朝日が差し込まないかと、もう一度携帯電話を広げさせるけど・・。何も変化はなくて。だから、泣いてしまいそうな気分で・・。
「春樹さん、今どこにいますか?」
とメールしても・・すぐに返事がこない・・。どうしていつも、返事してほしいときにしてくれないのよ。とため息吐いてから、携帯電話を鞄に仕舞って、仕方ないから、もやもやとした雷雲を引きずったまま、自転車をゆっくりと漕いでマックスポーツに向かうことにした。
そして、モヤモヤしたまま、いつの間にか到着。自転車置き場に自転車を置いて、どうしても気になるのは、誰もついてこないよね・・あゆみとか・・誰もいないよね・・遥さんとか・・弥生には からかわれても いいかもしれないけど・・本当に誰もいないよね・・。と何度も呪文を唱えながらキョロキョロと周りを見渡しながら、学校の制服着てる娘が誰もいないのを確かめて、そぉっと角から覗くとマックスポーツの入口・・の端の方に、あっ・・あんなところに、いつもと同じ衣装の春樹さんが立っていて、携帯電話をモジモジしている。これは私のメッセージを見て、すぐに返事をくれそうな気配かも。という気持ちがして、それ以上に私は春樹さんを見つけたけど、春樹さんはまだ私に気付いていない、そう感じたら、なぜか、うししししし・・という気分になってる私。でも、見つからないように身をかがめて、携帯電話を握りしめているのに、何の音沙汰もない。そのまま春樹さんを観察していると、携帯電話を腰のポーチにしまって、肩にかけてる鞄をよいしょして右を見て左を見るから私は陰に隠れて、でも・・私に返事したんじゃないの? と、握りしめた携帯電話を見つめても何も反応がなくて・・だから、どうして私に返事しないのよ・・。と念じながら陰から顔を出した瞬間・・あっと目が合った・・まるで・・いつもの、あの、何かが繋がったような感触・・これってもしかして、本当にレーザービーム・・いや、テレパシー? そんなことを感じながら、私を見つけてニコッとする春樹さんに、もう一度目だけでキョロキョロと周囲を点検すると、制服の娘は誰もいなくて。つまり、今日は私を邪魔するものが何もない。本当にプライベートな二人だけの時間? ということだよね。春樹さんの優しい笑顔にその実感を感じ始めたら、さっきまで頭の中いっぱいだった雷雲が、いつの間にか真っ青に晴れ渡っている。そして、嬉しい気持ちが千年に一度の日の出のように昇り始めて、顔が笑ってしまう。そんな私につられて春樹さんも、もっとニコニコするから。私も抑えきれない感情がうわーっと溢れて。くっくっくっとお腹の底から噴き出してしまう・・その・・この、嬉しすぎる気持ち。顔がほころび過ぎて、笑顔を作る筋肉が突っ張りすぎて痛いけど、そんなことはどうでもいいかな、駆け出したい気持ちに素直に従って、少し小走りに春樹さんに駆け寄って。正面から顔を見上げながら。わざとらしく。
「待ちましたか?」と可愛い仕草で聞いてみると。
「今来たところだよ」と私が見てたこと全く気にしてない返事をするから。
「うそ・・ちょっと待ってたくせに、私見てました」と、いじわるに言ってみると。
「まぁ、ちょっとだけ、待ったかな」と、嬉しそうに訂正してる春樹さんの笑顔・・にもう一言ナニか言いたい・・のに。私は、その次、どうしていいのか・・嬉しい気持ちに推されて、ナニを言いたいのか言葉が出てこなくて、立ちすくむ。けど、顔は力いっぱい笑ったままで。
「どうしたの、そんなに嬉しそうな顔して」と聞く春樹さんが。「本当にカワイイ」と言いながら、私の頭をナデナデ。そして。
「ホントは、もっと待っていたかった」
と、私の顔を柔らかい力でぎゅっと胸に抱きしめた春樹さん・・えぇ~急に何するの? と思うより先にあふれたのは。私・・今・・子供のころから何度も夢に見た、この、恋した人の胸に優しくぎゅっと抱かれるシーンが現実になってる? 私、今、本当に春樹さんの彼女になってる? 春樹さんの胸に押し付けている鼻が嗅いでいるこの匂いと一緒に、私、今、春樹さんの恋人になってる、そんなものすごい実感をさらにもっとすごい現実にするかのように。髪にチュッとしながら。
「会いたかった」なんてつぶやいてる春樹さんに。
私、あの、どうすればイイ? ナニを言えばいい? そんなことを考えながら、私の頭を柔らかくナデナデしている春樹さんの腕の中から顔を上げたら、急に真面目な表情になる春樹さんは。恥ずかしそうにハニカミながら。
「・・よ」と続けてつぶやいて。私をナデナデしてる手を、恥ずかしそうな仕草で降ろした。春樹さんのその、私から視線を反らせる見たことのないぎこちない雰囲気が、どういう雰囲気なのか解った気がした・・つまり、春樹さんって今、もしかして私に「キュン」としたでしょ? そう思うとなぜか春樹さんの怯えていそうな顔がおかしくて、反らせる視線を追いかけると、もっと恥ずかしそうに視線を合わせようとしないから、それが、笑いのツボをツンツンと刺激して。私は。
「くっ・・くくくくく・・くっくっ」
と笑ってしまったら。吐く息を私の顔に吹きかけながら。
「・・はぁぁぁ・・その笑顔を見たかった・・本当にカワイイ・・」
そうはっきりとつぶやく春樹さんに・・私・・頭の中・・真っ白かもしれない。立っていられなくなりそうな今、おかしくて笑っているのに、ジーンとする感動に感激して気絶しそう、私の事を「本当にカワイイ」とつぶやく春樹さんの優しい声、恥ずかしそうな仕草、それに私のこの感情って、ナニ? 私、今、優しさに包まれてる? そんな感じ? その・・あの・・だから。二回深呼吸して。
「私も・・」落ち着いて・・言ってもいいでしょ・・私も・・。
「んっ?・・私も」うん・・聞き返してくれるから、言えそう。
「会いたかった・・」そう言ってから、コレはからかうつもりで付け足したこと。「・・ょ」
そう言って、ぷぷぷぷって笑ってしまうのは、春樹さんが、私にからかわれたことを解っていそうな表情をするから。
「ちっ・・もう・・」とつぶやいて。だからもう一度しつこく。
「・・・・よ、だって。・・よ・・くっくっくっ」とからかうと。
「うるさい・・俺だって恥ずかしいんだから」と顔を背けて。
「ナニが恥ずかしいのよ」と背けた顔をのぞきこんだら。
「今、美樹の事を心の底からカワイイと・・言ってしまったことが恥ずかしいの」
ってどういう意味・・。というか、そんなこと言われたら、私も照れくさい・・ことが・・恥ずかしいの? かな。だから。
「なによそれ」と言いながら、春樹さんは本当に恥ずかしそうにしてるから、カワイイと言ってくれて私は嬉しいですけど、そんなこと言われて、どうして私も恥ずかしいの? という追及が私自身にもできなくて。
「あーうるさい」と、私から視線を反らせる春樹さんは、はぁーっと息を吐いた途端に、無理やり、いつもの春樹さんに戻ったかのように。
「で、運動できる用意はいいかな、服とか靴とか」と聞く。
「はい、持ってきました体操服」と返事する私も、ほっと息を吐いたらいつもの私に戻れたようで。でも。
「体操服・・」と一瞬止まった春樹さん。えっ? て顔してるから。
「ダメですか?」と思わず聞いたけど。
「いや・・まぁ、それじゃ、行ってみようか」といつものように優しく背中を押してくれて。
「はい、行ってみましょう」と返事しながら、その扉をくぐると。そこは、見たことも聞いたこともないような光景というか、機械の上を走っていたり、重そうなものを上げたり下げたり、壁をよじ登っている人もいれば、自転車みたいなものを漕いでる人もいて。その向こうで舟を漕いでる人たちもいる。
「こういうところは初めてでしょ、これがスポーツジム」という説明に。
「はい」と返事したけど。私にとっては、まったくの異世界・・。ぜーはーぜーは―とあちこちから息づかいだけが聞こえるような、そんなにぜーはーと息を切らせて何してるの? と思いつつもみんなの真剣な表情はなぜか楽しそう。だけど、よく見るとみんな汗びっしょりで、暑苦しそうで、汗臭そうで、気合いとか、根性とか・・私にはムリ・・な気持ちがムクムクしてくるかも。そんな立ちすくんでいる私に。
「あそこに更衣室があるから着替えておいで、そこの自動販売機の前で待ってるからね」
「はい・・」そう言われるがままに。別れて更衣室に入って。とりあえず注意書き・・ご自由に開いてるところを使ってカギは自分で持つのか・・。と開いてるロッカーを開けて、周りをキョロキョロすると水着のようなくびれたウエスト剥き出しの衣装を着た、手足がすらりと伸びる細身のお姉さんばかり。みんなスタイルいいね、と見とれていたら。
「こんにちは、隣、いいかな」と唐突に挨拶しながら隣のロッカーを開けたお姉さんにぎこちなく。
「こんにちは、あ・・どうぞ」と言ってみる。このお姉さんも、細身だけど近くで見ると腕も足もモリモリした筋肉がすごいかも・・。それに、シャツをさっと脱いだら、ピチピチの水着のような下着のようなウェア、剥き出しのおへそ、背中のX。ウエストのくびれ、お腹の段々畑? を強調していそうな。小さめのお尻のラインも無茶苦茶滑らか。綺麗と言うより・・カッコイイ・・。と見入ってしまっていたら。
「私に何かついてる? お尻が破けてるとか?」とお尻をチェックしてるお姉さん。
「えっ・・いえ・・あの」と気付いて。あの・・その。
「そんなにじろじろ見られると気になるでしょ」
とお姉さんはニコニコと私に話しかけてくれて。でも、確かにこんな女の人を初めて見る気持ちで見とれていたから。
「あの・・ごめんなさい・・」と慌てて言ってから。私も着替えようと鞄から体操服を出して、制服を脱ごうとしたら。
「あやまることはないけど・・高校生? 一人?」と聞かれて。
「はい、高校生です17歳です。それと・・あの」
「あの?」
「彼氏と一緒に来ました」
なんてことは余計な一言かな? と一瞬思ったけど。ついつい言ってみたくなったというか。まぁ、彼氏と来てるんだし・・。
「あっそう、カレシとね、どんな人なのかな? 私ミホって言うの。あなたは」
「あ・・美樹と言います」
「ミキちゃん、可愛いわね、それ、カレシの趣味?」
「えっ・・」彼氏の趣味って何かな?
「それって学校の体操服でしょ」
「はい」それがどうかしましたか?
「あぁー、彼氏って同級生?」同級生? 彼氏がですか?
何のことかわからないまま、曖昧にうなずいているうちに。
「ふぅぅん、それじゃね」
と素敵な笑顔で先に言ってしまったミホさんを目で追うと。髪を後ろに束ねながら歩いてゆく後姿がむちゃくちゃかっこいいというか。頭をぎゅぅっと左に押して右に押して、手足を伸ばしながらひねったり跳ねたりしながら屈伸して、太ももを伸ばして、立ち止まって壁を押してから、また太ももを振り上げて飛び跳ねながら腰を捻って歩いてゆく。そのボディーラインぴちぴちの衣装のプリンプリンしてるお尻のシルエットが綺麗と言うか。筋肉質の手足のモリモリした曲線が魅力的というか。体操服に着替えた私と見比べると。
「ぷにぷに・・」とお腹のお肉を摘まんでも自然と出てしまう効果音。そう言えばミホさんのお腹って男の人みたいに凸凹してたよね。大きな鏡にむかって自分自身の後姿を見てみると・・。なんか違うし。って思い込み過ぎるとまた春樹さんを待たせてしまいそうだから、ロッカーの扉を閉めてカギをもって外に出て、自動販売機の前、やっぱり春樹さんがもう待っていて。両方の手に大きなラケットって名前かなアレ。そう思いながら慌てて走り寄って。
「ごめんなさい、待ちましたか」と言ってみると。
「うん、少し・・」とニコニコしている。それに、初めて見る運動できる服の春樹さんって、プールで水着の時はこんな風に観察する余裕がなかったからよく覚えていないけど。短めのシャツやズボンから延びる腕も足も、さっきのミホさんよりもっとモリモリとしていて。あゆみが言ってたように、これが、がっしりなブリバリスポーツマン? なのかな。そんなことを考えながら顔を上げると、春樹さんは私をジロジロと舐めるように眺めて。だから。
「こんなのしかないから、運動できる服、靴も」と手を広げて「ダメですか?」と聞いてみながら、一回転・・は、する必要なかったかな?
「はいはい、そういう衣装も新鮮でいいね。という気持ち」とニヤッと笑う春樹さんを見ながら。それ・・カレシの趣味? と聞いたさっきのミホさんを思い出して。でも、ナニも違和感はないし・・。あっ、そんなことより。
「あの、それと・・」急に思い出したさっき聞かなかった気になること。
「それと・・ナニ?」
「あの、お母さん何か言いましたか? 家にオートバイ止めたんでしょ」そう聞いたら。
「うん・・いや・・別に何も言われてないよ」と普通の返事。
「ホントにお母さん何も言いませんでしたか?」私の事とか、知美さんの事とか、将来の事とか? と、どうしてこんな場面で不安が溢れてくるのかな。
「あー・・」とナニか思い出した春樹さんにドキッとしてしまう。やっぱり何か言ったの?
「牛乳買ってきてッて・・今夜はクリームシチュー作るからって言ってたかな」
牛乳・・? よりも・・。
「クリームシチュー・・」なんて、お母さん、作ったことあるの? 記憶にない料理じゃないかな? クリームシチューなんて・・。
「お母さん、食べていくんでしょ、って言うから。はいご馳走になりますって言った。晩御飯楽しみだね」
と笑っている春樹さんに。なぜか不安な予感がモヤモヤし始める。けど。
「まぁ、晩御飯の心配より、今はこっち、これがスカッシュのラケットとボール、そろそろ予約してる時間だからボール遊びを物理の講義を兼ねて楽しもう」
とまた、私の背中を優しく押す春樹さんに招かれるままに。とりあえず不安な気持ちを置いといて。
「はい・・」と返事したら、妙な緊張感が走るような。春樹さんがスタッフに会釈してから、ガラス張りの大きな部屋の扉を開けて。
「どうぞ、はいって」
と言われるままに部屋に入ると、こんなに天井の高い広すぎる部屋もまさに異世界のよう。
「はい、それじゃ、とりあえず、理屈から入るからね。いい?」と聞く春樹さんに。
「えっ・・うん」と仕方のない返事をしたら。
「これがボール、ラケットでエイっと打つと、ラケットから運動エネルギーを貰ったボールは重力や空気抵抗の影響も受けながら運動を始める。ラケットから貰った運動エネルギーの大きさに合わせてボールの速度は速くなるのだけど、ラケットから離れたボールは与えられた速度で放物線を描きながら、壁に当たって跳ね返る。壁に当たった角度と、跳ね返る時の角度は同じ。ということは、ラケットから離れたボールの軌道を最初にしっかりと追跡できれば、壁に当たってからどの方向にどのくらいの速度でどのくらいの時間でやってくるかがわかる。でしょ、だから、頭の中でさっとボールの初速と軌道を計算して未来位置に先回りすることで、余裕をもってホールを打ち返せる。ということを繰り返すのが、とりあえずの基本。わかった?」と言ってから、ポんっとボールを一度壁に打ち付けて、床をキュッキュッと音立てながらステップして、跳ね返ってきたボールをポンポンとラケットで弾いている春樹さんを。
「・・・?・・・」と見ながら。
そんな風に、ボールをラケットでエイっと打つ・・のはわかりましたけど。いや、エイっと打つ・・しかわからないのですけど。
「じゃ、とりあえず、やってみようか、いくよ」と言われても。
「あの・・ちょっとまって・・やったことないから・・その・・いきなりは・・ムリ・・」
とつぶやいてしまうのは、その、説明が全く聞き取れなくて理解不能で、その、やったことないことをいきなりだなんて・・むり。なのに。
「やったことないからってのを、できない理由にしてはいけない。じゃ、素振りからいこうか。じゃあ、その前に。よく体を伸ばして、筋肉をほぐしながら心の準備をしよう」
とラケットを持つ手を上から握った春樹さんに、ドキッとする間もなく。
「背骨をぐっと伸ばす、こうして」と万歳させられて、くるっと回転した春樹さんが私をそのまま背中に乗せて、「何するんですか」と叫ぶ前に、グイっと今まで曲げたことのない方向にゆっさゆっさと背中が延びて・・あの・・その・・ちょっと。息ができない。
「ぎゃぁ・・いたたたたた・・・・うっ・・あっ」って声が・・。途中からでなくなって。
「はい、次は、俺と同じようにアキレス腱伸ばし。腕もこうして伸ばして」
と地上に降ろされたら、もう息が切れ始めてる私は言われるがまま足を前後に広げて、アキレス腱伸ばし、は体育の授業でたまにしてる。腕も伸ばして。
「十分に伸ばしたら、ゆっくり素振りしようか。ラケットはこんな風に後ろから振りかぶって、ボールが来たら、エイっと打ち返す。こっち向きがフォアハンド、反対向きがバックハンド、両手で持ってもいいし、とにかくボールを打ち返せばいい。ホールを打ち返すためには、ボールの軌道をよく見て、ラケットの軌道と交錯するポイントがどこに来るか、ボールの速度と、ラケットの速度を認識したら、しっかりと頭の中で未来位置を計算して、先回り・・」と熱くなる春樹さんに。ラケットを言われるがままぶんぶんと振り回しながら。
「あー分かりましたから、とりあえずやってみますよ・・解りました・・判りました」
と言わないと、永遠に何言ってるかわからない説明を続けそうな春樹さんは、確かに間違いなく、あゆみか言ったような、これが「物理オタク」という気持ち悪い妖怪になっている気がしてきた。つまり「妖怪・・ブツリオタク」顔を歪めながら、そうつぶやくと。
「本当に分かったの・・じゃあ、イイかな、軽く打つから、跳ね返ってきたボールを打ち返す。いい」と言い続ける春樹さん、を見ている私の目つきが変わってしまいそうだから。
「はい・・」と返事して、別のモノに集中力を振り向けて、何もかも忘れて構えるふり。そして。よし、私は集中してる。ナニに? えーっと、ボールに。よし。大丈夫、生まれて初めてのスカッシュ、この辺に来たボールを打ち返すだけでしょ・・。
「じゃあいくよ、せーの、はい」
と、春樹さんが打ったボールに集中して、目で追うと、ポンっと音を立てて壁に跳ね返って、私の右側にやって来る。つまり、このラケットで、このホールを・・。せーの・・。
「きゃぁぁっっ・・えぃ」
と打ち返したつもりが・・ボールはラケットをすり抜けたかのように、後ろのガラスに当たってトントンコロンコロコロ・・ころ。と床を転がってゆく。そんな無慈悲なボールを拾った春樹さんは、私をじっと見つめて。
「・・・・・・」と言った。ナニよその無表情、私は。
「今・・うわっ美樹ってこんなに運動できないの・・って思ったでしょ」
なんて言うつもりはないけど。そんなことを思っていそうな顔。つまり、あきれ顔で。
「まぁ・・最初はそんなもんだ・・イイよ、いいヨ。大丈夫。もう一度。ボールがこの辺に来たらブンっとふって打ち返す。ボールをよく見て」
と手に持ったボールで説明してくれるけど。この辺に来たらの、「このヘン」と言うのが私にはよくわからないというか、タイミングがいまいちと言うか。
「じゃぁ、もう一回いくよ、セーの、はい」
と打ち出されたボールは壁に跳ねて、私の右側、つまり、この辺に来たら、ブン・・と振る。このヘン、この辺。ボールをよく見て、せーの。
「きゃぁぁぁぁ」トントンコロン。コロコロコロ・・。
「・・・・・」と、ボールを拾う春樹さんに。今度は・・。
「ナニよ・・その顔」とぼやいてみる。
「別に・・」と言いながら春樹さんには私と視線を合わてくれないから。私は。
「だって、初めてだし、こんなの急にできるわけないし」と言ってしまった。
「まぁ・・そうだけど・・ね」とまだ呆れていそうな春樹さん。
「もう一回行きますよ。次は・・」当てて見せます・・と私から言った方がイイかな。すると。
「はい・・それじゃ、テイクスリー。振るの早いから、少し我慢してみて」
ってなによ・・テイクスリー・・三回目という意味か。それと、少し我慢してみてってナニを? 振るのが早い?
「少し遅めにラケットを振る。いいかな」
遅めにラケットを振る・・遅め・・ボールが来たら、遅めに。と空想しながら、意地っ張りな気持ちになっている自覚で。超真剣に、今度こそは・・と思っていたりしてる私。
「せーの・・ほいっ」と春樹さんが壁に向かって打ち出したボールをよく見て。よく見て、この辺に来たら、せーの。すこし遅めに。
「はいっ」と掛け声で振りぬいたら、手にどしんとした感触が来て。ボールがどこかに飛んだ。当たった? 打ち返せた?
「当たった、当たりましたか?」と叫びながら。ボールを探そうとすると。
「当たった当たった、上手上手」とドタバタと向こうに走る春樹さん「それっもう一回、ボールをよく見て、いくよ、ほいっ」
と言われたら、ボールが見えた。また、壁に跳ねかえって私の右側に来そう。もう一回、この辺に来たら、ブンっと振る。よく見て、せーの・・ーの、くらいで。
「えいやぁっ・・」と掛け声で振ったら、またドシンとボールをとらえることができて。
「当たりましたよ、どっち行きましたか、どっち」と叫んだら、春樹さんがまたドタバタと走って。
「こっちこっち、ボールをよく見る、タイミング掴めたら簡単でしょ。ほいっ、もう一回、今度は少し向こうに行くよ。少し前」
少し向こうって。見えた、ボールが見える、ボールに向かって一歩前に出て。せーの。
「はい」と打ち返したボールが見える。
「オーケー、その調子。うまいうまい。ほいっ、よく見て」
「はい、見えます」おぉ~、ボールを打ち返しながら、春樹さんと喋りながら。
「美樹って筋がいいよ。すぐにうまくなった。その調子で。ほいっ」
「はい。ボールが見えます」
ポンっとボールを打ち返せると、おぉ~、本当に楽しいかもしれないコレ。まさに、愛のキャッチボールって感じなのかな。ちょっと息が上がって来るけど。
「それじゃ、今度は後ろに下がって」と言われるがままの方向にボールが飛んできて。後ろに下がりながら。
「はい」と打ち返したら。
「次は左向きに打ってみよう」左向き、体を回して、こっちから?
「はいっ」
「じゃあ次は右から」と言ってくれる方向にボールが飛んできて。このタイミングで。
「はい」
「オーケー、美樹って筋がイイよ、それじゃ足使って、ステップ効かせて」
左向き、左向き。と言われるがままに体を動かすと。意外と簡単じゃん。とうぬぼれた気分がし始めた。
「いいよ、いいよ、美樹って飲み込み早い。その調子で、スピードアップ」スピードアップって。
「ちょっと待って、はい」
「よっしゃ、こい。まだまたイケそう」
「はい」息がちょっとだけど、まだまだいけそうと言われたらいけそうだし。
「それじゃ次は狙ったところに打ち返す。壁の真ん中を狙ってみよう」
壁の真ん中。あの丸印。に打ち返す。
「はいっ。これでいいですか?」と言いながら。
「うまいようまい、美樹ってホントにスジがイイね、それじゃ、このまま続けて、ボール落としたら負けだぞ」
「えぇーちょっと待って、負けってナニ・・はい」
「何かしゃべりながら、体をオートマチックにしてみる」
「ムリですムリです、しゃべりながらなんて。オートマチックってナニ? はい」
「できてるじゃん。それっ」
「できてますけど、あー・・はい」ドタバタ。ドタバタ。とボールを追いかけて、打ち返してみると、おぉ~意外と何も考えていないのに体がオートマチックに動いている。と思える余裕ができてきたかも。でも、息は、もっと、はぁーはぁーし始めているけど。そして。
「負けたら罰ゲームあるからね。はいっ」って、無茶苦茶余裕の春樹さん。
「罰ゲームって何ですか? はいっ」って、はーはー必死でボールを追いかけている私。
「美樹が考えて。ほいっ」
「えームリですよ、罰ゲームなんて、春樹さんが考えてください。はいっ」
「なかなか手強いな、ほいっ」
「だから、罰ゲームって何ですか? はいっ」
「あとで考えるよ。ほいっ」
「それじゃ、私も後で考えます。はいっ」と息が切れ始めたら。
「そろそろ本気出すぞ。おりゃぁぁぁぁぁ」って春樹さんは大きな声で。だから。
「ちょっと・・あー・・」って、ここで足が絡まって「きゃぁぁぁっ」と転んでしまった。ぜーぜーはーはー、と息が途切れて。起き上がろうとしたら。
「大丈夫?」と春樹さんが慌てて駆け寄って来て。脇を抱えて、抱き起してくれて。
「大丈夫です、ぜーはーぜーはー、足が絡まりました。ぜーはーぜーは―」
と肩で息をしている私なのに。涼しそうな顔でくすくす笑っている春樹さん。
「どうする、少し休もうか」と私をひょいっと持ち上げて立たせてくれた春樹さん。
「続けますよ。今のは、反則です、ぜーぱーぜーは―。急に大声出すから、ぜーはー」
「反則かな・・」
「反則です。ぜーはー。大きな声に、ぜーはー。びっくりしただけ、ぜーはー」
「よっしゃ、それじゃ、次は、美樹からボール打って」
「はい。じゃぁ行きますよ、せーの」
「よしゃこい」
なんてことをしているうちに、あっという間に30分が過ぎて。さらにもっと息が切れている汗びっしょりの私と、涼しい顔して額の汗をシャツの袖で拭っている春樹さん。
「そろそろ終わろうか。疲れてきたでしょ。汗拭くタオルとかある?」
だなんて、息もせずに言ってるし。私は。
「ぜーはーぜーはー」って息しかできなくて、タオルなんて持ってない。
「普段運動しないから」と私の事を笑いながら言う春樹さんに。
「ぜーはーぜーはー」って息しかできないままだから、何も言い返せなくて。
「それじゃ、道具返してくるよ、タオル濡らしてくるから、外で待ってて」
「ぜーはーぜーはー」とりあえずうなずいて。外で息を整えようと座る所を探したら、あっちに椅子があるから、まだぜーはーぜーは―と息しながら、まさに息も絶え絶えに。フラフラとたどり着いて、座って、顔を上げると・・うわっ・・あんなに高いところをよじ登ってる人がいる。しかも、髪を後ろに束ねた女の子で、あっ・・あの人って、さっきのミホさん・・が、上まで登って片手でぶら下がったままブラブラしてから、蜘蛛のようにするするとロープにぶら下がったまま降りてくる。その途中、私と目が合って、私に気付いて、ニコッとして、手も振ってくれた。そして、地上に降りるとすぐさま私の所に駆け寄って。
「ミキちゃんあなたもしてみる?」なんて声をかけてくれたけど。
「はー・・はー・・まだ息が・・」としか言えないし。
「どうしたの、そんなに息きらせて?」と聞かれても。
「はい・・はー・・はー・・」とまだ息が落ち着かない。そんな私を観察したまま。
「くっくっくっ。心肺能力低すぎよ・・はぁぁあ・・あなたじゃ勝負にならないね」
って、私じゃ勝負にならないって、なんの話ですか? と、ぜーはーぜーはーして声にできない。そんな私を尻目に一人で喋っているミホさん。
「一人で黙々と練習してるとさ、なんかこう張り合いがなくなっちゃって、どこかにイイライバルがいないかなって、手当たり次第に声かけるんだけどね」
ランバルなんて・・。はーはー・・。
「・・私・・ムリですから」今は・・というより。
「あなたじゃムリね。見なくてもわかりそう。大丈夫? 意識はっきりしてる?」
と心配してくれるミホさんに。
「はい・・ちょっと・・こんなに走り回ったの初めてですから」
とようやく喋れるようになってきた私。
「走り回ったの初めてって・・ナニしたの?」
「ボール遊び・・あーあの、スカッシュって言う・・」息も落ち着き始めたかも。そんな私の隣に腰かけたミホさん。
「スカッシュ・・あーカレシとね、さっきそう言ってたよね・・ってカレシさんはどこ行ったの? どんな人?」
「道具返してくるって」と言って、どこに行っちゃったのかな春樹さん。とキョロキョロしてみると。ミホさんは。
「道具か・・ちょっと待ってみよっと」なんて言って。うーん・・と手を組んで伸ばし始めて。立ち上がって足を延ばし始めた。それより、えっ? ちょっと待ってみよって・・どんな人・・とも言ってた? どうしてですか? とミホさんの顔を見ると、ワクワクしていそうなニヤケ顔。ナニこの人? あの・・。
「ミキちゃんのその尋常じゃない息のキレ方が、興味をそそるというかさ」えっ?
「息のキレ方? ですか?」
「うん、彼女をここまで追い込むカレシってどんな子かなって、そんなことに興味が湧くのよ。同級生だっけ?」どうして同級生だっけ? なんて言うのかな?
それに、興味なんて湧かなくてもいいでしょ・・と思った瞬間。後ろから私の首にヒヤッとタオルをかけた春樹さん。振り向くと。
「お待たせ、はい濡れたタオルで顔拭くと気持ちいいよ、これ、スポーツドリンク、水分補給して」と濡れたタオルをほっぺに当ててくれて、確かに濡れたタオルが汗を吸って顔を冷やしてくれて気持ちイイのですけど。スポーツドリンクを受け取りながら、あの、そんなことより・・。
「うわっ・・カレシってこの人? 同級生というより、お兄さん? じゃないの?」
と唖然と春樹さんを見つめるミホさん。に気付いた春樹さんは・・。
「美樹の知り合いさん?」と私に聞いてから「初めましてカタヤマハルキと言います」とすかさず自己紹介するから・・。とりあえずミホさんの「お兄さん?」という質問に。私は「カレシです」と答えて。春樹さんには「あの・・さっきロッカーが隣だった人・・ミホさんです」と教えてあげたら。春樹さんはじっとミホさんを見つめて。
「あぁ・・あのミホさん・・ですね」と言った。
えっ・・知り合いですか? と思ってしまう反応してる春樹さん。それに。
「嬉しい、私のコト知ってるんだ。あのミホさんです」
なんてミホさんも、無茶苦茶嬉しそうな笑顔で返事してるし。えっ・・ホントに知り合いなの?
「へぇぇこの辺の人だったんですか・・」って、本当に知り合いなんだ。うそ、こんなに綺麗でカッコいい、知美さんくらいの年?・・と思いついた瞬間。あっと、今思い出した、この人、雰囲気が知美さんと似てる。感じがそっくり、と気付いたら。ミホさんは。
「本当にミキちゃんの彼氏なの? お兄さんみたいだけど、歳離れていそうだよね」ともう一度そんなことを言うから。「カレシです、恋人です」と言えそうで言えないタイミングで。春樹さんが。
「えぇ、まぁ・・とりあえずカレシ・・という関係ですけど」
と横から自信なさげに入ってきたから。ナニよそのしどろもどろな言い方、にカチンと来て。
「とりあえずってナニよ」と声を荒げてしまった。でも。そんなことより、どうしてこんな綺麗でかっこいい女の人と知り合いなの? と春樹さんを睨むと。
「ふううん・・本当にカレシみたいだね」とミホさんがくすくす笑っていて。
「まぁ」とうなずいている春樹さん。に私も自信ないかもしれないけど。
「カレシでしょ・・」って・・つぶやいたらもっと自信がなくなりそうなのは、まさか・・春樹さん、フタマタの次は・・「ミツマタ?」 なんて心の底からの声。を無視するかのように。
「春樹くん・・と呼んでもいいのかな?」とミホさんがカワイイ笑顔で言った。すると。
「はい」と返事する春樹さんもどことなく嬉しそうな顔してるし。
だから、何も言えないまま二人をキョロキョロと見つめていると。
「あなたなら私と勝負できそうだけど、どぉ?」とミホさんの突然の提案。
「えっ・・勝負・・ですか」と私が思ったことをつぶやく春樹さんに。
「うん、あそこまでどっちが早いか、ハンデ50付けてあげる、春樹くんが半分まで届いてから私スタートするから、先に上まで行った方が勝ち」
とミホさんは壁の天辺を指さしながら、早口で説明した。すると春樹さんは
「いや・・それでもちょっと無理でしょ、やったことないし」とぼやいて。
「やったことないからって、そんなのをできない言い訳にしちゃダメでしょ」
とは、春樹さんがさっき私に言ったことだね、と思い出しながら。私は、もう一度、どうしてこんな知り合いがいるのですかと春樹さんを睨んだら。
「あ・・まぁ・・そうですけど」
とつぶやきながら、睨む私の視線から逃げるかのように、壁を見上げて黙り込んだ春樹さん。急に目つきが真剣になってる。
「どぉ、いけそう? 私もね、一人で黙々と練習してて張り合いがないというかさ、なんて言うのかな、普段出すことができない力を出したいのに。どうすればあの力を出せるのかわからなくなって。手っ取り早く、ライバルがいればなって思っていたのよ」
ライバル・・そう言えば、知美さんも「私たちってライバルね」って言ってたこと思い出せる。でも、ミホさん、私のコト「あなたじゃ勝負にならない」ってさっき言いませんでしたか?
「ライバルですか、僕にはムリかも・・」そうつぶやいて、まだ壁を眺めている春樹さん。
「試してみないと解らないでしょ、真ん中の緑色の線まで待ってから私スタートするから、その条件であなたが早く上まで行けたらあなたの勝ち。そのくらいのハンデあげるからさ」
と同じように上の方を見上げながらしゃべるミホさんに。
「それじゃ、一度リハさせてください」と振り向いた。
「おぉっ乗ったね、そうこなくっちゃ」とミホさんも春樹さんに振り向いて嬉しそう。それより、うわっ・・春樹さん・・何する気ですか? とあっけに取られている間に、ミホさんに連れられて、体にベルトを巻き付けられて、天井からロープで吊るされて。壁を見上げて、なにかブツブツつぶやいてから。
「よっし・・行ってみるか」と私に振り向いて「大丈夫だから少し待ってて」と言った。
「・・はい・・待ちますけど」
とうなずいたら。春樹さんも笑顔でうんうんとうなずいて。「よっ」とか言いながら壁を登り始めた。
「やっぱり、結構、力強そうねカレシの春樹くん。あっさりと登れるじゃん」
とは、ミホさん、壁を登る春樹さんを見上げながら、私に言ったのかな? えっ? とミホさんを見つめると。くすくす笑って。
「ミキちゃんのカレシって、ずいぶんいいオトコね。私もあんなカレシが欲しいかも・・ふーん」
なんて言う。
「・・まぁ」としか言えないけど。ミホさんはじぃーっと壁を登ってゆく春樹さんを見上げていて・・。その横顔を見つめていたら。
「ペロリ・・ペロリ・・」と唇を舐めている舌が一往復してるし。さらに、唇がチュッと尖ったし。それって・・無意識に何してるのですか? と不安が足元からゾワゾワ這い上がって来る。だから、私は春樹さんが上まで行くのを見上げたまま、別の事を心配しているというか。その、ミホさん・・「あなたじゃ勝負にならないわね」って。もしかして、春樹さんに狙いを定めた? 確かに、春樹さんは、ミホさんのお尻・・小さめで筋肉質で私でもかっこいいと思ってしまうこの曲線に弱そうで・・お化粧してない綺麗な顔は知美さんに雰囲気が似てるし・・何より年上ですよね・・が好きそうだったよね春樹さんって・・それに超前向きポジティブ思考な女性。うわっ私が思い込んでいる春樹さんの好みの女の子の条件全部揃ってない?・・この人、ミホさん、揃い過ぎていそう。なんてことが、ミホさんの綺麗な横顔に見とれていると、頭の中で、もやもやムクムクと入道雲のように湧き上がって来て。
「おぉー早い早い、やるねぇ、初めてなのに、そんなにすんなり登れるなんて」
とミホさんの大きな声に、はっ、としたら。春樹さんは上まで登り切っていて。クモのようにロープにぶら下がったまま降りてきた。そして。はぁはぁ息を切らせながら。
「全身運動ですねコレ、結構キツイ。でも、なんとなくコツは計算できそうですコレ」
なんて言う。
「コツ? 計算?」とミホさんの怪訝な表情に。
「僕の体重と腕の力や足の力、手をかける突起の大きさ、指が掛かるか、足を乗せるか、角度がどうか、配置や距離、腕の長さ、脚の長さ、まぁそういう条件から計算して、ルートを決めたのですけど、ほぼ計算通りに行けました」
「はぁ・・計算通り?」とつぶやいたミホさんは私をじろっと見つめて。
「春樹くんって、何してる人なの?」と小さな声で聞いた。だから。
「あの・・春樹さんって物理オタクです」と小声で説明してあげたら、聞こえたのかしら。
「オタクではなくて、物理・・ガクシャです」と言い直した春樹さん・・私に向かって口をへの字にしたけど笑っている。そんな春樹さんに向かって。
「物理オタクぅ~」と高めの声で驚いたミホさんに。
「いや、だから、オタクではなくて、物理ガクシャですよ。まぁ、こういう運動は物理法則にしっかりと従わないと、がむしゃらな力任せで頑張っても結果は出せないというか、タイムが縮まないというか。ルートが決まらないというか。計算って大事です」
と難しそうな説明を始める春樹さんに。
「・・・・・・」となってるミホさん。私も同じ気持ちです。だから、見つめあってしまったけど・・あれっ・・どうしてうなずき合ってしまうの? それに、視線が交わるところで火花は飛ばない。という気持ちがしてる。そう感じたら。
「まぁ・・いっか。で、イケそう、勝負する?」と春樹さんに振り向いて。
「はい。ハンデ50。真ん中の線まで待ってもらえますか?」と春樹さんも大真面目な目つきで、やる気満々?
「いいわよ」と言ったミホさんの表情も目つきもキリっと変わった。それに。
「僕の計算では、練習した人間の能力なら、上まで最短7秒ってとこですけど」
春樹さんも、いつもの春樹さんの顔ではなくなっている。どうして?
「あ・・ってるわ。確かにそのくらいね、このコースなら、練習すれば7秒そこそこで登れるわね。ちなみに、私のレコードは5秒91ヨ」
えっ? 5秒91ってナニ? レコード?
「ということは、僕の今の力でなら、12秒を切れば勝算があるってことですね」
「・・・まぁ計算ではそういう事ね」
2人で、何の話ですか? 私の居場所が・・と思っている間に。
「それじゃ、準備が良ければスタートしましょうか」だなんて春樹さんどうしたの?
「うん・・あっそうだ」ミホさんも、さっきから雰囲気が違う。
「はい」春樹さんも見たことない表情・・。
「一応勝負だから、春樹くんが勝ったら私ご飯おごってあげるね。それでもいいかな?」
「はい、それでもいいですよ」えっ? ナニがイイの?
「じゃ、私が勝ったら、ご飯おごってね」
「はい、わかりました」だなんて・・春樹さん。
えっ・・それって・・どっちが勝っても同じじゃないですか? 今、二人でご飯食べに行く約束しませんでしたか? 私をほったらかして・・。あの。と思っている間に、ミホさんが。
「それじゃ、よぉーい・・どん」
と号令したら。春樹さんは「おぅりゃぁ」と声を上げて、すごい勢いで登り始めて。
「えぇ~、うそ・・ちょっと」と慌てた声を漏らせたミホさん。春樹さんが真ん中の線にかかると同時に。
「おぅりゃぁぁぁぁぁぁ」と、春樹さんよりもスゴイ雄たけびを上げて、ものすごい勢いで登り始めた。例えて言うなら、窓の外の網戸をものすごい速さで走り回る「ヤモリ?」そして、あっという間に上までたどり着きそうな春樹さんが「ああ~くそっ」と言ったかと思うと。壁から手が離れてロープにぶら下がってブランブランしてる、その間にミホさんが上までたどり着いて。
「よっしゃぁ」と叫んだらランプがくるくる回って。タイミングは春樹さんの方が早かったけど・・。どうなるのかな? これ。二人ともロープにぶら下がったままゆっくりと降りてきながら。
「あっはっはっは、春樹くん、すんごいねあなた。タイミングはあなたの勝ちだった」
と笑っていて。
「ミホさんも、あの位置から追い上げられるなんてさすがです」なんて言ってる。
「いゃー・・出た出た・・」ナニが?
「出ましたか?」だからナニが?
「出せたぁ、久しぶりに普段出ない力150%くらい出たかも。ほら、今になってから息が上がってくるでしょ。これが気持ちイイのよ。あっはっはっ」ってミホさんの、私とは違う、ぜーはーぜーは―と肩で息してるのに、ものすごくすがすがしすぎる表情。地上に降りてきた春樹さんにミホさんが駆け寄って
「アリガト、体、大丈夫? ムリしたでしょ」と春樹さんのベルトをべたべたしながら外してる。そして、ぜーはーぜーは―。
「ちょっと、ぎくしゃくしそうですね。僕も普段使わない筋肉使いました」と肩で息しながら、腕を伸ばしたり曲げたりしてる春樹さん。そして。なぜか後ろからざわざわ。
「うーわ・・今の見た、5秒86だって」
「コースレコード出たの」
と聞こえたざわめき。
「コースレコード?」とつぶやいてみたけど・・。
「それじゃ、もういいですか?」とにこやかな春樹さんの笑顔がミホさんに向いていることが気になって。二人の会話がもっと気になり始めて。
「もういいけど、連絡先教えてよ。物理オタ・・学者さん。私を追い詰めた物理的なアドバイスが欲しいわ」
と、春樹さんよりもっとにこやかな笑顔でそう言ったミホさんのセリフ。あっ・・私も気づいたかも、このフレーズ・・「物理学者さん」この魔法のような一言に春樹さんは、やっぱり。妖怪・・ブツリオタク、になってる。ほら、その別の意味の嬉しそうな顔。
「はい・・それじゃ・・ちょっと待っててください」と答えてる。それに、ほら、私のコト全く見えなくなってる。こないだもそうだった。あゆみが「この問題わからないんです」と教科書広げた時もこんな感じだったよね。
「それじゃ、着替えてきますから」って本当に私のコト見えなくなっていそうなまま更衣室に向かおうとした春樹さん。どう呼び止めたらいいかもわからなくて。だから。
「ふんっ・・」ナニよ。という気分のまま、私だって・・という気持ちになって。その隣の凸凹が不規則に並んだ壁に手をかけたら。私に気付いた春樹さんが慌てて。
「ちょっと美樹、何するの? 挑戦してみるの?」
と心配してくれていそうだけど。ムシムシ。
「美樹ちゃんも練習して登ってみる?」
というミホさんの声には。
「はい・・」と返事してから。ナニよ、私じゃ勝負にならないって。という気持ちで凸凹に手をかけたけど。私の腕力では私の体重を支えられない? あっ・・・と凸凹を掴めないままバランスを崩して後ろに転びそうになって。
「ほーら、美樹にはムリだよ」
と春樹さんが転びそうな私の肩を支えてくれた。けど、今のこの気分のままムスッと睨み返したら。
「美樹が意地っ張りなのは知ってるけどさ、オリンピックの銀メダリストと張り合うなんてムリムリ」
オリンピックの銀メダリスト? って銀メダル? 世界で2番ってこと・・ミホさんが? えっ? とミホさんに振り向いたら。
「ミキちゃんって、今のそれ、もしかしてヤキモチ?」
と笑っていて。何も言い返せないまま、視線を合わせられないでいたら。
「くっくっくっくっ、カワイイ。嬉しいかも、私にヤキモチ妬いたんだ。あーそれじゃ春樹くんにもっとべたべたしちゃおうかな」
だなんて、春樹さんにべたべたし始めて。
「あの・・ミホさん・・ちょっと」と春樹さんも嬉しそうだから。もっとムスッとしてしまいそう。そんな私に。
「うーんもぉ、そんなにやきもち焼かれたなら、このくらいしないと割が合わないでしょ」
なんて言いながら春樹さんのほっぺにチュッとしたミホさん。くっくっくっくっ、ってお腹抱えて笑っていて。
「ちょっとミホさん・・」と言うだけで、全く抵抗しない春樹さんの嬉しそうな顔が・・もっと気分を逆撫でする。なのに。
「ミキちゃん、私たちも、ライバルになりましょう」
と手をグーにしたミホさん。
「ライバル・・ですか」
なんだろ、いつかこんなことがあったようなと思い出すこのパターン。
「うん、ライバルよ」とニコニコ顔のミホさんに。
「わかりました」と意地っ張りになっている私ではない私が言っている。
そして、つられるがままに私ではない私もグーにした手を差し出してしまって。
「はいっ。ぐーたっち・・」
したら、意地っ張りな私ではない私がどこかへ行ってしまって。また・・。
「・・私、ナニを約束してしまったの?」
という気分だけが残っているかのようで。何も言えずにミホさんの顔を見つめたら。
「私ね、次のオリンピックで今の記録出したいの。世界の頂点に立ちたいのよ」
オリンピック? 今の記録? 世界の頂点? ってナニ? とわけわからないことを言っている。
「だから・・春樹君をパートナーにしたいかなって思ってる。どぉ? いいかな?」
ミホさんの顔がむちゃくちゃ真剣な感じ。そして、今度は春樹さんに振り向いたミホさん。パートナー? ってナニ? と思っていたら。
「どぉ、物理学者さん、あなたの計算であと、0.02秒縮められる要素を見つけられる?」
と大真面目に聞いてる。そして。一瞬考えた春樹さんは。
「はい、行けると思いますよ・・0.02秒でしたね、あの時も」0.02秒? そして。
「そうよ・・悔しいったりゃありゃしない・・今度マックでエビフィレオおごってあげるからさ、私のパートナーになりなさい」どうしてエビフィレオ? というより、そんなミホさんの命令口調に。どうして。
「はい・・」と素直過ぎる返事をする春樹さん。に振り返って。
なんでそんなに簡単にOKするんですか。私の前で・・エビフィレオだから? ミホさんが知美さんみたいだから? キレイな人だから? 前向きな人だから? それより、オリンピックって・・銀メダル・・0.02秒。パートナー・・はい・・ってなに? また頭の中がグダグダになってくる。なのに。
「それじゃ、ちょっと着替えてきますから」とミホさんに笑顔を振りまいて。
「うん、待ってるね」なんて返事にもっとニコニコする春樹さん。
ようやく私の事を思い出したように。
「それじゃぁ、着替えて、帰ろうか・・」と言うから。
「・・・・・・」と言う返事をして、私も着替えることにした。
楽しかったボール遊びが、ミホさんの登場でこんな気分になって。また新しいライバルの出現? と思ってしまう鏡の中の私のふてくされてる顔。いや、泣きそうな顔。だけど。
今日は、早めに着替えて、何もせずに更衣室を出たのに。春樹さんはもう着替えて、ミホさんとナニかを楽しそうにお話していて。私を見つけてすぐ。
「それじゃ、また今度」と挨拶してる。
また今度・・ナニを約束したのですか? と聞けない気持ちがずるずると背中にまとわりついていそうな。
「ミキちゃんも、またね」
というミホさんのにこやかな挨拶に。
「・・・はい・・また」
と挨拶して。そんな何もかもが、まさに異世界の出来事だったようなマックスポーツ。ドアをくぐって外に出ると、あたりは暗くなっていて、現実世界に戻ったかなと思えた春樹さんとのデート・・いや、運動か・・と楽しくボールを追いかけて、愛のキャッチボール・・をリピートしたいのに。どうしても、春樹さんと楽しそうに喋っているミホさんの笑顔が思い浮かんでしまって。
「ミホさんとどんな約束したんですか。私が着替えている間にナニを話したんですか。マックでエビフィレオ食べる約束ですか。ミホさんのパートナーになる約束ですか。私は別にミホさんにやきもち焼いたつもりはないですけど。あんなに嬉しそうにほっぺにチュウされてナニよもぉ。くらい思ってもいいでしょ。今日は、カレとカノジョの関係でボール遊びというデートしたはずなんだから」
と、そんなこと言葉にできないから、心の中でぶつぶつ思いながら、自転車を押して、何も喋らない春樹さんと一緒に歩く帰り道。しばらく歩いてからようやく。
「楽しかった?」
と私に聞いてくれた春樹さんだけど。「ミホさんが現れたせいで全然楽しくなくなりましたよ。顔見れば分かるでしょ。どうして、そんな質問するの?」 と思っている私に。
「たまには体動かすのもいいでしょ」
と春樹さんは笑っているけど。「・・・」としか思えないし。
「それに、俺が物理的な講義をしたからすぐに上手くなれたでしょ」
とニコニコとしゃべり続ける春樹さんに。何のことですか? とうつむいたままでいたら。
「あーいう運動は、物理法則をしっかりと知れば、頭でわからなくても、体がわかってくれて、ボールを見れば脳がちゃんと計算して体を動かしてくれたでしょ。そんな感じしなかった? 喋っていても、体がオートマチックに動いてくれる感覚。理屈を脳にインストールしておけば体は勝手に動くもんだよ」
だなんて、もっと楽しそうに話す春樹さんを、「妖怪ブツリオタク」と思いながら、まだうつむいている。すると。
「それに、美樹って運動神経良さそう。すぐに上手くなって、なにかこう秘めた才能とかありそうだね」
とうつむいてる私の顔をのぞきこむようにニコニコと話しかけ続けてる春樹さん。誉めてくれたのかな今・・。と顔を上げたけど。
「自転車押そうか、ほら、この荷物も載せて」と肩のカバンをかごに入れて、ハンドルを取ろうとするから。
「いいですよ・・自分で押しますから」と拒否したつもり。だけど。立ち止まって。強引に私から自転車を奪って。片手で押し始める。そして。
「ほら、自転車にも物理法則があって、ここを押せばハンドルはまっすぐ向こうとするでしょ。どうして走る自転車は転ばないか考えたことある?」
あるわけありません。なんの話ですかソレ・・。ともっとふてくされると、ようやくナニか解ったかのように。私の顔色に気付いたかのように。
「機嫌悪いの? ・・なにか機嫌悪くなることしたかな ・・俺」
と言い始めた春樹さんに、私は「ミホさんとご飯食べに行く約束をして、ミホさんにチュウされて、ミホさんのパートナーになるだなんて約束もして、ミホさんとあんなに楽しそうにお話して、今は無神経な妖怪ブツリオタクだからです」と言えずにいたら。
「まさか、オリンピックで銀メダル取った人とこんなところで会うなんてびっくりしたけど、あんな風に頑張ってる人に、何かできるなんてね」
とつぶやいた春樹さん。「綺麗な人でしたからね」と言い返そうとしたけど。その瞬間に、うーんうーんと携帯電話の音。私のかと思ったけど、それは、春樹さんの腰のポーチから聞こえていて。
「電話ですよ」と言ってあげたら。
「うん、メールかな」と取り出して「あら、あゆみちゃんだ」と言った。
はぁーあ、どうしてこう機嫌が悪いときに、もっと機嫌が悪くなりそうな、その名前。
「今日は図形の問題か・・帰ったら美樹も一緒に解き方勉強しようか。できる? こういう問題」
と見せてくれた画面には〇とか△とか角度とか、こんなにイライラしている場面で見せられてもできるわけないでしょ。それに。
「毎日そうやって解き方教えてあげてるのですか?」と聞いたら。
「うん・・最近は毎日だね・・美樹にも送ってあげたでしょ」と答えた春樹さん。送ってもらったけど・・だからと言って・・どうなのよ。それに。
「そうやって問題解くのが楽しいのですか?」と、聞くことができ始める私。イライラがピークになり始めてるから、自制が効かなくなり始めて、思ったまま言葉になっている、という自覚もし始めている。そんな私の感情に気付いていない春樹さんは。
「まぁ、楽しいと言えば楽しいし、それ以上に、俺って、頑張ってる人を応援したくなる性格だし」
と声色も変えずに言っている。だから。
「どうせ、私は頑張ってなんかないし」とぼやいてしまいたくなるのかな。
「そうかな・・美樹も頑張っているでしょ」と言ってくれるけど。
私の今の感情は。「どこがよ・・お世辞でしょそれ・・。私なんかより、あゆみやミホさんにあんなに真剣になって・・」と言い出しそう。でも・・。
「私なんかより頑張ってるあゆみやミホさんを応援してあげてください」
なんて、どうしてそんなことを言い放ってしまうのかな・・という思いもあるのに。
「うん・・でも・・」と言いかけて止まってしまう春樹さん。
でも・・なによ・・あーもぉ、どうしてこんな気持ちになっちゃうんだろう。いつもこんな風にイライラしてしまう私に嫌気がするというか。春樹さんのせいじゃないですか、私の気持ちがこんな風になる原因。なんて思いもあるし。どうして春樹さんとこんな話になると私はこんなにイライラしてしまうのだろう・・。マックスポーツの入口で会ったときはあんなに嬉しかったのに。今は・・。
「でもね・・」とはっきりしない春樹さんに。
あーもぉ・・どうしてこの人、はっきり言わない・・だから、でもね・・の次は何言いたいのよ。なんてますますイライラが積み重なってゆく気持ちで、とぼとぼ歩くと、もうすぐ、その角を曲がれば、私の家の前の通り。
「だからね・・その・・」
とつぶやきながら角を曲がって、立ち止まった春樹さん。どうしてここで止まるの? と私も足を止めたら。
「だから・・頑張ってる人を応援して、いい結果が出たら、応援してよかったなぁって気持ちになるでしょ。こないだの期末テストの時の美樹も頑張ってて、いい結果が出て、手伝ってあげてよかったって気持ちになるのが好きというかさ」
という説明はなんとなくわかるけど。「手伝ってあげてよかったって気持ちになるのが好き」あゆみや弥生が昼間話してたことかなとも思う。私に興味があるわけではなくて、私の関心を引きたいわけではなくて、物理の問題を解く・・つまり、それが、手伝ってよかった、という気持ちなんですか。と勝手な解釈にまたイライラし始めてる。すると。
「だから・・まぁ・・頑張ってる人を応援して、手伝ってあげて、結果が良くて、喜ぶ顔を見れたら・・つまり、その、俺も嬉しくて」とぶつぶつ言う春樹さんに。
つまり、結果が良くて喜ぶ顔は、誰の顔でもイイってことでしょ・・なんて思っている私。
「でも、あゆみちゃんやミホさんを応援はできるけど、こういうことは、好きな人にしかできないことで・・疲れてるのかな、美樹って、今日はよく頑張った、お疲れ様」
と言いながら、私をふわっと抱きしめた春樹さん。
「美樹のコト、誰よりも応援したい気持ちがあって。美樹のコト、誰より応援してよかったって思いたいというか。まぁその・・だから・・こういうこと、俺はうまく喋れないんだよ」
と、照れ笑いしながら、私の頭をナデナデする春樹さんに、ふと気づいた私。そう言えば、今日、春樹さんは私の名前に「ちゃん」を付けない。それっていつから? 思い出せない。
「いつか将来、好きな女の子に頑張れって応援されたら、俺はどこまでも頑張れると思うけど、今の美樹は俺を応援できるか?」
えっ・・また・・ナニ難しいことを言ったの? 今の私は春樹さんを応援できるか? って言った? そんなこと・・ガンバレって言うのは簡単だけど・・春樹さんが私にしてくれたことのような応援なんてムリだよね・・私なんか何もできないんだし。と、ふんわりと抱きしめられたまま顔を上げたら。ニコニコしてる春樹さんが。
「美樹はまだ何もできないだろうから、何ができるのか、どんな才能があるのか、いろいろ試してみないと解らないでしょ・・」
って、春樹さん、何の話してるの?
「だから・・そんな顔せずに、将来俺の事を応援してくれるスーパーレディーになってくれないか。なんて願望を俺は美樹に持ってる」
えっ? 春樹さんを応援するスーパーレディー・・って、つまり、知美さんとかミホさんのような雰囲気の私? ってこと? というイメージが、その瞬間に無茶苦茶リアルに現れて。そんな、突然現れた知美さんのようなスーツを着た筋肉がモリモリしてる私の将来像に・・こ・これが私? と、私自身が息をのんでる・・私って知美さんやミホさんのような女になれるの?
「いや・・だから・・うまく言えないというか、その、俺は物理学者だから文学的なことはムリなんだ・・つまり・・その・・なんていうか」
と、しどろもどろに話している春樹さん・・他の女の子にも優しいけど、本当は私の事を、そんな風に考えてくれている、ということかな? 相当まじめに・・かなり真剣に・・。私を知美さんとかミホさんとかあんな雰囲気のオンナになって欲しいって思ってるってことなの? つまり、知美さんのように勉強もできて、ミホさんのように運動もできて・・他には? と考えている私に。
「気持ちってさ、物理的ではないというか、文学的なことって物理学者には・・その」
まだブツブツ言ってる春樹さんの顔を見ていると。私、何気に、イライラな気持ちが、すっきりと晴れ渡っている。だから。くすっと思うのは、物理学者じゃなくて。妖怪・・。
「ブツリオタクでしょ」と笑いながら言ってみたら。
「・・物理学者ですよ」と怒っているようなイントネーションの春樹さん。
「オタクよ」
「ガクシャ」
「オタクでしょ」
「ガクシャ」
「オタクです」
「ガクシャだよ、これだけは絶対譲らない。誰が何と言おうと俺は物理学者だ」
って、どうして今日はそんなにムキになるの? と春樹さんの顔を見ると。初めて見る表情。本当にムキになっていそう。それがおかしくて。
「ぷっぷっぷっぷっ・・ムキになってる春樹さんって初めて見た。ぷぷっ、おかしい」
と言ってみたら。少しだけムスッとしながら。
「美樹はいつもムキになってるけどな」と言い返す春樹さん。
でも、私がムキになるのは。
「春樹さんがムキにさせてるんでしょ」それは私が譲れないコト。
「ムキになんかさせてないよ」
「させてる」
「させてない」
「させてる」
「させてない」
「させてる」
「ない」
「てる」
「ない」
「させてる」
と、さっきからずっと、ふんわりと抱かれたまま、そんなことを言い合ったあと、それ以上何を言おうかと思いつかなくて、だから、言葉に詰まって。ゴクリとした瞬間・・まさか・・という気持ちが全身の産毛を逆立たせ始めた。言葉に詰まった私に向かって。春樹さん。くすくすと優しい顔に戻りながら。
「でも、そんな、意地っ張りな美樹の事が好きだよ。おとなしすぎる雰囲気なのに、本当は、負けず嫌いで、意地っ張りで、ムキになって言いたい放題言ってくれる美樹の事が、好きだ」
・・好きだ・・。なんてじっと私を見つめたまま言うから、それは、私にかけられた目を閉じてしまう呪文。私の心にかけられた唇を差し出してしまう呪文。初めてのことだけど、私から・・こうしてもいいんだよね。私も、知美さんのように勉強ができて、私もミホさんのように運動ができて、そして・・お母さんのような春樹さんを従える一流のオンナ・・だなんて、ナゼ? お母さんのように? と思った瞬間。はっと気づいた、この場所・・。
と目を開けたら、目を閉じてる春樹さんの鼻が私の鼻にタッチして、唇が重なるまであと5ミリ。なのに。
「ダめです・・」
と春樹さんを突き飛ばして。ちらっと横目で見ると、ほら、お母さんが台所の窓からニヤニヤと見てる・・。
「・・・・え・・・・」という顔の春樹さん。
「やめてください・・・」ここではそんなこと・・。
「やめて・・って」
「だから・・お母さんが見てるの・・そっち見ないで」
と言ったのに。春樹さんがチラッと顔を向けると、ほら、お母さんと目が合って、だから、会釈なんかしなくていいのに。
「あーっ・・」と声を上げた春樹さん。
「ナニよ・・どうしたの・・」と聞いたら。
「牛乳買うの忘れた・・」と言った。
牛乳?
「どうしよう・・」どうしようって・・。
どうだっていでしょ、牛乳なんて、それより、もう少しで、あんなに自然体の、あんなにいい雰囲気の、あんなに納得できていた「初めてのキス」が、あと5ミリの所で。だから・・。
「お母さん・・怒るかな?」牛乳の事より・・キスのコト何とか言ってフォローしてよ。と思うのに。
「クリームシチューって言ってたよね?」
だから・・どうして、この角を曲がってから、好きだとか、そういうことは。角を曲がる前に言ってよ、と春樹さんを睨みつけて。
「知りませんよそんなこと・・」
と、また、ムキで意地っ張りな、私ではない私が大きな声で言い返している。
「ほーら、テレビ見ながらもぐもぐしないの、一生懸命に作ったお料理なんだから、上の空で食べるのやめてよ」
と、シカメ顔のお母さんに言われて。
「あ・・うん・・ごめん。今日のカツも美味しいよ」と上の空の言い訳をする、お父さん。
「私に言われてから、そう言っても嬉しくないし」とアナウンサーが男の人に変わった途端にテレビに顔を向けて「ったくもう」モグモグしながらブツブツ言い続けるお母さんの視線がそれた隙に。
「あ・・なぁ・・今日も美味しいよな」
って、私に振らないでよ、と思いながら観察しているお父さんとお母さん。間違いなく、お父さんはお母さんに操縦されている乗り物? いや・・シモベ・・かな。お父さんは、どんな時も絶対にお母さんに逆らわなくて。
「キャベツにマヨネーズかけるの? ドレッシングにする?」
という選択を迫られた時は。
「あっ・・マヨネーズ」とお母さんが手に持っているものを必ず選択するけど。その瞬間に、お母さんはマヨネーズをテーブルに置いて、まったく息が合わないタイミングで、
「あっ・・ドレッシングでもいいよ」とあわてて言い直すから。
「もぉ、どっちかにしてよね」
とドレッシングをかけてるお母さんの機嫌をこれ以上悪くさせないように、自分でマヨネーズに手を伸ばして。
「美樹はどっち?」
と、私に助けを求めているよう。だから・・。
「ドレッシングにする」とお母さんが手にしているものを選択しないと、後が怖い‥ような気がしている。という、いつもの夕食時のこの雰囲気って、こんなだった? と思うけど。私の意識が変わったからこんな風に見えるようになった、というべきかな。お母さんにどんなに言いたい放題言われても、それが幸せそうなお父さんの笑顔は、奈菜江さんに言いたい放題言われても嬉しそうだった慎吾さんのようで。こんなお父さんだけど、「強い男を従えてこそ一流の女よ」と言ってた美里さんの意見も、確かにそんな感じかな。つまり、お母さんって一流の女? ということは、私も春樹さんと結婚したら、春樹さんをこんな風に、・・と自然の成り行きで何かを空想しようとした瞬間、お父さんが私に振り向いて。何も言わずに。
「ニッコリ」
するから、空想したかった何かを何も空想できなくなってしまった。それに。つられて私もニッコリするべきか、お母さんの視線を気にするべきか。そんな判断を迫られて、お母さんがいる左側の頬はそのまま。お父さんがいる右側の頬を・・・って、難しいねコレ。でも、どうしてこんなに雰囲気が急に変わっちゃったんだろう。本当に異世界に迷い込んだ感じもする。そして。
「ご馳走様、美味しかったよ」とお父さんがテーブルを離れた時を狙って。とりあえず、お母さんに言っておかなきゃならないコトを。こんな言葉でわかりやすく正確に。
「お母さん、水曜日に春樹さんがオートバイを停めに来るから」
と打ち明けてみると。黙ったまま、ギロッと私に顔を向けたお母さん。
「え・・春樹さんが来るの? 水曜日? 何しに来るの?」と問い質す。だから
「春樹さん、家に、オートバイ停めさせて欲しいって」と嘘偽りのない説明をしたつもりなのに。
「家にオートバイを停めて何するの?」
だから・・それ以上の説明は・・その・・。
「なにって・・その」つまり、デートするつもりだけど。デートと言うより。
「春樹さん・・一緒に、運動しようかって・・」正直に言ったつもり。だから。
「運動? ってなにそれ?」って、お母さんの顔は、そんなに怖くなってないし、どちらかと言えば笑っていそうたから、もう少し詳しく説明しても大丈夫かな・・。
「だから、水曜日に学校の帰りにアスパのマックスポーツで一緒に運動しようって、アスパからオートバイ押すの重いから、家に停めさせてッて」
「って・・それって・・デート? 春樹さんと」どきっ・・としてしまうよね。相変わらず、核心部分を鋭く突かれると・・。だから・・まぁ・・デート・・と言えば・・デートかもしれないけど。そういうことを、こんなにはっきりと言ってもいいのかどうか。
「だから・・デートと言うより・・運動・・」そう言った方が、罪悪感がない・・いや、これって罪悪感・・なのかな? と考え込むと。
「運動って。スポーツのコト?」
と更に追及するお母さんの顔は・・。私が「・・ともいうかな」そううなずくと。にやぁっとなって。
「へぇぇ、春樹さんが、美樹を誘ったの?」だんだんと緩んで・・「ふーん」と縦に揺れ始めた・・。
「・・まぁ」誘ったというか・・提案されたというか。まだ「ふーん」と揺れているお母さんから視線をうつむかせると。
「で、オートバイを家に停めて、アスパまで歩いて行って、デートして、帰りは一緒に、オテテ繋いで夜道を歩いて帰って来ると」
ほら・・お母さんって、いつも、言わなくてもわかってるし。と思っている私をじぃぃぃっと見つめるお母さんは、もっとニヤニヤし始めて。。
「美樹って、本当に春樹さんと付き合い始めたの?」と、聞かなくても良さそうなことを聞くから。
「えっ・・」まぁ・・どう答えたらいいのかな・・私たち付き合いましょう、とお互いで宣言しあったけど。付き合い始めた・・だなんて。言ってもいいの? と決意をこめようとしたら。ニヤッとしてた顔を、ギュっと真面目に戻して。
「ところで、春樹さん、知美さんとはどうなったの?」だなんて、やっぱりそれを聞くし・・。だから。
「えっ・・」まぁ・・詳しくは知らないけど、上手くいってなさそう。知美さんアメリカに行っちゃってるし・・って顔に書いていないかな・・と思ったら。
「まあいいわ、家に来るなら私から追及するから」なんて・・なにを追及する気・・。
「やめてよ、追及なんて」どんなこと追及する気なのよ。チュッチュしたの・・とか。知美さんとは別れたの・・とか。そんなこと・・。とお母さんの顔を見つめると、考えていること、全部が思っている以上に伝わってしまいそう。でも。
「やめてよって、どうして、美樹のお婿さんになってくれるかもしれない人なんだから、お母さんもプッシュしちゃうわよ。善は急げって、春樹さんもシャンとしない、だらしない、決断しない男の子だからさ、周りからその気にさせてあげないと。美樹もその方がイイでしょ」
って・・周りからその気にさせてあげないと・・って、そんなことを言われたら、また・・
「美樹ちゃん、春樹くんと結婚しなさい」
ってお母さんの顔が藤江のおばさんの顔になって、同じことを言ったような錯覚。その時。
「どうしたの?」とお父さんが戻って来て。お母さんは何のためらいもなく。
「水曜日に春樹さんが来るんだって。あなたからも言ってあげてよね。美樹のコトよろしくねって」だなんて気安すぎる言葉を言い放って。
「えっ・・春樹くん・・来るって、なにしに・・まさか」と一瞬で表情を変えたお父さんは、私をじっと見つめて、まさか・・って、何を考えてるの?
「だから・・」オートバイ停めに来るだけでしょ。と言いたいのに。
「まぁ・・春樹くんならお父さんも反対はしないけど・・」とぼやいているお父さんの悲壮すぎる顔って・・どんな意味があるの?
「それじゃ、水曜日はナニか美味しいもの作ってお迎えしましょ」だなんて、嬉しそうなお母さんと。
「美樹・・あの・・まだ・・」と声が上ずって、うろたえてるお父さんに。
まだ・・ナニよその次って。と思いながら。
「ご馳走様・・だから、春樹さんが水曜日に来るから、ヘンなこと言わないでよね。オートバイ停めるだけだから」
と、その場から逃げ出すことにした・・けど。
「美樹・・もしかして・・春樹君と・・」とお父さんの声が聞こえて。
「その内、そうなって欲しいでしょ。今からでも早くはないわよ、そういう事早めに意識させて、行き遅れないように周りがよいしょしなきゃ」とお母さんの声も聞こえたけど。そうなって欲しいって・・どうなること? 行き遅れるとか、周りがよいしょなんて、そういうことを意識すればするほど息が止まりそうになるし。もうやめてよ、と言いたいのに。
「美樹って、本当に春樹くんと、結婚するのか・・」今度はお父さんの顔までもが、藤江のおばさんの顔に見えて。
「美樹ちゃん、春樹くんと結婚しなさい」
またこのセリフが頭の中で響き始める。うわー、私、このタタリの言葉にノロわれていそう。結婚なんて、考えられないし、だから、まだしないし・・どうしてみんながそう言うのよ。ったく。
「まだだよな・・」というお父さんに。
「まだに決まってるでしょ」と荒く言い捨てて、ノロイから退散して、タタリから遠ざかろう。
そして。一応、お母さんには言いましたから・・と春樹さんにメールして。
「それじゃ、運動できる服と靴を準備して、ボール遊びしてみましょ。水曜日5時半にアスパのマックスポーツで待ち合わせ。6時から30分予約しておくから。7時には帰れると思う。お母さんにもそう言っておいて」
という返事に「わかりました」と答えようとしたら・・。続けて届いたメール。
「それと、これは、あゆみちゃんに教えてあげた物理の問題。美樹も中間テストの準備そろそろ始めなさいよ」
と、添付されてきた問題の解き方をびっしりとカラフルに説明してるノートの写真。そう言えば、そんなこともあったね。あゆみが春樹さんに補習してもらってる話。あーだめだめ、私はこういうこと同時に処理できない。とりあえずはデート・・いや、運動。ボール遊び。だから、勉強なんてできる気がしないし。今この瞬間も、ちょっと気を抜くと・・。あーまた。「美樹ちゃん、春樹くんと結婚しなさい」と藤江のおばさんの逆らうことのできない笑顔と声が響き始める。はぁぁぁぁ、気が狂いそう・・どうしたら、この、ノロイの言葉が聞こえなくなるのだろう?
そして、水曜日。いつもの教室で携帯電話を広げて春樹さんが言っていた「スカッシュ」なるものを検索して予習していると。
「美樹って、今度はナニを始める気?」
とまた、後ろから覗き込むあゆみの一言に。仕方なく画面を見せながら。
「うん・・春樹さんが運動しようって言うから、予習してる」と説明したら。
あゆみは動画を見ながら。
「運動・・予習・・ってそれってスカッシュって言うんでしょ」と答えてくれるから。
「そうだけど、壁に向かってボールを打ち合って、ナニが楽しいのコレ?」と聞いてみたら。いつも通りに横から弥生が冷めたトーンで。
「さぁ・・楽しい人には楽しいんでしょ」まぁ、それは、もっともな意見・・。
だから、私も冷めた気持ちで。
「なにが楽しいのかなこんなの、やってみないと解らないのかな」と答えて。
私、ボール遊びなんてしたことないし。と、ため息つくと。
「まぁ、やってみないと・・って言うより、そもそも、美樹って運動したことあるの?」
そんな、素朴すぎるあゆみの一言に。あっ・・そうだ。それよそれ、と思ってしまう。体育の授業くらいでしか体を動かしたことがない私にとって、運動・・なんて。確かに、そんな部分から不安を感じなければならないのかとも気付いて。
「春樹さんって、そう言えば、プールで会った水着のとき、結構いい体格してたよね、背も高いし、がっしりと筋肉質で力強そうで、いや、力強かったし、お姫様抱っこされたしさ、あーアレって水の中だったからかな? 片腕に一人ずつお姫様抱っこされて・・春樹さんって実はブリバリスポーツマン?」
ブリバリスポーツマン? ってナニ・・というより、いつの話し思い出してるのよと思うあゆみの声に。
「スポーツマンと言うか、確かに片腕に一人ずつお姫様抱っこって・・あの時は、あゆみが無理やりしがみついてただけでしょ」
と、弥生もあの時の事を思い出したようで。
「ねぇ」だなんて、二人で私を見つめないでよ。それに、お姫様抱っこなんて、と思い出すより先に、確か私も、「丸太運ぶみたいにひょいっと」担がれて・・お店のみんな、優子さんだったかな・・にそう言われたよね、記憶にないアノ日の出来事、お店で倒れちゃったとき。だから、春樹さん、力強くて。
「ブリバリスポーツマン・・・」とつぶやいたら。
「うん、本当はさ、普段あんなに爽やかそうな人だけど、実は」とまたあゆみが笑いながら私をからかいそうな言葉を用意してる。私はこれ以上聞きたくないのに。
「実は・・ナニ?」と弥生が聞きただすから。
「ゼーはーゼーはー、気合いだ、根性だ、汗の臭いがナンダ、暑苦しいのがナンダー・・」あゆみがそうふざけて。
「うわー・・汗臭くて暑苦しいのイヤぁー」と弥生がのけぞった。そして。
「だったらどうする?」とあゆみが私に聞くけど。
そんなこと、どんなに頑張っても空想できませんよ・・なによ・・気合いとか根性とか汗臭いとか暑苦しいとか・・ってリピートしたら、暑苦しい春樹さんを空想できてしまいそうだけど。
「でも、私は暑苦しいのはイヤだけど・・ラグビー選手とかは好きだな」と弥生。ラグビー選手? ってどんなの? それに。
「えーそぉ? 私はラグビー選手より、スケートのゆず君かな」
とあゆみが言うゆず君って誰?
「まぁどっちにしても、男の子はさ、スポーツ選手っぽい方がイイかなって思うよね」
弥生はそうなのね、スポーツ選手か・・そんなことを空想してみると。確かに・・強い男を従えてこそ一流のオンナよ・・ってどうして美里さんの声がこのタイミングで聞こえるの・・。強い男ってスポーツ選手のコト? と言う気がしたその時。
「でもさ、思うけど、春樹さんとなら、何やっても楽しいんじゃないの、美樹って」
とあゆみが フフン と言い放った一言に。
「あっ・・」そうか・・そこに気づかなかったのはナゼ? 確かに、春樹さんと一緒に何かするって・・初めて・・いや、水族館デート以来。でも、デートとは違うよね。運動って・・と何かを空想しようとしたら、なんだか顔がにやけてきそう。なのに。
「でもさ、運動って言ったの? 春樹さん」と聞くのはあゆみ。
「うん、運動しようって」と返して、何かヘンかな? と思ったら。
「スポーツじゃなくて」と聞き返すあゆみに思うこと。確かに「スポーツ」ではなかった・・物理の勉強を兼ねた運動・・って言ったかな? あの時。だから。
「うん、スポーツじゃなくて、運動しようかって。物理の勉強を兼ねて・・」と答えたら。
「物理の勉強ぉ?」と視線を右上に向けるあゆみが気になるから。
「ナニ・・ナニかヘン?」と聞いた。すると。
「うん・・こないだマックで、春樹さん振り子の実験してくれたじゃん、あの時の春樹さんって雰囲気がなんとなく違ってたような。ということを思い出してるの。どうして?」
どうしてって・・どうしてそんなことを思い出すのかな? どんな関連? というべきか。だから。
「まぁ、確かに・・先生みたいな話し方で熱くなってたね、あの時。でも、それと、運動がどうつながるの?」と聞くと。
「どうつながると言われると、どうつながるのだろう・・春樹さんって、運動方程式が、とかって言い出して、何人たりとも逆らえない物理法則、とか言いながら熱くなってたような・・だから、本当はどんな人なのかなって・・今、私の中で妙に引っかかってる」
「妙に引っかかってる・・どんな人なのかな」そう言えば、熱くなってたような・・と思い出すけど、同時に、そう言われてみれば、私も春樹さんのコトは、よく知らないと言えばよく知らないことにも気づいて。私って春樹さんのコト他にナニか知ってる? と自分に聞こうとしたら。
「あーアレよアレ」と私に指を差したあゆみが。目を開ききって、何かを思い出した。だから。
「ナニが、アレ?」と私も目を開いて聞いてみると。
「私、春樹さんに試験勉強メールで教えてもらったの。美樹が許可してくれたから、一日2問くらい。ここ最近毎日」
そう言えば、昨日も春樹さんからそんなメールが来てたね。でも。
「毎日・・?」と、妙に不安な気持ちになる。それって。するとニヤッとしたあゆみが。
「うん・・いいでしょ・・本当に試験勉強だけだから一日2問。それ以外は何もしていないから」というから。
「うん」と返事するけど、いいのかな。と思ったら。
「えぇ~春樹さん個別授業してくれるの? それってずるくない、私にも回してよ、イイでしょ」なんて弥生も、私にそんなこと言うから。
「うん・・まぁ」と返事するしかないか。そしたら。あゆみが。
「でね、春樹さんに教えてくださいってメールすると、国語とか歴史とか文系の問題だと、答えが一行とか一言で返ってくるのだけど、数学とか物理とかになると、ほら」
と見せてくれた携帯電話の画面・・。私も昨日チラッと見た、あの、びっしり書かれたカラフルなノートの写真・・。をもう一度マジマジと見つめて。
「うーわ・・ナニコレ」と弥生が小さく叫んだことに、私も叫びそうになったのは、物理の問題をこんなに手書きの1ページに絵とか文字とか記号とか・・方程式とかが・・びっしり。
「パッと見た感じ、混乱の極みのような、ピカソっぽい落書きのようにも見えるけど。この番号に沿って、順番通りに最初から読むと、無茶苦茶わかるのよコレ。運動エネルギーとか質量とか速度とか重力加速度とか。ちなみにこれは、質量小mの小物体を乗せた質量大Mの台がばねにぶつかって止まる時の問題。速度がいくらで小mの物体が滑り出すとかさ、最大摩擦力とか慣性力とかばね定数とか接地面積とか、なんたらかんたらのちんぷんかんぷんな問題だけどさ。文章をしっかり読みながらこんな文章通りの絵を描いてみる。大Mの台、小mの物体、ばねにぶつかって止まる。ことを動画で空想しながら」
と一緒になって拡大された画面を見ると、空想力を発揮して、文章をこんな風にビジュアル化しよう。次に、定数とか方程式は必ず覚えるコト。何人たりとも逆らってはいけない物理法則。とか蛍光ペンで、・・春樹さんって、あゆみとこんなやりとりしてたんだ。確かに許可はしたけど。ってさっきも思ったけど。春樹さんからの報告は・・。あったかな・・ちらっとだけ・・だったよね、と、チラッとだけだったことに、イラっとした感情が湧きたったと思ったら。
「あっ、美樹ってば、ムッとしたでしょ今」なんて、突然、弥生が私を観察しながら言う。
「えっ、してないわよ」と反射的に言い返したら、私自身、ㇺっとした自覚があったけど。
「あー、美樹って、あゆみと春樹さんがこんな仲になってること知らなかったんだ」
こんな仲って言われたら、まさに今の私の気持ちを私より先に言葉にする弥生。確かに、知らなかったと言えば知らなかったけど、あゆみと春樹さんがこんな仲? だなんて、そんなこと・・別に気にすることではないと強気で思うから。
「違うし‥そんなじゃない・・」ことはないのだけど。それ以外の言葉、今のこの感情をどう表現するべきなのか、まったく思いつかなくて。あゆみが。
「えぇ~・・春樹さんって、美樹に言ってないの、私がこんなことしてるって」
と聞くけど。いや・・春樹さんからは聞いてた。でも、ほんの少しの事だと思ってたのに。こんなに詳しい試験勉強、私にしてくれた時より丁寧に見える手書きノートだなんて。
「美樹って春樹さんと付き合ってるから安心して聞けていたのに、そうじゃないなら・・」
ないなら? って? ナニ? とニヤつくあゆみを見つめたら。
「春樹さんって、もしかして、私にも気がありそう?」
ぷるん・・なんて大きな胸を張って言う。でも。あるわけないでしょ・・と声にできないのは、不安過ぎて、言いきれない? から?
「私にこんなに親切にしてくれてること、美樹に内緒だったの? もしかして」
内緒だった? いや・・違うでしょ・・別に報告するほどのことでも・・いや・・報告は受けてたと思う・・けど・・こんなに親しくしてるとは・・いや・・春樹さんのコトだから、軽い報告で私に全部通じてると思ってた? 「あの子ニブイのよ」と言ったのは知美さんだし。って、なんで知美さんが出てくる? 「あんな男のどこがイイの?」って言ったのは美里さんでしょ・・えっ・・どっち? あー私、また、混乱し始めてる。思考回路がパチパチ音を立ててパニックになりかけたら。
「で・で・なんの話してたんだっけ・・春樹さんがあゆみに親切にしてる話?」
と弥生が軌道修正してくれて。
「あーそーそーそー。物理と運動の話しよ」とあゆみ。
「物理と運動の話し・・だっけ? スカッシュじゃなかった?」と弥生。
「スカッシュという運動と、物理の勉強を兼ねてする・・という話だったよね。ね」とあゆみは私に顔を向けて。私は何も言えずに。
「あーそっだったね、それが、その試験勉強とどう関係するの?」と言う弥生に顔を向けて。キョロキョロしてしまう。するとあゆみは。
「試験勉強というより、そのなんてゆうか、春樹さんって、だから、物理オタクなんじゃないの?」
と顔を寄せながら言って、ゴクリと唾を飲みこんだ。
「物理・・オタク?」と私が聞き返すと。
「ほら、マックでさ、振り子の実験しながら、福山雅治みたいとかって盛り上がったでしょ。ありえない・・キターとかって」
確かに、遥さんとか美晴さんとかがいて盛り上がってたね。ジャジャジャジャーンとかって。そのことは私も覚えているけど。だから・・ナニ?
「つまり、春樹さんって、あんな人なんじゃないの・・という話ヨ」
「あんな人?」と聞き返すと、あゆみが顔を近づけて、声がだんだん、ひそひそ話調になってゆく・・。
「あんな人、つまり、福山雅治がドラマでしてた役。湯川先生よ。僕は、物理の理論に興味があるのであって、カワイイ女の子に興味があるわけではない」
えっ・・。ナニソレ?
「春樹さんって、こんな風に物理の問題を解くことに興味があるわけで、実は、女の子に興味なんてないんじゃないかなって、私のカン」
とびっしり書かれたノートを指さしながら。あゆみが真剣な顔をすると。
「じゃ・・美樹の事は・・」と弥生がもっと小さな声でそう言ってから私に振り向いた。
「物理を教えてあげられるなら誰でもいいのよ。春樹さんは、こんな風に物理を教えてあげることに情熱を注げればいい・・ぶ・つ・り・オ・タ・ク・・なのよ。突然ヘンな数式とか書き出したりしない? どぉなの?」
えぇ~、どうして、背筋に悪寒が走るの? スウシキってなに?
「なーによ・・そのオチ」と弥生は顔を遠ざけながら笑うけど。私は、もしそうだったら・・あゆみの推理が正しかったらどうしようと本気になっているかもしれない。
「えぇーそんな感じしない? コノびっしり書かれたノート、普通じゃないでしょコレ」
あゆみがまだ言ってるから。でも・・。弥生の。
「まぁ・普通じゃないかもしれないけど、春樹さんって優しいから、ひときわ丁寧にしてくれてるだけじゃないの?」と言う意見の、春樹さんが優しいから、の部分にすがりたくなった私は。「どうして? ひときわ丁寧って、どうして? ひときわ丁寧なの」と弥生の言葉を、心の中で2回繰り返してる。すると。
「だから、あゆみが美樹の友達だからでしょ」と弥生は素な顔で言う。
「私が美樹の友達だから・・?」あゆみが私の友達だから・・。ポロン・・と琴の音がした。あ・・それだ、そういうことだ・・と、神様の声が聞こえた? いや、ただ気付いただけかな。確かに「こういう場所では美樹ちゃんの友達を優先します。美樹の彼氏って優しくてイイ人ねって言われたいし」ということだよね・・この話。そう思うと。なんだ・・そういう・・どうでもいい話だったのか・・と、ようやく気づけて、胸を撫で下ろせたのかもしれない。なのに。
「だから、スカッシュも、ボール遊びをしたいのではなくて、美樹に物理を教えてあげたいってことが優先順位高いとかさ」とあゆみはまだ言っていて。
「あー、それは、そう言われると、そうかもしれないね」とどうして弥生はココで相槌を打つの。また心が揺らいでくるでしょ。だから。
「それは、そうかもしれないって?」と聞いてしまったら。素な顔のままの弥生が。
「美樹とどうこうしたのではなくて、春樹さんはスカッシュを題材にした物理を教えてあげたい。美樹の気を引きたいのではなくて、ただ、物理をくどくどと喋りたい人なのよ」
と、やたらと説得力のあることを言うから。
「だったらどうする・・うーわー・・ぶ・つ・り・お・た・く・・こわーい。いゃぁぁぁ。道路にヘンな数式書かないで」
あゆみも調子に乗ってそんなことを言うから。
「そんなこと・・」ないとも言えないような・・思い当たる節がチラリ・・あるから。
今度は、本当はそうなのかもしれないという気持ちがブクブクと泡立ち始めて。
「だからさ、春樹さんって、この問題わからないんです、教えてくださいって迫ると、美樹をほったらかして。んっ、しかたないなぁ、こっちにオイデ、優しくナデナデしながら教えてあげるよ」
って低い声で一人勝手にしゃべり始めるあゆみに。
「優しく教えてください、抱きついてもいいですか」
と弥生が調子に乗り始めて。弥生に抱きつかれたあゆみがもっと調子に乗って。
「うん・・いいよ・・抱きつく時の力をF、弥生ちゃんのおっぱいの弾力がP、ナデナデする回数をNとした時、春樹さんの気持ちは、FかけるNかける、うれPぃー・・・」
なんて言ったら。
「自分で言ってて恥ずかしいでしょ」と弥生があゆみから離れながら呆れてる。
「ちょっとね・・くくくく」と笑うあゆみと。
「ぷぷぷぷぷぷぷ」と笑う弥生が。二人同時に。
「あーそんなことしていそうな美樹の事がうらやましいよ。もしかして、今日の帰りにスカッシュするの? アレってこのヘンだと、マックスポーツ」と指を差し合って。
「あーマックスポーツでできるよね、スカッシュ」と私にもう一度指を差しながら。
「ふらふらっと行ってみようかな・・」にやぁっするあゆみと。
「しれぇ~っと・・行こっか」くすくす笑う弥生。
と二人して、私をこんなにからかうだなんて・・また邪魔しに来るの・・と思うと泣きたいかも。だから、顔が歪んで・・。
「あー、美樹がまたイジケタ。もぉぉ、ちょっとからかっただけでしょ、はいはいもぉ、そんな顔しないでよ。邪魔なんてしないから、二人で楽しんできてよ。ねぇ」と弥生は笑って。
「あー、でも、うらやましいよね、男の子とボール遊びなんて」とあゆみが本当にうらやましそうな声で言う。そして。弥生も。
「うらやましいよね、私ボール遊びなんてしたことないし」
「そうよね・・ボール遊びか・・」
と二人して、私を湿っぽく見つめて。
「ボール遊び・・」と繰り返すあゆみと・・。
「それって言い方変えるとアレよね」といやらしい笑い方し始めた弥生。
「うん・・私も今そう思った」
「ぷぷぷぷっ」
「くっくっくっく」
「なによ・・何が可笑しいの?」
「言っちゃうと乙女心が傷ついちゃうかもしれないから言わない」
「言わない・・言っちゃダメ」
と二人で顔を見合って、ぷぷぷぷーっと笑っていて。分けわからないままでいると。
「この中で美樹が一番ノリだなんて、信じられないね」と弥生がまじめにつぶやいて。
「何が一番ノリ?」と聞くと。
「男の子とボール遊び・・」と答えてくれたけど。まだわけわからない。
「一番乗り・・って・・」と聞いたら。。
「一番乗りでしょ。もぉぉ、そんなイジケタ顔しないでよ」とあゆみもわけわからないことを言ってる。
「ねぇ、愛のキャッチボール・・私もしたい・・今度春樹さんにお願いしよう。私もしたいですって。で、で、運動した後は、疲れたでしょ、マッサージでもしてあげようか」
「はい、お願いします」
「もみもみもみもみ」
「あんあんあんあん」
「ってなっちゃうよね、普通は」
「あーいいなーいいなーいいなー。そういう成り行きって憧れるよね」
「憧れるぅ~自然と導かれてゆく・・愛・・そのまま美樹は春樹さんのボールをコロコロ」
「あゆみってば、それ以上言っちゃダメでしょ」
と、二人に、からかわれるがまま、「そのまま私は春樹さんのボール・・」と同じことを・・つまり・・自然と導かれてゆく私たちがたどり着く「愛」という終着駅で「美樹、許して、気持ちを抑えられない」なんてあの日の春樹さんの声が、そして、私は自動的にそれからのアレを空想しようとしていることに気付いて・・なぜか春樹さんのぷらんぷらんしてたアレ・・ボール? たまたま・・を思い出したら・・。内腿がムズムズして・・だから。
「やめてよ・・」と言えずにいたら、チャイムが鳴り始めて・・また、退屈な授業が始まった。でも。スカッシュだなんて・・愛のキャッチボールか・・それに・・物理オタク・・確かに、春樹さん、いつか私にキャパシティがどうのこうのと言うナニか難しい話をくどくどと・・したよね。どうしよう・・春樹さん、私とイチャイチャしたいのではなくて、物理の講義をしたいのかな・・あゆみが変なこと言うから・・またそんな邪念が渦巻き始めてる。それに・・。授業に集中しようとすると・・。
「愛」という終着駅・・に待ち構えているのは。春樹さんではなくて・・どうして。
「美樹ちゃん、春樹くんと結婚しなさい」という藤江のおばさんの笑顔がムクムク。
「オテテ繋いで夜道を歩いて帰って来ると」とお母さんの顔もモヤモヤ。
「美樹・・春樹くんと本当に・・」と言ってたお父さんの悲壮な表情がヒシヒシ。
「周りがよいしょしなきゃ」と言ってたお母さん・・どうしてそんなにニヤニヤするの?
「美樹ちゃんは春樹とくっついてバラ色の膨らみ過ぎた飛行船に乗って順風満帆の人生を歩めばいいんだよ。なっ」って、うわぁ・・チーフまでもがネチネチと出てきた。
もうダメ。邪念がさらなる邪念を呼び起こして・・。あー・・暴風雨が吹き荒れている頭をガシガシしたいけど・・ヘンなことして先生に当てられても困るから・・とりあえずは、じっと我慢しよう・・平静を装って・・そうしよう・・あー授業なんて何も頭に入らないよ。
そして、とりあえず無難に学校が終わって・・。自転車置き場で帰り支度してると。
「あー、美樹も来る? マックで試験勉強しよってあゆみが言ってるけど」
と私を誘ってくれたのは、相変わらず長い髪がとてもきれいな遥さん。でも。
「美樹はこれから大事な大事な用事があるんだって」とあゆみが割り込んできて。
「ねぇー」と嫌味っぽくニヤニヤと強調するから。
「ねぇーって、用事・・大事な大事な・・まさか・・もしかして・・あの春樹さんと」
と、指ささないで・・でも、どうしても、そう連想しちゃうのね・・と思うしかないか・・。とため息吐いて。何も言い返せないでいると。
「そういうこと。ねぇ・・あーうらやましいったらありゃしない」とあゆみがナニか根に持っていそうな言い回しで。
「いいな いいな いいなー。あんな彼氏がいる人は」と遥さんまでもが歪んだ顔してるし。
「ホントそれ、あーあ、お幸せにね。女の友情って儚いよね・・」
って、あゆみ、それって私に言ったの? それに、お幸せに、の前の、あーあ・・ってナニよ・・と思うけど。
「春樹さんによろしくね、また、マックに連れてきてよ・・」
と今はニコニコしてる遥さんに。「うん・・まぁ・・」とまた曖昧な返事をしながら二人を見送る私。「じゃぁまた明日ね」と言ってくれる二人に手を振りながら、とりあえず、一難去ったかな・・とため息ついてから自転車に乗って、アスパの隣のマックスポーツを目指す決意をして。その前に、携帯電話を取り出すと、春樹さんからのメッセージは何もない。そろそろ家に来てるころかな・・。お母さんに何か言われている頃・・ともいえるのかな? 何か言われてたらどうしよう・・。追及・・私とどこまで進んだの? ちゅうとかしちゃったの? 結婚するつもり? とか言われたら・・春樹さんのコトだから・・あのお母さんにヘンなことを素直に答えそうだし・・あーもぉ、どうしてこんなモヤモヤと不安な気持ちが湧きたってくるのだろう。彼氏ができたら本当はこうなの? 何かこう、恋ってお花畑をスキップすることだと、ずっと思っていたのに、そんな空想とか想像とは全然違う、遠くから真っ黒な雲がイナズマのようなみんなのひそひそ話を「美樹の彼氏ってね、美樹の彼氏ってさ、美樹の彼氏ってあれよ、美樹の彼氏ってそうなの」なんて轟かせながら、今の私の感情を邪念が覆いつくしてゆくこの気持ち、雲の切れ目から朝日が差し込まないかと、もう一度携帯電話を広げさせるけど・・。何も変化はなくて。だから、泣いてしまいそうな気分で・・。
「春樹さん、今どこにいますか?」
とメールしても・・すぐに返事がこない・・。どうしていつも、返事してほしいときにしてくれないのよ。とため息吐いてから、携帯電話を鞄に仕舞って、仕方ないから、もやもやとした雷雲を引きずったまま、自転車をゆっくりと漕いでマックスポーツに向かうことにした。
そして、モヤモヤしたまま、いつの間にか到着。自転車置き場に自転車を置いて、どうしても気になるのは、誰もついてこないよね・・あゆみとか・・誰もいないよね・・遥さんとか・・弥生には からかわれても いいかもしれないけど・・本当に誰もいないよね・・。と何度も呪文を唱えながらキョロキョロと周りを見渡しながら、学校の制服着てる娘が誰もいないのを確かめて、そぉっと角から覗くとマックスポーツの入口・・の端の方に、あっ・・あんなところに、いつもと同じ衣装の春樹さんが立っていて、携帯電話をモジモジしている。これは私のメッセージを見て、すぐに返事をくれそうな気配かも。という気持ちがして、それ以上に私は春樹さんを見つけたけど、春樹さんはまだ私に気付いていない、そう感じたら、なぜか、うししししし・・という気分になってる私。でも、見つからないように身をかがめて、携帯電話を握りしめているのに、何の音沙汰もない。そのまま春樹さんを観察していると、携帯電話を腰のポーチにしまって、肩にかけてる鞄をよいしょして右を見て左を見るから私は陰に隠れて、でも・・私に返事したんじゃないの? と、握りしめた携帯電話を見つめても何も反応がなくて・・だから、どうして私に返事しないのよ・・。と念じながら陰から顔を出した瞬間・・あっと目が合った・・まるで・・いつもの、あの、何かが繋がったような感触・・これってもしかして、本当にレーザービーム・・いや、テレパシー? そんなことを感じながら、私を見つけてニコッとする春樹さんに、もう一度目だけでキョロキョロと周囲を点検すると、制服の娘は誰もいなくて。つまり、今日は私を邪魔するものが何もない。本当にプライベートな二人だけの時間? ということだよね。春樹さんの優しい笑顔にその実感を感じ始めたら、さっきまで頭の中いっぱいだった雷雲が、いつの間にか真っ青に晴れ渡っている。そして、嬉しい気持ちが千年に一度の日の出のように昇り始めて、顔が笑ってしまう。そんな私につられて春樹さんも、もっとニコニコするから。私も抑えきれない感情がうわーっと溢れて。くっくっくっとお腹の底から噴き出してしまう・・その・・この、嬉しすぎる気持ち。顔がほころび過ぎて、笑顔を作る筋肉が突っ張りすぎて痛いけど、そんなことはどうでもいいかな、駆け出したい気持ちに素直に従って、少し小走りに春樹さんに駆け寄って。正面から顔を見上げながら。わざとらしく。
「待ちましたか?」と可愛い仕草で聞いてみると。
「今来たところだよ」と私が見てたこと全く気にしてない返事をするから。
「うそ・・ちょっと待ってたくせに、私見てました」と、いじわるに言ってみると。
「まぁ、ちょっとだけ、待ったかな」と、嬉しそうに訂正してる春樹さんの笑顔・・にもう一言ナニか言いたい・・のに。私は、その次、どうしていいのか・・嬉しい気持ちに推されて、ナニを言いたいのか言葉が出てこなくて、立ちすくむ。けど、顔は力いっぱい笑ったままで。
「どうしたの、そんなに嬉しそうな顔して」と聞く春樹さんが。「本当にカワイイ」と言いながら、私の頭をナデナデ。そして。
「ホントは、もっと待っていたかった」
と、私の顔を柔らかい力でぎゅっと胸に抱きしめた春樹さん・・えぇ~急に何するの? と思うより先にあふれたのは。私・・今・・子供のころから何度も夢に見た、この、恋した人の胸に優しくぎゅっと抱かれるシーンが現実になってる? 私、今、本当に春樹さんの彼女になってる? 春樹さんの胸に押し付けている鼻が嗅いでいるこの匂いと一緒に、私、今、春樹さんの恋人になってる、そんなものすごい実感をさらにもっとすごい現実にするかのように。髪にチュッとしながら。
「会いたかった」なんてつぶやいてる春樹さんに。
私、あの、どうすればイイ? ナニを言えばいい? そんなことを考えながら、私の頭を柔らかくナデナデしている春樹さんの腕の中から顔を上げたら、急に真面目な表情になる春樹さんは。恥ずかしそうにハニカミながら。
「・・よ」と続けてつぶやいて。私をナデナデしてる手を、恥ずかしそうな仕草で降ろした。春樹さんのその、私から視線を反らせる見たことのないぎこちない雰囲気が、どういう雰囲気なのか解った気がした・・つまり、春樹さんって今、もしかして私に「キュン」としたでしょ? そう思うとなぜか春樹さんの怯えていそうな顔がおかしくて、反らせる視線を追いかけると、もっと恥ずかしそうに視線を合わせようとしないから、それが、笑いのツボをツンツンと刺激して。私は。
「くっ・・くくくくく・・くっくっ」
と笑ってしまったら。吐く息を私の顔に吹きかけながら。
「・・はぁぁぁ・・その笑顔を見たかった・・本当にカワイイ・・」
そうはっきりとつぶやく春樹さんに・・私・・頭の中・・真っ白かもしれない。立っていられなくなりそうな今、おかしくて笑っているのに、ジーンとする感動に感激して気絶しそう、私の事を「本当にカワイイ」とつぶやく春樹さんの優しい声、恥ずかしそうな仕草、それに私のこの感情って、ナニ? 私、今、優しさに包まれてる? そんな感じ? その・・あの・・だから。二回深呼吸して。
「私も・・」落ち着いて・・言ってもいいでしょ・・私も・・。
「んっ?・・私も」うん・・聞き返してくれるから、言えそう。
「会いたかった・・」そう言ってから、コレはからかうつもりで付け足したこと。「・・ょ」
そう言って、ぷぷぷぷって笑ってしまうのは、春樹さんが、私にからかわれたことを解っていそうな表情をするから。
「ちっ・・もう・・」とつぶやいて。だからもう一度しつこく。
「・・・・よ、だって。・・よ・・くっくっくっ」とからかうと。
「うるさい・・俺だって恥ずかしいんだから」と顔を背けて。
「ナニが恥ずかしいのよ」と背けた顔をのぞきこんだら。
「今、美樹の事を心の底からカワイイと・・言ってしまったことが恥ずかしいの」
ってどういう意味・・。というか、そんなこと言われたら、私も照れくさい・・ことが・・恥ずかしいの? かな。だから。
「なによそれ」と言いながら、春樹さんは本当に恥ずかしそうにしてるから、カワイイと言ってくれて私は嬉しいですけど、そんなこと言われて、どうして私も恥ずかしいの? という追及が私自身にもできなくて。
「あーうるさい」と、私から視線を反らせる春樹さんは、はぁーっと息を吐いた途端に、無理やり、いつもの春樹さんに戻ったかのように。
「で、運動できる用意はいいかな、服とか靴とか」と聞く。
「はい、持ってきました体操服」と返事する私も、ほっと息を吐いたらいつもの私に戻れたようで。でも。
「体操服・・」と一瞬止まった春樹さん。えっ? て顔してるから。
「ダメですか?」と思わず聞いたけど。
「いや・・まぁ、それじゃ、行ってみようか」といつものように優しく背中を押してくれて。
「はい、行ってみましょう」と返事しながら、その扉をくぐると。そこは、見たことも聞いたこともないような光景というか、機械の上を走っていたり、重そうなものを上げたり下げたり、壁をよじ登っている人もいれば、自転車みたいなものを漕いでる人もいて。その向こうで舟を漕いでる人たちもいる。
「こういうところは初めてでしょ、これがスポーツジム」という説明に。
「はい」と返事したけど。私にとっては、まったくの異世界・・。ぜーはーぜーは―とあちこちから息づかいだけが聞こえるような、そんなにぜーはーと息を切らせて何してるの? と思いつつもみんなの真剣な表情はなぜか楽しそう。だけど、よく見るとみんな汗びっしょりで、暑苦しそうで、汗臭そうで、気合いとか、根性とか・・私にはムリ・・な気持ちがムクムクしてくるかも。そんな立ちすくんでいる私に。
「あそこに更衣室があるから着替えておいで、そこの自動販売機の前で待ってるからね」
「はい・・」そう言われるがままに。別れて更衣室に入って。とりあえず注意書き・・ご自由に開いてるところを使ってカギは自分で持つのか・・。と開いてるロッカーを開けて、周りをキョロキョロすると水着のようなくびれたウエスト剥き出しの衣装を着た、手足がすらりと伸びる細身のお姉さんばかり。みんなスタイルいいね、と見とれていたら。
「こんにちは、隣、いいかな」と唐突に挨拶しながら隣のロッカーを開けたお姉さんにぎこちなく。
「こんにちは、あ・・どうぞ」と言ってみる。このお姉さんも、細身だけど近くで見ると腕も足もモリモリした筋肉がすごいかも・・。それに、シャツをさっと脱いだら、ピチピチの水着のような下着のようなウェア、剥き出しのおへそ、背中のX。ウエストのくびれ、お腹の段々畑? を強調していそうな。小さめのお尻のラインも無茶苦茶滑らか。綺麗と言うより・・カッコイイ・・。と見入ってしまっていたら。
「私に何かついてる? お尻が破けてるとか?」とお尻をチェックしてるお姉さん。
「えっ・・いえ・・あの」と気付いて。あの・・その。
「そんなにじろじろ見られると気になるでしょ」
とお姉さんはニコニコと私に話しかけてくれて。でも、確かにこんな女の人を初めて見る気持ちで見とれていたから。
「あの・・ごめんなさい・・」と慌てて言ってから。私も着替えようと鞄から体操服を出して、制服を脱ごうとしたら。
「あやまることはないけど・・高校生? 一人?」と聞かれて。
「はい、高校生です17歳です。それと・・あの」
「あの?」
「彼氏と一緒に来ました」
なんてことは余計な一言かな? と一瞬思ったけど。ついつい言ってみたくなったというか。まぁ、彼氏と来てるんだし・・。
「あっそう、カレシとね、どんな人なのかな? 私ミホって言うの。あなたは」
「あ・・美樹と言います」
「ミキちゃん、可愛いわね、それ、カレシの趣味?」
「えっ・・」彼氏の趣味って何かな?
「それって学校の体操服でしょ」
「はい」それがどうかしましたか?
「あぁー、彼氏って同級生?」同級生? 彼氏がですか?
何のことかわからないまま、曖昧にうなずいているうちに。
「ふぅぅん、それじゃね」
と素敵な笑顔で先に言ってしまったミホさんを目で追うと。髪を後ろに束ねながら歩いてゆく後姿がむちゃくちゃかっこいいというか。頭をぎゅぅっと左に押して右に押して、手足を伸ばしながらひねったり跳ねたりしながら屈伸して、太ももを伸ばして、立ち止まって壁を押してから、また太ももを振り上げて飛び跳ねながら腰を捻って歩いてゆく。そのボディーラインぴちぴちの衣装のプリンプリンしてるお尻のシルエットが綺麗と言うか。筋肉質の手足のモリモリした曲線が魅力的というか。体操服に着替えた私と見比べると。
「ぷにぷに・・」とお腹のお肉を摘まんでも自然と出てしまう効果音。そう言えばミホさんのお腹って男の人みたいに凸凹してたよね。大きな鏡にむかって自分自身の後姿を見てみると・・。なんか違うし。って思い込み過ぎるとまた春樹さんを待たせてしまいそうだから、ロッカーの扉を閉めてカギをもって外に出て、自動販売機の前、やっぱり春樹さんがもう待っていて。両方の手に大きなラケットって名前かなアレ。そう思いながら慌てて走り寄って。
「ごめんなさい、待ちましたか」と言ってみると。
「うん、少し・・」とニコニコしている。それに、初めて見る運動できる服の春樹さんって、プールで水着の時はこんな風に観察する余裕がなかったからよく覚えていないけど。短めのシャツやズボンから延びる腕も足も、さっきのミホさんよりもっとモリモリとしていて。あゆみが言ってたように、これが、がっしりなブリバリスポーツマン? なのかな。そんなことを考えながら顔を上げると、春樹さんは私をジロジロと舐めるように眺めて。だから。
「こんなのしかないから、運動できる服、靴も」と手を広げて「ダメですか?」と聞いてみながら、一回転・・は、する必要なかったかな?
「はいはい、そういう衣装も新鮮でいいね。という気持ち」とニヤッと笑う春樹さんを見ながら。それ・・カレシの趣味? と聞いたさっきのミホさんを思い出して。でも、ナニも違和感はないし・・。あっ、そんなことより。
「あの、それと・・」急に思い出したさっき聞かなかった気になること。
「それと・・ナニ?」
「あの、お母さん何か言いましたか? 家にオートバイ止めたんでしょ」そう聞いたら。
「うん・・いや・・別に何も言われてないよ」と普通の返事。
「ホントにお母さん何も言いませんでしたか?」私の事とか、知美さんの事とか、将来の事とか? と、どうしてこんな場面で不安が溢れてくるのかな。
「あー・・」とナニか思い出した春樹さんにドキッとしてしまう。やっぱり何か言ったの?
「牛乳買ってきてッて・・今夜はクリームシチュー作るからって言ってたかな」
牛乳・・? よりも・・。
「クリームシチュー・・」なんて、お母さん、作ったことあるの? 記憶にない料理じゃないかな? クリームシチューなんて・・。
「お母さん、食べていくんでしょ、って言うから。はいご馳走になりますって言った。晩御飯楽しみだね」
と笑っている春樹さんに。なぜか不安な予感がモヤモヤし始める。けど。
「まぁ、晩御飯の心配より、今はこっち、これがスカッシュのラケットとボール、そろそろ予約してる時間だからボール遊びを物理の講義を兼ねて楽しもう」
とまた、私の背中を優しく押す春樹さんに招かれるままに。とりあえず不安な気持ちを置いといて。
「はい・・」と返事したら、妙な緊張感が走るような。春樹さんがスタッフに会釈してから、ガラス張りの大きな部屋の扉を開けて。
「どうぞ、はいって」
と言われるままに部屋に入ると、こんなに天井の高い広すぎる部屋もまさに異世界のよう。
「はい、それじゃ、とりあえず、理屈から入るからね。いい?」と聞く春樹さんに。
「えっ・・うん」と仕方のない返事をしたら。
「これがボール、ラケットでエイっと打つと、ラケットから運動エネルギーを貰ったボールは重力や空気抵抗の影響も受けながら運動を始める。ラケットから貰った運動エネルギーの大きさに合わせてボールの速度は速くなるのだけど、ラケットから離れたボールは与えられた速度で放物線を描きながら、壁に当たって跳ね返る。壁に当たった角度と、跳ね返る時の角度は同じ。ということは、ラケットから離れたボールの軌道を最初にしっかりと追跡できれば、壁に当たってからどの方向にどのくらいの速度でどのくらいの時間でやってくるかがわかる。でしょ、だから、頭の中でさっとボールの初速と軌道を計算して未来位置に先回りすることで、余裕をもってホールを打ち返せる。ということを繰り返すのが、とりあえずの基本。わかった?」と言ってから、ポんっとボールを一度壁に打ち付けて、床をキュッキュッと音立てながらステップして、跳ね返ってきたボールをポンポンとラケットで弾いている春樹さんを。
「・・・?・・・」と見ながら。
そんな風に、ボールをラケットでエイっと打つ・・のはわかりましたけど。いや、エイっと打つ・・しかわからないのですけど。
「じゃ、とりあえず、やってみようか、いくよ」と言われても。
「あの・・ちょっとまって・・やったことないから・・その・・いきなりは・・ムリ・・」
とつぶやいてしまうのは、その、説明が全く聞き取れなくて理解不能で、その、やったことないことをいきなりだなんて・・むり。なのに。
「やったことないからってのを、できない理由にしてはいけない。じゃ、素振りからいこうか。じゃあ、その前に。よく体を伸ばして、筋肉をほぐしながら心の準備をしよう」
とラケットを持つ手を上から握った春樹さんに、ドキッとする間もなく。
「背骨をぐっと伸ばす、こうして」と万歳させられて、くるっと回転した春樹さんが私をそのまま背中に乗せて、「何するんですか」と叫ぶ前に、グイっと今まで曲げたことのない方向にゆっさゆっさと背中が延びて・・あの・・その・・ちょっと。息ができない。
「ぎゃぁ・・いたたたたた・・・・うっ・・あっ」って声が・・。途中からでなくなって。
「はい、次は、俺と同じようにアキレス腱伸ばし。腕もこうして伸ばして」
と地上に降ろされたら、もう息が切れ始めてる私は言われるがまま足を前後に広げて、アキレス腱伸ばし、は体育の授業でたまにしてる。腕も伸ばして。
「十分に伸ばしたら、ゆっくり素振りしようか。ラケットはこんな風に後ろから振りかぶって、ボールが来たら、エイっと打ち返す。こっち向きがフォアハンド、反対向きがバックハンド、両手で持ってもいいし、とにかくボールを打ち返せばいい。ホールを打ち返すためには、ボールの軌道をよく見て、ラケットの軌道と交錯するポイントがどこに来るか、ボールの速度と、ラケットの速度を認識したら、しっかりと頭の中で未来位置を計算して、先回り・・」と熱くなる春樹さんに。ラケットを言われるがままぶんぶんと振り回しながら。
「あー分かりましたから、とりあえずやってみますよ・・解りました・・判りました」
と言わないと、永遠に何言ってるかわからない説明を続けそうな春樹さんは、確かに間違いなく、あゆみか言ったような、これが「物理オタク」という気持ち悪い妖怪になっている気がしてきた。つまり「妖怪・・ブツリオタク」顔を歪めながら、そうつぶやくと。
「本当に分かったの・・じゃあ、イイかな、軽く打つから、跳ね返ってきたボールを打ち返す。いい」と言い続ける春樹さん、を見ている私の目つきが変わってしまいそうだから。
「はい・・」と返事して、別のモノに集中力を振り向けて、何もかも忘れて構えるふり。そして。よし、私は集中してる。ナニに? えーっと、ボールに。よし。大丈夫、生まれて初めてのスカッシュ、この辺に来たボールを打ち返すだけでしょ・・。
「じゃあいくよ、せーの、はい」
と、春樹さんが打ったボールに集中して、目で追うと、ポンっと音を立てて壁に跳ね返って、私の右側にやって来る。つまり、このラケットで、このホールを・・。せーの・・。
「きゃぁぁっっ・・えぃ」
と打ち返したつもりが・・ボールはラケットをすり抜けたかのように、後ろのガラスに当たってトントンコロンコロコロ・・ころ。と床を転がってゆく。そんな無慈悲なボールを拾った春樹さんは、私をじっと見つめて。
「・・・・・・」と言った。ナニよその無表情、私は。
「今・・うわっ美樹ってこんなに運動できないの・・って思ったでしょ」
なんて言うつもりはないけど。そんなことを思っていそうな顔。つまり、あきれ顔で。
「まぁ・・最初はそんなもんだ・・イイよ、いいヨ。大丈夫。もう一度。ボールがこの辺に来たらブンっとふって打ち返す。ボールをよく見て」
と手に持ったボールで説明してくれるけど。この辺に来たらの、「このヘン」と言うのが私にはよくわからないというか、タイミングがいまいちと言うか。
「じゃぁ、もう一回いくよ、セーの、はい」
と打ち出されたボールは壁に跳ねて、私の右側、つまり、この辺に来たら、ブン・・と振る。このヘン、この辺。ボールをよく見て、せーの。
「きゃぁぁぁぁ」トントンコロン。コロコロコロ・・。
「・・・・・」と、ボールを拾う春樹さんに。今度は・・。
「ナニよ・・その顔」とぼやいてみる。
「別に・・」と言いながら春樹さんには私と視線を合わてくれないから。私は。
「だって、初めてだし、こんなの急にできるわけないし」と言ってしまった。
「まぁ・・そうだけど・・ね」とまだ呆れていそうな春樹さん。
「もう一回行きますよ。次は・・」当てて見せます・・と私から言った方がイイかな。すると。
「はい・・それじゃ、テイクスリー。振るの早いから、少し我慢してみて」
ってなによ・・テイクスリー・・三回目という意味か。それと、少し我慢してみてってナニを? 振るのが早い?
「少し遅めにラケットを振る。いいかな」
遅めにラケットを振る・・遅め・・ボールが来たら、遅めに。と空想しながら、意地っ張りな気持ちになっている自覚で。超真剣に、今度こそは・・と思っていたりしてる私。
「せーの・・ほいっ」と春樹さんが壁に向かって打ち出したボールをよく見て。よく見て、この辺に来たら、せーの。すこし遅めに。
「はいっ」と掛け声で振りぬいたら、手にどしんとした感触が来て。ボールがどこかに飛んだ。当たった? 打ち返せた?
「当たった、当たりましたか?」と叫びながら。ボールを探そうとすると。
「当たった当たった、上手上手」とドタバタと向こうに走る春樹さん「それっもう一回、ボールをよく見て、いくよ、ほいっ」
と言われたら、ボールが見えた。また、壁に跳ねかえって私の右側に来そう。もう一回、この辺に来たら、ブンっと振る。よく見て、せーの・・ーの、くらいで。
「えいやぁっ・・」と掛け声で振ったら、またドシンとボールをとらえることができて。
「当たりましたよ、どっち行きましたか、どっち」と叫んだら、春樹さんがまたドタバタと走って。
「こっちこっち、ボールをよく見る、タイミング掴めたら簡単でしょ。ほいっ、もう一回、今度は少し向こうに行くよ。少し前」
少し向こうって。見えた、ボールが見える、ボールに向かって一歩前に出て。せーの。
「はい」と打ち返したボールが見える。
「オーケー、その調子。うまいうまい。ほいっ、よく見て」
「はい、見えます」おぉ~、ボールを打ち返しながら、春樹さんと喋りながら。
「美樹って筋がいいよ。すぐにうまくなった。その調子で。ほいっ」
「はい。ボールが見えます」
ポンっとボールを打ち返せると、おぉ~、本当に楽しいかもしれないコレ。まさに、愛のキャッチボールって感じなのかな。ちょっと息が上がって来るけど。
「それじゃ、今度は後ろに下がって」と言われるがままの方向にボールが飛んできて。後ろに下がりながら。
「はい」と打ち返したら。
「次は左向きに打ってみよう」左向き、体を回して、こっちから?
「はいっ」
「じゃあ次は右から」と言ってくれる方向にボールが飛んできて。このタイミングで。
「はい」
「オーケー、美樹って筋がイイよ、それじゃ足使って、ステップ効かせて」
左向き、左向き。と言われるがままに体を動かすと。意外と簡単じゃん。とうぬぼれた気分がし始めた。
「いいよ、いいよ、美樹って飲み込み早い。その調子で、スピードアップ」スピードアップって。
「ちょっと待って、はい」
「よっしゃ、こい。まだまたイケそう」
「はい」息がちょっとだけど、まだまだいけそうと言われたらいけそうだし。
「それじゃ次は狙ったところに打ち返す。壁の真ん中を狙ってみよう」
壁の真ん中。あの丸印。に打ち返す。
「はいっ。これでいいですか?」と言いながら。
「うまいようまい、美樹ってホントにスジがイイね、それじゃ、このまま続けて、ボール落としたら負けだぞ」
「えぇーちょっと待って、負けってナニ・・はい」
「何かしゃべりながら、体をオートマチックにしてみる」
「ムリですムリです、しゃべりながらなんて。オートマチックってナニ? はい」
「できてるじゃん。それっ」
「できてますけど、あー・・はい」ドタバタ。ドタバタ。とボールを追いかけて、打ち返してみると、おぉ~意外と何も考えていないのに体がオートマチックに動いている。と思える余裕ができてきたかも。でも、息は、もっと、はぁーはぁーし始めているけど。そして。
「負けたら罰ゲームあるからね。はいっ」って、無茶苦茶余裕の春樹さん。
「罰ゲームって何ですか? はいっ」って、はーはー必死でボールを追いかけている私。
「美樹が考えて。ほいっ」
「えームリですよ、罰ゲームなんて、春樹さんが考えてください。はいっ」
「なかなか手強いな、ほいっ」
「だから、罰ゲームって何ですか? はいっ」
「あとで考えるよ。ほいっ」
「それじゃ、私も後で考えます。はいっ」と息が切れ始めたら。
「そろそろ本気出すぞ。おりゃぁぁぁぁぁ」って春樹さんは大きな声で。だから。
「ちょっと・・あー・・」って、ここで足が絡まって「きゃぁぁぁっ」と転んでしまった。ぜーぜーはーはー、と息が途切れて。起き上がろうとしたら。
「大丈夫?」と春樹さんが慌てて駆け寄って来て。脇を抱えて、抱き起してくれて。
「大丈夫です、ぜーはーぜーはー、足が絡まりました。ぜーはーぜーは―」
と肩で息をしている私なのに。涼しそうな顔でくすくす笑っている春樹さん。
「どうする、少し休もうか」と私をひょいっと持ち上げて立たせてくれた春樹さん。
「続けますよ。今のは、反則です、ぜーぱーぜーは―。急に大声出すから、ぜーはー」
「反則かな・・」
「反則です。ぜーはー。大きな声に、ぜーはー。びっくりしただけ、ぜーはー」
「よっしゃ、それじゃ、次は、美樹からボール打って」
「はい。じゃぁ行きますよ、せーの」
「よしゃこい」
なんてことをしているうちに、あっという間に30分が過ぎて。さらにもっと息が切れている汗びっしょりの私と、涼しい顔して額の汗をシャツの袖で拭っている春樹さん。
「そろそろ終わろうか。疲れてきたでしょ。汗拭くタオルとかある?」
だなんて、息もせずに言ってるし。私は。
「ぜーはーぜーはー」って息しかできなくて、タオルなんて持ってない。
「普段運動しないから」と私の事を笑いながら言う春樹さんに。
「ぜーはーぜーはー」って息しかできないままだから、何も言い返せなくて。
「それじゃ、道具返してくるよ、タオル濡らしてくるから、外で待ってて」
「ぜーはーぜーはー」とりあえずうなずいて。外で息を整えようと座る所を探したら、あっちに椅子があるから、まだぜーはーぜーは―と息しながら、まさに息も絶え絶えに。フラフラとたどり着いて、座って、顔を上げると・・うわっ・・あんなに高いところをよじ登ってる人がいる。しかも、髪を後ろに束ねた女の子で、あっ・・あの人って、さっきのミホさん・・が、上まで登って片手でぶら下がったままブラブラしてから、蜘蛛のようにするするとロープにぶら下がったまま降りてくる。その途中、私と目が合って、私に気付いて、ニコッとして、手も振ってくれた。そして、地上に降りるとすぐさま私の所に駆け寄って。
「ミキちゃんあなたもしてみる?」なんて声をかけてくれたけど。
「はー・・はー・・まだ息が・・」としか言えないし。
「どうしたの、そんなに息きらせて?」と聞かれても。
「はい・・はー・・はー・・」とまだ息が落ち着かない。そんな私を観察したまま。
「くっくっくっ。心肺能力低すぎよ・・はぁぁあ・・あなたじゃ勝負にならないね」
って、私じゃ勝負にならないって、なんの話ですか? と、ぜーはーぜーはーして声にできない。そんな私を尻目に一人で喋っているミホさん。
「一人で黙々と練習してるとさ、なんかこう張り合いがなくなっちゃって、どこかにイイライバルがいないかなって、手当たり次第に声かけるんだけどね」
ランバルなんて・・。はーはー・・。
「・・私・・ムリですから」今は・・というより。
「あなたじゃムリね。見なくてもわかりそう。大丈夫? 意識はっきりしてる?」
と心配してくれるミホさんに。
「はい・・ちょっと・・こんなに走り回ったの初めてですから」
とようやく喋れるようになってきた私。
「走り回ったの初めてって・・ナニしたの?」
「ボール遊び・・あーあの、スカッシュって言う・・」息も落ち着き始めたかも。そんな私の隣に腰かけたミホさん。
「スカッシュ・・あーカレシとね、さっきそう言ってたよね・・ってカレシさんはどこ行ったの? どんな人?」
「道具返してくるって」と言って、どこに行っちゃったのかな春樹さん。とキョロキョロしてみると。ミホさんは。
「道具か・・ちょっと待ってみよっと」なんて言って。うーん・・と手を組んで伸ばし始めて。立ち上がって足を延ばし始めた。それより、えっ? ちょっと待ってみよって・・どんな人・・とも言ってた? どうしてですか? とミホさんの顔を見ると、ワクワクしていそうなニヤケ顔。ナニこの人? あの・・。
「ミキちゃんのその尋常じゃない息のキレ方が、興味をそそるというかさ」えっ?
「息のキレ方? ですか?」
「うん、彼女をここまで追い込むカレシってどんな子かなって、そんなことに興味が湧くのよ。同級生だっけ?」どうして同級生だっけ? なんて言うのかな?
それに、興味なんて湧かなくてもいいでしょ・・と思った瞬間。後ろから私の首にヒヤッとタオルをかけた春樹さん。振り向くと。
「お待たせ、はい濡れたタオルで顔拭くと気持ちいいよ、これ、スポーツドリンク、水分補給して」と濡れたタオルをほっぺに当ててくれて、確かに濡れたタオルが汗を吸って顔を冷やしてくれて気持ちイイのですけど。スポーツドリンクを受け取りながら、あの、そんなことより・・。
「うわっ・・カレシってこの人? 同級生というより、お兄さん? じゃないの?」
と唖然と春樹さんを見つめるミホさん。に気付いた春樹さんは・・。
「美樹の知り合いさん?」と私に聞いてから「初めましてカタヤマハルキと言います」とすかさず自己紹介するから・・。とりあえずミホさんの「お兄さん?」という質問に。私は「カレシです」と答えて。春樹さんには「あの・・さっきロッカーが隣だった人・・ミホさんです」と教えてあげたら。春樹さんはじっとミホさんを見つめて。
「あぁ・・あのミホさん・・ですね」と言った。
えっ・・知り合いですか? と思ってしまう反応してる春樹さん。それに。
「嬉しい、私のコト知ってるんだ。あのミホさんです」
なんてミホさんも、無茶苦茶嬉しそうな笑顔で返事してるし。えっ・・ホントに知り合いなの?
「へぇぇこの辺の人だったんですか・・」って、本当に知り合いなんだ。うそ、こんなに綺麗でカッコいい、知美さんくらいの年?・・と思いついた瞬間。あっと、今思い出した、この人、雰囲気が知美さんと似てる。感じがそっくり、と気付いたら。ミホさんは。
「本当にミキちゃんの彼氏なの? お兄さんみたいだけど、歳離れていそうだよね」ともう一度そんなことを言うから。「カレシです、恋人です」と言えそうで言えないタイミングで。春樹さんが。
「えぇ、まぁ・・とりあえずカレシ・・という関係ですけど」
と横から自信なさげに入ってきたから。ナニよそのしどろもどろな言い方、にカチンと来て。
「とりあえずってナニよ」と声を荒げてしまった。でも。そんなことより、どうしてこんな綺麗でかっこいい女の人と知り合いなの? と春樹さんを睨むと。
「ふううん・・本当にカレシみたいだね」とミホさんがくすくす笑っていて。
「まぁ」とうなずいている春樹さん。に私も自信ないかもしれないけど。
「カレシでしょ・・」って・・つぶやいたらもっと自信がなくなりそうなのは、まさか・・春樹さん、フタマタの次は・・「ミツマタ?」 なんて心の底からの声。を無視するかのように。
「春樹くん・・と呼んでもいいのかな?」とミホさんがカワイイ笑顔で言った。すると。
「はい」と返事する春樹さんもどことなく嬉しそうな顔してるし。
だから、何も言えないまま二人をキョロキョロと見つめていると。
「あなたなら私と勝負できそうだけど、どぉ?」とミホさんの突然の提案。
「えっ・・勝負・・ですか」と私が思ったことをつぶやく春樹さんに。
「うん、あそこまでどっちが早いか、ハンデ50付けてあげる、春樹くんが半分まで届いてから私スタートするから、先に上まで行った方が勝ち」
とミホさんは壁の天辺を指さしながら、早口で説明した。すると春樹さんは
「いや・・それでもちょっと無理でしょ、やったことないし」とぼやいて。
「やったことないからって、そんなのをできない言い訳にしちゃダメでしょ」
とは、春樹さんがさっき私に言ったことだね、と思い出しながら。私は、もう一度、どうしてこんな知り合いがいるのですかと春樹さんを睨んだら。
「あ・・まぁ・・そうですけど」
とつぶやきながら、睨む私の視線から逃げるかのように、壁を見上げて黙り込んだ春樹さん。急に目つきが真剣になってる。
「どぉ、いけそう? 私もね、一人で黙々と練習してて張り合いがないというかさ、なんて言うのかな、普段出すことができない力を出したいのに。どうすればあの力を出せるのかわからなくなって。手っ取り早く、ライバルがいればなって思っていたのよ」
ライバル・・そう言えば、知美さんも「私たちってライバルね」って言ってたこと思い出せる。でも、ミホさん、私のコト「あなたじゃ勝負にならない」ってさっき言いませんでしたか?
「ライバルですか、僕にはムリかも・・」そうつぶやいて、まだ壁を眺めている春樹さん。
「試してみないと解らないでしょ、真ん中の緑色の線まで待ってから私スタートするから、その条件であなたが早く上まで行けたらあなたの勝ち。そのくらいのハンデあげるからさ」
と同じように上の方を見上げながらしゃべるミホさんに。
「それじゃ、一度リハさせてください」と振り向いた。
「おぉっ乗ったね、そうこなくっちゃ」とミホさんも春樹さんに振り向いて嬉しそう。それより、うわっ・・春樹さん・・何する気ですか? とあっけに取られている間に、ミホさんに連れられて、体にベルトを巻き付けられて、天井からロープで吊るされて。壁を見上げて、なにかブツブツつぶやいてから。
「よっし・・行ってみるか」と私に振り向いて「大丈夫だから少し待ってて」と言った。
「・・はい・・待ちますけど」
とうなずいたら。春樹さんも笑顔でうんうんとうなずいて。「よっ」とか言いながら壁を登り始めた。
「やっぱり、結構、力強そうねカレシの春樹くん。あっさりと登れるじゃん」
とは、ミホさん、壁を登る春樹さんを見上げながら、私に言ったのかな? えっ? とミホさんを見つめると。くすくす笑って。
「ミキちゃんのカレシって、ずいぶんいいオトコね。私もあんなカレシが欲しいかも・・ふーん」
なんて言う。
「・・まぁ」としか言えないけど。ミホさんはじぃーっと壁を登ってゆく春樹さんを見上げていて・・。その横顔を見つめていたら。
「ペロリ・・ペロリ・・」と唇を舐めている舌が一往復してるし。さらに、唇がチュッと尖ったし。それって・・無意識に何してるのですか? と不安が足元からゾワゾワ這い上がって来る。だから、私は春樹さんが上まで行くのを見上げたまま、別の事を心配しているというか。その、ミホさん・・「あなたじゃ勝負にならないわね」って。もしかして、春樹さんに狙いを定めた? 確かに、春樹さんは、ミホさんのお尻・・小さめで筋肉質で私でもかっこいいと思ってしまうこの曲線に弱そうで・・お化粧してない綺麗な顔は知美さんに雰囲気が似てるし・・何より年上ですよね・・が好きそうだったよね春樹さんって・・それに超前向きポジティブ思考な女性。うわっ私が思い込んでいる春樹さんの好みの女の子の条件全部揃ってない?・・この人、ミホさん、揃い過ぎていそう。なんてことが、ミホさんの綺麗な横顔に見とれていると、頭の中で、もやもやムクムクと入道雲のように湧き上がって来て。
「おぉー早い早い、やるねぇ、初めてなのに、そんなにすんなり登れるなんて」
とミホさんの大きな声に、はっ、としたら。春樹さんは上まで登り切っていて。クモのようにロープにぶら下がったまま降りてきた。そして。はぁはぁ息を切らせながら。
「全身運動ですねコレ、結構キツイ。でも、なんとなくコツは計算できそうですコレ」
なんて言う。
「コツ? 計算?」とミホさんの怪訝な表情に。
「僕の体重と腕の力や足の力、手をかける突起の大きさ、指が掛かるか、足を乗せるか、角度がどうか、配置や距離、腕の長さ、脚の長さ、まぁそういう条件から計算して、ルートを決めたのですけど、ほぼ計算通りに行けました」
「はぁ・・計算通り?」とつぶやいたミホさんは私をじろっと見つめて。
「春樹くんって、何してる人なの?」と小さな声で聞いた。だから。
「あの・・春樹さんって物理オタクです」と小声で説明してあげたら、聞こえたのかしら。
「オタクではなくて、物理・・ガクシャです」と言い直した春樹さん・・私に向かって口をへの字にしたけど笑っている。そんな春樹さんに向かって。
「物理オタクぅ~」と高めの声で驚いたミホさんに。
「いや、だから、オタクではなくて、物理ガクシャですよ。まぁ、こういう運動は物理法則にしっかりと従わないと、がむしゃらな力任せで頑張っても結果は出せないというか、タイムが縮まないというか。ルートが決まらないというか。計算って大事です」
と難しそうな説明を始める春樹さんに。
「・・・・・・」となってるミホさん。私も同じ気持ちです。だから、見つめあってしまったけど・・あれっ・・どうしてうなずき合ってしまうの? それに、視線が交わるところで火花は飛ばない。という気持ちがしてる。そう感じたら。
「まぁ・・いっか。で、イケそう、勝負する?」と春樹さんに振り向いて。
「はい。ハンデ50。真ん中の線まで待ってもらえますか?」と春樹さんも大真面目な目つきで、やる気満々?
「いいわよ」と言ったミホさんの表情も目つきもキリっと変わった。それに。
「僕の計算では、練習した人間の能力なら、上まで最短7秒ってとこですけど」
春樹さんも、いつもの春樹さんの顔ではなくなっている。どうして?
「あ・・ってるわ。確かにそのくらいね、このコースなら、練習すれば7秒そこそこで登れるわね。ちなみに、私のレコードは5秒91ヨ」
えっ? 5秒91ってナニ? レコード?
「ということは、僕の今の力でなら、12秒を切れば勝算があるってことですね」
「・・・まぁ計算ではそういう事ね」
2人で、何の話ですか? 私の居場所が・・と思っている間に。
「それじゃ、準備が良ければスタートしましょうか」だなんて春樹さんどうしたの?
「うん・・あっそうだ」ミホさんも、さっきから雰囲気が違う。
「はい」春樹さんも見たことない表情・・。
「一応勝負だから、春樹くんが勝ったら私ご飯おごってあげるね。それでもいいかな?」
「はい、それでもいいですよ」えっ? ナニがイイの?
「じゃ、私が勝ったら、ご飯おごってね」
「はい、わかりました」だなんて・・春樹さん。
えっ・・それって・・どっちが勝っても同じじゃないですか? 今、二人でご飯食べに行く約束しませんでしたか? 私をほったらかして・・。あの。と思っている間に、ミホさんが。
「それじゃ、よぉーい・・どん」
と号令したら。春樹さんは「おぅりゃぁ」と声を上げて、すごい勢いで登り始めて。
「えぇ~、うそ・・ちょっと」と慌てた声を漏らせたミホさん。春樹さんが真ん中の線にかかると同時に。
「おぅりゃぁぁぁぁぁぁ」と、春樹さんよりもスゴイ雄たけびを上げて、ものすごい勢いで登り始めた。例えて言うなら、窓の外の網戸をものすごい速さで走り回る「ヤモリ?」そして、あっという間に上までたどり着きそうな春樹さんが「ああ~くそっ」と言ったかと思うと。壁から手が離れてロープにぶら下がってブランブランしてる、その間にミホさんが上までたどり着いて。
「よっしゃぁ」と叫んだらランプがくるくる回って。タイミングは春樹さんの方が早かったけど・・。どうなるのかな? これ。二人ともロープにぶら下がったままゆっくりと降りてきながら。
「あっはっはっは、春樹くん、すんごいねあなた。タイミングはあなたの勝ちだった」
と笑っていて。
「ミホさんも、あの位置から追い上げられるなんてさすがです」なんて言ってる。
「いゃー・・出た出た・・」ナニが?
「出ましたか?」だからナニが?
「出せたぁ、久しぶりに普段出ない力150%くらい出たかも。ほら、今になってから息が上がってくるでしょ。これが気持ちイイのよ。あっはっはっ」ってミホさんの、私とは違う、ぜーはーぜーは―と肩で息してるのに、ものすごくすがすがしすぎる表情。地上に降りてきた春樹さんにミホさんが駆け寄って
「アリガト、体、大丈夫? ムリしたでしょ」と春樹さんのベルトをべたべたしながら外してる。そして、ぜーはーぜーは―。
「ちょっと、ぎくしゃくしそうですね。僕も普段使わない筋肉使いました」と肩で息しながら、腕を伸ばしたり曲げたりしてる春樹さん。そして。なぜか後ろからざわざわ。
「うーわ・・今の見た、5秒86だって」
「コースレコード出たの」
と聞こえたざわめき。
「コースレコード?」とつぶやいてみたけど・・。
「それじゃ、もういいですか?」とにこやかな春樹さんの笑顔がミホさんに向いていることが気になって。二人の会話がもっと気になり始めて。
「もういいけど、連絡先教えてよ。物理オタ・・学者さん。私を追い詰めた物理的なアドバイスが欲しいわ」
と、春樹さんよりもっとにこやかな笑顔でそう言ったミホさんのセリフ。あっ・・私も気づいたかも、このフレーズ・・「物理学者さん」この魔法のような一言に春樹さんは、やっぱり。妖怪・・ブツリオタク、になってる。ほら、その別の意味の嬉しそうな顔。
「はい・・それじゃ・・ちょっと待っててください」と答えてる。それに、ほら、私のコト全く見えなくなってる。こないだもそうだった。あゆみが「この問題わからないんです」と教科書広げた時もこんな感じだったよね。
「それじゃ、着替えてきますから」って本当に私のコト見えなくなっていそうなまま更衣室に向かおうとした春樹さん。どう呼び止めたらいいかもわからなくて。だから。
「ふんっ・・」ナニよ。という気分のまま、私だって・・という気持ちになって。その隣の凸凹が不規則に並んだ壁に手をかけたら。私に気付いた春樹さんが慌てて。
「ちょっと美樹、何するの? 挑戦してみるの?」
と心配してくれていそうだけど。ムシムシ。
「美樹ちゃんも練習して登ってみる?」
というミホさんの声には。
「はい・・」と返事してから。ナニよ、私じゃ勝負にならないって。という気持ちで凸凹に手をかけたけど。私の腕力では私の体重を支えられない? あっ・・・と凸凹を掴めないままバランスを崩して後ろに転びそうになって。
「ほーら、美樹にはムリだよ」
と春樹さんが転びそうな私の肩を支えてくれた。けど、今のこの気分のままムスッと睨み返したら。
「美樹が意地っ張りなのは知ってるけどさ、オリンピックの銀メダリストと張り合うなんてムリムリ」
オリンピックの銀メダリスト? って銀メダル? 世界で2番ってこと・・ミホさんが? えっ? とミホさんに振り向いたら。
「ミキちゃんって、今のそれ、もしかしてヤキモチ?」
と笑っていて。何も言い返せないまま、視線を合わせられないでいたら。
「くっくっくっくっ、カワイイ。嬉しいかも、私にヤキモチ妬いたんだ。あーそれじゃ春樹くんにもっとべたべたしちゃおうかな」
だなんて、春樹さんにべたべたし始めて。
「あの・・ミホさん・・ちょっと」と春樹さんも嬉しそうだから。もっとムスッとしてしまいそう。そんな私に。
「うーんもぉ、そんなにやきもち焼かれたなら、このくらいしないと割が合わないでしょ」
なんて言いながら春樹さんのほっぺにチュッとしたミホさん。くっくっくっくっ、ってお腹抱えて笑っていて。
「ちょっとミホさん・・」と言うだけで、全く抵抗しない春樹さんの嬉しそうな顔が・・もっと気分を逆撫でする。なのに。
「ミキちゃん、私たちも、ライバルになりましょう」
と手をグーにしたミホさん。
「ライバル・・ですか」
なんだろ、いつかこんなことがあったようなと思い出すこのパターン。
「うん、ライバルよ」とニコニコ顔のミホさんに。
「わかりました」と意地っ張りになっている私ではない私が言っている。
そして、つられるがままに私ではない私もグーにした手を差し出してしまって。
「はいっ。ぐーたっち・・」
したら、意地っ張りな私ではない私がどこかへ行ってしまって。また・・。
「・・私、ナニを約束してしまったの?」
という気分だけが残っているかのようで。何も言えずにミホさんの顔を見つめたら。
「私ね、次のオリンピックで今の記録出したいの。世界の頂点に立ちたいのよ」
オリンピック? 今の記録? 世界の頂点? ってナニ? とわけわからないことを言っている。
「だから・・春樹君をパートナーにしたいかなって思ってる。どぉ? いいかな?」
ミホさんの顔がむちゃくちゃ真剣な感じ。そして、今度は春樹さんに振り向いたミホさん。パートナー? ってナニ? と思っていたら。
「どぉ、物理学者さん、あなたの計算であと、0.02秒縮められる要素を見つけられる?」
と大真面目に聞いてる。そして。一瞬考えた春樹さんは。
「はい、行けると思いますよ・・0.02秒でしたね、あの時も」0.02秒? そして。
「そうよ・・悔しいったりゃありゃしない・・今度マックでエビフィレオおごってあげるからさ、私のパートナーになりなさい」どうしてエビフィレオ? というより、そんなミホさんの命令口調に。どうして。
「はい・・」と素直過ぎる返事をする春樹さん。に振り返って。
なんでそんなに簡単にOKするんですか。私の前で・・エビフィレオだから? ミホさんが知美さんみたいだから? キレイな人だから? 前向きな人だから? それより、オリンピックって・・銀メダル・・0.02秒。パートナー・・はい・・ってなに? また頭の中がグダグダになってくる。なのに。
「それじゃ、ちょっと着替えてきますから」とミホさんに笑顔を振りまいて。
「うん、待ってるね」なんて返事にもっとニコニコする春樹さん。
ようやく私の事を思い出したように。
「それじゃぁ、着替えて、帰ろうか・・」と言うから。
「・・・・・・」と言う返事をして、私も着替えることにした。
楽しかったボール遊びが、ミホさんの登場でこんな気分になって。また新しいライバルの出現? と思ってしまう鏡の中の私のふてくされてる顔。いや、泣きそうな顔。だけど。
今日は、早めに着替えて、何もせずに更衣室を出たのに。春樹さんはもう着替えて、ミホさんとナニかを楽しそうにお話していて。私を見つけてすぐ。
「それじゃ、また今度」と挨拶してる。
また今度・・ナニを約束したのですか? と聞けない気持ちがずるずると背中にまとわりついていそうな。
「ミキちゃんも、またね」
というミホさんのにこやかな挨拶に。
「・・・はい・・また」
と挨拶して。そんな何もかもが、まさに異世界の出来事だったようなマックスポーツ。ドアをくぐって外に出ると、あたりは暗くなっていて、現実世界に戻ったかなと思えた春樹さんとのデート・・いや、運動か・・と楽しくボールを追いかけて、愛のキャッチボール・・をリピートしたいのに。どうしても、春樹さんと楽しそうに喋っているミホさんの笑顔が思い浮かんでしまって。
「ミホさんとどんな約束したんですか。私が着替えている間にナニを話したんですか。マックでエビフィレオ食べる約束ですか。ミホさんのパートナーになる約束ですか。私は別にミホさんにやきもち焼いたつもりはないですけど。あんなに嬉しそうにほっぺにチュウされてナニよもぉ。くらい思ってもいいでしょ。今日は、カレとカノジョの関係でボール遊びというデートしたはずなんだから」
と、そんなこと言葉にできないから、心の中でぶつぶつ思いながら、自転車を押して、何も喋らない春樹さんと一緒に歩く帰り道。しばらく歩いてからようやく。
「楽しかった?」
と私に聞いてくれた春樹さんだけど。「ミホさんが現れたせいで全然楽しくなくなりましたよ。顔見れば分かるでしょ。どうして、そんな質問するの?」 と思っている私に。
「たまには体動かすのもいいでしょ」
と春樹さんは笑っているけど。「・・・」としか思えないし。
「それに、俺が物理的な講義をしたからすぐに上手くなれたでしょ」
とニコニコとしゃべり続ける春樹さんに。何のことですか? とうつむいたままでいたら。
「あーいう運動は、物理法則をしっかりと知れば、頭でわからなくても、体がわかってくれて、ボールを見れば脳がちゃんと計算して体を動かしてくれたでしょ。そんな感じしなかった? 喋っていても、体がオートマチックに動いてくれる感覚。理屈を脳にインストールしておけば体は勝手に動くもんだよ」
だなんて、もっと楽しそうに話す春樹さんを、「妖怪ブツリオタク」と思いながら、まだうつむいている。すると。
「それに、美樹って運動神経良さそう。すぐに上手くなって、なにかこう秘めた才能とかありそうだね」
とうつむいてる私の顔をのぞきこむようにニコニコと話しかけ続けてる春樹さん。誉めてくれたのかな今・・。と顔を上げたけど。
「自転車押そうか、ほら、この荷物も載せて」と肩のカバンをかごに入れて、ハンドルを取ろうとするから。
「いいですよ・・自分で押しますから」と拒否したつもり。だけど。立ち止まって。強引に私から自転車を奪って。片手で押し始める。そして。
「ほら、自転車にも物理法則があって、ここを押せばハンドルはまっすぐ向こうとするでしょ。どうして走る自転車は転ばないか考えたことある?」
あるわけありません。なんの話ですかソレ・・。ともっとふてくされると、ようやくナニか解ったかのように。私の顔色に気付いたかのように。
「機嫌悪いの? ・・なにか機嫌悪くなることしたかな ・・俺」
と言い始めた春樹さんに、私は「ミホさんとご飯食べに行く約束をして、ミホさんにチュウされて、ミホさんのパートナーになるだなんて約束もして、ミホさんとあんなに楽しそうにお話して、今は無神経な妖怪ブツリオタクだからです」と言えずにいたら。
「まさか、オリンピックで銀メダル取った人とこんなところで会うなんてびっくりしたけど、あんな風に頑張ってる人に、何かできるなんてね」
とつぶやいた春樹さん。「綺麗な人でしたからね」と言い返そうとしたけど。その瞬間に、うーんうーんと携帯電話の音。私のかと思ったけど、それは、春樹さんの腰のポーチから聞こえていて。
「電話ですよ」と言ってあげたら。
「うん、メールかな」と取り出して「あら、あゆみちゃんだ」と言った。
はぁーあ、どうしてこう機嫌が悪いときに、もっと機嫌が悪くなりそうな、その名前。
「今日は図形の問題か・・帰ったら美樹も一緒に解き方勉強しようか。できる? こういう問題」
と見せてくれた画面には〇とか△とか角度とか、こんなにイライラしている場面で見せられてもできるわけないでしょ。それに。
「毎日そうやって解き方教えてあげてるのですか?」と聞いたら。
「うん・・最近は毎日だね・・美樹にも送ってあげたでしょ」と答えた春樹さん。送ってもらったけど・・だからと言って・・どうなのよ。それに。
「そうやって問題解くのが楽しいのですか?」と、聞くことができ始める私。イライラがピークになり始めてるから、自制が効かなくなり始めて、思ったまま言葉になっている、という自覚もし始めている。そんな私の感情に気付いていない春樹さんは。
「まぁ、楽しいと言えば楽しいし、それ以上に、俺って、頑張ってる人を応援したくなる性格だし」
と声色も変えずに言っている。だから。
「どうせ、私は頑張ってなんかないし」とぼやいてしまいたくなるのかな。
「そうかな・・美樹も頑張っているでしょ」と言ってくれるけど。
私の今の感情は。「どこがよ・・お世辞でしょそれ・・。私なんかより、あゆみやミホさんにあんなに真剣になって・・」と言い出しそう。でも・・。
「私なんかより頑張ってるあゆみやミホさんを応援してあげてください」
なんて、どうしてそんなことを言い放ってしまうのかな・・という思いもあるのに。
「うん・・でも・・」と言いかけて止まってしまう春樹さん。
でも・・なによ・・あーもぉ、どうしてこんな気持ちになっちゃうんだろう。いつもこんな風にイライラしてしまう私に嫌気がするというか。春樹さんのせいじゃないですか、私の気持ちがこんな風になる原因。なんて思いもあるし。どうして春樹さんとこんな話になると私はこんなにイライラしてしまうのだろう・・。マックスポーツの入口で会ったときはあんなに嬉しかったのに。今は・・。
「でもね・・」とはっきりしない春樹さんに。
あーもぉ・・どうしてこの人、はっきり言わない・・だから、でもね・・の次は何言いたいのよ。なんてますますイライラが積み重なってゆく気持ちで、とぼとぼ歩くと、もうすぐ、その角を曲がれば、私の家の前の通り。
「だからね・・その・・」
とつぶやきながら角を曲がって、立ち止まった春樹さん。どうしてここで止まるの? と私も足を止めたら。
「だから・・頑張ってる人を応援して、いい結果が出たら、応援してよかったなぁって気持ちになるでしょ。こないだの期末テストの時の美樹も頑張ってて、いい結果が出て、手伝ってあげてよかったって気持ちになるのが好きというかさ」
という説明はなんとなくわかるけど。「手伝ってあげてよかったって気持ちになるのが好き」あゆみや弥生が昼間話してたことかなとも思う。私に興味があるわけではなくて、私の関心を引きたいわけではなくて、物理の問題を解く・・つまり、それが、手伝ってよかった、という気持ちなんですか。と勝手な解釈にまたイライラし始めてる。すると。
「だから・・まぁ・・頑張ってる人を応援して、手伝ってあげて、結果が良くて、喜ぶ顔を見れたら・・つまり、その、俺も嬉しくて」とぶつぶつ言う春樹さんに。
つまり、結果が良くて喜ぶ顔は、誰の顔でもイイってことでしょ・・なんて思っている私。
「でも、あゆみちゃんやミホさんを応援はできるけど、こういうことは、好きな人にしかできないことで・・疲れてるのかな、美樹って、今日はよく頑張った、お疲れ様」
と言いながら、私をふわっと抱きしめた春樹さん。
「美樹のコト、誰よりも応援したい気持ちがあって。美樹のコト、誰より応援してよかったって思いたいというか。まぁその・・だから・・こういうこと、俺はうまく喋れないんだよ」
と、照れ笑いしながら、私の頭をナデナデする春樹さんに、ふと気づいた私。そう言えば、今日、春樹さんは私の名前に「ちゃん」を付けない。それっていつから? 思い出せない。
「いつか将来、好きな女の子に頑張れって応援されたら、俺はどこまでも頑張れると思うけど、今の美樹は俺を応援できるか?」
えっ・・また・・ナニ難しいことを言ったの? 今の私は春樹さんを応援できるか? って言った? そんなこと・・ガンバレって言うのは簡単だけど・・春樹さんが私にしてくれたことのような応援なんてムリだよね・・私なんか何もできないんだし。と、ふんわりと抱きしめられたまま顔を上げたら。ニコニコしてる春樹さんが。
「美樹はまだ何もできないだろうから、何ができるのか、どんな才能があるのか、いろいろ試してみないと解らないでしょ・・」
って、春樹さん、何の話してるの?
「だから・・そんな顔せずに、将来俺の事を応援してくれるスーパーレディーになってくれないか。なんて願望を俺は美樹に持ってる」
えっ? 春樹さんを応援するスーパーレディー・・って、つまり、知美さんとかミホさんのような雰囲気の私? ってこと? というイメージが、その瞬間に無茶苦茶リアルに現れて。そんな、突然現れた知美さんのようなスーツを着た筋肉がモリモリしてる私の将来像に・・こ・これが私? と、私自身が息をのんでる・・私って知美さんやミホさんのような女になれるの?
「いや・・だから・・うまく言えないというか、その、俺は物理学者だから文学的なことはムリなんだ・・つまり・・その・・なんていうか」
と、しどろもどろに話している春樹さん・・他の女の子にも優しいけど、本当は私の事を、そんな風に考えてくれている、ということかな? 相当まじめに・・かなり真剣に・・。私を知美さんとかミホさんとかあんな雰囲気のオンナになって欲しいって思ってるってことなの? つまり、知美さんのように勉強もできて、ミホさんのように運動もできて・・他には? と考えている私に。
「気持ちってさ、物理的ではないというか、文学的なことって物理学者には・・その」
まだブツブツ言ってる春樹さんの顔を見ていると。私、何気に、イライラな気持ちが、すっきりと晴れ渡っている。だから。くすっと思うのは、物理学者じゃなくて。妖怪・・。
「ブツリオタクでしょ」と笑いながら言ってみたら。
「・・物理学者ですよ」と怒っているようなイントネーションの春樹さん。
「オタクよ」
「ガクシャ」
「オタクでしょ」
「ガクシャ」
「オタクです」
「ガクシャだよ、これだけは絶対譲らない。誰が何と言おうと俺は物理学者だ」
って、どうして今日はそんなにムキになるの? と春樹さんの顔を見ると。初めて見る表情。本当にムキになっていそう。それがおかしくて。
「ぷっぷっぷっぷっ・・ムキになってる春樹さんって初めて見た。ぷぷっ、おかしい」
と言ってみたら。少しだけムスッとしながら。
「美樹はいつもムキになってるけどな」と言い返す春樹さん。
でも、私がムキになるのは。
「春樹さんがムキにさせてるんでしょ」それは私が譲れないコト。
「ムキになんかさせてないよ」
「させてる」
「させてない」
「させてる」
「させてない」
「させてる」
「ない」
「てる」
「ない」
「させてる」
と、さっきからずっと、ふんわりと抱かれたまま、そんなことを言い合ったあと、それ以上何を言おうかと思いつかなくて、だから、言葉に詰まって。ゴクリとした瞬間・・まさか・・という気持ちが全身の産毛を逆立たせ始めた。言葉に詰まった私に向かって。春樹さん。くすくすと優しい顔に戻りながら。
「でも、そんな、意地っ張りな美樹の事が好きだよ。おとなしすぎる雰囲気なのに、本当は、負けず嫌いで、意地っ張りで、ムキになって言いたい放題言ってくれる美樹の事が、好きだ」
・・好きだ・・。なんてじっと私を見つめたまま言うから、それは、私にかけられた目を閉じてしまう呪文。私の心にかけられた唇を差し出してしまう呪文。初めてのことだけど、私から・・こうしてもいいんだよね。私も、知美さんのように勉強ができて、私もミホさんのように運動ができて、そして・・お母さんのような春樹さんを従える一流のオンナ・・だなんて、ナゼ? お母さんのように? と思った瞬間。はっと気づいた、この場所・・。
と目を開けたら、目を閉じてる春樹さんの鼻が私の鼻にタッチして、唇が重なるまであと5ミリ。なのに。
「ダめです・・」
と春樹さんを突き飛ばして。ちらっと横目で見ると、ほら、お母さんが台所の窓からニヤニヤと見てる・・。
「・・・・え・・・・」という顔の春樹さん。
「やめてください・・・」ここではそんなこと・・。
「やめて・・って」
「だから・・お母さんが見てるの・・そっち見ないで」
と言ったのに。春樹さんがチラッと顔を向けると、ほら、お母さんと目が合って、だから、会釈なんかしなくていいのに。
「あーっ・・」と声を上げた春樹さん。
「ナニよ・・どうしたの・・」と聞いたら。
「牛乳買うの忘れた・・」と言った。
牛乳?
「どうしよう・・」どうしようって・・。
どうだっていでしょ、牛乳なんて、それより、もう少しで、あんなに自然体の、あんなにいい雰囲気の、あんなに納得できていた「初めてのキス」が、あと5ミリの所で。だから・・。
「お母さん・・怒るかな?」牛乳の事より・・キスのコト何とか言ってフォローしてよ。と思うのに。
「クリームシチューって言ってたよね?」
だから・・どうして、この角を曲がってから、好きだとか、そういうことは。角を曲がる前に言ってよ、と春樹さんを睨みつけて。
「知りませんよそんなこと・・」
と、また、ムキで意地っ張りな、私ではない私が大きな声で言い返している。
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