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知れば知るほど、そうなんだ。
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「改めて、よろしくお願いしますね、それじゃ、この辺で、おやすみなさい、お姫様」
改めて・・よろしくお願いしますね・・おやすみなさい・・お姫様。と春樹さんの言ったことを小さな声でリピートすると。
「くくくくくくくく」と、おなかの底からこみあげてくる笑い声が腹筋をびくびく痙攣させて。
もしかして、私たちって、本当に・・カノジョとカレシの関係になったのかな? そう宣言したよね。「私たちお付き合いしましょう。うん」って。それに。
「特別扱いはしないけど、美樹は特別なんだ」
どことなく弱気な響きの春樹さんの声は。この前、お店でなんとなく私を意識して特別扱いしなかったことを言い訳したかった。それが恥ずかしかったのかな? と思えてくる。チーフの一言を思い出している私。
「春樹に言ったんだ、ここで美樹ちゃんばかり特別扱いしてると、男のいない女にひがみ倒されて、ねたみ殺されるぞって」
「春樹を口説き倒して、何とか引き留めて、俺の後を継いでくれって言ってくれないか」
「春樹も、美樹ちゃんのこと好きみたいだし」
「だから、まぁ、そう言うことだ」
だから、まぁ、そういう事。つまり、春樹さんは私の事が好きで、私の事を特別だと思っていて。私も好きだし、お付き合いしてみましょう、うん。と宣言したのは私で、春樹さん・・彼は、カレ・・って呼んでもいいんだよね、つまり、カレは、改めて、よろしくお願いしますね。と間違いなくそう言って。おやすみなさい、お姫様。確かにそう言った。だから。
「おやすみなさい・・王子様」
なんてことを枕に顔を埋めてつぶやくと、また、くくくくくくくくってお腹がヒクヒクしてしまう無限ループに陥ってしまったような夜更け。お腹の痙攣が収まってから、大きく息を吸って、ほーっとゆっくり時間をかけて吐き出すと、この気持ちって、やっとゴールにたどり着いた、そんな感じかな? 息をするたびに体が溶けていくような、こんなにリラックスな気持ち。なのに、なぜか「虹の向こうへ」を歌いながら回転スキップで夢の世界に駆け出しているようでもあるし。虹色の草原をくるくる回りながら、これからあの人とどうなるのだろう。とりあえずステップは踏んだと思う。つまり段階を踏まえて、私は彼に好きですって言って、付き合いましょうと言って、そうしましょうとなって。だから、その次の段階は・・必然的に。必然的に・・つまり、コレ・・が必然的にスクリーンいっぱいに広がり始めた。
「美樹、許して、気持ちを抑えられない、イヤだったら言って、ダメだったらダメっていって・・」
春樹さんの必死で優しさを保っている思い詰めた顔が、くぐもったセリフを言いながらゆっくりと近づいてくるから。
「言いませんよ、イヤだなんて、ダメだなんて・・私たちもうカレとカノジョでしょ」
そう言って唇を差し出しながら目を閉じた私。でも。だからと言っていきなり・・。コレって? どうして? 私の願望? 私の欲求? と思っていたら。春樹さん、どこを触っているのですか? 何してるのですか? そんなところをチュッチュっと吸ったら、内側から突っ張って張り裂けそうな痛さががまんできなくて、あ・・って声が。それに、そんなところをベロリベロリと力強く舐めたら、ざらざらと擦れるたびに全身を駆け巡るこそばゆい電流が体をよじらせて、もっとよじりたいのに、そんなに押さえつけられたらよじれなくて、流れる電流に耐えられないから、もっと、あぁ・・って声が。出ちゃうことが恥ずかしいから、やめてって言おうと薄く目を開けたら。私をじっと見つめている彼は。まじめな顔で。
「いい、入れるよ、したいんだろ」
なんてセリフと映像とぬるっとした感触ががものすごくリアルで。でも、そのセリフだけはイヤだから。
「イヤッ・・・」とシーツを蹴り飛ばしながら、小さく叫んで目を覚ましたら。
「ふぅ・・はぁ・・夢か・・夢だけど・・夢じゃない・・」
そうつぶやいて時計を見ると、どうして朝の5時17分? 本当に息が荒いのは・・。私・・どうなってたの今?
「ふぅ・・はぁ・・ふぅ・・はぁ・・」
まだ整わない息、体のあちこちがびくっと痙攣して・・。なんだか眠ってから起きるまでが一瞬だったような、目が覚めたのに、ものすごく鮮明に覚えている夢だったような・・いや・・現実だった? 今の・・いや・・夢だと思う。現実だったことだけど、今のは夢だ・・私の妄想ではないけど、トラウマになってるいつかの出来事・・。ふぅーはぁーとまだ肩で息を整えながら、とりあえず落ち着こう。予知夢だとしても今の私はアレを受け入れられると思う。アレ・・? イヤこれは予知夢じゃない・・過去のトラウマ・・もう過ぎた話。だけど、次は受け入れられる? と私・・今思った?
「いい、入れるよ、したいんだろ」
イヤ、違う違う違う違う。あの春樹さんのセリフだけは一生受け入れられない。絶対もう一度あんなことになったら違うセリフを言ってもおう。アレをする前に。したいと思っていることは否定しない。けど、入れるよって・・それは、入ってくる前に「もっと別のセリフがあるでしょ」そう言えばいいはず。したいんだろって・・春樹さんがそうだったんでしょ・あの時は。だから、次は。
「もっと別のセリフがあるでしょ・・」
私たち、昨日から、カノジョとカレの関係なんだから。そういうことは・・慎吾さんが言ってたように、遠慮なんてしないでズーズーしく言えばいい。私と春樹さんは昨日からカノジョとカレシの関係なんだから。言えるはずだし、ズーズーしく言っても許されるはず。でも。
「別のセリフって、例えば・・」思いつかない。けど。
とにかく。奈菜江さんも言ってたように。
「今日から私、ズーズーな女になって、春樹さんにわがまま言ってもいい。あの人は私のカレシで、私はあの人のカノジョなんだから」
そんなことを自分に言い聞かせてみたら。
「ナニぼやいてるんだろ・・」
心の奥底の、もう一人の私ではない私がそうぼやいた気がした。
そして、もう一度横になって背伸びして。これからもう一度寝るのもなんだし。あくびも出せないくらい目が覚め切ってしまっている気がするし。そう思って、起き上がって下に降りると、久しぶりに顔を合わせたお父さんがいて、えぇ~っと思ったのは。お父さん、こんなに臭そうな もじゃもじゃ の顔してたっけ? それに。
「アレ、美樹、どうしたんだ今日は早いな、まだ5時半だぞ」
と、納豆の糸をお箸でくるくる集めながら、寝ぼけていそうな声・・そう言えばお父さんと会話するのも、この前田舎に行ったとき以来かな・・。それにしても、お父さんってこんなに臭そうというより、向かいに座ったら、本当に臭い・・気がする。納豆の匂いじゃない・・。ナニこのヘンなにおい・・どうして? と思いながら。
「う・・うん・・なんだか、目が覚めちゃったというか」
とつぶやいて、お父さんにチラッと視線を合わせていると。
「最近ねぇ、春樹さんと何か進展あったみたいでね」
だなんてお母さんが背中の方からつぶやいて。そっちにいたの・・と思ったら。
「おっ・・春樹君と進展か・・そういう話は、朝から心臓に悪いな」
だなんて、どっちに振り向いていいかわからない状況になって。
「チューくらいしたんじゃないの」とまたお母さんがシレっとそんなことつぶやくと。
「そ・・そうなのか・・」と、お父さんが、ものすごく不安そうな顔で私を見つめるから。
「し・・してないわよ、チューなんて」
ってムキな口調で言い返すしかないし。それより、朝からというか昨日から、なんで、しつこく、そんな話題ばかり。
「ほらほら、このムキになって言い返すってさ、カレとチューしましたよ悪い、って言ってるみたいでしょ」
とお味噌汁をテーブルに運んだお母さんと。不安な顔で私を見ながら。
「美樹・・ホントに春樹君と・・そうなのか」と、そのお味噌汁をすすりながらそんなことをぼやくお父さん。もういい、今度は黙って知らん顔しておこう。そしたら。
「まぁ、春樹君ならお父さんは何も言わないけど、やっぱり、心配とかはしてしまうから。急に、お世話になりました、とかって出て行ったりするなよ・・そういうことは、心の準備とかさせてほしいから」
だなんて深刻な表情で・・その深刻な表情が、さらに臭く匂ってきそう。それに、私も。
「・・ま・・まだ、そ・・そんな、関係じゃないし」
といいつつ、そんな関係になる第一歩は踏み出したかもしれない・・と思っていたりして。
「はいはい、まだそんな関係ね・・お父さんも春樹君なら何も言わないけど・・だなんて、美樹も、カレシ作るより先に勉強しなさいよ、春樹さんだって、こないだみたいに毎日徹夜させたら迷惑でしょ」
って、話が急に変わると言葉に詰まるけど、それについても。
「・・解ってるし」
くらいしか言い返せないから、ムスっとしていると。
「お母さんも、春樹さんなら文句はないけど・・そういうことって・・」と言いかけた言葉。
「ごちそうさま、今日も美味しかったよ」とお父さんの声に遮られて。
「今日も帰りは早いの?」お母さん、何言おうとしたの今、そう言うことって? 気になるんだけど。
「うん・・いつも通りかな・・遅くなりそうなら電話するから」
「はーい、ネクタイそれでいい?」
「うん。靴下は」
「あー、穴開いたらすぐ言ってよね。いつまでも穴開いたまま履いてないで、こんなの誰かに見られたら恥ずかしいでしょ」
「うん・・まぁ・・誰も見ないし」
「私が恥かくのよ、こういうのって」
お母さんは、私の事よりお父さんの準備の方が大事て。お父さんも私の事より、会社に行く準備の方が大事で。だから、私はこの時間を少しずらせて起きていたんだなと改めて思い出しながら。とりあえず自分で麦茶を注いでごくごく飲んだ。
そして、お父さんを送り出した後のお母さん。私にいつも通りのメニューを用意しながら。
「ねぇ美樹、春樹さんと進展あったみたいって、さっきムキになってたけど、本当に進展してるの? ホントにチューしちゃったとか」
いやらしそうな満面の笑みで話題を振出しに戻したから。
「してないし・・まだ」とぼやいたら。お母さんはもっとニヤッとしながら。
「でも、家出したとき、春樹さんとエッチしたんじゃないの、春樹さん、許してくださいって謝りに来たことよく覚えているんだけどさ」
そんな話、というより、どうしてイチイチ謝るのよ・・春樹さんのバカ・・と思う。けど。
「・・そ・・それは・・したわけじゃない・・」と、だんだん消え入りそうな声になるのは。アレは私からどうぞって言ったわけじゃないって意味だからだけど。それ以上に、アレは・・未遂でしょ・・未遂よ・・未遂に決まってる・・絶対未遂。入ってきてチクっとしたかもしれないけど、蹴っ飛ばしたこと以外は全然記憶に残ってない気もするし。
「まぁ・・そういうことって、いちいち報告しろとは言わないけどね。お父さんも言ってたでしょ。ある日突然、お世話になりました・・だなんて出て行かないでよね」
さっきのそう言うことって、ってこれかな・・でも、これって何回目かなとも思うお母さんのこの言葉。何か言い返そうにも・・。
「まぁ・・うん・・とりあえず、まだ、そんな予定はないと思う」
とりあえず、まだそんな予定はないと思うままをそう言ったけど。昨日からカノジョカレシの関係になったあの人と、そんな予定がもう少し先の将来に本当に訪れるのかなと空想してしまう気持ちが声を弱気にしてるのかな。お母さんは、私の顔色を観察しながら。
「そんな予定がありそうな、そんな予定を予感していそうな言い回しだね、それって」
とまるで私の心を透視しているかのような言葉を不安そうな顔で言うから。
「そうかな・・」とぼやくと。
「前も言ったけど、こんなに大切に育てた宝物なんだから・・」
またこの言葉、はいはいと思って。
「解ってますよ・・」その日が来そうになったら前もって話すから・・と思いながらも、その日が来たなら・・どんな日だろうな。まだそんなこと空想もできない。それに、テーブルの上の朝食を見て、「また卵焼きか」とおもったら。不安そうな顔をニヤッと元に戻したお母さん。
「でもさ、何かしらの進展はあったでしょ、どうなってるの春樹さんとの関係」
と私の心を深く覗き込むような表情。私何か見られたの? という気がしてしまって。
「え・・」まぁ・・こんな曖昧な反応だと・・それだけで何もかもを白状してしまった、そんな気がして・・、何を言い訳しても通用しないかも・・そう思うと、仕方ないか、と言う気持ちもして、なんとなく顔の筋肉が緩くなったような。と思ったら。
「ほら、今一瞬にやついた」って・・言葉に反射的に顔が引きつって。
「に・・にやついてなんか」と言うけど。そう言うと引きつりが持続しないというか・・。
「ほらほら、どうして顔がそんな風にほころぶわけ?」
「いや・・べつに・・ほころんでなんか」そう言いながら、顔の筋肉の制御が難しくなってることも、どんな表情作っていいか解らなければ、ほころんでることも自覚してる。
「本当は、カレカノジョの関係になったとか、付き合いましょうそうしましょうなんて言ったとか、こないだも、その前も、そこの窓から丸見えの場所でわざとらしくいちゃいちゃしてるとこ見せつけてたしさ、どんな言い訳しても、お母さんも女だから、どうなってるのかなって大体想像つくし」
そこまで言われたら、もうどんな言い訳も通用しなさそうだし。だから、完全に降伏したかも・・私。口から勝手に・・言葉が・・自然と・・。はぁぁ。どうしようもない。
「まぁ・・付き合わないかって・・言われた」小さくそう言うともっとニヤッとするお母さん。
「春樹さんに言われたの」と聞くから。
「うん・・その。お互いの気持ちを確かめ合うためって・・」そう白状すると。
「ふううん・・気持ちを確かめ合うためか・・下手な言い訳ね・・あの人もストレートに言えない男なのかな・・言えるわけないか・・知美さんがいるから・・」
それって下手な言い訳なの? それより、知美さんの名前が出てくると、また顔が一瞬引きつるというか。でも、知美さんの事は私の問題じゃないから・・と、私は弥生の意見に賛成してるし。
「・・まぁ、それで、付き合いましょう・・って」私は間違いなく言ったんだし。
「それは、美樹が言ったの?」お母さんもなんでこんなに追及するのかなと思うけど。
「うん・・で、改めて、よろしくお願いしますねって、言われた」つまり今はそう言われました、という段階。ここから先はこれからの話だから、と、言葉に詰まると
「改めて、よろしくお願いしますね・・か」
と、つぶやいて、考え込むように私を観察し続けているお母さん。
「なにかいけない?」
「ううん・・いけなくなんかないけど」
「ないけど・・ナニ?」
そう聞き返してしまうのは、すごく心配になるお母さんのこの考え過ぎている表情。
「うん、お母さんはね、あの人、春樹さんにはね、美樹が最後に出逢ってほしかった」
「最後に出逢って・・って」
「最初に出逢うべき人ではない。という意味よ。まぁ、こういうことは、朝ごはん食べながら話すことじゃないから、また今度。お互いの気持ちを確かめ合うために付き合うなら、自分の気持ちに気付けるように、人の声に敏感になりなさい、お母さんからのアドバイスよ。がんばってね」
そう言ってからいつもの表情に戻ったお母さん。ニコッとする顔に。
「うん・・まぁ・・」と、照れくさい感じがして。
「はいはい、じゃ、早く食べて」これは、毎朝の口癖。早く食べろって。
「うん・・」と返事も毎朝してるだけの返事で。別にもたもた食べてるわけじゃないけど。もたもたしてしまう理由が最近は多いかなとも思う。今も、人の声に敏感って・・。どういう意味かな・・。そう言われたら、最近の私は、弥生やあゆみやアルバイトのお姉さま達の言葉にも、チーフの言葉にも敏感になっていると思うけど。そう言えば、さっきのお母さんのアドバイス・・の前の一言に何か気づいたこと思い出したから。
「ねぇ、お母さん・・」と聞きたくなったのは。
「なぁに?」聞いていいのかなとも思えるコトたけど。
「・・・・・うん・・」どんな言葉で聞けばいいかな? これ。
「ナニよ、言いたいことあったらずけずけ言ってよ、母と娘の関係なんだから。カレカノジョの関係を練習するつもりでもいいでしょ。ずけずけ言わないと春樹さんの気持ち、も確かめられないでしょ」まぁ、それって説得力あるかな・・と思って。
「じゃ、言うけど」そこまで言うなら。安心して。
「はいはい、ナニ?」
「お父さんはお母さんが最後に出逢った人なの?」
そう言い放つと、ぴたっと止まったお母さん。
「ま・・まぁね・・」と言いながら目が左右に泳ぎ始めて右側のほほがピクピクっとした。
「じゃ・・最初の人って言う男の人も、やっぱり、いたわけ? お父さん以外に」
そんな関心がやっぱりできるわけで、その最初の人とはどうなったのだろう。と思いながらゴクリと返事を待ったけど。
「そ・・そういうことはさ・・その心に秘めたものだから・・」
って、それは答えになってないというか。
「と言うか、そういうこと、お父さんの前で話題にしないでよ」
と、怖い顔と低い声で念押しするところがアヤシイと言うか。怖いというか。タブーだったの? というか。
「美樹も、そのうちわかるから」
今解らないから聞いてるのに。とじっとお母さんの顔を見つめて。
「そう言うことよ、解るでしょ」
それって、この前のチーフの言葉みたいだし。と思ってみる。
「もう・・そんな目で見ないでよ。やましい恋なんてしてないし。確かにそう言う人がいたけど、つまりお父さんとのことを、つまり、その、上書き保存したから。それ以前のデータが消えちゃったというか、お父さんと巡り合うためのレッスンだったというか。美樹も経験積んだらわかるわよ。ほら、もぉ、時間大丈夫なの、早く食べて、学校行きなさいもう」
って、またそんな追い払い方をするお母さん。でも。上書き保存したら消えたとか、お父さんと巡り合うためのレッスンだった、だなんて、まぁ、それなりにロマンチックな感じもしそうだけど。これ以上はどう追及していいか解らないし。
「いい、まだ知らないなら教えてあげるけど。男の子って、そういうこと無茶苦茶気にするから、お父さんの前では絶対話題にしない。解った。好きな女の過去の男の話って男の子の前で絶対聞かない。聞いちゃダメ」
ってこの しつこさ は相当重要なのかな、と思ったりして。
「好きな女の過去の男・・・」とつぶやくと。それって誰?
「オンナは好きな男の過去の女には優越感を持つけど、その反対、オトコは好きな女の過去の男には劣等感が湧いたりするのよ。ほーら、そのうちわかるから。早く食べて学校行きなさい」
「・・うん・・」
解ったような、解らないような・・。また、卵焼きとお味噌汁・・沢庵をぽりぽりとかじって。焦げたメザシをくちゃくちゃ噛むと、また考え込んでしまうから口が止まって。
「好きな男の過去の女・・」つまり、それは知美さんのことかな、に優越感・・私、もしかしたら・・ある? そう言われたら、昨日から・・もしかしたらあるかも。私って知美さんを追い落としたかも? と言う表現はマズイか・・それに。
「好きな女の過去の男・・」つまり、私にはそんな人がいないけど。春樹さんが好きな知美さんにはそう言う男がいるわけで・・春樹さんはそう言う男に劣等感を持っている? つまり、私にはそんな劣等感を感じない。つまり、それって安心感? 安心して付き合えるってことだよね。なんて・・勝手なことを思いつくと。お母さんがため息吐きながら。
「春樹さんも男の子だから、どうしてもそう言う劣等感を持つから、男の子って、そう言う感情を持たなくてもいい、美樹みたいな過去の男が存在しない女の子を好むのよ」
それって、今私が感じてることリピートしてる・・とも思うけど。
「そのうちわかるから、今はムリして知る必要なんてないよ」
「・・うん・・」なんとなく解ったかも。
「ほら、早く食べて、早く支度して」
「うん・・」
そんな力ない返事で朝の会話は途切れたけど・・。
学校でも・・。携帯電話の画面を見ながら。
「ごめんなさい、美樹の事が頭から離れない。今も、ずっと美樹の事を考えてる」
何度読み直したかわからない春樹さんから届いた一つ前のメールを見つめながら。
「改めて、よろしくお願いしますね、それじゃ、この辺で、おやすみなさい、お姫様」
昨日、そう言われたカレ・・カレの声を心の中でリピートしていると。
「どうしちゃったの、今日の美樹って、なんかこうニヤニヤしてない?」
お母さんのような喋り方をしているような弥生がニヤニヤと話しかけてきて。なんとなく顔が緩んでいることは自覚しているけど。表に出るほどニヤニヤとはしてないでしょ。・・と思うのに。
「昨日は、携帯の画面見ながら、はぁぁぁー。ってしてたのに、今日は、携帯の画面見ながら、うふふふん、って顔してる」
と、いつも通りのあゆみの声に、してないしそんな・・うふふふん・・だなんて。携帯の画面は見てるけど。
「で・・やっぱり、昨日何かあったんだ」
と弥生がお母さんのように心の奥を覗き込みそうな仕草。それに。
「えー何があったの、何があったの、春樹さんと何があったの」
いつも通りに、早口で私をからかうあゆみに。
「何もないわよ・・何かあったって‥私と春樹さんに何があればいいわけ?」
と、言い返してから、私がいつもの私ではないことを自覚し始めて。
「ね・・やっぱり・・いつもの美樹じゃないでしょ・・う~ん・・あゃしぃ・・何かあったでしょ」
「あ~でもうらやましい。私も春樹さんみたいな彼氏が欲しい・・あぁ~ん、なんで美樹ばっかいいことだらけなのよもぉぉぉ」
「よねー、なんかこう、私もひがんじゃいそう」
って、勝手に話してる二人をじろっとにらんで。でも・・目が合った弥生が何もかもを見透かしていそうなにやけ方でニヤッとするから。私もつられて顔がほころんでしまって。
「くくくくくく」と笑い始めた弥生が。
「ほーら、いいことあったんでしょ」とささやいて。だから。
「まぁ・・」と答えるしかなさそうで。でも。
「いちいちそういう事、報告なんてしなくていいでしょ」
それだけは確かめておきたいし。弥生も報告なんてしていないし。あゆみも・・。
「まぁ、別に報告してほしい、なんて言わないけど、やっぱりね、キョウミシンシンになっちゃうから、美樹が春樹さんとだなんてね」と弥生はあゆみに振って。あゆみは組んだ手をくねくねさせながら。
「どんな言葉を交わしてそうなったのか、どんな雰囲気でそうなったのか、どんな出会いで、どんな偶然で、どんな運命がまっているのか。どこでチューとかしちゃったのか。その時どんな言葉が行き交ったのか。いい? って言われて。うん・・って言ったのか。そういうこと全部知りたい」
と言うと。弥生も同じように組んだ手をくねくねさせながら。
「結婚しても処女でいそうな美樹がさ、あんな春樹さんみたいな男の子とそんな風になってるだなんて、どうしてそうなったのか、知りたいよねぇ」
「本当に、うらやましい・・うらやましすぎて、美樹をねたんでひがんで恨んで、憎くなりそう。あー憎たらしい」
って、またこのパターン。だから。
「勝手に、憎めば」と思ったままつぶやいたら。
「あー美樹がそんなこと言う、もぉぉ、本当に美樹の事キライになるかも」
と言うあゆみに、なれば・・と思っているけど、今度は口が尖っていて声にできない。
「オンナの友情って男ができただけでこんなにも簡単に崩れるものなのよ」
と弥生までがそんなことを言って。でも。
「でも、弥生にも彼氏いるのに、弥生の事って憎たらしくないよね」
と、あゆみの一言は私も思うこと。
「まぁ・・私のカレシはあの程度の男だしさ・・あの顔ってあゆみも美樹もタイプじゃないでしょ」
そう言われて思い出す弥生のカレシの顔・・悪くはないけど、タイプでもないか・・。そう思ったまま。
「あの程度・・・タイプじゃない・・」とつぶやいてしまったけど。
まぁ、言われるまでもなく・・、外見的にタイプではないけど・・。つまり、慎吾さんもそうで、奈菜江さんの事、あまりうらやましいとは思っていないのは、同じ理由かなとも思う。そんなことを考えると。
「だから、美樹と春樹さんの組み合わせが、憎しみを生み出している」
「あー、そうかもしれないね、どうして美樹にあんな人が・・」
「春樹さん・・タイプよねぇ、見た感じも雰囲気も、背も高いし頭も良さそうだし笑顔が爽やかだし、とにかく誠実で清潔で爽やかで優しそうでおとなしそうで。だからひがみたくなってねたみたくなって恨みたくなって憎たらしくなる」
「それよね、それ。確かに見た感じでそうなるよね。春樹さんって見た感じも雰囲気も理想のタイプだから」
「そうそうそれそれ、理想のタイプだから、美樹の事が憎たらしくなる」
こんな話、お母さんは、人の言葉に敏感になりなさいよって言ったけど。聞けば聞くほど意味なんてなさそうなことを言っていそうで。こんな二人の言葉に何かヒントがありそうな予感もないし。うんざりし始めると。
「でもさ、男と付き合い始めると、いろいろ、えぇーそうだったの・・みたいなことが多くなるよ、春樹さんにもそう言うことってない?」と話題を変え始める弥生の言葉に。
「・・多くなる? そういう事って?」無意識にそう聞き返してしまったら。
「あまり期待しすぎないで、心の準備とか、してた方がイイかもね」
ビクン・・と。人の言葉に敏感になったような気がした。
「・・心の準備?」ってナニ?
「ほら、春樹さんって、見た感じはあんなに爽やかでスマートっぽいけどさ、実際は、ロリコンでネクラな理系のオタクの変態マッチョマン・・・だったらどうする」
どうするって・・想像できないのですけど・・ロリコンでネクラの理系のオタクの変態マッチョマン? マッチョマンって・・ナニ? 5角形の帽子かぶった人のこと?
「あーそう言えば思い出した。プール行ったときそうだったよね」
え? 弥生ってナニを思い出したの?
「あー、アレねアレ」
アレねアレって、どれ? 急に目が輝き始めたようなあゆみが。
「美樹も覚えてるでしょ。プールでさ春樹さんが美樹のお尻をむにゅむにゅ掴んでた時、もんのすごい真面目な顔だったでしょ。むにゅむにゅして、おぉー、なんだこれ、むにゅむにゅ、すげぇ、もっとむにゅむにゅ。へぇぇぇって感じでさ」
「あー私もソレ覚えてる。すんごぃ真面目な顔で、美樹のお尻むにゅむにゅ掴んでたよね。触ってたじゃなくてさ、美樹も黙ってムニュムニュされるがままだしさ。それで、おチンチンがさ・・くくくくくくくくく」
左手の人差し指をピンっとしながら、そんなヘンな笑い声で、右手をムニュムニュさせないでよ。それって確かに、思い出せることだけど、あれから、もっと別の所もチュッチュッされて、私と春樹さんはそれ以上の関係になってるんだし。でも、あゆみまで・・。
「やだぁもぉーそれは思い出すことじゃないでしょ、くくくくくくくく」
って、ヘンな声で笑ってるし。さらにあゆみが大声で。
「あーもう一つ思い出した」
って次はナニ?
「ほらほら、夏休みにさ、美樹と春樹さん、アスパの下着売り場でケンカしてたじゃない」
って、確かにそんなことがあったけど、アレはケンカではないと思う。
「証拠写真まだあるし、ほら、ブラジャーを吟味してる春樹さん」
「えぇーホントだ、ホントに春樹さんがブラジャー吟味してる」
それは・・私が。・・って、出さなくてもいいでしょ。
「春樹さんって、あーゆー場所が実は好き」
「美樹をダシにして女物の下着売り場を探索してた」
・・・それってどういう空想なのよ・・と思う。
「だからさぁ、実は、美樹の人形とか作ってたりして、夜な夜な・・スカートペロン。パンツ替えますよ。なんてしてたりしたらどうする? ブラジャー頭にかぶる人とかだったりしたらどうする? あぁ~想像しただけでサブイボが出てきそう」
って・・いきなりそんな話題になると理解しようとしても思考が停止して。
「ロリコン、ネクラ、理系、オタク・・変態マッチョマン・・美樹の人形・・スカートペロン・・うわぁぁぁ。人形のお尻もムニュムニュ摘まんだりして・・それで、おチンチンがピーンって。やだぁ、へんな空想が湧いてくる。あーホントにサブイボ出てきた」
とあゆみも自分をハグして手で肩をすりすりし始めるし。私もピーンを思い出すと。「入れるよ、したいんだろ」って声が聞こえる気がして。
「やめてよ・・そんな空想」と言うのが精一杯だけど・・ピーンを思い出してる私はアレ以外の事はどんな空想もできないほど頭の中真っ白かも。それより、私の人形ってナニ? スカートペロンって? そう思っていると弥生の顔が急にまじめになって。
「空想かな・・実際はどうなのよ、美樹って今、春樹さんのコト、何を、どれだけ知ってるの?」
そう言われて、知ってることと言えば・・誕生日くらいかな・・。としか思いつかないし。
「ほらー何も知らないんでしょ。そんな風に、付き合ってみないと知りえないことっていっぱいあるんだから。想像と現実のギャップに、今から心の準備が必要って話」
まぁ、言われてみればそうかもしれないけど。
「なんだかそう言うこと聞くと、毎日美樹の報告を聞きたくなりそう。春樹さん本当はどんな人だったの? 昨日はナニしたの? どんなお話したの? 一緒にお風呂とか入って春樹さんの裸とか見ちゃったりしたのかなぁ?」
「そうよねぇ、男と付き合うと、そういうことが必然的に・・」
必然的に? ・・このキーワードにビクンと反応する私の想像力は、一瞬で地平線の向こうまで広がって。もやもやした空想ならこんなに鮮明な映像にできて、空想してる春樹さんの裸とか唇とか舌とか指先が現実に、私の体中の敏感なスポットをぷにぷにぬるぬるざらざらと刺激し始めるから。身震いしてることばれないように。
「やめてよ・・そんな・・空想」
と、何度もつぶやく私が一番そんな空想してるのかもしれないし。それ以上に、二人の会話がリアルな本物の現実になりそうで。現実になったとしても。
「なにがあっても報告なんてしないし」というか、絶対報告なんてしたくないし。
「あーずるい、そんなの。ねぇ。私も彼氏できたら報告するから」
とあゆみは言うけど。それはカレシができていないから気軽に言えることなんだと思うし。
「弥生だって、彼氏いるコト黙ってたでしょ」
と話を弥生に振ったけど。
「って・・まぁ・・そういうこと誰にも聞かれなかったから」
それはごもっともな返事ですけど。じゃ、聞いたら話してくれるわけ。と言おうとしたら、またチャイムが無情に鳴り始めて、話の途中で授業が始まる。授業中もお昼ご飯の時も、一日中、ぬるぬるした空想がもたげて、気持ちが重くなって。ため息が止まらない。はぁぁぁぁ。吐く息が全部ため息になってる。はぁぁぁ。
家に帰ってからも、ベッドでゴロゴロしながら何も考えられなくなってると、「そういうこと、不安ならすぐに聞けばいいじゃない。そのために付き合うんじゃないの?」 と心の奥底からの声にも説得力があるけど。それ以前に思う事は。春樹さん。
「どうして、電話とか、メールとか、してくれないの」
と、春樹さんの番号を呼び出したままの画面にぼやいた私。お互いの気持ちを確かめるために付き合おうって言ったのは春樹さんでしょ。だったら、何か言って、なにか聞いて、私の気持ちを確かめてほしいのに。何も言わないし、なにも聞いてくれないし。
「何か言ってくれないと解らないでしょ。何か聞いてくれないと、何も確かめることできないじゃない」
と画面に向かってぼやいたら、暗くなった画面に映っている私が。
「そういうこと、何か言ってあげればわかることでしょ。何か聞いてあげれば確かめられるんじゃないの?」
そうつぶやいた気がして。
「それは・・そうだけど」
とつぶやくと。じゃぁ、私から言うべきなのかな、聞くべきなのかな。と思っても、答えは返ってこないし、何言えばいいのか思いつかないし、何を聞いていいかも解らなくて。また。ため息を何度も長々と吐いてるうちに。いつの間にか朝になって。はっと目が覚めて、昨日よりは少なくなったような期待感で電話に手を伸ばしたけど、春樹さんから連絡があった形跡はなくて、昨日より大きくなった不安な気持ちがまた、あくびより先にため息を吐かせる。はぁぁぁぁともう一度大きく息を吐いてから時計を見ると、どうしてまた5時17分、昨日にタイムスリップしたかのように同じことが同じタイミングで起こる日々が永遠に続きそうな錯覚。だから。朝食の支度をしているお母さんに。
「今日って何曜日?」と聞いたら。
「金曜日でしょ、明日は土曜日で明後日は日曜日」
金曜日か・・とりあえずはタイムスリップとかしてるわけではなさそうだけど。
「ごちそうさま、今日も美味しかったよ」とお父さんの声に遮られて。
「今日も帰りは早いの?」
「うん・・いつも通りかな・・遅くなりそうなら電話するから」
「はーい、ネクタイそれでいい?」
「うん。靴下は」
「あー、穴開いたらすぐ言ってよね。いつまでも穴開いたまま履いてないで、こんなの誰かに見られたら恥ずかしいでしょ」
「うん・・まぁ・・誰も見ないし」
「私が恥かくのよ、こういうのって」
ってこの会話・・聞くのって何回目? ホントに・・一昨日とかに戻ってない? そんな、ものすごい不安が押し寄せてくるから。
「・・・本当に今日って金曜日?」大真面目に、もう一度お母さんに聞いたら。
「・・え・・って金曜日だよね」とお父さんに振って。
「たぶん・・金曜日でしょ」お父さんも自信なさそうで。私をじっと見るお父さん。
「熱でもある? 具合悪くないか?」
とおでこに手を当てるから、たぶん、今日は金曜日だ。昨日も一昨日もこんなことされなかった。
でも、学校に行くと、弥生とあゆみの会話はまた昨日と同じように。目をランランとさせながら。
「春樹さんとどうなったの?」
って言われても、電話もメールもないから。
「別にどうもなってないし」
としか答えようがないし。
「どうもなってないって・・付き合い始めたんだから、何かあるでしょ」
「・・だから」電話もメールもなくて・・。
新しい話題が何もないから、何も答えられないことがストレスになっているかのようで。
「それって、本当に付き合っているの」
あゆみの、その一言が気持ちを、またこんなに不安にさせ始める。付き合おうかって言ったよね。うんって返事したよね。なのに、これって私たち本当に付き合っているのかな?
そんな金曜日の夜更け。こうして連絡がないことを不安に思う気持ち、連絡がなくてイライラし始める気持ちを、お互いの気持ちを確かめ合うってこういうこと? と考えてみるけど、こんなにイライラしたり不安になるのはやっぱり、私が春樹さんの事を想うからそうなるのであって。私の気持ちは自分自身でちゃんと確かめられているはず。でも、彼も・・春樹さんも私からメールも電話もないことに不安になったりイライラしたりしてるのかな? 春樹さんも自分自身の気持ちをこうして私とお喋りすることがまんして確かめようとしているのかな? それとも、と思いついたことは。これって、どっちが先に降参するか試してる・・とか? どっちの方が意地っ張りなのか確かめている。それがお互いの気持ちを確かめるってこと? どうなんだろう・・それは何か違う気がするし・・。考えれば考えるほど、はぁぁっと粘っこいため息がモヤモヤする。でも。付き合うって、こんなに考え込んで、悩んで、・・これって正常なの?
「違うよね・・絶対・・付き合うって、こんなことじゃないでしょ」
そうつぶやくと。付き合うって、気兼ねなくお喋りしたり、二人で買い物したり、二人で遊園地行ったり、手をつないでお散歩とか、お食事も・・お食事は土日のお昼は一緒に食べてるけど・・。そう思うと、弥生の声が聞こえて。
「美樹って春樹さんの何をどのくらい知ってるの?」
だから、知っていることを羅列しようとすると。誕生日と、おっぱいよりお尻が好きって言ってたかな・・。それ以外には・・。夢の話いつかしてくれたよね・・してくれたけど・・私・・思い出せない? 春樹さんの夢って・・確か、すべての夢を叶えてくれる流れ星を自分の手で? そうだよね、大丈夫・・私はあの瞬間に聞いた春樹さんの夢の話を思い出せる。でも、流れ星か・・。それのどこが夢なんだろう。
「・・春樹さんって、本当はどういう人なんだろう・・」
そうつぶやいた瞬間、ブーンブーンと携帯電話が短く震えて、この震え方は、もしかしたら、キター? 春樹さんの方が降参した。つまり、私の方が意地っ張り。という勝利の予感がしてる? だから、ドキドキしながら画面を見たら・・・。
「知美さん・・か・・なんだ・・」でも、なんだろう。「知美さん」とつぶやくと、別の意味でドキドキし始めるというか。敗北の予感というか。もしかしたらアメリカから帰ってきたのかな? だから、春樹さん私に連絡くれない? もしかして、ここ数日の展開って全部夢だったとか? 知美さんがいない別の世界だったとか。そんなネガティブな空想が走馬灯のように次から次に頭の中を駆け巡っている。もしかして、春樹さんが私とのことを知美さんに喋ったとか? 約束は夏休みが終わるまでだったでしょ、とか。あの子に手を出すのはもうやめてよとか。そんなことが書かれていたらどうしよう。と思いながら、そうっとボタンを押したら。
「Long time no see. how are you. I’m enjoying American life now. It’s so happy. アメイジング グレイスってスペル解らないしぃ・・英語は苦手だー(T_T)・・・ムリ」
というイヒョウな書き出しから始まって。
「美樹ちゃんどうしてる? 私は今ワシントンでアメリカンライフを楽しみながら、ちょっと心配なことが起こっています。美樹ちゃんなら解決できそうな問題です。実はね、春樹君が私の事を怒っている。・・かもしれないの。たぶん、かなり怒ってる。だから、ちょっと探りを入れてくれない? 会社の帰りにアメリカに行ってきますってメールした時からあの子の返事がなくて、あの子怒るとさ子供みたいに拗ねて無口になるのよ、たぶん怒ってるから・・美樹ちゃんお願い、あの子が私の事怒っていそうだったら、 なだめてあげて、静まり給えって、お祓いしてほしいの。それと、あの子の世話もお願いね。あの子、見たまんまの寂しがり屋さんだから。あーもぉ、毎日メールしてるのに全然返事してくれないのよ。しつこくするとあの子には逆効果だしね。ちょっと不安だけど、あの子、美樹ちゃんの言うことなら聞くと思うから、お願いね」
って・・ど・・どんなメッセージですかコレ・・私・・ナニすればいいの? コレって。それに、えっ・・なんとなくイメージ湧かないのですけど・・会社の帰りにアメリカに行ってきますって。アメリカって会社の帰りに行けるところ? と言うか、これって、知美さんがメールしたときって・・春樹さんとお好み焼き食べた、弥生にやきもち焼いたあの日の事? 確かあの時、春樹さん携帯電話を眺めて、怖い顔してはぁぁとため息吐いてムスッとしてた・・。そんな映像をかなり鮮明に思い出せる。
すると、もう一度ブーンと電話が震えて。びくっとするとまた知美さんから。
「それと、あとひと月くらい日本に帰らないと思う。私がいない間に、あの子と仲良くなっちゃう? そういうこと遠慮しなくていいからね。今はただあの子の無事を知りたいのと、あの子が怒ってるなら、知美さんがごめんなさいって言ってましたよって伝えてほしいの。心の底から誤ってましたよって。じゃ。日本は何時かな? おやすみなさい。明日はフロリダに行きます。またね、なにか面白いことが起きたら教えてネ CU」
CU? ってなんだろ。そんな文章読みながら。何気に連想したのは、チーフの声。
「アノ娘、ともちゃん、ちょっとどころじゃないくらいぶっ飛んでるだろ」
確かに、ぶっ飛んでますね・・会社帰りにアメリカって、どういうこと? って・・それより、あの子と仲良くなっちゃう・・そういうこと遠慮しなくていいからね・・って。ごめんなさいって言っていましたよって伝えてほしい・・って。あの子怒ると拗ねて無口になる・・。そうなの? 春樹さんのそういう事って、見たことないし、そんな雰囲気感じたことないけど。心の底から誤る・・あ・・字間違えてる。と言うか、あの時、弥生のお店を出た時、大の字に手足を広げて「ぎゃゃゃゃやったぁぁぁぁ」と叫んだあの知美さんが心の底から謝るなんて、それも想像できそうにないかも。確かめるべきなのかな? でも、知美さんからメールがありましたよなんて、私と知美さんがそう言う関係だなんて、春樹さんには口が裂けても言えないというか・・。知られたくないというか。知美さんに返事してあげてくださいなんてストレートにも言えないし。どうししたらいいんだろう。コレ・・ただでさえややこしくなりそうな話なのに、知美さんか割り込んでくるともっとややこしくなってきそうで。また思考停止状態になってる私。本当に頭の中真っ白な・・闇・・が覆いはじめたかも。白い闇って・・。そうだよね、闇って暗くないと出口の光が見えないんだよね。もしかして・・私、出口がないコトを悩んでるの?
そして。私たち付き合いましょう、改めてよろしくね。美樹は特別なんだ。そんな言葉を交わしてから、何日過ぎたのかな、あれって現実だったのかな、夢だったのかな、絶対現実だったよね、と目が覚めた今日は土曜日の朝のはずなのに。またそぉっと顔を向けて見た時計が5時17分で。これって昨日に戻っていないよね、と昨日と同じ不安を感じながら電話を手にすると、まだ、春樹さんからのメッセージはなくて。無意識に読み返してしまう知美さんの依頼については・・とりあえず、「黙っとこ」と心に決めて。でも、何だろこれ、私たち付き合いしましょう、改めてよろしくね。美樹は特別なんだ。そう言ったはずなのに。全然特別じゃないというか。メールも電話もないなんて。特別なら特別に特別なメッセージとかお話とかあってもいいはずなのに。そうぶつぶつ考え込んでいると。なにか閃いたというか、トクベツ・・あ・・これかな、トクベツ・・何気なく、ふと気づいたこと。私、カレと特別に・・なったと思うから、気持ちがいつもと同じではなくなっていて。特別だと意識するから、なにかいつもと違うことが起こること期待してる? のかもしれない。そういえば、今まで春樹さんから電話とかメールとか、特別にあったわけではないし。ときどきはあったけど、特別なんだと言われたからと言って急に特別になるわけでもないか・・。そうだよね、なにか気付いたかな私。悟った? そう思いながらもう一度シーツに包まって。気持ちを整理しながら、もう一つ気づいたことはたぶんコレ。
「美樹、アルバイト行く時間でしょ、早く起きなさいよ」
とりあえず、お母さんのこの声を聞いてから起きることにしよう。いつも通りを装うつもりで、つまり、無理やり、特別なこと、つまり、いつもと違うことはしないように。私は、いつもと同じ土曜日になることを願っている。はず。春樹さんと「付き合いましょう、改めてよろしくね」という関係になったことについて、急になにか特別な変化を求めているわけではないと思うし。何か特別な変化があったとしても、特別に何かをどうしていいかも解らないから、とりあえず、今日は、いつも通りに春樹さんと会って、いつも通りに二人の時間を過ごして、いつも通りにチキンピラフを二人で食べて。何でもない一日を過ごすことにしよう。そのうえで、いつもより一言だけ込み入ったお話ができればジョウテキでしょ。込み入った話。例えば、「今度二人でどこかに行きませんか? とか、買い物に行きませんか? とか」できるじゃん私。気持ちを楽にすれば、こういうことすんなりと思いつけるじゃん。よし・・もう一度枕相手にリハーサル。
「今度二人でどこかに行きませんか? 買い物に行きませんか?」
よし言える、簡単じゃん。よし、今日はこれを言おう。
「もぉー美樹ってば、今日はアルバイト行かないの? 早く起きなさいよ」
「起きてるわよ、もぉ」
でも、とりあえず、起きてテーブルにつくと、昨日と同じ朝食が昨日と同じ配列で。お味噌汁から立ち昇る湯気の形まで同じような気がして。私、タイムスリップしてないよね、と、ここ数日何度もそう思ってしまって、やっぱり不安になるから。
「今日って土曜日よね」とお母さんに聞くと。
「そうよ、土曜日はアルバイトに行く日でしょ。春樹さんに会える日なんだから、美樹もそろそろ、早起きして、おめかしとか、しなくてもいいの?」
おめかし? だなんて、いつもと同じじゃない言葉が出てくると、何か特別なことが起きそうで、予想できない未来が私をパニックにさせ始めて。
「春樹さんと何か進展したんでしょ、そういうことそれなりに意識して、恋してることアピールしなくていいの。って意味だけど」
恋してることアピール・・? ってそれも、いつもと違う言葉。恋ってアピールしなきゃならないコト? アピール? それって自慢? の事?
「って、どんな?」
「はぁぁぁぁ・・ったく・・」
ったく・・って笑われながら言われても。
「まぁ・・経験積まなきゃ解らないことかな・・こういうことって」
「経験・・こういうこと?」
ってナニ? と思うのに。
「ほらほら早く食べて、美樹もそろそろ、男の子を意識して、お化粧とかするようになるのかなって思ったけど」
お化粧? 男の子を意識して? それってそういう事って、意識してするものなの?
「あーそうだ。お化粧と言えばさ。知美さんって無茶苦茶綺麗だったでしょ、お化粧の仕方、あの人に教われば。きっとものすごく詳しいはずよ」
って、どうしてここで知美さんの名前が出てくるの?
「でも・・まだ早いかな、必要ないか・・美樹って肌綺麗だし」
これって。またお母さんの独り言? いつもと違う会話にタイムスリップしていないコトを安心していいのか。いつもと違う会話に、別の世界に放り込まれたような不安を感じるべきなのか。メザシをくちゃくちゃ噛みながら。お化粧・・知美さんに・・教われば・・まだ早いかな・・それより・・おめかし・・って・・おしゃれの事かな? 春樹さんに会うのだから、そんなことも必要? 私たち特別な関係になったのだから・・いつものジーンズとシャツじゃダメ? いつも通りの土曜日にしようとさっきから決意してるのに、お母さんの独り言のせいで、人生で一番特別な日になりそうな予感もするし。でも。着替えながら。
「急にそんなこと言われても、特別カワイイ服なんてないし・・」とぼやいたら。いまさら、そんなこと・・。だから。いつも通りの格好でアルバイトに行くことにした。いつも通りの土曜日にするんでしょ。と自分に言い聞かせたけど。本当は、ものすごく特別な一日が始まったかもしれない予感もしているし。でも、普段通りに、いつも通りに。でも、カレシになった春樹さんって・・いつもと違うのかな・・ぶつぶつ考えていたら・・また思考停止状態になって、お店までの道のりで、知らない間に魂が体から抜け出していた。
そして。
「いらっしゃいませようこそ何名様ですか?」
そうつぶやいてる自分に えっ? と気が付いたとき。お客さん向けの笑顔を作ったまま、また私、幽体離脱していたことを実感している。そして。
「ご注文は以上でよろしいですか。それでは、ごゆっくりお過ごしください」
と愛想笑いを元に戻しながら、振り返った瞬間、無意識が振り向かせる時計の針は、また、決まって11時40分。私を強制的に制御している無意識は、私に、そのまま窓の外に振り向くよう指令を出して、窓の外、いつも通り黒ずくめの衣装の春樹さんが、まるで私が振り向くのを待っていたかのように、黒いオートバイで駆け抜けて。
ドクン・・と心臓がいつもの何倍も膨らんだ気がした。どうしてこんなに緊張し始めてるの私? いつも通りに過ごすつもりなんでしょ。普段通りでしょ。この時間に春樹さんのオートバイを見るのって、それもいつも通り。と思っているのに。
「おはよ、お疲れ様・・」
とお店のドアを開けて、ヘルメットを手にしたまま由佳さんや優子さんに笑顔で挨拶してる春樹さん。私をチラッと見てから、しっかりと視線を合わせて、ニコッと微笑んで、視線を重ね合わせたまま、じっと私を見つめたまま歩いて来る。そして。
「みーき・・・おはよ。今日も一番可愛いな」
え・・と思いながら、奈菜江さんの視線が気になったのは。今のセリフに奈菜江さんも確かに反応したから。
「一番可愛いな?」
とつぶやいた声も気になったけど。それより、春樹さん、ほんわりしてる柔らかい笑顔で立ち止まって・・。
「おはよ・・何も変わってないよね」
そんな、いつも通りではなさそうな一言に。え・・? と思いながら、私はいつも通りに。
「おはようございます」と挨拶して。愛想笑いで「何も変わってませんけど」と思いながら、ニコニコと微笑んだまま裏方に入ってゆく春樹さんを横目で追いながら。
「あらら・・ちょっと意識していそうね春樹さん」
と奈菜江さんが耳元でささやいた声に びくっ と振り返ったら。
「一番可愛いな。だって。何も変わってないよね。だって。ふふふふふふ。なにか変わりそうなことがあったのねぇ。なんだかうらやましいかも」
そう続ける奈菜江さんがニタニタと手で口元を押さえて笑っていて。どう言っていいかわからないからオロオロ立ちすくんでいると。
「ねぇねぇ、今日って、春樹さんの雰囲気。なにか違わない?」
と私に言ったの? と思ってしまう、優子さんまでもがニタニタと私に歩み寄ってきて。奈菜江さんが背伸びしながら、前屈みの優子さんの耳元に。
「ごにょごにょ」すると。。
「えぇー?」と口元を押さえて叫んだ優子さん。
えぇーって何ですか? ナニを話したのですか? と思ったら、優子さんが目を真ん丸にして。
「じゃ、やっぱり、裏でキスしてたってホントだったの?」な・・なんの話ですか?
「し・・し・・してませんよ」ってまたこの話。
「あゃしぃ・・・。へぇぇ、そうだったんだ、美樹と春樹さんが・・」
って、奈菜江さん、ナニ話したのですか? 私と春樹さんがナニかしたって言っちゃっいましたか? オロオロそう思うのに。
「ほらほらまたもぉ、美樹と春樹の事で仕事止めないでよ」
と由佳さんが割り込んできて。怖い声で。
「美樹も、イチャイチャするのはいいけど、お店の中てはほどほどにしてよね」
と、なんだか由佳さん機嫌が悪そう。でも、いちゃいちゃなんてしてませんよ・・と言いたいけど。
「休憩時間だけにして、そういうこと。私たちは反対とかしないから」
由佳さん・・反対とかしないから・・って?
「みんな応援してるよ、美樹と春樹さんが本当にくっついたらいいのにねって思ってる」
と言うのはニコニコしてる奈菜江さんで。優子さんもニコニコバッチのような笑顔で。
「もぉ、美樹に先越されちゃったけど、こうなっちゃったら、もう妬んだりしてないし、私も応援してあげるから」
と言ってくれて。でも。
「だから、仕事中は仕事に集中してください。イチャイチャしたいなら仕事終わってから時間作ればいいでしょ」
と、本気の恨めし顔で言っていそうな由佳さんの声に身震いしながら。
「はい・・それは、解ってます」
と返事して。
「はいはい、ほらほら、仕事に戻りましょ。春樹にも私からきつく言っとくから」
キツクって・・ナニを? と振り向いたらキッチンに出てきていつも通りに冷蔵庫をパタパタさせながら点検してる春樹さんに。
「ねぇ春樹」
と低い声をかけた由佳さんが私を横目で見ながら。
「んー・・ナニ?」
と、面倒くさそうに振り返った春樹さんに向かって。
「ほにゃほにゃ・・ごにょごにょ・・」それってわざと私に聞こえないように言いましたか? というか、由佳さんの目つきが本当に怖いかも・・。と観察していると。
「そんなつもりはないけど・・別にいいでしょ、美樹ちゃんってまだ17歳なんだし、経験も浅いんだしさ。気を遣ってあげないと可哀そうだし、それに、お前も大人ならそんなにひがまなくても」
と小さくても私には聞こえた春樹さんの声に。
「ひがんでなんかないわよ」
と大きな声の由佳さんに、びくっとした私も、みんなも、お客さんまでもが振り向いて。みんなの注目に気付いた由佳さんは、プイっと仕事に戻って。私を・・無視した? えっ? 今のナニ? と思いながら春樹さんに視線を向けると。ニコッとしてから。うん・・とうなずいて。心に届いた気がしたテレパシー。本当に声が聞こえてる気がする。
「意識して特別扱いはしないけど。美樹は特別なんだ」
だから、私も、うん・・とうなずいて。目を伏せたら。なんとなく、実感がする。つまり、私たち、本当に付き合い始めたんだな・・という感じ。今、間違いなく彼の声が私の心に届いた。けど。
「美樹・・由佳さん・・生理かもしれないからとりあえず今日は春樹さんと距離取りなさい」
耳元、ささやき声で奈菜江さんにそう言われて。あ・・そうだ、由佳さんのあの態度・・。に思いついたこと。
「あの・・由佳さんって・・今のヤキモチとかじゃないですか?」
そう小さな声で奈菜江さんに訊ねてみたら。
「・・ヤキモチ・・」
とつぶやきながら。あっ・・と何かに気付いたように口が・・あっ・・となって。
「私もあんな風になったことがあります、最近」
というか。そう思って、由佳さんに視線を合わせると。私の事、無理してプィっと視線を反らしたような。
「・・そうかもしれないね・・ヤキモチか・・でも・・それに生理がかぶって、さらに何かスランプなことが重なって、ストレスたまってる朝からテレビの占いも雑誌の占いも、アプリのおみくじも最悪だったとか・・だったら、今日は本当に春樹さんとも距離置いた方がイイと思うよ」
別の意味で、ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ・・のテーマが聞こえてきそうな奈菜江さんのアドバイス。
「そうですね」
横目で春樹さんを見て、だから「そう言うわけですからね」とテレパシーを送ったら、視線が一瞬合った気がして。たぶん、届いているはず。そう安心したら奈菜江さんが耳元に囁く声。
「意外とさ、由佳さんって、春樹さんの事、好きなのかも」
に、振り向きながら。
「えぇー?」と驚いてしまいそうな・・そうなんですか?
「よく肩とか揉んでもらってたのよ、美樹が来る前って。休憩時間イチャイチャしてたの由佳さんでしょ、春樹さんと。まぁ、私も優子も時々揉み揉みしてもらったけどね。結構気持ちイイの春樹さんの手付きって」
そ・・そうなんだ・・とそう言えば春樹さんに肩を揉まれてた由佳さんの事一度見たこと思い出せるかも。みんなでそんな話したかも、と思いながら由佳さんと視線を合わせると。
「しゃべってないで仕事してよ」って怖い顔・・。
由佳さん・・本当に怒っていそう・・・。だから。
「はぁーい」と返事して、お客さんに愛想を振りまきに行こう。
とりあえず、知れば知るほど、そうなんだ、と言う感じが仕事中もずっとし始めた。これも、春樹さんと付き合い始めたから? かな。
そして、そんな出来事のせいで、かなり集中して仕事したせいか、もうこんな時間? と思うほど早く「二人の時間」がやってきて。
「美樹、そのオーダー捌けたら、二人の時間行っていいから」
「はい・・」
と由佳さんに言われて、カウンターに上がったお料理とオーダーシートを点検していると。
「美樹ちゃんごめんね、今日はちょっとタイミングが悪いかも」
と春樹さんの声。えっ・・と顔を上げたら。
「スパゲティーがどわーっと入ってるから」
と、コンロに向かう春樹さんと。
「俺がしようか」というチーフと。
「いえ大丈夫ですよ」とスパゲティーに取り掛かる春樹さん。
「ほら、美樹。早くもって行って、休憩行きなさいよ」と由佳さんもお皿を手にして。
「はい・・」
と振り向き際にチーフがウィンクするのが見えたような。
「5番のオーダーこれで終わりです、どうもありがとう」
そう言って、お客さんの所にお料理を運んでから。
「それでは、休憩いただきます」
と由佳さんに言って、カウンターをのぞいたら、また5つのフライパンをガシャガシャさせている春樹さん。
「これ捌いたら休憩とるから、10分ほど待ってて、美樹ちゃんいつもの?」
「・・はい・・いつもの、お願いします」
そう返事して、裏に行こうとすると。チーフが由佳さんに向かってフンって顔をしかめて。由佳さんはプィっとお料理を運んで。このタイミングってわざとかな? と一瞬思ったけど。考えすぎだよね・・という気もするけど、まぁ深く考えずに休憩室で一人で座って、春樹さんを待つことにしたら。
「ちょっといいか・・。なぁ、美樹ちゃんよ、あの話、春樹にしたか?」
と後ろから声をかけてくれたのはチーフで。振り向きながら。
「え・・いえ・・まだですけど」そう返事した。
でも、あの話って、春樹さんを口説き倒してチーフの後を継げって話の事。と思い出していたら。
「だろうな・・ったく。なんなら、休憩時間じゃなくて、出勤時間とか合わせてみたらどうだ?」
「え・・」
「土曜か日曜か、どっちか帰る時間同じにしたら、春樹ともう少し込み入った話もできるんじゃないのか、昼間のこの時間はいろいろと邪魔が入りそうだし」
って・・ナニの話?
「春樹もお前も、不器用でじれったくてまどろっこしくて、歯痒くてヤキモキして見てられないというか、あーもーって、お節介焼きたくなるのよ。はぁあぁ・・・まぁ、そう言うことだ」
と話を途中で強制的に終わらせて休憩室から出て行くチーフと入れ替わるように。
「美樹ちゃんお待たせ、はい、いつもの」
と春樹さんがチキンピラフを運んで来てくれて、なぜだか、チーフの「まぁそう言うことだ」が頭の中でこだましてる私。そういうこと? って、どういうこと? 一瞬考えようとしたけど。
「チーフと何か話してたの」
という春樹さんの声に。え・・あ・・いえ・・と考えてたことが飛んだというか。
「ううん・・別に何も・・」と首を振りながら。
「そぉ・・じゃ・・何かほかに変わったこととかは?」
と、今までそんなこと聞かれたことがないことを聞かれて。
「ううん・・別に何も・・」
と春樹さんの顔を見ながら同じセリフを繰り返している私。を見つめてニコッと笑う春樹さんにつられてニコッとすると。
「まぁ・・どうぞ・・いつもの」そう言うから。
「いただきます」とつぶやいて。
いつものチキンピラフを口に運ぶと、いつも通りの美味しい味付けに感じる、どことない安心感。なにも変わってないよね・・と自分に言い聞かせながら。
「おいしい?」といつも通りのイントネーションで聞く春樹さんに。
「うん」といつも通りの返事をして。
でも、微かに感じるいつも通りではない雰囲気を確かめたい気持ちもするから。チラチラと春樹さんの顔を見ながら。そうだよねと思い出すことは。やっぱり・・私たち・・この前から・・そうですよね。そういう関係になりましたよね。と、心の底から大きな音を立てて火山噴火のように湧き上がっている、この気持ち。「ぎゃゃゃやぁったぁぁぁぁぁ」と知美さんのように手足を大の字にして叫びそうな私ではない心の中の私の騒がしさとは反対に、春樹さんの雰囲気はカチャカチャとお皿に響くスプーンの音より静かで。だから。
「あの・・春樹さん」・・私たちって、カレとカノジョですよね・・。
と確かめたいから声をかけても、それ以上どんなお話をするつもりだったのか思い出せないというか。言葉に詰まるというか。春樹さんも。
「ナニ?」
と答えてくれるのに。
「ううん・・何でもないです」
としか言えないというか。確かに、お店では意識して特別扱いはしないでほしいですけど、私の事を特別だと言ってくれたこと、ほんの一言でいいから確かめたいのに。ぶつぶつ思いながらうつむいてモクモクとチキンピラフを食べていると。
「あの・・」
と、どもっている声で春樹さんが何か言おうとした。だから、ドキッとしながら。
「はい」と期待を込めて顔を上げると。
「・・あ・・いや・・何でもないのだけど」と、私と同じ反応の春樹さん。
カチャカチャとお皿とスプーンが立てる音がしばらく休憩室に響いて。
結局、何も話さないまま、言いたいことがたくさんある気がするのに、それを言葉に組み立てられないというか。この沈黙が息苦しくなり始めたのか、春樹さんは更衣室からまた本を取り出してきて・・真剣な顔で読み始めるし。でも、いつもと違う雰囲気は、いつもより本が小さくてカバーがかかっていて。チラリチラリと私を気にしながら読んでいるような。気もするけど、こんなに何も喋ろうとしないから、なんだかつまらないな・・と思いながらうつむいて、はぁぁ、と聞こえるようなため息を吐くと。本を読むのをやめて。
「ねぇ・・美樹ちゃん」と話し始めた春樹さん。
目だけで、ナニ? と返事すると。
「美樹ちゃんって、どっち?」
えっ? って。何が?
「能動的とか、受動的とか、アクティブとかパッシブとか・・その、普段の美樹ちゃんっておとなしそうな受け身的な自分からは何も言わなさそうな女の子の雰囲気かあるけど、ほら、デートに誘えとか、プールに行こうとか、宿題を手伝えとか。結構能動的、アクティブでしょ・・つまり、自分からアレコレ要求するタイプ」
って・・なんの話ですか?
「あれから・・って・・その・・改めてよろしくお願いしますねって言ってからなんだけど」
あ・・いよいよ、この話。やっとこの話・・キター? と思うと、心が弾み始めるというか・・突然、本当に、心臓がバクバクし始めたかも。でも、とりあえず冷静に・・。
「その話は、まぁ、こちらこそ、よろしくお願いします」
って、何言ってるの私・・なんて言えばいいのこういう時。と春樹さんの顔をじっと見つめたら。
「その・・まぁ・・俺って、勉強が足りなくて、こんな本読んでるんだけど」
と見せてくれた今春樹さんか読んでいる本。カバーを取り外すと。
「彼女のトリセツ・・・カワイイ彼女ができたら読む本・・・」
というタイトルで・・。えっ? 勉強が足りなくて、こんな本を読んでる。カワイイ彼女ができたら読む本・・彼女のトリセツ・・って・・ナニ?
「そのね、能動的な女の子はみんなの中で一番だと言われると嬉しい・・とあるのだけど、ホント?」
えっ・・それって・・朝の「一番可愛いな」の事? 別になにも思いませんでしたけど。
「でね・・由佳の態度があの一言で激変したというか、そこまでまだ読んでなくて、今読んでるところに・・」
ってどういう話題ですか? これって。
「ただし、それは、大勢の前では言ってはいけない・・とあって・・まずかったかな・・と感じてるのだけど」
はぁ・・私には解らない話ですけど・・そういう話。
「その・・女の子は、何気ない一言で一気に冷めるとか。余計な一言を言うより、黙っていた方が無難。とか・・この本に書いてることって本当なのかなって・・その・・なんて言うか・・あれから、つまり、よろしくねって言ってから、その次って、どんな言葉がイイのかなって・・そういうこと解らなくて・・美樹ちゃんは、どんな言葉をもらうと嬉しいのかな?」
「・・・・・・・」
知りませんよ・・そんなこと・・と言うか・・自分で考えてくださいよ・・と言うか。それが、メールとか電話してくれなかった理由ですか? と言うか。
「受動的な女の子は、そんなことないです・・といいつつ、心の中ではほくそ笑む・・って、そんなことないです、と否定する態度を肯定してはいけない・・って難しい文章だな、否定する態度を肯定してはならないというのは、否定する態度を否定しろって意味だよね」
「・・・・・・」
知りませんよそんなこと。と思いながら、じっと見つめていると、本当に大真面目な春樹さんの表情は・・ふと、思い出した。弥生とあゆみが言ってた。アレ。
「アレよアレ」
つまり、私のお尻をむにゅむにゅと掴んでいた時のアノ表情。春樹さんって、もしかして、弥生やあゆみが言うように。ホントにロリコンでネクラで理系のオタクの変態マッチョマン? これが・・マッチョマン? のことなの?
「論理的ではないということかな・・女の子の感情って・・論理的ではないのは解っているつもりなんだけど」とぶつぶつつぶやいて本を閉じて。
「まぁ・・いいか」とニコニコと微笑み始めた春樹さん。
「おいしかった」と、急に、空になったお皿を見ながら、いつものように聞くから。
「はい・・」といつものように控えめに返事すると。
「正直に言いたい放題言ってもいいよ、今日のは塩味が効きすぎとか、スパイスが足りないとか」と聞くから。
「いえ・・本当に美味しかったですよ」そう答えると。
「これかな・・否定する言葉を肯定してはいけない・・つまり」
って、またさっきの話ですか? それ・・。どうしてこんなに真剣すぎる顔なの春樹さん。
「でも・・本当は美味しくなかったんじゃないの・・って聞くことが、否定の否定だよね」
と、考え込んでるし。だから。
「いえ・・本当に美味しかったです。いつも通り」
と、首を振りながら答えると。
「ホントにホント? 何か足りないとか、そういうことあるんじゃないの?」
とさらに私の意見を否定して。
「ありません・・ホントにいつも美味しいです春樹さんのチキンピラフ」
とまた首を振りながら答えたら。
「でも、本当に足りないものがあるなら言ってもいいから」
「だから、足りないモノなんてないって・・いつも美味しいです」
って・・なんだか、しつこい・・。
「だといいんだけど・・って否定を肯定すると・・あーそうか。そう言うことだ」
なにか閃きましたか? と春樹さんの表情が急に明るくなって。
「え・・何がですか?」と聞いたら。
「女の子が否定したことを肯定すると会話が止まりますよって・・そういうこと、なるほどね、これは論理的かもしれない」
って、なにを勝手に納得してるのこの人。この人・・という表現はマズイかな。
「なるほどね、そう言うことだ」
ってまた、そう言うことだって・・何がそう言うことなんですか? というか。春樹さんって、そうなんですか? 私、春樹さんの何かを知ってしまったような不安な気持ちが、今していますけど。え・・私、春樹さんのナニを知ったの今・・。
「でも・・・」
とまた本を手にして、ぱらぱらとページをめくって。
「否定を否定するのは3回まで・・できるだけ4回目では肯定して、喜ぶ、誉める、感謝する。そんな言葉で締めくくる」
と朗読しながら。
「こんな感じかな・・いつも美味しそうに食べてくれるから俺もうれしいよ」
と、感情のないセリフに、とりあえずうなずくと。
「・・・の次ってどう言えばいいのかな・・・その・・なんて言うかさ、俺って聞かれたことってなんでも答えられる自信あるのだけど、その・・これからよろしくねって言った後・・どんな話すればいいのか、なにも思いつかなくてさ」
って・・そう言う話題に私もどう答えていいかなんてわからないし。どうしよう・・息が止まりそうな気がする。
「何かこう、電話とかした方がイイかなとか、メールした方がイイかなとか、思うのだけど、なにも思いつかないというか・・これから慣れればいいのかな、そういうこと」
慣れればイイのかな? まぁ・・慣れればイイと思いますけど。春樹さんってホントにこんな人だった? 弥生も、今から心の準備してた方がって言ってたけど。その前に。
「男と付き合い始めると、いろいろ、えぇーそうだったの・・みたいなことが多くなるよ」
って言ってたことも思い出すけど。これがそれかな・・。でも、そうだったのってどうだったの? 私、混乱してる? と思い始めたら。
「あの・・」と話しかける春樹さん。
「はい・・」と返事したら。
「無理して話ししようとしなくてもいいかな」なんてことを話始めて。だから。
「はい・・別に無理して話ししようとはしなくても・・」いいと思いますよ。
「でも・・黙ったままって言うのもナニかヘンな感じだし」まぁ・・そうですけど。
「別に・・話がなければ話さなくてもいいんじゃないですか」
「まぁ・・そうだけどね」
まぁ・・私から何か話したいこともないというか・・。
そのままお互い何かを意識していそうなのだけど、それを言葉にできないまま時間が過ぎて。
「お疲れ様でした」と挨拶したとき。
「お疲れ様」と言ってくれた春樹さんも、それ以上は何も言ってくれなくて。立ちすくんでしまった私を見つけたチーフがため息吐きながら。
「オツカレ・・また明日な」
と、後ろを強調して返事してくれた時。
「春樹もお前も、不器用でじれったくてまどろっこしくて、歯痒くてヤキモキして見てられないというか、お節介焼きたくなるのよ。はぁあぁ・・・まぁ、そう言うことだ」
と、休憩時間に言われた言葉を思い出して。はっと気づいた言葉・・。
「また明日ね・・」と春樹さんに言ってみたら。
「うん・・また明日」という返事をもらった瞬間、ニコッとしてくれた春樹さんの笑顔に急に思いついたもう一つの言葉。
「電話してもいいですか?」電話くださいなんて、私から言うのはムリかも。と改めて思うから。してもいいですか・・となった気がするけど。
「・・・あ・・うん・・別に構わないけど」
「じゃ・・電話しますからね」ともう一度念を押して。
「うん・・」そううなずいた春樹さんの顔がどことなく嬉しそうだから。
「それじゃ・・また明日・・」
「また明日」
また明日・・とりあえず・・いつもより一言「込み入った話」ができたかも。また明日って。ジョウテキかな・・と思うことにしよう。
それにしても・・知れば知るほど、そうなんだね・・こういうことって。って・・そうなんだねって、どうなんだろう?
改めて・・よろしくお願いしますね・・おやすみなさい・・お姫様。と春樹さんの言ったことを小さな声でリピートすると。
「くくくくくくくく」と、おなかの底からこみあげてくる笑い声が腹筋をびくびく痙攣させて。
もしかして、私たちって、本当に・・カノジョとカレシの関係になったのかな? そう宣言したよね。「私たちお付き合いしましょう。うん」って。それに。
「特別扱いはしないけど、美樹は特別なんだ」
どことなく弱気な響きの春樹さんの声は。この前、お店でなんとなく私を意識して特別扱いしなかったことを言い訳したかった。それが恥ずかしかったのかな? と思えてくる。チーフの一言を思い出している私。
「春樹に言ったんだ、ここで美樹ちゃんばかり特別扱いしてると、男のいない女にひがみ倒されて、ねたみ殺されるぞって」
「春樹を口説き倒して、何とか引き留めて、俺の後を継いでくれって言ってくれないか」
「春樹も、美樹ちゃんのこと好きみたいだし」
「だから、まぁ、そう言うことだ」
だから、まぁ、そういう事。つまり、春樹さんは私の事が好きで、私の事を特別だと思っていて。私も好きだし、お付き合いしてみましょう、うん。と宣言したのは私で、春樹さん・・彼は、カレ・・って呼んでもいいんだよね、つまり、カレは、改めて、よろしくお願いしますね。と間違いなくそう言って。おやすみなさい、お姫様。確かにそう言った。だから。
「おやすみなさい・・王子様」
なんてことを枕に顔を埋めてつぶやくと、また、くくくくくくくくってお腹がヒクヒクしてしまう無限ループに陥ってしまったような夜更け。お腹の痙攣が収まってから、大きく息を吸って、ほーっとゆっくり時間をかけて吐き出すと、この気持ちって、やっとゴールにたどり着いた、そんな感じかな? 息をするたびに体が溶けていくような、こんなにリラックスな気持ち。なのに、なぜか「虹の向こうへ」を歌いながら回転スキップで夢の世界に駆け出しているようでもあるし。虹色の草原をくるくる回りながら、これからあの人とどうなるのだろう。とりあえずステップは踏んだと思う。つまり段階を踏まえて、私は彼に好きですって言って、付き合いましょうと言って、そうしましょうとなって。だから、その次の段階は・・必然的に。必然的に・・つまり、コレ・・が必然的にスクリーンいっぱいに広がり始めた。
「美樹、許して、気持ちを抑えられない、イヤだったら言って、ダメだったらダメっていって・・」
春樹さんの必死で優しさを保っている思い詰めた顔が、くぐもったセリフを言いながらゆっくりと近づいてくるから。
「言いませんよ、イヤだなんて、ダメだなんて・・私たちもうカレとカノジョでしょ」
そう言って唇を差し出しながら目を閉じた私。でも。だからと言っていきなり・・。コレって? どうして? 私の願望? 私の欲求? と思っていたら。春樹さん、どこを触っているのですか? 何してるのですか? そんなところをチュッチュっと吸ったら、内側から突っ張って張り裂けそうな痛さががまんできなくて、あ・・って声が。それに、そんなところをベロリベロリと力強く舐めたら、ざらざらと擦れるたびに全身を駆け巡るこそばゆい電流が体をよじらせて、もっとよじりたいのに、そんなに押さえつけられたらよじれなくて、流れる電流に耐えられないから、もっと、あぁ・・って声が。出ちゃうことが恥ずかしいから、やめてって言おうと薄く目を開けたら。私をじっと見つめている彼は。まじめな顔で。
「いい、入れるよ、したいんだろ」
なんてセリフと映像とぬるっとした感触ががものすごくリアルで。でも、そのセリフだけはイヤだから。
「イヤッ・・・」とシーツを蹴り飛ばしながら、小さく叫んで目を覚ましたら。
「ふぅ・・はぁ・・夢か・・夢だけど・・夢じゃない・・」
そうつぶやいて時計を見ると、どうして朝の5時17分? 本当に息が荒いのは・・。私・・どうなってたの今?
「ふぅ・・はぁ・・ふぅ・・はぁ・・」
まだ整わない息、体のあちこちがびくっと痙攣して・・。なんだか眠ってから起きるまでが一瞬だったような、目が覚めたのに、ものすごく鮮明に覚えている夢だったような・・いや・・現実だった? 今の・・いや・・夢だと思う。現実だったことだけど、今のは夢だ・・私の妄想ではないけど、トラウマになってるいつかの出来事・・。ふぅーはぁーとまだ肩で息を整えながら、とりあえず落ち着こう。予知夢だとしても今の私はアレを受け入れられると思う。アレ・・? イヤこれは予知夢じゃない・・過去のトラウマ・・もう過ぎた話。だけど、次は受け入れられる? と私・・今思った?
「いい、入れるよ、したいんだろ」
イヤ、違う違う違う違う。あの春樹さんのセリフだけは一生受け入れられない。絶対もう一度あんなことになったら違うセリフを言ってもおう。アレをする前に。したいと思っていることは否定しない。けど、入れるよって・・それは、入ってくる前に「もっと別のセリフがあるでしょ」そう言えばいいはず。したいんだろって・・春樹さんがそうだったんでしょ・あの時は。だから、次は。
「もっと別のセリフがあるでしょ・・」
私たち、昨日から、カノジョとカレの関係なんだから。そういうことは・・慎吾さんが言ってたように、遠慮なんてしないでズーズーしく言えばいい。私と春樹さんは昨日からカノジョとカレシの関係なんだから。言えるはずだし、ズーズーしく言っても許されるはず。でも。
「別のセリフって、例えば・・」思いつかない。けど。
とにかく。奈菜江さんも言ってたように。
「今日から私、ズーズーな女になって、春樹さんにわがまま言ってもいい。あの人は私のカレシで、私はあの人のカノジョなんだから」
そんなことを自分に言い聞かせてみたら。
「ナニぼやいてるんだろ・・」
心の奥底の、もう一人の私ではない私がそうぼやいた気がした。
そして、もう一度横になって背伸びして。これからもう一度寝るのもなんだし。あくびも出せないくらい目が覚め切ってしまっている気がするし。そう思って、起き上がって下に降りると、久しぶりに顔を合わせたお父さんがいて、えぇ~っと思ったのは。お父さん、こんなに臭そうな もじゃもじゃ の顔してたっけ? それに。
「アレ、美樹、どうしたんだ今日は早いな、まだ5時半だぞ」
と、納豆の糸をお箸でくるくる集めながら、寝ぼけていそうな声・・そう言えばお父さんと会話するのも、この前田舎に行ったとき以来かな・・。それにしても、お父さんってこんなに臭そうというより、向かいに座ったら、本当に臭い・・気がする。納豆の匂いじゃない・・。ナニこのヘンなにおい・・どうして? と思いながら。
「う・・うん・・なんだか、目が覚めちゃったというか」
とつぶやいて、お父さんにチラッと視線を合わせていると。
「最近ねぇ、春樹さんと何か進展あったみたいでね」
だなんてお母さんが背中の方からつぶやいて。そっちにいたの・・と思ったら。
「おっ・・春樹君と進展か・・そういう話は、朝から心臓に悪いな」
だなんて、どっちに振り向いていいかわからない状況になって。
「チューくらいしたんじゃないの」とまたお母さんがシレっとそんなことつぶやくと。
「そ・・そうなのか・・」と、お父さんが、ものすごく不安そうな顔で私を見つめるから。
「し・・してないわよ、チューなんて」
ってムキな口調で言い返すしかないし。それより、朝からというか昨日から、なんで、しつこく、そんな話題ばかり。
「ほらほら、このムキになって言い返すってさ、カレとチューしましたよ悪い、って言ってるみたいでしょ」
とお味噌汁をテーブルに運んだお母さんと。不安な顔で私を見ながら。
「美樹・・ホントに春樹君と・・そうなのか」と、そのお味噌汁をすすりながらそんなことをぼやくお父さん。もういい、今度は黙って知らん顔しておこう。そしたら。
「まぁ、春樹君ならお父さんは何も言わないけど、やっぱり、心配とかはしてしまうから。急に、お世話になりました、とかって出て行ったりするなよ・・そういうことは、心の準備とかさせてほしいから」
だなんて深刻な表情で・・その深刻な表情が、さらに臭く匂ってきそう。それに、私も。
「・・ま・・まだ、そ・・そんな、関係じゃないし」
といいつつ、そんな関係になる第一歩は踏み出したかもしれない・・と思っていたりして。
「はいはい、まだそんな関係ね・・お父さんも春樹君なら何も言わないけど・・だなんて、美樹も、カレシ作るより先に勉強しなさいよ、春樹さんだって、こないだみたいに毎日徹夜させたら迷惑でしょ」
って、話が急に変わると言葉に詰まるけど、それについても。
「・・解ってるし」
くらいしか言い返せないから、ムスっとしていると。
「お母さんも、春樹さんなら文句はないけど・・そういうことって・・」と言いかけた言葉。
「ごちそうさま、今日も美味しかったよ」とお父さんの声に遮られて。
「今日も帰りは早いの?」お母さん、何言おうとしたの今、そう言うことって? 気になるんだけど。
「うん・・いつも通りかな・・遅くなりそうなら電話するから」
「はーい、ネクタイそれでいい?」
「うん。靴下は」
「あー、穴開いたらすぐ言ってよね。いつまでも穴開いたまま履いてないで、こんなの誰かに見られたら恥ずかしいでしょ」
「うん・・まぁ・・誰も見ないし」
「私が恥かくのよ、こういうのって」
お母さんは、私の事よりお父さんの準備の方が大事て。お父さんも私の事より、会社に行く準備の方が大事で。だから、私はこの時間を少しずらせて起きていたんだなと改めて思い出しながら。とりあえず自分で麦茶を注いでごくごく飲んだ。
そして、お父さんを送り出した後のお母さん。私にいつも通りのメニューを用意しながら。
「ねぇ美樹、春樹さんと進展あったみたいって、さっきムキになってたけど、本当に進展してるの? ホントにチューしちゃったとか」
いやらしそうな満面の笑みで話題を振出しに戻したから。
「してないし・・まだ」とぼやいたら。お母さんはもっとニヤッとしながら。
「でも、家出したとき、春樹さんとエッチしたんじゃないの、春樹さん、許してくださいって謝りに来たことよく覚えているんだけどさ」
そんな話、というより、どうしてイチイチ謝るのよ・・春樹さんのバカ・・と思う。けど。
「・・そ・・それは・・したわけじゃない・・」と、だんだん消え入りそうな声になるのは。アレは私からどうぞって言ったわけじゃないって意味だからだけど。それ以上に、アレは・・未遂でしょ・・未遂よ・・未遂に決まってる・・絶対未遂。入ってきてチクっとしたかもしれないけど、蹴っ飛ばしたこと以外は全然記憶に残ってない気もするし。
「まぁ・・そういうことって、いちいち報告しろとは言わないけどね。お父さんも言ってたでしょ。ある日突然、お世話になりました・・だなんて出て行かないでよね」
さっきのそう言うことって、ってこれかな・・でも、これって何回目かなとも思うお母さんのこの言葉。何か言い返そうにも・・。
「まぁ・・うん・・とりあえず、まだ、そんな予定はないと思う」
とりあえず、まだそんな予定はないと思うままをそう言ったけど。昨日からカノジョカレシの関係になったあの人と、そんな予定がもう少し先の将来に本当に訪れるのかなと空想してしまう気持ちが声を弱気にしてるのかな。お母さんは、私の顔色を観察しながら。
「そんな予定がありそうな、そんな予定を予感していそうな言い回しだね、それって」
とまるで私の心を透視しているかのような言葉を不安そうな顔で言うから。
「そうかな・・」とぼやくと。
「前も言ったけど、こんなに大切に育てた宝物なんだから・・」
またこの言葉、はいはいと思って。
「解ってますよ・・」その日が来そうになったら前もって話すから・・と思いながらも、その日が来たなら・・どんな日だろうな。まだそんなこと空想もできない。それに、テーブルの上の朝食を見て、「また卵焼きか」とおもったら。不安そうな顔をニヤッと元に戻したお母さん。
「でもさ、何かしらの進展はあったでしょ、どうなってるの春樹さんとの関係」
と私の心を深く覗き込むような表情。私何か見られたの? という気がしてしまって。
「え・・」まぁ・・こんな曖昧な反応だと・・それだけで何もかもを白状してしまった、そんな気がして・・、何を言い訳しても通用しないかも・・そう思うと、仕方ないか、と言う気持ちもして、なんとなく顔の筋肉が緩くなったような。と思ったら。
「ほら、今一瞬にやついた」って・・言葉に反射的に顔が引きつって。
「に・・にやついてなんか」と言うけど。そう言うと引きつりが持続しないというか・・。
「ほらほら、どうして顔がそんな風にほころぶわけ?」
「いや・・べつに・・ほころんでなんか」そう言いながら、顔の筋肉の制御が難しくなってることも、どんな表情作っていいか解らなければ、ほころんでることも自覚してる。
「本当は、カレカノジョの関係になったとか、付き合いましょうそうしましょうなんて言ったとか、こないだも、その前も、そこの窓から丸見えの場所でわざとらしくいちゃいちゃしてるとこ見せつけてたしさ、どんな言い訳しても、お母さんも女だから、どうなってるのかなって大体想像つくし」
そこまで言われたら、もうどんな言い訳も通用しなさそうだし。だから、完全に降伏したかも・・私。口から勝手に・・言葉が・・自然と・・。はぁぁ。どうしようもない。
「まぁ・・付き合わないかって・・言われた」小さくそう言うともっとニヤッとするお母さん。
「春樹さんに言われたの」と聞くから。
「うん・・その。お互いの気持ちを確かめ合うためって・・」そう白状すると。
「ふううん・・気持ちを確かめ合うためか・・下手な言い訳ね・・あの人もストレートに言えない男なのかな・・言えるわけないか・・知美さんがいるから・・」
それって下手な言い訳なの? それより、知美さんの名前が出てくると、また顔が一瞬引きつるというか。でも、知美さんの事は私の問題じゃないから・・と、私は弥生の意見に賛成してるし。
「・・まぁ、それで、付き合いましょう・・って」私は間違いなく言ったんだし。
「それは、美樹が言ったの?」お母さんもなんでこんなに追及するのかなと思うけど。
「うん・・で、改めて、よろしくお願いしますねって、言われた」つまり今はそう言われました、という段階。ここから先はこれからの話だから、と、言葉に詰まると
「改めて、よろしくお願いしますね・・か」
と、つぶやいて、考え込むように私を観察し続けているお母さん。
「なにかいけない?」
「ううん・・いけなくなんかないけど」
「ないけど・・ナニ?」
そう聞き返してしまうのは、すごく心配になるお母さんのこの考え過ぎている表情。
「うん、お母さんはね、あの人、春樹さんにはね、美樹が最後に出逢ってほしかった」
「最後に出逢って・・って」
「最初に出逢うべき人ではない。という意味よ。まぁ、こういうことは、朝ごはん食べながら話すことじゃないから、また今度。お互いの気持ちを確かめ合うために付き合うなら、自分の気持ちに気付けるように、人の声に敏感になりなさい、お母さんからのアドバイスよ。がんばってね」
そう言ってからいつもの表情に戻ったお母さん。ニコッとする顔に。
「うん・・まぁ・・」と、照れくさい感じがして。
「はいはい、じゃ、早く食べて」これは、毎朝の口癖。早く食べろって。
「うん・・」と返事も毎朝してるだけの返事で。別にもたもた食べてるわけじゃないけど。もたもたしてしまう理由が最近は多いかなとも思う。今も、人の声に敏感って・・。どういう意味かな・・。そう言われたら、最近の私は、弥生やあゆみやアルバイトのお姉さま達の言葉にも、チーフの言葉にも敏感になっていると思うけど。そう言えば、さっきのお母さんのアドバイス・・の前の一言に何か気づいたこと思い出したから。
「ねぇ、お母さん・・」と聞きたくなったのは。
「なぁに?」聞いていいのかなとも思えるコトたけど。
「・・・・・うん・・」どんな言葉で聞けばいいかな? これ。
「ナニよ、言いたいことあったらずけずけ言ってよ、母と娘の関係なんだから。カレカノジョの関係を練習するつもりでもいいでしょ。ずけずけ言わないと春樹さんの気持ち、も確かめられないでしょ」まぁ、それって説得力あるかな・・と思って。
「じゃ、言うけど」そこまで言うなら。安心して。
「はいはい、ナニ?」
「お父さんはお母さんが最後に出逢った人なの?」
そう言い放つと、ぴたっと止まったお母さん。
「ま・・まぁね・・」と言いながら目が左右に泳ぎ始めて右側のほほがピクピクっとした。
「じゃ・・最初の人って言う男の人も、やっぱり、いたわけ? お父さん以外に」
そんな関心がやっぱりできるわけで、その最初の人とはどうなったのだろう。と思いながらゴクリと返事を待ったけど。
「そ・・そういうことはさ・・その心に秘めたものだから・・」
って、それは答えになってないというか。
「と言うか、そういうこと、お父さんの前で話題にしないでよ」
と、怖い顔と低い声で念押しするところがアヤシイと言うか。怖いというか。タブーだったの? というか。
「美樹も、そのうちわかるから」
今解らないから聞いてるのに。とじっとお母さんの顔を見つめて。
「そう言うことよ、解るでしょ」
それって、この前のチーフの言葉みたいだし。と思ってみる。
「もう・・そんな目で見ないでよ。やましい恋なんてしてないし。確かにそう言う人がいたけど、つまりお父さんとのことを、つまり、その、上書き保存したから。それ以前のデータが消えちゃったというか、お父さんと巡り合うためのレッスンだったというか。美樹も経験積んだらわかるわよ。ほら、もぉ、時間大丈夫なの、早く食べて、学校行きなさいもう」
って、またそんな追い払い方をするお母さん。でも。上書き保存したら消えたとか、お父さんと巡り合うためのレッスンだった、だなんて、まぁ、それなりにロマンチックな感じもしそうだけど。これ以上はどう追及していいか解らないし。
「いい、まだ知らないなら教えてあげるけど。男の子って、そういうこと無茶苦茶気にするから、お父さんの前では絶対話題にしない。解った。好きな女の過去の男の話って男の子の前で絶対聞かない。聞いちゃダメ」
ってこの しつこさ は相当重要なのかな、と思ったりして。
「好きな女の過去の男・・・」とつぶやくと。それって誰?
「オンナは好きな男の過去の女には優越感を持つけど、その反対、オトコは好きな女の過去の男には劣等感が湧いたりするのよ。ほーら、そのうちわかるから。早く食べて学校行きなさい」
「・・うん・・」
解ったような、解らないような・・。また、卵焼きとお味噌汁・・沢庵をぽりぽりとかじって。焦げたメザシをくちゃくちゃ噛むと、また考え込んでしまうから口が止まって。
「好きな男の過去の女・・」つまり、それは知美さんのことかな、に優越感・・私、もしかしたら・・ある? そう言われたら、昨日から・・もしかしたらあるかも。私って知美さんを追い落としたかも? と言う表現はマズイか・・それに。
「好きな女の過去の男・・」つまり、私にはそんな人がいないけど。春樹さんが好きな知美さんにはそう言う男がいるわけで・・春樹さんはそう言う男に劣等感を持っている? つまり、私にはそんな劣等感を感じない。つまり、それって安心感? 安心して付き合えるってことだよね。なんて・・勝手なことを思いつくと。お母さんがため息吐きながら。
「春樹さんも男の子だから、どうしてもそう言う劣等感を持つから、男の子って、そう言う感情を持たなくてもいい、美樹みたいな過去の男が存在しない女の子を好むのよ」
それって、今私が感じてることリピートしてる・・とも思うけど。
「そのうちわかるから、今はムリして知る必要なんてないよ」
「・・うん・・」なんとなく解ったかも。
「ほら、早く食べて、早く支度して」
「うん・・」
そんな力ない返事で朝の会話は途切れたけど・・。
学校でも・・。携帯電話の画面を見ながら。
「ごめんなさい、美樹の事が頭から離れない。今も、ずっと美樹の事を考えてる」
何度読み直したかわからない春樹さんから届いた一つ前のメールを見つめながら。
「改めて、よろしくお願いしますね、それじゃ、この辺で、おやすみなさい、お姫様」
昨日、そう言われたカレ・・カレの声を心の中でリピートしていると。
「どうしちゃったの、今日の美樹って、なんかこうニヤニヤしてない?」
お母さんのような喋り方をしているような弥生がニヤニヤと話しかけてきて。なんとなく顔が緩んでいることは自覚しているけど。表に出るほどニヤニヤとはしてないでしょ。・・と思うのに。
「昨日は、携帯の画面見ながら、はぁぁぁー。ってしてたのに、今日は、携帯の画面見ながら、うふふふん、って顔してる」
と、いつも通りのあゆみの声に、してないしそんな・・うふふふん・・だなんて。携帯の画面は見てるけど。
「で・・やっぱり、昨日何かあったんだ」
と弥生がお母さんのように心の奥を覗き込みそうな仕草。それに。
「えー何があったの、何があったの、春樹さんと何があったの」
いつも通りに、早口で私をからかうあゆみに。
「何もないわよ・・何かあったって‥私と春樹さんに何があればいいわけ?」
と、言い返してから、私がいつもの私ではないことを自覚し始めて。
「ね・・やっぱり・・いつもの美樹じゃないでしょ・・う~ん・・あゃしぃ・・何かあったでしょ」
「あ~でもうらやましい。私も春樹さんみたいな彼氏が欲しい・・あぁ~ん、なんで美樹ばっかいいことだらけなのよもぉぉぉ」
「よねー、なんかこう、私もひがんじゃいそう」
って、勝手に話してる二人をじろっとにらんで。でも・・目が合った弥生が何もかもを見透かしていそうなにやけ方でニヤッとするから。私もつられて顔がほころんでしまって。
「くくくくくく」と笑い始めた弥生が。
「ほーら、いいことあったんでしょ」とささやいて。だから。
「まぁ・・」と答えるしかなさそうで。でも。
「いちいちそういう事、報告なんてしなくていいでしょ」
それだけは確かめておきたいし。弥生も報告なんてしていないし。あゆみも・・。
「まぁ、別に報告してほしい、なんて言わないけど、やっぱりね、キョウミシンシンになっちゃうから、美樹が春樹さんとだなんてね」と弥生はあゆみに振って。あゆみは組んだ手をくねくねさせながら。
「どんな言葉を交わしてそうなったのか、どんな雰囲気でそうなったのか、どんな出会いで、どんな偶然で、どんな運命がまっているのか。どこでチューとかしちゃったのか。その時どんな言葉が行き交ったのか。いい? って言われて。うん・・って言ったのか。そういうこと全部知りたい」
と言うと。弥生も同じように組んだ手をくねくねさせながら。
「結婚しても処女でいそうな美樹がさ、あんな春樹さんみたいな男の子とそんな風になってるだなんて、どうしてそうなったのか、知りたいよねぇ」
「本当に、うらやましい・・うらやましすぎて、美樹をねたんでひがんで恨んで、憎くなりそう。あー憎たらしい」
って、またこのパターン。だから。
「勝手に、憎めば」と思ったままつぶやいたら。
「あー美樹がそんなこと言う、もぉぉ、本当に美樹の事キライになるかも」
と言うあゆみに、なれば・・と思っているけど、今度は口が尖っていて声にできない。
「オンナの友情って男ができただけでこんなにも簡単に崩れるものなのよ」
と弥生までがそんなことを言って。でも。
「でも、弥生にも彼氏いるのに、弥生の事って憎たらしくないよね」
と、あゆみの一言は私も思うこと。
「まぁ・・私のカレシはあの程度の男だしさ・・あの顔ってあゆみも美樹もタイプじゃないでしょ」
そう言われて思い出す弥生のカレシの顔・・悪くはないけど、タイプでもないか・・。そう思ったまま。
「あの程度・・・タイプじゃない・・」とつぶやいてしまったけど。
まぁ、言われるまでもなく・・、外見的にタイプではないけど・・。つまり、慎吾さんもそうで、奈菜江さんの事、あまりうらやましいとは思っていないのは、同じ理由かなとも思う。そんなことを考えると。
「だから、美樹と春樹さんの組み合わせが、憎しみを生み出している」
「あー、そうかもしれないね、どうして美樹にあんな人が・・」
「春樹さん・・タイプよねぇ、見た感じも雰囲気も、背も高いし頭も良さそうだし笑顔が爽やかだし、とにかく誠実で清潔で爽やかで優しそうでおとなしそうで。だからひがみたくなってねたみたくなって恨みたくなって憎たらしくなる」
「それよね、それ。確かに見た感じでそうなるよね。春樹さんって見た感じも雰囲気も理想のタイプだから」
「そうそうそれそれ、理想のタイプだから、美樹の事が憎たらしくなる」
こんな話、お母さんは、人の言葉に敏感になりなさいよって言ったけど。聞けば聞くほど意味なんてなさそうなことを言っていそうで。こんな二人の言葉に何かヒントがありそうな予感もないし。うんざりし始めると。
「でもさ、男と付き合い始めると、いろいろ、えぇーそうだったの・・みたいなことが多くなるよ、春樹さんにもそう言うことってない?」と話題を変え始める弥生の言葉に。
「・・多くなる? そういう事って?」無意識にそう聞き返してしまったら。
「あまり期待しすぎないで、心の準備とか、してた方がイイかもね」
ビクン・・と。人の言葉に敏感になったような気がした。
「・・心の準備?」ってナニ?
「ほら、春樹さんって、見た感じはあんなに爽やかでスマートっぽいけどさ、実際は、ロリコンでネクラな理系のオタクの変態マッチョマン・・・だったらどうする」
どうするって・・想像できないのですけど・・ロリコンでネクラの理系のオタクの変態マッチョマン? マッチョマンって・・ナニ? 5角形の帽子かぶった人のこと?
「あーそう言えば思い出した。プール行ったときそうだったよね」
え? 弥生ってナニを思い出したの?
「あー、アレねアレ」
アレねアレって、どれ? 急に目が輝き始めたようなあゆみが。
「美樹も覚えてるでしょ。プールでさ春樹さんが美樹のお尻をむにゅむにゅ掴んでた時、もんのすごい真面目な顔だったでしょ。むにゅむにゅして、おぉー、なんだこれ、むにゅむにゅ、すげぇ、もっとむにゅむにゅ。へぇぇぇって感じでさ」
「あー私もソレ覚えてる。すんごぃ真面目な顔で、美樹のお尻むにゅむにゅ掴んでたよね。触ってたじゃなくてさ、美樹も黙ってムニュムニュされるがままだしさ。それで、おチンチンがさ・・くくくくくくくくく」
左手の人差し指をピンっとしながら、そんなヘンな笑い声で、右手をムニュムニュさせないでよ。それって確かに、思い出せることだけど、あれから、もっと別の所もチュッチュッされて、私と春樹さんはそれ以上の関係になってるんだし。でも、あゆみまで・・。
「やだぁもぉーそれは思い出すことじゃないでしょ、くくくくくくくく」
って、ヘンな声で笑ってるし。さらにあゆみが大声で。
「あーもう一つ思い出した」
って次はナニ?
「ほらほら、夏休みにさ、美樹と春樹さん、アスパの下着売り場でケンカしてたじゃない」
って、確かにそんなことがあったけど、アレはケンカではないと思う。
「証拠写真まだあるし、ほら、ブラジャーを吟味してる春樹さん」
「えぇーホントだ、ホントに春樹さんがブラジャー吟味してる」
それは・・私が。・・って、出さなくてもいいでしょ。
「春樹さんって、あーゆー場所が実は好き」
「美樹をダシにして女物の下着売り場を探索してた」
・・・それってどういう空想なのよ・・と思う。
「だからさぁ、実は、美樹の人形とか作ってたりして、夜な夜な・・スカートペロン。パンツ替えますよ。なんてしてたりしたらどうする? ブラジャー頭にかぶる人とかだったりしたらどうする? あぁ~想像しただけでサブイボが出てきそう」
って・・いきなりそんな話題になると理解しようとしても思考が停止して。
「ロリコン、ネクラ、理系、オタク・・変態マッチョマン・・美樹の人形・・スカートペロン・・うわぁぁぁ。人形のお尻もムニュムニュ摘まんだりして・・それで、おチンチンがピーンって。やだぁ、へんな空想が湧いてくる。あーホントにサブイボ出てきた」
とあゆみも自分をハグして手で肩をすりすりし始めるし。私もピーンを思い出すと。「入れるよ、したいんだろ」って声が聞こえる気がして。
「やめてよ・・そんな空想」と言うのが精一杯だけど・・ピーンを思い出してる私はアレ以外の事はどんな空想もできないほど頭の中真っ白かも。それより、私の人形ってナニ? スカートペロンって? そう思っていると弥生の顔が急にまじめになって。
「空想かな・・実際はどうなのよ、美樹って今、春樹さんのコト、何を、どれだけ知ってるの?」
そう言われて、知ってることと言えば・・誕生日くらいかな・・。としか思いつかないし。
「ほらー何も知らないんでしょ。そんな風に、付き合ってみないと知りえないことっていっぱいあるんだから。想像と現実のギャップに、今から心の準備が必要って話」
まぁ、言われてみればそうかもしれないけど。
「なんだかそう言うこと聞くと、毎日美樹の報告を聞きたくなりそう。春樹さん本当はどんな人だったの? 昨日はナニしたの? どんなお話したの? 一緒にお風呂とか入って春樹さんの裸とか見ちゃったりしたのかなぁ?」
「そうよねぇ、男と付き合うと、そういうことが必然的に・・」
必然的に? ・・このキーワードにビクンと反応する私の想像力は、一瞬で地平線の向こうまで広がって。もやもやした空想ならこんなに鮮明な映像にできて、空想してる春樹さんの裸とか唇とか舌とか指先が現実に、私の体中の敏感なスポットをぷにぷにぬるぬるざらざらと刺激し始めるから。身震いしてることばれないように。
「やめてよ・・そんな・・空想」
と、何度もつぶやく私が一番そんな空想してるのかもしれないし。それ以上に、二人の会話がリアルな本物の現実になりそうで。現実になったとしても。
「なにがあっても報告なんてしないし」というか、絶対報告なんてしたくないし。
「あーずるい、そんなの。ねぇ。私も彼氏できたら報告するから」
とあゆみは言うけど。それはカレシができていないから気軽に言えることなんだと思うし。
「弥生だって、彼氏いるコト黙ってたでしょ」
と話を弥生に振ったけど。
「って・・まぁ・・そういうこと誰にも聞かれなかったから」
それはごもっともな返事ですけど。じゃ、聞いたら話してくれるわけ。と言おうとしたら、またチャイムが無情に鳴り始めて、話の途中で授業が始まる。授業中もお昼ご飯の時も、一日中、ぬるぬるした空想がもたげて、気持ちが重くなって。ため息が止まらない。はぁぁぁぁ。吐く息が全部ため息になってる。はぁぁぁ。
家に帰ってからも、ベッドでゴロゴロしながら何も考えられなくなってると、「そういうこと、不安ならすぐに聞けばいいじゃない。そのために付き合うんじゃないの?」 と心の奥底からの声にも説得力があるけど。それ以前に思う事は。春樹さん。
「どうして、電話とか、メールとか、してくれないの」
と、春樹さんの番号を呼び出したままの画面にぼやいた私。お互いの気持ちを確かめるために付き合おうって言ったのは春樹さんでしょ。だったら、何か言って、なにか聞いて、私の気持ちを確かめてほしいのに。何も言わないし、なにも聞いてくれないし。
「何か言ってくれないと解らないでしょ。何か聞いてくれないと、何も確かめることできないじゃない」
と画面に向かってぼやいたら、暗くなった画面に映っている私が。
「そういうこと、何か言ってあげればわかることでしょ。何か聞いてあげれば確かめられるんじゃないの?」
そうつぶやいた気がして。
「それは・・そうだけど」
とつぶやくと。じゃぁ、私から言うべきなのかな、聞くべきなのかな。と思っても、答えは返ってこないし、何言えばいいのか思いつかないし、何を聞いていいかも解らなくて。また。ため息を何度も長々と吐いてるうちに。いつの間にか朝になって。はっと目が覚めて、昨日よりは少なくなったような期待感で電話に手を伸ばしたけど、春樹さんから連絡があった形跡はなくて、昨日より大きくなった不安な気持ちがまた、あくびより先にため息を吐かせる。はぁぁぁぁともう一度大きく息を吐いてから時計を見ると、どうしてまた5時17分、昨日にタイムスリップしたかのように同じことが同じタイミングで起こる日々が永遠に続きそうな錯覚。だから。朝食の支度をしているお母さんに。
「今日って何曜日?」と聞いたら。
「金曜日でしょ、明日は土曜日で明後日は日曜日」
金曜日か・・とりあえずはタイムスリップとかしてるわけではなさそうだけど。
「ごちそうさま、今日も美味しかったよ」とお父さんの声に遮られて。
「今日も帰りは早いの?」
「うん・・いつも通りかな・・遅くなりそうなら電話するから」
「はーい、ネクタイそれでいい?」
「うん。靴下は」
「あー、穴開いたらすぐ言ってよね。いつまでも穴開いたまま履いてないで、こんなの誰かに見られたら恥ずかしいでしょ」
「うん・・まぁ・・誰も見ないし」
「私が恥かくのよ、こういうのって」
ってこの会話・・聞くのって何回目? ホントに・・一昨日とかに戻ってない? そんな、ものすごい不安が押し寄せてくるから。
「・・・本当に今日って金曜日?」大真面目に、もう一度お母さんに聞いたら。
「・・え・・って金曜日だよね」とお父さんに振って。
「たぶん・・金曜日でしょ」お父さんも自信なさそうで。私をじっと見るお父さん。
「熱でもある? 具合悪くないか?」
とおでこに手を当てるから、たぶん、今日は金曜日だ。昨日も一昨日もこんなことされなかった。
でも、学校に行くと、弥生とあゆみの会話はまた昨日と同じように。目をランランとさせながら。
「春樹さんとどうなったの?」
って言われても、電話もメールもないから。
「別にどうもなってないし」
としか答えようがないし。
「どうもなってないって・・付き合い始めたんだから、何かあるでしょ」
「・・だから」電話もメールもなくて・・。
新しい話題が何もないから、何も答えられないことがストレスになっているかのようで。
「それって、本当に付き合っているの」
あゆみの、その一言が気持ちを、またこんなに不安にさせ始める。付き合おうかって言ったよね。うんって返事したよね。なのに、これって私たち本当に付き合っているのかな?
そんな金曜日の夜更け。こうして連絡がないことを不安に思う気持ち、連絡がなくてイライラし始める気持ちを、お互いの気持ちを確かめ合うってこういうこと? と考えてみるけど、こんなにイライラしたり不安になるのはやっぱり、私が春樹さんの事を想うからそうなるのであって。私の気持ちは自分自身でちゃんと確かめられているはず。でも、彼も・・春樹さんも私からメールも電話もないことに不安になったりイライラしたりしてるのかな? 春樹さんも自分自身の気持ちをこうして私とお喋りすることがまんして確かめようとしているのかな? それとも、と思いついたことは。これって、どっちが先に降参するか試してる・・とか? どっちの方が意地っ張りなのか確かめている。それがお互いの気持ちを確かめるってこと? どうなんだろう・・それは何か違う気がするし・・。考えれば考えるほど、はぁぁっと粘っこいため息がモヤモヤする。でも。付き合うって、こんなに考え込んで、悩んで、・・これって正常なの?
「違うよね・・絶対・・付き合うって、こんなことじゃないでしょ」
そうつぶやくと。付き合うって、気兼ねなくお喋りしたり、二人で買い物したり、二人で遊園地行ったり、手をつないでお散歩とか、お食事も・・お食事は土日のお昼は一緒に食べてるけど・・。そう思うと、弥生の声が聞こえて。
「美樹って春樹さんの何をどのくらい知ってるの?」
だから、知っていることを羅列しようとすると。誕生日と、おっぱいよりお尻が好きって言ってたかな・・。それ以外には・・。夢の話いつかしてくれたよね・・してくれたけど・・私・・思い出せない? 春樹さんの夢って・・確か、すべての夢を叶えてくれる流れ星を自分の手で? そうだよね、大丈夫・・私はあの瞬間に聞いた春樹さんの夢の話を思い出せる。でも、流れ星か・・。それのどこが夢なんだろう。
「・・春樹さんって、本当はどういう人なんだろう・・」
そうつぶやいた瞬間、ブーンブーンと携帯電話が短く震えて、この震え方は、もしかしたら、キター? 春樹さんの方が降参した。つまり、私の方が意地っ張り。という勝利の予感がしてる? だから、ドキドキしながら画面を見たら・・・。
「知美さん・・か・・なんだ・・」でも、なんだろう。「知美さん」とつぶやくと、別の意味でドキドキし始めるというか。敗北の予感というか。もしかしたらアメリカから帰ってきたのかな? だから、春樹さん私に連絡くれない? もしかして、ここ数日の展開って全部夢だったとか? 知美さんがいない別の世界だったとか。そんなネガティブな空想が走馬灯のように次から次に頭の中を駆け巡っている。もしかして、春樹さんが私とのことを知美さんに喋ったとか? 約束は夏休みが終わるまでだったでしょ、とか。あの子に手を出すのはもうやめてよとか。そんなことが書かれていたらどうしよう。と思いながら、そうっとボタンを押したら。
「Long time no see. how are you. I’m enjoying American life now. It’s so happy. アメイジング グレイスってスペル解らないしぃ・・英語は苦手だー(T_T)・・・ムリ」
というイヒョウな書き出しから始まって。
「美樹ちゃんどうしてる? 私は今ワシントンでアメリカンライフを楽しみながら、ちょっと心配なことが起こっています。美樹ちゃんなら解決できそうな問題です。実はね、春樹君が私の事を怒っている。・・かもしれないの。たぶん、かなり怒ってる。だから、ちょっと探りを入れてくれない? 会社の帰りにアメリカに行ってきますってメールした時からあの子の返事がなくて、あの子怒るとさ子供みたいに拗ねて無口になるのよ、たぶん怒ってるから・・美樹ちゃんお願い、あの子が私の事怒っていそうだったら、 なだめてあげて、静まり給えって、お祓いしてほしいの。それと、あの子の世話もお願いね。あの子、見たまんまの寂しがり屋さんだから。あーもぉ、毎日メールしてるのに全然返事してくれないのよ。しつこくするとあの子には逆効果だしね。ちょっと不安だけど、あの子、美樹ちゃんの言うことなら聞くと思うから、お願いね」
って・・ど・・どんなメッセージですかコレ・・私・・ナニすればいいの? コレって。それに、えっ・・なんとなくイメージ湧かないのですけど・・会社の帰りにアメリカに行ってきますって。アメリカって会社の帰りに行けるところ? と言うか、これって、知美さんがメールしたときって・・春樹さんとお好み焼き食べた、弥生にやきもち焼いたあの日の事? 確かあの時、春樹さん携帯電話を眺めて、怖い顔してはぁぁとため息吐いてムスッとしてた・・。そんな映像をかなり鮮明に思い出せる。
すると、もう一度ブーンと電話が震えて。びくっとするとまた知美さんから。
「それと、あとひと月くらい日本に帰らないと思う。私がいない間に、あの子と仲良くなっちゃう? そういうこと遠慮しなくていいからね。今はただあの子の無事を知りたいのと、あの子が怒ってるなら、知美さんがごめんなさいって言ってましたよって伝えてほしいの。心の底から誤ってましたよって。じゃ。日本は何時かな? おやすみなさい。明日はフロリダに行きます。またね、なにか面白いことが起きたら教えてネ CU」
CU? ってなんだろ。そんな文章読みながら。何気に連想したのは、チーフの声。
「アノ娘、ともちゃん、ちょっとどころじゃないくらいぶっ飛んでるだろ」
確かに、ぶっ飛んでますね・・会社帰りにアメリカって、どういうこと? って・・それより、あの子と仲良くなっちゃう・・そういうこと遠慮しなくていいからね・・って。ごめんなさいって言っていましたよって伝えてほしい・・って。あの子怒ると拗ねて無口になる・・。そうなの? 春樹さんのそういう事って、見たことないし、そんな雰囲気感じたことないけど。心の底から誤る・・あ・・字間違えてる。と言うか、あの時、弥生のお店を出た時、大の字に手足を広げて「ぎゃゃゃゃやったぁぁぁぁ」と叫んだあの知美さんが心の底から謝るなんて、それも想像できそうにないかも。確かめるべきなのかな? でも、知美さんからメールがありましたよなんて、私と知美さんがそう言う関係だなんて、春樹さんには口が裂けても言えないというか・・。知られたくないというか。知美さんに返事してあげてくださいなんてストレートにも言えないし。どうししたらいいんだろう。コレ・・ただでさえややこしくなりそうな話なのに、知美さんか割り込んでくるともっとややこしくなってきそうで。また思考停止状態になってる私。本当に頭の中真っ白な・・闇・・が覆いはじめたかも。白い闇って・・。そうだよね、闇って暗くないと出口の光が見えないんだよね。もしかして・・私、出口がないコトを悩んでるの?
そして。私たち付き合いましょう、改めてよろしくね。美樹は特別なんだ。そんな言葉を交わしてから、何日過ぎたのかな、あれって現実だったのかな、夢だったのかな、絶対現実だったよね、と目が覚めた今日は土曜日の朝のはずなのに。またそぉっと顔を向けて見た時計が5時17分で。これって昨日に戻っていないよね、と昨日と同じ不安を感じながら電話を手にすると、まだ、春樹さんからのメッセージはなくて。無意識に読み返してしまう知美さんの依頼については・・とりあえず、「黙っとこ」と心に決めて。でも、何だろこれ、私たち付き合いしましょう、改めてよろしくね。美樹は特別なんだ。そう言ったはずなのに。全然特別じゃないというか。メールも電話もないなんて。特別なら特別に特別なメッセージとかお話とかあってもいいはずなのに。そうぶつぶつ考え込んでいると。なにか閃いたというか、トクベツ・・あ・・これかな、トクベツ・・何気なく、ふと気づいたこと。私、カレと特別に・・なったと思うから、気持ちがいつもと同じではなくなっていて。特別だと意識するから、なにかいつもと違うことが起こること期待してる? のかもしれない。そういえば、今まで春樹さんから電話とかメールとか、特別にあったわけではないし。ときどきはあったけど、特別なんだと言われたからと言って急に特別になるわけでもないか・・。そうだよね、なにか気付いたかな私。悟った? そう思いながらもう一度シーツに包まって。気持ちを整理しながら、もう一つ気づいたことはたぶんコレ。
「美樹、アルバイト行く時間でしょ、早く起きなさいよ」
とりあえず、お母さんのこの声を聞いてから起きることにしよう。いつも通りを装うつもりで、つまり、無理やり、特別なこと、つまり、いつもと違うことはしないように。私は、いつもと同じ土曜日になることを願っている。はず。春樹さんと「付き合いましょう、改めてよろしくね」という関係になったことについて、急になにか特別な変化を求めているわけではないと思うし。何か特別な変化があったとしても、特別に何かをどうしていいかも解らないから、とりあえず、今日は、いつも通りに春樹さんと会って、いつも通りに二人の時間を過ごして、いつも通りにチキンピラフを二人で食べて。何でもない一日を過ごすことにしよう。そのうえで、いつもより一言だけ込み入ったお話ができればジョウテキでしょ。込み入った話。例えば、「今度二人でどこかに行きませんか? とか、買い物に行きませんか? とか」できるじゃん私。気持ちを楽にすれば、こういうことすんなりと思いつけるじゃん。よし・・もう一度枕相手にリハーサル。
「今度二人でどこかに行きませんか? 買い物に行きませんか?」
よし言える、簡単じゃん。よし、今日はこれを言おう。
「もぉー美樹ってば、今日はアルバイト行かないの? 早く起きなさいよ」
「起きてるわよ、もぉ」
でも、とりあえず、起きてテーブルにつくと、昨日と同じ朝食が昨日と同じ配列で。お味噌汁から立ち昇る湯気の形まで同じような気がして。私、タイムスリップしてないよね、と、ここ数日何度もそう思ってしまって、やっぱり不安になるから。
「今日って土曜日よね」とお母さんに聞くと。
「そうよ、土曜日はアルバイトに行く日でしょ。春樹さんに会える日なんだから、美樹もそろそろ、早起きして、おめかしとか、しなくてもいいの?」
おめかし? だなんて、いつもと同じじゃない言葉が出てくると、何か特別なことが起きそうで、予想できない未来が私をパニックにさせ始めて。
「春樹さんと何か進展したんでしょ、そういうことそれなりに意識して、恋してることアピールしなくていいの。って意味だけど」
恋してることアピール・・? ってそれも、いつもと違う言葉。恋ってアピールしなきゃならないコト? アピール? それって自慢? の事?
「って、どんな?」
「はぁぁぁぁ・・ったく・・」
ったく・・って笑われながら言われても。
「まぁ・・経験積まなきゃ解らないことかな・・こういうことって」
「経験・・こういうこと?」
ってナニ? と思うのに。
「ほらほら早く食べて、美樹もそろそろ、男の子を意識して、お化粧とかするようになるのかなって思ったけど」
お化粧? 男の子を意識して? それってそういう事って、意識してするものなの?
「あーそうだ。お化粧と言えばさ。知美さんって無茶苦茶綺麗だったでしょ、お化粧の仕方、あの人に教われば。きっとものすごく詳しいはずよ」
って、どうしてここで知美さんの名前が出てくるの?
「でも・・まだ早いかな、必要ないか・・美樹って肌綺麗だし」
これって。またお母さんの独り言? いつもと違う会話にタイムスリップしていないコトを安心していいのか。いつもと違う会話に、別の世界に放り込まれたような不安を感じるべきなのか。メザシをくちゃくちゃ噛みながら。お化粧・・知美さんに・・教われば・・まだ早いかな・・それより・・おめかし・・って・・おしゃれの事かな? 春樹さんに会うのだから、そんなことも必要? 私たち特別な関係になったのだから・・いつものジーンズとシャツじゃダメ? いつも通りの土曜日にしようとさっきから決意してるのに、お母さんの独り言のせいで、人生で一番特別な日になりそうな予感もするし。でも。着替えながら。
「急にそんなこと言われても、特別カワイイ服なんてないし・・」とぼやいたら。いまさら、そんなこと・・。だから。いつも通りの格好でアルバイトに行くことにした。いつも通りの土曜日にするんでしょ。と自分に言い聞かせたけど。本当は、ものすごく特別な一日が始まったかもしれない予感もしているし。でも、普段通りに、いつも通りに。でも、カレシになった春樹さんって・・いつもと違うのかな・・ぶつぶつ考えていたら・・また思考停止状態になって、お店までの道のりで、知らない間に魂が体から抜け出していた。
そして。
「いらっしゃいませようこそ何名様ですか?」
そうつぶやいてる自分に えっ? と気が付いたとき。お客さん向けの笑顔を作ったまま、また私、幽体離脱していたことを実感している。そして。
「ご注文は以上でよろしいですか。それでは、ごゆっくりお過ごしください」
と愛想笑いを元に戻しながら、振り返った瞬間、無意識が振り向かせる時計の針は、また、決まって11時40分。私を強制的に制御している無意識は、私に、そのまま窓の外に振り向くよう指令を出して、窓の外、いつも通り黒ずくめの衣装の春樹さんが、まるで私が振り向くのを待っていたかのように、黒いオートバイで駆け抜けて。
ドクン・・と心臓がいつもの何倍も膨らんだ気がした。どうしてこんなに緊張し始めてるの私? いつも通りに過ごすつもりなんでしょ。普段通りでしょ。この時間に春樹さんのオートバイを見るのって、それもいつも通り。と思っているのに。
「おはよ、お疲れ様・・」
とお店のドアを開けて、ヘルメットを手にしたまま由佳さんや優子さんに笑顔で挨拶してる春樹さん。私をチラッと見てから、しっかりと視線を合わせて、ニコッと微笑んで、視線を重ね合わせたまま、じっと私を見つめたまま歩いて来る。そして。
「みーき・・・おはよ。今日も一番可愛いな」
え・・と思いながら、奈菜江さんの視線が気になったのは。今のセリフに奈菜江さんも確かに反応したから。
「一番可愛いな?」
とつぶやいた声も気になったけど。それより、春樹さん、ほんわりしてる柔らかい笑顔で立ち止まって・・。
「おはよ・・何も変わってないよね」
そんな、いつも通りではなさそうな一言に。え・・? と思いながら、私はいつも通りに。
「おはようございます」と挨拶して。愛想笑いで「何も変わってませんけど」と思いながら、ニコニコと微笑んだまま裏方に入ってゆく春樹さんを横目で追いながら。
「あらら・・ちょっと意識していそうね春樹さん」
と奈菜江さんが耳元でささやいた声に びくっ と振り返ったら。
「一番可愛いな。だって。何も変わってないよね。だって。ふふふふふふ。なにか変わりそうなことがあったのねぇ。なんだかうらやましいかも」
そう続ける奈菜江さんがニタニタと手で口元を押さえて笑っていて。どう言っていいかわからないからオロオロ立ちすくんでいると。
「ねぇねぇ、今日って、春樹さんの雰囲気。なにか違わない?」
と私に言ったの? と思ってしまう、優子さんまでもがニタニタと私に歩み寄ってきて。奈菜江さんが背伸びしながら、前屈みの優子さんの耳元に。
「ごにょごにょ」すると。。
「えぇー?」と口元を押さえて叫んだ優子さん。
えぇーって何ですか? ナニを話したのですか? と思ったら、優子さんが目を真ん丸にして。
「じゃ、やっぱり、裏でキスしてたってホントだったの?」な・・なんの話ですか?
「し・・し・・してませんよ」ってまたこの話。
「あゃしぃ・・・。へぇぇ、そうだったんだ、美樹と春樹さんが・・」
って、奈菜江さん、ナニ話したのですか? 私と春樹さんがナニかしたって言っちゃっいましたか? オロオロそう思うのに。
「ほらほらまたもぉ、美樹と春樹の事で仕事止めないでよ」
と由佳さんが割り込んできて。怖い声で。
「美樹も、イチャイチャするのはいいけど、お店の中てはほどほどにしてよね」
と、なんだか由佳さん機嫌が悪そう。でも、いちゃいちゃなんてしてませんよ・・と言いたいけど。
「休憩時間だけにして、そういうこと。私たちは反対とかしないから」
由佳さん・・反対とかしないから・・って?
「みんな応援してるよ、美樹と春樹さんが本当にくっついたらいいのにねって思ってる」
と言うのはニコニコしてる奈菜江さんで。優子さんもニコニコバッチのような笑顔で。
「もぉ、美樹に先越されちゃったけど、こうなっちゃったら、もう妬んだりしてないし、私も応援してあげるから」
と言ってくれて。でも。
「だから、仕事中は仕事に集中してください。イチャイチャしたいなら仕事終わってから時間作ればいいでしょ」
と、本気の恨めし顔で言っていそうな由佳さんの声に身震いしながら。
「はい・・それは、解ってます」
と返事して。
「はいはい、ほらほら、仕事に戻りましょ。春樹にも私からきつく言っとくから」
キツクって・・ナニを? と振り向いたらキッチンに出てきていつも通りに冷蔵庫をパタパタさせながら点検してる春樹さんに。
「ねぇ春樹」
と低い声をかけた由佳さんが私を横目で見ながら。
「んー・・ナニ?」
と、面倒くさそうに振り返った春樹さんに向かって。
「ほにゃほにゃ・・ごにょごにょ・・」それってわざと私に聞こえないように言いましたか? というか、由佳さんの目つきが本当に怖いかも・・。と観察していると。
「そんなつもりはないけど・・別にいいでしょ、美樹ちゃんってまだ17歳なんだし、経験も浅いんだしさ。気を遣ってあげないと可哀そうだし、それに、お前も大人ならそんなにひがまなくても」
と小さくても私には聞こえた春樹さんの声に。
「ひがんでなんかないわよ」
と大きな声の由佳さんに、びくっとした私も、みんなも、お客さんまでもが振り向いて。みんなの注目に気付いた由佳さんは、プイっと仕事に戻って。私を・・無視した? えっ? 今のナニ? と思いながら春樹さんに視線を向けると。ニコッとしてから。うん・・とうなずいて。心に届いた気がしたテレパシー。本当に声が聞こえてる気がする。
「意識して特別扱いはしないけど。美樹は特別なんだ」
だから、私も、うん・・とうなずいて。目を伏せたら。なんとなく、実感がする。つまり、私たち、本当に付き合い始めたんだな・・という感じ。今、間違いなく彼の声が私の心に届いた。けど。
「美樹・・由佳さん・・生理かもしれないからとりあえず今日は春樹さんと距離取りなさい」
耳元、ささやき声で奈菜江さんにそう言われて。あ・・そうだ、由佳さんのあの態度・・。に思いついたこと。
「あの・・由佳さんって・・今のヤキモチとかじゃないですか?」
そう小さな声で奈菜江さんに訊ねてみたら。
「・・ヤキモチ・・」
とつぶやきながら。あっ・・と何かに気付いたように口が・・あっ・・となって。
「私もあんな風になったことがあります、最近」
というか。そう思って、由佳さんに視線を合わせると。私の事、無理してプィっと視線を反らしたような。
「・・そうかもしれないね・・ヤキモチか・・でも・・それに生理がかぶって、さらに何かスランプなことが重なって、ストレスたまってる朝からテレビの占いも雑誌の占いも、アプリのおみくじも最悪だったとか・・だったら、今日は本当に春樹さんとも距離置いた方がイイと思うよ」
別の意味で、ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ・・のテーマが聞こえてきそうな奈菜江さんのアドバイス。
「そうですね」
横目で春樹さんを見て、だから「そう言うわけですからね」とテレパシーを送ったら、視線が一瞬合った気がして。たぶん、届いているはず。そう安心したら奈菜江さんが耳元に囁く声。
「意外とさ、由佳さんって、春樹さんの事、好きなのかも」
に、振り向きながら。
「えぇー?」と驚いてしまいそうな・・そうなんですか?
「よく肩とか揉んでもらってたのよ、美樹が来る前って。休憩時間イチャイチャしてたの由佳さんでしょ、春樹さんと。まぁ、私も優子も時々揉み揉みしてもらったけどね。結構気持ちイイの春樹さんの手付きって」
そ・・そうなんだ・・とそう言えば春樹さんに肩を揉まれてた由佳さんの事一度見たこと思い出せるかも。みんなでそんな話したかも、と思いながら由佳さんと視線を合わせると。
「しゃべってないで仕事してよ」って怖い顔・・。
由佳さん・・本当に怒っていそう・・・。だから。
「はぁーい」と返事して、お客さんに愛想を振りまきに行こう。
とりあえず、知れば知るほど、そうなんだ、と言う感じが仕事中もずっとし始めた。これも、春樹さんと付き合い始めたから? かな。
そして、そんな出来事のせいで、かなり集中して仕事したせいか、もうこんな時間? と思うほど早く「二人の時間」がやってきて。
「美樹、そのオーダー捌けたら、二人の時間行っていいから」
「はい・・」
と由佳さんに言われて、カウンターに上がったお料理とオーダーシートを点検していると。
「美樹ちゃんごめんね、今日はちょっとタイミングが悪いかも」
と春樹さんの声。えっ・・と顔を上げたら。
「スパゲティーがどわーっと入ってるから」
と、コンロに向かう春樹さんと。
「俺がしようか」というチーフと。
「いえ大丈夫ですよ」とスパゲティーに取り掛かる春樹さん。
「ほら、美樹。早くもって行って、休憩行きなさいよ」と由佳さんもお皿を手にして。
「はい・・」
と振り向き際にチーフがウィンクするのが見えたような。
「5番のオーダーこれで終わりです、どうもありがとう」
そう言って、お客さんの所にお料理を運んでから。
「それでは、休憩いただきます」
と由佳さんに言って、カウンターをのぞいたら、また5つのフライパンをガシャガシャさせている春樹さん。
「これ捌いたら休憩とるから、10分ほど待ってて、美樹ちゃんいつもの?」
「・・はい・・いつもの、お願いします」
そう返事して、裏に行こうとすると。チーフが由佳さんに向かってフンって顔をしかめて。由佳さんはプィっとお料理を運んで。このタイミングってわざとかな? と一瞬思ったけど。考えすぎだよね・・という気もするけど、まぁ深く考えずに休憩室で一人で座って、春樹さんを待つことにしたら。
「ちょっといいか・・。なぁ、美樹ちゃんよ、あの話、春樹にしたか?」
と後ろから声をかけてくれたのはチーフで。振り向きながら。
「え・・いえ・・まだですけど」そう返事した。
でも、あの話って、春樹さんを口説き倒してチーフの後を継げって話の事。と思い出していたら。
「だろうな・・ったく。なんなら、休憩時間じゃなくて、出勤時間とか合わせてみたらどうだ?」
「え・・」
「土曜か日曜か、どっちか帰る時間同じにしたら、春樹ともう少し込み入った話もできるんじゃないのか、昼間のこの時間はいろいろと邪魔が入りそうだし」
って・・ナニの話?
「春樹もお前も、不器用でじれったくてまどろっこしくて、歯痒くてヤキモキして見てられないというか、あーもーって、お節介焼きたくなるのよ。はぁあぁ・・・まぁ、そう言うことだ」
と話を途中で強制的に終わらせて休憩室から出て行くチーフと入れ替わるように。
「美樹ちゃんお待たせ、はい、いつもの」
と春樹さんがチキンピラフを運んで来てくれて、なぜだか、チーフの「まぁそう言うことだ」が頭の中でこだましてる私。そういうこと? って、どういうこと? 一瞬考えようとしたけど。
「チーフと何か話してたの」
という春樹さんの声に。え・・あ・・いえ・・と考えてたことが飛んだというか。
「ううん・・別に何も・・」と首を振りながら。
「そぉ・・じゃ・・何かほかに変わったこととかは?」
と、今までそんなこと聞かれたことがないことを聞かれて。
「ううん・・別に何も・・」
と春樹さんの顔を見ながら同じセリフを繰り返している私。を見つめてニコッと笑う春樹さんにつられてニコッとすると。
「まぁ・・どうぞ・・いつもの」そう言うから。
「いただきます」とつぶやいて。
いつものチキンピラフを口に運ぶと、いつも通りの美味しい味付けに感じる、どことない安心感。なにも変わってないよね・・と自分に言い聞かせながら。
「おいしい?」といつも通りのイントネーションで聞く春樹さんに。
「うん」といつも通りの返事をして。
でも、微かに感じるいつも通りではない雰囲気を確かめたい気持ちもするから。チラチラと春樹さんの顔を見ながら。そうだよねと思い出すことは。やっぱり・・私たち・・この前から・・そうですよね。そういう関係になりましたよね。と、心の底から大きな音を立てて火山噴火のように湧き上がっている、この気持ち。「ぎゃゃゃやぁったぁぁぁぁぁ」と知美さんのように手足を大の字にして叫びそうな私ではない心の中の私の騒がしさとは反対に、春樹さんの雰囲気はカチャカチャとお皿に響くスプーンの音より静かで。だから。
「あの・・春樹さん」・・私たちって、カレとカノジョですよね・・。
と確かめたいから声をかけても、それ以上どんなお話をするつもりだったのか思い出せないというか。言葉に詰まるというか。春樹さんも。
「ナニ?」
と答えてくれるのに。
「ううん・・何でもないです」
としか言えないというか。確かに、お店では意識して特別扱いはしないでほしいですけど、私の事を特別だと言ってくれたこと、ほんの一言でいいから確かめたいのに。ぶつぶつ思いながらうつむいてモクモクとチキンピラフを食べていると。
「あの・・」
と、どもっている声で春樹さんが何か言おうとした。だから、ドキッとしながら。
「はい」と期待を込めて顔を上げると。
「・・あ・・いや・・何でもないのだけど」と、私と同じ反応の春樹さん。
カチャカチャとお皿とスプーンが立てる音がしばらく休憩室に響いて。
結局、何も話さないまま、言いたいことがたくさんある気がするのに、それを言葉に組み立てられないというか。この沈黙が息苦しくなり始めたのか、春樹さんは更衣室からまた本を取り出してきて・・真剣な顔で読み始めるし。でも、いつもと違う雰囲気は、いつもより本が小さくてカバーがかかっていて。チラリチラリと私を気にしながら読んでいるような。気もするけど、こんなに何も喋ろうとしないから、なんだかつまらないな・・と思いながらうつむいて、はぁぁ、と聞こえるようなため息を吐くと。本を読むのをやめて。
「ねぇ・・美樹ちゃん」と話し始めた春樹さん。
目だけで、ナニ? と返事すると。
「美樹ちゃんって、どっち?」
えっ? って。何が?
「能動的とか、受動的とか、アクティブとかパッシブとか・・その、普段の美樹ちゃんっておとなしそうな受け身的な自分からは何も言わなさそうな女の子の雰囲気かあるけど、ほら、デートに誘えとか、プールに行こうとか、宿題を手伝えとか。結構能動的、アクティブでしょ・・つまり、自分からアレコレ要求するタイプ」
って・・なんの話ですか?
「あれから・・って・・その・・改めてよろしくお願いしますねって言ってからなんだけど」
あ・・いよいよ、この話。やっとこの話・・キター? と思うと、心が弾み始めるというか・・突然、本当に、心臓がバクバクし始めたかも。でも、とりあえず冷静に・・。
「その話は、まぁ、こちらこそ、よろしくお願いします」
って、何言ってるの私・・なんて言えばいいのこういう時。と春樹さんの顔をじっと見つめたら。
「その・・まぁ・・俺って、勉強が足りなくて、こんな本読んでるんだけど」
と見せてくれた今春樹さんか読んでいる本。カバーを取り外すと。
「彼女のトリセツ・・・カワイイ彼女ができたら読む本・・・」
というタイトルで・・。えっ? 勉強が足りなくて、こんな本を読んでる。カワイイ彼女ができたら読む本・・彼女のトリセツ・・って・・ナニ?
「そのね、能動的な女の子はみんなの中で一番だと言われると嬉しい・・とあるのだけど、ホント?」
えっ・・それって・・朝の「一番可愛いな」の事? 別になにも思いませんでしたけど。
「でね・・由佳の態度があの一言で激変したというか、そこまでまだ読んでなくて、今読んでるところに・・」
ってどういう話題ですか? これって。
「ただし、それは、大勢の前では言ってはいけない・・とあって・・まずかったかな・・と感じてるのだけど」
はぁ・・私には解らない話ですけど・・そういう話。
「その・・女の子は、何気ない一言で一気に冷めるとか。余計な一言を言うより、黙っていた方が無難。とか・・この本に書いてることって本当なのかなって・・その・・なんて言うか・・あれから、つまり、よろしくねって言ってから、その次って、どんな言葉がイイのかなって・・そういうこと解らなくて・・美樹ちゃんは、どんな言葉をもらうと嬉しいのかな?」
「・・・・・・・」
知りませんよ・・そんなこと・・と言うか・・自分で考えてくださいよ・・と言うか。それが、メールとか電話してくれなかった理由ですか? と言うか。
「受動的な女の子は、そんなことないです・・といいつつ、心の中ではほくそ笑む・・って、そんなことないです、と否定する態度を肯定してはいけない・・って難しい文章だな、否定する態度を肯定してはならないというのは、否定する態度を否定しろって意味だよね」
「・・・・・・」
知りませんよそんなこと。と思いながら、じっと見つめていると、本当に大真面目な春樹さんの表情は・・ふと、思い出した。弥生とあゆみが言ってた。アレ。
「アレよアレ」
つまり、私のお尻をむにゅむにゅと掴んでいた時のアノ表情。春樹さんって、もしかして、弥生やあゆみが言うように。ホントにロリコンでネクラで理系のオタクの変態マッチョマン? これが・・マッチョマン? のことなの?
「論理的ではないということかな・・女の子の感情って・・論理的ではないのは解っているつもりなんだけど」とぶつぶつつぶやいて本を閉じて。
「まぁ・・いいか」とニコニコと微笑み始めた春樹さん。
「おいしかった」と、急に、空になったお皿を見ながら、いつものように聞くから。
「はい・・」といつものように控えめに返事すると。
「正直に言いたい放題言ってもいいよ、今日のは塩味が効きすぎとか、スパイスが足りないとか」と聞くから。
「いえ・・本当に美味しかったですよ」そう答えると。
「これかな・・否定する言葉を肯定してはいけない・・つまり」
って、またさっきの話ですか? それ・・。どうしてこんなに真剣すぎる顔なの春樹さん。
「でも・・本当は美味しくなかったんじゃないの・・って聞くことが、否定の否定だよね」
と、考え込んでるし。だから。
「いえ・・本当に美味しかったです。いつも通り」
と、首を振りながら答えると。
「ホントにホント? 何か足りないとか、そういうことあるんじゃないの?」
とさらに私の意見を否定して。
「ありません・・ホントにいつも美味しいです春樹さんのチキンピラフ」
とまた首を振りながら答えたら。
「でも、本当に足りないものがあるなら言ってもいいから」
「だから、足りないモノなんてないって・・いつも美味しいです」
って・・なんだか、しつこい・・。
「だといいんだけど・・って否定を肯定すると・・あーそうか。そう言うことだ」
なにか閃きましたか? と春樹さんの表情が急に明るくなって。
「え・・何がですか?」と聞いたら。
「女の子が否定したことを肯定すると会話が止まりますよって・・そういうこと、なるほどね、これは論理的かもしれない」
って、なにを勝手に納得してるのこの人。この人・・という表現はマズイかな。
「なるほどね、そう言うことだ」
ってまた、そう言うことだって・・何がそう言うことなんですか? というか。春樹さんって、そうなんですか? 私、春樹さんの何かを知ってしまったような不安な気持ちが、今していますけど。え・・私、春樹さんのナニを知ったの今・・。
「でも・・・」
とまた本を手にして、ぱらぱらとページをめくって。
「否定を否定するのは3回まで・・できるだけ4回目では肯定して、喜ぶ、誉める、感謝する。そんな言葉で締めくくる」
と朗読しながら。
「こんな感じかな・・いつも美味しそうに食べてくれるから俺もうれしいよ」
と、感情のないセリフに、とりあえずうなずくと。
「・・・の次ってどう言えばいいのかな・・・その・・なんて言うかさ、俺って聞かれたことってなんでも答えられる自信あるのだけど、その・・これからよろしくねって言った後・・どんな話すればいいのか、なにも思いつかなくてさ」
って・・そう言う話題に私もどう答えていいかなんてわからないし。どうしよう・・息が止まりそうな気がする。
「何かこう、電話とかした方がイイかなとか、メールした方がイイかなとか、思うのだけど、なにも思いつかないというか・・これから慣れればいいのかな、そういうこと」
慣れればイイのかな? まぁ・・慣れればイイと思いますけど。春樹さんってホントにこんな人だった? 弥生も、今から心の準備してた方がって言ってたけど。その前に。
「男と付き合い始めると、いろいろ、えぇーそうだったの・・みたいなことが多くなるよ」
って言ってたことも思い出すけど。これがそれかな・・。でも、そうだったのってどうだったの? 私、混乱してる? と思い始めたら。
「あの・・」と話しかける春樹さん。
「はい・・」と返事したら。
「無理して話ししようとしなくてもいいかな」なんてことを話始めて。だから。
「はい・・別に無理して話ししようとはしなくても・・」いいと思いますよ。
「でも・・黙ったままって言うのもナニかヘンな感じだし」まぁ・・そうですけど。
「別に・・話がなければ話さなくてもいいんじゃないですか」
「まぁ・・そうだけどね」
まぁ・・私から何か話したいこともないというか・・。
そのままお互い何かを意識していそうなのだけど、それを言葉にできないまま時間が過ぎて。
「お疲れ様でした」と挨拶したとき。
「お疲れ様」と言ってくれた春樹さんも、それ以上は何も言ってくれなくて。立ちすくんでしまった私を見つけたチーフがため息吐きながら。
「オツカレ・・また明日な」
と、後ろを強調して返事してくれた時。
「春樹もお前も、不器用でじれったくてまどろっこしくて、歯痒くてヤキモキして見てられないというか、お節介焼きたくなるのよ。はぁあぁ・・・まぁ、そう言うことだ」
と、休憩時間に言われた言葉を思い出して。はっと気づいた言葉・・。
「また明日ね・・」と春樹さんに言ってみたら。
「うん・・また明日」という返事をもらった瞬間、ニコッとしてくれた春樹さんの笑顔に急に思いついたもう一つの言葉。
「電話してもいいですか?」電話くださいなんて、私から言うのはムリかも。と改めて思うから。してもいいですか・・となった気がするけど。
「・・・あ・・うん・・別に構わないけど」
「じゃ・・電話しますからね」ともう一度念を押して。
「うん・・」そううなずいた春樹さんの顔がどことなく嬉しそうだから。
「それじゃ・・また明日・・」
「また明日」
また明日・・とりあえず・・いつもより一言「込み入った話」ができたかも。また明日って。ジョウテキかな・・と思うことにしよう。
それにしても・・知れば知るほど、そうなんだね・・こういうことって。って・・そうなんだねって、どうなんだろう?
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