チキンピラフ

片山春樹

文字の大きさ
上 下
24 / 43

えぇ~? 何が起きてるの?

しおりを挟む
田舎で過ごしていると、過ぎてゆく時間はゆっくりやってくるのに、過ぎてしまった時間はあっという間に遠ざかって。この涼しい風がそよそよと吹き込む座敷で、ずっとゴロゴロしていたいのに、ふと目についたカレンダーを見ると、もう明日は帰らなきゃならなくて。木曜、金曜、土曜、日曜。の次の土曜日は9月1日。どうして、今年はこんな並び、と、いうより、もしかして、知美さん、あの時、これを知ってそう言ったの? そんなことを考えていたら。
「9月1日は、私たち、正々堂々としていましょ」
と、知美さんのあの声が聞こえた気がして振り向いたら。
「美樹、どうするの? 春樹さんにおはぎ作って、持って帰る?」
と、お母さんが提案して。だから、私は、少し考えて「うん」とうなずいたせいで、明日は帰るというのに、慌てて、
「それじゃぁ小豆とかうるち米とかを買いに行きましょ」
と言い始めたおばぁちゃん。の為に最後の魚釣りを諦めたお父さん。が運転する車の中。
「ホントにいいの」と、おばぁちゃんを見ると。
「いいのよいいのよ、美樹の未来がかかっているんだから」と笑っていて。
お父さんは。
「でも、あの小豆は農協でしか買えないの?」って、心配そうで。
お母さんは、
「まだ残っているといいんだけどね」と、そして。
「まだ残っていれば、美樹の未来には希望があって。でも、もうなかったら、運命の糸ははここで途切れる。いざゆかん、運命の小豆ちゃん」だなんて、お父さんの歌舞伎調な喋り方と。
「なわけないでしょ、どうしてそんなネガティブなこと言うの」
とあきれ返っているお母さん。と。
「でも、そういう偶然って、あったりするからね、運命は、自分で手繰り寄せなきゃ」
と、おばぁちゃんって、結構ポジティブなんだな・・と思った瞬間に知美さんを思い出した。けど。
「でも、売り切れて、もうなかったら、おはぎもカレシも他のにすればイイのよ。ドンマイ」
だなんて、どっちかわからない意見を好き勝手に言って。と思うけど。

「あったあった。美樹の未来は希望がいっぱいなのかもね、じゃ、帰って、美樹の将来のお婿さんに、スペシャルおはぎ、作ってあげましょ」
とおばあちゃんも、お目当ての小豆を見つけて嬉しそうな顔。

そして、3人でまた、おはぎづくりしながら。
「おはぎ一つで落とせる男の子だったら、それはそれでお安い男の子だわね」
笑いながら、お米をお餅にしているおばぁちゃんと。
「それもそうだけど、意外と、春樹さん、そういうのにほろっと来るタイプじゃない?」
なんて言うお母さん。どうして? と思うと手が止まって、顔を向けたけど。
「何気に、あの恋人さん、えーと、知美さん、年上なんでしょ、春樹さんも、毎日、年上の女の尻に敷かれてつらい思いしてるかも。そんなつらい時に、これどうぞ。なんて、可愛く優しく差し上げたら。ほろほろしたりしてね」
と、お母さんの独り言を聞きながら、おばぁちゃんに言われたとおりに、3回茹でて、湯切りした小豆に、砂糖と塩を入れて練り混ぜて。摘まんで舐めると、いつものあの美味しいこの味。私にもできた、本当に美味しい、この甘じょっぱい餡子。なのにまだ独り言をぼやき続けているお母さん。
「おいしい? なーんて聞いたら。うん。だなんて。唇についてるアンコをさ、ついてるよ、って唇寄せて舐めてあげたら。だははははーやーねーもぉ。春樹さんカワイイし」
って、お母さん、妄想が暴走してる? というより。
「あーやだやだ、あたしったらなに想像してるのよ。って、ちょっと想像するくらいイイよね」
と、舌で唇を舐めて、
「うん・・・ふふふふふふ」
だなんて。おばぁちゃんと二人で、壊れていそうなお母さんを白い目で眺めてみた。

そして、丸めた お餅になり切れていない お餅を餡でくるんで、出来上がった我が家秘伝のおはぎ。軒先に運んで一つだけ試食。やっぱり美味しい。お餅のようなお米がプチプチする食感が甘くてしょっぱい餡子に包まれて。これを春樹さんに「はい、あーんして」と食べさせてあげて。「おいしい?」と聞いている自分を空想して。唇についてるアンコ、ついてるよって、舐めてあげたり。って、さっきのお母さんと同じこと考えてる? でも、春樹さんのもぐもぐしている口元や、ぺろりと唇を舐める仕草が自動的に連想されると。あの唇が私のアレを・・あの舌が私のアソコを・・そう思いだすと、また、じんじんと体の奥で反応し始めるヘンな感じが、潤っと、身震いを呼んで。うずうずしてしまうこと実感してる私。ったく、「春樹さんのバカ・・」とつぶやいてしまいそうなのは、このヘンな感じが、妙に心地いい感じのように思えるから。つまり、また、あの時のように、もう一度、と思ってしまうから? 「やっぱり怒っているの?」 怒ってなんかいませんよ。本当は、もう一度、受け入れたい。今度は、蹴飛ばしたりせずに。がまんするから。そんなことを考えていたら。 
「どぉ、美味しい。カレシ喜んでくれそう?」と聞くおばぁちゃん。
また、心の中見透かされているかとドキッとした。
「う・・うん」とぎこちない返事をして。えっちな空想してたこと、ばれてないかなと思っていると。
「美樹がこんなに綺麗になったのは、その男の子のせいなんだろうね。今もその男の子の事考えていたでしょ。気持ちがフワフワしてるの見えたよ」
気持ちがふわふわって。やっぱり、見透かされてた? だから。
「うん・・まぁ」
と、それしか言いようのない返事。そしたら。
「エッチなこと考えると、ホルモンがドバドバ出てきて、ますます女っぽくなっちゃうよ」
なんてことを、くすくす笑いながら言い始めて。なのに。
「でも、人生長いのよ、男の子はその人だけじゃないんだから、最低でも二三回は失恋も経験して、その綺麗な顔に見合った強い女の子になりなさい」
と話始めるおばぁちゃん。でも、強い女の子と言うより、私は。
「失恋なんて経験したくないし」と言う気持ちの方が強い。でも。
「しなきゃ、失恋も、失敗も。強くなるためには必要なことよ」
「強くなるため?」の方が大事なのかな?
「うん。失敗も、失恋も、そんなこと当たり前でしょ、って、笑い話にできるくらい強くならないと幸せになれないの」
って、知美さんもそんなこと言ってたな「うまくいかなくても後で笑い話のネタにすればいい」って。
「失敗して、失恋して、振られたとしても、悲しんでいたら、幸せになるチャンスがどんどん通り過ぎちゃうから。強くなって、過ぎたことなんて笑い話にして、すぐ立ち上がって、通り過ぎてゆくチャンスを全部ひっ掴まなきゃ」
と笑いながら話すおばぁちゃんに。ふと。
「笑い話にすればいいって、そういう意味なんだ」と思った。
「って?」
「春樹さんの恋人さん、知美さんって言うんだけど、その人も同じことを言ってたの、うまくいかなくても笑い話のネタにすればいいって」
そんなことを打ち明けたら。きょとんとしたおばぁちゃんが。
「あらま、恋敵と知り合いなんだ」と言った。だから。
「うん、まぁ。私より、7つも年上で、綺麗で美人で大人でかっこよくて、超ポジティブで」
と、とりあえず知っていることを話し始めたら。キョウミシンシンなおばぁちゃんは。
「へぇぇぇ、会ったんだ」と感心してる。
「うん・・会って、話した」
「私のオトコに手を出すなって、言わなかったの?」
「うん、そんなこと言わなかった。というより、まったく逆に、私から奪ってみなさいって、楽しそうに、夏休みの自由研究だと思って、オトコを口説いてみろって」
「へぇぇぇ、それはまた、すごい人に出逢ったのかもしれないね、その人の事、憎い?」
「ううん、・・素敵な人だなって思ってる。見た感じも、話すことも」
「仲いいの?」
「仲良くしたいなと思っているかも、ちょっとだけあって話しただけだし」
「じゃ、その人は、春樹さんより大事な人になるかもしれないね」
そう言われて、そうかもしれないな、と思うことに気付いた気がした。
「うん・・そう言われたら。そうかもしれない」
「へぇぇぇ。美樹は、そんな人のカレシを奪おうとしているんだ」
「うん・・だから、無理かも」
「無理だろうな」
「やっぱり、そういう」
「うん、無理だって、美樹が思っているから。無理」
「だから、失敗するとか、失恋するとか、無理とか。聞きたくない」
と、思うけど。おばぁちゃんは。うれしそうな顔で続けた。
「こんなこと話す機会なんてめったにないから、もっと話してあげる」
「もっと・・って、聞きたくないかも、無理とか振られるとか失恋とか」
「それでもおばぁちゃんは話しておきたい。昨日、美樹が聞いたでしょ」
「なにを?」
「ほら。愛ってなにって」
「うん・・聞いたね・・」
「美樹は、その男の子、春樹さん?」
「うん」
「に、してほしいこといっぱいあるでしょ」
「してほしいこと?」
「デートしてほしい、カレシになってほしい。恋人になってほしい。付き合ってほしい。好きって言ってほしい。キスしてほしい、エッチなこともしてほしい。今もそんなこと考えていたでしょ、あーしてほしい、こーしてほしいって」
って、おばぁちゃんは、唇を突きだしたり、手をムニュムニュしたり。恥ずかしいから。
「うん・・まぁ」と下を向きながら答えたけど、おばぁちゃんはいたってまじめで。
「してほしいことがいっぱいあるうちは、恋」と言った。
「恋?・・してほしいことがいっぱいのうちは」って、何の話かな?
「うん、それがね、してあげたいことがいっぱいになると、愛に変わるの。美味しいもの作ってあげたい。食べさせてあげたい。話を聞いてあげたい、世話してあげたい、面倒見てあげたい。向きが逆って言ったでしょ、このことよ」
「してあげたいこと?」
「おはぎを作ってあげたい、食べさせてあげたい。本当の気持ちでそう思えたら、愛してるって気持ちがあるんだなって思うけど。これを食べさせてあげた見返りに、春樹さんに振り向いてほしい、私を誉めてほしい。恋人になってほしいって。私を彼女にしてほしい。そう思っているのだったら、それは恋だねってこと」
「してほしいこと。してあげたいこと」なんとなくわかるような、わからないような。難しいような。
「なかなか、恋とか愛とか、経験しなきゃわからないこと、それを言葉で説明するのも、言葉にするのも難しいけど。おばぁちゃんもお母さんも、お父さんやおじぃちゃんや美樹に、してほしいことなんてなんにも思いつかない。でも、してあげたいことは、いーっぱい思い浮かぶよ。愛してるから」
愛してるから・・してあげたいことがいっぱい思い浮かぶ・・。そう聞いて。
「私・・」春樹さんにしてあげたいこと、何かあるかなと思うけど。すぐには思いつかなくて。
「いいのよ、まだ、してほしいことがいっぱいあって、全部してもらうまでは子供でいてもいいの。でも、恋をして、してほしいこと春樹さんに全部してもらったら、もう少し大人になって、次は、してあげる番、してあげたいこと全部してあげるには人生は短いから。このこと、美樹に話して、はな・・してあげたいの」
「してほしいこと全部してもらったら、してあげる番、全部してあげるには人生は短い」
「うん。でもね、してほしいこと春樹さんが全部してくれたとしても、自分でできることは自分でする。誰かの為に自分以外の何かになろうとしてはいけない。今日できなかったとしても、今日はゴールじゃない。明日できたとしても、それは次に向かうための通過点、命が尽きるときに到着するところがゴールなのよ。昔の人は、高いゴールを目指して、一生懸命走り続けたの。悲しんだり嘆いたりしてる暇なんてなかった。今よりもっと人生が短かったから」
「って、何の話?」
「おばぁちゃんが、美樹くらいの時に、おばぁちゃんのおばちゃんが話してくれたこと。美咲はまだ美樹にそんな話していないでしょ。お父さんも」
「うん・・」
「きのう、お父さんがね。美咲に、お母さんに優先順位一番の座をお前の為にいつも開けておくことが愛だって言ってた時。思い出したの」
って、全然わかなかったような・・それのどこが愛なのって思ったような。
「つまり、美樹のお父さんは、美樹のお母さんを幸せに・・してあげたい、最初にそう思っていることを、あんな 優先順位一番 だなんて言葉で表現したのよ」
最初にそう思っている?
「お父さんは、どんな時も美咲の幸せを一番最初に考えているんだなって、あの一言で解った気がした。あー、この娘はいい男をお婿さんに迎えて、幸せになったんだなって。良かったって思った。だから、次は美樹の番」
私の番・・。
「美咲は覚えているかわからないけど、美咲が美樹くらいの時にも、この話をしてあげた。幸せになるために大事にしないといけない気持ち」
「大事なしないといけない気持ち?」幸せになるために? 
「心の持ちようっていうのかな。考え方。学校とかじゃ、そういうこと、だれも教えてくれないでしょ。幸せになるためにはね、してくれなかったことを悲しむ前に、してもらったことを喜びなさい。ないことを悲しむ前に、あるものを喜びなさい。おばぁちゃんも、いつまでこんなお話しできるかわからないから、今のうちに全部美樹に話してあげたいの」
って、そんな寂しくなるとこを・・と思ったけど。
「おばぁちゃんは、そんな言葉を、おばぁちゃんから教わったから、こんなに幸せになれた。そんな気がするから。美咲もこの話を覚えているから、お父さんがあんなに愛してくれるのよ。そして、次は、美樹が幸せになる番」
そうだね、こんな話は、学校とかでも誰もしてくれないね。幸せになるためにだなんて。と思って。
「うん、幸せに・・なれるのかな私」そんなこと初めて考えたかも。それと。
だれと・・誰に幸せにしてもらうの? 誰を幸せにしてあげるの?
「春樹さん?」と、想像を膨らませようとしたけど。
「たぶん。失恋すると思うよ」もぉ、どうしてそんなことをそんなにシレっと。
「また・・そんなこと」
「だから、失恋したことを悲しむよりも、私は、こんな恋をしたと自慢できるように、うーん・・どう言えばいいのかな。失敗したことを悲しむ前に、挑戦したことを誇りに思う人生を歩みなさい」
とつぶやいたおばぁちゃんの目がきらりと光ったような気がして。それは、私の心に何か杭のようなものが突き刺さって、絶対倒れなくなったかのような、シャキーンとしたような。何だか、心が熱くなり始めたような。何かがわかったような。そんな一言。
「ごめんなさいって言われたことを悲しんだり、後悔するより。好きですって言えたことを誇りに思えたら、次は、もっといい男の子に巡り合った時に、もっと大きな声で 好きです って言えるから」
「って、それって・・そうだけど・・」心に響く一言のように思えるけど。どうして振られる前提なのよ。とも思えるし。だけど。
「ほかに恋人がいる男の子なんでしょ。美樹の方から彼に ごめんなさい って言わせてあげるのも、愛だとおもうよ。ほら、綺麗に振ってほしい、と思うなら恋。綺麗に振られてあげたいなら、愛なんじゃない。奪おうなんて、考えていいのかな」
そうかもしれないね・・と言葉に詰まって。でも。ふと思いついたこと。いつか春樹さんが言った「夢実現ノート」。
「おばぁちゃん、さっきの話、もう一回話して」
「えぇ、どうして」
「一回聞いただけじゃ覚えられないから、ノートに書いておきたいの」
「はいはい、ってなに話したっけ」
「ちょっと、もぉ」
「おはぎの作り方なら」
「それは、覚えたからいいの。幸せになるためにって」
「はいはい」
そんな、今年最後のおばぁちゃんとのひと時。夕闇の中、おばぁちゃんの一言一言をノートに書きこんで。
「振られたことを後悔する前に、好きですって言えたことを誇りに思いなさい」
「失敗したことを悔やむより。挑戦したことを誇りに思いなさい」
「あれがない、これがないと、ないものを数える前に、あんなものがある、こんなものもあるって、あるものを喜びなさい」
「どうしてって、後ろ向きなことを思った時は。どうしたらいいのって、前を向く言葉に言い換えてみる」
「男は女を選べない。女には男を選ぶ権利と能力がある」って、これは何だろう。と思ったけど、おばぁちゃんが喋るままに、そんな文章が何行も並んで。一行一行がなんだか心に染み込んで、どんどん強くなってゆくような気分がしてる。不思議な言葉。

そして、一息ついて、見つめたおばぁちゃんの顔。来年もここにきて、どんな報告をするのだろう。そう思った時、いつの間にか、月明りの下。にこにこしたままのおばぁちゃんは。
「はい、これくらいかな、じゃ、また来年。思いつくことは全部話せたから。もういつ死んでも後悔しない」
なんてことを言う。だから。
「そんな、いつ死んでもいいだなんて、言わないでよ」と言い返したら。
「おばぁちゃんも、後悔したこと、悲しかったこと、たくさんあったけど、あんなことがあったねって、全部、どうでもいい笑い話になっちゃった。おじぃちゃんとこんなに幸せにここまで来れたし。それに、美樹がこんなに綺麗になって、恋をして、誰かを愛そうとしている。持ちきれないほどの幸せを両手に抱えているのに、ナニを悲しむの? ナニを後悔するの? 何が足りないの? って、この年になってやっとそんなことが実感できたかな。そんな気がする。美樹の綺麗な顔をみていると」
と、その一言もノートに書き写して。おばあちゃんと一緒に、夜空を横切るゆっくりとした流れ星を見上げて。また来年もここに来れますように。おばぁちゃんもおじぃちゃんもいつまでも元気で。来年もここにきて、二人を喜ばせてあげられる報告ができますように。そんな願い事をした。
「さ、晩御飯食べたら、お風呂入って、早く寝て、明日は早いんでしょ」
「うん・・」
「じゃ、晩御飯の支度しましょ」
と立ち上がったおばぁちゃんの背を見送ってから、ノートに書き写した一行一行を眺め直して。わかることもあれば、実感がないのもあって。それでも、一行一行の中にある言葉を選んでつなぎ合わせると、なんとなく気が付いたこと。
「失恋しても、そこはゴールじゃない、こんな男の子に恋をしたって、自分自身に誇れる男の子を選びなさい。そして、こんな恋に挑戦したんだって誇りに思える人生を歩みなさい。好きになった男の子に好きですって言えたことを誇りにできたら、次はもっといい男の子に、もっと大きな声で好きですって言えるはず」
もっといい男の子に出逢えたらの話だけどね。って思うのはネガティブなのかな私。
「してほしいことがいっぱいあるより、してあげたいことがいっぱいある方が幸せよ」
してあげたいことか・・私、春樹さんに、ナニをしてあげたいんだろ。そう言えば。と思って、携帯電話を開いてみると。えぇっ・・、春樹さんからメールが。開けてみると、ずらーっと。なっ・・ナニコレ・・・・・。
「許してください」
「軽率でした、傷ついたのなら、償います」
「一生謝り続けます」
「許して。本当にごめんなさい」
「美樹が美しすぎたから、気持ちを抑えることができなかったんだ」
「返事してください」
「何か返事して」
「バカ でもいい、キライ でもいいから、何か言って」
「無事ですか? 生きていますか?」
「美樹、本当にごめんなさい」
「お前が美しすぎるから、理性を保てなかったんだ、許して」
って・・・えぇー。どうしたの?春樹さん。ナニを思い込んでいるの? って、奈菜江さんたちに何か言われたの? と一瞬思ったけど。今日は、奈菜江さんからのメールはないし。それに、こんなメールにどんな返事したらいいのかなんて、わからないし。それより、何が起きているの。えぇ~と、ぶつぶつ混乱していたら。
「ナニしたか知らないけど、美樹がバイト辞めたらどう責任取る気? って春樹さんを追い詰めといたから。あとはうまくやって」
って、何かが通じたかのように奈菜江さんから来たメール。うまくやってって、えぇー? そんなことできるわけと言うより、何が起きたの? というか、これって、どうしていいかわからないのに。でも・・。
「ナニしたんですか?」
と打ち込んだのを、さっきのおばぁちゃんの言葉。「どうして? を、どうしたらいい? に書き換えてみる」を思い出して。少し考えてから消して。
「うまくやるって・・どうしたらいいんですか?」
とメールを返してみると。また、電光石火の速さで。
「許してあげるから、キスをして、私に愛を誓いなさい。って言う」
許してあげる・・のも、してあげることだよね。でも、ナニを許してあげるのだろ。そう思っていると。すぐに。
「少女漫画のワンシーンみたいに」
って、どの漫画にそんなシーンがあったの?
「その後、私も、すねたりしてごめんね。って、ちゅっちゅっしてあげる」
こう続いて。ここにも、してあげるって。文字が並んだ。そしてまた。
「男の基本的な操縦方法、突っぱねて押さえつけて、ギリギリのところで、よしよししてあげる。うまくできたら、ご褒美は、なんだろね。うふふふふ」
よしよし、してあげる。ってまた、してあげる。奈菜江さんって、慎吾さんをそんな風に操縦してるのですか?って言うより。どこかで聞いたような話、これって、弥生が言ってたニンジンの話? に似てるかも。 でも、その、ちゅっちゅっしてあげる・・ってナニ? やっぱり、アレの事? と想像すると。また・・。お腹の下あたりでジンジンし始める、この身震いしてしまう、ヘンな感じ。を。
「違う違う違う・・」
ぶるぶると振るい飛ばして。それより、この春樹さんのメール・・どうすればいいの? と思っている間に。また。
「黙っていないで、返事してください。無事ですか?」
「キライでも、会いたくないでも、なんでもいいから、無事でいるコト教えてください」
って・・どうしたらいいのよ・・こんな。奈菜江さん、ホントに春樹さんにナニしたの? そんなこと思っていたら。
「美樹、また、携帯電話ばかり見て、春樹さんと連絡してるの?」
「ううん・・ち・・違うけど」
「晩御飯食べるよ。みんな集まっているんだから。ほら、明日帰るんだから、美樹も一緒に来て、食べなさい」
「うん・・」
と、いつものパターンのようなお母さん。そして。電話をポイすると、不思議と治まってくる心のパニック。そして。
「なんだかあっという間だったね、また寂しくなっちゃうね」
と言うおばぁちゃんの一言に、「うん」とうなずいたら、本当に寂しい気持ちが押し寄せて。春樹さんに返事した方がイイかどうかなんて、そんなこと、もう、どこか彼方に飛んで行ってしまったようだ。

そして。いつの間にか朝が来て。またね。とハグして別れたおばぁちゃんと、おじぃちゃん。

家に帰ってからも、書き留めたおばぁちゃんの言葉を見直して。なんだか、他の事を考えられなくなるような気持になってしまう。この一行一行の言葉の列。
「知ることと、解ることは、似ているけど、まったく違うこと」
「もっと知りたいと思っているうちは恋。もっと解ってあげたいと思うことが愛」
わたし、春樹さんの事、知りたいと思うことはあるけど。解ってあげたいことは思いつかなくて。
「いつも、どちら向きなのか考える。私は、して欲しいと思って求めているのか。してあげたいと思って求めているのか」
「空想と想像が描く彼の姿に恋をして。現実と現物に幻滅した後に愛を知る」
だなんて、これは、難し過ぎるけど。現実は空想とは違うって、どのくらい違うのだろう。私、なにを空想していて、現実をどこまで知っているのだろう。まったく、こういうことは、学校とかでどうして教えてくれないのだろう。とか、思っていたりしながら。おばぁちゃんが、ニコニコしながら最後に言った言葉を思い返しながら、ノートに書き足してみる。
「今は、解らなくてもいいの、でも、美樹がこれから経験することは、誰もが経験したことだから、みんなこんな経験するのよって、今から知っていなさい、心の準備ができていれば、嬉しいことはもっと嬉しく。悲しいことはそれなりに。通らなくてもいい道を知っていれば、その分近道できて、みんなより遠くまで行けて、誰もしたことがないことを経験できるかもしれない。だから、今はたくさん勉強をして、いろんな事を知りなさい。知ってさえいれば、解るのは簡単。解ったら、おばぁちゃんがたどり着いた幸せの、もっと向こうにある幸せに向かいなさい。おばぁちゃんよりね、もっともっと幸せになりなさい」
通らなくてもいい道。もっと向こうにある幸せ。まだ解らなくてもいい。でも、知っていなさい。いつものように、一つ一つの言葉を並べ替えていると。
「知っていれば、その時が来たら、進むべき道が解る。のかな?」
自然と、そんな言葉が独り言のように。出てきて。それをノートにまた書き写して。
「進むべき道か・・」だれと? と、この瞬間、ようやく春樹さんの顔が思い浮かんで。その時。電話がプルプル震え出して。画面を見ると。あゆみ? 出てみると。
「ちょっと美樹って無事なの?」
って、いきなり無事ってナニ? と思ってしまった、よくわからない一言。だから。
「無事だけど、どうしたの?」
と返事したら。
「うん、春樹さんからメールがあって、最近、美樹ちゃんと話した? って内容なんだけど、どゆ意味? 何かあったのかなって」
って、春樹さん、なにしてるの? 話しただなんて、私に電話すれば済むことじゃない。と思ったけど。と思いながら思い出した。春樹さんからのヘンなメール。返事するの忘れてるというか。奈菜江さんが黙っとけって言うから。というか。
「でも、春樹さんが私にメールくれるだなんてって、ドキッとしたけど、こんな内容じゃーね。って、それより、美樹って、春樹さんとどうなの? うまくいきそうなの?」
「どうなのって・・まぁ・・それなりにぼちぼち付き合っているけど」
うまくいきそうかどうかは別問題。だと思う。
「それなりにぼちぼち付き合っているのか、いいなぁ・・私なんて、全然彼氏できそうな予感すらないし。はーあ、じゃ、春樹さんに、美樹と話したけど、無事みたいですよってメールしとくからね」って、ちょっ・・。
「ちょっと待って・・そんなメールしないでよ」
「どうして」
「私から話しするから」
「まぁ、じゃぁ、しないけど。なんか引っかかるね、最近美樹ちゃんと話した? ってなんなのそれって」
「まぁ・・ちょっと・・あの・・」と言い訳を考えている私の脳がフル回転しているような。
「電波届かないところにいたからじゃないかな・・ちょっと、返事するの遅れてるって言うか・・そゆことだから」
とテキトーに思いついたことを早口でペラペラ喋っている私は誰なんだろうという気持ちもする。電話を切って、でも、ったく、春樹さんも何やってるのよ・・と思うけど。と思っていたら。今度は優子さんからも‥電話が。慌てて出ると。
「ちょっと、美樹って無事なの?」
って、なんで優子さんまで同じセリフ。と思う間もなく。
「春樹さんが、美樹から何か連絡とかなかった?って変なメールしてきてるのだけど」
と言い始めて。
「変なって、どうして優子さんまで・・」
「って、春樹さん、美樹のこと、なんか心配してるみたいだけど、どうかしたの? だまって田舎に帰ってたこと、言った方がいいんじゃない」と言うけれど。
「うんまぁ・・でも、奈菜江さんも黙ってじらせたらって言ってるし」
「春樹さん、じらされ過ぎておかしくなってるんじゃない。私にこんなメール。直接美樹に電話すればいいのにね」って するん と言うけど。
「まぁ・そうですよね・・」って答える私の声はなんとなくチュウチョな気持ち。
「って、ナニその弱気そうな声。何か話しにくいことになってるの? それじゃ、大丈夫そうですよって、私からメールしといてあげようか」
って、どうしてそんな、あゆみ みたいな提案になるのですか?
「や・・やめてください」って、これは強気な気持ちで言ったら。
「って、どしたの? するなって言うならしないけど」
「あの、だから、私から、電話しますから、ちょっと、携帯の電池が切れて。連絡遅くなってるだけですから・・その・・今充電し終わったところ・・さっき」
だなんて、そんなことを、絶対ウソってばれそう。なのに。
「でも、連絡遅くなったくらいで、こんなメール来るかな、今日二回目だし」
に・・二回目? ってナニ? 一回目はいつ? って春樹さん何してるの?
「まぁ、そういうことなら、ほったらかしとくけど。もしかして、ケンカでもしたの?」
「しませんよ・・ケンカなんて」
「まぁ、ケンカするほど仲良くなり始めたのかなとも思うし、いいなぁ。うらやましい。奈菜江も言ってたけど、春樹さん、美樹の事、相当意識してるよ。じらしたりしないで、ちゃんと答えてあげれば。もしかして、告白とかあったの?」
「ありませんよ・・・」だなんて、大きな声で、しかも、即答するなんてこともいけないような・・。
「あ・・あるわけないじゃないですか・・」
だなんて、小さな声で、続けざまに、そんなこと言ったら話がこじれそうだし。それに。
「答えてって・・なんて答えればいいんですか?」
と、最近はこういうこと、結構すぐに聞き返せるようになったような自覚。
「なんて答えてって、好きだって言われたら、すかさず、私も好きよって。好きなんでしょ春樹さんの事。私は、まだそういうのアレだけど」
「えぇ・・まぁ・・」だなんて肯定してもいいのかな。でも。
そう簡単に言えられたら、こんな苦労はしてないですよ、と思うけど。
「で、明日からお店、来るんでしょ。奈菜江に言われたことなんて、どうでもいいから、春樹さんに一言、大丈夫ですよって言ってあげないと、嫌われても知らないからね」
「はい・・まぁ」嫌われたら・・だなんて。
「じゃ、お休み。あっ・・なにかお土産あるの?」
って、この人はいつも、突然話が変わる。
「え・・まぁ・・」
「あー楽しみ。美味しいもの?」
「はい・・まぁ・・たぶん」
「きたいしちゃお。じゃ。また明日。おやすみ。なんか美樹がいないと寂しいかも」
「おやすみなさい」って・・それより。
「寂しいかもって何ですか?」
「えー、うん、なんかこう、張り合ったり、いじったりする相手がいないのって、寂しい」
「って・・」どゆこと?
「まぁ、おやすみ、お土産期待してるね」
「はい、おやすみなさい」
と、電話を切った途端にまた・
「無事ですか。何か答えて」
だなんて。春樹さん・・からのメールが来てるし・・どうしたの? というより、何なんですか? こんなメールをずらずらと。それに、どうして、メールなんですか? 電話してくれればいいのに。と思うと、なんか気持ち悪と言うか、ムカつく気持ちがして。だから。
「無事です!」
とだけ、メールで返事したけど。ビックリマークはいらなかったかな。もっと柔らかく「無事ですヨ」にすればよかったかな。そんなこと考えながら、画面を見つめたまま、しばらく待ってみるけど。春樹さんからの返事はなかなかなくて。えっ・・・どうしたの、こんな、昨日から、何行も、無事ですか、怒っているの、どうしたの。と連なっているメールが、私の「無事です!」の一行で、途切れてしまうだなんて。どうしましたか春樹さん? と念力を画面に送っても、変化がなくて。「春樹さんは無事ですか?」と書き込んだけど、送信できないまま、丁寧に消したりして。私、なにかしちゃった? って思いつくことはないし。春樹さんとなにか約束してた? ってそんな記憶もないし。私から電話した方がいいのかな。そんなことぶつぶつ考えていたら。
「美樹、ご飯できたから降りてきなさい」
といつものパターンの、お母さんの大きな声に。
「はーい」と返事して。電話をポイした。けど、ポイした瞬間に・・・と思ってもう一度、拾い上げて画面を見ても・・なにも変化ないね。ま、とりあえず、ご飯にしよう。

そして。それっきり、返信がないまま、送信もできないまま。夜がふけて。どうしよう、もう一行メール書こうか、それとも電話した方がいいかな。と悩んでいるうちに、朝が来て。

「美樹、早く起きなさいよ、アルバイトに行く時間でしょ」
というお母さんの声が。いつかの優しい春樹さんの声のように思えた、鳥のさえずりが混じっている爽やかすぎる朝。電話を握りしめたままの体勢で寝てただなんて。
「ほら、もぉ、早く起きなさい」
と、春樹さんの声のように思えたのは、やっぱりお母さんの声で。電話も、メール。
「無事です!」
のまま、止まっている。まさか、と思って。再起動しても。そのままで。
「ほら、美樹、起きてるの、また家出する気」
あーうるさい。
「起きてるわよ。もぉ」
「アルバイト行くんでしょ。早く食べて、支度しなさいよもぉ」
そんな、いつも通りの朝。そして、久しぶりなアルバイト。
「おはぎどうするの、春樹さんとこに持っていく?」
といわれて、あ・・そう言えば優子さんが楽しみって。それに、春樹さん・・なんだかヘンだし。だから。
「え・・あ、うん。お店に持っていく」
「春樹さんには」
「お店に来た時に・・」
「はいはい、じゃ、タッパーに詰めとくから」

そして、普段通りにお店に行くと、
「あー、美樹久しぶり、どうしたの、今日はいつも通りじゃない。この間の大人っぽい衣装はもうやめたの?」
とすり寄る由佳さんがいて。この間の大人っぽい衣装・・が、すぐに思い出せないような、あの日から一週間も過ぎたのか、一週間しかたっていないのか。と立ち止まったら。
「それって、お土産?」
と、目を輝かせる優子さんがすり寄って。
「で、どうなの、春樹さん、じらせたまま放置してるの」
と奈菜江さんのその言葉が私を凍り付かせるような。
「え・・まぁ・・」
「そんなことより、お土産お土産」
「あっ、これ、おはぎです。手作りの」
「手作り。って、今日、春樹さんいないのに」
まぁ・・どうして、解るんだろう・・そういうこと。
「あ、別にいいんです、早く食べないと痛むかもしれないし。一昨日作りました」
そう言いながら、休憩室でタッパーの蓋を開けると。まぁ、お母さんも、詰め込み方にセンスがないというか。なんというか。どこが境目だかわからない、おはぎ、というより、べちょっ、って感じの小豆のあんこ。でも。最初に一口つまんだ優子さんが。
「うーわ・・美味しいこれ、ナニ この甘じょっばいあんこ」
「どれどれ、アーホントに美味しい」
「えぇー、春樹さんに食べさせてあげなくていいの」
「まぁ・・」というか。どういえばいいのか。それより、どうして、あっという間に全部食べてしまうのこの人たちって。優子さん3つも食べた。一瞬で・・・・。

そんな感じで、いつも通りに仕事をして。お客さんに笑顔を振り撒いて。一息つくタイミングで思い浮かべるコト。

私、春樹さんと、プールにも行った、水着を見せてあげた。デートもした。キスっぽいこともして、二人で過ごした夜に初体験のようなこともしてしまって、蹴飛ばしちゃたけど。そこからまた、思い出を巻き戻してゆくと。
「9月1日は正々堂々としていましょ、私たち」
と言いながらグータッチしたあの日の知美さんの綺麗な笑顔が思い浮かんで。
「どんなことをしてもいいから、あの子を口説いてみなさい」
って、言葉が頭の中でこだましている。口説いてみなさいって言われても・・。とつぶやきながら思い浮かぶのは。
「そう言えば、私、言ってないね。好きですって」
そこまで考えて、気が付くのは、やっぱり。私。最初にしなければならないことをしていない。そう言えば、弥生も言ってたかな。
「好きです、付き合ってください。僕も好きです、付き合いましょう」
そこからが、カレシカノジョの関係の始まり始まり。なのに。私はまだ。
「好きです」と言っていないんだ。おばぁちゃんも言ってたように。
「好きですって言えたことを誇りに思えたら。次はもっといい男の子に、もっと大きな声で言えるはず」
次はもっといい男の子に、好きですって、言えるはず。心の中でリピートするその言葉は。「失恋もしなきゃ」と続いて、思い浮かぶ、優しく笑っているおばぁちゃん。
「これって、失恋を経験するための恋なのかな?」
そんなことを思い始めた。ら。
「何ぶつぶつしているの? そろそろ上がる時間だよ、引継ぎとか大丈夫?」
と由佳さんが声をかけてくれて。あっという間に、また、一日が過ぎた。

そして、メールを確かめると。「無事です!」のまま止まっていて。このこと。奈菜江さんに相談した方がいいかな・・と思うけど。
「アイス行く?」
と言われて。「い・・いえ、ちょっと片付けとか」があるし。と返事したのは。何だか春樹さんの事を話題にするのが怖いような、私からは言い出せないような。そう思っていたら。
「で、春樹さん、何か言ってきた?」
と単刀直入なというより、某弱無人というか、そんな勢いの奈菜江さん。
「いえ・・なにも・・」言ってはいない。メールはあったけど。
と返事すると。
「いえって・・連絡とってないの?」だなんてあっけらかんという奈菜江さん。
「奈菜江さんが黙っとけって言ったから」とぼやいたら。
「えぇー、確かに言ったけど。本当にあれ以来黙ったままなの?」だなんて言う。
「まぁ・・・」と返事したら。
あーぁやっちゃったかも。と言う雰囲気の顔をした奈菜江さん。
「うそ・・それは、黙っとき過ぎじゃない」
って、どういうことですか? というか。
「じらせてみろって」言ったじゃないですか。と思うのに。
「そうもいったけど・・黙っとくのは二三日の間でいいのよ。ほら、うまくやってねって言ったでしょ」
ってどういうことですか・・。というか。
「ほら、どうして心配してくれないのよ。ってすねたりして、許してあげるからキスしなさいって、ちゃんとキスできたら、私も拗ねたりしてごめんねって、ちゅっちゅっしてあげて、あーもぉ、どうして、そういう風にうまく運ばないのよ」
なんてこと、あの時のメールには、ない内容が混じっているし。それに、そんなこと、ちゃんと言ってくれなきゃ、・・言ってくれても、私にできるわけないじゃないですか。
「でも・・本当に連絡とか、していないの?」
「メールはありましたけど、返信してなくて、一度返信したけど、それっきり」
「どんなメール」
と言うから、春樹さんから来たメールをずらーっと見せてあげたら。まだ、私の「無事です!」て止まっていて。
「うーわ、春樹さん、本当に、美樹に ずぶずぶ じゃない・・・これ」
「本当に・・ずぶずぶ・・」の意味が分からないかも・・。
「美樹がバイト辞めたりしたら、どう責任取るつもり、とか言ってかなり追い詰めたんだけど・・春樹さんって本当に美樹に何かしたの?」
と私をジローっと見る奈菜江さんに。
「な・・なにも、されてませんよ」と言ったけど。まぁ、ちょっと、なにかされたかなと言う気持ちが。視線を泳がせている。
「あの時の春樹さん、見てて解るくらいの動揺だったから、私も優子もドン引きしちゃって、そのまま放置状態なんだけど」
「ドン引きって・・」
「春樹さんに、あなた美樹にナニしたのよって言ったら、顔色がみるみる変わって」
って、春樹さん、私が蹴飛ばしたこと? だと思ってる? 
「春樹さんって、メールしただけ? なにかしゃべってないの?」
「はい・・なにもしゃべって・・ないです」
って、こないだしゃべったのっていつだったっけ・・あ・・
「知美にはしゃべるんじゃないぞ」
以来かな。そう思い出していると、画面を見直した奈菜江さんが。
「なのに、あらららら、無事です! って、これは、いけないかも。春樹さん、怒ってる、もしかして。こんなに心配したのに、無事です! だけなんて」
えぇ? 怒ってるって何ですか? と、私も動揺しすぎて声が出ない。 
「もぉ、美樹って何やってるの、こじれたかもしれないよコレ」
なんで、どうして、でも、それって、無責任・・。じゃないですか。
「あーぁ・・こんなに心配してくれていたのに、無事です! だけって。なんか、こうなったら、キスしてあげるから怒らないでって。携帯、調子悪くてとか。そんな言い訳メールした方がイイかも」
だなんて、繰り返して、身勝手なことをするりとしゃべる奈菜江さん。というより、黙っとけって言ってたのは奈菜江さんでしょ、と思っていたら。
「でもまぁ・・春樹さんも土曜日に出てきて、美樹の顔見たら、ほっとするでしょ。大丈夫大丈夫、心配いらないよ」
って・・あっけらかんと方向転換する奈菜江さん。に、そんな、と言う不安が。どうしてこう、次から次に、どうしていいかわからないことが。私、ホントに、どうしたらいいの?
「やっぱり、電話とか、メールとか、した方がいいですか」
「まぁね、でも、春樹さんも、意外と奥手なんだね」
「奥手って何ですか」
「不器用、こういうことが上手にできない男の子なんだなって。意外と今頃、電話持ったまま、美樹からの電話とかメールを待ってるかも。電話してみれば、0.01秒で出たら、まだ大丈夫な証」って言うけど。
「出なかったら・・・」って言うか・・。「無事です!」の後、返事ないし。メールも帰ってこないし。と奈菜江さんの顔を見ると。
「うん・・もう、終わったかもね」って・・凍り付いた私。というか。
終わったかもね、だなんて・・それって、何ですか? と思っていると、更衣室から出てきた優子さんが、意味ありそうな笑顔を私に向けて。
「もぉ、さっきから、美樹って、奈菜江の言うこと気にしすぎでしょ」と言った。
「気にしすぎ」気にしますよ、この中でカレシがいるの奈菜江さんだけだし。その・・。
「みんな美樹が可愛いからからかってるだけよ」ってどういう意味ですか。ばっかり。なのに。
「じゃ、うまくやってね、うふふふふ。優子、どうするのアイス行く」
「今日はいいよ、美樹のおはぎが美味しかったから。私、最近またデブくなり始めてるし」
「って、また、おっぱいが大きくなったんじゃないの」
「うるさい」
「あー、うらやましい。どうしたらそんな風になるのよ?」
「しらないわよ、そんなこと。なにがうらやましいのよもぉ。こんなにジャマなのに」
「ある人はいいわよね、はぁぁあ。優子の半分でいいから、もう少し成長してほしい」
そう言いながら、自分のおっぱいをもみもみしながら、私の胸に視線を向けた奈菜江さん。
「えぇー、私、美樹にも負けてるかも・・」
と言いながら、じろーっと私の胸を見つめて。
「じゃね、お疲れ様。また明日」
と、ため息交じりのお疲れ気味にそう言って歩いてゆく。
そんな二人を唖然としながら見送って。春樹さん怒ってる? と携帯の画面を見つめてみる。
それに、0.01秒で出てくれるのかな。と思いながら、番号を呼び出すけど。コールできない私も。そういうことうまく出ない女の子なのかもしれないし。いや、かもしれないじゃなくて、まったくできない女の子だし。

そんなことしているうちに、また同じような一日が過ぎて。また同じようなことが繰り返されている錯覚。
「どぉ、昨日は春樹さんと何かしゃべったの」と奈菜江さんが後ろから。
「え・・いえ・・まぁ」と振り向きながら答えるけど。
「でも、あの、春樹さんの狼狽えぶりって、すごかったよね」と優子さんも混じってきて。
「美樹にナニしたの」という奈菜江さんと。
「えぇ・・な・・な・・何もして・・なんて、顔面蒼白になってたし」という優子さん。
「まぁまぁ、明日、春樹さんが来て、美樹のカワイイ顔見たら安心するって」と割り込んで来たのは由佳さんで。
「よね」と3人がうなずく。そして。由佳さんが私の胸元をジローっと見つめて。
「というか・・美樹って、おっぱい大きくなったね」
「ねぇ、なんかこう、しばらく見ない間に全然大人になってるって言うか」
「やっぱり、春樹さん、美樹に何かしたんだ。おっぱいが大きくなるようなこと」
「それとも、美樹が春樹さんに何かしたんだ。おっぱいが大きくなるようなこと・・きぁぁいやらしぃ~」
と、まだ私をからかう3人に。
「な・・な・・なにもないですよ、そんな、ヘンな想像しないでください」
と泣きそうな声で言うと。
「はいはい、ごめんなさい、美樹をからかうのって楽しいから」
「可愛いから、なんか、からかいたくてうずうずしちゃうの」
私は全然楽しくないですよ。だけど。春樹さん私にナニしたの? って、あの時の事、思い出すたびに、潤としている、私の気持ち。それより、春樹さん、蹴っ飛ばしちゃったこと、何か思っているのかな? そう考えると。やっぱりメールするのが怖いような、電話するのはもっと怖いような。どうしたらいいかなんて全く分からないし。おばぁちゃんの語録集を眺めても、いい答えがないような。

そうしているうちに、最後の土曜日が来て。
「最後の土曜日・・・」
とつぶやくと。どうして、最後なの? と自問自答してみる私。
「でも、とりあえず、会える日は、今日と明日。2日あるけど」
とつぶやいて。今から、明日に期待しているような。と思った瞬間に。
「期限って大事よ。どんなことをするときでも、タイムリミットがないといつまでもダラダラ何もできないまま人生終わってしまうから。これだけは守って、8月31日までにあの手この手であの子を仕留める。いい、わかった?」
と知美さんの声がこだまして。
「8月31日までにあの子を仕留める。いい、わかった」
と、私じゃない私が私につぶやいたような錯覚に。
「そんなこと言っても。私」
と返事している私。
「わかった、って言われても、どうしたらいいかわからない」
どうしよう・・・。なんて・・どうしてこんなに不安が不安を呼び起こすのだろう、そんな気がするのは。これのせいかな、と気付いた。生理がはじまった・・・よりによってこんな時に・・・。どうしよう。休むわけにもいかないし。

そう思いながら、気が付くと。私は、お店の私が担当しているカウンターでコップに氷を振り分けながら、忙しすぎる土曜日のランチタイムの準備をしている。
まるで、いつか、こんなことがあったような、どのタイミングでここにタイムスリップしたのだろう、そんな気がした。慌てて時計を見ると、今は、土曜日の午前9時30分。春樹さんが出勤するのは11時前。私は6時まで勤務して。春樹さんは9時ころまでいるはず。ランチタイムが終わるころ、みんなが気を使ってくれる私と春樹さんの休憩時間は3時ころで。よし。いつものチキンピラフを二人で食べながら、何かお話ししよう。って。今日に限って、どんな話すればいいの? あー何も考えられない。体調は悪いわけではないけど。やっぱり。気持ちがこんなに不安定になっているのがわかる。春樹さんと向き合ったら、しなければならないことは。
「コクハク・・好きです・・とか・・付き合ってください・・とか?」
と思いついた瞬間。カランとコップに転がり込んだ氷の音が聞こえて。
「いらっしゃいませようこそ。5名様、こちらへどうぞ」
と由佳さんが案内した家族連れ、は、私の担当エリアに。由佳さんが、目で「よろしく」と合図して。
「はい」と返事する私。とりあえず、メニューブックを5つ掴んで。気持ちを仕事モードに切り替えて。大きく息を吸って、落ち着いてから。
「いらっしゃいませ、ようこそ、おしぼりと、お冷と、メニューブックです・・・」
愛想笑いしながら仕事モードへの切り替えは、こんなにスムーズにいくのに。春樹さんモードへの切り替えは・・。と思った瞬間、また、潤・・と感じて。だめだめだめだめ・・春樹さんの事は考えない。お仕事お仕事。今は仕事に集中しよう。集中できるはず。よし、私は仕事に集中している。
「それでは、お決まりになりましたら、またお伺いに参ります」
とお客さんに、いつも通り笑顔を振り撒いている。よし。

そして、モーニングタイムの山が過ぎて、一息つこうとした時。お仕事モードのまま春樹さんの事全く意識していなかったその瞬間。ヘルメットを抱えて、手袋を外しながら、現れた春樹さん。が、真っ先に、私に。
「あっ、美樹ちゃん、おはよ、お疲れ様」
と言ってくれた。その時、私は、心の準備ができていないまま、春樹さんの顔を見て、体の中で、何か変なスイッチが「ガシャン」と入ったような音が聞こえた。はっとしてしまって。また・・潤・・って、この感じが意識を曖昧にしている。だから。
「え・・あ・・おはようございます」
と言いながら、視線を背けてしまうのは、今のこの気持ちを気付かれたくない恥ずかしさのせい。なのに、そんな視線を背けた私を見つめたまま、由佳さんや奈菜江さんに「おはよ」と言いながら。奥に向かう春樹さん。の背中をチラ見しながら。
「どうしちゃったの、私」
とつぶやいた私に振り返った春樹さん。は、ニコっともしないで、不安そうな顔で奥に行ってしまった。
「ちょっちょっと、美樹‥どうしちゃったの、今のナニ?」
と私に歩み寄ったのは奈菜江さん。
「今、なんか、えぇっ、て感じしたけど」
「春樹さんも、美樹の顔見て、えぇって感じだったし」
えぇって感じって、どんな感じですか、と思うけど。私だって、えぇって感じですよ。どうしてこんな、えぇ~? 何が起きてるのですか?

そんな、不安定な状態のまま。大わらわのランチタイム。とにかく、仕事に集中したまま、トラブルも起きずに時間が過ぎて。カウンター越しに春樹さんと目が合っても、とにかく仕事優先。どことなく、お客さんに振り撒く笑顔がぎこちなく思うのは、生理のせいにして。それでも、体調はそんなに悪くはない。私は冷静に仕事をこなせているし。このオーダーでお昼のピークは一応、途切れる。よし。

「ふぅぅ、何とか乗り切れたね、休憩、誰から行く」
と由佳さんの一言で、奈菜江さんと優子さん。そして、いつの間にか出勤している美里さんまでもが同時に私に振り向いた。というか、どうしてみんな私に振り向くのですか。と思っていると。チーフまで私を見ているし。なのに、春樹さんだけは後ろ向いてて。お鍋をかき混ぜているし。
「美樹、丁度いいタイミングだから、春樹さんとのこと、シュっ とした方がいいんじゃない」
シュっ って何ですか?
「ほら、笑顔振り撒いて、チキンピラフを二人で食べながら、いつも通りいちゃいちゃしていいから」
「って、でも、朝のあの雰囲気、ホントにどうしちゃったの?」
「どうしちゃったのって、美樹って春樹さんと何かあったの?」
と、美里さんまでもが輪に加わると、ますます話がこじれそうなイヤな予感。
「なんか、気まずそうなんですよ」と奈菜江さん。のせいで気まずいんでしょと思う。
「そう言えば、そんな感じしてるね。暗雲が立ち込めているのが見える」
と大真面目な美里さん。見えませんよそんなもの、立ち込めてなんかいませんよ。と思うのに。
「ほーら。休憩行っといで」
と由佳さんが進めるから。それに、チーフも。
「おい、春樹、二人の時間だぞ」
だなんて、二人って、誰と誰の事ですか?
「えっ・・あ・・」
と私に振り向く春樹さん。と目が合って。何か言おうとして。
「あの・・」
と言ったきり、何も言えない私。どうして何も言えないの? 私が聞きたいですよ。何かあったんですかって。
「あ・・何か食べる」
「あ・・はい・・いつもの」
「いつもの・・いつも通りでいい?」
「はい、いつも通りで」
というから、いつも通り、お水を汲んで。「それじゃ、お先に休憩もらいます」と休憩室に向かう私。の背中に。
「がんばってね」
と小さな声が届いた。けど、なにをどう頑張るの? 何があったの? 私たち。

いつも通りに、休憩室で、いつも通りの椅子に座っていると。
「お待たせ」
と春樹さんが、いつも通りに二皿のチキンピラフを運んで来てくれて。私の前にコトンと丁寧に置いてくれる。いつも通りのいい匂いが漂って。いつも通りに。
「いただきます」と言ってから。スプーンですくって口に運んで、いつも通りのおいしさを味わっているのに。今日は、いつも通りじゃない、スプーンとお皿がカチャカチャと立てる音が、大きく響いている。
「・・・もぐもぐ・・・」カチャカチャ
「・・・もぐもぐ・・・」カチャカチャ
「・・・もぐもぐ・・・」カチャカチャ
どうして何もしゃべらないんですか。と思っているのに。春樹さんもうつむいたままで。どうして何もしゃべらないんだ。と思っているのかな春樹さん。なのに、私もうつむいたままで。だから。そぉっと顔をあげて。
「・・・あの」「・・・あの」
と同時に言ったから、また・・気まずいような。と、もう一度うつむき直そうとしたら。
「やっぱり・・怒っている・・のかな」とたどたどしく話し始めた春樹さんに。なんの話ですかと言う気持ちを込めて。
「別に怒ってなんかいませんよ」と答える私は不愛想なこと自覚していて。
「やっぱり・・怒っていそう・・だけど」
としつこい質問に。
「なんで・・どうして・・怒っているのって聞くんですか?」
と普通のイントネーションで聞き返したつもり。すると。
「いや・・あの・・奈菜江がさ、美樹にナニしたの、って聞くから、美樹ちゃんアノこととか、なにか、奈菜江に相談したのかなって、思って。それに、田舎に帰ることも、言ってくれなかったし。メールしても、返事が・・だから、俺の事、怒っているのかなと、思っているんだけど」
って、やっぱり、奈菜江さんのせいじゃないですか。と思うけど。春樹さんもどうして奈菜江さんの一言にそんなに怯えているのというか。気にしすぎているというか。
「もしかして・・生理がないとか・・」
な・・な・・今生理中です。だなんて言えるわけないでしょ。というか。生理がないってナニを話しているのですか。そんなこと、しれっと言わないでください。と心の中で大声で言い返しているつもりだけど。
「だから、もし、美樹ちゃん傷ついているなら、俺、どんなことをしてでも償うから・・ゆる・・」
とそこまで言った瞬間。休憩室の扉がガラっと開いて。どきーっとしたら。
「美樹お疲れ」と割り込んできた美里さん。が、目を大きく見開いている私の顔をジローっと見て。引き攣っていそうな春樹さんの顔をジローっと見て。
「何かあったの?」
と、話がどこまでもこじれそうな一言を言い放った。
「べ・・べ・・べつに・・何も」
と春樹さんもそんなに怯えながら返事したら逆効果と言うか。
「な・・な・・なんでも・・ない・・ですよ」
と私も、美里さんの顔見るのが怖いような。目を反らせたら、何かを疑われそうだけど。
「私、美樹の事、世界で一番大事な妹だと勝手に思っているから。何かしたら承知しないからね」と春樹さんに重くて低い声で言ってから。私の隣に座って。その・・勝手に?
「ねぇ、美樹、本当に何もないの、なんかこう、みんなの雰囲気とか、美樹の顔とか、心配で心配で仕方ないんだけど。本当に何でもない? 春樹がひどいことしそうになったら私に言うのよ、また、蹴飛ばしてあげるから」
「は・・はい・・」と返事するしかない。生理も止まりそうな美里さんの怖い顔。
が、じろーっと春樹さんを睨みつけてから。
「私、じゃま?」と言うから。
「いえいえ・・邪魔だなんて・・」
と返事したおかげで。それ以上春樹さんとは会話ができなくて。さっきは、ナニを言おうとしていたのだろう。そんなことを考え直していると。私たちを観察しながら。
「どうして何もしゃべらないの、私に聞かれたくないコト話してたの?」
と言い始めて。
「いえ・・別に。ねぇ」
「あ・・あぁ・・」
そして。私たちの、この気まずいそうな雰囲気を、美里さんは。
「そういうことか。ったく、あなたたち、もうそんなところまで行っちゃったのね」
と表現した。そういうこと? ってどういうこと? それと、もうそんな所って・・何ですか? というか、どこ? と思っていると。
「で、どっちが先に折れるの。つまらないことでケンカして、どっちが先に謝るの。って、そういう話でしょ」
と乾いた感じで春樹さんに聞いた美里さん。私は、なんのことですか? と思うのに。
「俺からに決まっているだろ」と即答した春樹さん。が、私を見て。小さくうなずいてる。俺からに決まってるだろって・・決まってるのですか? えっ・・何が? でも、そのセリフを聞いた美里さんは。
「それならいいんだけど、また。美樹を泣かせたらどうなるかわかっているんでしょうね」
と、勝手に納得しながら席を立ち。
「困ったら、私に相談するのよ」
と耳元に呟いて。また、なんの話ですか。と思う間に。にこっと笑って休憩室を出て行った。そして。
「本当に、・・許して」
とつぶやく春樹さんに。私、またどう言っていいかわからない。とりあえず。
「許してあげますって、一度言いました」
と、うつむきながらつぶやいた声は、どことなく怒っていそうな声になってしまって。
「知美さんにもしゃべっていませんよ」
と、善意のつもりで続けたのは。この不安定な気持ちのせいかな? すると。
「あ・・そぉ・・」と、また、うつむいた春樹さん。ため息のあと。
「本当に・・ごめんなさい」
と言ったきり。
「・・・」カチャカチャ
「・・・」カチャカチャ
えぇぇぇぇぇ。何がどうなっているのか、全然わかない。そんな雰囲気のまま。春樹さんとこんなに近づける土曜日が過ぎてしまったようだ。誰も楽しく話してくれない雰囲気のまま。
「お疲れ様でした」と、フライパンを振り回している春樹さんに挨拶して。
「あ・・お疲れ様」
と返事してくれた、その顔がむちゃくちゃ沈んでいるから、愛想笑いもできないし。
「ホントにごめん」と続けるから。ナニをそこまであやまるのですか。とも言えないし。
そのまま、うなずいて。奈菜江さんも優子さんも、無言のまま、お店を出た。

そして、「好きです」って言わなきゃならないタイムリミットが明日なのに。
「私と付き合ってください」って言わなきゃならない期限が来るのに。
夜遅くまで、電話を握りしめたまま、春樹さんからのメールは来ないし。私から電話する勇気もないし。メールしようとしても、ナニを書いていいかわからなくて。

これって、デジャブ。って言うのかな。
「美樹、早く起きなさいよ、アルバイト行く時間でしょ」
という声に目を覚ましたら。私、電話を握ったまま。眠っていたようだ。もう一度、土曜日の朝が来てくれたのかなと思ったけど。
「お父さんも、日曜日だからって、起きて掃除とか手伝いなさいよ」
って・・それは、お母さんの日曜日独特の言い回し。
「美樹、起きたの」
「起きてる・・」
あんな土曜日がもう一度来るのもイヤだな。というか・・春樹さんも・・何がどうなっているの? 
しおりを挟む

処理中です...