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第四部 - 三章 龍王の恋愛成就奮闘記
三章五節 - 龍王の誓い
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ここまでくればもうそれほど距離はない。
乱舞は右にある大岩に手をつきながら岩ばかりの場所を登っていく。さきほどのように、大きな段差がある所や斜面が急な所では沙羅に手を差し伸べたが、もう彼女の顔を見ることはできなかった。
緊張で手のひらににじんだ汗に気付かれるのではないかと気が気でない。しかし、沙羅は全く気にした様子もなく乱舞の差し出した手を全て取ってくれる。
「ありがとう」
それがうれしくて乱舞は思わず礼を言った。手を差し出す側が礼を言ったことを不思議に思った沙羅がきょとんと首をかしげたが、乱舞はあいまいに笑んで手をついている大岩の上を見上げた。
「もう少しだよ。この岩の上が目的地」
ごまかすように言って、また前方へ向き直る。
沙羅も目的地と言われた岩の上を一度見上げて、乱舞に従った。
足場はあいかわらず岩の多い道だが、大岩の頂上が近づくにつれて、岩にさえぎられていた日光が射してきた。振り返ると、岩の縁と枝の間から太陽の白い光が見える。木々の枝が邪魔で山のふもとの方は見えないが、だいぶ登ったようだ。
振り返って風景を見ている沙羅を気にかけつつ、乱舞は一足先に岩の頂上へと足をかけた。
その瞬間、岩に遮られていたすべての光が降り注いだ。乱舞はまぶしさに目を細めながら笑みを浮かべた。
「ついたよ」
そこは山の斜面に大きく張り出した岩の上だった。上部は平らになっており、二十人座っても余裕がありそうなほど広い。正面は樹冠が岩の縁から覗く程度で山のふもとが良く見渡せた。
「見て」
落ちないように気をつけながら岩の端に立って、乱舞はそこから見えるものを指し示した。堂々と胸を張って。
彼の隣にぴったり寄り添っている沙羅は、その風景を見て吐息と共に笑みを浮かべた。
「中州城下町……」
見下ろした先にあったのは、彼らの住むあたたかな町だった。春のやわからな光に家々の黒い瓦がきらめいている。
「昔、与羽が教えてくれたんだ。城下町が見渡せるいい場所だって」
最近は忙しくて来られなかったが、確かにここは良い場所だ。城を囲む生け垣の内側から堀、城を起点に放射状に伸びる五本の通り。全てを鳥の目から見たように見渡せる。
「これが……」
乱舞は何か言おうとして言葉を詰まらせた。あと少し勇気があれば、そんなことはなかったはずだと軽く唇を噛む。
一方の沙羅は、乱舞の次の言葉を待つように隣からその横顔を見ている。それを意識しないように努力しつつ、乱舞は唾液を呑み込んだ。
「……これが、僕たちの町なんだね」
少しかすれた声でそう言う。
「そうね。あなたの町よ」
沙羅がやさしい声で応えた。
「いや、僕たちの、皆の国だよ、中州は。中州に領主はおらん。城を治める城主がおるだけ。……でも、確かに僕の国なのかもしれないね。僕たち中州一族は、支配者としてじゃないと生きられない。それは、天駆も一緒。僕たちは皆と髪の色や目の色や、色々見た目が違うから。僕が平民だったら、きっと気味悪がられて殺されるか、そこまでいかなくてもいじめられたり、見世物小屋に売られたりしてたんじゃないかな? 権力で守られてなかったら、僕たちはきっと孤独でつらい生活を送ってたんだろうな」
「そんなこと――」
「じゃぁ、沙羅は僕の見た目が普通の人と変わらなかったら、とか思ったことない?」
「それは――」
「僕はあるよ」
乱舞は沙羅の答えを聞く前に言った。
「僕だけじゃない。与羽も、お父様も、中州城主一族は多分皆――」
「でも、とてもきれいだと思うわ。私は、城主一族から受け継いだこの目の色を誇りに思ってる」
乱舞を見る彼女の萌黄色の目は、言葉のやさしさとは裏腹に強い光をたたえている。沙羅は一つに束ねられた乱舞の髪に触れた。柔らかな陽光を浴びて青と黄緑にきらめく髪。乱舞の髪は良く比べると与羽よりも青と黄緑に色の差が少なく、青緑に近く見える。
「ありがとう。そう言ってもらえると、とっても嬉しい。僕たちの存在を認めてもらえたみたいで」
「『認めてもらえたみたい』じゃなくて、認めてるの! 私も大斗さんも水月大臣も。古狐も月日も、漏日も紫陽も橙条も。
主要文官家だけじゃないよ。武官家も、他の官吏も。職人も町民も農民も――。中州の人たちはみんな中州城主一族を大事に思ってるし、見た目がどうとか少なくとも悪い風には思ってない。他の国や他の時代ではどうかまでは分からないけど、あなたは中州城主として胸を張って生きていいわ」
「うん……。ありがとう」
乱舞は再びほほえんで、ほっと息をつく。その様子がはかなげに見えて、沙羅は乱舞のほほにそっと手を添えた。励ますように、やさしく――。
「ありがとう」
乱舞はもう一度言って、沙羅の頭に触れた。いつもは仕事の邪魔になるため束ねられている髪が、今は下ろしてある。細く癖のない髪はなめらかで、するりと手のひらを滑っていく。
「中州は、とてもきれいな国よ」
沙羅がそっと乱舞に身を寄せながら言う。
「そうだね。でも――」
乱舞は一度言葉を切った。不思議そうに沙羅が見上げている。彼の口から逆接が出るとは思わなかったのだ。
「でも……」
乱舞は大きく息を吸い込んだ。今まで、心の内に秘めていた決意の言葉を出すために。
「僕は中州をもっと豊かで幸せな国にしたい。中州を守るために死んだ父が、老いても、中州を離れてもなお中州を安んじ続ける祖父が僕に託してくれたこの国を僕も守りたい。そのためなら、僕はどんなに苦しく危険な道でも歩いてみせる。でも、それは僕一人の力じゃ無理だ。
……僕は、弱いから。
絡柳が考えてくれる。大斗が守ってくれる。与羽が暗い道を照らしてくれる。僕は、大斗や絡柳みたいにはなれない。助けてもらわないと、何もできない。……情けない」
しゃべりながら、乱舞は内心自嘲した。
――なんで、こんなに自分をけなしてるんだろう。
前半は確かに言おうと思っていたことだ。しかし、こんなに自信のない言葉を言うつもりはなかった。
「でも、中州を想う気持ちは誰にも負けてないんでしょ?」
それでも、沙羅はやさしくほほえんだまま乱舞に寄り添い続けている。
「与羽には、負けるかも……」
「バカ。嘘でも『そうだ』って肯定しなきゃ!」
身を震わせて、鈴が転がるような高く澄んだ声で笑う沙羅。
「与羽ちゃんが大事にしているのは、中州の民と国土よ。でも、国は民と土地だけじゃないでしょう? あなたは情けなくていいの。中州を守りたいっていう強い気持ちさえあれば。足りないところは私たちが補うし、そうやって人々を集めてまとめられる能力って誰もが持ってるわけじゃないわ。――そうでしょう? 乱舞」
「うん。……ありがとう」
乱舞は小さな声で言って、まっすぐ中州城下町を見降ろした。
「守るよ、中州を。守ってみせる。皆と一緒に中州を守ってみせる。苦しくて厳しい道でも自らすすんで行こう。でもその道に僕と一緒にいてくれる人たちを巻きこんじゃうんじゃないかって不安がある。けどさ、僕はその道を行きたいんだ。たとえ一人になっても。
でも、皆が付いてきてくれたら僕は嬉しい。……沙羅が、僕のそばにいてずっと支えていてくれたらとっても嬉しい」
「大斗さんと水月大臣はきっとついてきてくれるわ。私も、……絶対ついて行く。あなたを一人になんかさせないんだから!」
「ね?」と沙羅の手が乱舞の腕に触れた。彼女に促されるまま、お互いに向かい合う。ゆるく首をかしげて見上げる沙羅は、美しいばかりでなく非常に頼もしい存在に思えた。
「沙羅……」
乱舞は沙羅の腰と背に腕をまわして、やさしく抱きよせた。
「守るよ。僕の大好きな中州と沙羅を」
「その言い方だと、『大好きな』は中州だけにかかってるのか、そうじゃないのか分からないよ?」
沙羅も乱舞の背に両腕をまわしながら、いたずらっぽい笑みを浮かべて乱舞を見上げてくる。乱舞が少し顔を下げれば、お互いの唇が触れ合いそうだ。
乱舞は緊張感をごまかすために目を閉じると、なめらかな髪の流れる沙羅の頭にほほをくっつけた。
深く息を吸うと、沙羅から漂ってくる花のような甘い匂いが鼻腔をくすぐる。乱舞は少しだけ沙羅を抱きしめる手に力を込めた。
温かな陽光が二人を包み込む。
沙羅が自分の頭を乱舞の肩に預けた。
乱舞は、もう一度甘い空気を吸って誓った。
「守るよ。僕の、大好きな……沙羅を。……いつまでも」
乱舞は右にある大岩に手をつきながら岩ばかりの場所を登っていく。さきほどのように、大きな段差がある所や斜面が急な所では沙羅に手を差し伸べたが、もう彼女の顔を見ることはできなかった。
緊張で手のひらににじんだ汗に気付かれるのではないかと気が気でない。しかし、沙羅は全く気にした様子もなく乱舞の差し出した手を全て取ってくれる。
「ありがとう」
それがうれしくて乱舞は思わず礼を言った。手を差し出す側が礼を言ったことを不思議に思った沙羅がきょとんと首をかしげたが、乱舞はあいまいに笑んで手をついている大岩の上を見上げた。
「もう少しだよ。この岩の上が目的地」
ごまかすように言って、また前方へ向き直る。
沙羅も目的地と言われた岩の上を一度見上げて、乱舞に従った。
足場はあいかわらず岩の多い道だが、大岩の頂上が近づくにつれて、岩にさえぎられていた日光が射してきた。振り返ると、岩の縁と枝の間から太陽の白い光が見える。木々の枝が邪魔で山のふもとの方は見えないが、だいぶ登ったようだ。
振り返って風景を見ている沙羅を気にかけつつ、乱舞は一足先に岩の頂上へと足をかけた。
その瞬間、岩に遮られていたすべての光が降り注いだ。乱舞はまぶしさに目を細めながら笑みを浮かべた。
「ついたよ」
そこは山の斜面に大きく張り出した岩の上だった。上部は平らになっており、二十人座っても余裕がありそうなほど広い。正面は樹冠が岩の縁から覗く程度で山のふもとが良く見渡せた。
「見て」
落ちないように気をつけながら岩の端に立って、乱舞はそこから見えるものを指し示した。堂々と胸を張って。
彼の隣にぴったり寄り添っている沙羅は、その風景を見て吐息と共に笑みを浮かべた。
「中州城下町……」
見下ろした先にあったのは、彼らの住むあたたかな町だった。春のやわからな光に家々の黒い瓦がきらめいている。
「昔、与羽が教えてくれたんだ。城下町が見渡せるいい場所だって」
最近は忙しくて来られなかったが、確かにここは良い場所だ。城を囲む生け垣の内側から堀、城を起点に放射状に伸びる五本の通り。全てを鳥の目から見たように見渡せる。
「これが……」
乱舞は何か言おうとして言葉を詰まらせた。あと少し勇気があれば、そんなことはなかったはずだと軽く唇を噛む。
一方の沙羅は、乱舞の次の言葉を待つように隣からその横顔を見ている。それを意識しないように努力しつつ、乱舞は唾液を呑み込んだ。
「……これが、僕たちの町なんだね」
少しかすれた声でそう言う。
「そうね。あなたの町よ」
沙羅がやさしい声で応えた。
「いや、僕たちの、皆の国だよ、中州は。中州に領主はおらん。城を治める城主がおるだけ。……でも、確かに僕の国なのかもしれないね。僕たち中州一族は、支配者としてじゃないと生きられない。それは、天駆も一緒。僕たちは皆と髪の色や目の色や、色々見た目が違うから。僕が平民だったら、きっと気味悪がられて殺されるか、そこまでいかなくてもいじめられたり、見世物小屋に売られたりしてたんじゃないかな? 権力で守られてなかったら、僕たちはきっと孤独でつらい生活を送ってたんだろうな」
「そんなこと――」
「じゃぁ、沙羅は僕の見た目が普通の人と変わらなかったら、とか思ったことない?」
「それは――」
「僕はあるよ」
乱舞は沙羅の答えを聞く前に言った。
「僕だけじゃない。与羽も、お父様も、中州城主一族は多分皆――」
「でも、とてもきれいだと思うわ。私は、城主一族から受け継いだこの目の色を誇りに思ってる」
乱舞を見る彼女の萌黄色の目は、言葉のやさしさとは裏腹に強い光をたたえている。沙羅は一つに束ねられた乱舞の髪に触れた。柔らかな陽光を浴びて青と黄緑にきらめく髪。乱舞の髪は良く比べると与羽よりも青と黄緑に色の差が少なく、青緑に近く見える。
「ありがとう。そう言ってもらえると、とっても嬉しい。僕たちの存在を認めてもらえたみたいで」
「『認めてもらえたみたい』じゃなくて、認めてるの! 私も大斗さんも水月大臣も。古狐も月日も、漏日も紫陽も橙条も。
主要文官家だけじゃないよ。武官家も、他の官吏も。職人も町民も農民も――。中州の人たちはみんな中州城主一族を大事に思ってるし、見た目がどうとか少なくとも悪い風には思ってない。他の国や他の時代ではどうかまでは分からないけど、あなたは中州城主として胸を張って生きていいわ」
「うん……。ありがとう」
乱舞は再びほほえんで、ほっと息をつく。その様子がはかなげに見えて、沙羅は乱舞のほほにそっと手を添えた。励ますように、やさしく――。
「ありがとう」
乱舞はもう一度言って、沙羅の頭に触れた。いつもは仕事の邪魔になるため束ねられている髪が、今は下ろしてある。細く癖のない髪はなめらかで、するりと手のひらを滑っていく。
「中州は、とてもきれいな国よ」
沙羅がそっと乱舞に身を寄せながら言う。
「そうだね。でも――」
乱舞は一度言葉を切った。不思議そうに沙羅が見上げている。彼の口から逆接が出るとは思わなかったのだ。
「でも……」
乱舞は大きく息を吸い込んだ。今まで、心の内に秘めていた決意の言葉を出すために。
「僕は中州をもっと豊かで幸せな国にしたい。中州を守るために死んだ父が、老いても、中州を離れてもなお中州を安んじ続ける祖父が僕に託してくれたこの国を僕も守りたい。そのためなら、僕はどんなに苦しく危険な道でも歩いてみせる。でも、それは僕一人の力じゃ無理だ。
……僕は、弱いから。
絡柳が考えてくれる。大斗が守ってくれる。与羽が暗い道を照らしてくれる。僕は、大斗や絡柳みたいにはなれない。助けてもらわないと、何もできない。……情けない」
しゃべりながら、乱舞は内心自嘲した。
――なんで、こんなに自分をけなしてるんだろう。
前半は確かに言おうと思っていたことだ。しかし、こんなに自信のない言葉を言うつもりはなかった。
「でも、中州を想う気持ちは誰にも負けてないんでしょ?」
それでも、沙羅はやさしくほほえんだまま乱舞に寄り添い続けている。
「与羽には、負けるかも……」
「バカ。嘘でも『そうだ』って肯定しなきゃ!」
身を震わせて、鈴が転がるような高く澄んだ声で笑う沙羅。
「与羽ちゃんが大事にしているのは、中州の民と国土よ。でも、国は民と土地だけじゃないでしょう? あなたは情けなくていいの。中州を守りたいっていう強い気持ちさえあれば。足りないところは私たちが補うし、そうやって人々を集めてまとめられる能力って誰もが持ってるわけじゃないわ。――そうでしょう? 乱舞」
「うん。……ありがとう」
乱舞は小さな声で言って、まっすぐ中州城下町を見降ろした。
「守るよ、中州を。守ってみせる。皆と一緒に中州を守ってみせる。苦しくて厳しい道でも自らすすんで行こう。でもその道に僕と一緒にいてくれる人たちを巻きこんじゃうんじゃないかって不安がある。けどさ、僕はその道を行きたいんだ。たとえ一人になっても。
でも、皆が付いてきてくれたら僕は嬉しい。……沙羅が、僕のそばにいてずっと支えていてくれたらとっても嬉しい」
「大斗さんと水月大臣はきっとついてきてくれるわ。私も、……絶対ついて行く。あなたを一人になんかさせないんだから!」
「ね?」と沙羅の手が乱舞の腕に触れた。彼女に促されるまま、お互いに向かい合う。ゆるく首をかしげて見上げる沙羅は、美しいばかりでなく非常に頼もしい存在に思えた。
「沙羅……」
乱舞は沙羅の腰と背に腕をまわして、やさしく抱きよせた。
「守るよ。僕の大好きな中州と沙羅を」
「その言い方だと、『大好きな』は中州だけにかかってるのか、そうじゃないのか分からないよ?」
沙羅も乱舞の背に両腕をまわしながら、いたずらっぽい笑みを浮かべて乱舞を見上げてくる。乱舞が少し顔を下げれば、お互いの唇が触れ合いそうだ。
乱舞は緊張感をごまかすために目を閉じると、なめらかな髪の流れる沙羅の頭にほほをくっつけた。
深く息を吸うと、沙羅から漂ってくる花のような甘い匂いが鼻腔をくすぐる。乱舞は少しだけ沙羅を抱きしめる手に力を込めた。
温かな陽光が二人を包み込む。
沙羅が自分の頭を乱舞の肩に預けた。
乱舞は、もう一度甘い空気を吸って誓った。
「守るよ。僕の、大好きな……沙羅を。……いつまでも」
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