上 下
185 / 201
  第四部 - 一章 龍姫、協力者を募る

一章七節 - 子連れ文官

しおりを挟む
 中州城下町には、城から放射状に延びる五本の大通りがあり、その間に小道が張り巡らされている。蜘蛛くもの巣のように町中を繋ぐ小道は他の小道と交わったり、曲がったり――。時には袋小路になって、慣れない者を迷わせる。
 雷乱らいらんは良く使う道しか覚えていないが、おそらく与羽ようはほとんどの道を把握しているのだろう。雷乱の記憶にはない隙間を小さな姫君は迷わず進んでいく。

 城下町を南西方向に貫く大きな通りを横断して、さらに別の小道へ。
 どうやら彼女は、南通りを目指しているらしい。紫橙しとう通りとも呼ばれるそこには、有名文官家――紫陽しよう家と橙条とうじょう家の屋敷がある大通りだ。

 しかし少し脇道に入れば、安宿や繁華街、性的な行為を売る花街、中州城主の監視を逃れた賭場とばなどもある危険な地域となっている。皮肉と揶揄やゆを込めて紫橙通りを「死倒通り」と書く者もいるくらいだ。

 中州のりつ(法律のこと)をつかさどっている紫陽家が、にらみを利かせているおかげで大きな事件が起こることは少ないが、中州城下町で最も治安が悪い区域であるのは間違いない。文官家である紫陽が多くの武官を輩出しているのも、そのような事情が関係しているのだろう。心なしか、道行く人も陰気だ。気前の良い橙条の屋敷がこの地域になければ、人々はもっと暗くふさぎこんでいたのかもしれない。国政では福祉を担っている橙条家のおかげで、この地域に住む人々は最低限の衣食住を供給されている。

 それでも、あたりが城下町で最も危険な場所であることに変わりない。雷乱はさりげなく与羽に寄り添い、万が一の事態に備えた。背負っていた大太刀を左手に持ち、通りの端を足早に歩く人々を牽制している。

 一方の与羽は、心配無用とばかりに通りの真ん中を大股で歩いていた。雷乱のいつもより深く眉間にしわを寄せた、警戒と不安の顔を見ることもない。ここも彼女にとっては、歩きなれた城下町の一部なのだ。

 紫橙通りから裏道に入ってしばらく進んだところで、与羽はやっと足を止めた。
 目の前には小路に面した長屋ながや。腐りかけた木板の屋根に建てつけの悪そうな戸。どこからか眉をひそめたくなるような腐臭も漂ってくる。

 普通の感覚を持つ者ならば、足早に通り過ぎる空間だ。ここに住むのは、身寄りがなかったり、何かしらの障害を抱えていたりする人がほとんどで、ならず者のたまり場にもなっているという。

「おい……」

「大丈夫じゃって」

 大きく隙間の空いた戸を叩く与羽を雷乱が止めようとするが、姫君はいたずらっぽく口の端をあげるだけで取り合わない。何があっても大丈夫なように与羽の横にぴったりと雷乱が並んでも、邪魔そうに横目で見るだけだ。

「こんにち――お!?」

 数度戸を叩いてから滑りの悪い戸を開けた瞬間、与羽の足元に小さなものがからみついてきた。危うく体勢を崩しそうになったのを、雷乱が丸太のように太い腕で防ぐ。足元を見降ろすと、黒々とした毛におおわれた丸いものがあった。子どもの頭だ。

「おお、和雅かずまさ君」

 与羽はやさしい笑みを浮かべて、足元に抱きついた幼児を抱え上げた。

「重とうなったな」

「よーねー?」

「そうそう、与羽ねぇじゃよ~」

「かぁ、よーねー!」

 与羽に抱かれてご機嫌な様子の子どもは、母親に与羽の来訪を告げた。
 と言っても、この家には一つの部屋しかない。玄関である土間どまの脇にはかまどがあり、奥が六畳の生活空間となっている。風呂や便所はない。

 この家の主は、土間に背を向けて座り、何かを読んでいた。幼子が呼びかけるまで与羽の訪れに気付かないほど、集中していたようだ。

「あ……」

 彼女は与羽を見て目を見開いた。予想外の来客だったのは間違いない。

「姫様」

「与羽でいいですよ、叶恵かなえ先輩。ご無沙汰でした。和雅君とはたまに通りで会うんですけどね」

 与羽が会いたかったこの女性は、青金せいきん叶恵。五、六年前までは優秀な文官として将来を有望視されていたのだが、息子の和雅を産んでから官吏の仕事を離れてしまっていた。今は、文官時代に貯めた給金と近所の人々の好意によって、何とか息子と二人で生きている状況だ。

「なぜこんな所へ?」

 叶恵の驚きはまだおさまっていない。

「少し協力して欲しいことがあるんです。文官のお仕事なんですが、もしご迷惑じゃなければ、ついて来てくれませんか?」

「そんなこと……、もう無理です。子どもがいるし、後ろ盾がなくなったら、もう――」

 彼女も絡柳らくりゅう同様、庶民出身の文官。ただ、彼女の場合は後ろ盾だった夫を病で亡くし、出世どころか仕事を得ることさえ難しい状況だ。子どもがまだ幼いのも復職の妨げになっている。

「私は、先輩が適任だと思ってわざわざここまで来たんですけど……」

 恩着せがましい言い方は、嫌味っぽくさえある。しかし与羽は、彼女――青金叶恵の場合はこちらの方が、へりくだって頼むよりも効果があると知っていた。

「それなら…、姫様のご足労に報いるためについてきます」

 控え目で、与羽の労力を無駄にすまいという思いやりを持っているから。

「ありがとうございます。和雅君も一緒に行こうなー」

 与羽は和雅を雷乱に抱かせた。とたんに雷乱の仏頂面が穏やかになる。子どもの扱いには慣れているのだ。

「ほーら、このお兄さん背が高くて眺めがええじゃろ?」

 それに応えるように、和雅が「キャッキャ」と高い声を上げた。

「雷乱、通りに出たら肩車してあげて」

「仕方ねぇなぁ」

 そして与羽は、読んでいた本を几帳面に書棚に戻している叶恵に向き直った。本のたくさん詰まった書棚と机のせいで、狭い部屋が一層狭くなっている。

「じゃぁ、行きましょう。……少し寄り道しますけど」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

夫から国外追放を言い渡されました

杉本凪咲
恋愛
夫は冷淡に私を国外追放に処した。 どうやら、私が使用人をいじめたことが原因らしい。 抵抗虚しく兵士によって連れていかれてしまう私。 そんな私に、被害者である使用人は笑いかけていた……

私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】

小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。 他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。 それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。 友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。 レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。 そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。 レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……

【完結】後妻に入ったら、夫のむすめが……でした

仲村 嘉高
恋愛
「むすめの世話をして欲しい」  夫からの求婚の言葉は、愛の言葉では無かったけれど、幼い娘を大切にする誠実な人だと思い、受け入れる事にした。  結婚前の顔合わせを「疲れて出かけたくないと言われた」や「今日はベッドから起きられないようだ」と、何度も反故にされた。  それでも、本当に申し訳なさそうに謝るので、「体が弱いならしょうがないわよ」と許してしまった。  結婚式は、お互いの親戚のみ。  なぜならお互い再婚だから。  そして、結婚式が終わり、新居へ……?  一緒に馬車に乗ったその方は誰ですか?

初恋が綺麗に終わらない

わらびもち
恋愛
婚約者のエーミールにいつも放置され、蔑ろにされるベロニカ。 そんな彼の態度にウンザリし、婚約を破棄しようと行動をおこす。 今後、一度でもエーミールがベロニカ以外の女を優先することがあれば即座に婚約は破棄。 そういった契約を両家で交わすも、馬鹿なエーミールはよりにもよって夜会でやらかす。 もう呆れるしかないベロニカ。そしてそんな彼女に手を差し伸べた意外な人物。 ベロニカはこの人物に、人生で初の恋に落ちる…………。

処理中です...