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第四部:龍姫の恋愛成就大作戦 - リュウキのレンアイジョウジュダイサクセン -
序章一節 - 龍姫、月日本家へ行く
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【序章】
中州城下町の北にある月日の丘は、人工的に作られた小山だ。歴史書には、城下町の西を守る中州川を掘った際に出た土砂を積み上げたと書かれている。
なだらかな斜面と平らな頂上は歩きやすく、眺めも良い。雪が解けたこの季節には、丘のあらゆる場所に春の野草が芽吹き、小花と若葉で美しく彩られていた。
この丘を管理しているのは「月日家」。長年中州国の財政をつかさどっている主要文官家の一つだ。
まだ肌寒さの残る弥生(三月)のとある日、与羽は月日の丘のふもとに建つ月日本家を訪れていた。
城の敷地内に間借りして建つ古狐家。
城下町の南に屋敷を構える橙条家と紫陽家。
城下町から少し離れた西の神殿近くにある漏日家。
そして北――月日の丘のふもとにある月日家。
長年城と城主を支えてきたこの五家が、中州国の主要文官家と呼ばれている。
与羽は月日本家の立派な門の前に立った。夕焼けで髪を濃い紫に染めている彼女は、この国を治める城主一族の姫。事前の連絡は入れていないが、彼女の立場を使えば門を通してもらえるだろう。
門前には大きな梅の木が紅の花弁を散らし、左右には漆喰の塀が延々とつづいている。この壁の先にある広大な庭園は、ほとんど年中一般公開されているが、今はぴったりとその門扉を閉ざしていた。ちょうど梅と桜の変わり目で、官吏の仕事が多いこの時期は、数少ない庭園の非開放期だ。
与羽は首を巡らせて太陽の位置を確認した。低く、赤みを増した光。時は既に夕刻。遅くなればさらに迷惑をかけてしまうだろう。与羽は椿模様の訪問着の裾を直し、こぶしを握り締めた。気の強い姫君として有名な彼女でも緊張するときはある。しかし、耐えられないほどではない。与羽は短く息を止めて、その手を挙げた。そして、意を決して門へ――。
「ごめんくださーい」
コツコツと戸を叩く軽い音だけでは不安があり、与羽は声を張り上げた。よく響く声は、宝石のようにきらめく髪色同様彼女の自慢だ。
すぐに門の脇に備え付けられた通用口から少年が顔をのぞかせる。歳は十二、三くらいだろうか。シワひとつない清潔な着物を身につけ、肩にかかるほどの髪もきれいに結われていた。使用人の息子だろうと与羽は見当をつけた。
「あ……、姫様」
警戒心をあらわにした小姓の顔が、ぱっと驚きを浮かべた。与羽を見知っているらしい。たとえ知らなくても、光の加減で青や黄緑にきらめく黒髪と紫の目、左頬にある『龍鱗の跡』と呼ばれるあざで彼女が何者かは判別可能だろうが……。
「突然の訪問、申し訳ありません」
与羽は目と口を丸くした少年に笑顔を見せた。声を出したおかげか、緊張は急速に和らぎつつある。
「水月絡柳大臣はこちらにおりますか?」
「はい! 旦那様と今年の予算の最終確認をしておられます」
驚きの表情を残しつつも、少年は姿勢を正し、はっきりとした声で答えた。よく教育されているようだ。
「よかった」
あらかじめ城の官吏に確認していたが、入れ違いにならなくてほっとした。
「すぐに呼んでまいりましょうか?」
彼の緊張が与羽にも伝わってくる。与羽が何か重大な用件で来たと思っているのかもしれない。
「いえ。さほど重要な話ではないので、待ちます」
「では、中でお待ちください。暦の上では春と言え、これから寒くなる時間ですから」
彼は与羽の返事も待たずに通用口を閉め、重たそうな門扉を開けた。丁寧な動作で中に入るよう示される。
「じゃぁ、お言葉に甘えて」
与羽は澄まして応えて敷居をまたいだ。
月日家の庭には梅、椿、牡丹、桜、柳、つつじ、紅葉、銀杏――挙げればきりがないほど多様な植物が植えられている。そして、その全てが手入れされ、小道も人工の川や池も美しく整えられているのだ。
もう終わりが近い梅だが、空気にはかぐわしい香りがまだ染み付いていた。赤や白の椿はまだまだ花盛りだ。桃の花はつぼみをほころばせ、重そうに枝垂れた南天の赤や黄緑は、中州の冬を乗り切った力強さに照り輝いて見える。
ここに来るたびに思うが、月日家は城主一族よりも財力があるのではないだろうか。土地の広さも、庭の豪華さも月日家の方が圧倒的に勝っている。おそらくお金をかける場所の違いなのだろうが。
与羽はそんなことを考えながら、案内されるまま歩いた。
門からまっすぐ続く道の先には、さらに塀と門。先ほどくぐってきたものよりも大きくて頑丈そうだ。月日本家の屋敷はこの先にある。庭園の開放時期でも立ち入りを許されない私的空間だが、一部の官吏や与羽のように身分のあるものならば入れてもらえる。子ども時代は親友を訪ねて何度も通っていた。
「おお、これは中州の姫君」
門を守る屈強な衛兵の一人が、与羽に気づいて片手を挙げた。見た目はいかついが、態度は穏やかで気さくだ。
「突然の訪問申し訳ありません」
与羽は小さく頭を下げた。そうしている間に他の門番が門を開いてくれる。与羽に話しかけたのは、開門の待ち時間を感じさせないためなのかもしれない。
大きく開いた扉の向こうに、白い砂と松の庭園が見えた。白い砂につけられた模様は、日食を抽象化したと言われる月日家の家紋と流れる雲だ。一見すると一般公開している庭と比べると質素だが、砂の一粒一粒にまで手がかけられている。
「どうぞ、姫」
両開きの門扉を左右で押さえた男たちが、恭しく頭を下げた。大柄な体型からは想像できないほど、洗練されたなめらかな仕草だ。自分のがさつな護衛に見習わせてやりたい。そんなことを思いながら、与羽はためらいなくその門をくぐった。
中州城下町の北にある月日の丘は、人工的に作られた小山だ。歴史書には、城下町の西を守る中州川を掘った際に出た土砂を積み上げたと書かれている。
なだらかな斜面と平らな頂上は歩きやすく、眺めも良い。雪が解けたこの季節には、丘のあらゆる場所に春の野草が芽吹き、小花と若葉で美しく彩られていた。
この丘を管理しているのは「月日家」。長年中州国の財政をつかさどっている主要文官家の一つだ。
まだ肌寒さの残る弥生(三月)のとある日、与羽は月日の丘のふもとに建つ月日本家を訪れていた。
城の敷地内に間借りして建つ古狐家。
城下町の南に屋敷を構える橙条家と紫陽家。
城下町から少し離れた西の神殿近くにある漏日家。
そして北――月日の丘のふもとにある月日家。
長年城と城主を支えてきたこの五家が、中州国の主要文官家と呼ばれている。
与羽は月日本家の立派な門の前に立った。夕焼けで髪を濃い紫に染めている彼女は、この国を治める城主一族の姫。事前の連絡は入れていないが、彼女の立場を使えば門を通してもらえるだろう。
門前には大きな梅の木が紅の花弁を散らし、左右には漆喰の塀が延々とつづいている。この壁の先にある広大な庭園は、ほとんど年中一般公開されているが、今はぴったりとその門扉を閉ざしていた。ちょうど梅と桜の変わり目で、官吏の仕事が多いこの時期は、数少ない庭園の非開放期だ。
与羽は首を巡らせて太陽の位置を確認した。低く、赤みを増した光。時は既に夕刻。遅くなればさらに迷惑をかけてしまうだろう。与羽は椿模様の訪問着の裾を直し、こぶしを握り締めた。気の強い姫君として有名な彼女でも緊張するときはある。しかし、耐えられないほどではない。与羽は短く息を止めて、その手を挙げた。そして、意を決して門へ――。
「ごめんくださーい」
コツコツと戸を叩く軽い音だけでは不安があり、与羽は声を張り上げた。よく響く声は、宝石のようにきらめく髪色同様彼女の自慢だ。
すぐに門の脇に備え付けられた通用口から少年が顔をのぞかせる。歳は十二、三くらいだろうか。シワひとつない清潔な着物を身につけ、肩にかかるほどの髪もきれいに結われていた。使用人の息子だろうと与羽は見当をつけた。
「あ……、姫様」
警戒心をあらわにした小姓の顔が、ぱっと驚きを浮かべた。与羽を見知っているらしい。たとえ知らなくても、光の加減で青や黄緑にきらめく黒髪と紫の目、左頬にある『龍鱗の跡』と呼ばれるあざで彼女が何者かは判別可能だろうが……。
「突然の訪問、申し訳ありません」
与羽は目と口を丸くした少年に笑顔を見せた。声を出したおかげか、緊張は急速に和らぎつつある。
「水月絡柳大臣はこちらにおりますか?」
「はい! 旦那様と今年の予算の最終確認をしておられます」
驚きの表情を残しつつも、少年は姿勢を正し、はっきりとした声で答えた。よく教育されているようだ。
「よかった」
あらかじめ城の官吏に確認していたが、入れ違いにならなくてほっとした。
「すぐに呼んでまいりましょうか?」
彼の緊張が与羽にも伝わってくる。与羽が何か重大な用件で来たと思っているのかもしれない。
「いえ。さほど重要な話ではないので、待ちます」
「では、中でお待ちください。暦の上では春と言え、これから寒くなる時間ですから」
彼は与羽の返事も待たずに通用口を閉め、重たそうな門扉を開けた。丁寧な動作で中に入るよう示される。
「じゃぁ、お言葉に甘えて」
与羽は澄まして応えて敷居をまたいだ。
月日家の庭には梅、椿、牡丹、桜、柳、つつじ、紅葉、銀杏――挙げればきりがないほど多様な植物が植えられている。そして、その全てが手入れされ、小道も人工の川や池も美しく整えられているのだ。
もう終わりが近い梅だが、空気にはかぐわしい香りがまだ染み付いていた。赤や白の椿はまだまだ花盛りだ。桃の花はつぼみをほころばせ、重そうに枝垂れた南天の赤や黄緑は、中州の冬を乗り切った力強さに照り輝いて見える。
ここに来るたびに思うが、月日家は城主一族よりも財力があるのではないだろうか。土地の広さも、庭の豪華さも月日家の方が圧倒的に勝っている。おそらくお金をかける場所の違いなのだろうが。
与羽はそんなことを考えながら、案内されるまま歩いた。
門からまっすぐ続く道の先には、さらに塀と門。先ほどくぐってきたものよりも大きくて頑丈そうだ。月日本家の屋敷はこの先にある。庭園の開放時期でも立ち入りを許されない私的空間だが、一部の官吏や与羽のように身分のあるものならば入れてもらえる。子ども時代は親友を訪ねて何度も通っていた。
「おお、これは中州の姫君」
門を守る屈強な衛兵の一人が、与羽に気づいて片手を挙げた。見た目はいかついが、態度は穏やかで気さくだ。
「突然の訪問申し訳ありません」
与羽は小さく頭を下げた。そうしている間に他の門番が門を開いてくれる。与羽に話しかけたのは、開門の待ち時間を感じさせないためなのかもしれない。
大きく開いた扉の向こうに、白い砂と松の庭園が見えた。白い砂につけられた模様は、日食を抽象化したと言われる月日家の家紋と流れる雲だ。一見すると一般公開している庭と比べると質素だが、砂の一粒一粒にまで手がかけられている。
「どうぞ、姫」
両開きの門扉を左右で押さえた男たちが、恭しく頭を下げた。大柄な体型からは想像できないほど、洗練されたなめらかな仕草だ。自分のがさつな護衛に見習わせてやりたい。そんなことを思いながら、与羽はためらいなくその門をくぐった。
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