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  外伝 - 第六章 炎狐と龍姫

六章十一節 - 炎狐と中州城主

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 辰海たつみの部屋近くにあった塀の穴は、ふさいでもらうことにした。あと数年もすれば、使えなくなるだろうし、いつまでも残しておくのは危険だ。こっそり家を抜け出したいという子どもじみた願望も消え失せた。これも一つの大人になる通過儀礼なのかもしれない。

 あれから数日経ったが、与羽ようとはまだ会えていない。ずっと城の奥屋敷で療養しているらしいという話は聞いているが、会いに行く勇気がわかなかった。もし与羽に拒絶されたら、与羽の傷が悪化して危険な状態に陥っていたら。悪い考えばかりが浮かんで、怖くて怖くて仕方なかったのだ。

 しかし、逃げてばかりもいられない。辰海は城の奥屋敷に近づいた。中州城の奥、塀と生垣で二重に囲まれた先にある平屋の屋敷は、城主一族の私的空間だ。そこに入れるのは、限られた者だけ。渡り廊下の途中に設けられた門には、常に上級武官が二人立っている。彼らに油断ない視線を向けられて、辰海は体をこわばらせた。しかし、進まなければ。

 辰海は必死に愛想のよい笑みを浮かべると、門番に歩み寄った。

「中州城主に謁見の約束をしている、古狐ふるぎつね辰海です」

 十分に近づいたところでそう声をかける。辰海は太一たいちに頼んで、乱舞らんぶに話したいことがあると伝えていた。

「うかがっております」

 門を守る上級武官は、辰海より十以上も年上だったが、丁寧な物腰でうなずくと門扉に手をかけた。音もなく開いた扉の先は、数えるほどしか足を踏み入れたことのない奥屋敷だ。日陰の冷たい空気に、辰海は息をつめた。

「辰海殿、城主は執務室でお待ちです」

 案内の使用人に先導されて、辰海は奥屋敷を進んだ。雨戸の開けられた廊下は東向きでとても明るい。しかしとても静かだった。ここに住んでいるのは、現城主の乱舞とその祖父舞行まいゆきだけ。多くが空き部屋で、この場所で働く使用人たちは気配を殺すすべを心得ている。

 与羽もこの屋敷で寝かされているはずだ。与羽がいるのはどの部屋だろうと耳をそばだててみたが、自分たちの足音と緊張で与羽の気配を聞き取ることはできなかった。

 乱舞の部屋は、奥屋敷の出入り口から一番遠い南東にある。私室、寝室、資料室、執務室、休憩室――。中州城主のために用意された大小さまざまな部屋のうちの一つに、辰海は足を踏み入れた。城主の執務室は、大臣や官吏たちと仕事をすることを考慮して作られているので、辰海の書斎しょさいよりも広い。しかし、広い空間は落ち着かないのか、乱舞はそこを移動可能な衝立ついたてで区切って使用していた。

「よく来たね」

 執務室に入った辰海を、乱舞は人懐っこい笑みで迎えてくれた。しかし、辰海は気づいている。乱舞の目がまったく笑っていないことに。

「城主、お時間をいただきありがとうございます」

 辰海は乱舞に向かって姿勢を正した。

「とりあえず、座りなよ」

 穏やかな声の指示に従うのと、辰海を案内してきた使用人がすばやくお茶の用意をするのが同時だった。洗練された無駄のない動作でもてなしの準備をした使用人は、自分の仕事が終わると音もなく退室していく。

「それで、話したいことって何だろう?」

 二人きりになったのを確認して、まず口を開いたのは乱舞だった。疑問形で尋ねてはいるものの、あえて人目の少ないこの場所を辰海と話す場に選んだのだから、ある程度内容を察しているに違いない。

「与羽姫のことです」

 辰海はさっそく本題を口にした。言葉にしてから、もっとあたりさわりのない話をしてから切り出すべきだったと思ったものの、どうにも心が焦っている。

「姫様が今回ひどいけがをしたのは、僕のせいです。本当に、申し訳ありませんでした」

 罰があるのならば、辰海はそれを受けるつもりだ。これは辰海の未熟さが招いたものなのだから。しかし、覚悟しつつも辰海は怖かった。震えそうになる体を、強く握ったこぶしを正座した足に押し付けることで何とか抑える。

 辰海がじっと見つめる前で、乱舞はゆっくりと口を開いた。

「僕は大斗だいとから、与羽は石垣から足を滑らせて落ちそうになった君を助けたって聞いたよ」

「それは……」

 事実とは異なる証言だ。辰海が正直に告白しようと口を開いた瞬間、乱舞は辰海に手のひらを向けてそれを止めた。

「君にも言い分はあるんだろうけど、僕は大斗の言葉を信じようと思っとる。大斗のことを信頼しとるから。もし彼が僕に嘘の報告をしとったとしても、そこには大斗なりの意図があるんだろうしね」

 乱舞も与羽のけがの裏には、辰海の悪意があったことを薄々察しているらしい。しかし、中州城主の言葉は辰海の罪を問わないと言っているように聞こえた。

「そんなこと、許されません! 僕は、必要な罰を受けたいんです!!」

 辰海は声を荒げた。罰を受けるのは恐ろしいが、それがなければ罪から逃げるようなものだ。与羽やほかの人が許しても、辰海が自分自身を許せなくなってしまう。周りの人々が言う通り、辰海は真面目なのだろう。そしてその性分はきっと一生直らない。ここで償わなければ、いつまでも与羽に引け目を感じ続けてしまう。

「そう言われても、この場で君を裁くのは中州城主の仕事じゃないんだよね」

 乱舞は小さく息をついた。
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