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  外伝 - 第六章 炎狐と龍姫

六章七節 - 炎狐と乳兄弟

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 石段を登り切り、狭い通路を抜けて中州城の正門へ。城の裏手から城内そして古狐ふるぎつね家に入る正規の手段はこれだけだ。辰海たつみはどうやって古狐家を抜け出したのか聞かれなくて、内心で胸をなでおろした。

「古狐大臣」

 正門の内側では、ひとりの上級武官が卯龍うりゅうを待っていた。
 伝令係らしい彼は、与羽ようを古狐家ではなく城主一族の屋敷に運んだと報告した。移動中に与羽が意識を失ったため、より近い場所へ変更したと。長身の卯龍に小さな声で耳打ちする武官の言葉は、まだ身長が伸びきっていない辰海にはとぎれとぎれにしか聞こえなかったが、それでも与羽が危険な状況であるらしいことは察せた。

「与羽……」

 ――僕のせいだ。

 辰海は深く自分を責めた。見上げた父の顔は厳しい。

「父上」「辰海」

 辰海が父親を呼ぶのと、卯龍が息子を呼ぶのは同時だった。

「与羽の状態は俺だけで確かめてくる。お前は先に家に戻っていてくれないか?」

 その言葉は父なりの気づかないのだろうか。それとも、やはり辰海を与羽と会わせたくないのか。

「……はい」

 焦りと罪悪感で満たされた辰海の脳に、一位の大臣を説得する言葉は浮かばなかった。

 そこから先、どうやって自室に戻ったのかは記憶にない。与羽のことを考えながら歩いていたら、いつの間にか自室近くまで来ていた。ほんの半刻(一時間)ほど前まで、ここに与羽がいて話していたなんて信じられない。あの時、辰海が与羽のやさしさを受け入れられていたら、こんなことにはならなかったのだ。

 辰海は自室に入らずに縁側のふちに膝を抱いて座った。初秋の日差しはまだ強く、庭木の葉は青く大きい。春にはここで与羽と並んで花見をした。お菓子を食べて、たくさん話して。与羽は笑顔を浮かべていて、そんな彼女の周りは光が射しているように明るくて、あたたかくて……。

 与羽がうらやましいと思う。自分は与羽よりも努力をしていると思う。それでも与羽みたいにはなれない。

 ――そう言えば、僕はちゃんと笑っていただろうか?

 最近、あまり笑みを浮かべていないことは自覚している。それでは、その前は? 与羽に笑顔を向けられれば笑い返していた。しかし、意識して周りに笑顔を振りまくことはしていなかった。一方で、与羽は誰にでも笑いかけていた。だから、彼女の周りにいる人はみんな笑っていて、人が集まっていた?

「…………」

 与羽のことを考え続けていた辰海は、床板のきしむ音に首を巡らせた。廊下の先に人影は見えないが、こちらに誰かが近づいてくるのがわかる。足音の主がわざと音をさせていることも。

「太一……」

 廊下を曲がって姿を見せた乳兄弟を、辰海はぎこちない笑みで迎えた。

「与羽のこと、聞いた。辰海は大丈夫だったか?」

 太一の浮かべる笑顔も、辰海に負けず劣らずひきつっている。太一の目が辰海の顔を見て、膝を抱える手を見て、与羽の血で汚れた袖で止まった。

「辰海! それは――!」

「僕は、無傷だから」

 慌てて辰海の横に膝をつく太一に、辰海は言った。自分でも驚くほど冷静な声で。

「これは与羽の血」

 袖に染みこんだ血は黒ずみ、固まっている。ずっと夢中で気が付かなかったが、辰海の手や腕にも赤茶色に固まった血痕が残っていた。

「着替えと湯を用意してくる!」

「いいよ。しばらくこのままでいたい」

 太一の思いやりを辰海は断った。

「あと、この着物は洗わずに残しておきたいんだ。戒めになると思うから」

「『戒め』?」

「少なくとも今日のは……、完全に僕のせいだから」

 目を閉じれば、ゆっくりと落ちていく与羽の姿が繰り返し浮かぶ。

 辰海があんな自傷行動に走らなければ。
 与羽のやさしさを試したいなんて、あさましい考えをしなければ。
 与羽と和解できていれば。
 自分の気持ちに素直になれていれば。
 アメや太一の忠告を聞けていれば。

「いくらでも機会はあったのに、与羽が死ぬかもしれないってなるまで、僕は――」

 押し寄せてくる後悔の念に、辰海は自分の膝を強く抱き寄せた。そうでもしないと涙がこぼれ落ちてしまいそうだったから。

「……心境の変化があったのなら、良かった。いや、良かったという評価は俺のひとりよがりで、正しい表現じゃないかもしれないけど……」

 うまい言葉が見つけられずしどろもどろになりながらも、太一は辰海の肩を抱いた。とんとんとそこを軽く叩くと、振動のせいか辰海の目からポロリと澄んだしずくが落ちる。

「良かったの、かなぁ。僕は取り返しのつかないことをしてしまったのかも……」

 今はまだ与羽が本当に無事かどうかもわからないのだ。

「たぶん、与羽のことなら俺よりも辰海の方が詳しいだろう?」

「仲直りできるかどうかじゃなくて、けがの方」

「……そんなに与羽は悪そうなのか?」

 太一の表情が曇った。

「わからない」

 辰海の様子をうかがうように覗き込んでくる太一の視線に耐えきれず、辰海は自分の膝に顔の下半分をうずめた。そうすると、太一はより強く肩を抱き寄せてくれる。
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