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  外伝 - 第六章 炎狐と龍姫

六章二節 - 憎しみと恋慕

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「話し合いで解決できる問題なら、私はそうしたい。だって、私は辰海たつみのこと大好きなのに、別れ別れになるのは……寂しいじゃん」

 辰海の体が小さく動いた。与羽ようの「大好き」と言う単語に心を乱されたのだ。与羽の「好き」は、辰海が与羽に抱いている好意とは違うもの。そうわかっていても、嬉しかった。そして、彼女の友愛が恨めしかった。

「けど、辰海がやっぱり話したくないなら、もう聞かん。二度と」

 辰海は古狐ふるぎつねで、与羽は中州城で。他人になって生きるのだ。与羽はその覚悟をしてきた。

「僕を脅すの?」

 辰海の顔は何かに耐えるように歪んでいた。

「違う。ただ、辰海が話したがらんから……」

「僕が悪いって、そう言いたいわけだ」

 冷たい言葉に、与羽は眉尻を下げた。

「辰海、私は聞きたいし、話し合いたいってずっと思っとる」

 辰海の手を取ろうとした与羽の手はすぐに払われた。

「辰海。辰海は私のこと嫌いなん?」

「……嫌いだよ」

 答える辰海の顔はやはりひどく歪められていて。

「なんで?」

「君は、僕が欲しかったものを全部持ってるから」

 龍の印も、父親の愛情も、親しい仲間も、太陽のような笑顔も。

「……そうよな。私、実は知っとる。辰海が自分で自分を苦しめとること。間違っとるって自分でもわかっとるのに、それを受け入れられんこと。本当は卯龍うりゅうさんにもっと愛されたいこと。あとたぶん、目の色とか龍の名残を受け継げなくて悩んどること。全部アメや太一たいちや卯龍さんから聞いたし、気づいとる」

 容姿のことは今まで誰にも言わなかった。それでも、与羽は察していたらしい。

「辰海が苦しむことなんかないよ。辰海は賢いから、間違っとってもいつかは直せると思うし、私は気にしとらん。卯龍さんは心から反省して、辰海をもっともっと大切にしたいって言っとったよ。目の色にしても、私は辰海の目の色大好きよ。見た目なんて関係ない。色なんかなくても、辰海は古狐の跡取りじゃん」

 与羽が再び辰海に触れてくる。やさしい声が染み渡る。そうだ。こうやって認めてもらいたかったのだ。ただ、相手が与羽じゃなければ。すべての元凶じゃなければ。

「うるさいな……」

 辰海はうなった。

「恵まれた君にはわからない」

「……そうかもしれん。そうかもしれんけど」

「いい加減気づいてよ! 僕は君みたいにできた人間じゃないんだよ!」

 与羽がやさしければやさしいほど、辰海はみじめになっていくのだ。

「僕は出来損ないなんだよ!」

 今まで心に秘め続けていた言葉が叫びになって飛び出した。与羽が褒めれば褒めるほど、辰海は苦しくなるのだ。これ以上は耐えきれなかった。

「そんなこと――」

「あるでしょ!」

 与羽の言葉を辰海は強く否定した。これ以上与羽の言葉を聞いたら、心が壊れてしまいそうだったから。与羽みたいになりたいのに、なれない。その違いを強く感じてしまうから。

「僕は古狐の目の色を継いでない。僕には目の色も、髪の色も、龍鱗りゅうりんの跡も、龍の名残が何もない!」

 辰海の容姿は父親とよく似ていると思う。しかし、それだけではだめなのだ。

「古狐が代々継いできた龍の加護を僕が消したんだよ。そんなの、許されるわけない。口にしないだけで、父上も母上も、周りの人もみんなそう思ってる」

「……私はそんなこと全然気にしとらん」

「それは君が龍の名残を濃く残してるからだよ。それこそ、乱舞さん以上に」

 与羽のまとう龍の色はとても強い。

「君の色彩が少しでも僕にあれば――。君は紛れもない龍神様の末裔で、父上も母上もみんな僕より君を大切にして、愛してる。君は笑っているだけでいろんな人の中心になれて、みんなが君を助けてくれる」

「それは……。ごめん。でも、私は辰海のこと大切だって思っとる」

「君ひとりと僕の世界全部が釣り合うと思ってるの!?」

 怒鳴った。嫉妬に狂ったないものねだり。そうわかっていても、心が痛むのだ。

「……ごめん」

 与羽はうつ向いた。

「龍の名残も、友達も、両親の愛情も、全部全部――。僕の大切なものも、僕が欲しかったものも君が全部持ってて、僕には何もない! つらいよ! 寂しいよ! でも、君に――、全部持ってる君に慰められたって、嫌味なだけでまったくうれしくない!!」

「うん……。……ごめん。私はもっと早く気づけたはずなのに……。ごめん……」

 与羽にとって、辰海は賢くてまじめでなんでもできる完璧な存在だった。しかし、その裏でずっとずっと苦しんでいたのだ。

「でも今なら――」

「いまさら謝ったって、僕は――!」

 与羽の言葉を辰海は怒声で遮った。

 涙があふれる。鼻の奥が痛む。怒りと憎しみに、辰海の手が与羽の首に伸びた。
 ダンッ! と。辰海は与羽を床に押し付けた。

「たつ……」

 与羽は受け身をとれなかったのか、とらなかったのか。かすれた声で自分の首を絞めようとする幼馴染を呼んだ。

「君さえ、いなければ……」

 見下ろした与羽の顔に、ぽたぽたと澄んだしずくが落ちるのが見えた。指に力をこめれば、首筋を通して与羽の鼓動を感じる。

「ごめんな」

 与羽の両手が辰海に伸びた。白い首を撫で、そっとほほへ。辰海の顔を包み込んだ与羽の手に、涙が伝った。

「私……、もしかしたら、知っとったんかもしれん」

 与羽が小さくつぶやいた。その目は後ろめたそうに辰海からそらされている。与羽は、もしかしたら辰海の裏にある苦しみにずっと気づかないふりをしていたのかもしれない。与羽の目や髪と自分の容姿を比べる辰海を。友人と話す与羽の隣で愛想笑いを浮かべる辰海を。卯龍に甘える与羽をうらやましそうに見る辰海を。全部全部、知っていて気づかないふりをしていたのかもしれない。自分の楽しさが優先で、隣にいてくれた辰海と向き合えていなかったのかもしれない。

「私に、辰海を心配する資格なんかないね……」

 辰海のほほを撫でる与羽の手に、力はこもっていない。全く抵抗を見せない与羽は、辰海がその気になれば簡単に絞め殺せてしまうだろう。

「与羽……」

 しかし、辰海の手にも力がこもっていなかった。いや、力をこめようとはしているのだ。しかし、どれだけ指に力を入れても、与羽の首を締めることはできなかった。ただ、与羽の鼓動を強く感じ取るだけ。

「君が、憎いのに……」

 代わりに、辰海は自分の額を与羽の額に押し付けた。強く。強く。頭が痛む。同様の痛みを与羽も感じているだろう。

 ――君が、憎いのに、好きなんだ。
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