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外伝 - 第五章 武術大会
五章九節 - 師弟問答
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「そこまで!」
審判が終了の合図をして、与羽に駆け寄った。
「大丈夫か?」
試合を見ていた絡柳も駆けてくる。与羽は審判と絡柳の手を借りて体を起こした。
「先輩、私……」
今まで経験したことないような痛みに、与羽の目は潤んでいる。
「安心しろ。誰が見てもお前の勝ちだった」
絡柳は与羽の腕に触れながら答えた。
「そんなことじゃないんです」
しかし与羽は力なさそうに首を横に振る。
「なら、どうした? 傷が痛むか?」
さらに首を振る与羽。木刀で殴られたところは確かに痛い。しかし、与羽が言いたいのはそのことではないのだ。
そうこうしているうちに、会場に控えていた医師が走ってきた。
「おお、与羽ちゃん。凪がいつも――」
中州城下町で名の知れた医師の家系――薬師家家長、薬師朱里だ。あいさつをしながらもその手は与羽の左袖をめくり、紫がにじみはじめた腕を見たり、腕や背にさわったりして、異常がないか確かめている。
「だいぶ筋力がついたね」
自分の腕を握らせて与羽の握力を確かめながら、朱里はそうほほえむ。周りにいる人々を安心させるような穏やかな笑みだった。
「うん。骨折はないみたい。痛いのは木刀が当たった腕と背中だけ?」
「あと、左肩が少し痛いです」
与羽はまだ瞳を潤ませている。
「それなら、捻挫してるのかもしれないね。腕や背中も今はまだそれほどには見えないけど、すぐに大きなあざになると思うし、きっとしばらくの間、動かしたり触れたりしただけで痛むと思うんだ。腕や背の状況から見ても、二週間くらいは安静にしておいたほうがいい。大会も残念だけど――」
「そんな……」
殴られた傷とは違う痛みが胸を刺す。しかし、このけがを抱えて今後の試合に臨む勇気もなかった。諦めて従うしかない。与羽は感傷を悟られないように、乱暴なしぐさで自分の目元をぬぐった。
「ここじゃ十分な設備がないし、誰か与羽ちゃんを薬師家に運んでくれませんか?」
その隣で、朱里はあたりにいる人々に目を向けている。一番に視線を向けられたのは絡柳だったが、彼にも試合がある。
「わ――」
「俺が行くよ」
――悪いが、俺は。
そう言おうとした絡柳を遮って、与羽を軽々と抱えあげる者がいた。
「大斗! いつからいたんだ?」
まだしばらく試合がないはずの大斗に、絡柳は驚いたように声をかけた。
「今日は朝からいたよ」
「じゃあ、試合も――?」
「見てたよ」
大斗の答えに与羽はわずかに息をついた。まだ目じりにたまっていた涙が一筋落ちる。
「ふふん?」
与羽のその様子に、大斗は淡く笑みを浮かべた。高慢な笑みだったが、嫌な感じはしない。
大斗は与羽を抱えたまま、すぐに城下町のほうへと歩きはじめた。大斗が視線を向けるだけで人垣が割れる。与羽の様子を好奇心に満ちた目で見ようとする者は、強面の大斗と上級文官の絡柳の視線ですぐに顔をそむけた。試合がある絡柳も、時間が許す限り大斗と与羽に同行するつもりだ。
「わざわざ大会で見せようとしなくても、お前の努力は見えてるよ。技も、剣に対する心意気も――」
いつもより少し柔らかな声で言った大斗は、しかし次の言葉で低く問いかけた。
「でも、これからどうする? ひどいけがをしても、まだ剣を続ける?」
「…………」
急な質問に、与羽は少しの間無言で考えこんだ。
「それでも、私は剣をやりたいです」
そして、ゆっくりとそう答える。
「なんで? 次はもっと痛い思いをするかもよ」
「それでも。私は守られるだけの姫でいたくないから……」
与羽の声は小さかった。それでも、不安でも、ゆっくりと自分の想いを口にするのだ。
「もちろん、自分一人の剣……、力で生きられるとは思っていませんし、これからもいろんな人に守ってもらうんだと思います。でも、少しくらいは自分で自分の身を守りたいなって。そうしていれば、力だけじゃなくて心も強くなれそうで。あと、できれば辰海や、ほかの人たちを少しでも守れたらなって。みんなが私を大事にしてくれるんだから、私も自分を大事にしなきゃで。みんなを大事にしなきゃで。そのために、筋力もだけど心とか、色々強くなりたくて――。えっと――」
「もういいよ。お前の気持ちは大体分かった」
大斗はそこで与羽の言葉を遮った。
「短い間だったけど、すっかり見違えたんじゃない? なぁ? 絡柳」
「そうだな」
それは絡柳も与羽の指導を任された時から思っていたことだ。
「お前には、もう真剣を渡しても良いかなって思えるくらい」
「!」
大斗のつぶやきのような言葉に、与羽と絡柳がそろって大斗の顔を見上げた。
「そんなに驚くほどでもないでしょ? 剣をやっている人は、たいていいつか真剣を手にするんだよ。武官準吏になる。親に認められる。いろいろあるけど、師に認められるってのも、十分な理由だよ。与羽の師は俺だし、俺はもう与羽に真剣を持たせても大丈夫だと思った。何の問題もないはずだよ?」
「まぁ……、な」
まだ腑に落ち切ってはいないものの、絡柳も最終的には賛同を示した。与羽なら剣に物を言わせて不要な暴力をふるうこともないだろう。
「もうお前用の刀はほとんどできてるしね」
そして、実家が鍛冶屋である大斗の仕事は早かった。
「それで最近道場に来なかったのか?」
あきれたような絡柳の問いに答えはない。しかし、その横顔から正解だろうと察せた。
「これからも励みな」
「はい」
師の顔をして言う大斗に、与羽はうなずいた。
大斗を見上げると、両手で与羽を横抱きにしているためにぬぐうことのできない汗が、彼の額からこめかみ、ほほを伝っていた。その顔にいつもの冷たさはない。大斗のそんな表情を見せてくれた晩夏の日差しに感謝しながら、与羽は静かに目を閉じた。何とも言えない安心感があったのだ。
「与羽?」
心配そうに低く問いかけてくる絡柳の声も心地よい。
勝ったにもかかわらず、これ以上試合を続けられないことは確かに悔しい。しかし、勝つ以上に大事なことがあるはずだ。少なくとも、大斗や絡柳に認められたことは勝つよりもうれしかった。
そして、それ以上に大事なこともあるに違いない。閉じたまぶたに浮かぶのは、兄のように思ってきた幼馴染の顔だった。
「辰海は、大丈夫かなぁ……」
口の中でそうつぶやく。誰にも聞こえないように。
ただ風だけがわずかに唇からもれた言葉をさらっていった。
審判が終了の合図をして、与羽に駆け寄った。
「大丈夫か?」
試合を見ていた絡柳も駆けてくる。与羽は審判と絡柳の手を借りて体を起こした。
「先輩、私……」
今まで経験したことないような痛みに、与羽の目は潤んでいる。
「安心しろ。誰が見てもお前の勝ちだった」
絡柳は与羽の腕に触れながら答えた。
「そんなことじゃないんです」
しかし与羽は力なさそうに首を横に振る。
「なら、どうした? 傷が痛むか?」
さらに首を振る与羽。木刀で殴られたところは確かに痛い。しかし、与羽が言いたいのはそのことではないのだ。
そうこうしているうちに、会場に控えていた医師が走ってきた。
「おお、与羽ちゃん。凪がいつも――」
中州城下町で名の知れた医師の家系――薬師家家長、薬師朱里だ。あいさつをしながらもその手は与羽の左袖をめくり、紫がにじみはじめた腕を見たり、腕や背にさわったりして、異常がないか確かめている。
「だいぶ筋力がついたね」
自分の腕を握らせて与羽の握力を確かめながら、朱里はそうほほえむ。周りにいる人々を安心させるような穏やかな笑みだった。
「うん。骨折はないみたい。痛いのは木刀が当たった腕と背中だけ?」
「あと、左肩が少し痛いです」
与羽はまだ瞳を潤ませている。
「それなら、捻挫してるのかもしれないね。腕や背中も今はまだそれほどには見えないけど、すぐに大きなあざになると思うし、きっとしばらくの間、動かしたり触れたりしただけで痛むと思うんだ。腕や背の状況から見ても、二週間くらいは安静にしておいたほうがいい。大会も残念だけど――」
「そんな……」
殴られた傷とは違う痛みが胸を刺す。しかし、このけがを抱えて今後の試合に臨む勇気もなかった。諦めて従うしかない。与羽は感傷を悟られないように、乱暴なしぐさで自分の目元をぬぐった。
「ここじゃ十分な設備がないし、誰か与羽ちゃんを薬師家に運んでくれませんか?」
その隣で、朱里はあたりにいる人々に目を向けている。一番に視線を向けられたのは絡柳だったが、彼にも試合がある。
「わ――」
「俺が行くよ」
――悪いが、俺は。
そう言おうとした絡柳を遮って、与羽を軽々と抱えあげる者がいた。
「大斗! いつからいたんだ?」
まだしばらく試合がないはずの大斗に、絡柳は驚いたように声をかけた。
「今日は朝からいたよ」
「じゃあ、試合も――?」
「見てたよ」
大斗の答えに与羽はわずかに息をついた。まだ目じりにたまっていた涙が一筋落ちる。
「ふふん?」
与羽のその様子に、大斗は淡く笑みを浮かべた。高慢な笑みだったが、嫌な感じはしない。
大斗は与羽を抱えたまま、すぐに城下町のほうへと歩きはじめた。大斗が視線を向けるだけで人垣が割れる。与羽の様子を好奇心に満ちた目で見ようとする者は、強面の大斗と上級文官の絡柳の視線ですぐに顔をそむけた。試合がある絡柳も、時間が許す限り大斗と与羽に同行するつもりだ。
「わざわざ大会で見せようとしなくても、お前の努力は見えてるよ。技も、剣に対する心意気も――」
いつもより少し柔らかな声で言った大斗は、しかし次の言葉で低く問いかけた。
「でも、これからどうする? ひどいけがをしても、まだ剣を続ける?」
「…………」
急な質問に、与羽は少しの間無言で考えこんだ。
「それでも、私は剣をやりたいです」
そして、ゆっくりとそう答える。
「なんで? 次はもっと痛い思いをするかもよ」
「それでも。私は守られるだけの姫でいたくないから……」
与羽の声は小さかった。それでも、不安でも、ゆっくりと自分の想いを口にするのだ。
「もちろん、自分一人の剣……、力で生きられるとは思っていませんし、これからもいろんな人に守ってもらうんだと思います。でも、少しくらいは自分で自分の身を守りたいなって。そうしていれば、力だけじゃなくて心も強くなれそうで。あと、できれば辰海や、ほかの人たちを少しでも守れたらなって。みんなが私を大事にしてくれるんだから、私も自分を大事にしなきゃで。みんなを大事にしなきゃで。そのために、筋力もだけど心とか、色々強くなりたくて――。えっと――」
「もういいよ。お前の気持ちは大体分かった」
大斗はそこで与羽の言葉を遮った。
「短い間だったけど、すっかり見違えたんじゃない? なぁ? 絡柳」
「そうだな」
それは絡柳も与羽の指導を任された時から思っていたことだ。
「お前には、もう真剣を渡しても良いかなって思えるくらい」
「!」
大斗のつぶやきのような言葉に、与羽と絡柳がそろって大斗の顔を見上げた。
「そんなに驚くほどでもないでしょ? 剣をやっている人は、たいていいつか真剣を手にするんだよ。武官準吏になる。親に認められる。いろいろあるけど、師に認められるってのも、十分な理由だよ。与羽の師は俺だし、俺はもう与羽に真剣を持たせても大丈夫だと思った。何の問題もないはずだよ?」
「まぁ……、な」
まだ腑に落ち切ってはいないものの、絡柳も最終的には賛同を示した。与羽なら剣に物を言わせて不要な暴力をふるうこともないだろう。
「もうお前用の刀はほとんどできてるしね」
そして、実家が鍛冶屋である大斗の仕事は早かった。
「それで最近道場に来なかったのか?」
あきれたような絡柳の問いに答えはない。しかし、その横顔から正解だろうと察せた。
「これからも励みな」
「はい」
師の顔をして言う大斗に、与羽はうなずいた。
大斗を見上げると、両手で与羽を横抱きにしているためにぬぐうことのできない汗が、彼の額からこめかみ、ほほを伝っていた。その顔にいつもの冷たさはない。大斗のそんな表情を見せてくれた晩夏の日差しに感謝しながら、与羽は静かに目を閉じた。何とも言えない安心感があったのだ。
「与羽?」
心配そうに低く問いかけてくる絡柳の声も心地よい。
勝ったにもかかわらず、これ以上試合を続けられないことは確かに悔しい。しかし、勝つ以上に大事なことがあるはずだ。少なくとも、大斗や絡柳に認められたことは勝つよりもうれしかった。
そして、それ以上に大事なこともあるに違いない。閉じたまぶたに浮かぶのは、兄のように思ってきた幼馴染の顔だった。
「辰海は、大丈夫かなぁ……」
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