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  外伝 - 第五章 武術大会

五章五節 - 最賢の誓い

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「つまり、僕は『古狐ふるぎつね』として不出来ってことですか……?」

 辰海たつみは父親の灰桜色の目を見た。家長の語る城主一族を第一とする古狐のあり方は、今の辰海とはまったく違う。何度も、何度も思った。代々受け継いできた彼の――古狐の目の色を継げていたら、「古狐」らしい「古狐」になれていたのではないかと。あの色が辰海にもあれば、与羽ようの世界の脇役として満足できていたのかもしれないと。

「どうだろうな」

 答えを濁した父親の言葉は、辰海にとっては肯定しているのと一緒だった。辰海の心に、怒りと悲しみが湧き上がる。自分は自分で、誰かのために生きるなどまっぴらごめんだという怒り。そして、父や祖父や先代たちのような立派な「古狐家家長」にはなれないだろうという悲しみ。

 辰海はうるんだ瞳でめいいっぱい父親をにらんだ。卯龍うりゅうは悲しそうな顔でそれを見返している。

「お前には、悪いことをした」

 何度目かの謝罪の言葉。

「でも、改める気はないんでしょう?」

「いや……」

 ためらいがちに卯龍の目が伏せられる。

「俺は狭量すぎた。お前という『個人』をしっかり見据えられていなかったのかもしれない。与羽を守るのは俺の使命で、お前にまで押し付けるものじゃなかった。もっと早く気づくべきだった」

「まったくですよ」

 感情がぐちゃぐちゃだ。

「ありがとな、辰海。与羽を大切にしてくれて。お前には尋常じゃない負担と、苦しみをかけたと思う」

 卯龍の大きな手が辰海に伸びた。頭を撫でようとする手を、辰海は払いのけた。父親の言葉で、辰海は本当に与羽から解放されたのだろう。しかし、それは喜びを伴うものではなかった。

「すまない」

 卯龍は息子にはたかれた手を撫でた。

 勝手に与羽を任せ、無理だと思ったら与羽のことはもう良いと言う。大きな大きな喪失感。今まで自分が行ってきたことすべてが無駄になったような。辰海は素直だから、まじめだからと都合がいいように振り回されて、その結果に得たものがこれ。

 心の中で、いろいろなものが消えていくような気がした。それはたぶん、信頼とか敬愛とか、大切な感情だったはずだ。

「もう……、いいです」

「辰海!」

 ゆらりと力なく立ち上がった辰海の手を卯龍がすばやくつかんだ。

「もう、いいんです。僕はちゃんと立派な文官になります。父上にも古狐にも恥はかかせません。だから……、もう、ひとりにしてください」

 ひとりにしてほしい、そう言っただけなのに涙があふれそうになるのはなぜだろう。

「辰海、お前はまじめすぎるぞ……」

 仕事中は聡明で、ためらいを見せない卯龍が言葉を選んでいるのがわかる。辰海の手首をつかむ卯龍の手は不安定に力加減を変え、彼の戸惑いをあらわにしていた。

「まじめで何が悪いんですか」

 辰海は父親の灰桜色の目を見上げた。まじめなところは辰海の美点だと言っていたのに、それすら否定する気なのだろうか。

 卯龍は息子の濃灰色の瞳を見返した。赤く血走りうるんだ目を。

「なにも、……悪いことはない」

 これ以上辰海を苦しませたくなくて、卯龍は言葉をさがした。

「お前はまじめで賢くて、本当に自慢の息子だ。非は全部俺にある。お前が首席合格を逃したのだって、俺のせいだ。俺が……、自分の希望を叶えるためだけに、城主にあんなことを進言したから……。お前の意見を聞かずに……」

「…………」

 まったくもってその通りだ。辰海の手が震えた。怒りなのか、悔しさなのか、悲しみなのか。その理由は辰海本人にもわからない。

 父親が反省して、自己を改めようとしているのがわかる。それを受け入れて一緒に変わっていきたい気持ちと、拒絶したい気持ち。ここ最近いつもこうだ。胸中の相反する感情が、辰海を苦しめる。前者を選ぶべきなのはわかっている。それなのに――。

 辰海は空いた手で自分の目元をこすった。

「父上……」

 そこまで絞りだしたが、その後に言うべきことが見つからない。

「安心しろ」

 父親の声は低くて、とてもやさしかったように思う。次の瞬間、辰海は卯龍の腕の中にいた。こうやって抱きしめられたのは初めてかもしれない。彼から漂う厳かな甘い香りは、着物に焚き染めたお香の匂いなのだろう。

 しかし、もう遅いのだ。いまさら彼が良い父親を目指したところでこれまでの失敗が消えるわけではないし、心覆う暗い気持ちも晴れない。ただ、それでも。少しだけ、嬉しかった。

「お前が官吏を目指すなら、俺は全力で導くし、違う道を歩みたいならそうできるよう協力する」

 官吏として、親として誓う力強い声。与羽のものとは違う大きな体と大きな手。そして強い力に、辰海は細く息を吐きだした。

「少し……、考えてみます」

 息とともにささやくような言葉が漏れた。とても小さな声だったが、父親は聞き逃さなかったようだ。

「それが良い。だが、あまり気負いすぎるなよ。お前の未来は無限に広がっているんだから」

 とんとんと背中を叩いてくれる手。

「…………」

 卯龍は辰海を離したくないようだったが、辰海はそろそろ自室に帰りたかった。父親に言ったように、静かに一人で考えたい。今後のことを。そして卯龍や与羽や、いろいろな人のことを。

 辰海はそっと卯龍の肩を押し返した。辰海の抵抗を察して、卯龍がゆっくりと腕を下ろす。
 父親の腕を抜け出して、辰海はうつむいた。その口が小さく「ありがとうございます」と感謝の形に動く。声を出すのは、まだ心が許してくれないが、卯龍にはきっと伝わっただろう。
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