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外伝 - 第四章 文官登用試験
四章三節 - 理想の未来
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「辰海はさ、どんな官吏になりたい?」
アメは少し探りを入れてみることにした。
「どんなって、この国を支えて、守っていける賢い大臣だよ」
辰海の答えは立派だが、誰でも思いついて言えるような教本通りの回答でもある。古狐ならばそれでいいのだろうか……。辰海は短く答えたきり、すぐに資料に集中してしまった。
「僕は観察眼のある官吏になって、今まで以上に官吏や民衆が能力を生かせるようにしたい。もっとみんなの要望に耳を傾けて、官吏たちが望む仕事をできるように、得意な仕事をできるように――。と言っても、まだまだ理想だけで、どうすればいいのかさっぱりわかってないんだけどね」
アメは苦笑いした。辰海の表情は動かない。
「漏日系官吏として重要な観察眼も、まだまだみたいだ。……最近の辰海のことは、本当にわからない」
「それ、官吏登用試験に関係ある話?」
顔をあげずに辰海が顔をしかめた。自分の作業に集中しているように見えて、アメの話にもちゃんと耳を傾けているようだ。
「そうだよ。君も頭ではわかってるだろうけど、与羽を避けるのも、周りから孤立しようとするのも、官吏として間違った行動だよ。与羽は城主一族の出身で、官吏が守るべき対象の一人だ。君は賢い大臣になりたいって言ったけど、大臣まで上り詰めるには相応の人望も欠かせない。ここ数ヶ月の君の言動は、官吏として不適だ」
「それは、君が決めることじゃないでしょ」
「辰海だってわかってるはずだよ。自分の行動が間違ってるって」
アメはゆっくりと繰り返した。ほんの半年前までは、辰海とこんなことで言い争いになるなど想像もしていなかった。与羽と辰海とアメとラメ。四人で雪遊びをして、官吏登用試験に向けて夢を語り合った。与羽は確かに優柔不断で辰海に意見を求めることも多かったが、それにこたえる辰海はアメと話す時よりもやさしい顔をしていたように思う。
「本当に与羽のこと嫌いなの? あんなに仲良かったのに?」
「……その話はしたくない」
辰海はアメの問いに答えなかった。
「なんで?」
「…………」
やはり答えはない。
「僕、ずっと辰海は与羽のことが好きなんだって思ってた。いつも与羽の隣にいて、与羽を本当に大切にしていたから。正直、ちょっと羨ましかったんだよ? 僕とラメは親が勝手に決めた許婚でしょ? 僕は有名文官家漏日の長男だし、ラメは月日家の直系。身分が釣り合ってて、歳ごろも近くて、申し分ない組み合わせだよ。でも、好きな人を自分で見つけて少しずつ距離を縮めていく恋愛に、ちょっと憧れもあったんだ」
「…………」
辰海の沈黙は続いている。資料を読む手は完全に止まり、眉間に深いしわを刻んでいるのが見えた。
「もちろん、ラメのことは大好きだよ。笑顔がかわいくて、品が良くて、いつも僕を立ててくれる。来年、ラメが官吏登用試験に合格したら、結婚しようと思ってるんだ。それくらいラメが大切で、ずっと一緒にいたいって思うから」
淡々と語りつつも、アメは自分の夢見る未来を想像してわずかに口元を緩ませた。
「与羽は色恋に鈍感そうだけど、辰海は聡明だから僕といっしょだと思ってた。与羽を愛していて――。でも、君は自由だからいくらでも逃げられちゃうんだね。嫌いになったら簡単に突き放して、相手を傷つけるんだ……」
「勝手に僕の内心を想像で語らないでよ。与羽を好きだと思ったことは、ない」
沈黙していた辰海がやっと口を開いた。それが彼の本心なのだろうか。アメにはわからない。しかし、アメの言葉が辰海の重要な何かに触れたのは間違いない。だから無視できなくなったのだ。
「そうなのかなぁ……。今の辰海の精神は冷静じゃないと思う。一回落ち着いて、しっかり考えた方が良いと思うよ。でないと、きっと後悔する。あれだけ与羽と一緒にいて、楽しそうに笑って、与羽のこと嫌いなわけない」
「昔のことは忘れてよ」
しかめられ続けている辰海の顔は、泣きそうにも見えた。
「もう冷静に考えもした。その結果が今だから、僕は満足してる」
「本気で言ってる?」
「当たり前でしょ。中州に煩わされない、自分だけの世界に僕はいる。幸せだよ」
「幸せそうには見えないんだけどなぁ……」
アメには辰海が何か悪いものにとり憑かれているようにしか思えないのだ。
「気づいてると思うけど、辰海は与羽を避けるようになってから、ほとんど笑わなくなってるよ。いつも仏頂面で」
「君には関係ないでしょ? 余計なお世話だよ」
「僕にとっては辰海も与羽も親友だから、関係ないことはないと思う。友達の様子がおかしかったら心配するって」
「…………」
辰海は再び無言になってしまった。
「辰海、さっきから自分に都合が悪くなると黙るよね。頭では自分の行動が間違ってるって理解してるのに、心がそれを認めないってところかな」
そろそろ今の辰海を分析できるだけの言動情報が集まりそうだ。
「アメ……」
開かれた辰海の口はとても重そうだった。
「僕の心配をしてくれるのはうれしいけど、放っておいてほしい。ひとりでいたいんだ」
「辰海」
親友の名前を呼ぶアメの声は、心配しているようでも、たしなめているようでもある。
「また明日、来て欲しい。それまでに課題のことをいろいろとまとめておくから」
口を開いたアメの言葉を遮って、辰海はそう告げた。あらゆる感情を押し殺した静かな声で。
これ以上の話は無理そうだ。そう判断したアメは、学友の言葉に従うことにした。
「わかったよ。僕も明日までに地誌制作の人員や日程、予算の見積もりを出して持ってくるね」
「……予算もやるの?」
「うん。ラメが手伝ってくれるから」
アメの許婚は、中州の財政を担う月日家の出身だ。古狐と漏日と月日、そして城主一族。四人で力を合わせれば何でもできる気がする。そんな未来を心から望んでいるのだが……。
その願いが叶うかどうかは、何度か口を開け閉めしたあと、再び資料に視線を戻してしまった辰海次第。きっと感謝の言葉を述べようとして、気持ちがそれを許さなかったのだろう。
「任せてよ」
うつむいた辰海には見えないかもしれないが、アメは満面の笑みを浮かべてみせた。望む未来のために、アメ自身もできることをやらなくては。
アメは少し探りを入れてみることにした。
「どんなって、この国を支えて、守っていける賢い大臣だよ」
辰海の答えは立派だが、誰でも思いついて言えるような教本通りの回答でもある。古狐ならばそれでいいのだろうか……。辰海は短く答えたきり、すぐに資料に集中してしまった。
「僕は観察眼のある官吏になって、今まで以上に官吏や民衆が能力を生かせるようにしたい。もっとみんなの要望に耳を傾けて、官吏たちが望む仕事をできるように、得意な仕事をできるように――。と言っても、まだまだ理想だけで、どうすればいいのかさっぱりわかってないんだけどね」
アメは苦笑いした。辰海の表情は動かない。
「漏日系官吏として重要な観察眼も、まだまだみたいだ。……最近の辰海のことは、本当にわからない」
「それ、官吏登用試験に関係ある話?」
顔をあげずに辰海が顔をしかめた。自分の作業に集中しているように見えて、アメの話にもちゃんと耳を傾けているようだ。
「そうだよ。君も頭ではわかってるだろうけど、与羽を避けるのも、周りから孤立しようとするのも、官吏として間違った行動だよ。与羽は城主一族の出身で、官吏が守るべき対象の一人だ。君は賢い大臣になりたいって言ったけど、大臣まで上り詰めるには相応の人望も欠かせない。ここ数ヶ月の君の言動は、官吏として不適だ」
「それは、君が決めることじゃないでしょ」
「辰海だってわかってるはずだよ。自分の行動が間違ってるって」
アメはゆっくりと繰り返した。ほんの半年前までは、辰海とこんなことで言い争いになるなど想像もしていなかった。与羽と辰海とアメとラメ。四人で雪遊びをして、官吏登用試験に向けて夢を語り合った。与羽は確かに優柔不断で辰海に意見を求めることも多かったが、それにこたえる辰海はアメと話す時よりもやさしい顔をしていたように思う。
「本当に与羽のこと嫌いなの? あんなに仲良かったのに?」
「……その話はしたくない」
辰海はアメの問いに答えなかった。
「なんで?」
「…………」
やはり答えはない。
「僕、ずっと辰海は与羽のことが好きなんだって思ってた。いつも与羽の隣にいて、与羽を本当に大切にしていたから。正直、ちょっと羨ましかったんだよ? 僕とラメは親が勝手に決めた許婚でしょ? 僕は有名文官家漏日の長男だし、ラメは月日家の直系。身分が釣り合ってて、歳ごろも近くて、申し分ない組み合わせだよ。でも、好きな人を自分で見つけて少しずつ距離を縮めていく恋愛に、ちょっと憧れもあったんだ」
「…………」
辰海の沈黙は続いている。資料を読む手は完全に止まり、眉間に深いしわを刻んでいるのが見えた。
「もちろん、ラメのことは大好きだよ。笑顔がかわいくて、品が良くて、いつも僕を立ててくれる。来年、ラメが官吏登用試験に合格したら、結婚しようと思ってるんだ。それくらいラメが大切で、ずっと一緒にいたいって思うから」
淡々と語りつつも、アメは自分の夢見る未来を想像してわずかに口元を緩ませた。
「与羽は色恋に鈍感そうだけど、辰海は聡明だから僕といっしょだと思ってた。与羽を愛していて――。でも、君は自由だからいくらでも逃げられちゃうんだね。嫌いになったら簡単に突き放して、相手を傷つけるんだ……」
「勝手に僕の内心を想像で語らないでよ。与羽を好きだと思ったことは、ない」
沈黙していた辰海がやっと口を開いた。それが彼の本心なのだろうか。アメにはわからない。しかし、アメの言葉が辰海の重要な何かに触れたのは間違いない。だから無視できなくなったのだ。
「そうなのかなぁ……。今の辰海の精神は冷静じゃないと思う。一回落ち着いて、しっかり考えた方が良いと思うよ。でないと、きっと後悔する。あれだけ与羽と一緒にいて、楽しそうに笑って、与羽のこと嫌いなわけない」
「昔のことは忘れてよ」
しかめられ続けている辰海の顔は、泣きそうにも見えた。
「もう冷静に考えもした。その結果が今だから、僕は満足してる」
「本気で言ってる?」
「当たり前でしょ。中州に煩わされない、自分だけの世界に僕はいる。幸せだよ」
「幸せそうには見えないんだけどなぁ……」
アメには辰海が何か悪いものにとり憑かれているようにしか思えないのだ。
「気づいてると思うけど、辰海は与羽を避けるようになってから、ほとんど笑わなくなってるよ。いつも仏頂面で」
「君には関係ないでしょ? 余計なお世話だよ」
「僕にとっては辰海も与羽も親友だから、関係ないことはないと思う。友達の様子がおかしかったら心配するって」
「…………」
辰海は再び無言になってしまった。
「辰海、さっきから自分に都合が悪くなると黙るよね。頭では自分の行動が間違ってるって理解してるのに、心がそれを認めないってところかな」
そろそろ今の辰海を分析できるだけの言動情報が集まりそうだ。
「アメ……」
開かれた辰海の口はとても重そうだった。
「僕の心配をしてくれるのはうれしいけど、放っておいてほしい。ひとりでいたいんだ」
「辰海」
親友の名前を呼ぶアメの声は、心配しているようでも、たしなめているようでもある。
「また明日、来て欲しい。それまでに課題のことをいろいろとまとめておくから」
口を開いたアメの言葉を遮って、辰海はそう告げた。あらゆる感情を押し殺した静かな声で。
これ以上の話は無理そうだ。そう判断したアメは、学友の言葉に従うことにした。
「わかったよ。僕も明日までに地誌制作の人員や日程、予算の見積もりを出して持ってくるね」
「……予算もやるの?」
「うん。ラメが手伝ってくれるから」
アメの許婚は、中州の財政を担う月日家の出身だ。古狐と漏日と月日、そして城主一族。四人で力を合わせれば何でもできる気がする。そんな未来を心から望んでいるのだが……。
その願いが叶うかどうかは、何度か口を開け閉めしたあと、再び資料に視線を戻してしまった辰海次第。きっと感謝の言葉を述べようとして、気持ちがそれを許さなかったのだろう。
「任せてよ」
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