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  外伝 - 第三章 龍姫と賢帝の雛

三章六節 - 小さな勇気

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「……大丈夫か?」

 足を止めてしまった与羽ようの顔色を窺うように、絡柳らくりゅうが身をかがめた。

「私、やっぱりわからないです。私は、何もできないから……」

 うつむいた与羽は何とか声を絞り出した。悔しさが涙に変わりそうだ。

「何もできないことはないさ」

 与羽の前に膝をついた絡柳は、彼女の両手を取った。固く乾燥した手は、少し冷たい。

「姫様の『強み』の話を途中やめにしていた。俺はまだ姫様のことをあまり知らないが、少なくとも人を思いやれる人間だということはよくわかった。そのやさしさは、きっとこれから多くの人の心を救っていくだろう。もしかすると、俺もお前に救われる日が来るかもしれない。技術や知識は簡単に身につけられるが、人格を変えるのは難しい。だから、お前はその素晴らしい『心』を大切に育てればいいのではないかと俺は思う」

「……はい」

 与羽は小さく、本当に小さくうなずいた。絡柳も大きくうなずいて立ち上がる。彼を目線で追うように、与羽は少しだけ顔を上げた。やっともらえた助言はあいまいだ。しかし、ないよりはずっと良い。

「あとは……。そうだな。もっとかわいい顔をした方が良い。容姿に恵まれている人間は、それも武器にするべきだ」

 そう言って口の端を上げた絡柳は、確かに美少年だった。夕風になびく長い髪に、西日で深く陰影を刻んだ意志の強そうな男らしい顔立ちと、それを緩和する穏やかな目元。

「かわいい顔、ですか……?」

「そうだ」

 そう言いながら、絡柳はふにりと与羽のほほを人差し指で押した。子ども特有の丸みを帯びた輪郭が、やわらかくゆがむ。

「あの……」

 与羽は、絡柳の様子をうかがいながらもその手を小さくはらった。しかし、彼はもう一度与羽のほほを押す。手をはらうたびに、ほほを押されたりつままれたり。
 与羽の不安顔は次第に消えていった。きっとこういう遊びなのだ。仕返しにと、与羽は絡柳の長い髪に手を伸ばした。髪束を掴もうとする指先を滑らかな毛先がくすぐっていく。絡柳は機敏な動きで反撃をかわしながら与羽の顔に手を伸ばし続けている。負けじと与羽も絡柳の腕の下をくぐり、距離を取り、彼に顔を触られまいと逃げ回った。

「さすがにすばやいな。大斗だいとの指導を受けているだけある」

 楽しそうな絡柳につられて、与羽の顔にも笑みが浮かんだ。身のこなしをほめられたのがうれしかったのかもしれない。
 二人でなかば走るように城へ戻ったころには、与羽の表情もすっかり和らいでいた。

「その顔が良い。人を気遣い、人に愛される。良い姫君じゃないか」

 赤い顔をして汗をぬぐう与羽を、絡柳は満足そうに見下ろした。

「『人を気遣い、人に愛される』……」

 それが与羽の目指すべき姿なのだろうか。それは普通で当たり前のことのようにも感じられる。しかし、今の自分にそれしかできないのなら――。

「あ、あと『かわいい顔をする』」

 ふと思い出して、与羽は口の端を上げた。

「いい感じだ」

 絡柳は励ますように明るく笑んでいる。

「あの……、お話を聞いてくださって、ありがとうございました」

 より自然な笑みを心がけて、与羽は絡柳にお礼を言った。

「これくらい、お安い御用だ。俺はほとんど毎日城にいるから、気軽に声をかけてくれ。姫様と話せれば、俺もうれしい」

 彼の言葉は与羽が絡柳を頼りやすくするための気遣いなのだろう。人を気遣えるのが与羽の強みと言いつつ、彼自身も人並外れて心配りのできる人間だ。

「無理はしないで欲しいが、健闘を祈る」

「はい!」

 彼のおかげでやるべきことが明確になった。

 城内へ消えていく絡柳の背を笑顔で見送って、与羽は古狐ふるぎつねの屋敷へ戻った。官吏登用試験中は学問所の講義がすべてなくなる。辰海たつみはきっと自室で次の選考に備えた勉強をしているだろう。与羽は意を決して辰海の勉強部屋へと向かった。
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