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  第三部 - 二章 三冬尽く

二章九節 - 春風に集う

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「あなたすごいですね! 子どものために凍った池に飛び込むなんて、普通できませんよ」

「……ありがとうございます」

 本当は飛び込んだのではなく北斗ほくとに落とされたのだが、比呼ひこはあえて訂正しなかった。

「無謀とも言えるがな」

 そう口を挟んだのは絡柳らくりゅうだ。

「子どもが助かったんだし、比呼さんも無事だしすごいじゃないですか!」

 絡柳の口調が普段以上に厳しかったからか、アメは必死に比呼を弁護しようとしている。

「俺は助かったから良かった、と言う結果論は好きじゃない。与羽よう大斗だいともほかの奴らも、口を揃えて『終わりよければ全て良し』と言うが、万一があったらどうするつもりだったのかと常々思う」

「慎重すぎんだろ」

 雷乱らいらんが低い声で言う。

「でも、それだけ心配するくらい、大臣はみんなが大切ってことですね?」

 アメはなんとか絡柳の言葉の裏を読んで良い話にしたいようだ。

「当たり前だろう。お前に何かあれば与羽が悲しむし、与羽に怒られるのは俺だ。ただ――」

 絡絡は言葉を切って息をついた。

「与羽やお前や、多くの人が『賭け』としか思えない大勝負に高確率で勝っていくのも事実だ。神のおかげと言う者もいるが、たぶん努力や才能が『運』を引き寄せているんだろうな。お前が無事子どもを救い出し、お前自身も元気なら、それはお前の能力と意思がその幸運を導いたのかもしれない」

「運も実力のうちと言うことでしょうか?」

「因果が逆だが、まぁ、そんなところだ」

 絡柳はいつもの厳しい顔でうなずいた。

「つまり何が言いたいんだよ?」

 難しい話は嫌いなのか、どすの利いた声ですごむ雷乱。

「大臣は『お前の判断は正しかった。俺はお前の実力を認める』って言ってるんだと思います。ですよね?」

「あながち間違っていない」

 アメの解釈は比呼を買い被りすぎな気もしたが、絡柳はうなずいてくれた。

乱舞らんぶ――城主には、良い報告をしておこう」

 彼と会うのは久しぶりだったが、一応は認められたらしい。

「ありがとうございます」

「態度も謙虚だしな」

 城主への報告内容が一文増えた。

凪那なぎなさんも来たし、一件落着か」

 そう言って、絡柳は目元をなごませた。彼の視線の先には、小走りで駆けて来るナギがいる。
 大きな鞄を肩にさげ、城下町から走ってきた彼女は、大きく息をつきながら比呼と少年を見比べた。治療の優先度を測っているらしい。

「僕は、大丈夫だから。先にあの子を――」

「わかった」

 凪は池に落ちた子どものわきに、崩れるように膝をついた。ゼエゼエ肩で息をしながらも、処置に必要なものを取り出していく。竹の水筒と木のお椀。

「これを、半分、彼に」

 凪はその二つを少年の看護をしているアメに渡した。

「わかりました」

 アメは彼女の指示通り、水筒の中身を半分だけ椀に注ぐ。何かしらの薬だろうが、比呼の距離からでは詳細不明だ。少年が嫌がることなく飲んでいるのを見るに、味は悪くないらしい。

 次に凪は鞄から乾いた手ぬぐいを数枚取り出した。一枚は自分の汗を拭くために首にかけ、残りを周りの子どもたちに配っている。濡れた少年の髪の毛を拭いてもらうようだ。大人たちの様子を遠巻きに見ることしかできなかった彼らは、仕事を与えられて笑顔を見せた。凪の気遣いは患者だけでなく、周りの人々にまで及ぶ。

「比呼は大丈夫? どこか痛いところある?」

 少年の脈や体温、外傷の有無を確認したあと、凪は比呼のところにもやってきた。絡柳が立ち上がり、比呼の脇を譲る。

「凪……」

 比呼は隣に膝をついた凪に視線を向けた。彼女の眉間にはわずかに力がこもっている。真面目な表情だ。

「大丈夫、ちょっと寒気がするだけ」

「比呼は強がりさんだからなぁ……」

 凪は少しだけ表情を緩めると、手に持っていた水筒を比呼に見せた。

「とりあえず、体が温まるお薬飲ませるから」

 短く処置の説明をした直後、凪の火照った左腕が比呼の首に巻きついた。肌が直接触れ合った首筋と顔に凪の熱を感じる。しかし、その温もりに安堵あんどする間もなく、彼女は比呼のあごをつかんで頭を大きく反らせた。比呼は驚きの声を出そうとしたが、それは細い吐息にしかならない。
 そうこうしている間に、凪は比呼の口に水筒を押し当てた。彼女が事前に言った通り、一方的に「飲ませる」やり方だ。しかし、乱暴な動作に反して、液体は楽に喉を通っていく。顔を上向けられた痛みもない。同じようにして、何十人何百人という患者に薬を飲ませてきたのだろう。

 冷たい薬液が流れ落ちた瞬間、体の内からぬくもりが広がった。凪特製柚子ゆず茶の生薬だけを水で解いたような、ピリリと辛い味。比呼が液体をすべて飲み込んだのを確認して、凪はゆっくりと比呼の顔から手を離した。汗と水で張り付いた肌がはがれる感触は、少しだけ名残惜しい。
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