78 / 201
第二部 - 六章 龍の涙
六章七節 - 神官の涙
しおりを挟む
「おいしいですか?」
穏やかな空の声が聞こえる。
「うん」
与羽はうなずいて二個目を口に運びながら空を見た。彼の口元にはいつもの笑みが浮かんでいる。しかし、その目は笑っていない。
「空?」
なぜ彼は悲しそうな顔で笑っているのだろう。与羽は手に持っていたむすびを目の前の取り皿に置いた。
「あ……。すみません。少し、物思いにふけっていました」
空は与羽の心配を感じ取って笑おうとした。しかし、笑みの形に細めようとした目から、澄んだしずくが零れ落ちる。
「おっと……」
慌てたようにほほに伝った涙をぬぐう空。
「ふふふ。ご心配なく。月主様の祝福を受けていると、稀にこうなるのです」
空は冠を外し、長い前髪でその顔を覆い隠した。与羽は絡柳から今後の引継ぎを聞いている辰海に視線を向けた。彼も濃さの差はあれ月主の祝福を受けているはずだが、彼が涙を流す様子はない。幸い、辰海をはじめ、与羽以外の人々は絡柳の話に夢中でこちらに気を留めていないようだ。
「そう言うことにしておいてください」
納得しきっていない与羽にそう言って、空は顔をあげた。
「空……」
与羽の呼びかけに空は笑みで答える。丁寧に覆い隠された目元のせいで、彼の感情は読み取れない。空はゆっくりと立ち上がった。
「夢見神官?」
そこでやっと与羽以外の人々も意識を空に向けた。
「宿坊に戻る準備はできておりますが、いかがされますか?」
そう問いかける空の口調も雰囲気も、普段通りだ。先ほどの涙を見た与羽は、それが無理をしているものだと察せたが、他の人々の前では追求できない。
「老主人、どうされますか?」
絡柳は舞行に確認をとった。
「絡柳は明日の夜には城下町に着きたいんじゃろう? それなら、早う戻って休もうぞ」
彼の判断は早かった。与羽も他の面々も異論はない。
「ではそのように。少し指示をしてまいりますので、この場でお待ちください」
空はすばやく背を向けて退室していく。それは何の違和感もない動作だったが、与羽には少し引っかかるものがあった。この場を早く離れたかったのではないかと――。
「辰海」
与羽は机の上の食器を片付けている幼馴染に呼びかけた。
「なに?」
辰海はすぐに手を止めて与羽に視線を向けてくれる。
「大丈夫?」
「え?」
何に対する確認なのかわからなかったのだろう。辰海は首をかしげて瞬きした。夜の室内の明るさでは、彼の目の赤味はまったくわからない。
「ほら、大斗先輩に結構文句言われとったしさ」
与羽はそうごまかした。彼の身に異常がないのならそれで良い。
「ああ。へーきだよ」
辰海は与羽を安心させるように笑みを浮かべる。その顔には、悲しみも不安も感じられない。
「それならよかった」
「これは、食べる?」
短い会話のあと、辰海は再び机の片付けに戻った。
「食べる」
与羽の取り皿を指さして尋ねる辰海にそう答えて、与羽は栗ごはんのおむすびを口に運んだ。
空の涙の理由は何なのだろう。本当に月主の祝福によるもの、それだけなのだろうか。彼は栗飯を食べる与羽を見て泣いていた。与羽の姿が彼の心にある何かに触れたのだろうか。気になるが、きっと与羽が尋ねても彼は答えない。
栗飯のほのかな塩気に、与羽はなぜか胸が苦しくなった。
穏やかな空の声が聞こえる。
「うん」
与羽はうなずいて二個目を口に運びながら空を見た。彼の口元にはいつもの笑みが浮かんでいる。しかし、その目は笑っていない。
「空?」
なぜ彼は悲しそうな顔で笑っているのだろう。与羽は手に持っていたむすびを目の前の取り皿に置いた。
「あ……。すみません。少し、物思いにふけっていました」
空は与羽の心配を感じ取って笑おうとした。しかし、笑みの形に細めようとした目から、澄んだしずくが零れ落ちる。
「おっと……」
慌てたようにほほに伝った涙をぬぐう空。
「ふふふ。ご心配なく。月主様の祝福を受けていると、稀にこうなるのです」
空は冠を外し、長い前髪でその顔を覆い隠した。与羽は絡柳から今後の引継ぎを聞いている辰海に視線を向けた。彼も濃さの差はあれ月主の祝福を受けているはずだが、彼が涙を流す様子はない。幸い、辰海をはじめ、与羽以外の人々は絡柳の話に夢中でこちらに気を留めていないようだ。
「そう言うことにしておいてください」
納得しきっていない与羽にそう言って、空は顔をあげた。
「空……」
与羽の呼びかけに空は笑みで答える。丁寧に覆い隠された目元のせいで、彼の感情は読み取れない。空はゆっくりと立ち上がった。
「夢見神官?」
そこでやっと与羽以外の人々も意識を空に向けた。
「宿坊に戻る準備はできておりますが、いかがされますか?」
そう問いかける空の口調も雰囲気も、普段通りだ。先ほどの涙を見た与羽は、それが無理をしているものだと察せたが、他の人々の前では追求できない。
「老主人、どうされますか?」
絡柳は舞行に確認をとった。
「絡柳は明日の夜には城下町に着きたいんじゃろう? それなら、早う戻って休もうぞ」
彼の判断は早かった。与羽も他の面々も異論はない。
「ではそのように。少し指示をしてまいりますので、この場でお待ちください」
空はすばやく背を向けて退室していく。それは何の違和感もない動作だったが、与羽には少し引っかかるものがあった。この場を早く離れたかったのではないかと――。
「辰海」
与羽は机の上の食器を片付けている幼馴染に呼びかけた。
「なに?」
辰海はすぐに手を止めて与羽に視線を向けてくれる。
「大丈夫?」
「え?」
何に対する確認なのかわからなかったのだろう。辰海は首をかしげて瞬きした。夜の室内の明るさでは、彼の目の赤味はまったくわからない。
「ほら、大斗先輩に結構文句言われとったしさ」
与羽はそうごまかした。彼の身に異常がないのならそれで良い。
「ああ。へーきだよ」
辰海は与羽を安心させるように笑みを浮かべる。その顔には、悲しみも不安も感じられない。
「それならよかった」
「これは、食べる?」
短い会話のあと、辰海は再び机の片付けに戻った。
「食べる」
与羽の取り皿を指さして尋ねる辰海にそう答えて、与羽は栗ごはんのおむすびを口に運んだ。
空の涙の理由は何なのだろう。本当に月主の祝福によるもの、それだけなのだろうか。彼は栗飯を食べる与羽を見て泣いていた。与羽の姿が彼の心にある何かに触れたのだろうか。気になるが、きっと与羽が尋ねても彼は答えない。
栗飯のほのかな塩気に、与羽はなぜか胸が苦しくなった。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
夫から国外追放を言い渡されました
杉本凪咲
恋愛
夫は冷淡に私を国外追放に処した。
どうやら、私が使用人をいじめたことが原因らしい。
抵抗虚しく兵士によって連れていかれてしまう私。
そんな私に、被害者である使用人は笑いかけていた……
私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】
小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。
他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。
それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。
友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
【完結】後妻に入ったら、夫のむすめが……でした
仲村 嘉高
恋愛
「むすめの世話をして欲しい」
夫からの求婚の言葉は、愛の言葉では無かったけれど、幼い娘を大切にする誠実な人だと思い、受け入れる事にした。
結婚前の顔合わせを「疲れて出かけたくないと言われた」や「今日はベッドから起きられないようだ」と、何度も反故にされた。
それでも、本当に申し訳なさそうに謝るので、「体が弱いならしょうがないわよ」と許してしまった。
結婚式は、お互いの親戚のみ。
なぜならお互い再婚だから。
そして、結婚式が終わり、新居へ……?
一緒に馬車に乗ったその方は誰ですか?
初恋が綺麗に終わらない
わらびもち
恋愛
婚約者のエーミールにいつも放置され、蔑ろにされるベロニカ。
そんな彼の態度にウンザリし、婚約を破棄しようと行動をおこす。
今後、一度でもエーミールがベロニカ以外の女を優先することがあれば即座に婚約は破棄。
そういった契約を両家で交わすも、馬鹿なエーミールはよりにもよって夜会でやらかす。
もう呆れるしかないベロニカ。そしてそんな彼女に手を差し伸べた意外な人物。
ベロニカはこの人物に、人生で初の恋に落ちる…………。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる