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  第二部 - 六章 龍の涙

六章三節 - 巫女のまじない

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 空に案内された別室では、準備を整えた中州の面々がすでに待機していた。

「すごく似合ってるよ、与羽よう

 部屋に入って来た与羽にいち早く気づいて、立ち上がったのは辰海たつみだ。白い狩衣かりぎぬと白い袴。その隙間から下に着ている赤い衣装が見える。彼も他の面々も、与羽に合わせた紅白の神官装束で身を包んでいた。

「あんたもな」

 与羽は辰海を褒め返した。

「よく身に着けてる色合いだから……」

 辰海は照れたように自分の口元に手を当てている。たしかに、表に白、裏に赤を組み合わせる桜襲さくらがさねは辰海が好んでまとう色彩だ。
 与羽は辰海の答えを聞きながら他の人々の様子も確認した。退屈そうに三味線の弦を指で弾く大斗だいと。書き物に集中する絡柳らくりゅう。手のひらに何やらおまじないをしている実砂菜みさな。それを見守る舞行まいゆき

「ミサは何をしとるん?」

 見慣れない行動に、与羽は首を傾げた。

「手のひらに『人』っていっぱい書いて飲み込んだら緊張しないんだって!」

 どうやら緊張しているらしい。実砂菜は繰り返し手のひらに指を走らせ、それを口元に運んでいる。

「それって効くもんなん?」

 与羽はいつもの癖で辰海を見た。

「まぁ、気休め、……かな」

 辰海は正直に答えた。

「先輩は――?」

 次に与羽は絡柳に歩み寄る。

「今後の指示を書いている」

 絡柳は短く答えた。彼はこの舞が終わり、仮眠をとったら中州に向けて旅立つと言う。中州城では正月三日から年始議ねんしぎが行われる。主要な国官、地方官が集められ、数日にわたって一年の予定や方針を話し合う重要な場だ。それにどうしても参加したいらしい。

 彼の邪魔はしない方が良さそうだ。与羽はすぐに絡柳から離れて実砂菜と辰海の近くに戻った。その横には空も座っている。与羽は実砂菜を案じて彼女の隣に腰を下ろした。

「与羽は緊張しないの?」

 その瞬間、実砂菜が腕につかみかかってくる。

「するけど、これくらいなら大丈夫」

 舞い慣れた演目によく知る仲間の演奏。扇にもすぐ慣れるだろう。きっとうまくいく自信がある。

「いいなぁ。私、心臓ばくばく! この風主かざぬし神殿って、龍神信仰の総本山って言ってもいいところだよ。その舞台に立つ日が来るなんて思いもしなかった!」

 実砂菜は胸を押さえた。与羽たちはこの半月間で、いくつもの神殿や祭祀場の舞台に立ってきたが、この風主神殿で舞うのは今日が初めてだ。

「普段の風主神殿には、選ばれたごく一部の神官しか入れないんですよね。十日ほど前に、与羽姫たちの舞の交渉をしに訪れたら門前払いでしたよ。金位の神官を追い返せる場所なんてここくらいです」

 やれやれと空が小さく首を振る。

「いろいろ私のわがままのために働いてくれてありがとな」

「あ、いえ。そんなつもりで言ったわけでは――。すみません。少し愚痴っぽくなってしまいました。与羽姫たちに舞っていただくのは、わたしのためでもありますから。感謝の言葉はむしろわたしが言うべきなのです。今までも、今夜の舞もありがとうございます」

 頭を下げる空。いまいち何を考えているのかわからない男だが、信仰心が強いのは間違いななさそうだ。

「そうやってかしこまられると一層緊張するわけデスガ……」

 実砂菜の語尾は硬い。

「ふふっ。失礼致しました」

 空は切れ長の目を笑みの形に細めた。

「ミサはいつも通り元気に鈴を振ってくれれば良いんだよ」

 辰海も実砂菜を励ますように声をかける。

「辰海くんは、私には優しくしてくれなくていいの!」

「うぅー!!」と実砂菜は唸った。緊張して弱気になっていると思ったら、急に怒りだしたり、悩ましげに唸ったり、よくわからない。与羽は彼女の様子に首を傾げた。

「何か楽しい雑談をした方が良さそうですね……」

 空が思案顔で与羽を見る。

「『楽しい雑談』?」

 与羽はその視線を辰海に流した。

「ほら、こういう時はミサののろけ話」

 辰海は一つ手を叩いて、提案した。

「もうちょっとで年が変わるけど、千斗せんとは城下町でどうしてるだろうね?」

大晦日おおみそかの夜は、お世話になってる職人さんたちを集めて、大宴会……」

 普段よりも固い顔をしているが、実砂菜はさっそく城下町に残してきた婚約者のことを考えている。

「今年は大斗先輩がこっちにおる分、向こうは大変そう」

「たしかに、千斗はあんまりお酒強くないから大変かも」

 実砂菜の口が少しずつ回り始めた。

「職人さんたちは大酒飲みが多いから、毎年すごいことになるんだよね。五斗入りの樽が空っぽになっちゃうんだもん!」

「五斗って五十升よね。考えただけで酔いそう……」

 与羽は思わず口元に手を当てた。何十人で飲んでいるのか知らないが、膨大な量だ。

「与羽もお酒弱いもんねー」

 実砂菜は笑みを浮かべた。

「そう言えば、昔お酒の席でこんなことがあって――」

 まだ硬さは残っているが、そのおしゃべりは普段と変わらない。これなら大丈夫だろう。
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