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  第二部 - 五章 龍の舞

五章四節 - 官吏のあり方

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 まずは練習。絡柳を説得した日は神域を歩いた体力を回復するために休み、翌日与羽ようは練習用の扇を手に宿坊しゅくぼう前の開けた場所に立った。他の面々は近くの岩や敷物の上など、思い思いの場所に座って楽器を構えている。空が貸してくれた楽器は、どれも初心者が扱いやすいように調整済みだ。

 伴奏の主力となる辰海たつみは、空と希理きりが用意してくれた横笛の中で一番手に馴染むものを買い取ることにした。以前のものよりも、音が硬くて遠くまで響く。趣味で吹くには少しうるさい気もするが、舞の伴奏として奏でるなら、これくらいがちょうどいいだろう。

 演目は大斗だいとが演奏できる曲に限られるので、三つのみ。城下町で最も有名な「水龍の舞」と、大斗が気に入っている力強くて軽快な民間信仰の踊りが二つ。
 辰海の吹く囃子に合わせて与羽が扇を持って舞い踊る。大斗は普段の様子からは想像もつかないほど協調性が高く、辰海の笛や与羽の動きに合わせて三味線をかき鳴らした。

「一般教養だよ、こんなの」と涼しい顔をしている。

 絡柳らくりゅうも楽器の経験はほとんどないと言いつつ、すぐにつづみを叩けるようになった。

「一定の速さで叩き続けるだけなら簡単だ」

 安堵あんどしたように、鼓の表面に張られた皮を素手でポンポン鳴らした。

 実砂菜みさなの鈴も問題ない。時々先走ったり遅れたりもするが、それも考慮して与羽は自由に舞っている。

「儀式じゃないし、思ったようにやりましょう」

 一通り練習終えた与羽は、楽器を構える面々を見渡した。

「これはええもんを見たのぅ!」

 ずっと広間の窓から練習を見守っていた舞行まいゆきが、盛大に手を叩いている。

 与羽の舞と辰海の笛は、城下町でも一流。そこに自信に満ちた三味線の音色と、正確に刻まれる鼓の拍子、愛嬌あいきょうある鈴の音が組み合わさり、より良いものに仕上がっていた。それぞれが個性を見せながらも協力し合い、まとまるさまは、まさに舞行が誇りとする「中州の官吏のあり方」だ。

「本当に素晴らしいです。明日は月主つきぬし神殿、あさっては水主みなぬし神殿の舞殿を借りられるようにしました」

 さっそく空は、与羽たちが舞う場所を確保したらしい。今日練習を開始したにもかかわらず明日から本番とは、気が早い。

「まぁ、最悪私と辰海がちゃんとしとればなんとかなるし、大丈夫か」

 空もそう思って予定を立てたのだろう。

「もしよろしければ、神域外の神殿でも舞いませんか? そちらなら馬やかごで移動できますから、舞行様もご覧いただけますよ。護衛や人足にんそくは喜んで貸すと希理様がおっしゃっておりました」

「そりゃあええ!」

 舞行は心底嬉しそうにしている。

「それって、民衆の前で舞うってこと?」

 与羽が尋ねた。絡柳は許してくれるだろうか。

「その可能性もありますね」

 空の答えに、与羽は旅の責任者を見る。

「……まぁ、いいだろう」

 絡柳はうなずいた。

「本当にいいんですか?」

 意外な答えだった。

「せっかくみんなで練習しているんだ。発表の場は多い方がいいだろう?」

 絡柳の浮かべる笑みは、どこか野性味を帯びていて雄々しい。かすかな戸惑いを見せる与羽の目の前で、絡柳はポンポンと鼓を叩いてみせた。舞行が乗り気だからという理由もあるだろうが、彼自身も今の状況を楽しんでいるようだ。

「では、そちらも手配いたします」

 空がうなずいた。

「人目に触れるんなら……」

 与羽は何かを思いついたらしい。その顔に戸惑いはもうない。見る見るうちに彼女の口の端が歯が見えるほどに吊りあがり、目元が半月型に細められた。慌てて扇で口元を隠すが、彼女が悪巧わるだくみしているのは誰の目にも明らかだった。

「空」

 与羽はそう呼びかけて、身をかがめた彼の耳になにかを囁き込んでいる。扇で口元を隠しているので、内容は一切読み取れない。

「わかりました」

 与羽の指示は短かったようで、空はすぐにそううなずいた。

「ああ、大丈夫ですよ。与羽姫の身に危険が及ぶような提案ではありませんでした」

 空は厳しい顔で様子を伺う大斗と絡柳を安心させるように笑みを浮かべた。ただ、空には与羽を神域に連れ出した前科があるので、二人の疑念が完全に解けることはなかったが。

「どうしても不安なら、辰海になら教えられる」

 与羽はそう言って、先ほどと同じように辰海の耳にもいくつかの言葉を吹き込んだ。

「…………」

 大斗と絡柳がそれを無言で見守っている。

「それって隠すほどのこと?」

 全て聞き終わった辰海は首を傾げた。

「内緒の方がおもしろいじゃん!」

 与羽は唇を尖らせた。

「うーん。たしかに与羽が危険になる内容じゃありませんでした」

 少し困惑しつつも、辰海は二人にそう告げた。与羽を大切にしている彼が言うのだから、間違いはないだろう。大斗と絡柳はそれ以上追求しないことにした。

「まっ、お楽しみに」
「そのうち分かりますよ」

 与羽と空はそう言って、姫や神官とは思えないほど意地悪な笑みを浮かべた。
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