47 / 201
第二部 - 三章 龍の領域
三章七節 - 月の光
しおりを挟む* * *
白い月がのぼっている。十三夜の月。あと二日で満月だ。辰海はこの凍り付いた月夜に呼ばれて出て行ってしまったのだろうか。細く開けた窓から外を眺めながら与羽は思った。葉ずれの音も虫の声も何も聞こえない静かすぎる夜。辰海の部屋は近かったはずなのに、笛の音にも足音にも、何にも気づけなかった。
静寂に耳をすませば、耳鳴りとともに辰海の笛の音が聞こえる気がする。彼の声が聞こえる気がする。与羽は小さく息を吸うと、窓から滑り降りた。腹に力をこめ、できるだけゆっくり、足音を立てないように着地する。この時のために、ちゃんと履物は履いている。一歩足を踏み出すと、凍り始めた地面がぱきりと音を立てた。
「はぁ」
その瞬間、小さなため息が聞こえた。与羽の肩がびくりと跳ねる。
「何してんの、お前」
そう話しかけてきたのは、大斗だった。居室の窓枠に肘をつき、冷めた目でこちらを見ている。
「先ぱ……」
「見なかったことにしてやるから、部屋に戻りな」
彼は与羽の部屋がある方を顎で指した。
「でも……」
「『でも』じゃないんだよ。昼間、古狐が帰って来るのを待とうって話したでしょ?」
確かにそうだ。辰海は必ず帰ってくると信じて、祈った。
そのあと天駆領主の希理とも話したが、彼が出した結論も「待つ」だった。
彼は本当に申し訳なさそうにしており、自分の責任だとまで言ってくれたが、積極的に捜索隊を組もうとはしなかった。不思議なことに、昨夜門の見張りをしていた衛兵は辰海の姿を見ていないと言う。足跡がはっきり残されているにもかかわらずだ。そんなことができるのは、人知を超えた存在しかいない。それならば、神の御心のままに、とのことだ。
「でも……」
「土地勘もない、体力も筋力も俺たちほどないお前が神域に入って、何ができるの?」
彼の言葉は冷淡だった。
「じゃあ、先輩も一緒に来てください!」
「無理」
大斗は顔にかかる髪をかきあげて、与羽を睨み据えた。
「いい? 俺たちは乱舞からお前や老主人のことを頼まれてる。絡柳が言ってたろう? お前に万一のことがあれば、俺たちの首が飛ぶんだよ。だから舞の依頼は断ったし、お前を神域には入らせない。言い方は悪いけど、お前と古狐の命は重さが違う。お前はそれを理解してもいい時期だ」
冷たく突き放すような態度だった。しかし、与羽を荒っぽく諭すようでもある。与羽の自分勝手な行動は、与羽だけの不利益にとどまらない。彼女が尊敬する大切な人まで巻き込んでしまうのだ。
「…………」
与羽は大斗を睨み返した。返す言葉が見つからない。彼らの命は、重すぎる。
「理解したら部屋に戻りな」
しかし、大斗の言葉に従うのは、心が許さなかった。
与羽は大斗に背を向けると、二歩、三歩と彼から離れた。両手を広げ、白い月を見上げる。辰海もこの月を見ているだろうか。
「月の影が、守りになりますように」
神官たちが使う夜のあいさつを呟いた。なぜ月の光ではなく、影なのだろう。与羽は月を掬い取るように両手を伸ばした。影が与羽の顔に落ちる。
彼は、月の影に守られているだろうか……。
ふうっと白い息を吐いて、与羽はゆっくり手を下ろした。
次の瞬間、指先で空気を薙ぐ。強く踏みしめた足の下で、凍った土が砕けた。月の下で、彼女は舞い踊り始めた。天駆の正月神事で舞うことは許されなかったが、今ここでなら誰も文句ないはずだ。頭で理解していても、おとなしく待ってはいられない。やり場のない気持ちを、一挙手一投足に向けた。
一歩一歩ゆっくりと膝を高く振り上げてから踏み下ろすのは、この世界に降り立った祖龍を題材にした演目だ。不安げに、慎重に、初めて大地を踏んだ神を想像する。その足の動きは次第に早く。両手を頭の上で振り、軽い足取りで大きな円を描いて移動した。この世界は素晴らしいと。高く飛び跳ね、くるりと回り、両手でやさしく空気を撫でる。与羽の足跡が地面に大きな円を描いた。
そして、舞は次の章へ。輪を描く動きは次第に小さくなり、円の中心でゆっくりと回転する動きに。手を下から斜め上に大きく振った。大地を芽吹かせる命の風だ。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
異世界クリーニング師の記録
白バリン
ファンタジー
急逝した祖父が長年経営していた「カミジョウクリーニング店」は閉店することが決まり、孫の上条千香は最後の客を見送った。1階が店、2階が住居のクリーニング店であり、クリーニング済みの衣類がない空間を千香は初めて見る。
新米のクリーニング師の千香は、祖父の店を引き継ぐ覚悟もなく今後の人生について考えていたところ、閉店後の店にコンコンとノックをして若い男性がやってきた。男性は金髪で西洋風コスプレをしていて、イベントに参加するんだろうと千香は思った。
男性は持ってきたマントを明朝のイベントに羽織りたいと強く願っているが、マントは管理が適切ではなかったのか、カビや臭いが酷い。触れたことのない感触の生地に千香が「何の動物ですかね?」と訊ねると、男性は誇らしげに「ヘビーモスの皮です」と答えた。コスプレ用の衣装は奥が深いと千香はしみじみと思う。
普通ならば断る。しかし、男性が落胆する姿を見て同情する気持ちも芽生える。祖父の形見のマントという言葉も気に掛かっていた。
迷った果てに、「これが本当の最後のクリーニングだ」と決心して、ヘビーモスの革のマントを徹夜で処理をした。謎素材だったので探り探りでできる部分から少しずつ丁寧に焦らずにカビ取りやシミ抜き、脱臭などをしていった。
翌朝、男性が引き取りに来る前に店の外に出ると馴染みのない場所にいる。「ああ、これは夢だ」と思い、夢でも丁寧に接客をしたいと考えて、引き取りに来た男性にヘビーモスの革のマントを手渡した。その場でマントを身につけた男性は仕上がりに驚き、そして喜んでいた。男性は大変満足をしていたが、一方の千香は時間も知識も技術も設備も足らなかったことで完全にクリーニングができなかったのが少しだけ心残りである。
この時、二人は気づいていなかったが、ヘビーモスの革のマントには特殊な魔法付与の効果が発現していた。千香のクリーニングには秘密があったのである。
男性と出会ったその日から、クリーニング店とともに別の世界に入りこんでしまった千香が、異世界の繊維や衣類や装備品、装飾品を綺麗にしていく異世界クリーニング師としての新しい人生が始まっていく。
だいたい死ぬ悲運の王女は絶対に幸せになりたい!〜努力とチートでどんな運命だって変えてみせます〜
十和とわ
ファンタジー
悲運の王女アミレス・ヘル・フォーロイトは、必ず十五歳で死ぬ。
目が覚めたら──私は、そんなバッドエンド確定の、乙女ゲームの悪役王女に転生していた。
ヒロインを全ルートで殺そうとするわ、身内に捨てられ殺されるわ、何故かほぼ全ルートで死ぬわ、な殺伐としたキャラクター。
それがアミレスなのだが……もちろん私は死にたくないし、絶対に幸せになりたい。
だからやってみせるぞ、バッドエンド回避!死亡フラグを全て叩き折って、ハッピーエンドを迎えるんだ!
……ところで、皆の様子が明らかに変な気がするんだけど。気のせいだよね……?
登場人物もれなく全員倫理観が欠如してしまった世界で、無自覚に色んな人達の人生を狂わせた結果、老若男女人外問わず異常に愛されるようになった転生王女様が、自分なりの幸せを見つけるまでの物語です。
〇主人公が異常なので、恋愛面はとにかくま〜ったり進みます。
〇基本的には隔日更新です。
〇なろう・カクヨム・ベリーズカフェでも連載中です。
〇略称は「しぬしあ」です。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
迷子のあやかし案内人 〜京都先斗町の猫神様〜
紫音@キャラ文芸大賞参加中!
キャラ文芸
【キャラ文芸大賞に参加中です。投票よろしくお願いします!】
やさしい神様とおいしいごはん。ほっこりご当地ファンタジー。
*あらすじ*
人には見えない『あやかし』の姿が見える女子高生・桜はある日、道端で泣いているあやかしの子どもを見つける。
「”ねこがみさま”のところへ行きたいんだ……」
どうやら迷子らしい。桜は道案内を引き受けたものの、”猫神様”の居場所はわからない。
迷いに迷った末に彼女たちが辿り着いたのは、京都先斗町の奥にある不思議なお店(?)だった。
そこにいたのは、美しい青年の姿をした猫の神様。
彼は現世(うつしよ)に迷い込んだあやかしを幽世(かくりよ)へ送り帰す案内人である。
惣菜パン無双 〜固いパンしかない異世界で美味しいパンを作りたい〜
甲殻類パエリア
ファンタジー
どこにでもいる普通のサラリーマンだった深海玲司は仕事帰りに雷に打たれて命を落とし、異世界に転生してしまう。
秀でた能力もなく前世と同じ平凡な男、「レイ」としてのんびり生きるつもりが、彼には一つだけ我慢ならないことがあった。
——パンである。
異世界のパンは固くて味気のない、スープに浸さなければ食べられないものばかりで、それを主食として食べなければならない生活にうんざりしていた。
というのも、レイの前世は平凡ながら無類のパン好きだったのである。パン好きと言っても高級なパンを買って食べるわけではなく、さまざまな「菓子パン」や「惣菜パン」を自ら作り上げ、一人ひっそりとそれを食べることが至上の喜びだったのである。
そんな前世を持つレイが固くて味気ないパンしかない世界に耐えられるはずもなく、美味しいパンを求めて生まれ育った村から旅立つことに——。
異世界でのんびり暮らしてみることにしました
松石 愛弓
ファンタジー
アラサーの社畜OL 湊 瑠香(みなと るか)は、過労で倒れている時に、露店で買った怪しげな花に導かれ異世界に。忙しく辛かった過去を忘れ、異世界でのんびり楽しく暮らしてみることに。優しい人々や可愛い生物との出会い、不思議な植物、コメディ風に突っ込んだり突っ込まれたり。徐々にコメディ路線になっていく予定です。お話の展開など納得のいかないところがあるかもしれませんが、書くことが未熟者の作者ゆえ見逃していただけると助かります。他サイトにも投稿しています。
婚約者が隣国の王子殿下に夢中なので潔く身を引いたら病弱王女の婚約者に選ばれました。
ユウ
ファンタジー
辺境伯爵家の次男シオンは八歳の頃から伯爵令嬢のサンドラと婚約していた。
我儘で少し夢見がちのサンドラは隣国の皇太子殿下に憧れていた。
その為事あるごとに…
「ライルハルト様だったらもっと美しいのに」
「どうして貴方はライルハルト様じゃないの」
隣国の皇太子殿下と比べて罵倒した。
そんな中隣国からライルハルトが留学に来たことで関係は悪化した。
そして社交界では二人が恋仲で悲恋だと噂をされ爪はじきに合うシオンは二人を思って身を引き、騎士団を辞めて国を出ようとするが王命により病弱な第二王女殿下の婚約を望まれる。
生まれつき体が弱く他国に嫁ぐこともできないハズレ姫と呼ばれるリディア王女を献身的に支え続ける中王はシオンを婿養子に望む。
一方サンドラは皇太子殿下に近づくも既に婚約者がいる事に気づき、シオンと復縁を望むのだが…
HOT一位となりました!
皆様ありがとうございます!
その狂犬戦士はお義兄様ですが、何か?
行枝ローザ
ファンタジー
美しき侯爵令嬢の側には、強面・高背・剛腕と揃った『狂犬戦士』と恐れられる偉丈夫がいる。
貧乏男爵家の五人兄弟末子が養子に入った魔力を誇る伯爵家で彼を待ち受けていたのは、五歳下の義妹と二歳上の義兄、そして王都随一の魔術後方支援警護兵たち。
元・家族の誰からも愛されなかった少年は、新しい家族から愛されることと癒されることを知って強くなる。
これは不遇な微魔力持ち魔剣士が凄惨な乳幼児期から幸福な少年期を経て、成長していく物語。
※見切り発車で書いていきます(通常運転。笑)
※エブリスタでも同時連載。2021/6/5よりカクヨムでも後追い連載しています。
※2021/9/15けっこう前に追いついて、カクヨムでも現在は同時掲載です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる