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  第二部 - 三章 龍の領域

三章七節 - 月の光

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  * * *

 白い月がのぼっている。十三夜の月。あと二日で満月だ。辰海たつみはこの凍り付いた月夜に呼ばれて出て行ってしまったのだろうか。細く開けた窓から外を眺めながら与羽ようは思った。葉ずれの音も虫の声も何も聞こえない静かすぎる夜。辰海の部屋は近かったはずなのに、笛の音にも足音にも、何にも気づけなかった。

 静寂に耳をすませば、耳鳴りとともに辰海の笛の音が聞こえる気がする。彼の声が聞こえる気がする。与羽は小さく息を吸うと、窓から滑り降りた。腹に力をこめ、できるだけゆっくり、足音を立てないように着地する。この時のために、ちゃんと履物は履いている。一歩足を踏み出すと、凍り始めた地面がぱきりと音を立てた。

「はぁ」

 その瞬間、小さなため息が聞こえた。与羽の肩がびくりと跳ねる。

「何してんの、お前」

 そう話しかけてきたのは、大斗だいとだった。居室の窓枠に肘をつき、冷めた目でこちらを見ている。

「先ぱ……」

「見なかったことにしてやるから、部屋に戻りな」

 彼は与羽の部屋がある方を顎で指した。

「でも……」

「『でも』じゃないんだよ。昼間、古狐ふるぎつねが帰って来るのを待とうって話したでしょ?」

 確かにそうだ。辰海は必ず帰ってくると信じて、祈った。

 そのあと天駆あまがけ領主の希理きりとも話したが、彼が出した結論も「待つ」だった。
 彼は本当に申し訳なさそうにしており、自分の責任だとまで言ってくれたが、積極的に捜索隊を組もうとはしなかった。不思議なことに、昨夜門の見張りをしていた衛兵は辰海の姿を見ていないと言う。足跡がはっきり残されているにもかかわらずだ。そんなことができるのは、人知を超えた存在しかいない。それならば、神の御心のままに、とのことだ。

「でも……」

「土地勘もない、体力も筋力も俺たちほどないお前が神域に入って、何ができるの?」

 彼の言葉は冷淡だった。

「じゃあ、先輩も一緒に来てください!」

「無理」

 大斗は顔にかかる髪をかきあげて、与羽を睨み据えた。

「いい? 俺たちは乱舞らんぶからお前や老主人のことを頼まれてる。絡柳らくりゅうが言ってたろう? お前に万一のことがあれば、俺たちの首が飛ぶんだよ。だから舞の依頼は断ったし、お前を神域には入らせない。言い方は悪いけど、お前と古狐の命は重さが違う。お前はそれを理解してもいい時期だ」

 冷たく突き放すような態度だった。しかし、与羽を荒っぽく諭すようでもある。与羽の自分勝手な行動は、与羽だけの不利益にとどまらない。彼女が尊敬する大切な人まで巻き込んでしまうのだ。

「…………」

 与羽は大斗を睨み返した。返す言葉が見つからない。彼らの命は、重すぎる。

「理解したら部屋に戻りな」

 しかし、大斗の言葉に従うのは、心が許さなかった。

 与羽は大斗に背を向けると、二歩、三歩と彼から離れた。両手を広げ、白い月を見上げる。辰海もこの月を見ているだろうか。

「月の影が、守りになりますように」

 神官たちが使う夜のあいさつを呟いた。なぜ月の光ではなく、影なのだろう。与羽は月を掬い取るように両手を伸ばした。影が与羽の顔に落ちる。

 彼は、月の影に守られているだろうか……。

 ふうっと白い息を吐いて、与羽はゆっくり手を下ろした。

 次の瞬間、指先で空気を薙ぐ。強く踏みしめた足の下で、凍った土が砕けた。月の下で、彼女は舞い踊り始めた。天駆の正月神事で舞うことは許されなかったが、今ここでなら誰も文句ないはずだ。頭で理解していても、おとなしく待ってはいられない。やり場のない気持ちを、一挙手一投足に向けた。

 一歩一歩ゆっくりと膝を高く振り上げてから踏み下ろすのは、この世界に降り立った祖龍を題材にした演目だ。不安げに、慎重に、初めて大地を踏んだ神を想像する。その足の動きは次第に早く。両手を頭の上で振り、軽い足取りで大きな円を描いて移動した。この世界は素晴らしいと。高く飛び跳ね、くるりと回り、両手でやさしく空気を撫でる。与羽の足跡が地面に大きな円を描いた。

 そして、舞は次の章へ。輪を描く動きは次第に小さくなり、円の中心でゆっくりと回転する動きに。手を下から斜め上に大きく振った。大地を芽吹かせる命の風だ。
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