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第二部 - 一章 龍の故郷
一章十一節 - 冷王の挑発
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「与羽はいろんな人に好かれるねー」
きょとんと首をかしげる与羽にほおずりしながら言う実砂菜。
「私が男の子だったら、私も与羽争奪戦に参加してたかも!」
「……なにそれ?」
与羽がさらに首を傾げ、
「冗談でもやめて」と辰海がため息をつく。その目に先ほど大斗に見せた敵意は一切ない。
「そう言えばミサ、夕方に柊地司が言ってたこと覚えてる? 天駆の神事と官吏の話」
話題を変えようとしたのだろう。辰海は中州で巫女を務める彼女にそう問いかけた。
「きもちよーく酔ってるときに難しい話はしなーい!」と拒否されてしまったが。
「それがどうしたん?」
代わりに与羽が疑問を返した。
「天駆の正月神事について確認したいことがあって――」
辰海は予想以上に難しい話をするつもりだったようだ。
「さすがに他国の神事までは詳しく覚えてナイナイ」
実砂菜は与羽の頭の上で大きく手を振って否定を示した。与羽も辰海の役に立ちそうな知識は持ち合わせていない。
「そうだよね。ありがとう」
辰海は穏やかな笑顔でうなずいた。
「なに? 俺には聞いてくれないの?」
話を切り上げようとした辰海に食って掛かったのは大斗だ。
「何かご存知なのですか?」
「全然。俺は武官だよ? 知るわけないでしょ」
「……そうですよ……、ね」
辰海は笑顔をこわばらせて、困惑している。
先ほどの敵意に満ちた辰海の目をもう一度見たくて挑発したのだが、この程度では無理らしい。大斗は強い人、度胸のある人が大好きだ。与羽は明るく元気かつ前向きで、すごく良い。実砂菜の歯に衣着せず話しかけてくる態度も気に入っている。絡柳ほど強い精神力で努力をする人は知らないし、乱舞は甘い男に見えてしたたかだ。
与羽の周りに集まるのは、大斗にも好感が持てる人ばかりだが、唯一彼女のもっとも近くにいる古狐辰海という男だけは嫌いだった。与羽に危害が及びそうになる一瞬だけ本気の目をするが、それ以外はいつも逃げ腰で、作った笑顔を張り付け、波風を立てないように生きている。
「やっぱりお前は嫌いだよ」
そう言ってみても、大した反応は返ってこない。与羽のように感情をあらわにしておびえたり隠れたりすれば、まだかわいげがあるのだが、それもない。目立たないように距離を取るだけだ。
「はい、でました。お義兄様の『嫌い』」
実砂菜が手を叩きながら陽気に言う。
「辰海くん、気にしなくていいからね。お義兄様の『嫌い』には、『やぁ、今日は調子悪そうだね』くらいの意味合いしかないから」
「そ、そうだったん?」
それに驚いたのは与羽だ。大斗が辰海やいろいろな人に「嫌い」と言うたびに、暴力沙汰になるのではないかとひやひやし続けていたのだが……。
「そーだよー。お義兄様って、本当に嫌いな人には目線すら合わさないから」
予想以上に義兄のことをよく見ている。
「ミサがいると調子狂うな……」
大斗は機嫌悪そうにそっぽを向いた。
「あーあー、千斗がお兄様の一割でも感情豊かでおしゃべりならなぁ」
そしていつもののろけ話に移る。
「口を開いても、『だるい』『めんどい』『わかった』とかそんなのばーっか! そういう物静かなところも好きなんだけど、さすがに静かすぎるから、『好き』って言ってくれないと千斗の言うこと聞かないって決めたんだ~。そしたら、顔を真っ赤にしてうつむきながら『好き』って言ってくれるようになってね! んもう、『きゃー! 私も大好きぃ!!』って感じ?」
実砂菜は興奮を抑えられないようで、目の間にある与羽の体を大きく前後に揺さぶっている。
「うわ、あ、ああぁぁ!」
与羽の口から情けない悲鳴が漏れた。
「ミサ、与羽が! 与羽が!!」
辰海が慌てて止めに入るが、実砂菜に触れるのは気がひけるらしい。彼女にかろうじて触れない距離に手をかざして、何度もなだめすかし、やっと実砂菜は落ち着いてくれた。
「……そんな千斗、見たことないなぁ」
実砂菜の上半身にぐったり体を預けながら、先ほどの話を思い出す与羽。実砂菜も千斗も学問所時代の同期だが、当時も今も千斗は何でもそつなくこなす、少し冷めた目をした無口な少年という印象しかなかった。
「婚約者の特権ってやつ?」
実砂菜はご機嫌だ。
「試しに、与羽にも好きって言ってあげようか?」
「え? いや、いいよ、別に――」
悪い予感しかしない。与羽は実砂菜から離れようとしたが、肩をしっかり抱きしめて引き戻されてしまった。
「与羽、大好き。お日様みたいに明るくて、大好き~!」
「ミサの方が明るいじゃん……」
そう答えつつも、少し緊張した。
「俺もお前の前向きでがんばり屋なところ好きだよ」
何を思ったのか、大斗までそんなことを言ってくる。低められた声は煽情的で、与羽の緊張を一層高ぶらせたが、その口元には意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「ほら、辰海くんも言っちゃいな?」
実砂菜が笑みを含んだ声で言う。いまだに与羽の背に張り付いている彼女は、与羽の体を無理やり操って辰海の方を向かせた。
「え?」
実砂菜は与羽には見えない位置でにやにや笑っている。辰海の恋心を知っての発言だ。
辰海は与羽を見た。冗談で言うなら、許されるのだろうか。
「よ、与羽」
思いのほか、真剣な声が出てしまった。表情も。
「たつ?」
与羽が不安そうな表情を浮かべるのがわかる。辰海は無理やり自分の顔に笑みを浮かべた。
「……やっぱり、真面目な僕には冗談でも言えないよ」
大げさに明るい声を出して、そうごまかした。
「えー、つまんなーい」
実砂菜が唇を尖らせる。その背後で大きなため息が聞こえた。
「お前たちはなんて遊びをしているんだ……」
そこには上級文官組で話していたはずの絡柳が立っていた。
きょとんと首をかしげる与羽にほおずりしながら言う実砂菜。
「私が男の子だったら、私も与羽争奪戦に参加してたかも!」
「……なにそれ?」
与羽がさらに首を傾げ、
「冗談でもやめて」と辰海がため息をつく。その目に先ほど大斗に見せた敵意は一切ない。
「そう言えばミサ、夕方に柊地司が言ってたこと覚えてる? 天駆の神事と官吏の話」
話題を変えようとしたのだろう。辰海は中州で巫女を務める彼女にそう問いかけた。
「きもちよーく酔ってるときに難しい話はしなーい!」と拒否されてしまったが。
「それがどうしたん?」
代わりに与羽が疑問を返した。
「天駆の正月神事について確認したいことがあって――」
辰海は予想以上に難しい話をするつもりだったようだ。
「さすがに他国の神事までは詳しく覚えてナイナイ」
実砂菜は与羽の頭の上で大きく手を振って否定を示した。与羽も辰海の役に立ちそうな知識は持ち合わせていない。
「そうだよね。ありがとう」
辰海は穏やかな笑顔でうなずいた。
「なに? 俺には聞いてくれないの?」
話を切り上げようとした辰海に食って掛かったのは大斗だ。
「何かご存知なのですか?」
「全然。俺は武官だよ? 知るわけないでしょ」
「……そうですよ……、ね」
辰海は笑顔をこわばらせて、困惑している。
先ほどの敵意に満ちた辰海の目をもう一度見たくて挑発したのだが、この程度では無理らしい。大斗は強い人、度胸のある人が大好きだ。与羽は明るく元気かつ前向きで、すごく良い。実砂菜の歯に衣着せず話しかけてくる態度も気に入っている。絡柳ほど強い精神力で努力をする人は知らないし、乱舞は甘い男に見えてしたたかだ。
与羽の周りに集まるのは、大斗にも好感が持てる人ばかりだが、唯一彼女のもっとも近くにいる古狐辰海という男だけは嫌いだった。与羽に危害が及びそうになる一瞬だけ本気の目をするが、それ以外はいつも逃げ腰で、作った笑顔を張り付け、波風を立てないように生きている。
「やっぱりお前は嫌いだよ」
そう言ってみても、大した反応は返ってこない。与羽のように感情をあらわにしておびえたり隠れたりすれば、まだかわいげがあるのだが、それもない。目立たないように距離を取るだけだ。
「はい、でました。お義兄様の『嫌い』」
実砂菜が手を叩きながら陽気に言う。
「辰海くん、気にしなくていいからね。お義兄様の『嫌い』には、『やぁ、今日は調子悪そうだね』くらいの意味合いしかないから」
「そ、そうだったん?」
それに驚いたのは与羽だ。大斗が辰海やいろいろな人に「嫌い」と言うたびに、暴力沙汰になるのではないかとひやひやし続けていたのだが……。
「そーだよー。お義兄様って、本当に嫌いな人には目線すら合わさないから」
予想以上に義兄のことをよく見ている。
「ミサがいると調子狂うな……」
大斗は機嫌悪そうにそっぽを向いた。
「あーあー、千斗がお兄様の一割でも感情豊かでおしゃべりならなぁ」
そしていつもののろけ話に移る。
「口を開いても、『だるい』『めんどい』『わかった』とかそんなのばーっか! そういう物静かなところも好きなんだけど、さすがに静かすぎるから、『好き』って言ってくれないと千斗の言うこと聞かないって決めたんだ~。そしたら、顔を真っ赤にしてうつむきながら『好き』って言ってくれるようになってね! んもう、『きゃー! 私も大好きぃ!!』って感じ?」
実砂菜は興奮を抑えられないようで、目の間にある与羽の体を大きく前後に揺さぶっている。
「うわ、あ、ああぁぁ!」
与羽の口から情けない悲鳴が漏れた。
「ミサ、与羽が! 与羽が!!」
辰海が慌てて止めに入るが、実砂菜に触れるのは気がひけるらしい。彼女にかろうじて触れない距離に手をかざして、何度もなだめすかし、やっと実砂菜は落ち着いてくれた。
「……そんな千斗、見たことないなぁ」
実砂菜の上半身にぐったり体を預けながら、先ほどの話を思い出す与羽。実砂菜も千斗も学問所時代の同期だが、当時も今も千斗は何でもそつなくこなす、少し冷めた目をした無口な少年という印象しかなかった。
「婚約者の特権ってやつ?」
実砂菜はご機嫌だ。
「試しに、与羽にも好きって言ってあげようか?」
「え? いや、いいよ、別に――」
悪い予感しかしない。与羽は実砂菜から離れようとしたが、肩をしっかり抱きしめて引き戻されてしまった。
「与羽、大好き。お日様みたいに明るくて、大好き~!」
「ミサの方が明るいじゃん……」
そう答えつつも、少し緊張した。
「俺もお前の前向きでがんばり屋なところ好きだよ」
何を思ったのか、大斗までそんなことを言ってくる。低められた声は煽情的で、与羽の緊張を一層高ぶらせたが、その口元には意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「ほら、辰海くんも言っちゃいな?」
実砂菜が笑みを含んだ声で言う。いまだに与羽の背に張り付いている彼女は、与羽の体を無理やり操って辰海の方を向かせた。
「え?」
実砂菜は与羽には見えない位置でにやにや笑っている。辰海の恋心を知っての発言だ。
辰海は与羽を見た。冗談で言うなら、許されるのだろうか。
「よ、与羽」
思いのほか、真剣な声が出てしまった。表情も。
「たつ?」
与羽が不安そうな表情を浮かべるのがわかる。辰海は無理やり自分の顔に笑みを浮かべた。
「……やっぱり、真面目な僕には冗談でも言えないよ」
大げさに明るい声を出して、そうごまかした。
「えー、つまんなーい」
実砂菜が唇を尖らせる。その背後で大きなため息が聞こえた。
「お前たちはなんて遊びをしているんだ……」
そこには上級文官組で話していたはずの絡柳が立っていた。
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