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  第二部 - 一章 龍の故郷

一章六節 - 天銀街道

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「いい音色じゃ。与羽ようは笛がうまくなったのぉ。昔は音を出すことさえできず、見事に笛を吹く辰海たつみに嫉妬ばかりしとったように思うが……」

 いつから笛の音に聞き入っていたのか、舞行まいゆきがため息交じりに言う。

「今でも、辰海には負けとるよ」

 与羽は笛から口を離した。吹きながら神々に思いをはせていたので、厳かな気分だ。

「琴と舞は勝っとるはずじゃけど」

「うん、それは君の勝ちだね」

 馬を並べる辰海も言う。

「ふーん」

 つまらなさそうな声を漏らしたのは大斗だいとだ。おもむろに実砂菜みさなの馬に近寄ると、彼女の前に座る与羽の手から横笛を奪い取った。

「あっ!」と辰海が声を上げたときには、大斗はその笛で力強い祭囃子まつりばやしを吹きはじめていた。両足だけで見事に馬を御している。演奏もなかなかうまい。

「…………」

 辰海は一瞬、不満の目を大斗に向けたが、すぐに視線を前方に戻す。飽きれば返してくれるだろう。彼はあえて挑発的な態度をとっている。相手にするべきではない。

 案の定、祭囃子はすぐにやみ、「古狐ふるぎつね」と辰海を呼ぶとともに大斗が笛を投げ返してきた。正確に胸の前に投げられたそれを受け取って、手早く手巾ハンカチで包み懐に戻す。大斗に必要以上の目線は向けない。

「つまんない奴」

 大斗の声が聞こえたが、相手にしてはだめだと自分に言い聞かせた。

「このあたりは往来が多い。あまりちょっかいを出すな、大斗」

 辰海に代わって注意してくれたのは絡柳だ。

「お前までつれないこと言わないでよ」

 大斗は肩をすくめてみせた。

 彼の意識が絡柳を向いている間に辰海は少し馬の位置を下げて、隊列の確認をした。先頭にはこのあたりの地理に一番明るい絡柳らくりゅう。その後ろに与羽を乗せた実砂菜と舞行、大斗が横並びになっている。その後ろが辰海だ。さらに後ろには、荷馬を引く武官と、荷物の様子を確かめる竜月りゅうげつが続く。

 銀工町ぎんくまちから北の関所へ向かう街道は「天銀てんぎん街道」と呼ばれ、中州有数の通行量を誇っている。多量の金品が銀工町を中心に行き来しているのだ。中州と天駆あまがけの国境付近に、西の山脈を越える山道があることも大きい。山脈をはさんだ先にある風見かざみ国は豊かな国で、中州の主要な貿易相手となっている。

 関所へ向かう街道の左右には、しばらく前から建物が増え、町の様相をていしはじめていた。旅人のための飲食店や商店、宿場として栄えているらしい。土産物屋、馬具や草履を修理する店、山越え時の荷運びや用心棒を請け負う旨が書かれた看板もある。城下町とはまた違う活気と賑わいは、胸を躍らせ、旅の疲れを薄めてくれた。

 人が多くても、大きな混乱やいさかいが見られないのは、町人や旅人に目を光らせる地方武官のおかげだろう。先頭の絡柳は馬から降り、彼ら一人一人に軽く手を挙げてあいさつしているようだった。時折、街道沿いの商店から絡柳に駆け寄ってくる人もいる。絡柳は記録を取りつつ、彼らの言葉一つ一つに答えていた。あたりのざわめきが大きく、話の内容はほとんど聞こえないが、彼が人望ある地方官であるのは間違いない。

「話には聞いとったが、昔とは大違いに栄えとるのぉ!」

 舞行が喜びの声を上げるのが聞こえる。彼が最後にここを通ったのは、二十年近く昔で、当時とはすっかり様変わりしているそうだ。

 舞行の思い出話を聞きながらも、与羽は左右を眺めるのをやめられなかった。はじめてここを通る彼女には、素敵な観光になっていることだろう。その無邪気さに、辰海は笑みを浮かべた。
 より観光気分が増すようにと、絡柳が慣れた様子でいくつかの食べ物を与羽や他の面々に買い与えてくれる。団子やくしに刺さったきのこ、山芋とごはんを混ぜて棒状にし、醤油や味噌を塗って焼いたものなど、旅人が移動しながら食べられるように工夫されたものが多い。絡柳は辰海にも目線で「いるか?」と聞いてくれたので、首を振って断った。

 おいしそうに焼き栗をほおばる与羽を横目に、辰海はあたりの警戒を怠らなかった。しかし、絡柳や町を守る武官たちがいれば安全そうだ。与羽や舞行の髪色から正体を察し、深々とお辞儀をする人もいるが、こちらに危害を加えるそぶりを見せる者はいない。ちなみに、舞行の髪は加齢によって銀青色に変化している。宝石のような与羽の髪質と違い、金属のような鋭い光沢だ。
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