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第一章

第72話/Ghost

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第72話/Ghost

「ごちそうさま。おいしかったよ」

「はい!お粗末さまでした!」

「さて。この後はどうしようか」

「あ、ごめんなさい……わたし、夕方からはお店の仕込みがあって。ポッドさんはいいっていってくれたんですけど、やっぱり」

「そっか。なら少し早いけど、そろそろもどるか?」

「あ、それなんですけど。あと一つだけ、付き合ってくれませんか?」

「うん?ああ、俺は構わないよ。行こうか」

「はい!こっちです」

ルゥに連れられて、俺はまちの高台へと登っていった。

「ふぅ、ふぅ……着きました、ここです」

「ここは……?」

やって来たのは、町全体を望めるんじゃないかという、見晴らしのいい丘だった。そしてその一角には、大小の白い石柱が並んでいる。ここは……墓地だ。

「わたしの知ってるなかでは、ここがこの町でいちばん眺めがいいんですよ……えへへ、デートで来るような所じゃないですけどね」

ルゥがちろりと舌を出した。そよ風が、少しだけ伸びた彼女の髪を撫でる。

「ユキさん、こっちに来てくれませんか。紹介したい人がいるんです」

人?こんな墓場で、待ち合わせでもしてたのか?
ルゥが俺の手を取る。俺は誘われるように、墓石の間を歩いていった。

「あった……ここです」

ルゥが立ち止まったのは、崖のそばの、ひときわ眺めのいい一角だった。
そこには一つだけ、まるで誰かが忘れていったかのように、ポツンと墓石が置かれていた。

「この墓は……?」

「ここに眠っている人の名前は……アオギリ・レイセンというそうです」

「え……!」

その名前は!

「そうです。ここは、ユキさんたちメイダロッカ組の初代組長、アオギリさんのお墓です」

なんと……!いや、けどそうか。この町で亡くなったんなら、この町の墓地に眠っていてもおかしくないな。だが、それをどうしてルゥが知っているんだ?

「……って言っても、わたしも会ったことはないんですけど。この話は、ポッドさんから聞いたんです。なんでも、お知り合いだったみたいで」

「ポッドが?初耳だな……」

「よく飲みに来られていたそうですよ。その時には屋台のおじさんも一緒だったようで」

ああ、そういえばそんなことを聞いたな。あれ、でも確か、先代はオヤジの店の常連だったんじゃ……

「とまあそういう経緯で、ポッドさんからここのことを教えてもらったんです。ユキさん、きっと先代さんに会ったことないと思ったから、挨拶だけでもできればと思ったんですけど……余計なお世話でした?」

「あいや、そんなことはないさ。いい機会をもらったよ。サンキューな、ルゥ」

「いえ、それならよかった。あ、わたし、お水汲んできますね!この上にチャペルがあるんです!」

ルゥはそういうと、丘の上に見える白い建物へと駆けていった。気を使ってくれたのだろう。

「先代……」

俺はゆっくりひざを折ると、墓碑に刻まれた文字を見つめた。

『レイセン・アオギリ ここに眠る……友と……する娘を……ながら』

文字はかすれが激しく、名前以外ほとんど読めない。
変だな。先代が亡くなってから、まだ数年しか経っていないはずだが。どうして石がこんなに擦り減るのだろう?


「よう」


……考え事をしていたせいで、そのとき起こったことをとっさに呑み込めなかった。
俺の横に、誰かが立っている。今の今まで、俺以外誰もいなかったはずの墓地に、だ。

「お前さん、ユキとかいうやつだろ?」

名前を呼ばれて、俺はそちらを向くしかなくなった。

そこにいたのは、顔の半分まで届く傷跡を持つ老人だった。

「ぁ……」

くそ、声がかすれてうまくでない。俺は咳ばらいをすると、その老人……に、声をかけた。

「あなたは……アオギリ組長、ですか」

「ああ。そこの石ころの下にいるのと、おんなじ人間だよ」

……!自分で聞いておいてなんだが、目の前の現実にくらくらした。いや、俺は夢でも見てるのだろうか?

「まぁだが、今のワシは人間と呼べるのか怪しいところだがな。なあおい、幽霊は人間の内に入ると思うか?」

「え……」

「わっはっは!冗談だよ。幽霊ってのは冗談じゃないがな」

むしろそこが一番冗談なんだが……

「え……じゃ、じゃああなたは、本当に先代の幽霊……?」

「だからそうだと言っとろうが。……とはいえ、驚くのも無理ないか。ワシだって驚いたもん」

「えー……すみません、何から聞いたらいいものか」

「うむ。だがな、ワシもお前さんに聞きたいことがあるんだよ」

「へ?俺に?というか、そういえばなんで俺の事知って……」

「ええい、ややこしくなる!まずはワシが聞く、それからお前!これでいいか?」

「あ、はい……」

「じゃ、一つたずねるがな。お前さん、キリーの彼氏か何かか?」

「は?いえ、ただの組員ですよ」

「ほんとかぁ?付き合ってないだけで、裸の付き合いはあるとかじゃありゃせんか?」

「ないです!幽霊だったら、その辺も覗けてたんじゃないんですか?」

「うーん。幽霊っていうのも、たぶんそうだろうっちゅう話だからなぁ。感覚としては、眠っとるのに近いんだ。深く眠り、目が覚めとる時だけこうして出歩ける」

「え?じゃあ宙を飛んだり、壁をすり抜けたりは?」

「できる。できるが……お前、自分の体が壁や人を通り抜けるとこ、想像できるか?」

「いや、それはさすがに……俺は幽霊じゃないですし」

「だろ?自分の想像できないことをするのは難しいんだ。たとえ幽霊になっても、な」

「はぁ……そういうものですか」

「そういうもんだ。っと、話がそれたが、それじゃキリーはまだ独り身か?」

「ええ。俺の知る限りでは」

「ううむ、そうか。ほっとしたやら、心配やら……」

アオギリはぬぅんと唸っている。その姿は娘を案ずる父親そのものだった。

「お前さんが組に出入りするようになったのは知っとったんだが、いつも付きっ切りというわけにもいかんくてな。まあいい、それじゃお前さんの番だ。何が知りたい?」

「え。あ、えっと」

しまった、何も考えてなかった。えーと、うーん……

「まず、あなたは……どうして幽霊に?」

「どうして?おいおい、難しいことを聞くな。ワシだって仕組みを理解しとるわけじゃないぞ」

「あ、そりゃそうか。ええっと、何か理由とか、この世界じゃこれが当たり前だとかは……?」

「さぁてな。……それより、“この世界”っつったか?」

あ。しまった、つい話の流れで言ってしまった。異世界から来たなんて、言っても信じてもらえないよな。

「あの、すみません。気にしないで……」

「なあ、お前さんよ。もしかして、お前も“あっちから”来たのか?」

ドクン。
心臓が高鳴った。アオギリは、どういう意味で言っているんだ……?

「……信じられないかもしれませんが。俺は、こことは違う世界からやってきたようなんです」

「……ま、にわかには信じがたい話だな」

「……」

「だが、信じる。ワシもそうだ」

「っ!」

まさかと思う一方で、どこか腑に落ちるところもあった。

「ワシは、東京のヤクザだった。それが気づいたら、こっちに飛ばされていたのさ。お前さんもそうなんだろ?」

「……わかりません。たぶん、そうだろうとは思いますが」

「うん?どういう意味だ」

「記憶がないんです。昔のことは、断片的にしか覚えていなくて」

「なんだそりゃ。記憶喪失か?ったく、漫画みてぇな話だが、違う世界なんてのが土台にある以上、何があっても不思議じゃねぇか」

カカカ、と自称幽霊の老人は笑った。

「しかしそりゃ、ずいぶん苦労しただろうな」

「いえ、それほどでは。キリーたちに、ずいぶん助けてもらったんです」

「そうか。あいつら、いいやつだろ?」

「ええ。とても」

俺とアオギリ老人は、にやりと笑いあった。

「けどそれなら、聞きたいことが山ほどあるな。どうして世界を飛ぶなんてことが起こったのか……」

「それも重要だが、お前さん。近頃、どうにもきな臭いにおいがするんだが。違うか?」

言われて、俺はハッとした。アオギリは、マフィアとの闘争のことを言っているんだ。

「……ええ、じつは。首都でマフィアとの抗争が起こったんです」

「マフィアどもが……?」

「ええ。鳳凰会は奇襲を受け、大きな打撃を受けました。今もなお、マフィアによる攻撃が続いている状況です」

「んなばかな。連中にそんな力があったとは思えんぞ」

「どうやら、財界の一部と癒着しているようで。警察でも手を焼いているらしく、俺はマフィアを潰すことを条件に、一時的に保釈されているんです」

「……なんだかエライことになってるな。力を貸してやりたいところだが、生憎とワシは幽霊だ」

「ええ。ですが力の代わりに、知恵を貸してもらえませんか」

「知恵だと?自慢じゃないが、力よりもいっそう自信がないな」

「は、はは……その、マフィアを潰す方法なんですが。アプリコットが、マフィアはゴッドファーザーと呼ばれる人物を中心に回っている、ということを聞き出したんです」

「ほほう。やるな、猫め」

「ええ。ただ、そのゴッドファーザーの手掛かりがなくって。先代、そのことについて、何かお知りじゃありませんか?」

「……ああ。知ってることが、二、三、ある……」

「ほ、本当ですか!それは……先代?大丈夫ですか?」

「ああ、くそ……また眠くなってきやがった……」

アオギリは、ゆっくり体を傾けていく。足元はふらつき、危うく崖から転がり落ちそうだ。

「先代!」

「ちくしょう、すまねぇ……時間切れみてぇだ。だが、奴なら……」

「やつ?」

「ああ、奴に……ワシの友、ジャックスに……聞け……」

それを最後に、先代の体はぐらりと傾いた。
俺はとっさに手を伸ばしたが、やはりと言うべきか、するりと先代の体をすり抜けてしまった。

「先代っ!」

アオギリの体は、一瞬で崖の下に消えた。
俺は石ころを蹴飛ばしながら崖下をのぞきこんだが、そこにはアオギリの姿も、ものがどさりと落ちる音すらしなかった。

「っ……幽霊なら、怪我はしないはずだよな……?」

「ユキさん!?どうかされたんですか!」

振り返ると、ルゥが水桶と、小さな花束を抱えて走ってくるところだった。

「ルゥ。いや、すまない。大丈夫だ」

「そうですか……?」

「ああ。それより、ありがとな」

「へ?あ、ああ!いえ、いただいたものですから」

ルゥはぶんぶん髪を揺らすと、花束を俺に差し出した。

「ユキさん。こちら、お願いできますか?」

「ああ。もらうよ」

俺は受け取った花束を、そっと先代の墓前に添えた。今まで話していた人の墓の前というのも、妙な気分だ。
手を合わせて祈る俺の横に、ルゥもちょこんとしゃがんだ。

「……?」

「どうした、ルゥ?」

「あ、ごめんなさい。ユキさん、何をしてるのかなって」

「うん?特別何も、お墓の前で祈っただけさ」

「へぇ……アストラでは、お祈りをするんですね。獣人はお墓でお祈りってしないんです」

「そうなのか」

「魂は自然のあちこちに宿って、一つ所に留まっていないから……って、わたしも聞いただけなんですけど」

えへへと、少し寂しそうにルゥは笑った。
そうか、ルゥは一人で育ったから……親や兄弟に物語を聞くこともなかったんだ。

「……」

「ひゃっ。ゆ、ユキさん?」

なんだろう。俺は無性に愛おしくなって、ルゥの肩を抱きよせていた。
ルゥは気恥ずかしそうにもぞもぞしていたが、やがて俺にもたれて、身を任せてくれた。



「へくちっ」

しばらく寄り添いあっていると、ルゥが小さくくしゃみをした。気づけば日は傾きだし、さわさわと吹く風は少しだけ冷たいものになっている。

「ずいぶんゆっくりしちゃったな。そろそろ戻ろうか」

「あっ……」

俺が離れると、ルゥは子犬のような、名残惜しそうな目でこちらを見つめた。

「はは、そんな顔するなよ。また二人で出かけよう。抱っこくらい、その時にいくらでもするさ」

「ほ、ほんとですか!」

「お安い御用さ。けど遅くなるといけないから、今日はここまでだ」

「はい!約束、ですよ」

俺たちは手をつないで、ゆっくりと町を下って行った。

つづく
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