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第一章
第31話/Chairman
しおりを挟む室内は、驚いたことに和室だった。広大な部屋の一面に畳が敷かれ、壁際には屏風や掛け軸が見える。ちょうどその真ん中に、一人の老人が胡坐をかいて座っている。
「会長。メイダロッカ組が来ました。会長にご挨拶したいとのことです」
レスが老人に立って言う。その声を聞いて、老人はおもむろに顔をあげた。その顔は厳しく、刻まれたしわは深い。だが、その恰好が……真っ赤な生地に、可愛らしい魚がプリントされたシャツと、下は半ズボンという出で立ちだ。この人が、ヤクザの親分……?
「キリー……またきみの間違いじゃないよな?」
「ちょっとユキ。失礼だよ、両方に」
てことは、本当に本当なのか。
「ただ、間違いであってほしいとも思うけど……」
「え。それって」
そのとき、会長はしゃがれた、だが重みのある声を発した。
「メイダロッカぁ?」
「はい、会長。彼女が、その組長です」
キリーが一歩進み出て、会長に頭を下げる。
「お疲れさまです、会長。少し、お時間いただけますか」
会長はしばらくじっとキリーを見つめていたが、やがてにかっと顔をゆがませた。
「誰かと思えば、キリーちゃんじゃないの!ちょっと見ないうちに、ますますキレイになったねぇ」
「えへへ。ありがとうございます!」
「レスちゃんったら、言いかた固いんだもん。わし、殺し屋でも来たのかと思っちゃった」
「……そんなわけないでしょう。だったらお通ししませんよ」
「もう、レスちゃんったら冗談が通じないんだから」
「はあ……」
「あれ、会長?わたしより、そっちのほうがよかったですか?」
「わははは!キリーちゃんみたいなかわいい殺し屋だったら大歓迎だなぁ」
会長は豪快に笑う。キリーがいつもどおり話してくれて助かった。俺は口をぽかんと開けて、まぬけ面だったろうから。
「レスちゃん、何か飲み物でも持ってきてよ。プシュッとするヤツとかさあ」
「会長……一応、仕事中ですので」
「もー、固いこと言わないで~」
会長は笑いながら、レスのお尻をもふっと揉んだ。
「……」
レスは何も言わなかったが、俺はメガネの奥がギラリと光るのを見逃さなかった。
キリーは正座をして、会長の前に座る。俺もそれにならって、キリーの少し後ろに座った。
「すみません会長。今日はわたしたちからお話がありまして」
「あら、仕事ってキリーちゃんたちのことなの?それじゃあしょうがないか。やだなあ、最近こういうのばっかり。この前もウオノメ組がどうたら……」
「会長、チョウノメ組です」
「あ、そうそうそれそれ」
レスがすかさず突っ込む。さすがのキリーもあきれたように顔を引きつらせていた。
「あはは……実はその、チョウノメ組について相談したいんです」
「ふーん。っと、その前に。そいつ、だれ?」
会長はびしっと俺を指さした。
「確かキリーちゃんのとこって、女の子しかいないんじゃなかった?もしかして、彼氏?」
「へ、ああ。ご紹介が遅れました」
キリーはくるりと振り向くと、俺を手で指し示した。
「会長、ウチの新顔のユキです」
俺は無言で一礼だけした。会長は興味なさげに俺を一瞥する。この人、男と女で全然態度がちがうな……
「ふーん。ま、カレシじゃなくてよかった。そしたらワシ、泣いちゃうもん」
「はは……それで、本題なんですが」
「ああ、そうだった。なにか相談があるんだって?」
「はい。先日、会長がチョウノメ組に、ウチのシマを仕切る権利を認めたと聞きまして」
「え~?わし、そんなこと言ったかなぁ?レスちゃん、どうだっけ?」
「確かにおっしゃいましたね。先日、チョウノメ組長がいらした時です。……まあ会長は、何に対しても“ああわかった”しか返していませんでしたが」
「あ~……“雷獣”んとこの組か。すっかり忘れてた、アイツの話つまんないんだもん」
会長はあごをポリポリ掻いた。
「ごめんねキリーちゃん、そういうことみたいだよ」
「はい。ですので、会長からチョウノメ組にひと言……」
「あ~違う違う。これはわしじゃあ、どうにも出来ないってこと」
「え?」
「だって、わしが一度言っちゃったんだもん。今さらなかったことには出来ないよ~」
「で、でも……」
なおも食い下がろうとするキリーに、レスはぴしゃりといいのけた。
「メイダロッカ組長。会長の発言は絶対です。チョウノメ一家についてもそうですし、会長が出来ないとおっしゃっれば、それはどうにもならないんですよ」
レスの厳しい物言いに、キリーは言葉を失ってしまった。ヤクザの世界でほ、上下関係は絶対だ。上に噛み付くことは、決して許されない。
「うぅ……」
言葉に詰まってしまうキリー。そのとき、俺の中にある妙案が浮かんだ。
「キリー!ちょっと……」
「へ?ゆ、ユキ?」
俺はキリーの袖をちょいちょいと掴むと、声を潜めてささやいた。
「キリー、今回のことはしょうがない、諦めよう」
「ユキ!けどそれじゃあ……!」
「ああ。だから、別のことを頼んでほしいんだ」
「別のこと?」
「チョウノメ一家とは、こっちで話をつけることにする。だから本家には、その“協議の結果”を認めてもらいたい。そう言ってくれないか」
「え、え?」
「悪い、説明してる暇はないが……俺を信じてくれ」
キリーは俺の目をじっと見つめたが、すぐにこくりとうなずいた。キリーが会長に向き直る。
「会長。では、一つだけお願いしたいことがあります」
「うん?なにかな、キリーちゃんの頼みなら何でも聞いちゃうよ」
ちっ。デタラメ言いやがって、調子のいいじいさんだ。だったら発言を撤回してくれと言いたくなる。キリーはぎこちなく笑いながら続けた。
「……会長、チョウノメ一家に関しましては、わたしたちのほうで話をつけようと思います。ですので、その話し合いの“結果”を、本家で認めてくれませんか」
会長は目を大きく見開いたかと思うと、すぐにスッと細めた。
「なるほど……そうきたか。なかなかどうして、食えないねぇ」
にぃーっと、会長は歯を剥いて笑った。
「わかった。そん時は、わしが後ろ盾になってやろう。ただし、泣いても笑ってもその一回だけだ。二度目はないから、気を張りなよ」
「あ、ありがとうございます、会長」
拍子抜けするほどあっさりな回答に、キリーは若干面食らっていた。
「いいっていいって。わしは美人の頼み事には弱いんだ。それで、今日はそれだけ?この後は暇なの?」
「いえ、チョウノメ一家と、今夜落ち合う約束になってまして……」
「ちぇ、なんだよぅ。チョウノメのやつ、ほんとにせっかちなんだからなぁ。せっかくキリーちゃんと飲めると思ったのに」
「すみません。また次の機会にお願いします」
「わかった、わかった。今夜はレスちゃんと飲むことにするよ」
会長の言葉に、レスはぎくりと顔を歪ませた。キリーが立ち上がったので、俺も小さく一礼すると、それに続く。
「待ちな、兄ちゃん」
ぴたりと足を止める。振り返ると、会長は鋭いまなざしで俺を見ていた。
「兄ちゃん、名前なんっつったか、確か白い……ネギだっけ?」
た、確かに白いが……
「……ユキです」
「ああ、そうだそうだ。ユキ、お前さんの顔、覚えとくぜ」
会長の発言を聞いて、レスは珍しいとばかりに、目を丸くした。
「はい……?ありがとう、ございます」
よくわからないが、会長に顔が売れるのはいいことだろう。俺はぺこりとお辞儀して、今度こそキリーとともに部屋を後にした。
廊下を歩きながら、キリーはおどろいたように言った。
「すごいねぇ、ユキ。あの会長、男の人を覚える事なんて、めったにないんだよ」
「まあ、名前は覚えられてなかったけどな……」
「けどすごいよ……じゃなくって。ユキ、さっきのこと、どういう意味か説明してよ!あれでよかったの?」
「ああ。けど、ここだとあれだな……キリー、悪いがもう少し辛抱してくれ。今は一刻も早く、パコロに戻ろう」
「うぅ~……けど、そうだね。帰りの汽車でじっくり聞かせてもらうから。急ごう!大丈夫、今回はちゃんと客車に乗るからさ」
俺たちが汽車に乗り込む頃には、雨が再び勢いを増しつつあった。
帰り道はいたって平和で、妨害にあうことは一度もなかった。それどころか、庭に倒れていたはずの黒服たちすら、煙のように消えていた。
「一応、約束は守ってくれるみたいだね」
座席に腰を下ろしながら、キリーが言った。
「それは、さっきの話か?」
「うん。今夜わたしたちがチョウノメ一家と話をつけるまでは、本家は口出ししないでいてくれると思う……それよりユキ!早く説明してよ。これで帰っちゃって、大丈夫なの?」
「ん、ああ。少なくとも、こっちでやれることは、もうないだろうから」
俺はジャケットの雨粒を払うと、キリーに説明を始めた。
「さっきも言ったけど、本家はどうあがいても動いてくれない。あそこで駄々をこねれば、俺たちが悪いことになってしまう」
「……そうだね。ユキの言うとおりだよ」
「だったらいっそのこと、黙っててほしかったのさ」
「うん?」
「ま、掻い摘めば、俺たちとチョウノメとでうまく話をつけるから、本家は黙ってそれを認めろってことだな」
「……つまるところ、チョウノメとケンカして、勝ったほうの言うことが正しいってこと?」
「そんなところだな。本家が助けてくれないなら、自分たちでどうにかするって言ったんだよ」
「ほぇ~……ユキって時々、すっごい大胆だよね」
「これしか思い付かなかっただけだよ。思いのほかあっさり認めてくれて助かった。キリーが気に入られてたおかげだな」
「ああ、あの人……基本的に女なら誰でも好きだから。若ければ特に」
「あ、そう……」
「けどそれなら、戻ったらチョウノメ一家と全面対決だね」
「ああ、最大の問題はそこなんだ。チョウノメ一家の規模を知らずに啖呵を切ったから。けっこう大きい組なのか?」
「ん?そうでもないよ、ヘーキヘーキ、わたしたちなら行けるって」
キリーは自信満々だ。なら、案外どうにかなるのかも知れないな。俺は流れていく雨粒を車窓越しに眺めながら、ほっと一息ついた。
俺たちがパコロに着く頃には、日はとっぷりと暮れ、遠くから雷鳴が聞こえる天気になっていた。
「さ、ユキ!早く事務所に帰ろ!」
「ああ。チョウノメの連中、もう押しかけてるかもしれないな」
ニゾーとの約束は夜だ。もう夜といえば夜だし、もっと遅い時間を指しているのかもしれない。
俺たちが駅舎を出ると、目の前の道路に一台の車が停まっていた。車は俺たちが差し掛かると、パッとヘッドライトをつけた。もしや、チョウノメ一家の差金か……?
「唐獅子!メイダロッカ!」
プップーと、気の抜けたクラクションが響く。俺をこう呼ぶのは、一人しかいなかった。
「ステリア!迎えに来てくれたのか」
「うん。もうチョウノメ一家がうじゃうじゃしてるから」
「なに!」
「あのままじゃ営業妨害、商売あがったり。早いとこなんとかしてもらわないと」
ステリアの店が開いていたところは、今まで見たことないが……それよりも、やはりチョウノメ一家は動き出していたか。事務所のみんなが危ない!
俺たちは、転がるように車に乗り込んだ。
「よし。ステリア、飛ばしてくれ!」
「アクセル全開だー!」
「言われなくても、そのつもり……!」
ギアをガチャンと切り替え、ステリアは猛烈な勢いでハンドルをさばいた。ギュギュギュギュ!タイヤが道路を擦り、雨に濡れるアスファルトは白い煙を吐いた。車は矢のようにすっ飛び、事務所への道をひた走る……
チョウノメ一家は、事務所をぐるりと取り囲むように鎮座していた。車は無造作に乗り捨てられ、道路をふさいでしまっている。
「また数が増えた。これじゃあ近寄れない」
ステリアがブレーキを踏む。
「いや、ここまでで十分だ。この先は自分の足で行くよ。ありがとう、ステリア」
俺はドアに手をかけ、外に飛び出ようとした。
「唐獅子、下りるのはまだ早い。もう少し近寄れる」
「え?」
「そうだよユキ、全然いけるじゃん」
「いや、どう見ても……」
なんだろう。キリーとステリアには、俺とは違う道が見えているようだ。ステリアはともかく、キリーのいう道って……
「しっかりつかまってて」
ステリアがギアをジャコンと入れる。俺は嫌な予感がして、シートベルトをしっかり締めた。
「ぶっ飛ばす!」
ギュオン!
車は力強い唸りをあげて、真っ直ぐチョウノメ一家に突っ込んでいく。だが目の前にはヤツらの車が停められ、道は潰えている。
「ど、どうするんだ!」
「直進できないなら、迂回する」
迂回?いやだめだ、道の両脇にも隙間なんか空いていない。
「無理だ!通れっこない!」
「迂回もできないなら……飛び越える!」
「ええー!」
メイダロッカ組事務所の前には、チョウノメ組組員がひしめいていた。あたりにはケンカの前の緊張と、興奮とがないまぜになって漂っている。もうじき、突入の号令がかかるはずだ。
そんな時、グオォンと、エンジンの重低音が聞こえてきた。見れば、一台の車がこちらへ走ってくる。
「なんだアイツ?ここが通行止めなのが見えないのか」
しかし車は止まるどころか、ますますスピードをあげてきた。
「なぁ、ヤバくないか……?」
「まずいぞ、突っ込む気だ!」
「うわぁあ!」
男たちは慌てて飛び退いた。だが車だってきっと激突して……
しかし車は、縁石で前輪を跳ね上げると、ギャルンッと飛び上がった。
ガシャアン!
車は男たちの車を踏みつけ、その上を強引に突き進む。そいつは包囲網を難なく突破すると、メイダロッカ組の前で停まったのだった。
そこから三人の男女がおりてくる。
「はい、到着」
「ひゅ~う。なんだかお股が、ぞわっとしたよ!」
「し、死ぬかと思った……」
俺はふらつく足で車を下りた。窓ガラスにぶつけた頭がガンガンしている。
「さ、連中が胆を冷やしてる間に、早く事務所へ行って」
「あ、ああ。ステリア、きみも早く」
「え?いや、私は組員じゃないし……」
「ばか、なに言ってるんだ。あれだけのことをして、連中がほっとくわけないだろ。ウチのほうがまだ安全だ。キリー、それでいいだろ?」
「うん。いこ、ステリア」
「……しょうがないか。わかった、お邪魔する」
ちょうどその時、頭の上からガラガラと窓の開く音と、にぎやかな声が聞こえてきた。
「ユキ!キリー、それにステリアも!戻りましたか!」
「あんたたち、遅いわよ!待ちくたびれて死ぬかと思ったわ!」
「みんな、おかえりー!」
事務所の窓からは、留守番のみんなが今にも落っこちそうなほど身を乗り出している。
「……まったく、にぎやかな歓迎だな」
「あはは!ねぇ、こういうにぎやかは嫌じゃないね!」
「ああ、そうだな」
俺とキリーはにやっと笑うと、事務所への階段を駆け上った。
続く
《次回は土曜日投稿予定です》
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