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第一章

第2話/Three-card

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「記憶喪失、かぁ……」

不思議なこともあるもんだ、という顔でキリーがこぼす。

「……ご自分の名前も、覚えてないんですか?」

金髪の少女・スーは、遠巻きにこちらを眺めながめながら言った。

「ああ……自分のことも、さっぱりなんだ」

「それは、困りましたね……」

「ホントだねぇ……」

俺の言い分に対して、キリーはうんうんうなずいている。

「いや、待ってくださいよ。あからさまな作り話じゃないですか」

しかし、黒髪のウィローはそうはいかないようだ。

「記憶喪失なんて、ごまかしの常套句でしょう!」

正直、俺も返す言葉が無かった。それを証明する証拠なんて出しようがない。どう説明したものかと頭を悩ませていると、キリーがこてんと首をかしげた。

「そうかなあ」

「もうっ。キリーはどうしてそうのんびりなんですか!」

「だってぇ。“わたしたちの敵”だったら、もっとうまく隠れるもん。ウィローも最初そう思ったでしょ?」

ウィローは初めて、たじろぐそぶりを見せた。

「それは、確かに……ぼさっとしてるな、とは思いましたけど」

「でしょ?暴れもしないし、悪い人じゃないなあって思ったの」

うむむ、とウィローは眉間にしわを寄せている。

「……もう、分かりましたよ。とりあえずは、その言い分を信じておいてあげます」

よかった。あらぬ疑いは晴れたみたいだ。

「けど、記憶が無いんですよね?そんな大事なものがなくなっちゃったなんて……どうすればいいのかな」

スーが眉をハの字にして言う。そんなスーを、ウィローが半目で睨んだ。

「そんなもの、この人の勝手でしょう」

「そ、そうだけど……」

スーは困ったように、ちらりとキリーを見た。そのキリーはあごに手を当て、うーんとうなっている。

「ん~。お兄さん、どうするの?」

「えっ。いや、どうしよう……」

突然話を振られた俺は、慌てて考えたが……いい案は思いつかなかった。

「……とりあえず、この辺りをうろうろしてみるよ。俺のことを知っている人が、いるかもしれないし」

「そっか。じゃあさ、その間ここで暮らしなよ」

「え」

「えぇっ!」

「はぁ!?」

俺とスーとウィローは、そろってキリーのほうを見た。しかし当のキリーは名案だ、とでもいうようにうんうんうなずいている。

「だって、お金がもったいないよ。野宿するには、このへん向いてないし」

「いや、しかし……」

「ていうかお兄さん、財布ある?」

あれ、そういえば。慌ててポケットをまさぐったものの、財布が見当たらない。落としたか、スられたかしたらしい。

「ない……」

「あー、やっぱり?じゃ、行くあてがないよね。ね、そうしようよ。スーもウィローもいいでしょ?」

キリーの問いに、スーはギクリと体を強張らせた。。

「わ、たしは、その」

「……はぁ。スー、諦めましょう。こうなると、キリーは譲りません。今までもそうだったじゃないですか」

ウィローは反論するかと思ったが、ことのほかあっさり承諾した。

「しょうがないですね。好きにしてください」

「いいのか?今更だが、俺は……」

「かまいません。こういうことも、一度や二度じゃないんで」

やれやれと、ウィローが黒髪を揺らす。こんなはちゃめちゃな状況に、慣れっこなんだろうか?

「そのかわり、あなたにはいろいろ聞きたいことがあります。まずは……」

「まぁまぁ、ウィロー。そういうことは明日にしよう?わたし今日は疲れちゃった」

ふわ~、とキリーが大あくびをこぼした。
いろいろあって忘れていたが、ずいぶん夜が更けている。

「キリー、あなたねぇ……」

「よしっ、ついてきて。スウィートルームに案内しまーす」

キリーはぴょん、とソファから飛び起きると、事務所の奥へと手招きした。どの口が言うんだと、ウィローがあきれている。

「あ、それとあなた」

「え、俺か?」

キリーについて行こうと立ち上がった俺を、ウィローが呼び止めた。

「女ばかりだからって、おかしなこと考えないでくださいね。変な気おこしたら、モノごと切り捨てますから」

「し、しないよそんなことっ」

「それが賢明かと」

「ほら、おにーさーん。はやくー」

もう、なんなんだ……俺は首筋をぽりぽりかきながら、キリーに続いて奥の廊下へ向かう。最近の女の子って、みんなこうなのか?顔を真っ赤にしているスーがかえって印象的だった。
薄暗い廊下には、わずかにコーヒーの香りが残っていた。途中に簡易キッチンがあり、そこにうず高く積まれたマグから漂っているようだ。自炊してるのかな?あまりうまくはいっていないようだが……
キリーはそこを通り抜け、奥の階段へと向かった。
階段の先は、のっぺりした白い廊下が続いていた。突き当りからは群青の空が顔をのぞかせている。その向こうはベランダになっているようだ。

「ここでーす」

キリーが一室の扉を開けた。

「前におじいちゃんが使ってた部屋なんだ。部屋のものは自由に使っていいよ。掃除は……」

キリーはすぅー、と壁のへりをこする。一瞬顔をしかめると、すぐに指を服にこすりつけ、取り繕うようににへらと笑った。

「大丈夫だと思うよ。たぶん」

「そ、うか。わかった」

「それじゃ、ゆっくり休んでね。おやすみ!」

「あ、ああ……」

おやすみ。俺が言い終える前に、キリーは扉をばたんと閉めて出ていった。

俺は部屋をぐるりと見渡した。
窓が一つに、ベッドが一つ。壁には大きな本棚が置かれている。ガラステーブルの上にはゴミやら雑誌やらが散らかっていて、月明かりに照らされた影が、独特の模様を床に描いていた。壁には過激な格好をした女性のポスターが貼ってあったが、日に焼けて色あせたそれは、かなりの年月を感じさせる。
おじいちゃんが使っていたと、キリーは言った。だが部屋の様子からして、ここはしばらく使われていない……ならここには、女の子だけが暮らしているのか?

「けど、それ以前に……」

ここは、いったいどこなのだろう。
俺はベッドにぎしりと腰かけた。
俺に一体何が起こったんだ?自分に関することが、頭からすっぽり抜け落ちていた。
この町は、どうにも普通じゃないらしい。俺はなにかの犯罪にでも巻き込まれたのだろうか。

「犯罪……」

さっきの薄暗い路地が頭をよぎる。苦しそうな男のうめきが、まだ耳に残っていた。
あの場にいたキリーたちは、果たして何者なんだ?もしかして俺は、とんでもないところで一晩を明かそうとしてるんじゃ……

俺がもんもんとしているうちに、夜はさらに深くなっていった。ベッドに横になってはいたが、とても寝れる気分じゃない。目を閉じていると、嫌でも疑念がわき上がってきてしまう。

「……くそ、冗談じゃないぜ」

無性に外の空気が吸いたい気分だった。あの、廊下の突き当り。あそこのベランダなら問題ないだろう。

キィ……
戸をそうっと開けると、しずかに廊下を歩く。ベランダから洩れるわずかな月の光が、歩ける程度に足元を照らしてくれた。

窓をカラカラと開けると、つんと鼻をつく潮風が顔を撫でる。目の前に広がる夜の海は、闇を溶かしたような漆黒だ。海の向こうに、煌々と光を放つ大きな建物が見える。工場でも建っているのだろう。

そのとき、ふわりと煙が目の前をよぎった。

「あれ、お兄さん?」

「うわっ」

びっくりした、ベランダにはキリーがいた。すみっこの室外機に腰掛け、タバコをくわえている 。
しかし、その恰好が……Yシャツ一枚を羽織っただけの、際どい服装だ。

「だぁ、ご、ごめん。気付かなくって」

「あはは、いいよー。わたし、そういうの気にしないから」

「そ、そうか……」

しかし……俺はあらためてキリーを見つめた。別に、いやらしい理由ではないぞ。ただ、その光景が、あまりに異質に思えたからだ。
月明りに青白く照らされたベランダで、キリーの口元だけが、タバコの火に照らされている。真っ白な肌に、オレンジ色の焦げ付く炎……まだ年端もいかない、おそらく俺よりは年下であろう少女が、白煙をくゆらせているその様は、あまりに倒錯的だった。

「……えっと、キリーさん?と呼べばいいかな」

「ぷへへっ、へんなの。キリーでいいよ」

「じゃあ、キリー。ひとつ、聞いていいか?」

「うん」

キリーはこちらを見ずに答えた。

「きみたちは……俺の知っている“ふつうの女の子”とは、だいぶ違って見える」

「うん。そうだね」

「きみたちは、なにか危険なことに巻き込まれているのか?」

「んー、たとえば?」

「例えばって……さっきの、路地裏でのことだよ。男の人が襲われていただろ?」

「ああ、あれ。別に、なんてことないよ。この町じゃよくあるんだ」

「……よくあることでも、危険なことに変わりはないじゃないか」

「うーん。じゃあ、これならどうかな」

キリーは、口から煙のわっかをポ、とはいた。

「わたしたちは“巻き込まれた”んじゃなくて、“当事者”だった」

「……な。それじゃまるで……」

いや。そこまで言って、俺は首を横に振った。

「あり得ない。それじゃきみたちがマフィアかギャングみたいだ。そんなこと……」

「わたしたちは、そういうのじゃないよ」

キリーが、かぶせるように言った。

「けど、まったく違くもない」

キリーの目線は、ぼんやり夜の町を見つめている。漂う煙が、彼女の髪に絡みつく。

「世間じゃ博徒とか、侠客とか、いろいろ呼ばれるけど……」

そこまで言うと、キリーは一度言葉を区切り、そして顔だけをこちらへ向けて言った。

「わたしたちはね、『極道ヤクザ』なんだよ。お兄さん」




続く
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