上 下
737 / 860
17章 再開の約束

5-2

しおりを挟む
5-2

「うわああぁぁぁぁ!助けて、たすけてくれええぇぇぇ!」

その兵士は、宙に手足をばたつかせ、声の限りに叫びながら、だが無情にもぐんぐんと落下していた。

(死ぬ……のか、俺は?嫌だ!だが、どうすることも……)

自慢の剣も、鍛え抜いた肉体も、この状況では何の役にも立たない。
彼は一の国ではそこそこ名の知れた勇士で、勇猛さと気高さ、そしてどんな時でも冷静沈着という、文武両道の騎士だった。だが、その彼を持ってして、目の前に迫る死の恐怖は、彼の理性をへし折るに十分な威力を発揮した。
しかし彼とて、戦いのさなかに命を落としたのであれば、こんな無様な命乞いなどしなかった。刃を交える戦闘において、生と死は紙一重。ひとたび油断すれば、死は一瞬にして彼の心臓を貫く。彼はそれを覚悟していたし、戦いの中で散ることは本望ですらあった。
しかし、今は……
こんなもの、戦いと呼べるものか。宣戦布告も何もなく、ただ突然、橋が崩れた。兵士たちは、血の一滴、汗の一滴すら流していないのだ。それほどまで呆気なく、決着がつこうとしている。

「いやだ……こんなの……!」

迫ってくる堅い地面が、耳元で唸る風の騒ぎが、いやおうなしに想像させる。叩きつけられ、血と肉の塊になる自分。激突の衝撃で、骨が砕かれ、内臓が破裂する自分。敵の一体も倒すことなく、ただの犬死という最期を迎える自分。あと数秒で、光も、音も、寒さも、痛みも、何もかも感じなくなる自分。

「いっ……いやだぁ……!死にたく、ない……!」

目の前がじんわりと滲んでいく。地面は見えなくなったが、それで大地が消えてくれるはずもない。ああ、もうあと数秒で、距離がゼロになる。あと五十メートル……十メートル……
そして、その時が訪れた。ぐんっ。衝撃が走り、兵士は恐ろしさに目をぎゅっと閉じた。

「………………?」

ふと、疑問に感じる。衝撃を受けたのに、どうして目を閉じることができたのか。あの高さから落ちれば、間違いなく即死するはず。それなのに今、どうして自分は、こうして思考を続けていられる?
少しだけ冷静さを取り戻した兵士は、次に耳元で唸っていた風が、次に全身を包んでいた浮遊感が無くなっていることに気付く。さすがにおかしいと思った彼は、ゆっくりと目を開けた。

「なっ。なんだ、これ……?」

彼は目を見開くと、自分の状況を、ゆっくりと理解した。どうやら兵士は、花畑の上空に静止しているようだ。上空といっても、ほんの二、三キュビットほどしか離れていない。地面に生える、小さな花の花弁が目視できるほどだから、激突の寸前だったことは間違いないようだ。

(よく、わからないが……俺は、助かった、のか?)

ふと気が付くと、周囲からも戸惑いの声が聞こえてきていた。彼は宙吊りの姿勢のまま、辺りを見回す。すると、彼と同じように、大勢の兵士、魔術師、馬や牛といった動物たちが、まるで空間に糊付けされたかのように浮かんでいるではないか。

「なんだ、これは……!」

一目見ただけでも異常だと分かるが、今回に関しては、喜ばしい異常事態に思えた。どうやら、犠牲者は出ていない様子だ。花畑は前と変わらず美しい。血飛沫や肉片は、ほんのわずかも飛び散ってはいなかった。

「けど、それなら……何が、起こったんだ?」

奇跡が起こったとしか思えないが、彼はまだ、それを喜ぶほどの余裕を取り戻していなかった。恐る恐る、この現象の理由を探して、あちこちに目を向ける。ふと、一人の少女が空に浮かんでいるのを見つけた。辺りには大勢の人間が浮かんでいるが、あの少女だけは、自分の意志で宙を移動しているように見える。
少女は虚空を蹴るように、空を“走って”いた。そうやって、周囲の人々の間を移動すると、皆が無事かどうかを確かめている様子だ。じきに少女は、兵士のそばまでやって来た。

「あっ、き、君は……?」

「おにーさん、だいじょーぶ?おにーさんが一番下だったんだね」

「えっ、あ、ああ……幸い、大事ないが……」

「よかったぁ」

少女はにっこりと、野に咲く花のような笑みを浮かべた。兵士は困惑した。一体、この少女は何者だ?少女の髪は燃えるような赤色で、服は何とも奇妙な、ひらひらとした格好だ。



「悪いけど、ボク、まだやることあるからさ。じゃーね、おにーさん!」

「あ、おい!」

少女はそう言い残すと、まるで地面を走るように、空を“駆け上がって”行った。兵士はただぽかんと、その後姿を見送ることしかできなかった。

「な、なんなんだ?あの子は……」



(な、な、なにこれ。どうなってるの?)

ボクの耳元で、ライラの戸惑う声がする。けれど、ライラの姿はない。耳元ってのも正確じゃないな。この声は、ボクの頭の中から……正確には、魂の中から聞こえてくるのだから。

「ライラ、そんなに慌てないでよ。見ての通り、ボクたちは間に合ったんだからさ」

(え、え?この声……だ、だれ?桜下なの?)

「そうだよ!ひどいなぁ、だれ?だなんて」

ボクは頬を膨らませたけど、今のライラには見えないことを思い出した。毎度のことだけど、ボクと魂を合体させたアンデッドは、最初必ず戸惑うんだよね。

(なんだか、不思議な感じ……ライラは今、ライラでもあるし、桜下でもあるみたい)

「そう?そんなこと、些細なことだと思うけどなぁ。だって、ワクワクしないかい?」

(え?)

「こんな時だけどさ、ボク、なんだか今なら、なんだってやれそうな気がするんだ!」

胸の奥から、力が沸き上がってくる。こんなの、じっとしてなんていられない!

「よーし!とりあえず、みんなのところへ行こう!」

(う、うん!)

ボクは空気を“蹴って”、すいすい空へと昇って行った。やがて、ふわふわ浮かんでいる仲間たちの姿が見えてくる。

「おーい!みんな、大丈夫だった?」

みんなの下へ駆け寄ると、みんなはびっくりしたような、困惑したような顔で、ボクをまじまじと見た。

「えっ……と……」

ウィルは口を開こうとして、途中でやめてしまった。どうしてだろ?

「これは、あなたがやったの?」

おっ、フランがようやく訊いてくれたぞ。ボクは胸を張ってうなずく。

「そうだよ。正確には、ボクと、ライラがね」

「ライラ?あの子は、どこにいるの?」

「どこって、ここにいるじゃない」

ボクはとん、と胸を叩いた。フランが怪訝そうな顔をする。

「……確かにあなたは、ライラに似た女の子だけど。髪の色とか」

「えぇ?違うちがう、そうじゃないってば。ライラは、ボクと合体してるんだ。それにボクは、女の子じゃなくて、男の子だよ」

「……は?」

おー、珍しい。フランがぽかーんって口を開けて、固まっちゃった。おんなじくらい口を開けたアルルカが、わなわなしながら指をさす。

「あ、あ、あんた……桜下、なの?」

「だから、そうだってば。ボクは桜下!」

なんだったら、証明してあげよう。ボクはその場で、くるりんと回転してみせた。さあ、これで分かったんじゃないかな?あれ?アルルカの口が、さっきよりさらに開いた気がする。

「か、かわいい……」

へ?ウィルが、ヘンテコな顔をしているぞ。自分のほっぺたを、びよーんとつねっているせいだ。

「い、痛くない……夢かしら」

「いや、幽霊なんだから、痛みは感じないんじゃない?」

そんな当たる前のことを忘れるくらい、混乱してるってことかな。

「し、信じられませんよ。だって、こんなに可愛いが、桜下さんなわけないじゃないですか!」

ウィルはわなわな震える指で、ボクたちを指さした。

「失礼ですけど、桜下さんはもっと、世の中を馬鹿にしたような顔をしてました!」

「ほんとに失礼だね……あのねぇ。ウィルもよく知ってるでしょ?ソウルレゾナンスで合体したら、ボクの姿は大きく変わるんだってば」

経験済みのウィルなら、当然それも分かっているはずなのに。ボクの外見と性格、そして能力は、融合したアンデッドによって大きく異なる。今回はライラの魂の影響で、ずいぶん幼い姿になったみたいだ。

(そ、そういうことだったんだ……)

耳元では、ライラの納得したような、驚いたような声がする。

(フランやウィルおねーちゃんの時とは、全然違うんだね。ライラとだから、こうなったってこと?)

「その通り!それに、外見だけじゃないよ。ライラの力も、しっかり受け取ったからね!」

(ライラの、力?)

そう!それはもちろん、ライラの代名詞、魔力。だけど、ただそのままを受け取ったわけじゃない。ソウルレゾナンスは、足し算じゃなくて、掛け算なんだ。

「さーてと!おしゃべりもこのくらいにしよっか。ずいぶん落っこちちゃったから、ここから巻き返すよ!」

ボクは右手を、ひゅんっと振り上げた。そのとたん、宙に浮いていた仲間たちや、何人もの兵士たちが、ゆっくりと上昇し始める。

「ボクが、みんなを連れていくよ!」

飛べっ!次の瞬間、ボクらは一斉に舞い上がった。



つづく
====================

読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。

====================

Twitterでは、次話の投稿のお知らせや、
作中に登場するキャラ、モンスターなどのイラストを公開しています。
よければ見てみてください。

↓ ↓ ↓

https://twitter.com/ragoradonma
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔境に捨てられたけどめげずに生きていきます

ツバキ
ファンタジー
貴族の子供として産まれた主人公、五歳の時の魔力属性検査で魔力属性が無属性だと判明したそれを知った父親は主人公を魔境へ捨ててしまう どんどん更新していきます。 ちょっと、恨み描写などがあるので、R15にしました。

ハクスラ異世界に転生したから、ひたすらレベル上げしながらマジックアイテムを掘りまくって、飽きたら拾ったマジックアイテムで色々と遊んでみる物語

ヒィッツカラルド
ファンタジー
ハクスラ異世界✕ソロ冒険✕ハーレム禁止✕変態パラダイス✕脱線大暴走ストーリー=166万文字完結÷微妙に癖になる。 変態が、変態のために、変態が送る、変態的な少年のハチャメチャ変態冒険記。 ハクスラとはハックアンドスラッシュの略語である。敵と戦い、どんどんレベルアップを果たし、更に強い敵と戦いながら、より良いマジックアイテムを発掘するゲームのことを指す。 タイトルのままの世界で奮闘しながらも冒険を楽しむ少年のストーリーです。(タイトルに一部偽りアリ)

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

オタクおばさん転生する

ゆるりこ
ファンタジー
マンガとゲームと小説を、ゆるーく愛するおばさんがいぬの散歩中に異世界召喚に巻き込まれて転生した。 天使(見習い)さんにいろいろいただいて犬と共に森の中でのんびり暮そうと思っていたけど、いただいたものが思ったより強大な力だったためいろいろ予定が狂ってしまい、勇者さん達を回収しつつ奔走するお話になりそうです。 投稿ものんびりです。(なろうでも投稿しています)

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

若返ったおっさん、第2の人生は異世界無双

たまゆら
ファンタジー
事故で死んだネトゲ廃人のおっさん主人公が、ネトゲと酷似した異世界に転移。 ゲームの知識を活かして成り上がります。 圧倒的効率で金を稼ぎ、レベルを上げ、無双します。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

知識スキルで異世界らいふ

チョッキリ
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ

処理中です...