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15章 燃え尽きた松明
3-1 旅の一座
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3-1 旅の一座
サーカスだって?
俺たちがその奇妙な集団に近づいていくと、その手前でアルアが馬を止めていた。
「アルア嬢、こちらの方々は?」
エラゼムが問いかけると、アルアは煩わしそうな顔で、その一行を見回す。
「流れの芸人たちです。劇団旅烏、と言うそうで」
流石に年長のエラゼムには敬意を払っているのか、アルアはきちんとした受け答えをした。
「ほう、旅芸人の方たちですか。ですが、なぜこのような道端に?この花畑は美しい場所ですが、往来が多いとは言えますまい。大した来客は見込めないでしょう」
「この先に一つ、村があるんです。おそらくはそこが目当てでしょう。本公演の前に、最後の予行練習といったところではないですか」
「なるほど……」
へーえ、サーカスか。前にテレビじゃ見たことあるけど、本物を見るのは初めてだった。ウィルは俺の背中で、うきうきとはしゃいでいる様子だ。
「すごーい、いつ以来かしら!」
「ウィルは、サーカスを見たことあるんだ?」
「ええ。一度だけ、コマース村に一座の方がいらしたことがあるんです。私が子どものころでしたから、もう何年も前になりますね」
「ふーん。ここと同じとこか?」
「いえ、たぶん違います。もっとこじんまりした感じでした。この劇団は、結構大きいと思いますよ」
そうなのか。確かに、ずいぶんと人が多い。それによく見てみると、劇団員だけじゃなくて、見物人っぽいのもちらほらといるみたいだ。早くも噂を聞きつけた村人か、じゃなきゃ俺たちみたいな旅人が足を止めているのだろう。
俺たちの話を聞いていたエラゼムが、アルアへと話しかける。
「アルア嬢。旅程についてですが、今晩はこの先にあるという村で、宿をとるおつもりか?」
「……ええ、まあ。そのつもりでしたけれど」
「では、少し時間がありますな。よろしければ、この一座を見学してもよろしいでしょうか。なにぶん、物珍しいものですから」
おお、エラゼム!気が利くな。背後でウィルも喜んでいるのが分かる。アルアはかなり渋い顔をしていたが、断る理由が見つからなかったのか、最終的には首を縦に振った。
「……まあ、結構です。日没までに村に着けば、旅程は変わりませんから」
「そうですか。ありがとうございます」
エラゼムが礼をする。やったぜ、そうと決まれば、善は急げだ!俺はするりと馬から下りた。
「あ、まって桜下。ライラも行きたい!」
おっと。ライラがこちらに腕を伸ばしている。俺はライラのわきの下に手を突っ込むと、抱っこするように下ろしてやった。
「よし、早速行こうぜ。ウィル、ライラ。あ、フランも来るか?」
「ん、じゃあ」
「オッケー。行こう行こう!」
俺はライラと手を繋いで、旅団の下へと早足で歩いて行った。
「行ってしまわれましたな」
桜下達の背中を見送って、エラゼムは微笑ましいものを見る声で言った。彼はそのまま、頭上を見上げる。太陽に重なるようにして、アルルカが空で円を描いていた。どうやら興味が無いのか、下りてくる気配はなさそうだ。
「さて……時に、アルア嬢?」
自身もストームスティードから下りたエラゼムは、未だ馬上にいるアルアに声を掛けた。
「はい?」
「もしよろしければ、アルア嬢も見物に行かれたらいかがですか。馬は吾輩が見ておりますので」
「いえ、私は……」
「む、これは申し訳ない。要らぬおせっかいでしたかな」
「そういうわけでは……そこまで言うのでしたら、少しだけ足を伸ばしてきます」
アルアは渋々と言った様子で、鞍から下りた。
「では……すみませんが、よろしくお願いいたします」
アルアは手綱をエラゼムに渡す。それをエラゼムが受け取った後も、アルアはしばらくじっとしていた。ふいに口を開く。
「……あなたは」
「はい?なんでしょう」
「……いえ。なんでも、ありません」
アルアはゆるく首を振ると、とつとつと歩いて行った。その背中を見送りながら、エラゼムはあごのあたりを撫でる仕草をした。
「ふむ……」
「おおー。これは……」
なかなかすごいな。俺はサーカスを見学しながら唸る。
やっていることは、結構オーソドックスだ。ジャグリングとか、玉乗りとか。ただ、ジャグリングしているお手玉が燃えていたり、乗っている玉がでっかいアルマジロだったりするのは、全然オーソドックスじゃない。やっぱり、こっちの世界仕様にローカライズされているんだなぁ。
「っ!桜下、みてみて!」
ライラが手を引っ張ってくる。そっちの方を見ると、うおお。
「とっ、透明な馬……」
「ね。ストームスティードかなぁ?」
そこには、透明な馬に乗ったピエロがいた。なんで透明なのに分かるのかって?そりゃあ、派手な色の馬鎧を着ていたからだ。俺から見れば、鎧とピエロが宙に浮かんでいるように見える。奇妙な光景だ……いっつも乗る側だったから分からなかったけど、はたから見れば俺たちもあんな感じなのか……
俺たちがじっと見ていると、おん?透明な馬の表面を、さぁっと波が走ったように見えた。目の錯覚か?いや、そうじゃない。まるでペンキを上から垂らしたように、馬の姿が溶けるようにじわじわ現れた。馬の体は、アクアマリンで作られたような、澄んだ青色だ。
「なんだ、あの馬……氷ででもできてるのか?」
「惜しいね。あれは、水でできてるのさ」
う、お?いつの間にか、俺たちの後ろに女性が立っていた。ライラが驚いて、俺の後ろに隠れる。それを見て、女はケラケラ笑った。悪い人じゃなさそうだ。
女性の髪は鮮やかなオレンジ色で、顔にはハート形のペイントをしている。サーカスの人か。
「えっと……水って?」
「あれはケルピーってんだよ。透明になって、水に溶け込むことができるんだ。そんでもって、普通の馬の何倍も力持ちなのさ」
へえ~。ケルピー、聞いたこともないな。俺がしげしげとそいつを眺めていると、もう一人、別の男がこちらに近づいてきた。こっちの男の髪は緑で、シルクハットを被っている。顔にはひし形の刺青がしてあった。
「おや、これはこれは、小さなお客様方だ。この辺の村の子かい?よく来たね」
「へ?えっと……」
「楽しんでくれたかな?明日の本公演になると、もっと楽しい出し物がたくさん出るよ。ぜひ、お父さんとお母さんも誘ってきてね」
ははあ、なるほど。こうやって派手にリハーサルをしていたのは、告知も兼ねていたのか。そうなると、ちょっと申し訳なくなるな。俺たちは明日には、村を離れているだろうから。
そんな俺の微妙な表情を、緑髪の男はどう受け取ったのか、困ったように笑った。
「おや?ひょっとすると、まだ楽しめてもらえてないのかな?」
「え?いや、そういうわけじゃ」
「いやいや、子どもが遠慮しちゃあいけないよ。そうだな、なにか……あ、そこのお嬢ちゃん」
ん?男は、フランの方を向いた。するとその時、オレンジ髪の女の人が、なぜか顔をしかめたんだ。どういう意味だろ?俺が訊ねる前に、男はフランの方へと近づいていく。
「お嬢ちゃん、ちょっと失礼。後ろに何か付いてるよ」
「は?」
フランが怪訝そうな顔をする。男はそのまま、ひょいっとフランの腰元あたりに手を伸ばした。
「ほら、これ」
ずるる。男は、黒い布みたいなものを引っ張り出した。おお、さっきまで手には何も持ってなかったのに。この人は、手品師なのかな。けど、布一枚を取り出しただけじゃあ、大した腕じゃあないな。俺が内心で高を括っていると、男は引っ張り出した布を広げて見せた。
「ほらこれ、お嬢ちゃんのじゃない?」
「ぶふっ」
「なぁ!?」
それは、パンツだった。しかも、スケスケの大人パンツだ。フランはばっとスカートを押さえ、俺は茫然とする。フランって、あんなの履いてんのか……
「ちっ、違う!わたしんじゃない!」
フランはばっと腕を振り上げて、男の持つパンツを弾き飛ばした。そして俺の下へ詰め寄ってくる。
「ほら!わたし、ちゃんと履いてるから!」
「うわ、よせ、こんなところで!めくらなくていいから、分かったから!」
今にもスカートの中を晒そうとするフランの手を、必死に押さえつける。オレンジ髪の女性が、眉を吊り上げて男に怒鳴った。
「ちょっと!子ども相手に、恥ずかしくないのかい!」
「なに、ちょっとした余興ですよ、余興。楽しんでいただけたみたいだね。じゃあ、僕はこれで」
男は落としたパンツを拾い上げると、それをひらひらと振りながら去っていった。な、なんだ、あのパンツ自体が仕込みだったのか。それもそうだな、下着を服の上から引き出せるはずがない。
「ごめんね、坊やたち。気を悪くしないでおくれ。あたしたちの一座は、あんなイカサマ師ばかりじゃないからさ」
「ああ、うん。わかってるよ」
オレンジ髪の女性は、申し訳なさそうな顔をして去っていた。俺はフランの肩を叩く。
「災難だったな?」
「……あんなくだらない事に、いちいち腹は立てない」
「お、そうか?」
「でも、あなたに誤解されるのは嫌」
へ?フランはじっと、赤い瞳でこちらを見つめてくる。
「だ、だってあれは、インチキじゃないか。誤解なんて、しないって」
「ほんとう?」
うっ……一瞬、本物だと思ったってことは、黙っといた方がよさそうだな……
「桜下ぁ、手がびちょびちょだよ?」
うわっ。ライラがつないだ手を、にぎにぎしてくる。フランの目が一層険しくなった。
「そ、それよりほら!あっちに、面白そうなもんがあるぞ!行ってみよう!」
「わ、ちょっと桜下!」
その場から逃げ出すように、俺はライラを引っ張って行く。追いかけてきたウィルと、そしてフランに何か言及されるんじゃと冷や冷やしたが、幸いそうはならなかった。もっと珍しいものがあったんだ。
「わ、なんですかこれ……」
俺が向かった先には、羽の生えたライオン、だけど顔は人間の、スフィンクスがいたからだ。物珍しいそのモンスターは、不思議ななぞなぞを見物人に投げかけている。
「朝は十本脚、昼は零本脚、夜は六本脚の生き物は?」
なんだ、そりゃ?この世界には、そんなモンスターがいるのかな?俺たちも見物人に混じって頭をひねってみたが、さっぱり分からない。そんな中、フランがぽつりとつぶやいた。
「……蝶だ」
「へ?蝶?そんなヘンテコな蝶がいるのか?」
「朝昼夜ってのは、その生き物の一生を表しているんでしょ。芋虫は脚がたくさんあるし、蛹に足は無い。蝶になれば、脚は六本だ」
するとスフィンクスは、満足そうに微笑んだ。
「正解だ。知恵ある者よ」
おおーっ。周りから歓声が上がると、フランは照れ臭そうにうつむいた。へー、フランのやつ、生き物に詳しいな。俺なんて、蝶が何本脚かも知らなかったのに。
ガラガラガッシャーン!
「おわっ。な、なんだ?」
突然響いた、何かが崩れるような音。見物人や劇団員、それにスフィンクスまでもが目をしばたいて、辺りを見回している。演奏家も手を止めたのか、楽し気な音楽も止まった。
「いてててて!おい、放せって!」
「黙れ!破廉恥男め、恥を知りなさい!」
んん?この声は、もしや……
声の出所を目で追うと、そこには崩れた木箱の山があった。その山に埋もれるようにして、緑髪の男が倒れている。あいつ、さっきの手品師か?そして、その男をものすごい剣幕で睨みつけていたのは、事もあろうかアルアだった。
「そ、そうかりかりすんなよ。ちょっとしたジョークじゃないか……」
「お前は冗談で、女性にあんなことをするのか!言い訳する前に、少しは反省したらどうなんです!」
アルアが男の手をねじり上げると、男は悲鳴を上げてバシバシとタップした。かなり痛そうだぞ。
「おいおい、マジかよ!」
「桜下さん、あれ、マズいんじゃ……」
「だな。みんな、行こう!」
俺たちは騒然とする見物人たちをかき分けて、アルアのもとへ向かう。
「ひぃー、ひぃー!悪かった、悪かったから、もう勘弁してくれ!」
「謝るときは、きちんと目を見て謝りなさい!」
「おい、アルア!何やってんだよ!」
俺が声を掛けると、アルアは男の腕をひねったまま、ぎろっとこちらを睨む。
「黙れ!お前に口出しされる筋合いはない!」
「ちっ、ああそうかよ!でもな、いちおうあんたは、俺たちの同行者なんだ。そいつがこんな往来でケンカなんて始めちゃ、俺たちもうかうかしてられないんだよ!」
「なにを……!」
アルアはギリギリと歯を剥くばかりで、ちっとも耳を貸そうとしない。
「桜下さん、まずいですよ!」
ウィルが、腕をひねられている男の顔を見て、ばっとこちらに振り返った。確かに男の顔は、土気色になってきている。手品師の腕を折ったとなったら、大事だ。
「フラン!」
「わかった」
フランは二つ返事で、アルアの手を払いのけた。やっと解放された男は、転がるように逃げていく。
「あっ、何をする!」
アルアがフランを睨む。
「バカがこれ以上バカしないよう、止めた」
「なんですって……!なんの事情も知らないくせに!」
「だいたいは想像つくよ。けど、やりすぎ。あれだけやってもいいのは、お前があの男に殺されかかった時くらいだ」
フランの毅然とした態度に、アルアは少し怯んだようだった。何があったのか詳細は知らないけど、勘弁してもらいたいな。この騒動のせいで、この場にいるほとんどがこちらに注目している。楽しげだった雰囲気が一変して、気まずい空気だ。うぅ、視線がチクチク刺さる……ライラは俺の背中に隠れてしまった。
「桜下殿!みなさん!何がありましたか!?」
エラゼムが大慌てで、アルアの馬を引いてやってきた。
「ああエラゼム、ちょうどいいとこに来てくれた。それが、ちょっとトラブルがあってさ。で、ここを離れたほうがよさそうなんだ」
「は、はあ……承知しました。でしたら、すぐにでも出発しましょう」
「ああ。ライラ、頼めるか?」
「ん、わかった」
ライラは素早く呪文を完成させ、風の馬を呼び出した。俺たちとアルアはそそくさと馬に乗り込み、その場から逃げるように出発した。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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サーカスだって?
俺たちがその奇妙な集団に近づいていくと、その手前でアルアが馬を止めていた。
「アルア嬢、こちらの方々は?」
エラゼムが問いかけると、アルアは煩わしそうな顔で、その一行を見回す。
「流れの芸人たちです。劇団旅烏、と言うそうで」
流石に年長のエラゼムには敬意を払っているのか、アルアはきちんとした受け答えをした。
「ほう、旅芸人の方たちですか。ですが、なぜこのような道端に?この花畑は美しい場所ですが、往来が多いとは言えますまい。大した来客は見込めないでしょう」
「この先に一つ、村があるんです。おそらくはそこが目当てでしょう。本公演の前に、最後の予行練習といったところではないですか」
「なるほど……」
へーえ、サーカスか。前にテレビじゃ見たことあるけど、本物を見るのは初めてだった。ウィルは俺の背中で、うきうきとはしゃいでいる様子だ。
「すごーい、いつ以来かしら!」
「ウィルは、サーカスを見たことあるんだ?」
「ええ。一度だけ、コマース村に一座の方がいらしたことがあるんです。私が子どものころでしたから、もう何年も前になりますね」
「ふーん。ここと同じとこか?」
「いえ、たぶん違います。もっとこじんまりした感じでした。この劇団は、結構大きいと思いますよ」
そうなのか。確かに、ずいぶんと人が多い。それによく見てみると、劇団員だけじゃなくて、見物人っぽいのもちらほらといるみたいだ。早くも噂を聞きつけた村人か、じゃなきゃ俺たちみたいな旅人が足を止めているのだろう。
俺たちの話を聞いていたエラゼムが、アルアへと話しかける。
「アルア嬢。旅程についてですが、今晩はこの先にあるという村で、宿をとるおつもりか?」
「……ええ、まあ。そのつもりでしたけれど」
「では、少し時間がありますな。よろしければ、この一座を見学してもよろしいでしょうか。なにぶん、物珍しいものですから」
おお、エラゼム!気が利くな。背後でウィルも喜んでいるのが分かる。アルアはかなり渋い顔をしていたが、断る理由が見つからなかったのか、最終的には首を縦に振った。
「……まあ、結構です。日没までに村に着けば、旅程は変わりませんから」
「そうですか。ありがとうございます」
エラゼムが礼をする。やったぜ、そうと決まれば、善は急げだ!俺はするりと馬から下りた。
「あ、まって桜下。ライラも行きたい!」
おっと。ライラがこちらに腕を伸ばしている。俺はライラのわきの下に手を突っ込むと、抱っこするように下ろしてやった。
「よし、早速行こうぜ。ウィル、ライラ。あ、フランも来るか?」
「ん、じゃあ」
「オッケー。行こう行こう!」
俺はライラと手を繋いで、旅団の下へと早足で歩いて行った。
「行ってしまわれましたな」
桜下達の背中を見送って、エラゼムは微笑ましいものを見る声で言った。彼はそのまま、頭上を見上げる。太陽に重なるようにして、アルルカが空で円を描いていた。どうやら興味が無いのか、下りてくる気配はなさそうだ。
「さて……時に、アルア嬢?」
自身もストームスティードから下りたエラゼムは、未だ馬上にいるアルアに声を掛けた。
「はい?」
「もしよろしければ、アルア嬢も見物に行かれたらいかがですか。馬は吾輩が見ておりますので」
「いえ、私は……」
「む、これは申し訳ない。要らぬおせっかいでしたかな」
「そういうわけでは……そこまで言うのでしたら、少しだけ足を伸ばしてきます」
アルアは渋々と言った様子で、鞍から下りた。
「では……すみませんが、よろしくお願いいたします」
アルアは手綱をエラゼムに渡す。それをエラゼムが受け取った後も、アルアはしばらくじっとしていた。ふいに口を開く。
「……あなたは」
「はい?なんでしょう」
「……いえ。なんでも、ありません」
アルアはゆるく首を振ると、とつとつと歩いて行った。その背中を見送りながら、エラゼムはあごのあたりを撫でる仕草をした。
「ふむ……」
「おおー。これは……」
なかなかすごいな。俺はサーカスを見学しながら唸る。
やっていることは、結構オーソドックスだ。ジャグリングとか、玉乗りとか。ただ、ジャグリングしているお手玉が燃えていたり、乗っている玉がでっかいアルマジロだったりするのは、全然オーソドックスじゃない。やっぱり、こっちの世界仕様にローカライズされているんだなぁ。
「っ!桜下、みてみて!」
ライラが手を引っ張ってくる。そっちの方を見ると、うおお。
「とっ、透明な馬……」
「ね。ストームスティードかなぁ?」
そこには、透明な馬に乗ったピエロがいた。なんで透明なのに分かるのかって?そりゃあ、派手な色の馬鎧を着ていたからだ。俺から見れば、鎧とピエロが宙に浮かんでいるように見える。奇妙な光景だ……いっつも乗る側だったから分からなかったけど、はたから見れば俺たちもあんな感じなのか……
俺たちがじっと見ていると、おん?透明な馬の表面を、さぁっと波が走ったように見えた。目の錯覚か?いや、そうじゃない。まるでペンキを上から垂らしたように、馬の姿が溶けるようにじわじわ現れた。馬の体は、アクアマリンで作られたような、澄んだ青色だ。
「なんだ、あの馬……氷ででもできてるのか?」
「惜しいね。あれは、水でできてるのさ」
う、お?いつの間にか、俺たちの後ろに女性が立っていた。ライラが驚いて、俺の後ろに隠れる。それを見て、女はケラケラ笑った。悪い人じゃなさそうだ。
女性の髪は鮮やかなオレンジ色で、顔にはハート形のペイントをしている。サーカスの人か。
「えっと……水って?」
「あれはケルピーってんだよ。透明になって、水に溶け込むことができるんだ。そんでもって、普通の馬の何倍も力持ちなのさ」
へえ~。ケルピー、聞いたこともないな。俺がしげしげとそいつを眺めていると、もう一人、別の男がこちらに近づいてきた。こっちの男の髪は緑で、シルクハットを被っている。顔にはひし形の刺青がしてあった。
「おや、これはこれは、小さなお客様方だ。この辺の村の子かい?よく来たね」
「へ?えっと……」
「楽しんでくれたかな?明日の本公演になると、もっと楽しい出し物がたくさん出るよ。ぜひ、お父さんとお母さんも誘ってきてね」
ははあ、なるほど。こうやって派手にリハーサルをしていたのは、告知も兼ねていたのか。そうなると、ちょっと申し訳なくなるな。俺たちは明日には、村を離れているだろうから。
そんな俺の微妙な表情を、緑髪の男はどう受け取ったのか、困ったように笑った。
「おや?ひょっとすると、まだ楽しめてもらえてないのかな?」
「え?いや、そういうわけじゃ」
「いやいや、子どもが遠慮しちゃあいけないよ。そうだな、なにか……あ、そこのお嬢ちゃん」
ん?男は、フランの方を向いた。するとその時、オレンジ髪の女の人が、なぜか顔をしかめたんだ。どういう意味だろ?俺が訊ねる前に、男はフランの方へと近づいていく。
「お嬢ちゃん、ちょっと失礼。後ろに何か付いてるよ」
「は?」
フランが怪訝そうな顔をする。男はそのまま、ひょいっとフランの腰元あたりに手を伸ばした。
「ほら、これ」
ずるる。男は、黒い布みたいなものを引っ張り出した。おお、さっきまで手には何も持ってなかったのに。この人は、手品師なのかな。けど、布一枚を取り出しただけじゃあ、大した腕じゃあないな。俺が内心で高を括っていると、男は引っ張り出した布を広げて見せた。
「ほらこれ、お嬢ちゃんのじゃない?」
「ぶふっ」
「なぁ!?」
それは、パンツだった。しかも、スケスケの大人パンツだ。フランはばっとスカートを押さえ、俺は茫然とする。フランって、あんなの履いてんのか……
「ちっ、違う!わたしんじゃない!」
フランはばっと腕を振り上げて、男の持つパンツを弾き飛ばした。そして俺の下へ詰め寄ってくる。
「ほら!わたし、ちゃんと履いてるから!」
「うわ、よせ、こんなところで!めくらなくていいから、分かったから!」
今にもスカートの中を晒そうとするフランの手を、必死に押さえつける。オレンジ髪の女性が、眉を吊り上げて男に怒鳴った。
「ちょっと!子ども相手に、恥ずかしくないのかい!」
「なに、ちょっとした余興ですよ、余興。楽しんでいただけたみたいだね。じゃあ、僕はこれで」
男は落としたパンツを拾い上げると、それをひらひらと振りながら去っていった。な、なんだ、あのパンツ自体が仕込みだったのか。それもそうだな、下着を服の上から引き出せるはずがない。
「ごめんね、坊やたち。気を悪くしないでおくれ。あたしたちの一座は、あんなイカサマ師ばかりじゃないからさ」
「ああ、うん。わかってるよ」
オレンジ髪の女性は、申し訳なさそうな顔をして去っていた。俺はフランの肩を叩く。
「災難だったな?」
「……あんなくだらない事に、いちいち腹は立てない」
「お、そうか?」
「でも、あなたに誤解されるのは嫌」
へ?フランはじっと、赤い瞳でこちらを見つめてくる。
「だ、だってあれは、インチキじゃないか。誤解なんて、しないって」
「ほんとう?」
うっ……一瞬、本物だと思ったってことは、黙っといた方がよさそうだな……
「桜下ぁ、手がびちょびちょだよ?」
うわっ。ライラがつないだ手を、にぎにぎしてくる。フランの目が一層険しくなった。
「そ、それよりほら!あっちに、面白そうなもんがあるぞ!行ってみよう!」
「わ、ちょっと桜下!」
その場から逃げ出すように、俺はライラを引っ張って行く。追いかけてきたウィルと、そしてフランに何か言及されるんじゃと冷や冷やしたが、幸いそうはならなかった。もっと珍しいものがあったんだ。
「わ、なんですかこれ……」
俺が向かった先には、羽の生えたライオン、だけど顔は人間の、スフィンクスがいたからだ。物珍しいそのモンスターは、不思議ななぞなぞを見物人に投げかけている。
「朝は十本脚、昼は零本脚、夜は六本脚の生き物は?」
なんだ、そりゃ?この世界には、そんなモンスターがいるのかな?俺たちも見物人に混じって頭をひねってみたが、さっぱり分からない。そんな中、フランがぽつりとつぶやいた。
「……蝶だ」
「へ?蝶?そんなヘンテコな蝶がいるのか?」
「朝昼夜ってのは、その生き物の一生を表しているんでしょ。芋虫は脚がたくさんあるし、蛹に足は無い。蝶になれば、脚は六本だ」
するとスフィンクスは、満足そうに微笑んだ。
「正解だ。知恵ある者よ」
おおーっ。周りから歓声が上がると、フランは照れ臭そうにうつむいた。へー、フランのやつ、生き物に詳しいな。俺なんて、蝶が何本脚かも知らなかったのに。
ガラガラガッシャーン!
「おわっ。な、なんだ?」
突然響いた、何かが崩れるような音。見物人や劇団員、それにスフィンクスまでもが目をしばたいて、辺りを見回している。演奏家も手を止めたのか、楽し気な音楽も止まった。
「いてててて!おい、放せって!」
「黙れ!破廉恥男め、恥を知りなさい!」
んん?この声は、もしや……
声の出所を目で追うと、そこには崩れた木箱の山があった。その山に埋もれるようにして、緑髪の男が倒れている。あいつ、さっきの手品師か?そして、その男をものすごい剣幕で睨みつけていたのは、事もあろうかアルアだった。
「そ、そうかりかりすんなよ。ちょっとしたジョークじゃないか……」
「お前は冗談で、女性にあんなことをするのか!言い訳する前に、少しは反省したらどうなんです!」
アルアが男の手をねじり上げると、男は悲鳴を上げてバシバシとタップした。かなり痛そうだぞ。
「おいおい、マジかよ!」
「桜下さん、あれ、マズいんじゃ……」
「だな。みんな、行こう!」
俺たちは騒然とする見物人たちをかき分けて、アルアのもとへ向かう。
「ひぃー、ひぃー!悪かった、悪かったから、もう勘弁してくれ!」
「謝るときは、きちんと目を見て謝りなさい!」
「おい、アルア!何やってんだよ!」
俺が声を掛けると、アルアは男の腕をひねったまま、ぎろっとこちらを睨む。
「黙れ!お前に口出しされる筋合いはない!」
「ちっ、ああそうかよ!でもな、いちおうあんたは、俺たちの同行者なんだ。そいつがこんな往来でケンカなんて始めちゃ、俺たちもうかうかしてられないんだよ!」
「なにを……!」
アルアはギリギリと歯を剥くばかりで、ちっとも耳を貸そうとしない。
「桜下さん、まずいですよ!」
ウィルが、腕をひねられている男の顔を見て、ばっとこちらに振り返った。確かに男の顔は、土気色になってきている。手品師の腕を折ったとなったら、大事だ。
「フラン!」
「わかった」
フランは二つ返事で、アルアの手を払いのけた。やっと解放された男は、転がるように逃げていく。
「あっ、何をする!」
アルアがフランを睨む。
「バカがこれ以上バカしないよう、止めた」
「なんですって……!なんの事情も知らないくせに!」
「だいたいは想像つくよ。けど、やりすぎ。あれだけやってもいいのは、お前があの男に殺されかかった時くらいだ」
フランの毅然とした態度に、アルアは少し怯んだようだった。何があったのか詳細は知らないけど、勘弁してもらいたいな。この騒動のせいで、この場にいるほとんどがこちらに注目している。楽しげだった雰囲気が一変して、気まずい空気だ。うぅ、視線がチクチク刺さる……ライラは俺の背中に隠れてしまった。
「桜下殿!みなさん!何がありましたか!?」
エラゼムが大慌てで、アルアの馬を引いてやってきた。
「ああエラゼム、ちょうどいいとこに来てくれた。それが、ちょっとトラブルがあってさ。で、ここを離れたほうがよさそうなんだ」
「は、はあ……承知しました。でしたら、すぐにでも出発しましょう」
「ああ。ライラ、頼めるか?」
「ん、わかった」
ライラは素早く呪文を完成させ、風の馬を呼び出した。俺たちとアルアはそそくさと馬に乗り込み、その場から逃げるように出発した。
つづく
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〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
オタクおばさん転生する
ゆるりこ
ファンタジー
マンガとゲームと小説を、ゆるーく愛するおばさんがいぬの散歩中に異世界召喚に巻き込まれて転生した。
天使(見習い)さんにいろいろいただいて犬と共に森の中でのんびり暮そうと思っていたけど、いただいたものが思ったより強大な力だったためいろいろ予定が狂ってしまい、勇者さん達を回収しつつ奔走するお話になりそうです。
投稿ものんびりです。(なろうでも投稿しています)
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
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お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
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注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
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若返ったおっさん、第2の人生は異世界無双
たまゆら
ファンタジー
事故で死んだネトゲ廃人のおっさん主人公が、ネトゲと酷似した異世界に転移。
ゲームの知識を活かして成り上がります。
圧倒的効率で金を稼ぎ、レベルを上げ、無双します。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
【短編】冤罪が判明した令嬢は
砂礫レキ
ファンタジー
王太子エルシドの婚約者として有名な公爵令嬢ジュスティーヌ。彼女はある日王太子の姉シルヴィアに冤罪で陥れられた。彼女と二人きりのお茶会、その密室空間の中でシルヴィアは突然フォークで自らを傷つけたのだ。そしてそれをジュスティーヌにやられたと大騒ぎした。ろくな調査もされず自白を強要されたジュスティーヌは実家に幽閉されることになった。彼女を公爵家の恥晒しと憎む父によって地下牢に監禁され暴行を受ける日々。しかしそれは二年後終わりを告げる、第一王女シルヴィアが嘘だと自白したのだ。けれど彼女はジュスティーヌがそれを知る頃には亡くなっていた。王家は醜聞を上書きする為再度ジュスティーヌを王太子の婚約者へ強引に戻す。
そして一年後、王太子とジュスティーヌの結婚式が盛大に行われた。
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