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12章 負けられない闘い
8-2
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8-2
ひえぇ……言っちゃったよ。フランの言葉は相変わらず鋭く、容赦がない。俺たちは慣れているけれど、キサカは……
キサカは、フランの視線を、ただ静かに受け止めていた。
「ええ、そうね。フランセスさん、あなたの言う通りだわ。私は、あなたたちを自分の贖罪に利用しようとしていた。ごめんなさい」
キサカは頭を下げた。素直に謝られて、面食らったのはフランの方だ。むすっとした顔で口を開く。
「……謝られても、あなたの望むようにするつもりはないけど」
えっと、どうするべきかな。とりあえず、そろそろ間に入るか。このままだと喧嘩になるかもしれない。
「フラン、その辺にしといてくれ。それと、悪いなキサカ」
フランはむっとして眉を吊り上げ、反対にキサカは眉を下げて首を振った。
「けどさ、正直フランの意見には賛成だ。俺は口下手だから、あんたを上手に慰めるなんてできそうもないよ。ごめんな」
「謝らないで。彼女が言ったことは、すべて正しいわ。私が悪かったのよ」
「そう、か?まあ、あんたがそう言うなら……」
会話はそこで途切れた。気まずい沈黙があたりを包む。午後の陽ざしは少しずつ弱まりつつあり、部屋全体が薄暗くなったように感じた。
「……でも、それが彼女の真意なんでしょうか」
ふいに口を開いたのは、ウィルだった。
「エラゼムさんが言っていたように、シスターみたいな回復術師は、戦場においてはとても重宝されると聞いています。いくら融通が利かないと言っても、キサカさんは強い魔力の持ち主なんですよね。そんな人を、軍国主義の一の国が放っておくと思えますか?」
む、言われてみれば確かに。キサカの手前、返事はできないので、ウィルは一人で喋り続ける。
「フランさんが言ったとおり、この人にやる気がなかっただけかもしれませんが。今までの会話を聞く限り、あまりそういう人には思えないというか……なにか、他の事情があるんじゃないですか?それを聞いてみたほうがいいんじゃ……」
なるほど、一理あるな。やる気がないという理由で、“あの”ノロが、戦線から離れることを許可するだろうか?ないだろ、絶対。俺は小さくうなずいて見せると、キサカに問いかける。
「なあ、キサカ。ひょっとして、何か事情があるんじゃないのか?」
「え?」
「あんたにもやむを得ない事情があったから、前線に立てなかったんじゃないかなって。いろいろ言っちゃった後だけど、あんたのことは何も知らないからさ」
「……」
キサカは押し黙ると、うつむいて、お腹の上で組んだ指を見つめた。西日が彼女の横顔を照らしている。口をまっすぐに引き結んで、何か思案しているみたいだが……
「……そう、ね。何を言っても、言い訳にしかならないと思うけれど。それでも良かったら、聞いてくれるかしら」
「ああ。こっちから聞いたんだから」
「ふぅ……本当に、あなたたちには驚かされるわ。私の内側を、ばすばす言い当ててくるんだもの。ほんと、先輩形無しね」
「内側?」
「かくしごと。桜下くんは自分を口下手だって言ったけれど、私も大概だわ。いろいろ伏せたまま話を進めようとするから、おかしなことになっちゃって……桜下くんが言ったことも、フランセスさんが言ったことも、どちらも正しいわ。ただ、少しだけ訂正するなら、私はやる気がないから前線に立たなかったわけではないの」
「何か、事情があるんだな?」
「事情というか……結局、私の力が弱いからなんだけれど。私の魔法はどんな怪我や病気でも治せるけど、無条件で何でもかんでも治せるわけではないの。必ず、代償が必要になるのよ」
俺は、ごくりとつばを飲み込んだ。
「代償……?」
「ええ。例えば、昨日の兵士さんを治した、『ライフライブラ』の魔法。あれは治した分が、どこかから引かれることになっているのよ」
治した分だけ引かれる……?キサカは意図的に主語を言わないでいる。だが、文脈から察するに……キサカは困ったように笑うと、するするとベッドのシーツをまくった。
「あまり、見ていて気持ちのいいものじゃないと思うけど……」
シーツの下から、出てきたキサカの足……灰色。彼女の右足の、くるぶしから先は、石のように冷たく、固まっていた。俺たちは息をのむ。
「これって……!」
「これが、代償よ。あの兵士さんが落とすはずだった命。その分の寿命が私から引かれて、その結果がこれ」
キサカはシーツを元に戻した。俺は急に、この部屋の光景が別のものに見え始めた。異様なまでに物が少ない部屋、真っ白で清潔なベッド……ここは、病室だ。
「ど、どうして……!いやそれより、大丈夫なのかよ!?」
「うぅんと。まあ、あまり大丈夫じゃないわね。今はつま先だけだけど、全身が石になったら、私は間違いなく死んでしまうから」
「死ぬって……」
「でも、安心して。あなたたちも見たでしょう?私が、老人から若返って見せたのを」
あ、ああ。そういえば、キサカは転生する能力を持っているんだった。けど、それも今聞くと……
「……なあ。ひょっとして、あの転生にも、なにかリスクがあるんじゃないのか……?」
「うふふ。本当に鋭い子ね……あの魔法は、『トランスミグレイション・アズ・ア・ヴァーゴ』と言うの。人に言わせれば、究極の魔法だそうよ。あの魔法は、例えどれだけ老いさらばえていようと、一日で若さを取り戻すことができる。どれだけ呪いを受けていようと、体がどれだけ朽ち果てていようと、手も足も内臓のほとんども無くなっていようと、すべてをなかったことにして、またやり直せるの。なんてずるいんだって思わない?」
「……」
俺はふと、嫌なことを考えてしまった。今キサカが言ったこと……手も、足も無くなるってのは、ただの例えだろうか?それとも……
「私はこの魔法があるから、実質なんの制限もなく光の魔法を使えるのよ。どれだけ高い代償でも、踏み倒してしまえばタダになるわけね」
「……まだ、その“究極の魔法”の代償を聞いてないぜ」
「うん?」
「今の話を聞く限り……光の魔法には、何の代償もないなんてことはないはずだ。だったら今頃、この一の国で死ぬ人はゼロ人になってるはずだからな」
「……」
キサカはゆっくりとまばたきをすると、諦めたように微笑んだ。
「……思い出よ」
「おも、いで?」
「そう。あの魔法は、使用するたび、過去の思い出が消えていくの。少しずつ、少しずつ。そうやって私は、自分が何者だったのかを忘れていくのよ」
絶句した。そんな……過去を失ったら、人はどうなるんだ。俺は俺であるのは、過去の俺がいるからだ。積み重ねてきた記憶が、今の俺を形作っている。それを失うということは……
「キサカ……あんたは……」
「ええ。いずれ、私はすべての記憶を……いいえ、それよりもう少し早いかしらね。自我が保てなくなるほどの記憶を失った時、私という人間は死ぬことになるでしょう」
死ぬ……人間性の喪失だ。すべての記憶、すべての過去、すべての思い出を失った時……そこに残るのは、人の形をした、抜け殻だ。
「もう、私は家族の顔を思い出せない。通っていた学校の事を思い出せない。好きだった人の名前も思い出せない……これが、私が前線を離れることになった理由。当時の皇帝さまは、私を短期間で使い潰すよりも、長期的に使い続けるほうが国益になると考えたのよ」
「使うって……!そんな、あんたは……道具なんかじゃ、ないだろ……」
俺がつぶやくように溢した言葉には、キサカはあいまいに笑うだけで返事をしなかった。
「……ごめんなさい」
唐突にフランが、キサカに向けて頭を下げた。
「わたし、なんにも知らずに……ひどいこと言った」
「そんな!本当に、あなたは正しい事を言ったのよ。私があなたたちを利用しようとしたのは事実だから。だから、お願いだから謝らないで」
「でも……」
「いいの。どんな理由であれ、私は戦いから退くことになった。こうして安全なところに匿われて、ぬくぬくと暮らし続けている……本当は私、あなたたちに負い目を感じていたのよ」
「負い目?」
どうしてキサカが、俺たちに負い目を感じる必要があるんだ。彼女は自分を犠牲にしてまで、人々を助けようとしているのに!
「だって、そうでしょう。あなたたち、とくに勇者である桜下くんは、毎日危険にさらされながら過ごしているのに。私は毎日楽をして、ずるいわよね。幻滅したでしょう。当然だわ……」
「え?ま、待ってくれ。いまいち噛み合わないんだけど。どうして俺が、あんたに幻滅するんだ。あんたのやってることは立派だよ。ふらふらしてる俺より、よっぽど」
「え?でも、桜下くんは勇者よね?だったら当然、魔物との戦いを強いられているんじゃ……?」
「普通の勇者なら、そうだろうけど。実は俺、勇者は落第させられたんだ。今はもうやめてる、元勇者なんだよ」
「え?え?ど、どういうことなの?勇者はやめようと思ってやめられるものじゃ……」
「まあ、そうなんだけどな……」
俺はかいつまんで、俺が勇者をやめることになった経緯を話した。話し終えると、キサカはぽかんと口を開けて固まった。
「まさか……そんな取引で、自分の自由を保障しただなんて……それで正体を隠していたのね……」
「まあ、そういうことなんだ。今の俺は、ただの気楽な旅人。今回は事情が事情だから、勇者のふりをしてるけどさ。だから、俺なんかに気を遣わないでくれよ」
「……ぷっ」
え?キサカは急に破顔すると、口元を抑えて笑い始めた。
「ぷふ。うふふふ。まさか、勇者をやめようだなんて思う子がいるだなんて……あはは」
「あぁ~っと……まあ、そういう感じになるよな」
「あ、ごめんなさい。馬鹿にしたわけじゃないの。そんなに柔軟に物事を考えられるんだなって。私じゃ絶対に無理だもの」
そりゃそうだろうな。自分を犠牲にしてまで人を助けようとする人が、俺みたいな不良勇者の思考を分かるはずないだろ。
「ああ、でもよかった。安心したわ」
「安心?」
「桜下くんが、勇者の宿命のせいで辛い目にあっていなくて。もちろん、何もかも辛くないだなんて、思ってはないけど……今日あなたたちを呼んだのは、私が引け目を感じていたこともあるけどね。純粋に心配だったのもあるのよ」
心配……確かにキサカは、いやに親身だった。
「その心配ってのは、勇者としての仕事で苦労してないかって、そういう事か?そりゃ確かに、魔王と戦えだなんて荷が重そうだけど……けど俺が知る限り、勇者ってそこまで辛い目にはあわなくないか?」
俺はすぐに王城を逃げ出してしまったが、ロア曰く、本来なら壮大な送迎式が開かれていたとか。勇者の下には腕利きの冒険者(しかも美形ばかり)が集まり、仲間にしてくれとせがむ。城からはたっぷり小遣いももらえる。これだけ聞くと、いい事ばっかりに思えないか?
「ほら、あいつ。クラークだって、そんなにしんどい目にあってる風には見えなかったぜ?勇者はすっげえ強いんだし、戦いも楽勝だ。だから、そんなに自分を卑下しなくてもいいって言うか……」
「……そうね。今は、そうかもしれないわね」
……含みのある言い方だな。まるで、いつかはそうじゃなくなるみたいだ。
「キサカさんは、なにか知ってるのか?」
「……知っているわ。いいえ、ただ見てきたと言ったほうが正しいわね。この世界に来て四十年が経ったと言ったでしょう。その頃って、三十三年戦争が始まって間もないころだったの。今より戦略も技術も未熟で、手探りで戦っていたころよ」
四十年前……確か、初めて勇者が召喚されてから五十年くらいだってことだから、キサカはかなり早い段階で召喚されていたんだな。
「あの頃は勇者の力も弱くて、戦いで苦戦することも多かったの。そんな時期がしばらく続いたわ……流れが変わったのは、ファーストくんが来てから」
「そうか……ん?てことは、ファーストより前の勇者たちは……」
「……」
キサカは悲しそうに目を伏せる。けど、そんなの答えを聞くまでもない。この世界では、基本的に勇者は一国につき一人だけ。キサカという例外はいるが、それ以外に特例はないはずだ。それなら……俺の脳裏に、今までの記憶がフラッシュバックした。かつてアニから聞いた、ドラゴンの犠牲になった勇者。三の国の慰霊碑にあった名前。
「そうか……勇者と言えど、無敵ではないってことなんだな」
「その通りよ。最初はみんな、好奇心が勝るの。物珍しい世界に、新しい力。まるで魔法にかかったみたいにね。けれど、戦いを続けるうちに、いつか気付くの。自分たちがしていることは、紛れもない命のやり取りなんだって。そうなると……解けた魔法は、もう二度と掛からない」
「……分かる気がするよ」
俺の魔法は、かなり早い段階で解かれたから。
「みんな最初は、きらきらした目をしているのよ。けれどだんだん、目から光がなくなっていって……本当に、見ていられなかったわ」
「そいつらは、俺みたいに逃げ出さなかったのか?」
「ほとんどは、そうよ。昔は今より、うんと監視が厳しかったの。それでも、たまに逃げようとした子はいたけれど……でも、どうしようもないわ。この世界のことは、みんな何一つ分からないのよ。逃げる場所も、生きていくすべも、なにも……」
「それもそうか……」
「今は、戦争は硬直状態だから、戦いって聞いてもピンとこないかもしれないわね。けど、そういう事が確かにあったのよ。私はずっと、その子たちが亡くなったという報せを、ただただ聞き続けてきた……だからせめて、もうこれ以上そんな子を出さないようにしたいって、そう思ったの」
「それで、俺をここに呼んだのか」
「ええ……けど、フランセスさんには見透かされてしまったわ。これがただの自己満足だって。結局私にできることは、ほとんどない……」
そんなことはない、と言いかけて、やめた。言ったらきっと、キサカはもっと落ち込むだろう。
「……この話、あいつにはしたのか?クラークには」
「ええ。でもあの子は、全く取り合おうとしてくれなかったわ。自分には正義を執行する義務があるんだって、頑なにね」
「ちっ。ホントにあいつは、カチカチ頭野郎なんだから」
「けど、最近はそんな子ばかりなの。いつからか、戸惑ったり、戦いを恐れる子がほとんどいなくなってしまって……私の話をしっかり聞いてくれたのは、あなたが初めてよ」
えぇ?先代の勇者たちは、みんなクラークみたいな連中だったのか?
「でも、本当に良かった。勇者をやめれたのなら、桜下くんはもう、戦いに巻き込まれずにすむはずよね。ううん、そうなってもらわないと。せめて、あなただけでも……」
キサカの言葉は、まるで別れの際の遺言のようだった。そのぞっとする響きに、思わず叫ぶ。
「キサカ……あんたは……あんたはどうなんだ?あんただって、一人の人間だろ!ここで力を使い続ければ、いずれあんたは……!」
キサカは瞳を伏せると、ゆるゆると首を振った。
「ありがとう。でも、私にできることは、これだけなのよ。他にできることはないし、居場所もない……今日はありがとう。なんだか、救われた気がするわ……」
そう言ってキサカは、弱弱しく、だがほっとしたように、笑った。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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ひえぇ……言っちゃったよ。フランの言葉は相変わらず鋭く、容赦がない。俺たちは慣れているけれど、キサカは……
キサカは、フランの視線を、ただ静かに受け止めていた。
「ええ、そうね。フランセスさん、あなたの言う通りだわ。私は、あなたたちを自分の贖罪に利用しようとしていた。ごめんなさい」
キサカは頭を下げた。素直に謝られて、面食らったのはフランの方だ。むすっとした顔で口を開く。
「……謝られても、あなたの望むようにするつもりはないけど」
えっと、どうするべきかな。とりあえず、そろそろ間に入るか。このままだと喧嘩になるかもしれない。
「フラン、その辺にしといてくれ。それと、悪いなキサカ」
フランはむっとして眉を吊り上げ、反対にキサカは眉を下げて首を振った。
「けどさ、正直フランの意見には賛成だ。俺は口下手だから、あんたを上手に慰めるなんてできそうもないよ。ごめんな」
「謝らないで。彼女が言ったことは、すべて正しいわ。私が悪かったのよ」
「そう、か?まあ、あんたがそう言うなら……」
会話はそこで途切れた。気まずい沈黙があたりを包む。午後の陽ざしは少しずつ弱まりつつあり、部屋全体が薄暗くなったように感じた。
「……でも、それが彼女の真意なんでしょうか」
ふいに口を開いたのは、ウィルだった。
「エラゼムさんが言っていたように、シスターみたいな回復術師は、戦場においてはとても重宝されると聞いています。いくら融通が利かないと言っても、キサカさんは強い魔力の持ち主なんですよね。そんな人を、軍国主義の一の国が放っておくと思えますか?」
む、言われてみれば確かに。キサカの手前、返事はできないので、ウィルは一人で喋り続ける。
「フランさんが言ったとおり、この人にやる気がなかっただけかもしれませんが。今までの会話を聞く限り、あまりそういう人には思えないというか……なにか、他の事情があるんじゃないですか?それを聞いてみたほうがいいんじゃ……」
なるほど、一理あるな。やる気がないという理由で、“あの”ノロが、戦線から離れることを許可するだろうか?ないだろ、絶対。俺は小さくうなずいて見せると、キサカに問いかける。
「なあ、キサカ。ひょっとして、何か事情があるんじゃないのか?」
「え?」
「あんたにもやむを得ない事情があったから、前線に立てなかったんじゃないかなって。いろいろ言っちゃった後だけど、あんたのことは何も知らないからさ」
「……」
キサカは押し黙ると、うつむいて、お腹の上で組んだ指を見つめた。西日が彼女の横顔を照らしている。口をまっすぐに引き結んで、何か思案しているみたいだが……
「……そう、ね。何を言っても、言い訳にしかならないと思うけれど。それでも良かったら、聞いてくれるかしら」
「ああ。こっちから聞いたんだから」
「ふぅ……本当に、あなたたちには驚かされるわ。私の内側を、ばすばす言い当ててくるんだもの。ほんと、先輩形無しね」
「内側?」
「かくしごと。桜下くんは自分を口下手だって言ったけれど、私も大概だわ。いろいろ伏せたまま話を進めようとするから、おかしなことになっちゃって……桜下くんが言ったことも、フランセスさんが言ったことも、どちらも正しいわ。ただ、少しだけ訂正するなら、私はやる気がないから前線に立たなかったわけではないの」
「何か、事情があるんだな?」
「事情というか……結局、私の力が弱いからなんだけれど。私の魔法はどんな怪我や病気でも治せるけど、無条件で何でもかんでも治せるわけではないの。必ず、代償が必要になるのよ」
俺は、ごくりとつばを飲み込んだ。
「代償……?」
「ええ。例えば、昨日の兵士さんを治した、『ライフライブラ』の魔法。あれは治した分が、どこかから引かれることになっているのよ」
治した分だけ引かれる……?キサカは意図的に主語を言わないでいる。だが、文脈から察するに……キサカは困ったように笑うと、するするとベッドのシーツをまくった。
「あまり、見ていて気持ちのいいものじゃないと思うけど……」
シーツの下から、出てきたキサカの足……灰色。彼女の右足の、くるぶしから先は、石のように冷たく、固まっていた。俺たちは息をのむ。
「これって……!」
「これが、代償よ。あの兵士さんが落とすはずだった命。その分の寿命が私から引かれて、その結果がこれ」
キサカはシーツを元に戻した。俺は急に、この部屋の光景が別のものに見え始めた。異様なまでに物が少ない部屋、真っ白で清潔なベッド……ここは、病室だ。
「ど、どうして……!いやそれより、大丈夫なのかよ!?」
「うぅんと。まあ、あまり大丈夫じゃないわね。今はつま先だけだけど、全身が石になったら、私は間違いなく死んでしまうから」
「死ぬって……」
「でも、安心して。あなたたちも見たでしょう?私が、老人から若返って見せたのを」
あ、ああ。そういえば、キサカは転生する能力を持っているんだった。けど、それも今聞くと……
「……なあ。ひょっとして、あの転生にも、なにかリスクがあるんじゃないのか……?」
「うふふ。本当に鋭い子ね……あの魔法は、『トランスミグレイション・アズ・ア・ヴァーゴ』と言うの。人に言わせれば、究極の魔法だそうよ。あの魔法は、例えどれだけ老いさらばえていようと、一日で若さを取り戻すことができる。どれだけ呪いを受けていようと、体がどれだけ朽ち果てていようと、手も足も内臓のほとんども無くなっていようと、すべてをなかったことにして、またやり直せるの。なんてずるいんだって思わない?」
「……」
俺はふと、嫌なことを考えてしまった。今キサカが言ったこと……手も、足も無くなるってのは、ただの例えだろうか?それとも……
「私はこの魔法があるから、実質なんの制限もなく光の魔法を使えるのよ。どれだけ高い代償でも、踏み倒してしまえばタダになるわけね」
「……まだ、その“究極の魔法”の代償を聞いてないぜ」
「うん?」
「今の話を聞く限り……光の魔法には、何の代償もないなんてことはないはずだ。だったら今頃、この一の国で死ぬ人はゼロ人になってるはずだからな」
「……」
キサカはゆっくりとまばたきをすると、諦めたように微笑んだ。
「……思い出よ」
「おも、いで?」
「そう。あの魔法は、使用するたび、過去の思い出が消えていくの。少しずつ、少しずつ。そうやって私は、自分が何者だったのかを忘れていくのよ」
絶句した。そんな……過去を失ったら、人はどうなるんだ。俺は俺であるのは、過去の俺がいるからだ。積み重ねてきた記憶が、今の俺を形作っている。それを失うということは……
「キサカ……あんたは……」
「ええ。いずれ、私はすべての記憶を……いいえ、それよりもう少し早いかしらね。自我が保てなくなるほどの記憶を失った時、私という人間は死ぬことになるでしょう」
死ぬ……人間性の喪失だ。すべての記憶、すべての過去、すべての思い出を失った時……そこに残るのは、人の形をした、抜け殻だ。
「もう、私は家族の顔を思い出せない。通っていた学校の事を思い出せない。好きだった人の名前も思い出せない……これが、私が前線を離れることになった理由。当時の皇帝さまは、私を短期間で使い潰すよりも、長期的に使い続けるほうが国益になると考えたのよ」
「使うって……!そんな、あんたは……道具なんかじゃ、ないだろ……」
俺がつぶやくように溢した言葉には、キサカはあいまいに笑うだけで返事をしなかった。
「……ごめんなさい」
唐突にフランが、キサカに向けて頭を下げた。
「わたし、なんにも知らずに……ひどいこと言った」
「そんな!本当に、あなたは正しい事を言ったのよ。私があなたたちを利用しようとしたのは事実だから。だから、お願いだから謝らないで」
「でも……」
「いいの。どんな理由であれ、私は戦いから退くことになった。こうして安全なところに匿われて、ぬくぬくと暮らし続けている……本当は私、あなたたちに負い目を感じていたのよ」
「負い目?」
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「だって、そうでしょう。あなたたち、とくに勇者である桜下くんは、毎日危険にさらされながら過ごしているのに。私は毎日楽をして、ずるいわよね。幻滅したでしょう。当然だわ……」
「え?ま、待ってくれ。いまいち噛み合わないんだけど。どうして俺が、あんたに幻滅するんだ。あんたのやってることは立派だよ。ふらふらしてる俺より、よっぽど」
「え?でも、桜下くんは勇者よね?だったら当然、魔物との戦いを強いられているんじゃ……?」
「普通の勇者なら、そうだろうけど。実は俺、勇者は落第させられたんだ。今はもうやめてる、元勇者なんだよ」
「え?え?ど、どういうことなの?勇者はやめようと思ってやめられるものじゃ……」
「まあ、そうなんだけどな……」
俺はかいつまんで、俺が勇者をやめることになった経緯を話した。話し終えると、キサカはぽかんと口を開けて固まった。
「まさか……そんな取引で、自分の自由を保障しただなんて……それで正体を隠していたのね……」
「まあ、そういうことなんだ。今の俺は、ただの気楽な旅人。今回は事情が事情だから、勇者のふりをしてるけどさ。だから、俺なんかに気を遣わないでくれよ」
「……ぷっ」
え?キサカは急に破顔すると、口元を抑えて笑い始めた。
「ぷふ。うふふふ。まさか、勇者をやめようだなんて思う子がいるだなんて……あはは」
「あぁ~っと……まあ、そういう感じになるよな」
「あ、ごめんなさい。馬鹿にしたわけじゃないの。そんなに柔軟に物事を考えられるんだなって。私じゃ絶対に無理だもの」
そりゃそうだろうな。自分を犠牲にしてまで人を助けようとする人が、俺みたいな不良勇者の思考を分かるはずないだろ。
「ああ、でもよかった。安心したわ」
「安心?」
「桜下くんが、勇者の宿命のせいで辛い目にあっていなくて。もちろん、何もかも辛くないだなんて、思ってはないけど……今日あなたたちを呼んだのは、私が引け目を感じていたこともあるけどね。純粋に心配だったのもあるのよ」
心配……確かにキサカは、いやに親身だった。
「その心配ってのは、勇者としての仕事で苦労してないかって、そういう事か?そりゃ確かに、魔王と戦えだなんて荷が重そうだけど……けど俺が知る限り、勇者ってそこまで辛い目にはあわなくないか?」
俺はすぐに王城を逃げ出してしまったが、ロア曰く、本来なら壮大な送迎式が開かれていたとか。勇者の下には腕利きの冒険者(しかも美形ばかり)が集まり、仲間にしてくれとせがむ。城からはたっぷり小遣いももらえる。これだけ聞くと、いい事ばっかりに思えないか?
「ほら、あいつ。クラークだって、そんなにしんどい目にあってる風には見えなかったぜ?勇者はすっげえ強いんだし、戦いも楽勝だ。だから、そんなに自分を卑下しなくてもいいって言うか……」
「……そうね。今は、そうかもしれないわね」
……含みのある言い方だな。まるで、いつかはそうじゃなくなるみたいだ。
「キサカさんは、なにか知ってるのか?」
「……知っているわ。いいえ、ただ見てきたと言ったほうが正しいわね。この世界に来て四十年が経ったと言ったでしょう。その頃って、三十三年戦争が始まって間もないころだったの。今より戦略も技術も未熟で、手探りで戦っていたころよ」
四十年前……確か、初めて勇者が召喚されてから五十年くらいだってことだから、キサカはかなり早い段階で召喚されていたんだな。
「あの頃は勇者の力も弱くて、戦いで苦戦することも多かったの。そんな時期がしばらく続いたわ……流れが変わったのは、ファーストくんが来てから」
「そうか……ん?てことは、ファーストより前の勇者たちは……」
「……」
キサカは悲しそうに目を伏せる。けど、そんなの答えを聞くまでもない。この世界では、基本的に勇者は一国につき一人だけ。キサカという例外はいるが、それ以外に特例はないはずだ。それなら……俺の脳裏に、今までの記憶がフラッシュバックした。かつてアニから聞いた、ドラゴンの犠牲になった勇者。三の国の慰霊碑にあった名前。
「そうか……勇者と言えど、無敵ではないってことなんだな」
「その通りよ。最初はみんな、好奇心が勝るの。物珍しい世界に、新しい力。まるで魔法にかかったみたいにね。けれど、戦いを続けるうちに、いつか気付くの。自分たちがしていることは、紛れもない命のやり取りなんだって。そうなると……解けた魔法は、もう二度と掛からない」
「……分かる気がするよ」
俺の魔法は、かなり早い段階で解かれたから。
「みんな最初は、きらきらした目をしているのよ。けれどだんだん、目から光がなくなっていって……本当に、見ていられなかったわ」
「そいつらは、俺みたいに逃げ出さなかったのか?」
「ほとんどは、そうよ。昔は今より、うんと監視が厳しかったの。それでも、たまに逃げようとした子はいたけれど……でも、どうしようもないわ。この世界のことは、みんな何一つ分からないのよ。逃げる場所も、生きていくすべも、なにも……」
「それもそうか……」
「今は、戦争は硬直状態だから、戦いって聞いてもピンとこないかもしれないわね。けど、そういう事が確かにあったのよ。私はずっと、その子たちが亡くなったという報せを、ただただ聞き続けてきた……だからせめて、もうこれ以上そんな子を出さないようにしたいって、そう思ったの」
「それで、俺をここに呼んだのか」
「ええ……けど、フランセスさんには見透かされてしまったわ。これがただの自己満足だって。結局私にできることは、ほとんどない……」
そんなことはない、と言いかけて、やめた。言ったらきっと、キサカはもっと落ち込むだろう。
「……この話、あいつにはしたのか?クラークには」
「ええ。でもあの子は、全く取り合おうとしてくれなかったわ。自分には正義を執行する義務があるんだって、頑なにね」
「ちっ。ホントにあいつは、カチカチ頭野郎なんだから」
「けど、最近はそんな子ばかりなの。いつからか、戸惑ったり、戦いを恐れる子がほとんどいなくなってしまって……私の話をしっかり聞いてくれたのは、あなたが初めてよ」
えぇ?先代の勇者たちは、みんなクラークみたいな連中だったのか?
「でも、本当に良かった。勇者をやめれたのなら、桜下くんはもう、戦いに巻き込まれずにすむはずよね。ううん、そうなってもらわないと。せめて、あなただけでも……」
キサカの言葉は、まるで別れの際の遺言のようだった。そのぞっとする響きに、思わず叫ぶ。
「キサカ……あんたは……あんたはどうなんだ?あんただって、一人の人間だろ!ここで力を使い続ければ、いずれあんたは……!」
キサカは瞳を伏せると、ゆるゆると首を振った。
「ありがとう。でも、私にできることは、これだけなのよ。他にできることはないし、居場所もない……今日はありがとう。なんだか、救われた気がするわ……」
そう言ってキサカは、弱弱しく、だがほっとしたように、笑った。
つづく
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『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
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小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
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お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
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注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
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