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10章 死霊術師の覚悟

4-1 氷解

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4-1 氷解

フランが仲間のいた場所に戻ると、そこには誰の姿もなく、代わりに巨大な氷柱が立っていた。柱の表面には、切子のような細い線で矢印が刻まれている。どうやら、場所を移動したようだ。その矢印の方角にさらに進むと、切り立った崖が見えてきた。さっき、フランとウィルが見つけた崖だ。崖はある一点でぱっくりと裂けていて、その隙間に炎の明かりが見えた。フランはミカエルを抱えて、そこ目掛けてまっすぐに跳んだ。

「っ……!」

裂け目の入り口にいたウィルは、飛び込んできた影に身を固くした。暗いのもあったが、フランの損傷の惨さに、一瞬彼女だと分からなかったのだ。

「あぁっ、フランさん……おかえり、なさい」

ウィルは涙声だったが、めそめそ泣いて時間を取るようなことはしなかった。

「その方がシスターですね。桜下さんは、奥にいます!」

「わかった」

フランはミカエルを降ろすと、裂け目の奥へと走った。後からミカエルも続く。ミカエルはこの期に及んで、もしも患者が自分の手に負えない状態だったらどうしようという不安に駆られていた。だが、ここまで来てしまったのだ。今更引き返せはしまいと、ミカエルは腹を括った。
裂け目の奥の少し広い空間には、エラゼム、ライラ、アルルカ、そして桜下がいた。大きな炎がゴウゴウと焚かれ、そのそばに桜下が寝かされている。
フランとミカエルの姿を見て、エラゼムががばっと腰を浮かした。

「フラン嬢!戻られましたか。そちらが……?」

「そう」

短いやり取りののち、エラゼムは後ろに下がって、桜下のそばを開けた。フランのすがるような目に促されて、ミカエルは恐る恐る桜下のそばに近寄る。
そばで焚かれているのは魔法の炎なのか、ミカエルは数歩近づいただけでも、熱くて顔を背けるほどだった。にもかかわらず、桜下は青白い顔で、ガタガタと震えている。

「桜下さん、ずっと震えているんです。どんなに暖めても、ぜんぜん効果が無くて……」

ウィルが涙ぐみながら言う。フランは、ミカエルに食いつくようにたずねた。

「どう?なにか、わかる?」

「えぇっと……回復魔法は、試したんですか?」

「キュアテイルって言うのを。効果はなかった」

「そうですよね。凍えているのに、治癒が効くはずないですし……」

ミカエルは桜下の上にかがみこむと、そっと手をかざして、彼の体を調べ始めた。アンデッドたちが、固唾をのんでその様子を見守る。ふと、ミカエルが顔に手をかざしたところで、ぴたりと動きを止めた。

「冷たい……もしや」

ミカエルはおもむろに、桜下の閉じられたまぶたに触れ、そっと押し開いた。ウィルは息をのんだ。桜下の右目は、まぶたの下で狂ったように動き回っていた。そこだけ、別の意思を持った生き物のようだ。その瞳の色は、氷のような薄い水色になっている。

「これは……スニードロ!」

聞きなれない名前に、誰もが眉をしかめた。ミカエルは急いで両手を合わせると、ぶつぶつと呪文を唱え始めた。

「アロマティカス!」

ミカエルの両手から、緑色のオーラが放たれた。オーラは桜下の体を包み、ぼんやりと光り輝いている。ミカエルは両目をつむって、しばらくの間集中し続けていた。彼女が歯を食いしばると、緑のオーラは輝きを増した。ミカエルを、それを見つめるアンデッドたちを、そして崖の壁をも緑色に染め上げた輝きは、次第に薄れ、ついには消えた。

「……はぁ、はぁ」

ミカエルは両手を降ろすと、つむっていた目を開けた。桜下は目を開けない。

「手は、尽くしました……私にできることは、もうありません……」

フランは、目の前が真っ暗になった。止まったはずの心臓が、どくりとわなないたようだ。

「うそ……」

どさりと、フランが膝をついた。ウィルは両手で口を押えて、嗚咽を漏らすまいと必死にこらえていた。ライラは大きな瞳に涙をいっぱいに溜め、エラゼムは悔しそうにうつむいている。アルルカだけは、何か考え込むような表情で、桜下の青白い顔を見下ろしていた。

「うそ、でしょう……」

フランは、ガントレットのはまった手を、桜下の頬に添えた。彼の口からは、まだか細い吐息がこぼれている。けれど、それもいつまでもつか……フランは、目の前が歪んできたような気がした。

「ねぇ……目を、開けてよ」

フランはうつむき、彼の胸の上に額を押し当てた。いつもは暖かい彼の体は、今は氷のように冷たい。ウィルは堪えきれずに、嗚咽を漏らし始めた。

「ねぇ、お願い……もう、一生成仏できなくったっていい……あなたの一番が、誰だって構わないから……」

フランの瞳から、血ではない何かが、ぽつりとこぼれた。

「お願い……死なないで」

その時だった。フランが、そしてこの場にいるアンデッドの全員が、はっきりと感じた。どくりと、力強く脈打つ、心臓の鼓動を。フランは驚いて、顔を上げた。そしてすぐに、もう一度桜下の胸に頬を押し付けた。
聞こえる。はっきりとした、とくとくという鼓動。そしてじわじわとだが、彼の肌が熱を持ち始めた。

「っ!暖かくなってきてる!」

「え!」

ウィルは浮いているにも関わらず、ぴょんと飛び跳ねると、すぐさま桜下に近寄った。

「……!本当です!それに、見てください!顔色が、かおいろが!」

他の仲間たちも、一斉に桜下のそばに駆け寄った。この時ばかりは、アルルカでさえ、みなの後ろから首を伸ばしていた。

「おぉ!誠でございます!体の震えも止まりましたぞ!」

「桜下、死なないの?もう、大丈夫なのかな……?」

「ええ……ですが、どうして……?」

アンデッドたちの視線が、一斉にミカエルの方へと向いた。ミカエルはひゃっと声を漏らすと、恐る恐ると言った様子で、口を開いた。

「あの……スニードロの症状は、命に別状はありません……ご存じ、ありませんでしたか?」

ミカエル以外の、全員の目が点になった。無言で説明を要求されている気がして、ミカエルは続けた。

「スニードロは、雪に紛れて人を襲う寄生虫なんです。寒い地域に多くて、人の眼球に入り込んで、体温を奪うのですが……同時に、低気温への耐性も与えるんです。せっかくの宿主を死なせない為の措置でしょうね。もちろん、放っておけばもっとまずいことになりますが……」

「それはわかったけど、じゃあ、どうして治ったの……?」

「ああ、それはですね。スニードロには、弱点があるからです」

「弱点……?」

「はい。それは、その人を心から想う人の涙、です」

涙……フランは、自分の目元を触った。

「スニードロは、心の温度に弱いんです。涙に触れると、溶けていなくなってしまうと言われています。でも、よかったぁ。対処法を知っていても、私の涙では効かなかったでしょうから」

「あ……だから、もうできることはないって……」

「はい、そうです。いちおう、低体温症は治療しておきましたので、しっかり体を温めておけば、もう心配いらないと思いますよ。けどできるだけ早く、町で安静にしてください。風邪をひくと大変ですから」

「あ、そう……風邪……」

フランはへにゃへにゃと肩を落とした。それはみなも同じで、魂まで吐き出しそうなため息をつくと、ぐんにゃり崩れ落ちた。ミカエルだけが、そんなアンデッドたちの真ん中で、目をぱちくりとしばたかせていた。



つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。

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