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6章 風の守護する都

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「でも、王都に行くって言っても、どうするの?」

ぬかるんだ泥の中を歩きながら、フランが言った。

「どうするって。とりあえず、この森を抜けないとな。このままじゃ歩くことすらままならないよ」

「そうじゃなくて。ここから王都まで、相当距離あるよ。歩いて行ってたら、それこそ何日かかるか……」

え。ああ、それもそうじゃないか。俺は今まで、ひたすら王都から遠ざかってきた。王都に向かおうと思ったら、今まで歩いてきた道のりをそっくりそのまま引き返さないといけない。

「……船を作って、川の流れに乗っていったらどうかな?」

「王都があるのは川上でしょ。そのまま行ったら海に出ちゃうよ」

うわぁ、まずいことになったぞ。移動手段のことをちっとも考えていなかった!これじゃあ、そもそも王都にたどり着けないじゃないか……

「ど、どうしよう……」

「そんな顔されても……わたしが担いでいく?一人くらいなら何とかなるけど……」

「フランに馬になってもらうのか……いっそ野生の馬でも見つかればな……」

「あ。じゃあ、ライラが馬を出したげよっか?」

え?俺はライラのほうを見た。聞き間違いじゃないよな?

「ライラ、馬を呼び出せるのか?」

「ふふん、ふつーの馬じゃないよ。風より早くて、力もとっても強いんだから」

ライラは腰に手を当てて、偉そうにふんぞり返っている。冗談で言っているわけでもないみたいだ。

「それは、魔法で出すってことか?」

「そーだよ。難しいまほーだから、覚えるのが大変だったんだから。最初はちっちゃなポニーから練習して……」

「あー、そうなのか。ところで、それってどんな魔法なんだ?見せてくれよ」

「いいよー。いくよ……」

ライラは両手を合わせると、流れるように呪文を唱え始めた。そして両手を突き出すと、高らかに叫んだ。

「ストームスティード!」

シュウウゥゥゥ!地面の上を見えない何かが駆け巡るかのように、泥が吹き飛んだ。

「わっ。なんだ、風か?」

「うん。ほら……来たよ」

へ?来たと言われても……ライラは早く褒めろとでも言わんばかりに、大きな瞳をこちらに向けている。でも、俺には何も見えないんだよな……

「ライラ、その、馬?はどこにいるんだ?」

「え。ほら、そこにいるじゃん!よく見てよ、ほら!」

ライラがしきりに指をさすが、そう言われても……

「ん?」

その時俺は、ぬかるんだ地面の上に、馬のひづめのような跡が四つあることに気付いた。

「これ、もしかして……」

「やっとわかった?これが、疾風の騎馬ストーム・スティードだよ」

風で作られた馬、か……?ひづめの跡がある上のあたりをよーく見てみると、確かにそこだけ空気が揺らいでいるような気がする。透明だけど、確かにそこに馬がいるらしい。

「でも、空気の馬に乗れるのか?」

「空気じゃないよ、か・ぜ!疑うんだったら乗って見せてあげるよ、ほら……」

ライラは透明な馬によじ登ろうとし……

「……ちょっと、背が足りないんじゃないか?」

「うぐぐぐ……」

俺がライラの細い腰をつかんで持ち上げてやると、ライラはなんとか馬の背にまたがることができた。

「うわ……本当に、乗れるんだな」

姿の見えない馬に乗るライラは、まるで空中に浮かんでいるみたいだった。

「ふふふーん。どう、すごいでしょ。ちゃーんと乗れるんだから」

「ああ、驚いたよ。それ、やっぱり走ると早いんだろ?」

「へ?ああ、うん……そうだと、思うけど……」

思う?ライラは歯切れ悪く言葉尻を濁した。どうしたんだろう……?

「ライラ……?」

「は、早いよ!見ててよ、ほりゃ!」

ライラが空中で足を蹴り上げる。そのとたん、力強い馬のいななきが響いたかと思うと、突然ライラがひっくり返った。

「イヒヒヒーーン!」

「ひゃあー!」

「わっ!と、と」

空中で突然逆さまになったライラを、俺は泥に落っこちる寸前でキャッチした。

「び、びっくりしたぁ。ありがと、桜下……」

「お、驚いたのはこっちだぜ。ライラ、もしかして馬に乗れないのか?」

「う。だ、だって。馬に乗るのと、まほーを使うのとは別だもん」

まあ確かに。いくら魔法で呼び出した馬とはいえ、それに乗るのは普通の馬と変わりはしないのか。

「とすると、どうしようか。俺も馬になんか乗ったことないぞ」

「桜下殿、それでしたら、吾輩が騎手になりましょう」

エラゼムが荷袋を担ぎなおしながら名乗り出た。

「エラゼム。馬に乗れるのか?」

「ええ。城にいたころ、騎馬訓練を受けておりましたので」

それじゃあ、操縦者の問題は解決だ。しかしそこで、俺はもう一つ問題があることに気付いた。

「でも、さすがに全員は一度に乗れないよな」

俺たちのうち、はっきりした実体があるのは四人だ。エラゼムは絶対として、俺・フラン・ライラがいっぺんに乗り込むことは、さすがに疾風の馬でもできないだろ。

「ううむ。一番めかたの重い吾輩が乗り込むとなると、桜下殿と、あと一人くらいなら乗れそうに思えますが」

つまり、ライラかフランか……

「じゃあ、わたしはいいよ」

フランが靴についた泥を払いながら言った。

「フラン、いいのか?」

「わたしなら、走って追いつけるでしょ」

ああ、確かに。フランの俊足なら、たとえ馬にだって負けなさそうだ。

「よぅし、なんとかなりそうだぞ。それじゃあ乗ってみようぜ」

「承知しました。では、お先に失礼……」

まずはエラゼムが、透明な馬の背に手をついて、ひょいと飛び乗った。

「む……目には見えませぬが、確かに鞍と手綱もあるようです」

「おー。そこも透明なのか」

「当然でしょ。ライラはぷろだから、手抜きしないんだよ」

次に俺が、エラゼムの腕につかまって、彼の後ろ側によじ登る。うわ、馬は触れると意外にふわっとしている。ふかふかの毛皮のようにも感じるし、強い風に手のひらを押されているようにも感じるな。最後にライラが、エラゼムの前にちょこんと乗っかった。

「ライラ嬢、窮屈でしょうが、しばし我慢してくだされ」

「……」

ライラは嫌いなエラゼムの前でぶすっとしていたが、文句を言うこともなかった。

「あ、そうだ。ウィル、お前は空を飛べるけど、馬の速さにはさすがについてこれないよな?あれだったら、俺の肩につかまっていいから」

「すみません、そうさせてもらいます。たぶん全速力でも、フランさんの半分も追いつけないと思うので……」

俺はついでに、ウィルからロッドを受け取って、腰のベルトに通した。ウィルの両手が俺の肩に置かれると、俺はエラゼムの背中に声をかけた。

「よっしゃ、準備完了だぜ」

「かしこまりました。最初は馴らしもかねて、ゆっくり歩きましょう。どのみちこの森を抜けなければ、思い切り走らせることもできません」

エラゼムが踵で、見えない馬の腹を蹴ると、馬はゆっくりと歩き出した。おっと、結構揺れるな。俺はエラゼムの鎧の出っ張ったところに、しっかりと指を食い込ませた。
風の馬は、浮いているからか悪路の影響を受けないらしい。軽快な歩みで、ぬかるんだ森をあっという間に抜けてしまった。開けた草地に出たところで、いよいよエラゼムはスピードを上げ始めた。

「それでは、ここから加速していきますぞ。疾風の名を冠するその実力、しっかりと見届けさせてもらいましょう……はぁ!」

ヒヒヒーーン!風の馬は力強くいななくと、どんどん走る速度を上げ始めた。おお、早い早い。すぐに耳元で風がうなり始めた……うわ、ちょっとまて、ちょっと早すぎないか?加速のGがぐんぐんと強くなり、俺は後ろに吹っ飛ぶんじゃないかと気が気じゃなかった。っておい、まだ加速するのかよ!?

「ちょっ……と早すぎるんじゃないか!?これ、ほんとに馬かよ!」

「だから、風の馬だって言ったでしょー!」

前方から、楽しそうなライラの叫び声が聞こえてくる。もはや耳元では風切り音がひっきりなしで、ライラの声は辛うじてしか聞き取れなかった。

「まだまだ飛ばすよー!こんなんじゃ、王都まですぐつかないもんね!」

「ばっ、ばか……加減を……っ」

俺の抗議は、さらなる加速の勢いで、一瞬で後方にぶっ飛ばされてしまった。ウィルはとっくの昔に手だけで掴まるのをあきらめ、俺の背中に全身でぴったりと張り着いている。背中にふにゅっとした感触があるが、あいにくとそれを楽しむどころではない。
目だけを動かして横を見ると、フランは走るというより、もうほとんど跳ねるように馬を追いかけていた。地面の起伏を無視して、一直線に進みでもしないと追いつけないんだろう。このスピードになんとか追いついているフランもすごいが、それだけの俊足の彼女を、三人乗っけたうえで引き離しつつあるこの馬は、いったいどれだけの力を秘めているのだろうか。

「むっ……!」

え?唐突に、エラゼムが不吉な声を出す。俺の視界にはエラゼムの背中しか映らないが、なんだか嫌な予感がするぞ……

「目の前に地割れが開いています!迂回路が見当たりませんので、このまま突っ切りますぞ!」

「えぇーー!」

「みなさん、しっかり掴まってくだされ!はいやぁー!」

ダッ!ふわーっとした浮遊感が全身を包む。下を見ると、さっきまであった地面がなくなり、ぱっくりとした裂け目が口を開けていた。ウィルが耳元で何か叫んでいるが、頭に入ってこない。
急に世界に重力が戻ってきた。浮遊感は消え、代わりにへそのあたりが下へと引っ張られていく。だがそれと同時に、対岸の崖もぐんぐんと目の前に迫ってきていた。
ドガカッ!

「ぐえっ」

ものすごい衝撃がケツに走り、俺たちを乗せた馬は無事に地割れの向こう側に着地した。一拍遅れて、フランもこちら側に飛び移ってきた。

「……は、ははは」

俺は乾いた唇を舐めると、にやりと笑った。どうやらさっきの大ジャンプの時に、俺の中から恐怖心がすっぽり抜け落ちてしまったらしい。代わりに、得も言われぬ興奮が胸の内に湧き上がってきた。

「おおぉぉぉ……いいぞいいぞー!俺たちを阻むものは何もない!とばせとばせー!」

「はぁ!はいやっ!」

俺の叫びに呼応するように、疾風の馬はぐんぐんとスピードを増していく。もはや俺たちは風と一体化して、道なき荒野を吹き荒れていた。

「いけいけー!突っ走れー!」

「もう勘弁してぇ……」

ウィルの蚊の鳴くような哀願は当然聞き入れられることはなく、俺たちは猛烈な勢いで王都までの道のりを進んでいくのだった。



つづく
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