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1章 月の平原
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「はぁ、はぁ……ちょっとタンマ、息が」
「む。大丈夫ですかな?勇者殿」
「おう……けどさ、今の状況はだいじょばないよな」
俺たちは今、とんでもなく高い城壁のてっぺんにいる。頭上を見上げれば、空がうっすらと白んでいる。もうすぐ夜明けだ。
眼下にはお堀と、木々が黒々と茂っているのが見え、その向こうには小さく見える城下町の街並み、そのまた向こうは山脈の陰に隠れていた。まるで中世ヨーロッパのような風景に少し興味を惹かれたけど、あいにく今はそれどころじゃない。
「はぁ、はぁ。とうとう追い詰めたぞ。もはや逃げ場はない、おとなしく投降しろ!」
立派な鎧のリーダー兵士が槍を振り回す。その顔は汗と疲労でずいぶん薄汚れていた。あの地下牢からここまではい出てきたのか?すごい根性だ。
俺と骸骨剣士は、城の最下層から頂上まで一気に駆けぬけてきたらしい。途中で現れた兵士たちをばたばたと蹴散らし、てっぺんまで来たはいいのだが、そこでとうとう行き場が無くなってしまった。俺たちの周囲180度は、兵士たちが突き出した槍でぐるりと取り囲まれている。ぎらりと光る刃がぞくぞくするぜ……そして俺たちの背後には城壁の塀、その後ろにはさっきの美しい景色が広がっている……つまり、崖っぷち。背水の陣ってやつだった。
「ど、ど、どうしよう。これって、大ピンチじゃないか?」
「おや、なにをおっしゃいますか勇者殿。むしろ今は、絶好の好機ですぞ」
「えぇ?絶対の絶命の間違いじゃなく?」
「なぜです?我らの目的はこの城砦を脱出すること。そして今我らは、この城で一番高いところにいるのです。あと一歩踏み出せば、目的地はすぐそこではないですか」
いやまあ、X軸的な距離はそうだけど。Y軸を考えれば、それは結構な距離があるわけで……困惑する俺をよそに、骸骨はなぜか俺の前にしゃがみ込んだ。
「さあ、これが最後の仕上げです。勇者殿、まことに恐縮ですが今しばらくの間だけ、某の背に乗ってもらえますかな」
「おぶされってこと?別にいいけど、どうすんだよ」
「まあ、すぐにでもわかりましょう。さ、お早く。奴らもいつまでも待ってはくれぬでしょう」
しょうがない、俺は骸骨の背中に必死にしがみつく。今までそんな経験なかったから知らなかったけど、骨だけの人間におぶさるのはすこぶる難しかった。
「乗ったぞ!で、次は?」
「決まっておりましょう。ここをおさらばするのですよ。はっ」
「うわぁ!」
骸骨はひょいと飛び上がると、器用に塀の上に着地した。あ、あ、危ない。あと一歩踏み外せば、地上まで真っ逆さまだ。それを見ていたリーダー兵士が、馬鹿にしたように笑う。
「ハッ、血迷ったか!潔くそこから飛び降りでもする気か?言っておくが、ここから下まで二百キュビットはくだらないぞ!まさか、助かるとでも思っていやしないだろうな?」
「そのまさかでござるよ。勇者殿、しっかりつかまっていてくだされ!」
「ま、マジかよ!」
「ふははは!さらばだ石頭諸君!」
俺が骸骨の鎖骨のあたりを握りしめるのと、骸骨がとんっと塀をけるのは同時だった。
「うわあああ!」
ゴオオオ!猛烈な風が耳元でうなっている。風圧に目もあけられない!地面が恐ろしい速度で迫っていることはわかるが、恐ろしすぎて目を開く自信がなかった。
「ははは!勇者殿、見てみなされ!」
そんな中でも、不思議と骸骨の声は耳に届いた。俺は涙をにじませながら、片目だけをなんとか開いた。
「……おわ……」
「いやはや、美しいですな!この世界も捨てたものではない!」
山脈から、ちょうど朝日が顔をのぞかせるタイミングだった。金色の光に照らされて、木々が、街並みが、鮮やかに色づいていく。
「は、は……ははは!やったぜ!俺たち、自由だ!」
「おうとも!出し抜いてやりました!我らの勝利です!」
わははは!たった二人で、あの兵士たちの軍勢を出し抜いてやった!ざまあみろだぜ、あのクソ王女!いまごろ青い顔をしてるに違いない!こんなに愉快なのは生れて初めてなくらい、俺たちは馬鹿みたいに笑いあった。
けど、だからと言って、突然翼が生えたりはしないわけで。その数秒後には、俺たち二人はうっそうとした森に、勢いよくダイブしていた。
「ぐええっ」
バシ!ドスン!なにかに顔をぶん殴られたかと思うと、思い切り尻を蹴とばされた。たぶん木の枝にぶつかって、地面を転がったんだろうけど。落下の衝撃で、まだ目の前がぐるぐるする。だけど奇跡的に、俺は無傷だった。
「あいたた……よく生きてたな」
五体満足、特にケガらしいケガもして無い。ツイてたなぁ。俺はぱらぱらと葉っぱが落ちてくるの枝の隙間から、そびえたつ城壁を見上げる。あの高さから落っこちて無事なんて。何かがクッションにでもなったのだろうか?
「勇者殿、ご無事でしたかな」
そのとき後ろから、骸骨の声が聞こえてきた。
「ああ、あんたも無事だったか。よかった……」
振り返った俺は、そこで言葉を失った。
「はは。こんな格好で申し訳ない。いささか目論見を外しましたな」
骸骨は、足と体のほとんどが砕け散っていた。かろうじて残った頭蓋と片腕だけになって、無残に地面に転がっている。
「お、おい!大丈夫かよ!」
「ええ。某は骸。今更どうということはありません」
「バカ、そういうことじゃないだろ!こんなボロボロになって……」
どうしよう、とりあえずそこいら中に散らばった骨のかけらを集めようか。元に戻るかは分からないけど……
「勇者殿、お気になさるな。それに、もうその必要もありませぬ」
「え?」
「ほら。じきに夜明けです」
ちょうどそのとき、さっき顔をのぞかせたばかりの朝日が、ようやく俺たちのいる森までその光を差し込ませた。木々の合間を縫って、光の柱があたりを照らす。
「あ!?おい、あんた」
「こういうことです。この死にぞこないにも、ようやく、お迎えが来たのですよ」
光に当たった骸骨の体は、ガラスの粉のようにサラサラと崩れていく。まるでおとぎ話の、悪霊が成仏するシーンのようで……俺は、胸が詰まった。
「おまえ……」
「永かった……それもようやく終わりです」
「終わるなよ!二人で自由になろうって言ったじゃないか!」
「はは、これで某は真に自由になれるのです。成仏という、最高の形で」
成、仏……そうか、当たり前だけど、骸骨はとっくの昔に死んでいる。ということは、こいつは最初からそのつもりで……?
「申し訳ございませぬ。結果として、貴殿を利用する形になってしまった」
「そんなこと……けど、あんたは。あんたはこんな終わりで、いいのかよ」
「ふふふ。勇者殿はどう思われるかわかりませぬが、某は実に楽しかったです。あまたの戦場をくぐり抜けてきましたが、返り血にまみれない終局がこれほど清々しいとは。勇者殿のおかげで、よき冥土の土産ができました」
骸骨は明るい声で、あごをカタカタ鳴らす。やっぱり、これがあんたの望んだ結末だったんだな。それなら、何も言えないじゃないか。
口をつぐんだ俺を見てか、骸骨は少し照れくさそうに鼻をこする……が、すでに鼻がなくなっていたことを忘れていたのか、行き場をなくした手はだらりと下された。
「……本当のところを申せば、某は後悔していたのです。最期は潔く幕を引こうと、自らの腹に刃を立てましたが、果たしてそれが正しき選択だったのか。いや、人の世に正解なんぞありはしないのかもしれませんが、それでも終わりの見えぬ暗闇の中にいると、そんなことばかり考えてしまうのです」
そうか、骸骨はあそこで……あの地下牢の中で、自らを……殺した。生きることをやめる選択をしたんだ。あの時俺が、そうしようとしていたように。
「しかし勇者殿を見たとき、このお方と一緒ならば、この闇を抜け出せるのではないか。そう思ってしまったのです。実際、勇者殿は素晴らしい才覚と、真の御心をお持ちだった。お陰で某は生きる事の楽しさを得、そしてようやく……某の決断は、誤りであったと。そう悟ることはできたのですよ」
「それは……」
「なあに。結局のところ、某は踏ん切りを付けたかっただけなのです。もしくは、闇の中でくさる自分の、手を引いてくれる人物を待っていたのやも知れませぬ。そういった意味でも、勇者殿には感謝せねばなりませんな」
「……俺だって、あんたがいなかったらあそこで終わってた。あんたは命の恩人だよ」
「はっはっは!こんな骨躯なんぞに、礼など申されるな。某はもはや人ですらない。現世をさまよう、影のようなもの」
朝日は高く上り、光は一層強くなる。骸骨の体はもうほとんど透けて、ぼやけていた。
「……朝日が昇れば、影は消える。そろそろお別れですな。勇者殿、最期に一つ、御名をお聞きしてもよろしいですか」
おんな……名前か。そういえば、お互いの名前すら名乗ってなかったな。あまりの事の連続で、すっかり忘れていた。
「……桜下。俺の名前は、西寺桜下っていうんだ」
「桜下、でござるか……いやはや、いささかできすぎですな……」
骸骨はぼそりとなにかつぶやいたが、小さすぎて俺には聞き取れなかった。
「桜下殿。最期に共にあれたこと、大変光栄でござった。某はここまでですが、よろしければ某の妖刀を貴殿にあずけたい」
「妖刀……?え、あの赤い刀をか?けど、大切なものなんじゃ……それに俺、刀なんて使えっこないし……」
「ははは、心配なさるな。あれは心を切る刃。必要な時になるまで、桜下殿の心にしまっていてくだされ」
「心に……?」
「なに、貴殿ならきっと見事に使いこなされることでしょう。いずれにせよ、某にはもう必要のないものです」
骸骨は最後に、かろうじて残った片手を俺に差し出した。
「ではさらばです、桜下殿」
「……ああ」
俺も手を差し出す。そのとき、ふっと思い出した。
「なあ、そういえばあんたの名前って……」
俺は最後まで言い切ることができなかった。俺が手を握ろうとしたその瞬間、骸骨の手はふっと塵のように消えてしまった。そして気付いた時には、骸骨の姿は跡形もなく無くなっていた。後には白い粒子だけが、きらきらと光を浴びて、気持ちよさそうに風にさらわれていった。
ざあぁぁぁ……
「……」
数分くらい、俺はそこにじっと立っていた。それからぱんと頬をたたくと、湿った目と鼻をごしごしぬぐった。
「じゃあな!ありがとぉー!」
名前も知らない、無名の骸骨。あいつのおかげで、俺は生きる決意ができた。あいつのおかげで、俺は自分自身の人生が、そう悪くないんじゃないかと思えたんだ。不思議だ、もう死んでるやつから、生きることの意義を教えられるなんて。
「わははは!」
俺の声に驚いて、数羽の小鳥が迷惑そうに、朝焼けの空へ飛び立っていった。
つづく
====================
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読了ありがとうございました。
「はぁ、はぁ……ちょっとタンマ、息が」
「む。大丈夫ですかな?勇者殿」
「おう……けどさ、今の状況はだいじょばないよな」
俺たちは今、とんでもなく高い城壁のてっぺんにいる。頭上を見上げれば、空がうっすらと白んでいる。もうすぐ夜明けだ。
眼下にはお堀と、木々が黒々と茂っているのが見え、その向こうには小さく見える城下町の街並み、そのまた向こうは山脈の陰に隠れていた。まるで中世ヨーロッパのような風景に少し興味を惹かれたけど、あいにく今はそれどころじゃない。
「はぁ、はぁ。とうとう追い詰めたぞ。もはや逃げ場はない、おとなしく投降しろ!」
立派な鎧のリーダー兵士が槍を振り回す。その顔は汗と疲労でずいぶん薄汚れていた。あの地下牢からここまではい出てきたのか?すごい根性だ。
俺と骸骨剣士は、城の最下層から頂上まで一気に駆けぬけてきたらしい。途中で現れた兵士たちをばたばたと蹴散らし、てっぺんまで来たはいいのだが、そこでとうとう行き場が無くなってしまった。俺たちの周囲180度は、兵士たちが突き出した槍でぐるりと取り囲まれている。ぎらりと光る刃がぞくぞくするぜ……そして俺たちの背後には城壁の塀、その後ろにはさっきの美しい景色が広がっている……つまり、崖っぷち。背水の陣ってやつだった。
「ど、ど、どうしよう。これって、大ピンチじゃないか?」
「おや、なにをおっしゃいますか勇者殿。むしろ今は、絶好の好機ですぞ」
「えぇ?絶対の絶命の間違いじゃなく?」
「なぜです?我らの目的はこの城砦を脱出すること。そして今我らは、この城で一番高いところにいるのです。あと一歩踏み出せば、目的地はすぐそこではないですか」
いやまあ、X軸的な距離はそうだけど。Y軸を考えれば、それは結構な距離があるわけで……困惑する俺をよそに、骸骨はなぜか俺の前にしゃがみ込んだ。
「さあ、これが最後の仕上げです。勇者殿、まことに恐縮ですが今しばらくの間だけ、某の背に乗ってもらえますかな」
「おぶされってこと?別にいいけど、どうすんだよ」
「まあ、すぐにでもわかりましょう。さ、お早く。奴らもいつまでも待ってはくれぬでしょう」
しょうがない、俺は骸骨の背中に必死にしがみつく。今までそんな経験なかったから知らなかったけど、骨だけの人間におぶさるのはすこぶる難しかった。
「乗ったぞ!で、次は?」
「決まっておりましょう。ここをおさらばするのですよ。はっ」
「うわぁ!」
骸骨はひょいと飛び上がると、器用に塀の上に着地した。あ、あ、危ない。あと一歩踏み外せば、地上まで真っ逆さまだ。それを見ていたリーダー兵士が、馬鹿にしたように笑う。
「ハッ、血迷ったか!潔くそこから飛び降りでもする気か?言っておくが、ここから下まで二百キュビットはくだらないぞ!まさか、助かるとでも思っていやしないだろうな?」
「そのまさかでござるよ。勇者殿、しっかりつかまっていてくだされ!」
「ま、マジかよ!」
「ふははは!さらばだ石頭諸君!」
俺が骸骨の鎖骨のあたりを握りしめるのと、骸骨がとんっと塀をけるのは同時だった。
「うわあああ!」
ゴオオオ!猛烈な風が耳元でうなっている。風圧に目もあけられない!地面が恐ろしい速度で迫っていることはわかるが、恐ろしすぎて目を開く自信がなかった。
「ははは!勇者殿、見てみなされ!」
そんな中でも、不思議と骸骨の声は耳に届いた。俺は涙をにじませながら、片目だけをなんとか開いた。
「……おわ……」
「いやはや、美しいですな!この世界も捨てたものではない!」
山脈から、ちょうど朝日が顔をのぞかせるタイミングだった。金色の光に照らされて、木々が、街並みが、鮮やかに色づいていく。
「は、は……ははは!やったぜ!俺たち、自由だ!」
「おうとも!出し抜いてやりました!我らの勝利です!」
わははは!たった二人で、あの兵士たちの軍勢を出し抜いてやった!ざまあみろだぜ、あのクソ王女!いまごろ青い顔をしてるに違いない!こんなに愉快なのは生れて初めてなくらい、俺たちは馬鹿みたいに笑いあった。
けど、だからと言って、突然翼が生えたりはしないわけで。その数秒後には、俺たち二人はうっそうとした森に、勢いよくダイブしていた。
「ぐええっ」
バシ!ドスン!なにかに顔をぶん殴られたかと思うと、思い切り尻を蹴とばされた。たぶん木の枝にぶつかって、地面を転がったんだろうけど。落下の衝撃で、まだ目の前がぐるぐるする。だけど奇跡的に、俺は無傷だった。
「あいたた……よく生きてたな」
五体満足、特にケガらしいケガもして無い。ツイてたなぁ。俺はぱらぱらと葉っぱが落ちてくるの枝の隙間から、そびえたつ城壁を見上げる。あの高さから落っこちて無事なんて。何かがクッションにでもなったのだろうか?
「勇者殿、ご無事でしたかな」
そのとき後ろから、骸骨の声が聞こえてきた。
「ああ、あんたも無事だったか。よかった……」
振り返った俺は、そこで言葉を失った。
「はは。こんな格好で申し訳ない。いささか目論見を外しましたな」
骸骨は、足と体のほとんどが砕け散っていた。かろうじて残った頭蓋と片腕だけになって、無残に地面に転がっている。
「お、おい!大丈夫かよ!」
「ええ。某は骸。今更どうということはありません」
「バカ、そういうことじゃないだろ!こんなボロボロになって……」
どうしよう、とりあえずそこいら中に散らばった骨のかけらを集めようか。元に戻るかは分からないけど……
「勇者殿、お気になさるな。それに、もうその必要もありませぬ」
「え?」
「ほら。じきに夜明けです」
ちょうどそのとき、さっき顔をのぞかせたばかりの朝日が、ようやく俺たちのいる森までその光を差し込ませた。木々の合間を縫って、光の柱があたりを照らす。
「あ!?おい、あんた」
「こういうことです。この死にぞこないにも、ようやく、お迎えが来たのですよ」
光に当たった骸骨の体は、ガラスの粉のようにサラサラと崩れていく。まるでおとぎ話の、悪霊が成仏するシーンのようで……俺は、胸が詰まった。
「おまえ……」
「永かった……それもようやく終わりです」
「終わるなよ!二人で自由になろうって言ったじゃないか!」
「はは、これで某は真に自由になれるのです。成仏という、最高の形で」
成、仏……そうか、当たり前だけど、骸骨はとっくの昔に死んでいる。ということは、こいつは最初からそのつもりで……?
「申し訳ございませぬ。結果として、貴殿を利用する形になってしまった」
「そんなこと……けど、あんたは。あんたはこんな終わりで、いいのかよ」
「ふふふ。勇者殿はどう思われるかわかりませぬが、某は実に楽しかったです。あまたの戦場をくぐり抜けてきましたが、返り血にまみれない終局がこれほど清々しいとは。勇者殿のおかげで、よき冥土の土産ができました」
骸骨は明るい声で、あごをカタカタ鳴らす。やっぱり、これがあんたの望んだ結末だったんだな。それなら、何も言えないじゃないか。
口をつぐんだ俺を見てか、骸骨は少し照れくさそうに鼻をこする……が、すでに鼻がなくなっていたことを忘れていたのか、行き場をなくした手はだらりと下された。
「……本当のところを申せば、某は後悔していたのです。最期は潔く幕を引こうと、自らの腹に刃を立てましたが、果たしてそれが正しき選択だったのか。いや、人の世に正解なんぞありはしないのかもしれませんが、それでも終わりの見えぬ暗闇の中にいると、そんなことばかり考えてしまうのです」
そうか、骸骨はあそこで……あの地下牢の中で、自らを……殺した。生きることをやめる選択をしたんだ。あの時俺が、そうしようとしていたように。
「しかし勇者殿を見たとき、このお方と一緒ならば、この闇を抜け出せるのではないか。そう思ってしまったのです。実際、勇者殿は素晴らしい才覚と、真の御心をお持ちだった。お陰で某は生きる事の楽しさを得、そしてようやく……某の決断は、誤りであったと。そう悟ることはできたのですよ」
「それは……」
「なあに。結局のところ、某は踏ん切りを付けたかっただけなのです。もしくは、闇の中でくさる自分の、手を引いてくれる人物を待っていたのやも知れませぬ。そういった意味でも、勇者殿には感謝せねばなりませんな」
「……俺だって、あんたがいなかったらあそこで終わってた。あんたは命の恩人だよ」
「はっはっは!こんな骨躯なんぞに、礼など申されるな。某はもはや人ですらない。現世をさまよう、影のようなもの」
朝日は高く上り、光は一層強くなる。骸骨の体はもうほとんど透けて、ぼやけていた。
「……朝日が昇れば、影は消える。そろそろお別れですな。勇者殿、最期に一つ、御名をお聞きしてもよろしいですか」
おんな……名前か。そういえば、お互いの名前すら名乗ってなかったな。あまりの事の連続で、すっかり忘れていた。
「……桜下。俺の名前は、西寺桜下っていうんだ」
「桜下、でござるか……いやはや、いささかできすぎですな……」
骸骨はぼそりとなにかつぶやいたが、小さすぎて俺には聞き取れなかった。
「桜下殿。最期に共にあれたこと、大変光栄でござった。某はここまでですが、よろしければ某の妖刀を貴殿にあずけたい」
「妖刀……?え、あの赤い刀をか?けど、大切なものなんじゃ……それに俺、刀なんて使えっこないし……」
「ははは、心配なさるな。あれは心を切る刃。必要な時になるまで、桜下殿の心にしまっていてくだされ」
「心に……?」
「なに、貴殿ならきっと見事に使いこなされることでしょう。いずれにせよ、某にはもう必要のないものです」
骸骨は最後に、かろうじて残った片手を俺に差し出した。
「ではさらばです、桜下殿」
「……ああ」
俺も手を差し出す。そのとき、ふっと思い出した。
「なあ、そういえばあんたの名前って……」
俺は最後まで言い切ることができなかった。俺が手を握ろうとしたその瞬間、骸骨の手はふっと塵のように消えてしまった。そして気付いた時には、骸骨の姿は跡形もなく無くなっていた。後には白い粒子だけが、きらきらと光を浴びて、気持ちよさそうに風にさらわれていった。
ざあぁぁぁ……
「……」
数分くらい、俺はそこにじっと立っていた。それからぱんと頬をたたくと、湿った目と鼻をごしごしぬぐった。
「じゃあな!ありがとぉー!」
名前も知らない、無名の骸骨。あいつのおかげで、俺は生きる決意ができた。あいつのおかげで、俺は自分自身の人生が、そう悪くないんじゃないかと思えたんだ。不思議だ、もう死んでるやつから、生きることの意義を教えられるなんて。
「わははは!」
俺の声に驚いて、数羽の小鳥が迷惑そうに、朝焼けの空へ飛び立っていった。
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