上 下
98 / 165
第十一章

98,失われていく記憶

しおりを挟む
 ──寒い。冷たい。暗い。動けない。話せない。何も出来ない。

 気づけばヤエは氷に支配されていた。身体の内から凍りついているのを自覚する。
 意識が朦朧とする中、遠くの方で何かが聞こえてきた。いや──すぐ近くかもしれない。
 目の前の景色が、何となく見えた。白い影が、梅道の向こう側からこちらへ向かってくるのが分かる。

 真っ白な毛を身に纒い、大きな尻尾を揺らして心配そうな顔でこちらを見やっているのだ。彼は──白虎の姿をしている。それは確かだが、猫耳のようなものを生やした人間にも思えるのだ。

『……ヤエ!』

 彼は氷の前に立ち止まり、叫び声を上げた。筋肉質な手を伸ばしてくるが、氷の中に閉じ込められたヤエに届くことはない。

(ハ……ク?)

 彼の姿を見て、ヤエはぼんやりと考えた。
 ──間違いなく、ハクだ。白虎とも人間とも言える姿形をしている。だが、ヤエにはちゃんと分かった。

 彼の瞳は悲しみの色を浮かべている。

『ヤエ、どうして。氷になってしまったんだ……!』

 俯き、ハクは震えながらそう嘆いた。

(ハク、泣かないで。私はまだ生きているよ)

 そう伝えたいのに、凍りついたヤエは言葉を発することなど出来ない。

『先の戦いで、シュウとはぐれてしまった。かなりの遠方だ。俺はヤエを置いてここを離れたくない。リュウキも、海岸に置いていったままだ。でも……安心しろ。あの兵士たちは全員片付けたからな』

 弱々しい口調でありながらも、ハクの表情は凜としている。

『ヤエの氷が溶けるまで俺はここにいる。化け物や山賊が来たら、追い払ってやるからな』

 そう言うと、ハクは拳をぼきぼきと鳴らして氷の前に立ち尽くしたのだ。

(ハク……守ってくれるのは嬉しいけど、ずっとこんな所にいたらあなたが辛いと思うよ)

 ヤエはそう思うが、心の中ではふと笑みを溢した。

 氷の中で、ヤエの記憶がだんだんと失われていく。ついさっき起きた戦いも、宮廷での出来事も、生まれ育った故郷のことさえも……
 走馬灯のように、脳裏に今までの出来事が流れていった。
 村で過ごした思い出。
 父や母からの愛情。
 守り続けてくれた兄。
 大切な場所が襲われた夜。
 新しい場所での生活。
 宮廷での日々。
 新しい友との出会い。
 それを奪った憎き人……。

(あれ……?)

 ──憎き、人。それは、誰? 毎晩冷たい手で身体を触ってきたあの人の顔は?
 逃げたいと思っていた。逃げられなかった。逆らえなかった。気持ち悪い感触は、はっきりと覚えている。でも──

 リュウトって、誰?
 シュウって、誰?
 リュウキって、誰?
 分からない、知らない、なぜ私はこんな所で氷になっているの?
 分からない。知らない。
 でも──氷の前でずっと守り続けているハクのことだけは、忘れなかった。あなたはずっとそばにいた。私はあなたを見続けていたから……。思い出の日々は忘れてしまったけれど、大切な存在なんだって。ハクの存在は、ずっと覚えている。

(ねえ、どうしてあなたは……ここでずっと私を守り続けているの?)

 分からない。ヤエには全部、分からない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

奴隷スタートの異世界ライフ ~異世界転生したら速攻で奴隷として売られてしまったんだが~

タジリユウ
ファンタジー
 突然の病気により急死してしまった高校生の向井勇樹。目が覚めると真っ白な空間におり、そこには自らを神と名乗る幼女がいた。神様は死んでしまった勇樹に元の記憶と体を持たせたまま異世界に転生させてやるからそこで自由にすごせと言う。   獣人やエルフ、ドワーフやドラゴンなどが存在するファンタジーな世界に期待をするが、チート能力どころかお金や食料すらも貰えないまま森の中に転生させられる主人公。森の中をさまよいなんとか人を見つけることができたが、あっさりと盗賊達に捕まり奴隷として売られてしまう。   悪臭漂う牢屋に入れられ、まともな食事も与えられず、少しでも逆らえば鞭によって罰せられてしまう。絶望に打ちひしがれるなか、勇樹はひとりの少女に使用人として買われる。彼女と勇樹の出会いがこの世界の奴隷というものを少しずつ変えていくこととなる。

男子中学生から女子校生になった僕

大衆娯楽
僕はある日突然、母と姉に強制的に女の子として育てられる事になった。 普通に男の子として過ごしていた主人公がJKで過ごした高校3年間のお話し。 強制女装、女性と性行為、男性と性行為、羞恥、屈辱などが好きな方は是非読んでみてください!

元34才独身営業マンの転生日記 〜もらい物のチートスキルと鍛え抜いた処世術が大いに役立ちそうです〜

ちゃぶ台
ファンタジー
彼女いない歴=年齢=34年の近藤涼介は、プライベートでは超奥手だが、ビジネスの世界では無類の強さを発揮するスーパーセールスマンだった。 社内の人間からも取引先の人間からも一目置かれる彼だったが、不運な事故に巻き込まれあっけなく死亡してしまう。 せめて「男」になって死にたかった…… そんなあまりに不憫な近藤に神様らしき男が手を差し伸べ、近藤は異世界にて人生をやり直すことになった! もらい物のチートスキルと持ち前のビジネスセンスで仲間を増やし、今度こそ彼女を作って幸せな人生を送ることを目指した一人の男の挑戦の日々を綴ったお話です!

今さら言われても・・・私は趣味に生きてますので

sherry
ファンタジー
ある日森に置き去りにされた少女はひょんな事から自分が前世の記憶を持ち、この世界に生まれ変わったことを思い出す。 早々に今世の家族に見切りをつけた少女は色んな出会いもあり、周りに呆れられながらも成長していく。 なのに・・・今更そんなこと言われても・・・出来ればそのまま放置しといてくれません?私は私で気楽にやってますので。 ※魔法と剣の世界です。 ※所々ご都合設定かもしれません。初ジャンルなので、暖かく見守っていただけたら幸いです。

月が導く異世界道中

あずみ 圭
ファンタジー
 月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。  真は商売をしながら少しずつ世界を見聞していく。  彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜人、そしてヒューマンと魔族の戦争、次々に真は事件に関わっていく。  これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。  漫遊編始めました。  外伝的何かとして「月が導く異世界道中extra」も投稿しています。

最強幼女は惰眠を求む! 〜神々のお節介で幼女になったが、悠々自適な自堕落ライフを送りたい〜

フウ
ファンタジー
※30話あたりで、タイトルにあるお節介があります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー これは、最強な幼女が気の赴くままに自堕落ライフを手に入を手に入れる物語。 「……そこまでテンプレ守らなくていいんだよ!?」 絶叫から始まる異世界暗躍! レッツ裏世界の頂点へ!! 異世界に召喚されながらも神様達の思い込みから巻き込まれた事が発覚、お詫びにユニークスキルを授けて貰ったのだが… 「このスキル、チートすぎじゃないですか?」 ちょろ神様が力を込めすぎた結果ユニークスキルは、神の域へ昇格していた!! これは、そんな公式チートスキルを駆使し異世界で成り上が……らない!? 「圧倒的な力で復讐を成し遂げる?メンド臭いんで結構です。 そんな事なら怠惰に毎日を過ごす為に金の力で裏から世界を支配します!」 そんな唐突に発想が飛躍した主人公が裏から世界を牛耳る物語です。 ※やっぱり成り上がってるじゃねぇか。 と思われたそこの方……そこは見なかった事にした下さい。 この小説は「小説家になろう」 「カクヨム」でも公開しております。 上記サイトでは完結済みです。 上記サイトでの総PV1000万越え!

異世界漂流者ハーレム奇譚 ─望んでるわけでもなく目指してるわけでもないのに増えていくのは仕様です─

虹音 雪娜
ファンタジー
 単身赴任中の派遣SE、遊佐尚斗は、ある日目が覚めると森の中に。  直感と感覚で現実世界での人生が終わり異世界に転生したことを知ると、元々異世界ものと呼ばれるジャンルが好きだった尚斗は、それで知り得たことを元に異世界もの定番のチートがあること、若返りしていることが分かり、今度こそ悔いの無いようこの異世界で第二の人生を歩むことを決意。  転生した世界には、尚斗の他にも既に転生、転移、召喚されている人がおり、この世界では総じて『漂流者』と呼ばれていた。  流れ着いたばかりの尚斗は運良くこの世界の人達に受け入れられて、異世界もので憧れていた冒険者としてやっていくことを決める。  そこで3人の獣人の姫達─シータ、マール、アーネと出会い、冒険者パーティーを組む事になったが、何故か事を起こす度周りに異性が増えていき…。  本人の意志とは無関係で勝手にハーレムメンバーとして増えていく異性達(現在31.5人)とあれやこれやありながら冒険者として異世界を過ごしていく日常(稀にエッチとシリアス含む)を綴るお話です。 ※横書きベースで書いているので、縦読みにするとおかしな部分もあるかと思いますがご容赦を。 ※纏めて書いたものを話数分割しているので、違和感を覚える部分もあるかと思いますがご容赦を(一話4000〜6000文字程度)。 ※基本的にのんびりまったり進行です(会話率6割程度)。 ※小説家になろう様に同タイトルで投稿しています。

勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス

R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。 そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。 最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。 そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。 ※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

処理中です...