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 気付けば、リシェンヌはモーリスと婚約することになっていた。
 あの同意がまさか婚約の同意と受け取られるとは思っていなかった。

 確かに、モーリスが言った『仲良くして贈り物を受け取る』相手というのは、婚約者だ。
 愛人や娼婦も同じようなことをやるが、真っ当な貴族同士の習慣としては、間違いなく婚約者ということになる。

 だからと言って、リシェンヌは釈然としないものがあった。

 数日後、婚約の挨拶にモーリスは公爵家を訪れた。

 「リシェンヌ嬢、この花を受け取ってください」

 公爵家の家族が見守る中、モーリスが差し出したのは、黄色いカーネーションの花束だった。

 「……ありがとうございます。嬉しいですわ」

 一瞬の間を置いてから、リシェンヌは笑顔を作って受け取った。

 リシェンヌが一瞬間を開けてしまったのには理由がある。
 黄色いカーネーションの花言葉は『軽蔑』。
 とても婚約の挨拶の時に持ってくる花ではない。

 貴族であれば知っているべきことだが、天才と言われているモーリスにも知らないことがあったのかとリシェンヌは驚いたのだった。
 
 「素敵な方ね。リシェンヌよかったわね」
 「そうだな、よかったな」

 立ち会っていたリシェンヌの両親も気づいていないはずがないのに、そう言っただけで作り笑いを浮かべていた。
 両親はリシェンヌが『軽蔑』されたところで、どうでもいいのかもしれない。
 それとも、この婚約自体がどうでもよくて、細かなことなど気にかけてすらいないのだろうか。

 「あら、黄色いカーネーション、かわいい!お姉さま、私にも分けていただきたいわ!」
 「え?でも……」
 
 姉の婚約者からの贈り物をねだるなんて……と思ったものの、第三王子が婚約者だった時も同じような感じだったと思い返す。第三王子の贈り物も間を置かずにロレッタに奪われていった。

 ロレッタはたとえ不敬になろうとも欲しいものは手に入れようとする。
 ただ、自分の印象が悪くならないように、この場ではすべて欲しいと言わずに『分けていただきたい』という言葉を使っているのは流石だと思った。
 どのような言葉を使おうと、結局はすべて奪われてしまうのだが。

 「あら、少しくらい分けてあげなさい。お姉さんでしょ」
 「そうだぞ、わがままはやめなさい」
 「お嬢様、お預かりします」

 両親の言葉に促されるように、メイドが活けるために花束を受け取っていく。
 これで黄色いカーネーションの花束は、一本たりともリシェンヌの元に回ってくることなく、ロレッタの部屋に飾られることが確定した。

 その様子を、モーリスはなぜか楽し気に観察していたのだった。

 両親と共に正式な婚約の手続きをした後、モーリスの望みでリシェンヌは二人でお茶をすることになった。

 婚約者同士のお茶ということで、会話が聞こえない程度の距離でメイドと両家の護衛が控えている以外は二人きりだ。

 「やはり、奪われましたね。しかし、私の前でねだるとは、妹君はかなり強欲のようだ」

 やけに楽しそうにモーリスは言ってのけた。
 
 「ああなると予測しておられたのですか?」
 「ええ。噂は聞いていますので」
 「では、あの……」
 「黄色いカーネーションですか?もちろん、わざとです。あのような不吉な花言葉の花でも奪っていくのか、実験させていただきました」

 さも当然とばかりに、眼鏡を輝かせながらモーリスは言う。
 なるほど、とリシェンヌは理解した。つまりあれがモーリスが言っていた実験だったのだろう。
 婚約者に……いや、女性に贈るには不似合いな花を贈ることで、ロレッタがどういった行動をするか試したのだ。

 「それで、あれで何が分かりましたの?」

 今まで様々な物を奪われてきたリシェンヌは、ロレッタに対して情はない。
 むしろ、あれが何のための実験であったのかという方が、興味があった。

 「貴方なら興味を持っていただけると思いました。ですが、まだ内緒です」

 モーリスは人差し指を唇の当て、悪戯っぽく笑った。
 その仕草が子供じみて可愛らしく、リシェンヌも笑顔を浮かべた。

 実験のための一時的な婚約かもしれないが、その間はモーリスとの関係を楽しもう。
 そうリシェンヌは思ったのだった。




 次にモーリスから贈られたのはビスクドールだった。
 陶器で作られた少女の人形は、中途半端に生きているようで不気味だった。
 確かに整った見た目で質は良いのだろうが、どこか呪われそうな雰囲気があった。部屋に飾っていて夜中に不意に目にしたら、泣き出す自信がある。
 同じ部屋で生活するだけでも嫌だと思える品物だった。
 特に虚ろに輝く目と、薄っすらと笑っている口元に並ぶ麦粒のような小さな歯が気持ち悪い。

 それを見て、リシェンヌは察する。
 モーリスはあえて呪われそうなビスクドールを選んだのだろう。
 ちゃんとした店で選んだのなら、もっと女性に好まれそうな可愛げのあるものがたくさんあったはずだ。店員もそちらを薦めるに違いない。

 「……その、モーリス様」

 ビスクドールを手渡された四阿あずまやの席で、リシェンヌはモーリスと向かい合っている。

 「なんですか?リシェンヌ嬢」

 答えるモーリスの姿は、隙が無い。
 その洗練された仕草は、奇妙な実験を仕掛けるような人物とは見えない。どこから見ても非の打ちどころのない紳士だ。
 しかし間違いなく、モーリスはリシェンヌを通して、妹のロレッタに奇妙な実験を仕掛けていた。

 「ロレッタは虫が嫌いですわ。蝶のような美しいものも含めて、ぜんぶ嫌いです」

 リシェンヌの言葉を聞いて、モーリスはニヤリと笑った。

 「リシェンヌ嬢は実に察しのいい方ですね。でも、いいのですか?」
 「はい。先に私から婚約者を奪ったのは妹です。それに、元々親族の情も持っていませんでした」

 少し寂しいが、それは事実だった。リシェンヌはすべてを奪っていく妹に親愛すら感じたことはない。
 そして婚約者を奪われて、公爵家を継ぐ将来すら奪われたときに、恨みすら感じてしまった。
 自分にそんな醜い感情があったのかとその時は思ったが、考え返してみると、それは今までずっとくすぶり続けていた感情だったのだろう。
 
 そして今、モーリスがやろうとしていることが少しでもロレッタを不快にし、自分の気が晴らせるものとなるとなら、協力したいと思った。

 「それでは、私の婚約者になるだけではなく、協力者にもなってくださるということですね?」

 モーリスの言葉は不穏な物を含んでいたが、浮かべている表情は優しいものだった。

 「はい」
 「今、私は王太子の指示によって一つの計画を任されています。この実験もそれに関わるものだと思ってもらってかまいません。そして、この実験の結果如何いかんによっては、貴方の妹君だけでなく、ご両親の今後にも大きく関わってくるかもしれません」
 「かまいません。父と母が私に興味がないように、私もあまり興味がないのです。親の愛情が欲しい年頃は過ぎてしまいましたわ」

 子供の頃は妹のように両親からの愛情が欲しかった。
 しかしもう、そんな感情は忘れてしまった。

 親の愛情を求めていた時のことを思い出し、リシェンヌは表情を曇らせた。
 それは一瞬のことだ。すぐにリシェンヌは対面しているモーリスに気付かれないように笑みを作る。

 しかしモーリスはその一瞬ですべてを察したのだろう。手を伸ばし、そっとリシェンヌの頬に触れる。

 「悲しい思いをされてきたのですね。それを、終わらせましょう」

 暖かい手のひら。
 その熱が移るように、リシェンヌの頬も熱を持っていく。

 「貴方は聡明な方だ。そして、美しい。妹君よりもずっと、愛らしい」

 頬だけでなく、リシェンヌの全身が熱くなっていく。
 髪と同じ黒曜のようなモーリスの瞳に吸い込まれそうになる。
 目を背けたいのに背けることができず、二人はそのまましばらく見つめ合ったのだった。
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