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四章 新しい仲間たちの始まり
エピローグ③ (四章 終)
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馬車が街道を進む。
石畳を蹴るゆったりとした蹄の音が、静かな空気に溶け込んでいく。
仰ぎ見れば空は高く、青く。街道沿いの木々が緑に輝いていた。
眩しいばかりの日差しを、御者席にいるベルンハルトは手をかざして遮りながら目を細めた。
ロアと望郷、そして従魔たちは帰るための道を進んでいた。
向かう先は、ネレウス王国……ではなく、ペルデュ王国だ。
本来であればネレウスに戻って報告する必要があるのだろうが、ネレウスに一度戻るべきだと言い出す者はいなかった。
事情は推して知るべし。全員がこれ以上面倒事に巻き込まれたくなかったからだ。
ネレウスには面倒事を量産して押し付けてくるやっかいな人物がいる。その者から逃げたと言っても良い。
同行している従魔は、グリおじさんと双子と隠れて付いて来ているヴァルのみ。カラくんはダンジョンに残って後始末をすることになった。
もっとも、ロアの家とダンジョンは妖精の抜け穴で繋がる予定になっているので、すぐに会うことになるだろう。
「なあ、狭いんだが」
<うるさい寝坊助。そんなことよりも貴様はボロボロと食い物をこぼすな。我の美しい毛皮が汚れるであろうが>
馬車は商人が輸送に使うような中型の馬車だ。人間だけなら詰めれば十人は乗れるだろう。
貴族の馬車の様な箱型ではないが、布張りの屋根だってついている。冒険者が使うには高級な部類の馬車で、アダドの冒険者ギルドが好意で提供してくれたものだった。
そんな広さがある馬車なのに狭く感じるのは、グリおじさんが乗っているからだった。グリおじさんがいつものように寝そべっている所為で、その巨体が荷台の半分以上を占めてしまっていた。
「せっかくデカい馬車なのに、あんたの巨体のせいで狭いって言ってるんだよ。ルーとフィーと一緒に走れよ。寝てばっかりだと太るぞ」
そう言いながら、ディートリヒは馬車の後方に目を向ける。視線の先には二匹で駆け回り、遊びながら後を付いてくる双子の姿があった。
街道沿いの草むらの虫を追い立てて遊んでいる姿は、平和そのものだ。
<太るのは貴様であろう。先ほどから不気味な物を食いおって。走れ>
「うるせぇ」
ディートリヒは、寝そべるグリおじさんの腹に上半身を預けて座っている。その上で、携行食料を齧って小腹を満たしていた。
先ほどからグリおじさんが言っている様にボロボロと携行食料のカスが零れているが、お構いなしだ。すっかりくつろいでいる。
<それにだな、今、我は動けぬ>
「ん?……ああ……寝たのか」
ディートリヒの横には、同じくグリおじさんの腹に身体を預けてロアが眠っていた。
馬車の振動でずり落ちるのを嫌ったのか、グリおじさんの首元に腕を回して抱き着いて寝息を立てている。羽毛に半ば埋まっている安心しきった寝顔は、実に幸せそうだった。
これでは、確かにグリおじさんは動けそうにない。
「色々あって、疲れが溜まってたんだろうな」
<そうだな……>
ロアを見つめるグリおじさんの表情は柔らかい。宝がやっと手元に戻ってきた幸せを噛み締めているようだ。
ディートリヒがロアを見つめていると、翼が動き、ロアの全身を抱きしめるように覆い隠した。ディートリヒの目にすら触れさせたくないと言いたげな行動だった。
独占欲丸出しの行動に、ディートリヒは思わず苦笑を漏らした。
幸せな時間。
ここに至るまで、色々あった。
二重存在を倒した後も、気が休まる時間が無かった。
まずは冒険者ギルドでの事情聴取。
本来であればこれだけの大事件だ。ギルトは関係者全員に個別に事情を聞くところだろうが、突如ダンジョンから出現した未知の魔獣から街を救ったことを評価され、かなり大目に見てもらうことができた。望郷の全員が立会いの下で、クリストフが一通り説明しただけで終了した。
その内容も真実ではなく、かなり適当にでっち上げた内容で辻褄が合わない部分も多々あったが、ギルドはそのまま受け入れてくれた。
妖精王関係で話せない事情もあるのだと考えて、それ以上の追及は避けてくれたのだろう。
ロアのことは見なかったことになったらしい。
らしいというのは、何も聞かれなかったからだ。
ロアと従魔たちは、魔力が十分に復活してから姿を消していた。
と言っても、魔道石像の幻惑魔法を使いながらダンジョンの中へと逃げ込んだだけだが、冒険者ギルドの人々には忽然と姿を消したように見えただろう。
明らかに異常なのに、冒険者ギルドは最初から何も見ていなかったような対応をしていた。
妖精王が記憶を操作したのかと思ったくらいだ。しかし、カラくんは何もしていないらしい。
妖精王であっても膨大な数の目撃者の記憶を消して回るのはかなりの労力と魔力が必要になるらしく、即座に対応することは不可能だったのだ。
そうこうしている内にダンジョンの中と冒険者ギルド周辺で起こったことについては、厳しい罰則付きの緘口令が敷かれた。
それも、冒険者ギルドとアダド帝国の連名によるものだ。逆らう者はまずいない。
あまりにもロアたちに都合が良い対応で疑問は残ったが、ピョンちゃんが仕掛けた大嘘のおかげだろう。せっかくなので、そのまま乗っかることにした。
実のところ、冒険者ギルドの黒幕からの「小熊の周りで起こることはすべて無視しろ」という命令の影響が多分に有ったのだが、ロアたちにそのことは知らされなかった。
こうして、色々不可思議な状況がありながらも、何とか事態は収拾されたのだった。
望郷のメンバーたちは、数日後には迷宮地区を旅立つことができた。
そして、監視の目が無いのを確認してから、ロアたちも合流することが出来ていた。
あれだけのことをやらかして監視の目が無いのは、アダド皇帝からの配慮だろう。
なんでも「冒険者ディートリヒとその仲間に、アダド内を自由に移動できる権利を与える」と言うことらしい。
どうやらピョンちゃんが色々と駆け引きをして勝ち取った権利のようだが、『妖精王の使徒』などという訳の分からない称号を与えられるのと引き換えだと思うと、ディートリヒは割に合わないと感じていた。
そもそも、ディートリヒには『双子の下僕』という立派な称号があるのだから、余計でしかない。
「うーん……」
ディートリヒがここ数日の出来事を思い出していると、向かい側でクリストフが唸るのが聞こえた。
クリストフとコルネリアは、グリおじさんが寝そべっている隙間を縫うようにして荷台に座っている。
「どうかしたのか?」
問いかけると、クリストフは眉間に深く皺を寄せて首を捻った。
「……何か大事なことを忘れてる気がするんだが、思い出せないんだよ」
「あ!やっぱりそうよね!何か忘れてるわよね!?」
クリストフの言葉に、コルネリアも同じように声を上げる。無口で大人しいと思っていたが、二人してずっと何かを悩んでいたようだ。
「何かって何だよ?」
「だから、それが思い出せないんだよ!大事な事だったと思うんだけどな」
「そうなのよね」
二人して首を捻る。
「アダドにもう大事なことなんてないだろ?ロアは助けたし、後は帰るだけなんだから。それともあれか?あの女が言ってた、ヒヒイロカネのことか?」
「あ、いや、それも一応は重要だけど、それじゃない。そのことは覚えてたし」
「もっと別の事のはずだわ」
あの女と言うのは、ネレウスの女王の事である。
ロアを助けに行く時に、女王はついでにヒヒイロカネを手に入れて来いと伝えて来たのだ。
ヒヒイロカネは二重存在の身体を作っていた金属で、さらには迷宮核の材料でもある。
ドッペルゲンガーを倒した時に破片を回収しようと思えばできた。だが、またあんな物が現れたら大事だし、女王なら何か手段を講じて作りかねないということで、話し合って持ち帰るのは止めておくことにしたのだ。
ちなみに、ドッペルゲンガーの破片は全てカラくんが命令で妖精たちが回収してしまった。
ということで、ヒヒイロカネのことは気になっていたが、忘れているという訳では無い。あえて無視したのだ。
「じゃあなんだよ?」
「それが分からないんだって!」
ガタリと、その瞬間に馬車が止まる。
何だと思って前を見ると、馬車の行列が出来ていた。
前方で何かが起こって、前に進めなくなっているらしい。馬車から降りて話し合う人々の姿も見えるから、かなり長時間待たされているのだろう。
<なんかねー、通行止めだっていってるよ>
<この先の砦がくずれたって。まほう建築なのに、くずれたから大騒ぎ!>
ひょこりと、双子が馬車の縁に前足を駆けて顔を覗かせて言う。行列に気付いて、様子を見て来てくれたのだろう。
「魔法建築の砦が崩れた?」
ディートリヒが疑問の声を上げた。
魔法建築は、強化の魔法をかけられているから意図的に壊さない限り崩れることは無い。もし自然に崩れたのなら、大問題だ。異常事態に、通行止めになるのは当然だろう。
一瞬の間をおいて、望郷の三人は顔を見合わせた。
「「「それだ!!」」」
声を合わせて叫ぶと、全員がグリおじさんに視線を向ける。
忘れていた、何か大事なこと。
色々な事が起こり過ぎて、記憶の片隅に追いやってしまっていたこと。
ダンジョンの壁を崩す時、グリおじさんが言っていたことを、やっと三人は思い出した。
グリおじさんは帝都に向かう途中、憂さ晴らしにアダドの魔法建築の建物に片っ端から魔法をかけていた。
それは魔法建築の建物を崩す魔法だ。
自由自在に崩せ、崩れるまでにかかる時間も思うがまま。
あの時は無事帰れるかどうかも分からなかった。アダドの人間たちが危険だと分かっていても、注意喚起できる方法も無かった。
だから、すっかり忘れていた。むしろ、伝えられない苛立ちごと忘れようとした。
<崩れるまえに、きしみ?がひどかったからみんな逃げててケガはないって>
<崩れるまえに、ぐらぐら揺れたから逃げたんだって>
追い打ちのように双子が告げてくる。それはアマダン伯領の冒険者ギルド崩壊事件と全く同じ状況だった。
幸いなことに、アマダン伯領の冒険者ギルドと同じで、異常に気付いてケガ人は出ていないようだが……。
<なんだ?貴様ら。我の顔に何か付いておるか?>
じっと、グリおじさんを見つめる三人。グリおじさんは悪びれる様子すらない。
「……いいのかよ?」
<何がだ?>
ディートリヒが忠告しても、名にも気付かないようだ。
「ロアが怒るぞ?」
<はぁ!!?>
やっと、グリおじさんが驚きの表情を浮かべた。
「ロアだって馬鹿じゃない。アマダンの冒険者ギルドと同じことが起こってたら、どっちにもいた奴が怪しいと思い始めるだろう。しかも、あんた、通り道の建物に片っ端から魔法をかけてたんだよな?最初は偶然かと思ってても、どっかで必ずあんたが犯人だと気付くぞ?ケガ人が出ないように仕掛けをしてたみたいだが、それでロアが許してくれると思うか?」
<むむむ……>
「道を変えても、噂でもちきりになってるはずだ。ロアの耳に入らないはずがない。逃げ場はないぞ」
<ぐぬぬ……>
グリおじさんは建物を壊したこと自体に罪悪感はない。悪いことだとはまったく思っていない。
むしろ、自分を怒らせたアダドの人間が悪いと思うだけだ。我は悪くない!……そう言って終わりだろう。
しかし、ロアが怒るとなれば、話が違ってくる。
罪悪感は無くても、ロアが怒ることをやらかしてしまったことは自覚している。
「どうするんだ?」
追い詰めるように、ディートリヒが言うと、グリおじさんは目と口を大きく開いた。きっと羽毛が無ければ、顔色は真っ青になって汗だくになっているだろう。
マズい状況だと、やっと気付いた。
<ぐぬぬぬぬぬ…………>
嘴を食いしばり、唸りながら考える。なんとか逃げ道はないか?ロアに怒られない手段はないのか?必死に考える。
そして、しばらく考えた後に、グリおじさんは叫んだ。
<そんなもの!小僧に知られなければいいのであろう!!>
「うわっ!」
グリおじさんは腹の上のディートリヒを蹴飛ばすと、そのままロアを翼で優しく包み込む。
ディートリヒは顔面から荷台に突っ込んだ。
「えっ、なになになに!?」
コルネリアの悲鳴が響く中、馬車の中に突風が吹き荒れる。それはグリおじさんを中心に大きく渦を巻き、身体を持ち上げていく。
<我は小僧と先に帰っているからな!ふははははははは!そうすれば、小僧に知られることはあるまい!貴様らはゆっくり帰って来るがいい!>
幸いなことに、ロアは眠っている。寝ている間に、帰ってしまえばいいのだ。そうすれば、アダド国内でどれだけ建物が崩れようが、ロアが知る機会はない。
そう考えて、グリおじさんは強硬手段に出たのだった。
<あ、ずるーい!>
<おじちゃん、ずるーーーーーい!!>
双子には悪いが、試練は必要だとグリおじさんは考える。時には、大人のズルさも知っておくべきだ。
「ば、バカやろーーーー」
ディートリヒの叫びが響くが、すぐに聞こえなくなる。
ロアを翼で抱えたまま、グリおじさんは魔法で空へと舞い上がっていく。高く、高く。
<ふはははははは!!今度は我が小僧を連れ去ってやる!>
ロアの誘拐から始まった騒動。
最後にロアを連れ去ったのは、グリおじさんだった。
<さあ、帰るぞ、小僧>
見渡す限りの青い空。グリおじさんはロアを抱えて家路を急ぐのだった。
四章 終わり
※ ※ ※ ※
いつも読んでいただきありがとうございます。
四章はこれで終了とさせていただきます。ありがとうございました。
次の五章は、現在少し忙しい時期になってまして、ちょっと間を空けてからということで、来年になってからスタートしたいと思っています。
もっとも、それまでもちょこちょこ閑話を書くことになると思います。色々告知もありますので。
次こそは、文字数がプロット時点の1.5倍以上に膨れ上がる癖を何とかしたいと思っています。
よろしくお願いします。
石畳を蹴るゆったりとした蹄の音が、静かな空気に溶け込んでいく。
仰ぎ見れば空は高く、青く。街道沿いの木々が緑に輝いていた。
眩しいばかりの日差しを、御者席にいるベルンハルトは手をかざして遮りながら目を細めた。
ロアと望郷、そして従魔たちは帰るための道を進んでいた。
向かう先は、ネレウス王国……ではなく、ペルデュ王国だ。
本来であればネレウスに戻って報告する必要があるのだろうが、ネレウスに一度戻るべきだと言い出す者はいなかった。
事情は推して知るべし。全員がこれ以上面倒事に巻き込まれたくなかったからだ。
ネレウスには面倒事を量産して押し付けてくるやっかいな人物がいる。その者から逃げたと言っても良い。
同行している従魔は、グリおじさんと双子と隠れて付いて来ているヴァルのみ。カラくんはダンジョンに残って後始末をすることになった。
もっとも、ロアの家とダンジョンは妖精の抜け穴で繋がる予定になっているので、すぐに会うことになるだろう。
「なあ、狭いんだが」
<うるさい寝坊助。そんなことよりも貴様はボロボロと食い物をこぼすな。我の美しい毛皮が汚れるであろうが>
馬車は商人が輸送に使うような中型の馬車だ。人間だけなら詰めれば十人は乗れるだろう。
貴族の馬車の様な箱型ではないが、布張りの屋根だってついている。冒険者が使うには高級な部類の馬車で、アダドの冒険者ギルドが好意で提供してくれたものだった。
そんな広さがある馬車なのに狭く感じるのは、グリおじさんが乗っているからだった。グリおじさんがいつものように寝そべっている所為で、その巨体が荷台の半分以上を占めてしまっていた。
「せっかくデカい馬車なのに、あんたの巨体のせいで狭いって言ってるんだよ。ルーとフィーと一緒に走れよ。寝てばっかりだと太るぞ」
そう言いながら、ディートリヒは馬車の後方に目を向ける。視線の先には二匹で駆け回り、遊びながら後を付いてくる双子の姿があった。
街道沿いの草むらの虫を追い立てて遊んでいる姿は、平和そのものだ。
<太るのは貴様であろう。先ほどから不気味な物を食いおって。走れ>
「うるせぇ」
ディートリヒは、寝そべるグリおじさんの腹に上半身を預けて座っている。その上で、携行食料を齧って小腹を満たしていた。
先ほどからグリおじさんが言っている様にボロボロと携行食料のカスが零れているが、お構いなしだ。すっかりくつろいでいる。
<それにだな、今、我は動けぬ>
「ん?……ああ……寝たのか」
ディートリヒの横には、同じくグリおじさんの腹に身体を預けてロアが眠っていた。
馬車の振動でずり落ちるのを嫌ったのか、グリおじさんの首元に腕を回して抱き着いて寝息を立てている。羽毛に半ば埋まっている安心しきった寝顔は、実に幸せそうだった。
これでは、確かにグリおじさんは動けそうにない。
「色々あって、疲れが溜まってたんだろうな」
<そうだな……>
ロアを見つめるグリおじさんの表情は柔らかい。宝がやっと手元に戻ってきた幸せを噛み締めているようだ。
ディートリヒがロアを見つめていると、翼が動き、ロアの全身を抱きしめるように覆い隠した。ディートリヒの目にすら触れさせたくないと言いたげな行動だった。
独占欲丸出しの行動に、ディートリヒは思わず苦笑を漏らした。
幸せな時間。
ここに至るまで、色々あった。
二重存在を倒した後も、気が休まる時間が無かった。
まずは冒険者ギルドでの事情聴取。
本来であればこれだけの大事件だ。ギルトは関係者全員に個別に事情を聞くところだろうが、突如ダンジョンから出現した未知の魔獣から街を救ったことを評価され、かなり大目に見てもらうことができた。望郷の全員が立会いの下で、クリストフが一通り説明しただけで終了した。
その内容も真実ではなく、かなり適当にでっち上げた内容で辻褄が合わない部分も多々あったが、ギルドはそのまま受け入れてくれた。
妖精王関係で話せない事情もあるのだと考えて、それ以上の追及は避けてくれたのだろう。
ロアのことは見なかったことになったらしい。
らしいというのは、何も聞かれなかったからだ。
ロアと従魔たちは、魔力が十分に復活してから姿を消していた。
と言っても、魔道石像の幻惑魔法を使いながらダンジョンの中へと逃げ込んだだけだが、冒険者ギルドの人々には忽然と姿を消したように見えただろう。
明らかに異常なのに、冒険者ギルドは最初から何も見ていなかったような対応をしていた。
妖精王が記憶を操作したのかと思ったくらいだ。しかし、カラくんは何もしていないらしい。
妖精王であっても膨大な数の目撃者の記憶を消して回るのはかなりの労力と魔力が必要になるらしく、即座に対応することは不可能だったのだ。
そうこうしている内にダンジョンの中と冒険者ギルド周辺で起こったことについては、厳しい罰則付きの緘口令が敷かれた。
それも、冒険者ギルドとアダド帝国の連名によるものだ。逆らう者はまずいない。
あまりにもロアたちに都合が良い対応で疑問は残ったが、ピョンちゃんが仕掛けた大嘘のおかげだろう。せっかくなので、そのまま乗っかることにした。
実のところ、冒険者ギルドの黒幕からの「小熊の周りで起こることはすべて無視しろ」という命令の影響が多分に有ったのだが、ロアたちにそのことは知らされなかった。
こうして、色々不可思議な状況がありながらも、何とか事態は収拾されたのだった。
望郷のメンバーたちは、数日後には迷宮地区を旅立つことができた。
そして、監視の目が無いのを確認してから、ロアたちも合流することが出来ていた。
あれだけのことをやらかして監視の目が無いのは、アダド皇帝からの配慮だろう。
なんでも「冒険者ディートリヒとその仲間に、アダド内を自由に移動できる権利を与える」と言うことらしい。
どうやらピョンちゃんが色々と駆け引きをして勝ち取った権利のようだが、『妖精王の使徒』などという訳の分からない称号を与えられるのと引き換えだと思うと、ディートリヒは割に合わないと感じていた。
そもそも、ディートリヒには『双子の下僕』という立派な称号があるのだから、余計でしかない。
「うーん……」
ディートリヒがここ数日の出来事を思い出していると、向かい側でクリストフが唸るのが聞こえた。
クリストフとコルネリアは、グリおじさんが寝そべっている隙間を縫うようにして荷台に座っている。
「どうかしたのか?」
問いかけると、クリストフは眉間に深く皺を寄せて首を捻った。
「……何か大事なことを忘れてる気がするんだが、思い出せないんだよ」
「あ!やっぱりそうよね!何か忘れてるわよね!?」
クリストフの言葉に、コルネリアも同じように声を上げる。無口で大人しいと思っていたが、二人してずっと何かを悩んでいたようだ。
「何かって何だよ?」
「だから、それが思い出せないんだよ!大事な事だったと思うんだけどな」
「そうなのよね」
二人して首を捻る。
「アダドにもう大事なことなんてないだろ?ロアは助けたし、後は帰るだけなんだから。それともあれか?あの女が言ってた、ヒヒイロカネのことか?」
「あ、いや、それも一応は重要だけど、それじゃない。そのことは覚えてたし」
「もっと別の事のはずだわ」
あの女と言うのは、ネレウスの女王の事である。
ロアを助けに行く時に、女王はついでにヒヒイロカネを手に入れて来いと伝えて来たのだ。
ヒヒイロカネは二重存在の身体を作っていた金属で、さらには迷宮核の材料でもある。
ドッペルゲンガーを倒した時に破片を回収しようと思えばできた。だが、またあんな物が現れたら大事だし、女王なら何か手段を講じて作りかねないということで、話し合って持ち帰るのは止めておくことにしたのだ。
ちなみに、ドッペルゲンガーの破片は全てカラくんが命令で妖精たちが回収してしまった。
ということで、ヒヒイロカネのことは気になっていたが、忘れているという訳では無い。あえて無視したのだ。
「じゃあなんだよ?」
「それが分からないんだって!」
ガタリと、その瞬間に馬車が止まる。
何だと思って前を見ると、馬車の行列が出来ていた。
前方で何かが起こって、前に進めなくなっているらしい。馬車から降りて話し合う人々の姿も見えるから、かなり長時間待たされているのだろう。
<なんかねー、通行止めだっていってるよ>
<この先の砦がくずれたって。まほう建築なのに、くずれたから大騒ぎ!>
ひょこりと、双子が馬車の縁に前足を駆けて顔を覗かせて言う。行列に気付いて、様子を見て来てくれたのだろう。
「魔法建築の砦が崩れた?」
ディートリヒが疑問の声を上げた。
魔法建築は、強化の魔法をかけられているから意図的に壊さない限り崩れることは無い。もし自然に崩れたのなら、大問題だ。異常事態に、通行止めになるのは当然だろう。
一瞬の間をおいて、望郷の三人は顔を見合わせた。
「「「それだ!!」」」
声を合わせて叫ぶと、全員がグリおじさんに視線を向ける。
忘れていた、何か大事なこと。
色々な事が起こり過ぎて、記憶の片隅に追いやってしまっていたこと。
ダンジョンの壁を崩す時、グリおじさんが言っていたことを、やっと三人は思い出した。
グリおじさんは帝都に向かう途中、憂さ晴らしにアダドの魔法建築の建物に片っ端から魔法をかけていた。
それは魔法建築の建物を崩す魔法だ。
自由自在に崩せ、崩れるまでにかかる時間も思うがまま。
あの時は無事帰れるかどうかも分からなかった。アダドの人間たちが危険だと分かっていても、注意喚起できる方法も無かった。
だから、すっかり忘れていた。むしろ、伝えられない苛立ちごと忘れようとした。
<崩れるまえに、きしみ?がひどかったからみんな逃げててケガはないって>
<崩れるまえに、ぐらぐら揺れたから逃げたんだって>
追い打ちのように双子が告げてくる。それはアマダン伯領の冒険者ギルド崩壊事件と全く同じ状況だった。
幸いなことに、アマダン伯領の冒険者ギルドと同じで、異常に気付いてケガ人は出ていないようだが……。
<なんだ?貴様ら。我の顔に何か付いておるか?>
じっと、グリおじさんを見つめる三人。グリおじさんは悪びれる様子すらない。
「……いいのかよ?」
<何がだ?>
ディートリヒが忠告しても、名にも気付かないようだ。
「ロアが怒るぞ?」
<はぁ!!?>
やっと、グリおじさんが驚きの表情を浮かべた。
「ロアだって馬鹿じゃない。アマダンの冒険者ギルドと同じことが起こってたら、どっちにもいた奴が怪しいと思い始めるだろう。しかも、あんた、通り道の建物に片っ端から魔法をかけてたんだよな?最初は偶然かと思ってても、どっかで必ずあんたが犯人だと気付くぞ?ケガ人が出ないように仕掛けをしてたみたいだが、それでロアが許してくれると思うか?」
<むむむ……>
「道を変えても、噂でもちきりになってるはずだ。ロアの耳に入らないはずがない。逃げ場はないぞ」
<ぐぬぬ……>
グリおじさんは建物を壊したこと自体に罪悪感はない。悪いことだとはまったく思っていない。
むしろ、自分を怒らせたアダドの人間が悪いと思うだけだ。我は悪くない!……そう言って終わりだろう。
しかし、ロアが怒るとなれば、話が違ってくる。
罪悪感は無くても、ロアが怒ることをやらかしてしまったことは自覚している。
「どうするんだ?」
追い詰めるように、ディートリヒが言うと、グリおじさんは目と口を大きく開いた。きっと羽毛が無ければ、顔色は真っ青になって汗だくになっているだろう。
マズい状況だと、やっと気付いた。
<ぐぬぬぬぬぬ…………>
嘴を食いしばり、唸りながら考える。なんとか逃げ道はないか?ロアに怒られない手段はないのか?必死に考える。
そして、しばらく考えた後に、グリおじさんは叫んだ。
<そんなもの!小僧に知られなければいいのであろう!!>
「うわっ!」
グリおじさんは腹の上のディートリヒを蹴飛ばすと、そのままロアを翼で優しく包み込む。
ディートリヒは顔面から荷台に突っ込んだ。
「えっ、なになになに!?」
コルネリアの悲鳴が響く中、馬車の中に突風が吹き荒れる。それはグリおじさんを中心に大きく渦を巻き、身体を持ち上げていく。
<我は小僧と先に帰っているからな!ふははははははは!そうすれば、小僧に知られることはあるまい!貴様らはゆっくり帰って来るがいい!>
幸いなことに、ロアは眠っている。寝ている間に、帰ってしまえばいいのだ。そうすれば、アダド国内でどれだけ建物が崩れようが、ロアが知る機会はない。
そう考えて、グリおじさんは強硬手段に出たのだった。
<あ、ずるーい!>
<おじちゃん、ずるーーーーーい!!>
双子には悪いが、試練は必要だとグリおじさんは考える。時には、大人のズルさも知っておくべきだ。
「ば、バカやろーーーー」
ディートリヒの叫びが響くが、すぐに聞こえなくなる。
ロアを翼で抱えたまま、グリおじさんは魔法で空へと舞い上がっていく。高く、高く。
<ふはははははは!!今度は我が小僧を連れ去ってやる!>
ロアの誘拐から始まった騒動。
最後にロアを連れ去ったのは、グリおじさんだった。
<さあ、帰るぞ、小僧>
見渡す限りの青い空。グリおじさんはロアを抱えて家路を急ぐのだった。
四章 終わり
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いつも読んでいただきありがとうございます。
四章はこれで終了とさせていただきます。ありがとうございました。
次の五章は、現在少し忙しい時期になってまして、ちょっと間を空けてからということで、来年になってからスタートしたいと思っています。
もっとも、それまでもちょこちょこ閑話を書くことになると思います。色々告知もありますので。
次こそは、文字数がプロット時点の1.5倍以上に膨れ上がる癖を何とかしたいと思っています。
よろしくお願いします。
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聖女が喫茶店を開くけど、追放されて辺境に移り住んだ物語と、聖女のいない王都。
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物語内のノーラとデイジーは同一人物です。
王都の小話は追記予定。
修正を入れることがあるかもしれませんが、作品・物語自体は完結です。
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