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四章 新しい仲間たちの始まり
ドッペルゲンガーと、紙
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地上の城でも揺れが感じられるようになった頃。
当然ながら、城の地下にあるアダド地下大迷宮はまだ揺れ続けていた。
止まる気配はない。
激しくなることもないが、ずっと揺れている。このまま続けば、ダンジョンに自体にまで影響が出かねない。
<ふむ>
グリおじさんはロアの偽者を一瞥する。
<あっ、ダメ!>
グリおじさんが何をするのか察しだのだろう、カラくんが慌てた声を上げた。
ほぼ同時にグリおじさんが放ったのは、風の刃。
初歩的な魔法ながら、研鑽を積んだグリおじさんが使うと最強の刃となる。
風の刃は真っ直ぐにロアの偽物に向かうと、その首を切り裂いた。
<これで終わりだ>
グリおじさんは、自慢げに胸を逸らした。
<だから、それじゃダメなんだって。無駄な刺激をしないでよ>
カラくんは、頭を抱えた。
その言葉を裏付けるように、ロアの偽物は首を斬ら裂かれても微動だにしない。頭が自重で落ちかけたものの、それも首の切り目から細かな糸の様の物が伸びて一瞬で修復される。
見る見る間に、元に戻っていった。
<ダンジョンが揺れているのは、アレが原因ではないのか?アレを殺せば収まるのであろう?>
<そうだけど、普通の魔獣と同じ対応じゃダメなんだよ。あれはヒヒイロカネ。金属だけど生きているんだ。その、金属でできたスライムみたいなものなんだよ。切るのは無意味!>
カラくんに言い返されて、グリおじさんは不機嫌な表情を浮かべ睨みつけた。
<では核はどこだ?切り裂いてやる>
<スライムみたいなってのは例えだよ!核も無いの!!知識もないのに分析もせず攻撃するとか、バカなの!?バカでしょ!!>
<なっ、バカと言うやつがバカなのだぞ?>
<うっさい、バカグリフォン!>
巨体の高位魔獣同士の幼稚な言い合いに、誰も口を挟めない。
いや、ロアなら止められるのだろうが、ロアはロアで真剣な顔で状況を治めようと分析していてそれどころではなかった。
グリおじさんが『アレ』と呼んでいる偽者のロアの正体は二重存在。
カラくんが生きている金属ヒヒイロカネの一部を基にして、ロアの記憶を植え込んで作りだした存在だ。
今は暴走状態にあるのか、ロアの姿を保ちながらも全身が本来のヒヒイロカネの色……つまり、真っ赤になっていた。一見、血塗れのロアに見えなくもない。
服だけはロアの学園服を着ているため、逆に不気味さが強調されている。
今続いているダンジョンの揺れの原因は、このドッペルゲンガーだ。
カラくんはロアに無断でドッペルゲンガーを作ったことを知られるのを恐れ、目撃されたら自壊するように命令を組み込んでいた。
だが、ロアの記憶から疑似的にロアの性格を再現されたドッペルゲンガーは、ロアと同じように異常な頑固さを見せてしまった。
自分の存在を消すことに抵抗し、それが本体である迷宮核にまで影響を与えてダンジョン全体が揺れているのだ。
「敵」
ポツリと、ドッペルゲンガーが口だけを動かして呟いた。
「危ない!」
真っ先に動いたのは、ディートリヒだった。
コルネリアから盾を奪い取ると、飛び出すようにロアの前へと立つ。それはほぼ直感だったが、ドッペルゲンガーが言った「敵」がロアの事だと判断した。
ドッペルゲンガーの自壊命令はロアに目撃されたら発動する。
ならば、ロアに見られなければいい。ロアがいなければ、見られることも無い。
そして、ロアを殺せば自分が消えずに済むという考えに至ったと、ディートリヒは思ったのだ。
弾ける閃光。
その現象をディートリヒはよく知っている。人間の使い手が少ないため魔法の名称は知らないが、嫌と言うほど目にしている。
グリおじさんが風の刃と並んでよく使う、雷の魔法だ。
「!!?」
声にならない叫びを上げ、ディートリヒは死を覚悟する。
咄嗟に盾を構えて前に立ったものの、雷の魔法は鉄の盾では防ぎきれない。少なくとも、今ディートリヒが手にしている盾では。
良くて盾を持つ手が使えなくなる。悪ければ、全身丸焦げだ。
だが、盾の陰で身を縮めるディートリヒには、いつまで待っても何の衝撃も襲ってこなかった。
そっと、盾をずらして視界を確保する。
<小僧が狙われていると気付き、守ろうとした心意気は評価してやるが、無謀だぞ>
大きな、翼。
ディートリヒの身体を隠すように、目の前にグリおじさんの翼が広げられていた。その表面では、小さく光が弾けている。
グリおじさんが守ってくれたのだと、瞬時に悟った。
「すまん。助かった」
<しまった。黒焦げでも小僧の薬で元に戻せるのか試せる機会だったな。失敗した>
「おい!」
グリおじさんの軽口に、ディートリヒはホッと安堵の息を吐いた。
ロアの魔法薬であっても、雷で即死したら治せない。まさに、絶体絶命の状況をグリおじさんに救われたのだ。
<無暗に動くな。我らがいるのだぞ?小僧の安全だけは、保障されておる>
そう言われて、ディートリヒが振り向くと、ロアの前には薄い氷の壁が出現していた。その後ろには、自慢げに胸を張ってシッポを振っている双子の姿も見えた。
どうやら、自分の行動は無駄だったらしい。
氷の壁は、大人の姿の青い魔狼が出した物。雷の魔法相手でも完璧に守って見せるだろう。グリおじさんがいて、大人の姿の双子がいる。それに、妖精王までいるのだから、守りは鉄壁と言って間違いない。
相変わらずロア限定のような言い方なのが気になるが、なんだかんだ言って性悪グリフォンは望郷のメンバーを見捨てはしない。
ディートリヒは苦笑を浮かべた。
<妖精王!貴様、あの偽者に魔法の知識まで持たせたのか?>
<いや、ボクが入れたのは錬金術の知識だけで、あんな強力な魔法の記憶を入れた覚えは……>
「あっ!」
声を上げたのは、ロアだ。何かに気付いたらしい。
同時に、この場にいる全員からそっと目を逸らして地面に視線を落とす。
<小僧!また何かやったのか!!?>
「ロア、早く自白して!他の魔法まで!」
瞬時にロアが何かをやらかしたと判断してしまうのは、前科があるからだろう。
グリおじさんに次いでコルネリアが問い詰めようとしたところで、他の魔法が襲ってきた。
今度は火の魔法だ。巨大な火の玉。
あっさりと、今度は魔法自体が掻き消える。赤い魔狼が魔法の制御を乗っ取って消したからだ。高位魔獣の本能とグリおじさんの教育によって高い魔力操作能力を持つ双子は、炎と氷であれば他者が放った魔法でも制御を奪える。
「その、たぶん、符術……」
<はい?>
<なんだそれは?>
カラくんが驚いた声を上げ、グリおじさんが首を捻る。様々な事に詳しいグリおじさんでも、知らない知識らしい。
「カラくんと符術と魔法陣について話したのを覚えてない?古代文明時代に独自言語の魔法式を使って、簡易的な魔法が使えたって話」
<覚えてはいますが……。まさか、この短期間で独自の言語を作ったのですか!?>
カラくんの中では、ちょっとした雑談の記憶として残っている。
符術とは、魔法式を書いた紙に魔力を通すことで魔法を発動させる、簡易魔道具である。
紙は魔力が溜まりにくい性質を持っているため発動させるだけの魔力が足りず、余程簡略化された魔法式でない限り魔法の発動は出来ないとされていた。
古代文明時代でも、独自の言語で文章の簡略化をして簡単な魔法が使える程度だったらしい。
まさか、それを実現してしまったとは。
カラくんは、今更ながらロアの恐ろしさを思い知った。
「いや、それは無理だったから、独自言語の代わりに色々な古語から最短で表せる単語を選んで組み合わせて、魔法式を組んでみたんだよ」
ロアに独自の言語を作り出すだけの知識はない。だから、ロアは古語を使った。
何かを言葉で表そうとする時、言語の種類によっては長文になる物と短い一言で済ませられる物がある。
ロアはたくさんある古語の中から最短で書き表せられる単語だけを選び、組み合わせて魔法式を作ったのだった。
確かにその方法ならば、普通に魔法式を書き記すよりも短く済むだろう。
「でも、自分で使ってみた時は、発動しなかったんだよ?」
<それは……一度に流せる魔力の量が違うからでしょうね。人間の手から流せる魔力より、スライムの様に自由に形を変えられる者の方が流せる魔力の方が多いでしょう。基本的な魔法なのに威力が大きいのも、そのせいでしょうね>
要するに、文字と紙に接する表面積の違いだ。
紙全体に接触して一度に魔力を流せるなら、発動のための魔力量も多くなる。
「なるほど。ちょっとした遊びだったんだけど、使えるものだね」
「遊び……」
その一言で、クリストフが撃沈して頭を抱えた。
こうやって話をしている間も、魔法は降り注いでいる。従魔たちにことごとく防がれているが、とんでもなく危険な状態だ。
現に、周囲にいた魔獣たちは蜘蛛の子を散らすように避難してしまって、今この闘技場に残っているのはロアと従魔たちと、望郷だけだ。
闘技場の地面は魔法の影響で大きく抉れ、壁は崩れ落ち始めている。
遊びで済まして良い状況ではない。
<ドッペルゲンガーはダンジョンコアとも繋がっています。ダンジョンコア経由でその情報を知り、取り寄せ、利用しているということでしょうね……。まずいな。ダンジョンコアを利用できるなら、魔力も無限に近い>
ドッペルゲンガーはヒヒイロカネの一部。そして、ヒヒイロカネはこのダンジョンを管理している迷宮核そのものだ。言うなれば、ドッペルゲンガーはダンジョンの全てを利用できる立場にいる。
もちろん、カラくんによって制限を掛けられてはいたが、今となってはそれも怪しい。カラくんですら知らなかった物のを利用していることから考えて、制限そのものが機能しなくなっていると考えていい。
<ならば、問題ないではないか!>
グリおじさんが言い切る。
絶望しても良い情報ばかりの中、グリおじさんだけが明るく元気だった。
<紙など、すぐに尽きるであろう?>
<このダンジョンには、いついかなる時もご主人様の要求に応えられるように、大量の紙が保管してあります。メモ用紙から、製本に使える高級紙、羊皮紙に至るまでたくさん!尽きることなど、ありません!>
絶望するような情報なのに、なぜかちょっと自慢げにカラくんが言ってのける。
だが、グリおじさんは残念な物を見る目をカラくんに向けた。
<何を言っておるのだ?我が言っているのは、小僧が魔法式を書いた紙の事だ。そんな大量に書いたわけではないのであろう?紙なら、あれほど大量の魔力を通していればすぐに劣化するからな。防いでいればすぐに紙が尽きるはずだ。その後に、あの偽者を始末してしまえば問題ないではないかと言っておるのだが?>
<……>
カラくんは、自分の勘違いを恥じるように身を縮めた。
「あー。それはどうかなぁ。調子に乗って、木版を作ってみたんだよね。火、風、雷の簡単な魔法だけだけど……。魔法を使えば、簡単に木で彫れたから。紙が大量にあるなら、量産は簡単にできるんだよね」
木版。
つまりは、木で作った版画用の道具。
紙とインクがあれば、同じ絵や文字が量産できる。
グリおじさんは顔色を変えた。
「だって、符術の利点って、紙と木版で簡単に量産が可能ってことだと思ったから……試してみたくて」
申し訳なさそうに言葉を付け加えるロア。
ロアは悪くない。
それは分かっている。
ロアは、記憶を失い、事情を何も知らずに作りたい物を作っていただけだ。
……それは分かっているのだが……。
その場にいたロア以外の全員の眉間には、深い皺が寄っている。
少しは自重しろよという言葉が、喉元まで出かかっていた。
当然ながら、城の地下にあるアダド地下大迷宮はまだ揺れ続けていた。
止まる気配はない。
激しくなることもないが、ずっと揺れている。このまま続けば、ダンジョンに自体にまで影響が出かねない。
<ふむ>
グリおじさんはロアの偽者を一瞥する。
<あっ、ダメ!>
グリおじさんが何をするのか察しだのだろう、カラくんが慌てた声を上げた。
ほぼ同時にグリおじさんが放ったのは、風の刃。
初歩的な魔法ながら、研鑽を積んだグリおじさんが使うと最強の刃となる。
風の刃は真っ直ぐにロアの偽物に向かうと、その首を切り裂いた。
<これで終わりだ>
グリおじさんは、自慢げに胸を逸らした。
<だから、それじゃダメなんだって。無駄な刺激をしないでよ>
カラくんは、頭を抱えた。
その言葉を裏付けるように、ロアの偽物は首を斬ら裂かれても微動だにしない。頭が自重で落ちかけたものの、それも首の切り目から細かな糸の様の物が伸びて一瞬で修復される。
見る見る間に、元に戻っていった。
<ダンジョンが揺れているのは、アレが原因ではないのか?アレを殺せば収まるのであろう?>
<そうだけど、普通の魔獣と同じ対応じゃダメなんだよ。あれはヒヒイロカネ。金属だけど生きているんだ。その、金属でできたスライムみたいなものなんだよ。切るのは無意味!>
カラくんに言い返されて、グリおじさんは不機嫌な表情を浮かべ睨みつけた。
<では核はどこだ?切り裂いてやる>
<スライムみたいなってのは例えだよ!核も無いの!!知識もないのに分析もせず攻撃するとか、バカなの!?バカでしょ!!>
<なっ、バカと言うやつがバカなのだぞ?>
<うっさい、バカグリフォン!>
巨体の高位魔獣同士の幼稚な言い合いに、誰も口を挟めない。
いや、ロアなら止められるのだろうが、ロアはロアで真剣な顔で状況を治めようと分析していてそれどころではなかった。
グリおじさんが『アレ』と呼んでいる偽者のロアの正体は二重存在。
カラくんが生きている金属ヒヒイロカネの一部を基にして、ロアの記憶を植え込んで作りだした存在だ。
今は暴走状態にあるのか、ロアの姿を保ちながらも全身が本来のヒヒイロカネの色……つまり、真っ赤になっていた。一見、血塗れのロアに見えなくもない。
服だけはロアの学園服を着ているため、逆に不気味さが強調されている。
今続いているダンジョンの揺れの原因は、このドッペルゲンガーだ。
カラくんはロアに無断でドッペルゲンガーを作ったことを知られるのを恐れ、目撃されたら自壊するように命令を組み込んでいた。
だが、ロアの記憶から疑似的にロアの性格を再現されたドッペルゲンガーは、ロアと同じように異常な頑固さを見せてしまった。
自分の存在を消すことに抵抗し、それが本体である迷宮核にまで影響を与えてダンジョン全体が揺れているのだ。
「敵」
ポツリと、ドッペルゲンガーが口だけを動かして呟いた。
「危ない!」
真っ先に動いたのは、ディートリヒだった。
コルネリアから盾を奪い取ると、飛び出すようにロアの前へと立つ。それはほぼ直感だったが、ドッペルゲンガーが言った「敵」がロアの事だと判断した。
ドッペルゲンガーの自壊命令はロアに目撃されたら発動する。
ならば、ロアに見られなければいい。ロアがいなければ、見られることも無い。
そして、ロアを殺せば自分が消えずに済むという考えに至ったと、ディートリヒは思ったのだ。
弾ける閃光。
その現象をディートリヒはよく知っている。人間の使い手が少ないため魔法の名称は知らないが、嫌と言うほど目にしている。
グリおじさんが風の刃と並んでよく使う、雷の魔法だ。
「!!?」
声にならない叫びを上げ、ディートリヒは死を覚悟する。
咄嗟に盾を構えて前に立ったものの、雷の魔法は鉄の盾では防ぎきれない。少なくとも、今ディートリヒが手にしている盾では。
良くて盾を持つ手が使えなくなる。悪ければ、全身丸焦げだ。
だが、盾の陰で身を縮めるディートリヒには、いつまで待っても何の衝撃も襲ってこなかった。
そっと、盾をずらして視界を確保する。
<小僧が狙われていると気付き、守ろうとした心意気は評価してやるが、無謀だぞ>
大きな、翼。
ディートリヒの身体を隠すように、目の前にグリおじさんの翼が広げられていた。その表面では、小さく光が弾けている。
グリおじさんが守ってくれたのだと、瞬時に悟った。
「すまん。助かった」
<しまった。黒焦げでも小僧の薬で元に戻せるのか試せる機会だったな。失敗した>
「おい!」
グリおじさんの軽口に、ディートリヒはホッと安堵の息を吐いた。
ロアの魔法薬であっても、雷で即死したら治せない。まさに、絶体絶命の状況をグリおじさんに救われたのだ。
<無暗に動くな。我らがいるのだぞ?小僧の安全だけは、保障されておる>
そう言われて、ディートリヒが振り向くと、ロアの前には薄い氷の壁が出現していた。その後ろには、自慢げに胸を張ってシッポを振っている双子の姿も見えた。
どうやら、自分の行動は無駄だったらしい。
氷の壁は、大人の姿の青い魔狼が出した物。雷の魔法相手でも完璧に守って見せるだろう。グリおじさんがいて、大人の姿の双子がいる。それに、妖精王までいるのだから、守りは鉄壁と言って間違いない。
相変わらずロア限定のような言い方なのが気になるが、なんだかんだ言って性悪グリフォンは望郷のメンバーを見捨てはしない。
ディートリヒは苦笑を浮かべた。
<妖精王!貴様、あの偽者に魔法の知識まで持たせたのか?>
<いや、ボクが入れたのは錬金術の知識だけで、あんな強力な魔法の記憶を入れた覚えは……>
「あっ!」
声を上げたのは、ロアだ。何かに気付いたらしい。
同時に、この場にいる全員からそっと目を逸らして地面に視線を落とす。
<小僧!また何かやったのか!!?>
「ロア、早く自白して!他の魔法まで!」
瞬時にロアが何かをやらかしたと判断してしまうのは、前科があるからだろう。
グリおじさんに次いでコルネリアが問い詰めようとしたところで、他の魔法が襲ってきた。
今度は火の魔法だ。巨大な火の玉。
あっさりと、今度は魔法自体が掻き消える。赤い魔狼が魔法の制御を乗っ取って消したからだ。高位魔獣の本能とグリおじさんの教育によって高い魔力操作能力を持つ双子は、炎と氷であれば他者が放った魔法でも制御を奪える。
「その、たぶん、符術……」
<はい?>
<なんだそれは?>
カラくんが驚いた声を上げ、グリおじさんが首を捻る。様々な事に詳しいグリおじさんでも、知らない知識らしい。
「カラくんと符術と魔法陣について話したのを覚えてない?古代文明時代に独自言語の魔法式を使って、簡易的な魔法が使えたって話」
<覚えてはいますが……。まさか、この短期間で独自の言語を作ったのですか!?>
カラくんの中では、ちょっとした雑談の記憶として残っている。
符術とは、魔法式を書いた紙に魔力を通すことで魔法を発動させる、簡易魔道具である。
紙は魔力が溜まりにくい性質を持っているため発動させるだけの魔力が足りず、余程簡略化された魔法式でない限り魔法の発動は出来ないとされていた。
古代文明時代でも、独自の言語で文章の簡略化をして簡単な魔法が使える程度だったらしい。
まさか、それを実現してしまったとは。
カラくんは、今更ながらロアの恐ろしさを思い知った。
「いや、それは無理だったから、独自言語の代わりに色々な古語から最短で表せる単語を選んで組み合わせて、魔法式を組んでみたんだよ」
ロアに独自の言語を作り出すだけの知識はない。だから、ロアは古語を使った。
何かを言葉で表そうとする時、言語の種類によっては長文になる物と短い一言で済ませられる物がある。
ロアはたくさんある古語の中から最短で書き表せられる単語だけを選び、組み合わせて魔法式を作ったのだった。
確かにその方法ならば、普通に魔法式を書き記すよりも短く済むだろう。
「でも、自分で使ってみた時は、発動しなかったんだよ?」
<それは……一度に流せる魔力の量が違うからでしょうね。人間の手から流せる魔力より、スライムの様に自由に形を変えられる者の方が流せる魔力の方が多いでしょう。基本的な魔法なのに威力が大きいのも、そのせいでしょうね>
要するに、文字と紙に接する表面積の違いだ。
紙全体に接触して一度に魔力を流せるなら、発動のための魔力量も多くなる。
「なるほど。ちょっとした遊びだったんだけど、使えるものだね」
「遊び……」
その一言で、クリストフが撃沈して頭を抱えた。
こうやって話をしている間も、魔法は降り注いでいる。従魔たちにことごとく防がれているが、とんでもなく危険な状態だ。
現に、周囲にいた魔獣たちは蜘蛛の子を散らすように避難してしまって、今この闘技場に残っているのはロアと従魔たちと、望郷だけだ。
闘技場の地面は魔法の影響で大きく抉れ、壁は崩れ落ち始めている。
遊びで済まして良い状況ではない。
<ドッペルゲンガーはダンジョンコアとも繋がっています。ダンジョンコア経由でその情報を知り、取り寄せ、利用しているということでしょうね……。まずいな。ダンジョンコアを利用できるなら、魔力も無限に近い>
ドッペルゲンガーはヒヒイロカネの一部。そして、ヒヒイロカネはこのダンジョンを管理している迷宮核そのものだ。言うなれば、ドッペルゲンガーはダンジョンの全てを利用できる立場にいる。
もちろん、カラくんによって制限を掛けられてはいたが、今となってはそれも怪しい。カラくんですら知らなかった物のを利用していることから考えて、制限そのものが機能しなくなっていると考えていい。
<ならば、問題ないではないか!>
グリおじさんが言い切る。
絶望しても良い情報ばかりの中、グリおじさんだけが明るく元気だった。
<紙など、すぐに尽きるであろう?>
<このダンジョンには、いついかなる時もご主人様の要求に応えられるように、大量の紙が保管してあります。メモ用紙から、製本に使える高級紙、羊皮紙に至るまでたくさん!尽きることなど、ありません!>
絶望するような情報なのに、なぜかちょっと自慢げにカラくんが言ってのける。
だが、グリおじさんは残念な物を見る目をカラくんに向けた。
<何を言っておるのだ?我が言っているのは、小僧が魔法式を書いた紙の事だ。そんな大量に書いたわけではないのであろう?紙なら、あれほど大量の魔力を通していればすぐに劣化するからな。防いでいればすぐに紙が尽きるはずだ。その後に、あの偽者を始末してしまえば問題ないではないかと言っておるのだが?>
<……>
カラくんは、自分の勘違いを恥じるように身を縮めた。
「あー。それはどうかなぁ。調子に乗って、木版を作ってみたんだよね。火、風、雷の簡単な魔法だけだけど……。魔法を使えば、簡単に木で彫れたから。紙が大量にあるなら、量産は簡単にできるんだよね」
木版。
つまりは、木で作った版画用の道具。
紙とインクがあれば、同じ絵や文字が量産できる。
グリおじさんは顔色を変えた。
「だって、符術の利点って、紙と木版で簡単に量産が可能ってことだと思ったから……試してみたくて」
申し訳なさそうに言葉を付け加えるロア。
ロアは悪くない。
それは分かっている。
ロアは、記憶を失い、事情を何も知らずに作りたい物を作っていただけだ。
……それは分かっているのだが……。
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