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四章 新しい仲間たちの始まり

妖精の祝福と、怒り

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 アダド帝国の第二皇子は、苛立っていた。
 胸の奥から喉まで上がって来る怒りの感情に、鼻の奥が痺れてくる。焦げた幻臭まで感じるようだった。

 感情に任せて怒号を撒き散らしそうになるのを、ぐっと飲みこみ抑え込んだ。

 まだ生きていやがった……。
 それが、最初の彼の感想だ。
 
 目の前に押し出された男。第三皇子だった者。己の腹違いの弟。
 名前は、何といっただろうか?

 この国では、身分が高くなればなるほど肩書が優先される。第二皇子自身、久しく名前など呼ばれていない。
 名前はただの記号に過ぎない。他者との関係を示してくれない、役立たずの記号。何の意味もない。
 意味がないのだから、彼は親兄弟の名すら覚えていなかった。

 第二皇子は、広間の中央に膝を屈して座る第三皇子を、侮蔑の目で見つめた。

 薄汚れた姿。どこもかしこも、みすぼらしい。
 皇族であった気品などどこにもない。

 なのに、顔だけは第二皇子自身とそっくりだ。
 しかも、何かの冗談なのか、第二皇子と同じように顔全体を覆う髭を生やしている。第一皇子も同じ顔をしてるのだが、その髭のせいで周りの者たちは第二皇子にそっくりだと思われているに違いない。
 衝動的に、自分の髭を剃り落としたくなった。

 腹立たしい。こんな者と同じなどと、思われたくない。
 怒りに血が沸き立ちそうで、鼻の奥だけに感じる焦げた匂いが強まった。

 第二皇子の策略で、第三皇子は死んだはずだった。
 船と共に、海の藻屑となったはずだ。

 なのに、目の前にいる。

 数日前、懇意にしている商人から皇子たちに似た男を帝都で見かけたと言われた時は驚いた。まだ、似通った顔立ちの男がいるのかと思った。
 三人の皇子はそっくりだったし、その父親である皇帝も年を重ねて顔立ちが変化しているものの、元はそっくりだ。だから、さすがに同じ顔はもういないだろうと思っていた。
 驚きながらも、有事の際の身代わりに役立つのではないかと考えた。

 だが、すぐにその考えは霧散する。
 裏事情を知っている商人が、「第三皇子が生きて戻ってきたのではないか?」と言い出したからだ。

 その可能性は、十分にあった。むしろ、さらに似た顔の者が現れたと考えるよりは現実的だ。
 船と共に海に沈む末路を迎えたとはいえ、第三皇子の死亡を確認したわけではない。生きていてもおかしくはなかった。

 第二皇子は暗殺者を送りこんで第三皇子を殺そうと考えたが、すぐに考えを改めた。
 暗殺者を送り込んで始末をつければ、事情はどうであれ第二皇子自身が弟殺し……皇族殺しをすることになる。
 第三皇子がいなくなったことで、未来の皇帝の地位は第一皇子との一対一の争いになっている。もしバレた時に、大きな失点となる。

 第三皇子はすでに死んだことになっている。
 無理を通したネレウス侵攻の責任を全て押し付け、死亡したことにして終わらせた。ネレウスを始めとした他国にも、第三皇子が勝手にやったことと説明して謝罪した。
 それなのに、生きていてもらってはアダド帝国としても困ることになる。
 皇帝に話を通したところで、第三皇子を始末するという判断は変わらないだろう。

 だから、第二皇子は皇帝にまで話を通して判断を仰いでから、第三皇子らしき男を捉えさせたのだった。

 事態は、おおよそ第二皇子の思惑通りに進んでいた。
 牢屋に捉えてる間に魔法で確認をし、第三皇子本人だと確認された。
 同行している女騎士がネレウスの、しかも最強で知られるヴィルドシュヴァイン侯領の騎士であることは驚かされたが、所詮は地方領主の平騎士だ。どうとでもなるだろう。

 「第三皇子を語る偽者と、協力者のネレウスの騎士に裁きを下す」

 前振りもなく皇帝が口を開いた。
 今、この場にいるのは皇帝の腹心と皇族のごく限られた人間だけ。建前のやり取りは必要ない。

 第二皇子と同じく目の前の男が第三皇子本人だと知っているはずなのに、皇帝は偽物と言い切った。
 裁きは決まったようなものだ。

 「死罪。首を斬れ」
 「なっ!」

 第三皇子が声を上げ立ち上がろうとしたが、すかさずその背を兵士が槍の石突で打ち据える。第三皇子は痛みからまた床に膝を突いた。
 周囲に配置された兵士たちの動きは素早い。皇帝を守る任務を与えられた、軍の中でも選りすぐりの兵士たちだ。

 「せめて!せめてイヴの命は!私はどうだっていい!!だから!!」

 女の命乞いをするか。
 第二皇子だけでなく、周囲にいた貴族たちも興味深げに第三皇子を見つめた。

 傲慢で、狂気。
 それが、第三皇子に持たれていた印象だ。

 その男が、自分を顧みずに女を守ろうとしている。
 妻すら子供を産ませる道具としか思わず、兄弟と皇位を争っていた男が。
 何が第三皇子を変えたのか?それは分からない。だが、変わるのであれば、もっと早く変わっておけばよかったのにと、第二皇子は思う。

 最初から皇位を兄弟に譲り、爵位すら投げ出して平穏に生きる道を選んでいれば、生き残る道もあったかもしれないのに。押し付けられた女ではなく好きな女と暮らす人生もあったかもしれないのに。

 だが、もう遅い。

 第二皇子は、イヴと呼ばれた女騎士を見た。
 騎士服が似合っており、凛として美しい女だと思う。さぞ戦場で輝くだろう。着飾って男に媚びながらも謀略を張り巡らす城に巣食う女たちとは大違いだ。
 なるほど、第三皇子の好みの女とはこういう女だったのかと、感心した。
 第二王子は初めて、弟の好みという物を知った。
 
 女騎士は顔色を青くしながらも、なおも食い下がり女騎士の命乞いをする第三皇子を心配そうに見つめていた。

 そして、その頬にさっと赤みが増したと思ったと同時に、覚悟を決めた表情を浮かべた。

 「我が手に剣を!!」

 よく通る声だった。
 掲げられる手。女騎士は手枷で繋がれている両手を、剣を握る形に振り上げる。

 光が……。

 誰もが、目を見張った。
 女騎士が振り上げた手に、光の粒が集まり始めたのだ。それは、やがて形を取り始める。

 「剣……」

 誰かが、声を漏らした。
 光の剣。いや、形を作った光は、硬質な質感となっている。光の剣というよりは、硝子ガラスの剣だろう。

 貴族連中が戸惑う中、剣を目にした兵士たちは条件反射で手にした武器を女騎士へと向ける。
 不思議な現象で生まれたとはいえ、剣一本。何かができるはずもない。

 兵士たちは女騎士を警戒しつつ、貴族たちとの間に入り守りの体勢を取った。

 「怪しげな魔法を!皇帝を守れ!殺せ!!」

 兵士たちの行動を見て驚きから我に返った第二皇子は、肺の空気をすべて使って叫んだ。
 真っ先に叫べたことで、彼は口元を緩める。

 兄である第一皇子よりも先に、皇帝を守る指示を兵士に出せた。軍での評価が上がるはずだ。皇帝の椅子に近付いた実感があった。

 兵士が女騎士に襲い掛かる。
 突き出された兵士の槍に向かって、女騎士は剣を振った。
 
 槍を避けるために、剣で弾こうと思ったのだろう。
 だが……。

 「は?」

 あっさりと、槍の穂先が切り落とされた。

 「えっ!?」

 どうしてだか、剣を持っている女騎士本人が驚きの声を上げる。
 目を丸くして自分の手の中の剣を見つめる。まるで剣の鋭さを知らなかったかのようだ。

 兵士の槍は支給品だが、皇帝を守るための物のためしっかりとした作りをしていた。
 穂先周辺も金属で保護されており、名剣であってもあっさりと切り落とされるようなことはない。……はずだった。

 なのに、槍はすっぱりと切られてただの棒に成り下がっている。

 「……妖精よ……感謝を」

 まじまじと剣を見つめた後、女騎士は呟いた。

 「よ……妖精?」

 皇帝の動揺した声が聞こえる。
 だが、第二皇子は構っていられない。あれほどの武器を振るわれたら、傷付く者が出かねない。

 「皆でかかれ!いくら鋭くとも、剣だ!多数でかかれば捌ききれない!」

 第二皇子の言葉に兵士たちは頷くと、女騎士と第三皇子をぐるりと取り囲んだ。訓練された、素早い動き。女騎士は攻める隙すら与えられない。
 取り囲み終わると、すかさず兵士たちは四方八方から女騎士めがけて槍を突き出した。

 「イヴ!!」
 「ここまでか!」

 第三皇子が身を挺して守ろうと女騎士の背後に飛び出し、女騎士が目の前の槍を何とか避けようと剣を振りつつも覚悟の叫びを上げた。

 誰もが、二人の悲惨な結末を予測した。

 「うわっ!!」

 複数の野太い悲鳴。
 皆の予測は大きく外れ、倒れたのは取り囲んでいた兵士たちだった。槍を突き出したはずなのに、何か強い力で弾かれたように兵士たち全員が後ろに向かって倒れ込んだ。

 女騎士と第三皇子を中心にして、後ろに倒れ込んで円を描いている兵士たち。
 冗談のような光景だ。

 兵士たちは全員槍を取り落とし、手を押さえて身体を丸める。槍を持っていた手に酷い損害を負ったようだ。
 この場にいる誰も、何が起こったのか理解できなかった。

 それは倒れた兵士の円の中心にいる女騎士と第三皇子も同じのようで、呆然と周囲を見渡す。
 二人は無傷だ。かすり傷一つ負っていない。
 槍が突き出された時に庇い合い、お互いに抱き合うように身体を絡めている。

 「……よ……妖精が、守ってくれたのか?」
 「妖精?」

 なんとか女騎士が声を絞り出すと、第三皇子が疑問の声を漏らした。

 「そうだ。このガラスの剣も、妖精に与えられた物だ。牢屋にいる時に……」
 「なっ、なんと!!」

 女騎士の返答に対する声は、意外なところから上がった。
 全員の視線が集まる。
 声の主は、この場にいる最も地位の高い人間。皇帝だった。
 皇帝は椅子から立ち上がると、食い入るように女騎士を見つめていた。

 「女!貴様は、妖精の縁者なのか?」
 「え?」

 言っている意味が理解できず、女騎士は間の抜けた声を上げた。

 「皇帝陛下、今はそんなことを」
 「黙れ!」

 今まで口を挟めなかった第一皇子が皇帝に声を掛けるが、バッサリと切り捨てられる。それだけで、第一皇子は口を噤んだ。長子ながらいざという時に気の弱さが目立つのが、第一皇子の欠点だ。

 「女!……いや、女騎士殿。貴方は妖精の縁者なのか?」

 皇帝が女騎士に敬語を使ったことで、周囲にざわめきが起こった。
 同時に、兵士たちが構えていた槍や剣を下す。皇帝が敬意を払う相手を攻撃できる者はこの国にいない。

 問われた女騎士は、空気が変わり兵士が武器を下したことにとりあえず安堵の息を吐くものの、まだ危機的状況は終わっていない。答え次第では再び命を狙われかねない状況だ。
 彼女はどう答えるべきか悩んだ。だが、判断材料は少なく、答えを待つ皇帝を始めとしたアダドの面々の圧力に負けて考えがまとまらないまま口を開く。

 「ここの牢屋に捉えられている時に、急にこのガラスの剣が現れたのだ。妖精が力を貸してくれたのだと、私は判断した」
 「それだけか?なぜ、力を貸してくれたのかは分からぬのか?」
 「はい……」

 答えながら、女騎士は息を呑む。皇帝は軽く息を吐くと、椅子へと座り直した。

 「妖精は気まぐれ。何か人間には感じられぬものが、妖精を引き寄せたか。女騎士殿が妖精に好かれたのか、第三皇子を守るために女騎士殿に剣を渡したのか……。いや、両方なのかもしれぬな。妖精の結界は二人を守ったのだからな」

 一人呟く皇帝に、誰も問い掛けることはできない。
 倒れている兵士たちすら異様な雰囲気に身動き一つできずに、皇帝の次の言葉を待った。

 「……この国は、妖精の協力によって建国されたと言われている」

 皇帝の言葉に、誰も口を挟めない。

 「国民たちにとっては、おとぎ話に過ぎない。だが、我はそれが事実であると知っている。この城の地下深く続くダンジョンの主が妖精であると知っているからな」

 皇帝は淡々と語る。
 アダドが建国時に一人の魔術師の力を借りたこと。その魔術師の従魔が、強い力を持った妖精であったこと。
 地下にあるダンジョンは、今でもその妖精に管理されていること。
 魔術師の死後も、妖精はダンジョンに留まりアダドに力を貸し続けてくれていること。
 だが、それはあくまで魔道具を提供してくれる程度であり、直接的に力を貸してくれるわけではないこと……。

 その話に驚いているのは、二人の皇子と兵士たちのみ。
 皇帝とその周囲にいる老齢の者たちには周知の事実であるらしい。時々頷いている。

 「我が国の弱点になりかねぬ事柄だからな。裏切りの可能性がある者には教えられぬ。隠し続ける内に、ダンジョンの主が妖精であることすら忘れられた。それは妖精にも都合よかったらしい。我が国と妖精との関りは、全て隠されることになった」
 「そんな……。せめて、皇子である我々にくらい教えておいてくれても」

 第一皇子がそう不満を漏らすと、皇帝は眉間に深く皺を刻んでため息を漏らした。

 「皇帝にとって最も用心すべきなのは、他の皇位継承者だろうが?」

 そう言われて、第一皇子は納得したように再び口を噤んだ。
 自らも兄弟で皇帝の地位を争っている立場だ。骨身に染みている。

 皇帝の地位を手に入れるために、皇位継承権のある者が敵対する勢力に秘密を漏らす。いかにもありそうなことだった。だから、アダドが妖精に支えられている事実は、皇帝の地位を引き継いだ者と、運命共同体となった腹心たちにしか伝えられない。

 「第二皇子よ、お前には察する機会を与えておったのだがな」
 「まさか……」

 おとなしく話を聞いていた第二皇子の顔色が変わる。思い当たることがあった。
 城の地下で魔道具の制作を依頼していたカラカラが、妖精に関係ある人間だと気付いたのだ。

 「そうだ。カラカラは妖精のの一族だ。妖精と我々を繋いでいた連絡員だ。なのに……」

 皇帝は第二皇子に一番目を掛けていた。だからこそ妖精に近い存在であるカラカラの相手を任せていた。
 地下の通路が閉じられ、カラカラが姿を現さなくなったことで、その心遣いは裏目に出る結果となったのだが……。

 実際のところ、カラカラは妖精の協力者ではなく妖精そのもの。しかも、ダンジョンを管理する妖精王だ。
 だが、その事実を皇帝すら理解していない。単に妖精との繋ぎ役の一族の錬金術師だと思い込んでいた。

 これはアダド側の事情ではなく、カラカラが面倒を避けて隠していたからだった。

 「カラカラが姿を現さなくなり、妖精はネレウスの女騎士殿と皇族から外れた第三皇子に協力した。しかも、二人の身を守るという、初代皇帝以来得られなかった直接的な協力だ。これは妖精が我らを見限り、新たな国を作ろうとしているのか……」

 皇帝が頭を抱えて深く椅子へと沈み込む。

 その様子を見て、第二皇子はハッと息を呑んだ。
 これは、第三皇子を再び受け入れる流れになっている。しかも、第三皇子が皇帝を継ぐ最有力候補になりかねない。焦りだす彼の額に、汗が浮かぶ。

 「皇帝へ……っ!!」

 なんとか流れを変えようと、第二皇子が皇帝に声を掛けた瞬間。
 城が揺れた。
 
 「地揺れだ!」

 細かな揺れだが、足元が掬われて真っ直ぐ立つことすら難しい。身を屈めてゆっくりと歩くのがやっとだ。これでは兵士たちも役に立たないだろう。

 「妖精の怒りか。我らに試練を課すのか、妖精よ」

 悲鳴や驚きの声が満ちる中、皇帝の呟きを聞き取れた者はいなかった。
 
 

 

 
 

 
 



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