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ヒロインはざまぁされた
第三十話 腹心
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国王の葬儀のためにデニスが慌ただしく家を出てから約一ヶ月。彼がようやく家に帰って来た時、彼は一人ではなかった。
「アルフォンス様!」
「バートラム!? 何故ここに!?」
アルフォンスの元側近、バートラム・シュラプネル侯爵令息が一緒だったのだ。
驚くアルフォンスにバートラムが駆け寄り、その光景を見てデニスが「よかったねぇ」と感動して涙ぐむ。アリスはそれを遠巻きに見守りながら、そっと父親に近づいた。
「お父様、お帰りなさい。随分とお帰りが遅かったですけど・・・・・・。それで、何故バートラム様がこちらに?」
「ただいま、アリス。いやぁ、それがね、色々とあって大変だったんだよ」
このファンタジー世界では、ポータブルという魔導転移装置が存在する。ポータブルが設置されているのはほぼ大都市であり、コニア男爵領にはもちろん設置されていない。
そのポータブルだが、使用できるのはごく限られた人間であり、デニスのような木っ端貴族などでは国王の葬儀に出席するというようなことでもなければ、使用できない。
今回はその限られた機会であったため、さる侯爵領のポータブルを使用して王都へ飛び、帰りは馬車で帰ってきたのだ。
しかしながら、帰還に一ヶ月は時間がかかりすぎだ。コニア男爵領であれば、一週間もあれば余裕で帰れる。バートラムがここに居るからには色々とあったのは予想できるが、それにしても一ヶ月とは、どれだけのことがあったのだろうか?
何はともあれここでは落ち着かないと、アリス達は応接室に移動し、そこで王都で何があったのかを聞いた。
「何から話すべきか・・・・・・」
旅装を解き、淹れられたお茶で一服した後、デニスは首をひねりつつ話し出した。
デニスは王都に着くと、まずホテルで宿泊手続きをし、翌日の葬儀に出席した。その時、王都の友人と会い、バクスウェル公爵家が急に代替わりしたことを知った。
「前公爵は前々から患っていらして、陛下が亡くなったことで衝撃を受け、病が悪化したということだけど、本当はご子息のクライヴ殿に下剋上されたのだと噂になっている」
その言葉にアルフォンスがバートラムを見たが、バートラムは困ったように微笑むだけで何も言わなかった。
「まあ、葬儀は問題なく終わって、私はすぐに帰るつもりだったんだが、こちらのバートラム殿のご実家である、シュラプネル侯爵家に招かれてね」
今度はアリスがバートラムを見るが、やはり彼は微笑みを浮かべるだけで何も言わなかった。
「それで、そこからが大変だったんだよ」
何故か、デニスに会いたいと人が押し寄せたのだという。
「皆さん、アルフォンス殿のことを聞きたがってね。もしシュラプネル侯爵家に招かれてなかったら、あれを一人で対応しなければならなくなっていたよ」
シュラプネル侯爵家の客人ということで、そういう人間の防波堤になってくれたのだという。
「あれはアルフォンス殿を担ぎ出しての権力狙いだと思うんだ。今更だけど、アルフォンス殿は権力の中枢へ返り咲きたいかい?」
デニスの問いに、アリスの肩がはねる。アルフォンスは優秀な男だ。彼がそれを望めば、出来なくはないように思えた。
しかし、アルフォンスは穏やかに微笑んで首を横に振る。
「いいえ。できれば、このままコニア男爵領に居たいです」
その答えにアリスは小さく安堵の息を吐いた。アリスはずっとアルフォンスが好きだったから、籍を入れられたのは本望だ。しかし、アルフォンスを虐げ、邪魔をしていた王が死んでから、彼がこれからどうしたいのかを聞いていなかった。
「まあ、そうだと思ったから適当に話を逸らしてはぐらかしたんだけどね」
「凄かったんですよ。アルフォンス様を担ぎだそうとする不届き者の話を攪乱し、話題がいつの間にか畑仕事がいかに素晴らしい仕事かに変わってるんです」
そして畑仕事の話から話題が戻らず、彼らはすごすごと帰って行ったのだという。
どうやら厄介な客人を全てそうやって交わしたらしく、デニスはバートラムの尊敬の視線を受けて照れくさそうに頭をかいた。
しかし、娘のアリスは察した。
(嫌われてもいい、どうでもいい相手だから、自分の好きなことを熱く語っただけね)
デニスは普段は小心者なのだが、こういうところで妙に大胆だ。そして、何故か外さない。相手を怒らせず、上手に煙に巻くのだ。
しかしそうこうしているうちに時が過ぎ、気づけば一ヶ月近くも経っていた。
「長々とお世話になってしまって、本当に申し訳なかったよ」
「いえ、とんでもありません。それに、シリル様の側近を辞めて燻っていた私をこうしてコニア男爵家に迎え入れていただき、感謝しています」
「えっ」
驚くアリスの隣で、アルフォンスが苦笑する。それはまるで、仕方のない奴だな、とでも言わんばかりの表情だった。
燻っていたなど、絶対嘘だ。デニスの良心をつついて計画的にここへやって来たに違いない。
アリスの想像通り、バートラムは全て計算の上で動いていた。デニスが王都に来たのをこれ幸いと自宅に招き、さも親切ぶって招かれざる客の整理をしてみせた。そして、その一ヶ月で恩が出来たうえに、懐柔されたデニスはバートラムがコニア男爵領で働きたいのだという望みを快く受け入れたのだ。
(これは多分、丸め込まれたんだろうな)
しかし、木っ端貴族のコニア男爵家には特に損のない話だ。バートラムはアルフォンスの腹心だし、アルフォンスも彼が傍に居れば心強いだろう。
「お父様、王都では他に何かありませんでしたか?」
その質問を受け、デニスは少し気まずそうな顔をした。明らかに何かあった顔である。
「実は・・・・・・」
ベアトリス・バクスウェル公爵令嬢が、グレイソン・シーズ辺境伯と婚約したそうだ。
その報せに、アリスは思わずアルフォンスを見た。
アルフォンスの様子は特に変わったところはなく、落ち着いて「そうですか」と微笑んでいた。
「シーズ辺境伯は後を継ぐはずだった兄君と、先代が相次いで亡くなって大変苦労されている方です。シーズ領は隣国との睨み合いが強い地だ。そこに大精霊の契約者が嫁入りしてくれるのであれば、とても心強いことでしょう」
アルフォンスの言葉から、もしや、これは最初からそう計画されていたのでないかと思われた。
元々、ベアトリスとアルフォンスは信頼関係を築けていなかった。アルフォンスが王になるなら、そんな人間を隣に置いてはおけないだろう。だから、もしかするとアルフォンスが卒業式のパーティーであんな行動を起こさずとも、いずれ婚約は解消され、ベアトリスはシーズ辺境伯へ嫁入りさせることが水面下で決まっていたのかもしれない。
アリスのそんな考えを見抜いたのか、アルフォンスはまるで正解だとでもいうかのように、アリスに向けて笑みを深めた。
***
王太子の執務室に、カリカリとペンが走る音がする。
側近の青年がチラリと視線を送る先には、王太子のシリルがいた。先日、ベアトリスがシーズ辺境伯と婚約を結んだことを受けて、彼は沈み込んでいた。
(気まずいな・・・・・・)
最近側近を辞したバートラムの言うとおり、ベアトリスがシリルと婚約を結ぶことはなく、難しい地であった辺境への輿入れは国としては歓迎すべきことだった。
側近達は反対していた国王が亡くなったので、不謹慎な考えではあるが、喪が明ければシリルが婚約を申し込み、そこで二人は結ばれるだろうと思っていた。しかし、そうはならなかった。
バクスウェル公爵となったベアトリスの兄であるクライヴが、早々にベアトリスと辺境伯との婚約を整えてしまったのだ。しかも、この時期に婚約を急いだ理由が、国王崩御による混乱から隣国の手出しを警戒するため、というものだから誰も文句がつけられない。
(どうしたものか・・・・・・)
どうすればベアトリスとの婚約を了承してもらえるか、シリルと側近達は一丸となって考えていたため、この状況はなかなかにいたたまれない。
執務室では、そうした、どこか落ち着かない空気が漂っていた。しかし、それをものともしない者がいた。
「実にシケた空気ですね。殿下、手が止まっています。貴方の仕事の停滞は国事の停滞。民の生活に影響が出ます。手を動かせこのグズ」
明らかな不敬罪をかますのは、トラヴィス・シュラプネル公爵令息。バートラムの弟である。
冷ややかを通り越して、バックに極寒のブリザードを背負う彼は、王太子に不敬罪をかましても見て見ぬふりをされるほどに有能な青年だ。
国王が斃れてから国は混乱した。国王のこなしていた仕事は分担して請け負うことになったが、当然その仕事はシリルにも多く回され、シリルは父の死を嘆く暇もなく仕事に溺れることとなった。
そんな時に側近を辞めたバートラムの代わりに入ってきたのが、トラヴィスだった。
人手が増えたのは嬉しいが、このクソ忙しいときに新人教育なんて、と側近達は思った。しかし、トラヴィスは優秀だった。それこそ、優秀とされる側近達の何倍もの早さで仕事を片付け、他の者の仕事まで手伝い、いつの間にか効率化のために彼が仕事を分配し、気づけば定時に帰宅できるようになっていた。
みんな、それはもう感謝した。ベッドで毎日六時間以上ぐっすり眠れるなんて、なんて幸せなことなのだろうと涙を流すほどに。
そうしたことから、トラヴィスはいつの間にか側近達のトップとなり、シリルの片腕にまでなっていた。
シリルはトラヴィスの有能さを気に入っており、彼を頼っていたが、同時に彼を恐れていた。なぜなら、彼はとにかく容赦がないからだ。
元々愛想がいい方でないトラヴィスだったが、彼から容赦が消えたのは、ベアトリスの婚約を知り、シリルがやけ酒をして――翌朝、隣に裸の女性が寝ているのを目撃してからだ。いつまでも起きてこないシリルを叩き起こしに来て遭遇した悲劇だった。
シリルは、ものの見事にハニートラップに引っかかったのだ。
彼が閨に引き込んだ女性は、侍女だった。侍女が権力目当ての強かな女であったために一騒動あったが、一線を越える前にシリルが寝落ちて役立たずになったことで子供の心配はしなくてすんだ。
しかし、その日からはもう、トラヴィスは容赦がない。曰く、このクソ忙しい時期にクソッタレな厄介ごと持ってきやがって、とのことだ。
これに関して、シリルは小さくなるしかなかった。
王家は亡くなった国王の疑惑だらけの不穏な死に様から、色々とまずい立場に立たされている。王家の威信を取り戻すための舵取りは、困難を極めると言っていい。
トラヴィスは、そんな王家のためにも動いてくれていたのだ。なのに、シリルのこの失態である。この時期にあまりにも軽率な行動であり、王妃の母からも呆れられた。
そんなこともあり、有能なトラヴィスの不敬は身内しかいない場であれば見て見ぬふりをされるようになった。
「貴方に失恋を嘆く資格があると思うな、この不埒者」
「ハイ・・・・・・」
酒の失敗で、全てを失うことはよく聞く話だ。
全てを失いはしなかったが、大事なものを失ったシリルは、初恋の女性には絶対に知られたくない失態に頭を抱えながら、今日も書類の山に埋もれている。
「アルフォンス様!」
「バートラム!? 何故ここに!?」
アルフォンスの元側近、バートラム・シュラプネル侯爵令息が一緒だったのだ。
驚くアルフォンスにバートラムが駆け寄り、その光景を見てデニスが「よかったねぇ」と感動して涙ぐむ。アリスはそれを遠巻きに見守りながら、そっと父親に近づいた。
「お父様、お帰りなさい。随分とお帰りが遅かったですけど・・・・・・。それで、何故バートラム様がこちらに?」
「ただいま、アリス。いやぁ、それがね、色々とあって大変だったんだよ」
このファンタジー世界では、ポータブルという魔導転移装置が存在する。ポータブルが設置されているのはほぼ大都市であり、コニア男爵領にはもちろん設置されていない。
そのポータブルだが、使用できるのはごく限られた人間であり、デニスのような木っ端貴族などでは国王の葬儀に出席するというようなことでもなければ、使用できない。
今回はその限られた機会であったため、さる侯爵領のポータブルを使用して王都へ飛び、帰りは馬車で帰ってきたのだ。
しかしながら、帰還に一ヶ月は時間がかかりすぎだ。コニア男爵領であれば、一週間もあれば余裕で帰れる。バートラムがここに居るからには色々とあったのは予想できるが、それにしても一ヶ月とは、どれだけのことがあったのだろうか?
何はともあれここでは落ち着かないと、アリス達は応接室に移動し、そこで王都で何があったのかを聞いた。
「何から話すべきか・・・・・・」
旅装を解き、淹れられたお茶で一服した後、デニスは首をひねりつつ話し出した。
デニスは王都に着くと、まずホテルで宿泊手続きをし、翌日の葬儀に出席した。その時、王都の友人と会い、バクスウェル公爵家が急に代替わりしたことを知った。
「前公爵は前々から患っていらして、陛下が亡くなったことで衝撃を受け、病が悪化したということだけど、本当はご子息のクライヴ殿に下剋上されたのだと噂になっている」
その言葉にアルフォンスがバートラムを見たが、バートラムは困ったように微笑むだけで何も言わなかった。
「まあ、葬儀は問題なく終わって、私はすぐに帰るつもりだったんだが、こちらのバートラム殿のご実家である、シュラプネル侯爵家に招かれてね」
今度はアリスがバートラムを見るが、やはり彼は微笑みを浮かべるだけで何も言わなかった。
「それで、そこからが大変だったんだよ」
何故か、デニスに会いたいと人が押し寄せたのだという。
「皆さん、アルフォンス殿のことを聞きたがってね。もしシュラプネル侯爵家に招かれてなかったら、あれを一人で対応しなければならなくなっていたよ」
シュラプネル侯爵家の客人ということで、そういう人間の防波堤になってくれたのだという。
「あれはアルフォンス殿を担ぎ出しての権力狙いだと思うんだ。今更だけど、アルフォンス殿は権力の中枢へ返り咲きたいかい?」
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しかし、アルフォンスは穏やかに微笑んで首を横に振る。
「いいえ。できれば、このままコニア男爵領に居たいです」
その答えにアリスは小さく安堵の息を吐いた。アリスはずっとアルフォンスが好きだったから、籍を入れられたのは本望だ。しかし、アルフォンスを虐げ、邪魔をしていた王が死んでから、彼がこれからどうしたいのかを聞いていなかった。
「まあ、そうだと思ったから適当に話を逸らしてはぐらかしたんだけどね」
「凄かったんですよ。アルフォンス様を担ぎだそうとする不届き者の話を攪乱し、話題がいつの間にか畑仕事がいかに素晴らしい仕事かに変わってるんです」
そして畑仕事の話から話題が戻らず、彼らはすごすごと帰って行ったのだという。
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しかし、娘のアリスは察した。
(嫌われてもいい、どうでもいい相手だから、自分の好きなことを熱く語っただけね)
デニスは普段は小心者なのだが、こういうところで妙に大胆だ。そして、何故か外さない。相手を怒らせず、上手に煙に巻くのだ。
しかしそうこうしているうちに時が過ぎ、気づけば一ヶ月近くも経っていた。
「長々とお世話になってしまって、本当に申し訳なかったよ」
「いえ、とんでもありません。それに、シリル様の側近を辞めて燻っていた私をこうしてコニア男爵家に迎え入れていただき、感謝しています」
「えっ」
驚くアリスの隣で、アルフォンスが苦笑する。それはまるで、仕方のない奴だな、とでも言わんばかりの表情だった。
燻っていたなど、絶対嘘だ。デニスの良心をつついて計画的にここへやって来たに違いない。
アリスの想像通り、バートラムは全て計算の上で動いていた。デニスが王都に来たのをこれ幸いと自宅に招き、さも親切ぶって招かれざる客の整理をしてみせた。そして、その一ヶ月で恩が出来たうえに、懐柔されたデニスはバートラムがコニア男爵領で働きたいのだという望みを快く受け入れたのだ。
(これは多分、丸め込まれたんだろうな)
しかし、木っ端貴族のコニア男爵家には特に損のない話だ。バートラムはアルフォンスの腹心だし、アルフォンスも彼が傍に居れば心強いだろう。
「お父様、王都では他に何かありませんでしたか?」
その質問を受け、デニスは少し気まずそうな顔をした。明らかに何かあった顔である。
「実は・・・・・・」
ベアトリス・バクスウェル公爵令嬢が、グレイソン・シーズ辺境伯と婚約したそうだ。
その報せに、アリスは思わずアルフォンスを見た。
アルフォンスの様子は特に変わったところはなく、落ち着いて「そうですか」と微笑んでいた。
「シーズ辺境伯は後を継ぐはずだった兄君と、先代が相次いで亡くなって大変苦労されている方です。シーズ領は隣国との睨み合いが強い地だ。そこに大精霊の契約者が嫁入りしてくれるのであれば、とても心強いことでしょう」
アルフォンスの言葉から、もしや、これは最初からそう計画されていたのでないかと思われた。
元々、ベアトリスとアルフォンスは信頼関係を築けていなかった。アルフォンスが王になるなら、そんな人間を隣に置いてはおけないだろう。だから、もしかするとアルフォンスが卒業式のパーティーであんな行動を起こさずとも、いずれ婚約は解消され、ベアトリスはシーズ辺境伯へ嫁入りさせることが水面下で決まっていたのかもしれない。
アリスのそんな考えを見抜いたのか、アルフォンスはまるで正解だとでもいうかのように、アリスに向けて笑みを深めた。
***
王太子の執務室に、カリカリとペンが走る音がする。
側近の青年がチラリと視線を送る先には、王太子のシリルがいた。先日、ベアトリスがシーズ辺境伯と婚約を結んだことを受けて、彼は沈み込んでいた。
(気まずいな・・・・・・)
最近側近を辞したバートラムの言うとおり、ベアトリスがシリルと婚約を結ぶことはなく、難しい地であった辺境への輿入れは国としては歓迎すべきことだった。
側近達は反対していた国王が亡くなったので、不謹慎な考えではあるが、喪が明ければシリルが婚約を申し込み、そこで二人は結ばれるだろうと思っていた。しかし、そうはならなかった。
バクスウェル公爵となったベアトリスの兄であるクライヴが、早々にベアトリスと辺境伯との婚約を整えてしまったのだ。しかも、この時期に婚約を急いだ理由が、国王崩御による混乱から隣国の手出しを警戒するため、というものだから誰も文句がつけられない。
(どうしたものか・・・・・・)
どうすればベアトリスとの婚約を了承してもらえるか、シリルと側近達は一丸となって考えていたため、この状況はなかなかにいたたまれない。
執務室では、そうした、どこか落ち着かない空気が漂っていた。しかし、それをものともしない者がいた。
「実にシケた空気ですね。殿下、手が止まっています。貴方の仕事の停滞は国事の停滞。民の生活に影響が出ます。手を動かせこのグズ」
明らかな不敬罪をかますのは、トラヴィス・シュラプネル公爵令息。バートラムの弟である。
冷ややかを通り越して、バックに極寒のブリザードを背負う彼は、王太子に不敬罪をかましても見て見ぬふりをされるほどに有能な青年だ。
国王が斃れてから国は混乱した。国王のこなしていた仕事は分担して請け負うことになったが、当然その仕事はシリルにも多く回され、シリルは父の死を嘆く暇もなく仕事に溺れることとなった。
そんな時に側近を辞めたバートラムの代わりに入ってきたのが、トラヴィスだった。
人手が増えたのは嬉しいが、このクソ忙しいときに新人教育なんて、と側近達は思った。しかし、トラヴィスは優秀だった。それこそ、優秀とされる側近達の何倍もの早さで仕事を片付け、他の者の仕事まで手伝い、いつの間にか効率化のために彼が仕事を分配し、気づけば定時に帰宅できるようになっていた。
みんな、それはもう感謝した。ベッドで毎日六時間以上ぐっすり眠れるなんて、なんて幸せなことなのだろうと涙を流すほどに。
そうしたことから、トラヴィスはいつの間にか側近達のトップとなり、シリルの片腕にまでなっていた。
シリルはトラヴィスの有能さを気に入っており、彼を頼っていたが、同時に彼を恐れていた。なぜなら、彼はとにかく容赦がないからだ。
元々愛想がいい方でないトラヴィスだったが、彼から容赦が消えたのは、ベアトリスの婚約を知り、シリルがやけ酒をして――翌朝、隣に裸の女性が寝ているのを目撃してからだ。いつまでも起きてこないシリルを叩き起こしに来て遭遇した悲劇だった。
シリルは、ものの見事にハニートラップに引っかかったのだ。
彼が閨に引き込んだ女性は、侍女だった。侍女が権力目当ての強かな女であったために一騒動あったが、一線を越える前にシリルが寝落ちて役立たずになったことで子供の心配はしなくてすんだ。
しかし、その日からはもう、トラヴィスは容赦がない。曰く、このクソ忙しい時期にクソッタレな厄介ごと持ってきやがって、とのことだ。
これに関して、シリルは小さくなるしかなかった。
王家は亡くなった国王の疑惑だらけの不穏な死に様から、色々とまずい立場に立たされている。王家の威信を取り戻すための舵取りは、困難を極めると言っていい。
トラヴィスは、そんな王家のためにも動いてくれていたのだ。なのに、シリルのこの失態である。この時期にあまりにも軽率な行動であり、王妃の母からも呆れられた。
そんなこともあり、有能なトラヴィスの不敬は身内しかいない場であれば見て見ぬふりをされるようになった。
「貴方に失恋を嘆く資格があると思うな、この不埒者」
「ハイ・・・・・・」
酒の失敗で、全てを失うことはよく聞く話だ。
全てを失いはしなかったが、大事なものを失ったシリルは、初恋の女性には絶対に知られたくない失態に頭を抱えながら、今日も書類の山に埋もれている。
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