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ヒロインはざまぁされた

第四話 『悪役令嬢』ベアトリス

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 大きく美しい湖が有名なバクスウェル領の領都には、バクスウェル公爵の城がある。 湖のほとりにある美しく荘厳な城は領民の自慢だ。
 現バクスウェル公爵には、二人の子供が居る。・・・・・・否、正確には、養子に迎えた亡き兄の子供が二人だ。
 バクスウェル公爵――カーティス・バクスウェルの立場は少し特殊だ。
 実は跡取りであったカーティスの兄が亡くなったため、急遽中継ぎの公爵としてその座についたのだ。
 彼は結婚しておらず、婚約者もいなかった。そのため、兄の子を養子に迎えて己の後継に据えた。ともすれば起きかねない家督争いを回避したのだ。
 カーティスは甥と姪に対して実の子のように接し、特にベアトリスを溺愛した。そんな公爵の自慢の令嬢であるベアトリスは、領民にとっても自慢のお嬢様だった。
 その自慢のお嬢様は、城のバルコニーで午後の紅茶を楽しんでいた。
「ふぅ……」
 小さく吐息を零し、ベアトリスは持っていたカップをソーサーに戻す。
 気の強そうなきつい顔立ちの美貌には、どこか安堵に似た感情が滲んでおり、彼女がリラックスしているのが見て取れる。
「やっと、終わった……」
 自らこぼした呟きは、彼女の胸に『終わり』の実感を強く齎す。
 彼女、ベアトリス・バクスウェルは、転生者である。
 前世は、ごく普通の女子高生だった。通学途中で事故に遭い、気づけばこの世界に転生していたのだ。
 そんな彼女が転生した先は、なんと、前世で好きだった乙女ゲーム『精霊の鏡と魔法の書』の世界だった。しかも、転生先は悪役令嬢ベアトリス・バクスウェルだ。
 彼女は王太子アルフォンス・ルビアスの婚約者であり、彼を愛するあまりに彼に近づく女を酷く威嚇し、嵌め、貶める女だった。
 悪役令嬢ベアトリスの悪行はアルフォンスだけに関わるものではなく、他の攻略対象に対してもそうだ。
 まず、魔法の天才であるコーネリアス・ルーエンは、バクスウェル公爵領にある孤児院出身であった。彼は才能を見出され、公爵家に引き取られて色々と援助を受けたが、それゆえにベアトリスに逆らえず、彼女の便利な道具として扱われていた。
 コーネリアスルートでは彼を助けることが主眼となり、最後にベアトリスは様々な悪行がバレて王太子であるアルフォンスにより断罪される。
 もう一人は、騎士団長の息子であるジオルド・デュアー伯爵令息だ。
 真っ直ぐな気質の彼は、悪事を繰り返すベアトリスと真正面からぶつかるのだが、彼の兄が病にかかったことで立場が一変することになる。
 それは、彼の兄を治すための薬が、バクスウェル公爵家の薬師しか作れない貴重なものだったからだ。
 薬を盾にとられてベアトリスの命令に逆らえなくなった彼は、彼女にいいように扱われる。
 ヒロインはそんな彼を支え、彼と共にベアトリスの悪事を暴き、やはり彼のルートでも王太子によってベアトリスは裁かれる。
 ベアトリスは、アルフォンス、コーネリアス、ジオルドルートの悪役令嬢だった。
 しかし、それはゲームでのお話し。ベアトリスはもちろんそんなことはしなかった。
 現実では、コーネリアスを見つけたベアトリスは彼の才能を引き出し、義父を説得して彼を支援した。そして、ジオルドの兄の病気を知れば、薬師を派遣してその病気を快方へ向かわせた。
 コーネリアスもジオルドもカーティスとベアトリスに感謝し、二人はベアトリスと交流を深めた。
 三人の間には、画面の向こうのような悪夢など欠片もない。
 ベアトリスの破滅フラグは三つ。その内の二つが無事に折れたのだ。
 しかし、残念ながらアルフォンスとの婚約は避けられず、一番厄介なフラグは立てられてしまった。
 アルフォンスは優しい少年だった。
 彼はベアトリスに対して柔らかい態度で接してくれた。しかし、ベアトリスは全てのルートで自分を断罪する彼の姿を知っていたため、つい逃げ腰気味になってしまい、彼と距離を詰められなかった。
 それにアルフォンスは攻略難易度が最も低いキャラクターだ。彼はいずれヒロインに攻略される可能性が高いと思ってしまうと、心を寄せることができなかったのだ。
 そうしてモダモダしているうちに、ベアトリスは出会ってしまった。前世からの推し、第二王子シリル・ルビアスに……
 シリルは優秀な兄を尊敬しながらも、彼にコンプレックスを抱いているキャラクターだ。そんな彼の心を解きほぐし、ある出来事をきっかけに自信をつけさせるのが攻略の鍵となる。
 ベアトリスが『悪役令嬢ベアトリス』として転生していなければ、彼の攻略に乗り出していたかもしれない。しかし、今はアルフォンスの婚約者の『ベアトリス』なのだ。ベアトリスの目にシリルがどれほど素敵な男の子に映ったとしても、彼にアプローチまがいなことは出来なかった。
 しかし、どんなに秘めたとしても、想いとはふとした時に溢れるものだ。
 シリルはベアトリスの想いに気づき、ベアトリスも彼に想われていることに気づいた。
 ベアトリスは前世の推しであったシリルに最初から好意があったし、現実として目の前に現れた彼は理想の体現者だった。これで恋心を持つなという方が難しい。
 一方、シリルは美しく優秀で、優しい年上のベアトリスに憧れを抱いていた。しかし、ふとした時儚げな顔をする彼女に庇護欲を掻き立てられ、結果、見事に初恋をかっさらわれた。
 けれど、ベアトリスはアルフォンスの婚約者だ。二人は結ばれない運命だった。
 悲恋は人を酔わせ、秘密は繋がりを強くする。
 口には出さず、態度にも出せぬ秘めた想いは、二人を酔わせ、その恋心を強固なものにした。
 こうなってしまえば、もうベアトリスにアルフォンスを愛することは不可能だ。
 ヒロインに怯えながらも、彼女が自身の婚約者アルフォンスを攻略することを願ってしまう。
 義父もベアトリスが婚約を嫌がっていたのを知っており、何かあればすぐに婚約を解消できるよう準備しておくと言ってくれた。もし、それで嫁のもらい手がなくなったとしても、ずっと家にいればいい、とまで言ってくれた。
 そんな環境でもあったこともあって、ベアトリスはアルフォンスに歩み寄る必要もなかった。
 アルフォンスもいつしかベアトリスのかたくなな態度に親密な関係になることを諦め、ベアトリスとアルフォンスの仲は良くもないが悪くもない、はたから見ればお互いを尊重したお手本のような、けれど内実は淡々としたものとなった。
 そして時は流れ、ベアトリスは学園に入学し、ヒロインを見つけた。
 彼女は天真爛漫な、普通の少女だった。
 身分をわきまえ、出しゃばることをせず、自分の身に釣り合った付き合いをしていた。
 それを越えたのは、やはりアルフォンスとの出会いだった。
 アルフォンスに気に入られ、こっそり会ってお話をしたり、ちょっとお茶をしたり。
 しかし、隠れてはいたものの、二人きりではなくて、必ず第三者も同席しての交流だった。適切な距離を持ち、名前を付けない関係を保っていた。
 だが、人目を忍んでいても、王太子殿下は目立つ存在だ。いつしかアリスの存在は誰かの目に触れ、二人の関係は密やかに艶を含んだものだと噂をされるようになった。
 それは、アルフォンスに憧れを持つ令嬢達には、面白くないことだ。美しく賢い公爵令嬢が相手なら諦められるが、相手はしがないただの男爵令嬢だ。胸に渦巻く感情をぶつけるのに、遠慮はいらないと彼女達は判断した。
 そうして、アリスは嫌がらせを受けるようになった。
 ベアトリスはやんわりと、それとなくやめるよう動いたが、やり口が巧妙になるだけで効果はなかった。
 この時、アルフォンスは動かなかった。どうやらヒロインは彼を攻略しきれていないようだ。もしかすると、ベアトリスが悪役令嬢として動いていなかったからなのかもしれない。
 しかし、それも終盤――卒業式が近くなればアルフォンスに動きがあった。
 その頃にはベアトリスは断罪を警戒して自身の身の潔白を証明する証拠を集めており、万全の態勢で卒業式に臨んだ。
 そして起こった断罪劇。
 ベアトリスはアルフォンスの言いがかりを論破し、どうにか断罪イベントを乗り越えた。
 国王陛下には謝罪を頂き、この後に起きるだろう混乱を避けるため、静養のために領地の城に戻って来た。
 これでもうゲームはおしまい。
 エンディングを迎え、あとはまっ白な未来が待っている。
 悪役令嬢モノのライトノベルなどでは、この後は誰かしらに求婚されるのがお約束だが、その求婚相手にシリルを思い浮かべてベアトリスは頬を熱くする。
 ベアトリスは自分の想像が恥ずかしくなり、誤魔化すようにカップに残った紅茶に口をつけた。

 この時、ベアトリスは、気づいていなかった。
 ベアトリスが王太子を狂愛する悪役令嬢にならなかったことで、逆に被害を被った人間が居たことに。
 ベアトリスを溺愛する義父が、裏でひっそりと動いていたことに。
 『乙女ゲーム』の物語にエンドマークがついたとしても、事は未だに動いており、より悍ましい人間の思いが吹き出そうとしていたことに。
 大事に育てられた箱入り令嬢は、何も気づいていなかった。

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