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カルト・オーグナー
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「ふぁ~……ぁ」
気の抜けた欠伸が洞窟に反響する。
水蓮石の輝きが、少女の銀髪を艶やかに煌めかせて、
「暇だ……おい、誰かいないのかー」
危機感を感じない声を出し、【感索】でマナを広げて、周囲に人がいないのか確認する。
返答はなく反応もない。広い足場、頭上には巨大な氷柱が一本鋭い先をメアリーに向けて、それを避けるように水蓮石の橋が幾つかの道を繋いでいる。
これほどの広さなら、おそらく元の場所より中心部なのだろうと推測する。
「合流するのは難しいな……」
彼女の足場には道という道はない。脱出するには頭上の橋を渡らなければならないが、一番近い所でも五十メートルは上だ。跳躍で届く距離ではない。
「……ま、ここにいても何も出来ないし……寝るか」
焦る素振りなど見せず、水蓮石の硬い床に寝転がるメアリー。
腰あたりまで伸びた銀髪を背中で踏みつけるように寝転がる彼女の視界には、水蓮石の氷柱が先端を見せつける。落ちてきた場合、腹に風穴ではすまなそうだ。
「さ~て、誰が最初に合流できるのかなぁ」
両手を頭の下で組んで枕代わりにして瞳を閉じる。
落ち着いた雰囲気を漂わせる中、
「やっとか……」
ぼそりと呟く。
体制は変わらず、瞳は閉じたまま。今にも寝入りそうな彼女の【感索】に人の反応。しかし、少し違和感を感じる。気配を一切隠す気などない足運び。奇襲という訳ではなさそうだが、味方の誰かだろうか。
「……銀髪の女」
「誰かと思えば何時ぞやの……」
一番手前の水蓮石で出来た橋の上、一人の男が立って仰向けに寝転ぶメアリーを見下ろす。
フードのついたひらひらとした黒いマントで身体を覆い、フードの下には白仮面で一部しか見えなかった顔が、今回はハッキリと晒されている。絶望したような濁った瞳と、黒い紋様が頬から目の周りを包むように伸びている。
「女、名前は?」
「人に名前を尋ねるときは自分から言うもんだ。それと、私は見下ろされるのは嫌いだ」
大声を出さずとも響く空間。
メアリーの言葉を理解した男は、橋から飛び降りる。マントが上向きに靡いて、服越しからでも分かるしっかりした身体が重力に従って降りていく。
かなりの高さだが、男の着地はとても静かで、位置エネルギーの有無を疑ってしまう。
「俺はカルト・オーグナーだ」
「私はお前達の目的も正体も知っている……本名を名乗れ」
「…………桐生、総悟だ」
四、五十代くらいの男、カルト・オーグナーこと桐生総悟。絶叫後のような掠れた声で名乗る彼は、目前で無防備に寝転がっている少女を睨む。
その視線を感じたメアリーはその身体を上半身だけ起こして、
「私の名はメアリーだ。立ち話は疲れる、座って話をしよう」
片膝を立てて座るメアリーは、桐生に座するよう誘導する。否、言葉や仕草は促しているようだが、瞳を見るにこれは命令だということを桐生は察した。
実力差など緋月が昇ったあの夜で理解している。恵術が一切使えないとはいえ、四人がかりで挑むも一瞬で三人が再起不能になった記憶。
そんな夜を回顧して桐生は胡坐をかく。
座高的に桐生の方が目線が高いが、漂う雰囲気はメアリーが桐生を圧迫しているようだ。
「怪我の具合はどうだ?」
「あれぐらい何ともない」
「そうかそうか。割と強く吹き飛ばしたんだがな……それで、偶然というには出来すぎていると思うんだが、これは貴様が仕組んだことなのか?」
「ああ。他の連中は我々にとっては邪魔でしかないが、アンタには少し話があってな。話が出来るよう計らわせてもらった」
「で、他の連中は?」
「今頃、俺の仲間が始末している」
「……そうか」
「落ち着いているな」
魔界、つまり戦場のど真ん中で座り込んで話す二人は、異様な光景であるが、二人の落ち着いた口調では、ここが町の酒場の如き平和を感じさせる。しかし、二人の瞳だけはそんな生易しいものではなくて。
「誰がどこで死のうが、私には大方関係ないからな」
「やはりアンタは……アンタらは人間を道具としか思っていないんだな」
その声には落ち着きがあるものの怒りの感情が含まれていた。
桐生の言葉にメアリーは眼を細めて不敵に笑う。
「どこで気が付いたんだ?」
「あの夜アンタは特殊な力を使った。マナが使えないあの夜で特別な力を使うということはお前は権能を扱えることになる」
神器はあくまで強力過ぎる魔道具、つまりは大気中のマナを僅かに必要とする。緋月の夜は神器、恵術共に使用できない。
「それで、私が契約者ではない証拠は?」
権能を扱えるのは契約者か神。そして桐生はメアリーを人間外の存在のように扱っている。
つまりは、メアリーが女神であることを知っている。
「今更惚けて何になる。アンタは俺が気付くよう言葉を並べていただろ? 我々の目的を知りつつ、魔人と呼ぶ者のなど限られているだろう」
「それもそうだな」
彼女は笑う。自分の正体が暴かれているというのに、それでもこの状況を楽しむように笑っている。
その余裕な表情に桐生は僅かな苛立ちを感じる。
溢れ出る激情を鎮静化させようと瞳を閉じると、瞼の裏で再生される過去の記憶。
「口車に乗せられた契約者は……あの白髪の少年か。彼も可哀想に」
「人聞きの悪いことを。私とアイツはウィンウィンな取引をしたつもりだが?」
「フッ、戯けたことを。契約者の末路はアンタも知っているだろう。むしろ、アンタは見たんじゃないのか? 怨念の瞳を向けられて騙したなと叫ぶ契約者達を」
彼は自分もその一人であるように話す。
頬を染める黒い紋様を指でなぞって、牽制するように言葉を投げかける。
「こちらの無知をいいことに、都合の悪いことは伝えず、あたかも対等な立場を装う。この世界の神は、人間の弱みに付け込むことが得意だからな」
「おいおい、私をそこらの偽神共と一緒にされては困る。言っただろう? 私はお前達の目的を知り、邪魔どころか利害は一致している。つまり、そちらが邪魔をしなければ私達は同志だ」
「フン、誰が神の手下共の手など借りるか。何故世界に干渉することを望まない神がこうして下界に姿を見せているのかは知らないが、あの少年も、我々も……人間を甘く見るなよ」
強く言う。
立ち上がり、今度はしっかり見下すように睥睨する。
彼女は座ったまま、桐生の鋭い視線を正面から受け止めて、
「人間を甘く見るな……か。アルカトラの住民を利用している奴らに言われるとはな」
「確かに我々のやっている事は決して褒められるものではない悪だ。だが、悪を屠るのに正義でいなければならない道理はないだろう。言わばこれはアルカトラとアーシズの戦争だ。我々は勝つためにアルカトラの者を利用する。奴らは我々と同じように見えて全く違う生物だからな心は痛まない」
「台詞だけ聞けばすっかり悪の組織だな魔人共。いや、そういうことなら魔人共とくくるのは厳しいな。なら私もお前達が自称する組織名で呼ばせてもらおう」
立ち上がり、少し乱れた髪を、頭を軽く振って整える。
腕を組み、余裕を見せつける愉悦の表情を浮かべて、
「お前達がどこまでやれるか見させてもらおう。無論、私は私の目的で行動する。邪魔をするなら容赦はしない。言うならばこれはアルカトラとお前達、そして私達を含めた三つ巴の戦争だ。私と私の契約者であるあの男と事を構えるなら決死の覚悟を抱いてこい――幻魔教」
「――――ッ!」
それは微笑の裏に隠れた悍ましい殺気。
風が吹いているわけでもないのに、彼女の銀髪は揺れ動き、彼女から零れるように感じる雰囲気は細胞の一つ一つに恐怖を刻み付ける。
それでも桐生の心は思いのほか冷静だ。本能が警笛を鳴らすことを忘れ、この場でまだ立っていることに違和感を感じない。
彼女とは敵となる可能性が高い。それ理解した途端、桐生は死の恐怖を受け入れた。
「我々の世界は壊させない。たとえそれが、我々自身を滅ぼすことになっても」
桐生の周りを黒い風が包み込む。
徐々に失われていく桐生の気配。
「私をここで始末しておかなくていいのか?」
「今はまだその時ではない。俺はお前の立場を把握しておきたかっただけだ」
反響する声。それは目の前の男が放っているというより、この洞窟が囁いている様に感じられる。
メアリーの銀髪が桐生を包む風に遊ばれて、落ち着きを取り戻した時には、桐生の姿は何処にもなかった。
先ほどの対話が嘘のような静けさを取り戻す。
「さて、誰か来るまで休むとするか」
少女は再び横になる。寝息をたてるまでにそれほど時間は要しなかった。
********************
「はぁはぁ……あ~しつこい、だるい、めんどくさい! 何アイツキモイ!」
「瑠奈ちゃん前だけ見ないと追いつかれちゃう!」
二人の少女が息を切らしてコルンケイブを疾走する。
鮮やかな茶髪のポニーテールを揺らす少女と、短い黒髪が汗で艶やかに光りつつある少女。
それと、四つん這いになりながらゴキブリのように二人を追う男。
「テケケケケケケケケケケ!」
口角を引きつらせ、唾液を空気中にばらまきながら、奇声を響かせる。
緑の髪は男の身長よりも長く、四足歩行というに、その髪が地面に着くことはない。
「テケケケ待てぇぇケケケケ!!」
男は長い舌で口周りを舐める。
溢れ出る唾液が舌を伝って男の髪を濡らす。
その様子は二人の顔を青ざめさせて、全身の毛が逆立つ。
「うわキモイキモイ! 何アイツなんかもう言動すべてがキモイ!」
「流石に私も……ちょっと……」
基本的に人を嫌悪する性格ではない皐月でさえ、身震いするレベルで不愉快極まりない男。
何故二人がこの男に追われているかと言うと、二人でさへ理解できていない。
気が付くと彼女と二人だけで立っており、目の前には男が獲物を見つけた肉食獣の如き表情で立っていた。
「どうする? このままだと――」
皐月が瑠奈にどうするかと投げかけると、男の髪が背後から伸びて咄嗟に横に避けて足を止める。
緑の髪がうねうねと動いて、再び奇妙な笑い声をあげる。
「テケケ覚悟は決まったようですねケケ」
二人は男に聞こえない程度の声で、
「あの人の恩恵は想像つかないね。少なくとも髪を操っているのは天恵だと思うけど……」
「何も持ってない点だけだったら、武闘家か支援系恩恵のどれかだと思うけど、アイツの能力だったらわざと何も持っていないのかも」
男は何の装備もしていない。上半身は裸で細くも逞しい肉体があらわになっており、下半身はぴちぴちのタイツ。靴は履いていなくて黒い爪と色白な足。
恩恵は剣士なら剣、弓兵なら弓というように、それぞれの恩恵がそれぞれの武器を最大限に活かす。
つまり身なりだけで言えば想像できる恩恵は武闘家。だが、クラッドやカルメンのように身なりから想像できる恩恵を偽装するという手もある。
クラッドの場合は剣を用い、剣士であるように見せかけて武闘家の恵術で敵を圧倒した。勿論偽装が分かれば対処され、恩恵によっては恩恵を生かせる武器を持っていない場合もあるが、武闘家の場合は別だ。
武器を用いない武闘家は恩恵の偽装に最も適している。
剣士の恩恵者が槍を使っていた場合、偽装が分かれば槍を捨て素手で戦うか、そのまま槍で戦うかの二択。どちらにせよ剣士の恩恵を活かすことは出来ない。
だが、素手が最大の武器である武闘家は、偽装が発覚したとしても武器を捨て、本来の恩恵に見合った戦いが出来る。
目前の男は剣も槍も指輪も、恩恵を想像させる武器やアクセサリーの類は無い。
身なりだけで想像するなら武闘家。あとは、男が武闘家の恵術を使用すれば確定。
「髪を操る天恵。髪の長さから攻撃範囲はアイツを中心に三メートル程度」
二人の恩恵は魔導士。予想できる恩恵と判明している天恵からしても近接戦は不利。
魔道士が最も活きるのは集団戦。剣士や槍兵が前衛を固めている間に魔導士がサポートに回るのが魔導士の基本。そのほかにも敵を待ち伏せする陣を形成して受けの戦いが魔導士の恵術を最大に活かす。
両名魔導士である今、距離を取りながら戦いやすい用の恵術で環境を整えるか、どちらかが前衛に回り、片方がサポートに徹するか。
どちらも作戦というよりも、この状況で出来る少ない手と言った方が正しい。
前者は環境を整えるまで敵の攻撃を躱すしかない、つまりはその間完全に防御に回るしかない。後者は前衛に回る片方がかなり危険な役回りになる。魔導士が近接戦に回るということは、どちらにせよその片方は防御、回避に徹するしかない。
「私がいく」
一歩前に出てその役を自ら買って出たのは皐月だ。
杖を前に構えて、血走った目で二人を見る男――エレントを睨む。威嚇ではない覚悟を決めた目で見据えており、漂う雰囲気は元の世界にいた時よりも逞しく感じられる。
「分かった。サポートは任せてって言いたいけど期待しないでね。勝つために注意を逸らすかも」
その言葉に皐月は軽く笑みを浮かべて無言で頷く。
ここでようやく作戦が立てられた。唯一の手から勝利への一手に。
皐月は今まで守られる立場だった。だが、今はその立場ではいられない。柑奈達はいなくなり、今行動を共にしているのは商人と少女。
自分がしっかりしなくては。この戦いはそうある為に必要な戦いだ。敵との距離感に生じる恐怖を受け入れていかなければならない。
「――行きます!」
皐月の身体からマナが溢れる。
マナが空気と共鳴して髪を揺らす。
そんな彼女にエレントは――
「テケケェ――――ッ!」
唾液を吐き散らして長髪で皐月を貫こうとする。
目の前に迫る攻撃という恐怖。守ってくれる人はいない。攻撃の隙は自ら作り、攻撃は自分で対処しなくてはいけない。
だが、その恐怖を乗り越えられなくて、人を守ることは出来ない。友を生き返らせることは出来ない。
――見てて、みんな。
皐月は攻撃に対して、更に一歩距離を詰めた――――。
気の抜けた欠伸が洞窟に反響する。
水蓮石の輝きが、少女の銀髪を艶やかに煌めかせて、
「暇だ……おい、誰かいないのかー」
危機感を感じない声を出し、【感索】でマナを広げて、周囲に人がいないのか確認する。
返答はなく反応もない。広い足場、頭上には巨大な氷柱が一本鋭い先をメアリーに向けて、それを避けるように水蓮石の橋が幾つかの道を繋いでいる。
これほどの広さなら、おそらく元の場所より中心部なのだろうと推測する。
「合流するのは難しいな……」
彼女の足場には道という道はない。脱出するには頭上の橋を渡らなければならないが、一番近い所でも五十メートルは上だ。跳躍で届く距離ではない。
「……ま、ここにいても何も出来ないし……寝るか」
焦る素振りなど見せず、水蓮石の硬い床に寝転がるメアリー。
腰あたりまで伸びた銀髪を背中で踏みつけるように寝転がる彼女の視界には、水蓮石の氷柱が先端を見せつける。落ちてきた場合、腹に風穴ではすまなそうだ。
「さ~て、誰が最初に合流できるのかなぁ」
両手を頭の下で組んで枕代わりにして瞳を閉じる。
落ち着いた雰囲気を漂わせる中、
「やっとか……」
ぼそりと呟く。
体制は変わらず、瞳は閉じたまま。今にも寝入りそうな彼女の【感索】に人の反応。しかし、少し違和感を感じる。気配を一切隠す気などない足運び。奇襲という訳ではなさそうだが、味方の誰かだろうか。
「……銀髪の女」
「誰かと思えば何時ぞやの……」
一番手前の水蓮石で出来た橋の上、一人の男が立って仰向けに寝転ぶメアリーを見下ろす。
フードのついたひらひらとした黒いマントで身体を覆い、フードの下には白仮面で一部しか見えなかった顔が、今回はハッキリと晒されている。絶望したような濁った瞳と、黒い紋様が頬から目の周りを包むように伸びている。
「女、名前は?」
「人に名前を尋ねるときは自分から言うもんだ。それと、私は見下ろされるのは嫌いだ」
大声を出さずとも響く空間。
メアリーの言葉を理解した男は、橋から飛び降りる。マントが上向きに靡いて、服越しからでも分かるしっかりした身体が重力に従って降りていく。
かなりの高さだが、男の着地はとても静かで、位置エネルギーの有無を疑ってしまう。
「俺はカルト・オーグナーだ」
「私はお前達の目的も正体も知っている……本名を名乗れ」
「…………桐生、総悟だ」
四、五十代くらいの男、カルト・オーグナーこと桐生総悟。絶叫後のような掠れた声で名乗る彼は、目前で無防備に寝転がっている少女を睨む。
その視線を感じたメアリーはその身体を上半身だけ起こして、
「私の名はメアリーだ。立ち話は疲れる、座って話をしよう」
片膝を立てて座るメアリーは、桐生に座するよう誘導する。否、言葉や仕草は促しているようだが、瞳を見るにこれは命令だということを桐生は察した。
実力差など緋月が昇ったあの夜で理解している。恵術が一切使えないとはいえ、四人がかりで挑むも一瞬で三人が再起不能になった記憶。
そんな夜を回顧して桐生は胡坐をかく。
座高的に桐生の方が目線が高いが、漂う雰囲気はメアリーが桐生を圧迫しているようだ。
「怪我の具合はどうだ?」
「あれぐらい何ともない」
「そうかそうか。割と強く吹き飛ばしたんだがな……それで、偶然というには出来すぎていると思うんだが、これは貴様が仕組んだことなのか?」
「ああ。他の連中は我々にとっては邪魔でしかないが、アンタには少し話があってな。話が出来るよう計らわせてもらった」
「で、他の連中は?」
「今頃、俺の仲間が始末している」
「……そうか」
「落ち着いているな」
魔界、つまり戦場のど真ん中で座り込んで話す二人は、異様な光景であるが、二人の落ち着いた口調では、ここが町の酒場の如き平和を感じさせる。しかし、二人の瞳だけはそんな生易しいものではなくて。
「誰がどこで死のうが、私には大方関係ないからな」
「やはりアンタは……アンタらは人間を道具としか思っていないんだな」
その声には落ち着きがあるものの怒りの感情が含まれていた。
桐生の言葉にメアリーは眼を細めて不敵に笑う。
「どこで気が付いたんだ?」
「あの夜アンタは特殊な力を使った。マナが使えないあの夜で特別な力を使うということはお前は権能を扱えることになる」
神器はあくまで強力過ぎる魔道具、つまりは大気中のマナを僅かに必要とする。緋月の夜は神器、恵術共に使用できない。
「それで、私が契約者ではない証拠は?」
権能を扱えるのは契約者か神。そして桐生はメアリーを人間外の存在のように扱っている。
つまりは、メアリーが女神であることを知っている。
「今更惚けて何になる。アンタは俺が気付くよう言葉を並べていただろ? 我々の目的を知りつつ、魔人と呼ぶ者のなど限られているだろう」
「それもそうだな」
彼女は笑う。自分の正体が暴かれているというのに、それでもこの状況を楽しむように笑っている。
その余裕な表情に桐生は僅かな苛立ちを感じる。
溢れ出る激情を鎮静化させようと瞳を閉じると、瞼の裏で再生される過去の記憶。
「口車に乗せられた契約者は……あの白髪の少年か。彼も可哀想に」
「人聞きの悪いことを。私とアイツはウィンウィンな取引をしたつもりだが?」
「フッ、戯けたことを。契約者の末路はアンタも知っているだろう。むしろ、アンタは見たんじゃないのか? 怨念の瞳を向けられて騙したなと叫ぶ契約者達を」
彼は自分もその一人であるように話す。
頬を染める黒い紋様を指でなぞって、牽制するように言葉を投げかける。
「こちらの無知をいいことに、都合の悪いことは伝えず、あたかも対等な立場を装う。この世界の神は、人間の弱みに付け込むことが得意だからな」
「おいおい、私をそこらの偽神共と一緒にされては困る。言っただろう? 私はお前達の目的を知り、邪魔どころか利害は一致している。つまり、そちらが邪魔をしなければ私達は同志だ」
「フン、誰が神の手下共の手など借りるか。何故世界に干渉することを望まない神がこうして下界に姿を見せているのかは知らないが、あの少年も、我々も……人間を甘く見るなよ」
強く言う。
立ち上がり、今度はしっかり見下すように睥睨する。
彼女は座ったまま、桐生の鋭い視線を正面から受け止めて、
「人間を甘く見るな……か。アルカトラの住民を利用している奴らに言われるとはな」
「確かに我々のやっている事は決して褒められるものではない悪だ。だが、悪を屠るのに正義でいなければならない道理はないだろう。言わばこれはアルカトラとアーシズの戦争だ。我々は勝つためにアルカトラの者を利用する。奴らは我々と同じように見えて全く違う生物だからな心は痛まない」
「台詞だけ聞けばすっかり悪の組織だな魔人共。いや、そういうことなら魔人共とくくるのは厳しいな。なら私もお前達が自称する組織名で呼ばせてもらおう」
立ち上がり、少し乱れた髪を、頭を軽く振って整える。
腕を組み、余裕を見せつける愉悦の表情を浮かべて、
「お前達がどこまでやれるか見させてもらおう。無論、私は私の目的で行動する。邪魔をするなら容赦はしない。言うならばこれはアルカトラとお前達、そして私達を含めた三つ巴の戦争だ。私と私の契約者であるあの男と事を構えるなら決死の覚悟を抱いてこい――幻魔教」
「――――ッ!」
それは微笑の裏に隠れた悍ましい殺気。
風が吹いているわけでもないのに、彼女の銀髪は揺れ動き、彼女から零れるように感じる雰囲気は細胞の一つ一つに恐怖を刻み付ける。
それでも桐生の心は思いのほか冷静だ。本能が警笛を鳴らすことを忘れ、この場でまだ立っていることに違和感を感じない。
彼女とは敵となる可能性が高い。それ理解した途端、桐生は死の恐怖を受け入れた。
「我々の世界は壊させない。たとえそれが、我々自身を滅ぼすことになっても」
桐生の周りを黒い風が包み込む。
徐々に失われていく桐生の気配。
「私をここで始末しておかなくていいのか?」
「今はまだその時ではない。俺はお前の立場を把握しておきたかっただけだ」
反響する声。それは目の前の男が放っているというより、この洞窟が囁いている様に感じられる。
メアリーの銀髪が桐生を包む風に遊ばれて、落ち着きを取り戻した時には、桐生の姿は何処にもなかった。
先ほどの対話が嘘のような静けさを取り戻す。
「さて、誰か来るまで休むとするか」
少女は再び横になる。寝息をたてるまでにそれほど時間は要しなかった。
********************
「はぁはぁ……あ~しつこい、だるい、めんどくさい! 何アイツキモイ!」
「瑠奈ちゃん前だけ見ないと追いつかれちゃう!」
二人の少女が息を切らしてコルンケイブを疾走する。
鮮やかな茶髪のポニーテールを揺らす少女と、短い黒髪が汗で艶やかに光りつつある少女。
それと、四つん這いになりながらゴキブリのように二人を追う男。
「テケケケケケケケケケケ!」
口角を引きつらせ、唾液を空気中にばらまきながら、奇声を響かせる。
緑の髪は男の身長よりも長く、四足歩行というに、その髪が地面に着くことはない。
「テケケケ待てぇぇケケケケ!!」
男は長い舌で口周りを舐める。
溢れ出る唾液が舌を伝って男の髪を濡らす。
その様子は二人の顔を青ざめさせて、全身の毛が逆立つ。
「うわキモイキモイ! 何アイツなんかもう言動すべてがキモイ!」
「流石に私も……ちょっと……」
基本的に人を嫌悪する性格ではない皐月でさえ、身震いするレベルで不愉快極まりない男。
何故二人がこの男に追われているかと言うと、二人でさへ理解できていない。
気が付くと彼女と二人だけで立っており、目の前には男が獲物を見つけた肉食獣の如き表情で立っていた。
「どうする? このままだと――」
皐月が瑠奈にどうするかと投げかけると、男の髪が背後から伸びて咄嗟に横に避けて足を止める。
緑の髪がうねうねと動いて、再び奇妙な笑い声をあげる。
「テケケ覚悟は決まったようですねケケ」
二人は男に聞こえない程度の声で、
「あの人の恩恵は想像つかないね。少なくとも髪を操っているのは天恵だと思うけど……」
「何も持ってない点だけだったら、武闘家か支援系恩恵のどれかだと思うけど、アイツの能力だったらわざと何も持っていないのかも」
男は何の装備もしていない。上半身は裸で細くも逞しい肉体があらわになっており、下半身はぴちぴちのタイツ。靴は履いていなくて黒い爪と色白な足。
恩恵は剣士なら剣、弓兵なら弓というように、それぞれの恩恵がそれぞれの武器を最大限に活かす。
つまり身なりだけで言えば想像できる恩恵は武闘家。だが、クラッドやカルメンのように身なりから想像できる恩恵を偽装するという手もある。
クラッドの場合は剣を用い、剣士であるように見せかけて武闘家の恵術で敵を圧倒した。勿論偽装が分かれば対処され、恩恵によっては恩恵を生かせる武器を持っていない場合もあるが、武闘家の場合は別だ。
武器を用いない武闘家は恩恵の偽装に最も適している。
剣士の恩恵者が槍を使っていた場合、偽装が分かれば槍を捨て素手で戦うか、そのまま槍で戦うかの二択。どちらにせよ剣士の恩恵を活かすことは出来ない。
だが、素手が最大の武器である武闘家は、偽装が発覚したとしても武器を捨て、本来の恩恵に見合った戦いが出来る。
目前の男は剣も槍も指輪も、恩恵を想像させる武器やアクセサリーの類は無い。
身なりだけで想像するなら武闘家。あとは、男が武闘家の恵術を使用すれば確定。
「髪を操る天恵。髪の長さから攻撃範囲はアイツを中心に三メートル程度」
二人の恩恵は魔導士。予想できる恩恵と判明している天恵からしても近接戦は不利。
魔道士が最も活きるのは集団戦。剣士や槍兵が前衛を固めている間に魔導士がサポートに回るのが魔導士の基本。そのほかにも敵を待ち伏せする陣を形成して受けの戦いが魔導士の恵術を最大に活かす。
両名魔導士である今、距離を取りながら戦いやすい用の恵術で環境を整えるか、どちらかが前衛に回り、片方がサポートに徹するか。
どちらも作戦というよりも、この状況で出来る少ない手と言った方が正しい。
前者は環境を整えるまで敵の攻撃を躱すしかない、つまりはその間完全に防御に回るしかない。後者は前衛に回る片方がかなり危険な役回りになる。魔導士が近接戦に回るということは、どちらにせよその片方は防御、回避に徹するしかない。
「私がいく」
一歩前に出てその役を自ら買って出たのは皐月だ。
杖を前に構えて、血走った目で二人を見る男――エレントを睨む。威嚇ではない覚悟を決めた目で見据えており、漂う雰囲気は元の世界にいた時よりも逞しく感じられる。
「分かった。サポートは任せてって言いたいけど期待しないでね。勝つために注意を逸らすかも」
その言葉に皐月は軽く笑みを浮かべて無言で頷く。
ここでようやく作戦が立てられた。唯一の手から勝利への一手に。
皐月は今まで守られる立場だった。だが、今はその立場ではいられない。柑奈達はいなくなり、今行動を共にしているのは商人と少女。
自分がしっかりしなくては。この戦いはそうある為に必要な戦いだ。敵との距離感に生じる恐怖を受け入れていかなければならない。
「――行きます!」
皐月の身体からマナが溢れる。
マナが空気と共鳴して髪を揺らす。
そんな彼女にエレントは――
「テケケェ――――ッ!」
唾液を吐き散らして長髪で皐月を貫こうとする。
目の前に迫る攻撃という恐怖。守ってくれる人はいない。攻撃の隙は自ら作り、攻撃は自分で対処しなくてはいけない。
だが、その恐怖を乗り越えられなくて、人を守ることは出来ない。友を生き返らせることは出来ない。
――見てて、みんな。
皐月は攻撃に対して、更に一歩距離を詰めた――――。
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現在、第二章シャーカ王国編
無名の三流テイマーは王都のはずれでのんびり暮らす~でも、国家の要職に就く弟子たちがなぜか頼ってきます~
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※本作の書籍化が決定いたしました!
詳細は近況ボードに載せていきます!
「もうおまえたちに教えることは何もない――いや、マジで!」
特にこれといった功績を挙げず、ダラダラと冒険者生活を続けてきた無名冒険者兼テイマーのバーツ。今日も危険とは無縁の安全な採集クエストをこなして飯代を稼げたことを喜ぶ彼の前に、自分を「師匠」と呼ぶ若い女性・ノエリ―が現れる。弟子をとった記憶のないバーツだったが、十年ほど前に当時惚れていた女性にいいところを見せようと、彼女が運営する施設の子どもたちにテイマーとしての心得を説いたことを思い出す。ノエリ―はその時にいた子どものひとりだったのだ。彼女曰く、師匠であるバーツの教えを守って修行を続けた結果、あの時の弟子たちはみんな国にとって欠かせない重要な役職に就いて繁栄に貢献しているという。すべては師匠であるバーツのおかげだと信じるノエリ―は、彼に王都へと移り住んでもらい、その教えを広めてほしいとお願いに来たのだ。
しかし、自身をただのしがない無名の三流冒険者だと思っているバーツは、そんな指導力はないと語る――が、そう思っているのは本人のみで、実はバーツはテイマーとしてだけでなく、【育成者】としてもとんでもない資質を持っていた。
バーツはノエリ―に押し切られる形で王都へと出向くことになるのだが、そこで立派に成長した弟子たちと再会。さらに、かつてテイムしていたが、諸事情で契約を解除した魔獣たちも、いつかバーツに再会することを夢見て自主的に鍛錬を続けており、気がつけばSランクを越える神獣へと進化していて――
こうして、無名のテイマー・バーツは慕ってくれる可愛い弟子や懐いている神獣たちとともにさまざまな国家絡みのトラブルを解決していき、気づけば国家の重要ポストの候補にまで名を連ねるが、当人は「勘弁してくれ」と困惑気味。そんなバーツは今日も王都のはずれにある運河のほとりに建てられた小屋を拠点に畑をしたり釣りをしたり、今日ものんびり暮らしつつ、弟子たちからの依頼をこなすのだった。
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