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第2章 レイアスト城での日々
6 ニナと小さな友人
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書庫で借りてきた分厚い書物をぱたんと閉じて、凝り固まった肩をほぐすように大きく伸びをした。
少し休憩しようと思いたち、フィリアは自室をあとにしてある場所へ向かう。そこは美しい花々が咲き乱れ、大きなオリーブの木が植えられている中庭。最近のお気に入りの場所だ。
この木の下に座って庭を眺めていると、良い気分転換になるのだ。それに、新しい友達もできた。
『やあ、フィリア』
視線を下に向ければ、体長10センチ程の小さな友人が。
「こんにちは。今日もいい天気ね」
黒い体に橙色の斑模様が可憐な蝶々の幼虫、イモムシだ。両の手の平を差し出せばイモムシは慣れた様子で手によじ登ってくるので、定位置となっている膝の上に下ろす。
昨日食べた葉っぱが美味しかったとか、危うく鳥に啄まれそうになったとか、少し離れたところの花壇に新しく蝶々の幼虫が生まれたとか。お喋り好きなイモムシと話に花を咲かせるのも楽しみのひとつになっている。
「あら?フィリア様、そんなところで誰とお話をされているのです?」
聞き馴染んだ声に顔を上げれば、中庭に面した渡り廊下にニナの姿が。洗濯に行く途中なのだろう、抱えた大きな籠には大量の洗濯物が入っている。
フィリアは一度視線を膝の上に落とし、それから不思議そうに首を傾げているニナの顔を見上げた。
イモムシとお喋りを…だなんて大きな声で言うのは少し憚られて、なんと答えようかと思案している間に、ニナは洗濯籠を抱えたまま中庭へと下りてきていた。
「たまたま通りかかったらフィリア様の声が聞こえたんですけ、ど……」
近くまできてフィリアの膝の上に乗っているのがイモムシだと気が付いた様子だ。あんぐりと口を開けて固まってしまったニナを見て、フィリアは慌てて小さな友人を手で覆って隠した。
「ニナ。これはね、その~なんていうか~」
やばい、引かれる。と思った。いくら呪い師が虫と言葉を交わせると知っていたとしても、膝の上にイモムシを乗せて親しげに会話している様子は、ニナのような若い女の子の目には気持ち悪く映ってしまうだろう。
カリオラの友人に同じような場面を目撃され、悲鳴を上げられてしまったという苦い経験があった。
ところが、ニナは予想外の反応を示したのだ。
「私もご一緒してもよろしいですか!?」
「うん?ど、どうぞ」
ニナは洗濯籠を地面に置くと、フィリアのそばにぺたりと座り込んで、小さな友人をまじまじと見つめる。その瞳はキラキラと輝いていた。
フィリアは恐る恐る問いかける。
「大丈夫…?気持ち悪かったり、しない?」
「気持ち悪いだなんてそんなこと!色鮮やかで小さくて、とても可愛らしいです!」
どうやら、気を使っての言葉ではなさそうだ。好奇心いっぱいの表情でイモムシを眺めるその姿に、胸が温かくなる。
「フィリア様はすごいですね。どんな生き物とでもお話ができるなんて」
胸の前で両手を握って可愛らしく微笑むニナにつられて、フィリアも笑みを浮かべる。
そして、触っても大丈夫かと聞いてきたニナの目の前へ、小さな友人を手のひらに乗せて差し出した。
「うわぁ~~~!ふわふわですねぇ。うふふふふ」
人差し指でつんと触れてみたり、背中をそっと撫でてみたり。フィリアの手のひらの上で、じっとされるがままになっている友人も満更ではなさそうな顔。
フィリアはニナと顔を見合わせて、うふふふと笑い合った。
「フィリア様。ここにいらっしゃたんですね」
声をかけられて顔を上げれば、そこにいたのはもう一人の侍女だった。
「どうしたの?サラ」
口を開こうとしたサラだったが、フィリアとニナの手元にいる存在に気が付いたようで、ぎょっと目を丸くさせる。みるみる顔色が青白くなっていくのを見て、申し訳ない気持ちになっていく。
妹と違って、姉のサラは虫があまり好きではないようだ。それでも悲鳴を上げないところは、さすが頼れる侍女といったところか。
「で、殿下が、探しておられました」
「アルフレード王子が?どうしたんだろう」
「何か御用があるようでしたが…。一度お部屋の方へお戻りいただけますか?」
「うん、そうしてみる。ありがとう、サラ。ニナも引き止めちゃってごめんね」
サラの鋭い視線が妹へと向かっていたので、さりげなくフォローしてみたつもりだったが。
「ニナ」
「はいっ!姉さん!!」
ぴゃっと飛び上がるように立ち上がったニナは、置きっぱなしにしていた洗濯籠を急いで抱えた。
「早く仕事に戻りなさい」
「はいっ!姉さん!!」
小走りで去っていくニナの後ろ姿に、フィリアは苦笑しながら手を振った。
小さなイモムシの友人はいつの間にか姿を消していて、すっかり顔色の戻ったサラが言う。
「あまりあの子を甘やかさないでくださいね?どうせフィリア様が引き止めたのではなく、あの子から絡んできたのでしょう」
「…すごいな。どうしてわかるの?」
「そういう子ですもの。まったく。もう少し侍女としての自覚を持ってほしいものです」
しっかり者で侍女としての仕事を完璧にそつなくこなすサラと、ふんわりとした雰囲気で10代の少女らしく年相応にはしゃぐことが多いニナ。
正反対の2人だが、まだ城に来てから短い付き合いながらも、仲の良い姉妹だということはわかっている。これもいつもの小言だと聞き流してしまおう。
サラに別れを告げて、中庭から渡り廊下へと上がる階段を目指して歩き出した。が、その階段に腰掛けているアルを発見してしまい、フィリアは思わず駆け寄った。
「アル!探しに来てくれたの?」
「サラに君の居所を尋ねた後で思いついてね。ここかなって。当たりだったみたいだ」
そう言って腰を上げたアルに、手を差し出される。
「おいで。少し散歩しよう」
条件反射のように、差し出された手に自分の手を重ねた。緩く繋がれた手を引かれ、アルの隣に立って歩き出す。改めて考えてみれば、なぜ手を繋いで歩く必要があるのか疑問に思うところだが、別に手を繋ぐのは初めてではないし…と深く考えないフィリアなのだった。
そんな2人の後ろ姿を、サラが微笑ましい眼差しで見送っていたことはフィリアは知る由もない。
***
アルに連れられてやって来たのは、中庭の奥の方に位置する池のほとりだった。
大きな池には蓮の葉が浮かんでいる。花の時期にはとても綺麗な光景が見られるのだろうな。池の真ん中に建てられている東屋へと入ったフィリアは、興味深げに周囲を見渡しながらそんなことを考えていた。
「仕事は大丈夫なの?」
備え付けられているベンチに並んで腰かけ、隣のアルへと視線を戻す。
フィリアが城へ連れてこられてから5日が経つが、アルとこうしてのんびり話をするのは初めてだ。初日の夜、彼からの申し出を受けて以降は毎晩同じベッドで眠ってはいるのだが、中々話をする機会はなかった。というのも、先にベッドに入っているフィリアが微睡み出す頃に彼はやって来て、翌朝もフィリアが目覚めると、すでに隣室で書類を片手にコーヒーを飲んでいるのだ。
よほど溜まっていた仕事が忙しいようで、心配していたところだった。
「ちょうど一段落したところだ。君を城へ連れてきてから、こうしてゆっくりできる機会がなかったからね。ここへ来たのは初めてかい?」
「うん。いつも、あの大きなオリーブの木のそばにいるんだ。こんな素敵なところがあったなんて知らなかった」
「気に入ってもらえてよかった。それにしても、侍女達とは仲良くやっているみたいだね」
「うん!サラもニナも、とても良くしてくれてるよ」
「そうか。彼女達を選んで正解だったな」
それから、相変わらず呪いを解く手がかりは見つかっていないことや、書庫へ通っていることなど、一通りの近況報告をした。
「ねぇ、フィリア」
唐突に名を呼ばれた。初めて耳にするような声音で、鼓動が跳ねる。
甘さを含んでいるというのだろうか、いつも低くて落ち着いた良い声だとは思っていたが。胸の奥がむずむずして、頬に朱が灯りそうになる。
そんなアルは長い脚を優雅に組んで、頬杖をつきながらフィリアの顔を覗き込んできた。
「私は、とても疲れているんだ」
「そ、そうだよね。毎日朝早くから夜遅くまで、本当にお疲れ様です」
「うん。だから、癒やしてくれないか?」
にこにこと笑みを称えるアル。フィリアは首を傾げた。
「癒やすって…どうすればいいの?」
「そうだなぁ。なんでも聞いてくれるかい?」
「う…、内容による!」
とんでもないことを言われたらどうしようかと焦るが、毎日仕事漬けで疲労が溜まっているであろうアルのことを癒やせるのなら、できるだけのことはしてあげたい気持ちはある。
相変わらず頬杖をついたまま、その瞳はフィリアをひたと見据えてアルは言った。
「抱きしめさせて」
「だ……っ!」
思わず両手で顔を覆った。恥ずかしい、恥ずかしすぎる。確実に赤くなっているであろう顔を隠しながら、唸った。
「駄目?」
指の隙間からアルの様子を覗き見る。期待できらめく瞳。ぱたぱたと揺れる三角の耳。そんなものを見てしまったら、拒否なんてできるはずもなかった。
一度深呼吸をしてから顔を上げて、アルへ向かっておずおずと両手を広げた。
「……どうぞ」
言い終わる前に抱きしめられていた。すっぽりとその腕の中に囲われて、宙を彷徨っていた両手はアルの背中に回した。
「こんなのが癒やしになるの?」
「もちろん」
即答だった。
それなりの力で抱きしめられているので、身動きはとれない。耳の横で、アルがくすりと笑って言う。
「恥ずかしいのかい?」
「当たり前でしょう!」
「いつも似たようなことしてるのに、今更じゃないかな」
「それとこれとは、話が違うっていうか…」
言葉を濁すフィリアに対して、アルの機嫌よさげな笑い声が耳を擽る。
確かに毎晩抱き合って、というか一方的に抱き枕にされるような感じで眠ってはいるが、こう面と向かって今から抱きしめてもいいか?なんて聞かれるとは思っていなかったのだ。不意打ちは駄目だ。
「でもさぁ、アル。こういうの、あまり他の人にはしない方がいいと思う」
アルが邪な気持ちを持っていないことがわかっているから、突飛なお願いにもこうして応えているが、さすがに恋愛経験のないフィリアだって疑問に思う。普通の友人同士は、こんな触れ合いをするものだろうか、と。
相手が自分ではなく普通の女の子なら、きっとこんな素敵な人に抱きしめられたら、私のことが好きなのだと思ってしまうに違いない。
「勘違いさせちゃうよ」
頭を撫でていた手が止まったかと思うと、耳元で大きなため息が吐かれた。
「アル?」
背中をくいっと引っ張ってみるけれど、アルは不自然に動きを止めたまま。
「どうかした?」
今度は背中を軽く叩いてみる。すると、止まっていた手が再び髪の間に差し込まれ、頭を引き寄せられた。
囁くような小さな声でアルは言う。
「君以外の人になんて、するわけがない」
暗に、君だけだと言われ、安堵すると同時に嬉しくも思う。ただ、この気持ちにどんな名前が付くのか、この時のフィリアはまだわかっていなかったのだけれど。
少し休憩しようと思いたち、フィリアは自室をあとにしてある場所へ向かう。そこは美しい花々が咲き乱れ、大きなオリーブの木が植えられている中庭。最近のお気に入りの場所だ。
この木の下に座って庭を眺めていると、良い気分転換になるのだ。それに、新しい友達もできた。
『やあ、フィリア』
視線を下に向ければ、体長10センチ程の小さな友人が。
「こんにちは。今日もいい天気ね」
黒い体に橙色の斑模様が可憐な蝶々の幼虫、イモムシだ。両の手の平を差し出せばイモムシは慣れた様子で手によじ登ってくるので、定位置となっている膝の上に下ろす。
昨日食べた葉っぱが美味しかったとか、危うく鳥に啄まれそうになったとか、少し離れたところの花壇に新しく蝶々の幼虫が生まれたとか。お喋り好きなイモムシと話に花を咲かせるのも楽しみのひとつになっている。
「あら?フィリア様、そんなところで誰とお話をされているのです?」
聞き馴染んだ声に顔を上げれば、中庭に面した渡り廊下にニナの姿が。洗濯に行く途中なのだろう、抱えた大きな籠には大量の洗濯物が入っている。
フィリアは一度視線を膝の上に落とし、それから不思議そうに首を傾げているニナの顔を見上げた。
イモムシとお喋りを…だなんて大きな声で言うのは少し憚られて、なんと答えようかと思案している間に、ニナは洗濯籠を抱えたまま中庭へと下りてきていた。
「たまたま通りかかったらフィリア様の声が聞こえたんですけ、ど……」
近くまできてフィリアの膝の上に乗っているのがイモムシだと気が付いた様子だ。あんぐりと口を開けて固まってしまったニナを見て、フィリアは慌てて小さな友人を手で覆って隠した。
「ニナ。これはね、その~なんていうか~」
やばい、引かれる。と思った。いくら呪い師が虫と言葉を交わせると知っていたとしても、膝の上にイモムシを乗せて親しげに会話している様子は、ニナのような若い女の子の目には気持ち悪く映ってしまうだろう。
カリオラの友人に同じような場面を目撃され、悲鳴を上げられてしまったという苦い経験があった。
ところが、ニナは予想外の反応を示したのだ。
「私もご一緒してもよろしいですか!?」
「うん?ど、どうぞ」
ニナは洗濯籠を地面に置くと、フィリアのそばにぺたりと座り込んで、小さな友人をまじまじと見つめる。その瞳はキラキラと輝いていた。
フィリアは恐る恐る問いかける。
「大丈夫…?気持ち悪かったり、しない?」
「気持ち悪いだなんてそんなこと!色鮮やかで小さくて、とても可愛らしいです!」
どうやら、気を使っての言葉ではなさそうだ。好奇心いっぱいの表情でイモムシを眺めるその姿に、胸が温かくなる。
「フィリア様はすごいですね。どんな生き物とでもお話ができるなんて」
胸の前で両手を握って可愛らしく微笑むニナにつられて、フィリアも笑みを浮かべる。
そして、触っても大丈夫かと聞いてきたニナの目の前へ、小さな友人を手のひらに乗せて差し出した。
「うわぁ~~~!ふわふわですねぇ。うふふふふ」
人差し指でつんと触れてみたり、背中をそっと撫でてみたり。フィリアの手のひらの上で、じっとされるがままになっている友人も満更ではなさそうな顔。
フィリアはニナと顔を見合わせて、うふふふと笑い合った。
「フィリア様。ここにいらっしゃたんですね」
声をかけられて顔を上げれば、そこにいたのはもう一人の侍女だった。
「どうしたの?サラ」
口を開こうとしたサラだったが、フィリアとニナの手元にいる存在に気が付いたようで、ぎょっと目を丸くさせる。みるみる顔色が青白くなっていくのを見て、申し訳ない気持ちになっていく。
妹と違って、姉のサラは虫があまり好きではないようだ。それでも悲鳴を上げないところは、さすが頼れる侍女といったところか。
「で、殿下が、探しておられました」
「アルフレード王子が?どうしたんだろう」
「何か御用があるようでしたが…。一度お部屋の方へお戻りいただけますか?」
「うん、そうしてみる。ありがとう、サラ。ニナも引き止めちゃってごめんね」
サラの鋭い視線が妹へと向かっていたので、さりげなくフォローしてみたつもりだったが。
「ニナ」
「はいっ!姉さん!!」
ぴゃっと飛び上がるように立ち上がったニナは、置きっぱなしにしていた洗濯籠を急いで抱えた。
「早く仕事に戻りなさい」
「はいっ!姉さん!!」
小走りで去っていくニナの後ろ姿に、フィリアは苦笑しながら手を振った。
小さなイモムシの友人はいつの間にか姿を消していて、すっかり顔色の戻ったサラが言う。
「あまりあの子を甘やかさないでくださいね?どうせフィリア様が引き止めたのではなく、あの子から絡んできたのでしょう」
「…すごいな。どうしてわかるの?」
「そういう子ですもの。まったく。もう少し侍女としての自覚を持ってほしいものです」
しっかり者で侍女としての仕事を完璧にそつなくこなすサラと、ふんわりとした雰囲気で10代の少女らしく年相応にはしゃぐことが多いニナ。
正反対の2人だが、まだ城に来てから短い付き合いながらも、仲の良い姉妹だということはわかっている。これもいつもの小言だと聞き流してしまおう。
サラに別れを告げて、中庭から渡り廊下へと上がる階段を目指して歩き出した。が、その階段に腰掛けているアルを発見してしまい、フィリアは思わず駆け寄った。
「アル!探しに来てくれたの?」
「サラに君の居所を尋ねた後で思いついてね。ここかなって。当たりだったみたいだ」
そう言って腰を上げたアルに、手を差し出される。
「おいで。少し散歩しよう」
条件反射のように、差し出された手に自分の手を重ねた。緩く繋がれた手を引かれ、アルの隣に立って歩き出す。改めて考えてみれば、なぜ手を繋いで歩く必要があるのか疑問に思うところだが、別に手を繋ぐのは初めてではないし…と深く考えないフィリアなのだった。
そんな2人の後ろ姿を、サラが微笑ましい眼差しで見送っていたことはフィリアは知る由もない。
***
アルに連れられてやって来たのは、中庭の奥の方に位置する池のほとりだった。
大きな池には蓮の葉が浮かんでいる。花の時期にはとても綺麗な光景が見られるのだろうな。池の真ん中に建てられている東屋へと入ったフィリアは、興味深げに周囲を見渡しながらそんなことを考えていた。
「仕事は大丈夫なの?」
備え付けられているベンチに並んで腰かけ、隣のアルへと視線を戻す。
フィリアが城へ連れてこられてから5日が経つが、アルとこうしてのんびり話をするのは初めてだ。初日の夜、彼からの申し出を受けて以降は毎晩同じベッドで眠ってはいるのだが、中々話をする機会はなかった。というのも、先にベッドに入っているフィリアが微睡み出す頃に彼はやって来て、翌朝もフィリアが目覚めると、すでに隣室で書類を片手にコーヒーを飲んでいるのだ。
よほど溜まっていた仕事が忙しいようで、心配していたところだった。
「ちょうど一段落したところだ。君を城へ連れてきてから、こうしてゆっくりできる機会がなかったからね。ここへ来たのは初めてかい?」
「うん。いつも、あの大きなオリーブの木のそばにいるんだ。こんな素敵なところがあったなんて知らなかった」
「気に入ってもらえてよかった。それにしても、侍女達とは仲良くやっているみたいだね」
「うん!サラもニナも、とても良くしてくれてるよ」
「そうか。彼女達を選んで正解だったな」
それから、相変わらず呪いを解く手がかりは見つかっていないことや、書庫へ通っていることなど、一通りの近況報告をした。
「ねぇ、フィリア」
唐突に名を呼ばれた。初めて耳にするような声音で、鼓動が跳ねる。
甘さを含んでいるというのだろうか、いつも低くて落ち着いた良い声だとは思っていたが。胸の奥がむずむずして、頬に朱が灯りそうになる。
そんなアルは長い脚を優雅に組んで、頬杖をつきながらフィリアの顔を覗き込んできた。
「私は、とても疲れているんだ」
「そ、そうだよね。毎日朝早くから夜遅くまで、本当にお疲れ様です」
「うん。だから、癒やしてくれないか?」
にこにこと笑みを称えるアル。フィリアは首を傾げた。
「癒やすって…どうすればいいの?」
「そうだなぁ。なんでも聞いてくれるかい?」
「う…、内容による!」
とんでもないことを言われたらどうしようかと焦るが、毎日仕事漬けで疲労が溜まっているであろうアルのことを癒やせるのなら、できるだけのことはしてあげたい気持ちはある。
相変わらず頬杖をついたまま、その瞳はフィリアをひたと見据えてアルは言った。
「抱きしめさせて」
「だ……っ!」
思わず両手で顔を覆った。恥ずかしい、恥ずかしすぎる。確実に赤くなっているであろう顔を隠しながら、唸った。
「駄目?」
指の隙間からアルの様子を覗き見る。期待できらめく瞳。ぱたぱたと揺れる三角の耳。そんなものを見てしまったら、拒否なんてできるはずもなかった。
一度深呼吸をしてから顔を上げて、アルへ向かっておずおずと両手を広げた。
「……どうぞ」
言い終わる前に抱きしめられていた。すっぽりとその腕の中に囲われて、宙を彷徨っていた両手はアルの背中に回した。
「こんなのが癒やしになるの?」
「もちろん」
即答だった。
それなりの力で抱きしめられているので、身動きはとれない。耳の横で、アルがくすりと笑って言う。
「恥ずかしいのかい?」
「当たり前でしょう!」
「いつも似たようなことしてるのに、今更じゃないかな」
「それとこれとは、話が違うっていうか…」
言葉を濁すフィリアに対して、アルの機嫌よさげな笑い声が耳を擽る。
確かに毎晩抱き合って、というか一方的に抱き枕にされるような感じで眠ってはいるが、こう面と向かって今から抱きしめてもいいか?なんて聞かれるとは思っていなかったのだ。不意打ちは駄目だ。
「でもさぁ、アル。こういうの、あまり他の人にはしない方がいいと思う」
アルが邪な気持ちを持っていないことがわかっているから、突飛なお願いにもこうして応えているが、さすがに恋愛経験のないフィリアだって疑問に思う。普通の友人同士は、こんな触れ合いをするものだろうか、と。
相手が自分ではなく普通の女の子なら、きっとこんな素敵な人に抱きしめられたら、私のことが好きなのだと思ってしまうに違いない。
「勘違いさせちゃうよ」
頭を撫でていた手が止まったかと思うと、耳元で大きなため息が吐かれた。
「アル?」
背中をくいっと引っ張ってみるけれど、アルは不自然に動きを止めたまま。
「どうかした?」
今度は背中を軽く叩いてみる。すると、止まっていた手が再び髪の間に差し込まれ、頭を引き寄せられた。
囁くような小さな声でアルは言う。
「君以外の人になんて、するわけがない」
暗に、君だけだと言われ、安堵すると同時に嬉しくも思う。ただ、この気持ちにどんな名前が付くのか、この時のフィリアはまだわかっていなかったのだけれど。
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