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【27】鳳鳴朝陽~僕たちはサッカー選手になれない

浪漫飛行

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 幾久は搭乗口の前に立っている山縣に近づく。
 突然、これまで一度も呼ばれたことのない名前を呼ばれ、何を言えばいいのか判らない。
「……何スか」
「世話になったなーって思って」
「まあそっすね。お世話しました」
「おめーは相変わらずだな。先輩が出てくのに泣かねーのか」
「うれし泣きならしますよ?」
「だろーな」
 そう言って山縣は笑った。
 幾久は山縣に尋ねた。
「なんでいきなり名前なんか呼ぶんスか」
「お前の前では言わんかっただけで、割と最初から呼んでた」
「わりとさいしょから」
「そう」
「誰の前で」
「主にトッキーとか、桂の前でもそうか?あとは周布とか」
「三年殆どじゃないっすか」
「お前の前では言わんかっただけだ」
「何スか。嫌がらせっスか」
「だったらどうすんだ。納得すんのか」
「ガタ先輩のする事っスから」
「やべーな。俺の愛情伝わってねーのか」
「ないっす。それはもう全然。むしろいらねーっす」
「だろーな」
 そう言って山縣は笑う。
 幾久は、どうしても山縣がもう居なくなる事が判らなかった。
 今日も出かけてしますだけで、しばらくしたら、また寮に帰ってきそうな気がする。
 だって山縣はそういう人だったから。
「おめーはそれでいいんじゃねえの。紙詰まりも直ったらしーし」
 山縣が言い直した。
「修理できたし?」
「言い直さなくったって判りますよ。どんだけここに居ると思ってんスか」
 思えば去年の春、この地域で言う「片付けろ」の意味の「なおす」が幾久は理解できなかった。
 いまはもう当たり前のように使っている。
「染まったな」
「そっす。あ、でもガタ先輩にじゃないっスよ?御門とか、報国とか、長州市とか」
「かわいくねーな」
「オレ可愛いんで」
 幾久が言うと、山縣は楽しそうに眉を顰めた。
「まーお前はそのまま可愛がられてろ。ほんっと楽してむかつくやつだな」
 そう言って、指でちょいちょいと「こっちにこい」とジェスチャーをする。
 幾久は油断していた。

 山縣に近づくと、山縣はいきなり幾久の肩に腕を回してがっつり抱き着いた。
 それを見ていた面々は驚く。
 山縣がそこまで幾久と離れるのが寂しいのか、とセンチメンタルな事を考えてしまった。

 所が、そんなはずはなかった。

「う、う、うわ―――――っ!!!」
 幾久の正面にがっつりしがみつく山縣から、幾久は逃れようと必死に体をエビぞりにそらすも、山縣は離れない。
 何事があったのかと覗き込む人もいるが、様子を見て「ぷ」と噴き出して通りすがっていく。
 そして一度離れると、山縣はもう一度幾久の顔をがっつり掴み、思い切り顔を近づける。
「やっめろぉおおおおおおお!」
 幾久の叫びが空港のフロアに響くも、皆が苦笑して見ている。

 なにをしているのか、遠目からでも判った。
「なにやっちょんじゃ、アイツは」
 呆れた表情でそう言ったのは高杉だ。

 幾久は山縣にしがみつかれ、頬に思いっきりキスされていた。
 ぶっちゅうううううう、とまるでアニメの効果音のような汚い音がする。
 やっとのことで幾久が山縣を引き離すが、強く吸いつかれたせいで、キスマークになってしまっている。
 山縣の気がすんでようやく離れた時、幾久のほっぺには左右どちらにも、まるでハンコを押したように赤い丸がついていた。
 ごしごしと手の甲で頬を擦りながら幾久は怒鳴った。
「なにするんスか!きったねえええ!」
「お別れのキッスだ。受け取れ」
「いらね―――――っ!!!!!」
 叫ぶ幾久に、山縣はゲラゲラ笑って、搭乗口へ消えた。
「じゃーな達者でやれよ後輩!愛してるぜ!!!」
 投げキッスをする山縣に、幾久は「留年しろ―――――っ!!!!!」と叫び、その叫びに近くに居た大人達が肩を震わせて笑っていた。

「ったく、なんだよクソ山縣!きったねえ!病気になる!」
 御堀が幾久の顔をスマホで撮って見せて、幾久は怒鳴った。
「なんだこれ!ひっでえ!」
 しっかり寮頬には赤いマークがついている。
 ごしごしと頬を擦っても当然キスマークが取れるはずもない。
 文句をぶつくさ言う幾久に、雪充は肩を震わせている。
「いや、かわいいよいっくん」
「ぜってー嘘っすよね。誉!写真保存すんな!使う気だろ!!」
「まあね」
「いや、可愛いぞ幾久」
 そう言って児玉も笑っている。
「なんでオレばっか!被害だ!セクハラだ!」
 ぶつくさ言う幾久の肩を、雪充が叩く。
 搭乗口の向こうのガラス越し、山縣がニヤニヤしながら手を振っていた。
 べーっと思い切り変な顔をする幾久に、山縣は笑いながら手を振って、中へ去って行った。
「もういい!帰る!」
 幾久が拗ねて言うと、雪充が言った。
「僕が駅に行かないと」
「そうっすね!ガタ先輩が悪い!」
 ぷんぷん怒って去る幾久に、皆は苦笑しながら、空港のフロアから駐車場に向かうべく、歩き始めた。


 一方、山縣は搭乗手続きのゲートで物凄い注目を浴びていた。
 後輩への熱い抱擁とキスとやりとりを大人がみんな見ていたからだ。

 フロアを進み、ガラス越しに幾久に手を振ると、幾久は「べーっ」と舌を出し、変な顔をする。
 それを見て山縣は噴出した。

 同じ飛行機に乗る予定の、手続きの時に後ろに並んでいたサラリーマンらしい、若いスーツの男性が山縣に声をかけた。
「さっきのは弟さん?仲が良いね」
「寮の後輩です。全寮制の学校に居たんで見送りに来てくれて」
 今から進学で東京へ向かうんです、と伝えるとそっか、と頷く。
「俺は三年で、アイツは一年で。一年しか一緒じゃなかったけど楽しかったです」
 山縣の言葉に、男性は言った。
「いいなそういうの。でも寮でずっと一緒だったなら、これから寂しいね」
 男性の言葉に、山縣はちょっと困った表情になって、頷いて笑って言った。

「俺はね」


 山縣を見送ったので、雪充を送る為に再びそれぞれ車に乗り込む。
 三吉ももうしばらく走りたいとの事なので、一緒に小倉駅までついて走ることになった。
 それぞれ来た時と同じ車に乗り込む。
 ロールスロイスに乗り込んだ幾久は、毛利に買って貰った冷たいコーヒーを両頬にあてて冷やしながらぶつくさ文句を言った。
「ほんっとむかつく!ほんっとむかつく!」
 つべてえ、と文句を言いながら幾久はずっと頬を冷やしていた。
「山縣もよっぽどいっくんと離れるの、寂しいんだよ」
 雪充がフォローするも、幾久はむっとして言った。
「嫌がらせだ!」
「まあ……そうとしか見えないよね」
 雪充は苦笑するが、ああ見えて山縣は本当に嫌うものにはできるだけ触らないようにする。
 頭もすぐに下げるし、最低限の礼儀も守る。
 だけど気に入っている、例えば幾久のような存在だと、必ず世話をやくしついでに余計な事もする。
 赤根に対する余計な一言も、一応は御門寮に所属して、しかも時山の親友だから、というサービスからくるものだ。
 勿論、赤根はそんな事には気づかない。
「ったく、オレの事可愛いなら別のやりかたがあるでしょってんだ!」
 幾久の言葉に、雪充と菫が吹き出した。
(成程、ちゃっかりしてるな)
 雪充はそう思って笑う。
 幾久はなんだかんだ、自分が山縣に気に入られているのを知っているのだから、そこは赤根と違う所だ。
「あーいやだ!つめたい!」
 ぶつくさ言う幾久に、自分もコーヒーを飲みつつ毛利が言った。
「適当に外したりしながらできるだけ冷やしとけ。内出血だからな。まずは冷やせ」
「毛利先生のくせに、キスマークに詳しいんスね」
「くせにってなんだくせにって。お前、俺が格闘やってるって忘れてるだろ!格闘すると怪我するの!だから早めの処理が大事なの!内出血だから最初に冷やしとけば痕にならないから!」
「えっ、これ痕になるんスか?!」
 驚く幾久に毛利が「心配ねーよ」と言った。
「ちょっとうわっつらに吸い付かれただけだろ、冷やしときゃ早めに消えるしほっといてもそのうち消える」
「クソ山縣め。慰謝料請求してやる」
 ぶつぶつ文句を言う幾久に、雪充が「そうしな」と笑う。
 本当に最後までにぎやかで面倒な奴だったな、と雪充が思っていると、幾久が静かになった。
 文句を言うと落ち着いたのかな、と思い様子を見ると、頬を冷やしながら窓の外を見ていた。
(……なぁんだ)
 小さく鼻をすする音に、雪充はちょっと笑った。

 幾久は頬を冷たいコーヒーで冷やしながら、車の窓から流れる風景をじっと見ていた。
(なんだよ)
 最後なんだから、高杉にやったみたいに先輩らしく幾久にもやってくれればいいのに、山縣は最後まで山縣だった。

 搭乗手続きを越え、搭乗口に向かう山縣がガラス越しに手を振った時、泣けばいいのに、とちょっと思った。
 手を振って東京へ向かう山縣はいつも通り楽しそうで幾久はなんだよ、と思った。
 寮を出るのに、そんなもんかよ。
 背を向けた山縣を見た時に、幾久だけ急に胸が締め付けられるような気がしたのは。

 きっと多分、気のせいだ。



 幾久の乗る車のはるか上、山縣の乗る飛行機は大きく旋回し、轟音を立てて東京を目指した。


 空港から高速に乗り、都市高速を移動すれば小倉駅はすぐだ。
 あっという間に小倉駅に到着し、運転手を除く全員が先に車から降りた。
 毛利の車がやたらデカいので、宇佐美の知り合いの所へ置かせて貰うのだという。

 雪充を見送るだけだし、保護者としては菫がいるので問題はなかった。
 入場券を購入し、全員で新幹線のホームで見送ることになった。

 雪充の荷物も山縣同様、小旅行程度のバッグだけだったが、もうひとつ、別に大きな袋を抱えていた。
「雪ちゃん先輩はけっこう荷物多いっすね」
「でもこれ軽いし、持っていく約束だろ?」
「え?」
 幾久が首を傾げていると、雪充は巾着状で締められた袋を開く。
 出てきたものを見て皆は驚く。
 それは、予餞会で雪充にプレゼントした眼鏡のついたピーターラビットだ。
 よく見ると、バッグにもお揃いの小さなキーホルダーがついている。
 こっちも幾久がプレゼントしたものだ。
「雪ちゃん先輩、それ」
「可愛いだろ?一緒に連れて行くんだ」
 にこにこそう笑っているが、幾久はその様子にひきつった笑顔を見せた。
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