上 下
403 / 416
【26】秉燭夜遊~さよならアルクアラウンド

僕らは橋の上で世界を繋ぐ

しおりを挟む
 川沿いを散歩がてら歩き、さっきカフェから見えた橋が近くなったので、そこへ向かう事にした。
 川沿いから上へあがる階段があり、抜けるとおはらい町の通りに出た。
 そこから店を超えると橋はすぐに判った。
 赤福の手前に橋が続く道路があり、全員がそこへ向かう。
 伊勢の宇治橋のように欄干に擬宝珠(ぎぼし)がついている。
 川幅は広く、皆は橋の真ん中あたりで記念写真を撮ったり、川の写真を撮ったりと楽しんでいた。
 撮った写真を見たり、確認していた時だった。
 山田が児玉に、ぽつりと言った。
「あのさ、朝の事なんだけど」
「ん?」
「ハル先輩、なんかちょっと、変じゃなかったか」
 幾久は思わず顔を上げ、山田を見た。
「二位の尼の話、出たじゃん」
「ああ、」
 長州市で育った子にとって、平家物語はメジャーな話だ。
 詳しい話を知らなくても、最後の決戦が壇ノ浦で、二位の尼の話や、平家の一杯水、という話は皆知っている。
 平家の侍が、死に間際に一口だけでも水を飲みたい、そう願うと不思議な事に砂浜に水たまりがあり、飲んでみると真水だった。
 もう一口、と飲むと塩水になっており、その場で力尽きたという伝説だ。
 二位の尼は、高杉が言った通り、平家の抱える安徳帝の祖母であり、源氏に追い詰められ、三種の神器とともに海へ入水した。
「ハル先輩、なんか思入れあるっぽかったし生きるとか死ぬとか、重たい話になってたし。俺、変な事言ったのかなって思って」
 山田は困った表情で児玉に尋ねた。
 すると児玉は、山田の向こうに居る幾久を見て、どうしよう、と困惑していた。
(そりゃー……そっか)
 高杉がなぜあんな事を言ったのか、幾久には理由が判る。
 児玉も、御堀もだ。
 だけどそれをどう言えばいいのか、の判断が出来ずにいる。
(どうしようかな)
 幾久も困ってしまった。
 誤魔化せば、きっと山田は言えないのだと判断してくれるだろう。
 だけど、ああいった話をわざわざ高杉がした、ということは、山田になにか伝えたい事があるのだろうと幾久は思った。
 多分、この場でそこまで高杉の事を理解できるのは自分しかいない。幾久はそう思って、山田に告げた。
「お兄さんを亡くしてるからだよ」
 山田は少し驚いたように言った。
「ハル先輩って、妹さんしかいないだろ?」
 そう言う山田に、幾久は首を横に振った。
「瑞祥先輩のお兄さんだよ」
 山田は驚いて、幾久に向かい合った。
「年末にさ、瑞祥先輩ん家行ったら、気の強い、怖いお姉さんいただろ?瑞祥先輩の、お兄さんの奥さんの」
「ああ、あの人」
 六花の事だ。
 初詣の後、初日の出を見るまで、山田は久坂家にお邪魔してその時に六花に会っている。
 久坂や高杉、果ては毛利や三吉まで顎でこき使う六花に、皆、一目置いたものだ。
「あのお姉さんと、瑞祥先輩のお兄さんと、ハル先輩と、瑞祥先輩で、本当に家族みたいに過ごしてたんだって。けど、瑞祥先輩のお兄さん、病気で亡くなっちゃって」
「……そうだったよな」
 久坂が家族に恵まれていない事は、なんとなく皆の知っている所だった。
「ハル先輩は、瑞祥先輩のお兄さん、杉松さんっていうんだけどさ、ずっと一緒に、本当の兄弟みたいに育ったんだって。実の兄とも思ってるって言ってた」
 だから、と幾久は言った。
「瑞祥先輩は家族を亡くしてるし、ハル先輩も実のお兄さんみたいな人を亡くしてて。だから、生きてないから死んでるんだ、とか思えないんじゃないのかな」
 うまく言えないのがもどかしい。
 だけど幾久は考えながら必死で言葉を紡ぐ。
「モウリーニョは杉松さんと親友で、三吉先生にとっては尊敬する寮の先輩だったんだって、杉松さんって。でも杉松さんが亡くなってるのに、話す時ちっともそんな風じゃなくってさ。まるで留守してる人の話してるみたいで。だからきっと、亡くなってるのはみんな『知ってる』んだよ。けど、『いなくなった』訳じゃないっていうか。確かに他人から見たら間違いなく『死ん』でるけど、『生きてない』わけじゃないっていうか。よく言う、『心の中で生きてる』みたいな意味だと思うんだ」
 陳腐な言葉しか出てこないのがもどかしい。
 もっとそんなんじゃなくて、きっと杉松は生きているのと同じなのだと、どうすれば山田に伝わるだろうか。
 幾久は(そうだ!)と気づいた。
「御空って、ヒーロー好きじゃん。でもヒーローって毎年変わるだろ?」
「ああ」
「でもそれって、ヒーローが『変わる』だけでさ、前のヒーローが『死んじゃう』わけじゃないんだよな。ヒーローだから」
 山田はその言葉に、はっとして目を見開いた。
 幾久は伝わった、と思った。
「オレ、特撮とかはわかんないけど、毎年出てくるヒーローって、子供にとってはテレビに出てこないだけで、やっぱりずっとその世界を守ってんじゃないのかなって。だから御空って、ずっとヒーロー全員好きなんだろ?」
 そっか、と幾久は唐突に気づいた。
 杉松はまるで、皆の中でヒーローみたいな存在なんだ。
 誰かを助けてて、誰かの為に生きて、だからきっと、姿が見えないだけでずっとみんなを守り続けてる、そんな気がしているんだ。
「亡くなったのを認めてないわけじゃないんだよ。ハル先輩も、瑞祥先輩も、先生たちも。だってなんだかんだ、頭いい人らじゃん。きっと、なんていうか。会えないだけ、本当にそれだけって思ってる気がするんだ」
 少しはうまく説明できた気がする、とほっとした幾久だったが、山田は苦しそうに眉を顰めていた。
「御空?」

「―――――やばい。俺、すげえ失敗した」

 心底、まずい事をしてしまった、という表情で山田は青ざめる。
「なんだよ、俺バカじゃん。ハル先輩に、スゲー失礼な事、言って」
 幼稚な正義を振りかざして、家族を失った人を傷つけた。
 幾久は山田の気持ちが手に取るように判った。
 自分が寮に入る前、栄人にやってしまったからだ。
 山田はまっすぐ内宮を見つめた。
 あそこに行けば、久坂と高杉が居る。
 だからだろう。
「俺、ハル先輩に謝って、」
 言いながら走りかけた山田の腕を、児玉が掴み、引き寄せた。
「―――――やめとけって」
 真剣な声に、山田は足を止めた。

「なんで。だって俺、すげえ失礼だし、やばいこと言ったじゃん」
 久坂と高杉を尊敬する児玉にしてみたら、山田の言動は知らなかったにしても許しがたいはずだ。
 それなのになぜ、と山田が児玉を見ると、児玉は唐突に山田に告げた。
「お前さ、ハル先輩の事、好きだろ」
 山田が思わず息を止めた。
 山田が高杉にあこがれているのは、見ていれば誰にも判った。
 口調や行動を似せようとしているのは知っている。
「いま、それ関係、」
「多分だけど、ハル先輩もお前の事、気に入ってんだよ。だからあんなこと、言ったんだと思う」
 児玉の言葉に、山田は足を止めた。
「そりゃ、お前が謝罪すりゃさ、ハル先輩は『そうか』って言うだろうけど、それってお前が楽になるだけだろ」

 厳しい言葉に、いつもなら茶化す普も黙って事の成り行きを見守っていた。
 幾久は息を深く吸って、吐く。
 これは秋に、幾久が高杉にしてしまった失敗の時、とりあえず謝ろうとしたあの失敗と同じだった。
 自分がやった失敗を、きちんと考える前に謝罪するのは、ただの挨拶でしかない。
 だから、必要なのは挨拶じゃなくて、その後だ。
「ハル先輩は、きっと欲しいのは、謝罪の言葉なんかじゃなくってさ、お前に……そうだな、お前なりの答えを探して欲しいんじゃねえのかな」
 山田がヒーローマニアなことは、地球部は全員知っている。
 どいうより、卒業する三年生なんかは舞台で山田のヒーロースーツ姿を見たのだから、かなりの人が知っている。
「夕べもさ、いろんな話したじゃん」
 児玉が言うと山田が頷き、児玉が幾久達を見て「部屋でずっと話ししてたんだ」と教えてくれた。
(そっか。それでハル先輩、御空、気に入ったのか)
 今回の旅行の本当の目的は、引継ぎみたいなもので、だから高杉と児玉、山田は同じ部屋に配置されたと雪充から教えられた幾久は知っていた。
「きっとハル先輩はハル先輩なりに、お前に考えて欲しいことがあってさ。だからお前が失敗しても笑ってたんだと思う。お前が謝ったって、お前が楽になるだけで、ハル先輩はきっとそういうの求めてねーんじゃねえのかなって」
 判んないけど、と児玉が言うと、山田は首を横に振った。
「俺もそんな気がする。それに、幾久、誉」
 声を掛けられ、幾久と御堀が顔を上げた。
「ハル先輩って、そういう人なんだろ?」
「うん」
「まあね」
 同時に頷くが、幾久は言った。
「けどさ、本当の所はわかんない。やっぱり、御空が直接ハル先輩に聞いてみるのが一番だと思うよ」
「……うまく言える自信ない。間違ってんのはわかるけど、なにをどうしたらいいかなんてわかんねえよ」
 山田の言葉は、まるで幾久の思った事と同じだった。
 そして、幾久は秋に栄人に告げられた事を思い出した。

『正解を教えたって内容が理解できるわけじゃないんだよね』

 栄人の言葉の意味が、今は手に取るように判った。
 いま、幾久が山田に言葉を伝えてもそれは意味のない事だ。

『答えだけ判ったって、クリアできるのは今回だけでさ、結局間違いって自分で超えないと、何度も同じ失敗になるんだよねえ』

 そっか、こういう事なんだ、と幾久はやっと、全部理解できた。
 山田は答えを知っているけど、自分でまとめて、自分の答えにしないと、絶対に高杉の求めるような成長はしないだろう。
 幾久が余計な事は絶対に言えない。

「あのさ、ハル先輩の言う事って、けっこう難しいよ」
 幾久が言うと、山田は幾久をじっと見つめた。
「けど、絶対に判るから、御空は考えていいと思う。ううん、むしろ考えて欲しいんだと思う、ハル先輩」
 だから、あえて考えさせるような事を言ったりするんだ、と幾久にはもう判っていた。
「ハル先輩は『いつまでに考えろ』って言わなかったんなら、それって御空にいっぱい考えて、自分で答えを見つけて欲しいんだよ。ハル先輩に謝るのってその時でいいん、だと思う」
 山田は唇を引き結んだ。

「―――――俺、悔しいよ」
 多分それは、幾久達には判る答えが判らないことが。
 そして多分、自分がまだそこにたどり着けないことが。
しおりを挟む

処理中です...