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【26】秉燭夜遊~さよならアルクアラウンド

御裳裾川の橋の上

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 食事を済ませ、施設内の売店を覗いて買い物をして、風呂に入るとすっかり疲れていて、皆はあくびをくりかえした。
 誰かが遊びに来るかと思ったがそうでもなく、皆各々が部屋で過ごしているらしい。
 幾久も例にもれず、他の部屋に行くのも面倒で、すでに並べて敷かれた布団の上でごろごろしていた。
「もうすでに眠い」
 そう言いながらごろんごろん転がる幾久に、雪充が苦笑した。
「いっくん、浴衣はだけてるよ」
 言いながら幾久の広がった浴衣を閉じた。
 風呂の後は旅館の浴衣に着替えて旅気分は盛り上がったのだが、さすがにお参り用の宿泊施設、騒がしさなどみじんもなく、皆早く休むようだ。
 御堀は望みの御朱印帳を手に入れ、用意してきたスティック糊で今日貰った御朱印を早速貼り付けていた。
「誉って準備いいなあ」
「そうでもないよ。正直、通販でもしてさきに買っとけば良かったなって」
 そこまでして欲しかった御朱印帳は、この施設の売店にある、渋い抹茶色と金色の模様の御朱印帳だった。
「やっぱ鳳様だから金にこだわったの?」
「そう。渋くていいだろ?」
 久坂が持っているのは紫の色違いで、児玉はそれと同じのを外宮で購入していた。
 伊勢神宮のオリジナルデザインだ。
「なんかそっちも渋いよね。大人っぽくていいなあ。オレの子供っぽかったかなあ。かえるだし」
「ぼくも同じの買ってるんだけど」
 普が買った御朱印帳は幾久と色違いのものだ。
「どうせそのうち2冊目がいるんだから、その時買えばいいよ」
 雪充の言葉に幾久は「そっか」と顔を上げた。
「雪ちゃん先輩の御朱印帳は報国院のっスよね」
「そう。学校のもあるし、他の神社にもいろいろあるから。出かけた時に見てみたらいいよ」
 そうだ、と雪充は言った。
「いっくん、大宰府は行った事ある?」
 幾久は首を横に振った。
「ないっす」
 そっか、と普が言った。
「いっくん東京だもんね」
「でも長州市から大宰府って遠くない?福岡じゃないの?」
「福岡だけど、学校行事とか、家族旅行で大宰府は割と行ってるイメージだね」
「そうそう、バス旅行とかで」
「へー、そうなんだ」
 大宰府かあ、と幾久は興味を持った。
「菅原の道真公をお祀りしている大きな神社だよ。受験の神様だから、受験前に行って来たらいい」
 そうだ、と雪充が言った。
「いっくん、梅が枝餅食べたことある?焼いた餡餅で瑞祥の好物なんだよね」
「おいしそう!」
「雪ちゃん先輩、寝付く前に興奮させるのやめてください。ぐずるんで」
 御堀が言うと雪充が笑って「そうだね」頷いた。
 子ども扱いされたのはむかついたが、確かに眠くなってきたので幾久はもう布団にもぐりこむことにした。
「幾、梅が枝餅のお話はいいの?」
「帰ってから聞く。明日は伊勢うどん食べないといけないし」
 そう言うと、すぐにすやすやと寝息を立ててしまい、皆、肩をすくめて笑った。
「じゃあ、僕らも早めに休もうか」
「そうですね」
「おやすみなさーい」

 早めではあるが、今日の出発がかなり朝早かった事もあり、全員すぐに眠りに落ちたのだった。


 翌朝、六時過ぎに目を覚ましたのは御堀だった。
 ごそごそと動いていると、その音で幾久が目を覚ました。
「……誉おきてたんだ」
「いま起きたとこ」
「なにしてんの?」
「今からお風呂に入ろうかと思って」
「え?」
 幾久はむくりと起き上った。
「お風呂入れるの?」
「うん。もう開いてるよ。今日はおはらいするって聞いてるから、シャワーでも浴びようかと思って」
 という事は、外見に一層気を遣う普も入りたいと思うはずだ。
「普、起きろ。シャワー浴びにいくぞ」
 幾久がゆさゆさと揺らすと、普もあくびをしながら起き上った。
「なに……?まだ早いじゃん」
「もうお風呂開いてるんだって。オレらシャワー浴びにいくけど、どうする?」
 普はがばっと起き上った。
「行く!髪、洗ったほうが早いし!」
 だろうと思った、と幾久と御堀は頷いた。

 結局雪充も誘い、全員で風呂を済ませた所で、丁度高杉らのグループとばったり会った。
「お前ら早いの」
「おはよーございます、ハル先輩」
「おう、おはよう」
「ハル先輩もお風呂っスか?」
 幾久が尋ねると、高杉が苦笑した。
「児玉の奴が、朝早くランニングに出たからの。物音で目が覚めた」
「ランニング……」
 旅行に来てるのに、と幾久は呆れたが、児玉らしいとも思った。
「アイツもぼちぼち来る頃じゃろう」
 と、話していると、今度は久坂らの一行がやってきた。
「あれ。瑞祥先輩が起きてるとか天変地異の前触れかな」
 幾久が驚き言うと、久坂はむっとして言い返した。
「僕だって熟睡さえすりゃ早起きだよ」
「えー?寮じゃないからって恰好つけやがって」
 幾久が言うと久坂が幾久を羽交い絞めにしてぐりぐりと頭に拳を押し付けた。
「いたい!暴力反対!」
「躾だ」
「暴力の正当化に反対するー!」
 暴れる幾久と久坂に、皆苦笑した。
「ふざけちょらんで、風呂済ませるぞ。朝食に間に合わん事なる」
 高杉の言葉に、風呂を済ませていない面々が風呂へと向かった。


 朝食は昨日と同じ食事会場で、きちんとした朝ごはんは美味しく、丁度良い量だった。
 全員で朝食を済ませると、制服、もしくはスーツ姿に着替え、ロビーに集合した。
 幾久等、在校中の生徒は報国院の制服姿で、報国院をすでに卒業した雪充、周布、前原の三人はスーツ姿だった。
「雪ちゃん先輩、かっこいいっすねえ」
 幾久が惚れ惚れと言うのも無理はない。
 雪充のスーツ姿は飛びぬけてお洒落だった。
 スーツはシングルのジャケットとベスト、生地はグレーに青の薄い織りが入っている。
 サックスブルーのシャツに、鮮やかなブルーのネクタイ。
「いっくん、俺はどうよ?俺は」
 周布がそう言うが、幾久は首を横に振った。
「落ち着きがあり過ぎて、すでに二人位の子持ちの社会人に見えます」
「あらー……」
 確かに周布は年齢にしてはかなりの落ち着きがあって、高校を卒業したばかりの年齢には見えない。
 むしろ、社会人経験がありそうな人に見えて、スーツ姿はごく普通としか映らない。
「でも、前原提督も全員スーツはシングルなんですね」
 普が言うと、前原が頷いた。
「三年間、ずっとダブルの制服だったからな」
「飽きたんスか」
 幾久が尋ねると雪充が答えた。
「ぶっちゃけるとそう。でも、報国院が懐かしくなったらダブルのスーツもいいかもね」
 さて、と雪充は幾久の頭に手を乗せると言った。
「内宮に向かって、いざ出陣」
 にこっと微笑む雪充の表情に、幾久はなにかいつもと違う、楽しそうな雰囲気を感じたのだが、その違和感の正体には後々気づくことになる。

 昨日遊んだおかげ通りを通り過ぎ、おはらい町のメインストリートへと出る。
 店が開く時間なのか、あちこちの店がシャッターを開けていたり、すでに営業を始めている店舗も多い。
 観光客もそこそこ増えはじめてにぎやかになりそうだな、という雰囲気があった。

 おはらい町の通りを抜けるとすぐ内宮の入り口が見えた。
「おお、でかい」
 見上げると大きな鳥居が立っていて、その向こうには橋がある。
 鳥居の近くに建物があり、そこには警備の人も立っていて、なんとなく空気がしゃきっとした。
「では皆さん、これから内宮へお参りに向かいます。お祓いが終わるまで、グループで向かいますので離れないように」
 三吉の言葉に全員が頷く。
 宇治橋の鳥居の前で一礼し、全員が橋を渡る。
 宇治橋は木造の大きな橋で、幾久はついきょろきょろっと見てしまう。
「時代劇の橋みたいっすねえ。大きいし、昔の人はスゲーっすね」
 木造なのに、こんなに大きな川をまたぐ橋は作るのが大変だろうに。
 周布が頷いた。
「いっくん、錦帯橋は見た事ないか?」
「ないっす」
 絵やイラストや写真では見た事があるが、行った事はない。
「だったら、行ってみろよ。あそこはここと違って、スゲーアーチ状でなかなか面白いぞ」
 へえ、とちょっと興味がわいた幾久だった。
「それとな、この宇治橋には別名があるんだ」
「別名?」
 周布と話をしている幾久は気づかなかったが、高杉と久坂の足がふと止まった。
「そう。御裳濯(みもすそ)橋っつうの。川の名前は五十鈴川だが、この川の別名が御裳濯(みもすそ)川。なんか聞き覚えないか?」
「あるっス!」
 それは長州市にある、川の名前のひとつで、町名にもなっていたし、バス停の名前にもついている。
「なんか関係あるんスか?」
 幾久が周布に尋ねる。

「……今ぞ知る、みもすそ川の、御ながれ。波のしたにも、みやこありとは」

 そう美しい声で静かに呟いたのは久坂で、皆がそこで足を止めた。
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