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【25】芙蓉覆水~どんな一瞬の軌道すら、全部覚えて僕らは羽ばたく

僕らはサテライト

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 時山と幾久の勝負は、幾久が見事に勝利して幕を閉じた。

 皆はサッカーの後、昨日と同じように一緒に風呂に入り、にぎやかに過ごした。
 人数が多いとこんなにも騒がしいのかなと幾久は思ったが、それも今夜で終わりだ。
 皆、時間を惜しむように雪充や時山とおしゃべりをして過ごし、珍しく山縣も居間に居た。
 山縣が、時山と雪充と一緒に話しているとなんだか不思議な気持ちになる。
 幾久が山縣をじっと観察していると、山縣がその視線に気づいた。
「なんだよじっと見やがって」
「いやあ。なんかガタ先輩も寮生なんだなあって」
「はっ、今更なに言ってんだコイツ」
「だってなんか寮生っていうより、寮に住み着いてる妖怪みたいだったじゃないっすか」
 幾久の発言に雪充と時山が爆笑した。
「いっくん、酷いよ」
「あははは!じゃあいっくん、おいらは何?妖怪仲間?」
 幾久はうーん、と考えて一つの答えを導き出した。
「ふしぎな踊りで妖怪を呼び出す召喚士?」
「なんだよ、なんでけっこうセンスある事言うんだよお前って奴は」
 褒めたいような、文句を言いたいような複雑な表情の山縣に、幾久はなんだかちょっと勝った、と思った。


 就寝しないとまずい時間になり、全員、夕べと同じ並びで布団を敷いて眠ることになった。
 みんなでおやすみ、と言って布団にもぐりこみ、幾久は雪充に小さい声で尋ねた。
「雪ちゃん先輩、なんで今日、一緒に寝てたんスか?」
 雪充は、くすっと笑って言った。
「面白そうだったから、いっくんが寝ている隙に僕がもぐりこんだの」
「雪ちゃん先輩、そういう事するんスねえ」
 ふざけた事を全くしそうになさそうなのに、と幾久が言うと、雪充は笑った。
「だって僕も御門なんだからね」
「あ、そっか」
 そう言われると、なにかすとんと納得が出来た。
 幾久は楽しくなって、布団をずらし、隣で寝ている雪充の布団の中へと侵入した。
 驚く雪充に、幾久は笑った。
「じゃあ、今日はオレが侵入するっス!」
「堂々としてるなあ。追い出されたらどうするの?」
「……そこまで考えてなかった」
 そうか、だから雪充は幾久が寝ている間にもぐりこんだのか。
「失態だなあ。仕切り直します」
 そう言って自分の布団に戻ろうとする幾久の腰をがっつり握り、雪充が自分の布団へ引っ張り込む。
「いいよ。一緒に寝よう。あったかいし」
 そういって幾久の枕を移動させると、隣に置く。
 幾久は頷き、安心して枕に頭を乗せた。
(ずっと一緒なら良かったなあ)
 暖かい布団の中、雪充のぬくもりを感じながら幾久は思った。
 だけどもし、雪充が御門に最初から居たら、幾久はここに入ることが出来ただろうか。
 なにもかも今の楽しさは、いろんな哀しさの上に立っている気がする。
 だったら、これまで哀しかったいろんな事も、いつか楽しさの土台になるんだろうか。
(だったらいいな)
 サッカーを辞めてしまった事、中学で友達を作れなかった事、塾に行っても上の空だったこと、学校を変えた事、母にずっと押し付けられたいろんな事。
 三年の間、知らないうちに蓋をされたことはあまりにも多く、重たくて、蓋を押し上げる事すら思いつかなかった。
 そして外れないものだとも思い込んでいた。
 一気に外す事は無理でも、幾久の心を押さえつけていた蓋のようなものが、少しずつ外れている気がする。
「―――――明日、いつ、寮を出るんスか?」
 雪充に幾久が尋ねた。
 一瞬、部屋の中がしんとなった。
「お前らが寮に帰るまでは、居るよ」
 雪充の言葉に、幾久が思わず顔を上げた。
「ホントっすか?」
「本当だよ。だから安心して、帰っておいで」
「うす!」
 明日、雪充が寮で待っていてくれる。
 そう思うだけで、安心して眠れる気がする。
 皆、その言葉を聞いて安心したのか、ほっとした空気が流れた。
 おやすみ、という雪充の声に、皆安心して目を閉じた。




 翌朝、皆で朝食を取った後、雪充、時山、山縣の三人は学校へ向かう寮生を見送った。
「ホントーに、ホントーに待っててくださいね?!嘘つかれたら、オレ、マジで泣きますよ!」
「判ってるってば。安心して行っておいでって」
 朝食の時間に、「逆サプライズで帰られたりしてな」と山縣が幾久をからかったせいで、幾久はなかなか学校に行こうとしない。
「約束だからちゃんと守るよ。行ってらっしゃい」
 だから行っておいで、という雪充に幾久は渋々出かけて行った。


 一年生と二年生を見えなくなるまで見送ると、三人は「さて」と顔を見合わせた。
「どーする?別にすることねえよなあ」
 時山が言うと、雪充が苦笑した。
「約束したんだから、ちゃんと寮で待ってるよ。ガタ、なんか手伝おうか?」
「そーだな。昨日撮ったデータ、まだ整理してなかったから、整理してぶっこむ間、作った記録、見て感想貰うわ」
 山縣がずっと撮りためていたアーカイブ、内緒で三人が残す『御門寮へのお土産』だ。
 勿論、皆は何も知らない。
 きっと今頃、いつも通りの学校生活を送っているだろう。
 三年生がいなくなって最初は寂しいと思っても、食堂が広く使えたり、気楽さを覚えて生意気を覚えたりもする。
「きっとあっという間に、僕らが居ないのに慣れちゃうんだろうなあ」
 あはは、と笑う雪充に時山が言った。
「もう今日のお昼で慣れるよ。そんなもんよ、後輩って」
「判るwwwウケるwwww」
「苦労が多いよな、先輩は」
 そういってため息をつく雪充に、三人は顔を見合わせて笑った。
 互いに肩を組んで、寮の玄関へ入って行く。
「どーする?チェック終わったら、庭の散歩でもすっか」
「だったらガタ、ビデオ取って来いよ。データ増やしたらどうだ?」
「おおー、いいじゃん雪。どうせ飯も食ったし、後輩のいない隙にやったろうぜ!」
 時山が言うと、山縣は早速自室に戻り、ビデオを手に戻って来た。
「幾久がいねー間に、仕込みとしか思えない事やったろうぜ」
 山縣が言うと、時山が意地悪く、ふっと頬をゆがめた。
「出た、ガタの『幾久』」
「なんだよ、文句あんのか」
 決まり悪そうに山縣が言うが、無理もないと雪充は笑う。
「面白いくらい、ガタって絶対に一年を名前で呼ばないよね」
「慣れ合いきめーんだっつーの」
 へっと鼻を鳴らすも、それが山縣の見えづらい照れであることを、雪充も時山も知っている。
「いやあ、隠しているのは見事だと僕は感心してるよ?」
「お前も立派に本性隠せてるじゃねえか優等生。幾久のデレっぷりヤバすぎワロタwwwww」
「凄いよねあれ。愛されてる」
「まあね。僕も割と頑張ったし」
 失うかもしれないと思った御門寮を、ひょっとしたらこの子が蘇らせてくれるのではないか。
 雪充が感じた予感は見事に的中した。
 無理矢理予感を作って、的中させたのかもしれないが。

 去年、望んでも得られなかった幸運をきっとこの寮は得ることが出来る。
 そして恭王寮もずいぶんと変わった。
 自分の仕事は終わったのだ。
「―――――頑張ったよ、僕らは」
 雪充が言うと、時山が雪充の頭を軽く叩いた。
「お疲れ様、御門の総督」
「元、だけどね」
 御門寮の、元総督。そして恭王寮の元提督。
 どちらの寮もうまくやるだろう。
 雪充がいなくなってもきっと。
「じゃ、御門寮ラストウォーク、行きますか!」
 時山の言葉に、雪充と山縣が頷いた。
 なんだか走りたくなって、三人ともがまるで子供みたいにはしゃいで駆け出した。
 まるであの頃、寮に入った時のようだ、と雪充は思った。
 山縣がまだ御門寮に居なくて、先輩が沢山いて。

 寮の庭を回り、生徒としては最後に見る事になるだろう、御門寮の風景を雪充は眺めた。

「こう回ってるとさ、おいらたち、寮を回る人工衛生っぽいよな」
 時山の言葉に、雪充は感心した。
「御門寮をぐるぐる回る?」
「そう。これから寮を離れても、ぐるーっと回って何年かしたらやっぱりここに帰ってくんの」

 その言葉を聞いた途端、雪充の目に映る御門寮が輝き始めた。
 明るい、春が近づく日差しの中、木々も芽吹き始めて寮の木々に勢いがつきだした。
 雨の後の晴れ間のように、緑の葉にしずくがからまり、光が乱反射した時のような。

 ―――――そっか、と雪充は思った。
(だから、あの人たちも帰ってきたんだ)
 五月に帰って来た、あの喧しく懐かしい人々。
 長い間、ここに戻らなかったのは、きっと軌道が重なっていなかっただけだったんだ。
 幾久を知ったあの人たちは、きっと軌道を修正して、またすぐ戻るに違いない。
 そして僕らも、いつかきっと。

「じゃあ、秋かな。桜柳祭を見に来ないと」
「そーだね。おいらは割と簡単だけど」
「俺は帰らねーぞ。面倒くせーしイベントと重なる」
「そんな事言いながら、幾久君が気になるんでしょ?」
 ふざける時山に、山縣は表情をゆがめた。
「バーカバーカ!気になんかなんねーよ!」
「ガタ、それ思いっきり気にしてるセリフ」
「お前は招待されて王様の椅子でも用意されて座ってろ!」
「あ、いいなあそれ。でも御堀が座りそう」
「わっかるぅ、絶対に自分が一番じゃないと気が済まないよねあの王子様」
「いっくんは本当に、ああいうの引き寄せるよねえ」
 賑やかに三人は喋りだした。
 何を気にすることもなく、ただ楽しく過ごせばよかった、あの頃のように。

 まるで人工衛星(サテライト)のように、三人は飽きることなく、御門寮の敷地内を散歩した。
 何度も、何度も。


 今から帰る、と幾久から雪充のメッセージに連絡が入った頃には、雪充と時山は荷物を片付け終わっていた。
 雪充は恭王寮へ、時山は鯨王寮ではなく、自宅へ帰る。
 暫くすると、玄関の向こうから賑やかな声が聞こえ始めた。
「雪、帰って来たみたいだよ」
「そうだね。じゃあ、出迎えないと」
 約束だし?と雪充が立ち上がる。

 三人は示し合わせた訳でもないけれど、立ち上がると玄関へ向かい、鍵を開けた。
 雪充は思う。
 最初に幾久に会った日も、こんな風に天気のいい日だった。
 幾久は覚えているだろうか。
 入学式の後、鬼ごっこして、疲れて昼寝して、沢山おしゃべりをしたことを。
 あの時、雪充は、自分が何を言ったのか。
(―――――思い出した!)

 そうだった。
 雪充は覚えている。

 東京に遠く離れてしまった、この地域の懐かしい人。
 とっくに忘れてしまった人が多くても、僕らだけは忘れるものか。
 僕らと同じ場所で生き、育ち、海を見つめた時を超えた友人。
 あの人も幼い頃があった、僕らと同じように。同じ場所で。
 だからきっと、僕らは気持ちが通じ合う。

 がらりと玄関の扉が開くと、走ってきただろう、息を切らせた幾久が、満面の笑みで雪充に言った。
「雪ちゃん先輩、ただいまっス!!!」
 飛び込んで来た幾久の体を、雪充は抱きしめた。
 一瞬、春の幻が重なる。
 桜の花びらが舞う中、戸惑いながらこの街を歩く少年は、この街がずっと待っていた人。

 ―――――おかえり、とあの時も雪充は伝えた。
 お帰り、僕らの大切な英雄。
 遠いわずかな残骸でも、僕らはあなたを愛してる。
 軌道がやっと重なったんだ。
 あなたをずっと、待っていた。

 この街も、この海も、この寮も学校も人も。
 この世界のなにもかも―――――

 お帰りなさいと伝えるために、僕らはここで生まれたんだ。
 例え僕がこの街にいなくても、僕らは待ってる。
 軌道の重なるその時を。



「―――――おかえり、いっくん。待ってたよ」


 おかえりなさい、僕らの君。
 長い間、君を待ってた。




 芙蓉覆水・終わり


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