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【23】拍手喝采~戦場のハッピーバレンタインデー

またおまえか(幾久心の声)

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 コーヒーを飲みつつ、幾久が言った。
「でもさ、誉ってお菓子の事なんでも知ってるね。チョコレートが神の食べ物ってマジなんだ」
「そうだよ。カカオはお金として使われてもいたし」
 栄人が頷いた。
「そういうの経済研でもやるんだよね」
「へー、カカオがお金ってなんか面白いなあ。作れば作っただけお金持ちかあ」
 感心する幾久だったが、御堀が言った。
「なに言ってるの。日本だって昔はお米が通貨の代わりだったろ?」
「え?そうだっけ?」
 幾久が言うと、歴史が好きな児玉が頷いた。
「そういやそうだな。だから庶民にはなかなか通貨が流通しなかったってなんかの本で読んだような」
「そう。タマよく知ってるね」
「でも何の本かは覚えてねえな。誉のほうが絶対に詳しい」
「そこは否定しないけど」
「神の食べ物は絶対に生外郎だってば」
 幾久の断言に、幾久以外の全員が苦笑した。
「それはお前だけじゃ」
 高杉が言うと幾久が言い返した。
「まあ瑞祥先輩は最中が神の食べ物だとか思ってそうだけど」
 最中やあんこのお菓子が大好きな久坂に言うと、久坂と高杉が同時に言った。
「神の食べ物はシュークリーム」
 あ、そういやこの二人、好物だったと幾久が思い出した。
「おれは食べられればなんでもいいな」
 栄人が言うも、栄人は言葉通り、なんでも食べてしまう。
「栄人先輩、ヤバイ奴も食べるじゃないっすか」
 幾久の言葉に栄人が首を横に振った。
「いっくん、消費期限と賞味期限は違うんだぜ」
「いや、どっちにしろ食うじゃないっすか栄人先輩」
「駄目だったら判るよ。おなか壊すし」
「壊してからじゃ遅いじゃないっすか」
 もう、と言う幾久だが、御堀は言った。
「ただ、報国院の考え方は前向きで良いですね。バレンタインは男子校でもうちが主催するとか、男子から女子へなら渡してもいいとか」
 高杉が頷いた。
「結局問題は受験前に体調を崩されちゃ困る、ちゅうことじゃからの。貰ったものは何があるか判らんが、配るには問題ないわけじゃし」
「実際、カヌレを申し込んでどこかの女子に渡しに行こうとしてる生徒もいるっぽいですし」
 御堀が言うと、幾久は、はっと顔を上げた。
「じゃあひょっとして昴(すばる)と御空(みそら)がいたのって……」
 ホーム部でカヌレを作った際、一年鳳で地球部に所属もしていた服部(はっとり)昴(すばる)と山田御空も今回のカヌレ作りに参加していた。
 八木ベーカリーに行くときは、幾久、御堀、昴、山田と先輩で参加する班に組み込まれている。
 御堀が苦笑した。
「違うって。御空はホーム部に所属してるだろ。だから今回も参加して、昴は普段、みんなにお世話になってるから作って配りたいんだって」
「なんだあ。女の子に渡しに行くのかと思ったのに」
 がっかりする幾久に、高杉が苦笑した。
「お前は雪に渡すんじゃろう」
「雪ちゃん、男の子だよ?」
 久坂も言う。
 だが幾久は首をかしげて二人に言った。
「男子校だから、男子に渡しても何の問題もないのでは?」
 あ、こいつもう駄目だ。
 と久坂も高杉も肩をすくめた。

 そろそろ夕食も終わったし、誰か風呂にでも、というその時だった。
 幾久のスマホが揺れ、メッセージが届く。
「あれ、宮部さんからだ」
 宮部には頼まれてからずっと、毎週一度、写真付きのメッセージを出来るだけ送るようにしている。
 大抵、事務的にありがとうの返事が来るくらいで、あとはたまに、メンバーの先輩たちの様子を教えてくれる程度だ。
「なんか用事かな。めずらしい」
 定期連絡のお礼でもないのなら、何だろうと開くと、宮部から大量のメッセージが届いていた。
「げ、」
 幾久が思わずつぶやくと、御堀が「どうしたの?」と尋ねる。
「―――――誉会の写真で、オレがカヌレ作ってるの、アオ先輩にバレて全部買うとか言い出してんだって」
「あー、」
「あー、」
「あーあー」
「……」
 ちょっと待て、と児玉は思う。
「え?あの、アオさん、誉会に入会してんのか?誉、」
「うん。だって幾の写真って誉会に入らないと見れないだろ?だから入会してるよ」
「……まさか本名じゃないよな」
 児玉が冷や汗をだらだらとかきながら尋ねた。
 御堀は答えた。
「がっつり本名で口数マックスの百口入ってるけど」
「うわああああああ」
 聞きたくなかった、と児玉は頭を抱えた。
 誉会は、未成年であれば一口しか参加することが出来ず、成人になればマックス百口まで入ることが出来る。
 応募や抽選などで、未成年はフラットにだが、成人には口数によって当選の確立が上がる事になっている。
「大丈夫だよ。本名がばれる事はないし、インスタはちゃんと別アカだし」
「当然だろ……」
 そう言いつつも、まさかあの青木が、と考えるも、いや、あの青木さんだもんな、と児玉は額の冷や汗をぬぐった。
「どうする誉?さすがに全部はマズイよね」
「うーん、かといってここまでの大口顧客に贔屓しないわけにもいかないし。なにか考えないと」
 さすがに全部、ってことはさすがじゃない全部は売りつけるつもりなのか、と児玉は思うが、御堀を見ると、うん、売りつけるなこれは、と頷く。
「仕方ないな。一人当たりの販売数、百セットまでに限定つけるしかないね」
 それならいけるかも、という御堀に幾久は「それいい!」と手を打った。
「じゃあ宮部さんに早速、」
 返信を打とうとした幾久だが、スマホに着信が入った。
 かけてきたのは福原だった。
「はーい、幾久っす。福原先輩?」
 幾久がスピーカーにすると、元気な声がダイニングに響いた。

『おー!よかったすぐ出た!いっくん、青木君が発狂してんの!どうにかして!』

 騒がしい福原に対し、冷静に幾久は返した。
「どうにもなんないっすね」
『そこを何とか!っていうかどうにかできるでしょ、賢いお坊ちゃんいるだろそこに!』
 御堀が福原に答えた。
「います」
 賢いお坊ちゃんで自分が迷わず出るあたりで、御堀は御堀だなあ、と児玉は感心した。
『なんとかして!』
「ええ。今公式ファンクラブの注意事項を付け加えました。バレンタインのお菓子は限界値百個に設定しました」
『さっすが有能!ほかにいい情報!』
「マックスご注文の方には幾のキス待ち顔チェキ付けます。『だーいすき!』の文字入りで」
「ちょっと誉!なに言ってんだよ!」
『さすが有能、やること判ってんじゃん。じゃあこれで青木君は静かになるから良かったー』
「お買い上げありがとうございますとお伝えください」
「……誉、おま、なんてこと」
 とんでもない事しやがって、と幾久は文句を言うも、御堀は首を横に振った。
「幾って本当にドル箱だよね」
『あはは、いっくんとんでもねーお坊ちゃんに捕まったなあ』
 青木を懐柔する方法を手に入れて福原はご機嫌だ。
『おかげで青木君も扱えるし、仕事早く済むから助かるーできるだけそっち遊びに行きてーんだよなあ』
「迷惑なんで来ないで下さい」
 幾久が冷たい声で言うも、福原は『ぶー!』とブーイングをする。
『なんだよ受験期だから一応遠慮してんのに』
「忙しいんじゃなかったんすか」
『忙しいけどさあ、そっちで先輩が新しいスタジオ作ったんだよ。使えって言われてるから、行きたくてさあ』
 児玉は成程、と頷く。
 グラスエッジが神と崇めるバンド、ピーターアートが地元であるこの長州市にスタジオを作ったおかげで、児玉の所属する軽音部にも、プロが来て指導してくれることになった。
(ってことは、あそこで録音とかすんのかな)
 思わずわくわくしてしまった児玉をよそに、幾久は言った。
「オレの留守に来てください」
『そんなことしたら、いっくんの服を青木君が全部』
「やっぱり来ないでください」
『嘘だって。青木君もそこまで変態じゃないよ。たぶん』
「多分ってあたりがもう信用できないっす」
 全く、本当に面倒くさい先輩だなと幾久はため息をつく。
「とにかく、オレバレンタインで忙しいんで、これ以上邪魔しないように伝えて下さい」
『はいはーい。でもなっつかしーな、俺らん時もバレンタインってスゲー騒ぎになってさあ』
「切るっスよ」
 嬉しそうに話す福原の話を幾久は切ろうとしたが、児玉が幾久に目配せした。
「俺その話聞きたい」
 なんといってもグラスエッジの大ファンの児玉だ。
 幾久は仕方なく、電話を切らずに置いておく。
「なんか友達が話聞きたいそうっす」
『あー、あのタマちゃんね!いっつもうちのピーちゃんの散歩あんがとーね!妹に聞いてるよ!』
「あ、あの、は、はい、お役に立てて嬉しいっす」
 挙動不審になる児玉に幾久は苦笑いしつつ、福原に尋ねた。
「福原先輩の時って、どんな騒ぎだったんすか?」
 どうせ余計な事やったんだろ、と思いつつ聞いていると福原が言った。
『俺らが高二の時にはバンド組んで本格的にやってたからさ、地元ではかなり知名度あった訳!そりゃみよ先輩もモッテモテだったけど何十人のレベルでさ、いや俺もそこそこモテてたよ?!普通なら無双ってくらいだよ?一応三桁乗ったからね?ちなみに来(くる)もけっこうモテてたし!集なんかもけっこうモテたけどさあ、青木君は桁違いの化け物じゃん?S級妖怪じゃん?』
「いやわかんないっす」
 なんだよS級妖怪って、と思いつつ福原の話を聞いていた。
 福原はその頃を思い出したのか楽しそうだ。
『いやー青木君えぐかったわ。どんくらい凄いかっていうとね、ホラ報国院の土塀あるじゃん。校舎ぐるーっと囲んでるの』
「はい」
 報国院は神社の敷地内にあり、校舎や学校施設は全て土塀で囲まれている。
 報国院の周りの別の神社やお寺や町も、古い風景を残しており、土塀は多い。
『あの土塀沿いに、がーっと女の子が列を作って待ってんのよ?!敷地一周どころじゃないよ?千人超えたからね?!』
「フカシじゃないんすか」
 幾久が冷たく言うも、福原は『フカシてないでーす』という。
『だって報国バードウォッチャーズがちゃんと調べてきたもん』
 報国バードウォッチャーズはバードウォッチをしている地味な部活だ。
 生徒の数を数えたり、脱走兵を調べる時に重宝されて、桜柳祭でもあちこち暗躍していた。
「ああ、だったら間違いないですね」
 御堀が言うと福原も『だろ?な?』と返す。
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