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【22】内剛外柔~天に在りては比翼の鳥、地に在りては連理の枝
みんなで帰ろう、あの海辺へ
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御堀の父は、正月が明け次第、幾久に生外郎を届けることを約束し、三人は泥汚れのままだったので、黒田の奥様が手を挙げてくれた。
下手に着替えるより、直接着物屋に向かったほうがいいとの事で、振り袖姿の芙綺は黒田の奥様が、預かることになった。
御堀は袴に慣れているので、御堀庵に黒田の迎えのものを用意しておくとの事で、御堀も幾久も宇佐美の車で帰ることとなった。
泥だらけの着物だというのに、黒田の奥様は快く芙綺を愛車に乗せた。
汚れる、と気にする芙綺に「気にすることはありませんわ。新車で返していただきますもの。着物の恨みですわ」とにっこりと笑顔で恐ろしい事を告げた。
御堀も幾久も泥だらけだったが、宇佐美が「シートあるから先に用意して迎えにくるわ」とさっさと駐車場へ向かった。
目立たないように特別に裏口を使わせて貰い、芙綺は黒田の奥様の車に乗った。
宇佐美が迎えに来るまでの間、幾久と御堀は芙綺を見送る。
芙綺は車の窓から幾久に言った。
「先輩、今日、助けて下さってありがとうございました!」
「ううん。オレなんか、なんもしてないよ」
すると御堀が言った。
「オッサン煽って着物汚した」
「それはオレのせいじゃないぞ」
「そう、あのオッサンのせいだよね」
御堀がそう言うと、幾久も「そーそー」と頷いた。
二人の様子に芙綺は声を上げて笑い、「そうそう!」と頷く。
「春、楽しみにしてます」
そう決意をみせる芙綺は、泥まみれの着物を着ていても、素晴らしく美しく輝くような笑顔だった。
幾久は笑顔で頷く。
「おいでよ。待ってる」
あの海の街で。
きっと彼女も、あの海岸を気に入るだろう。
すると、御堀も頷き言った。
「お気に入りの海岸があるんだ。案内するよ」
「―――――うん!」
頷く芙綺に御堀も微笑んだ。
黒田の奥様が車を出し、芙綺はいつまでも車の窓から二人に手を振った。
見えなくなったようやっと背をシートに預け、ふっと息を吐いた。
(……かっこいいなあ)
本当にかっこよかった。
こんな所まで、御堀を助けに来て、あっという間にさらって行った。
御堀も自分もずっと限界で、敵じゃないはずなのに、どうしてお前がどうにかしなかった、そうお互いに不満を抱えてしまった。
幾久は突然現れて、引っ掻き回して何もかもを散らかした。
この、不満だらけの大嫌いな自分すら。
ああしろ、こうしろ、お前は恵まれているくせに、我儘な奴、そういう人はいくらでもいたけれど、初めて会った芙綺に、あんなに必死に訴える人は幾久が初めてだ。
『すっごく奇麗!お人形さんみたい!可愛い!』
美人だ、いいわね可愛くて、金持ちは奇麗な嫁が貰えるから。
別にこんな顔なんかどうでも良かった。
だけど、やっぱり褒められるのは気分が良い。
(笑ったほうがもっと可愛い!)
なんの屈託もなく、褒められた。
この面食い、と御堀は文句を言っていたけれど、たぶんそういう人なのだろう。
ぎゅっと両手を握りしめた。
(―――――逃げよう)
そうだ、逃げて三年間を手に入れよう。
その間に、もっと遠くへ逃げる方法を考えるんだ。
もしくは戦う方法を。
泣いてばかりじゃ餌食にされるばかりだ。
学校は当然同じじゃない。
幼馴染でもない。
でも自分にとって幾久は、逃げることを教えてくれた初めての人だ。
(だから、先輩だ)
同じように逃げよう、この毒が敷き詰められた場所から。
だってあの御堀でさえ、あの人と一緒に居た時、すごく楽しそうに見えたから。
きっとウィステリア以外の学校に落ちまくったら、馬鹿にされるに違いない。
だけどそんなもの、なんてことない。
だって行きたい場所に行けるのなら。
(毒の沼、かあ)
金持ちの癖に、ちょっと美人だからって。いい学校に行きやがって。いい家に住んでいい着物着やがって。
何度も言われた。
昔から言われた。
今日だって。
(でも、あたしには、毒の沼なんだ)
そう思っていい事に気づいて、急に気持ちが楽になった。
逃げよう。
そう、逃げてしまえばいいんだ。
両親のように、毒に浸かって、順応した生き物になる前に。
春になれば、海を見に行ける。
(どんな海なんだろう)
あの二人は、どんな学校に通って、どんな街に生きているのだろう。
(見たいなあ)
だから逃げよう。
逃げてしまおう。
だってあの人たちは、あんなにも一緒で幸せそうだ。
私も、そうなりたい。
いつか、誰かと。
そして誰かの為に。
毒の沼を抜けて、海へ向かったあの二人のように、なりたい。
芙綺を見送った後、宇佐美は入れ替わりでやってきた。
御堀と幾久は二人、後ろの席へと並んで座る。
シートには毛布が敷いてあった。
「汚れますよ」
御堀が言うと宇佐美が「いーって」と笑った。
「こっちもちゃんと請求するから。あと、寒いだろ、そこにあるひざ掛けでも巻いてな」
御堀に言い、御堀は素直に肩にひざ掛けをかけて巻いた。
幾久はとっくに宇佐美にモッズコートを羽織らせて貰っていたが、そのせいでモッズコートは泥だらけだ。
おかげで寒さはまだ凌げるが。
「じゃ、御堀庵へレッツゴー!」
そうして宇佐美はハンドルを切った。
向かう先は御堀庵。
御堀の自宅だった。
宇佐美の車は幸い、渋滞にも引っかからずスムーズに進んだ。
おかげで一時間もかからずに到着し、店には黒田の使いが待っていた。
御堀庵にはお手伝いさんがいるとのことで、連絡が入っていたおかげで風呂が沸かされていた。
早速御堀が着物を乱れ箱へ放り投げると、黒田の使いはそのまま着物を抱え、すぐさま呉服店へと戻った。
幾久と御堀は、御堀の実家の風呂に浸かった。
泥を落とし、湯船に浸かるとようやっと二人はほっとして、顔を見合わせて笑った。
「ほんっと、今日はびっくりする事だらけだ」
「なんかもー凄かった。変なオッサンと戦う羽目になるし」
「だね」
御堀は笑いながら、それでも幾久に言った。
「僕、幾の為なら死ねるよ」
響きは冗談なのに、幾久には御堀の気持ちが痛いほど伝わる。
それだけ、御堀は追い詰められてずっと傷つけられてきたのだ。
「……そういう事言うなって。オレの為っていうなら、オレの為に生きてよ」
すると御堀はふっと笑った。
「幾より先に死ねないのか」
「そう。オレの棺桶に外郎ぶちこんで」
あ、でも、と幾久が顔を上げた。
「でも、やっぱやだな。死んでからじゃ意味ないし。生きてる間に死ぬほど食いたい」
「幾の死因って外郎の食べ過ぎ?」
「やべー、それってマジ最高」
「いや、ダメだろ」
御堀が言うと、幾久もそっか、と言って二人同時に笑い出す。
「幾だけ先にってのも寂しいから、じゃあ一緒に死のうよ」
御堀が言うと幾久が唸った。
「うーん、いいけど、タマどうする?」
「勿論誘う」
「絶対に嫌だって言われる!」
「絶対言うよね!」
児玉の物凄く嫌そうな顔と、『嫌に決まってんだろ』という言葉がまるで目の前に居るように思えて、二人はずっと風呂場で爆笑したのだった。
御堀に服を借り、幾久は黒のジャージのセット、御堀はいつもらしくお坊ちゃんらしい恰好に着替えた。
玄関で靴を履き、コートを着てショールをぐるぐる巻きにしていると、いつもの御堀だなと思った。
「でも良かった。僕の中学時代のスニーカーが今の幾にぴったりで」
靴までずぶぬれになったので、再び履くわけにもいかずにいたら、御堀がスニーカーをくれたのは良いが。
「なんかムカつく。すぐおっきくなってやるからな」
こう見えても入学時からずいぶん背は伸びたのに、御堀も児玉もぐんぐん伸びているから幾久はまだ追いつけない。
わざとらしく御堀が幾久の頭をぽんぽんと叩いて言った。
「頑張れ。待ってるよ」
「どうせ自分はもっとさきに行くつもりだろ」
「まあね。負けたくないから」
そう言って御堀は笑うも、幾久の腰に手を回した。
幾久も同じように御堀の腰に腕を回す。
くっつくと寒さも気にならなかった。
「なんたってライバルだからな」
「そうだよ。絶対に負けない」
御堀が強気そうな笑顔で言った。
幾久はその顔を見て、つい笑ってしまった。
「なに」
「いや。いつもの誉になってんなって」
すると急に、御堀は、はあ、とため息をつく。
「あーなんか弱み握られた気分」
「握ってるよ?オレ握りまくってるからね?」
ぐっと幾久の肩に腕をやり、近づくとぼそっと御堀が言った。
「幾だけだよ?」
「……タマには?」
「ほんの少しかな」
「タマの事だから、どうせ深くは聞かないって」
「そうだね」
そう言って御堀はバッグを抱えた。
「さ、帰ろうか、幾」
「―――――うん」
そういって御堀と幾久は玄関から出た。
店の駐車場に車を止めて待っていた宇佐美が二人に気づく。
ドアのロックを開け、幾久と御堀が乗り込んだ。
「お疲れさん!じゃあ早速だけど、とっとと帰っちゃう?」
宇佐美が言うと、シートベルトを着けながら、幾久と御堀が頷いた。
「はいっす!よろしくおなシャス!」
「お世話になります」
二人が言うと、宇佐美が言った。
「じゃあ、出ますか!」
そう言ってアクセルを踏み、ハンドルをきった。
御堀庵の駐車場から車を出し、軽快に走り出した。
「腹減っただろ?どうせ高速乗るからパーキングエリアで飯くうか?案外いけるぞ」
宇佐美が言うと、幾久も御堀も頷いた。
「なんかスゲー腹減ってるっていま気が付いた」
「僕も。物凄くいっぱい食べたいな」
あ、それと、と幾久が言った。
「確かパーキングエリアに御堀庵の外郎売ってるっスよね?買って帰りたい。勝利の祝杯あげる」
御堀が呆れて幾久に言った。
「どうせすぐ生外郎が来るのに」
「だって今日の分がないじゃん」
宇佐美が笑って幾久に言った。
「おいおいいっくん、今日御堀庵で外郎食べたのに?」
え?と驚く御堀に、幾久は「いろいろあったんだ」と笑った。
(そうだ。あの子の事も教えないと。おかげで間に合ったんだし)
きっと御堀の敵もあそこには居るんだろうけれど、ああやって助けてくれる人も居るのだ。
きっと悪い場所じゃない。
(でも、誉は連れて帰るからな)
幾久がそう思って御堀の手を握ると、御堀は手を握り返す。
「幾ってどーしようもないね。外郎で騙されるんじゃないの?」
「なに言ってんだ。生外郎でオレを買収したの誰だっけ」
「……僕です」
そういう幾久に、宇佐美がぎゃはは、と大声で笑った。
「いいっていいって!いっくん、好きなだけ飯食って、好きなだけ外郎買えよ!先輩がおごってやる!報国院からがっぽり頂くからな!」
そう言って楽しそうに笑う宇佐美に、幾久はうわあ、と呆れた。
「先輩のくず」
「必要経費よ!いいっていいって!うまくいったんだし。俺のおかげでな」
そう笑っているが、確かに宇佐美の采配でうまくいったし、御堀の父も宇佐美に頭を下げっぱなしだったので確かにそうなのかもしれないが。
「宇佐美先輩、絶対なんかクズな手を使いましたよね?」
幾久が言うと宇佐美が言った。
「海の藻屑にしなかっただけありがたいと思って?」
うわあ、やっぱりこの先輩クズ、と幾久は呆れるが、御堀が宇佐美に尋ねた。
「でも報国院の支払いって、元を言えば僕の父が支払う分ですよね?」
宇佐美は楽しそうに頷いて言った。
「当然」
「じゃ、遠慮なくおごられます。出所どうせ僕ん家だし。幾、好きなだけ買っていいよ」
「えっ、誉もクズなの」
「失礼な。自分ちの金ならいいだろ別に」
「よ、よくはないんじゃないかなあ」
そう言いつつも、まあ外郎が買えるならいいか、と思った。
「あははは、みほりん調子いいなあ」
「っていうか、『いい調子』に戻ったんじゃないの」
幾久の言葉に御堀は目を細めてふっと笑った。
「そう。僕の安売りキャンペーンはもうおしまい。実家相手でもばんばん回収することにするよ」
これまで自分を安売りしてやり過ごしたことを、もう二度と繰り返さないためにも。
(戦うんだ)
報国院の為に。自分の為に。そしてなにより、それが幾久の為にもなる。
自分が上に行けば行くほど、幾久はそれだけすばらしいと証明することが出来るのだから。
「僕、頑張ろうっと」
楽しそうに言う御堀の言葉が、まるで浮かれていて、幾久は嬉しくなって御堀の手をぎゅっと握った。
「さ、ぼちぼち到着するぞ!思いっきり食って、ハルや瑞祥に土産、たんまり買って帰ろうな!」
「―――――はい」
「うっす!まずは外郎!」
軽快な三人の車が、パーキングエリアに入っていく。
冬の暮れの中、真っ白い息を吐きながら、三人はお土産なににしよう、それより先にごはんかな、お腹すいた、と話しながら店の中へ入って行った。
内剛外柔・終わり
下手に着替えるより、直接着物屋に向かったほうがいいとの事で、振り袖姿の芙綺は黒田の奥様が、預かることになった。
御堀は袴に慣れているので、御堀庵に黒田の迎えのものを用意しておくとの事で、御堀も幾久も宇佐美の車で帰ることとなった。
泥だらけの着物だというのに、黒田の奥様は快く芙綺を愛車に乗せた。
汚れる、と気にする芙綺に「気にすることはありませんわ。新車で返していただきますもの。着物の恨みですわ」とにっこりと笑顔で恐ろしい事を告げた。
御堀も幾久も泥だらけだったが、宇佐美が「シートあるから先に用意して迎えにくるわ」とさっさと駐車場へ向かった。
目立たないように特別に裏口を使わせて貰い、芙綺は黒田の奥様の車に乗った。
宇佐美が迎えに来るまでの間、幾久と御堀は芙綺を見送る。
芙綺は車の窓から幾久に言った。
「先輩、今日、助けて下さってありがとうございました!」
「ううん。オレなんか、なんもしてないよ」
すると御堀が言った。
「オッサン煽って着物汚した」
「それはオレのせいじゃないぞ」
「そう、あのオッサンのせいだよね」
御堀がそう言うと、幾久も「そーそー」と頷いた。
二人の様子に芙綺は声を上げて笑い、「そうそう!」と頷く。
「春、楽しみにしてます」
そう決意をみせる芙綺は、泥まみれの着物を着ていても、素晴らしく美しく輝くような笑顔だった。
幾久は笑顔で頷く。
「おいでよ。待ってる」
あの海の街で。
きっと彼女も、あの海岸を気に入るだろう。
すると、御堀も頷き言った。
「お気に入りの海岸があるんだ。案内するよ」
「―――――うん!」
頷く芙綺に御堀も微笑んだ。
黒田の奥様が車を出し、芙綺はいつまでも車の窓から二人に手を振った。
見えなくなったようやっと背をシートに預け、ふっと息を吐いた。
(……かっこいいなあ)
本当にかっこよかった。
こんな所まで、御堀を助けに来て、あっという間にさらって行った。
御堀も自分もずっと限界で、敵じゃないはずなのに、どうしてお前がどうにかしなかった、そうお互いに不満を抱えてしまった。
幾久は突然現れて、引っ掻き回して何もかもを散らかした。
この、不満だらけの大嫌いな自分すら。
ああしろ、こうしろ、お前は恵まれているくせに、我儘な奴、そういう人はいくらでもいたけれど、初めて会った芙綺に、あんなに必死に訴える人は幾久が初めてだ。
『すっごく奇麗!お人形さんみたい!可愛い!』
美人だ、いいわね可愛くて、金持ちは奇麗な嫁が貰えるから。
別にこんな顔なんかどうでも良かった。
だけど、やっぱり褒められるのは気分が良い。
(笑ったほうがもっと可愛い!)
なんの屈託もなく、褒められた。
この面食い、と御堀は文句を言っていたけれど、たぶんそういう人なのだろう。
ぎゅっと両手を握りしめた。
(―――――逃げよう)
そうだ、逃げて三年間を手に入れよう。
その間に、もっと遠くへ逃げる方法を考えるんだ。
もしくは戦う方法を。
泣いてばかりじゃ餌食にされるばかりだ。
学校は当然同じじゃない。
幼馴染でもない。
でも自分にとって幾久は、逃げることを教えてくれた初めての人だ。
(だから、先輩だ)
同じように逃げよう、この毒が敷き詰められた場所から。
だってあの御堀でさえ、あの人と一緒に居た時、すごく楽しそうに見えたから。
きっとウィステリア以外の学校に落ちまくったら、馬鹿にされるに違いない。
だけどそんなもの、なんてことない。
だって行きたい場所に行けるのなら。
(毒の沼、かあ)
金持ちの癖に、ちょっと美人だからって。いい学校に行きやがって。いい家に住んでいい着物着やがって。
何度も言われた。
昔から言われた。
今日だって。
(でも、あたしには、毒の沼なんだ)
そう思っていい事に気づいて、急に気持ちが楽になった。
逃げよう。
そう、逃げてしまえばいいんだ。
両親のように、毒に浸かって、順応した生き物になる前に。
春になれば、海を見に行ける。
(どんな海なんだろう)
あの二人は、どんな学校に通って、どんな街に生きているのだろう。
(見たいなあ)
だから逃げよう。
逃げてしまおう。
だってあの人たちは、あんなにも一緒で幸せそうだ。
私も、そうなりたい。
いつか、誰かと。
そして誰かの為に。
毒の沼を抜けて、海へ向かったあの二人のように、なりたい。
芙綺を見送った後、宇佐美は入れ替わりでやってきた。
御堀と幾久は二人、後ろの席へと並んで座る。
シートには毛布が敷いてあった。
「汚れますよ」
御堀が言うと宇佐美が「いーって」と笑った。
「こっちもちゃんと請求するから。あと、寒いだろ、そこにあるひざ掛けでも巻いてな」
御堀に言い、御堀は素直に肩にひざ掛けをかけて巻いた。
幾久はとっくに宇佐美にモッズコートを羽織らせて貰っていたが、そのせいでモッズコートは泥だらけだ。
おかげで寒さはまだ凌げるが。
「じゃ、御堀庵へレッツゴー!」
そうして宇佐美はハンドルを切った。
向かう先は御堀庵。
御堀の自宅だった。
宇佐美の車は幸い、渋滞にも引っかからずスムーズに進んだ。
おかげで一時間もかからずに到着し、店には黒田の使いが待っていた。
御堀庵にはお手伝いさんがいるとのことで、連絡が入っていたおかげで風呂が沸かされていた。
早速御堀が着物を乱れ箱へ放り投げると、黒田の使いはそのまま着物を抱え、すぐさま呉服店へと戻った。
幾久と御堀は、御堀の実家の風呂に浸かった。
泥を落とし、湯船に浸かるとようやっと二人はほっとして、顔を見合わせて笑った。
「ほんっと、今日はびっくりする事だらけだ」
「なんかもー凄かった。変なオッサンと戦う羽目になるし」
「だね」
御堀は笑いながら、それでも幾久に言った。
「僕、幾の為なら死ねるよ」
響きは冗談なのに、幾久には御堀の気持ちが痛いほど伝わる。
それだけ、御堀は追い詰められてずっと傷つけられてきたのだ。
「……そういう事言うなって。オレの為っていうなら、オレの為に生きてよ」
すると御堀はふっと笑った。
「幾より先に死ねないのか」
「そう。オレの棺桶に外郎ぶちこんで」
あ、でも、と幾久が顔を上げた。
「でも、やっぱやだな。死んでからじゃ意味ないし。生きてる間に死ぬほど食いたい」
「幾の死因って外郎の食べ過ぎ?」
「やべー、それってマジ最高」
「いや、ダメだろ」
御堀が言うと、幾久もそっか、と言って二人同時に笑い出す。
「幾だけ先にってのも寂しいから、じゃあ一緒に死のうよ」
御堀が言うと幾久が唸った。
「うーん、いいけど、タマどうする?」
「勿論誘う」
「絶対に嫌だって言われる!」
「絶対言うよね!」
児玉の物凄く嫌そうな顔と、『嫌に決まってんだろ』という言葉がまるで目の前に居るように思えて、二人はずっと風呂場で爆笑したのだった。
御堀に服を借り、幾久は黒のジャージのセット、御堀はいつもらしくお坊ちゃんらしい恰好に着替えた。
玄関で靴を履き、コートを着てショールをぐるぐる巻きにしていると、いつもの御堀だなと思った。
「でも良かった。僕の中学時代のスニーカーが今の幾にぴったりで」
靴までずぶぬれになったので、再び履くわけにもいかずにいたら、御堀がスニーカーをくれたのは良いが。
「なんかムカつく。すぐおっきくなってやるからな」
こう見えても入学時からずいぶん背は伸びたのに、御堀も児玉もぐんぐん伸びているから幾久はまだ追いつけない。
わざとらしく御堀が幾久の頭をぽんぽんと叩いて言った。
「頑張れ。待ってるよ」
「どうせ自分はもっとさきに行くつもりだろ」
「まあね。負けたくないから」
そう言って御堀は笑うも、幾久の腰に手を回した。
幾久も同じように御堀の腰に腕を回す。
くっつくと寒さも気にならなかった。
「なんたってライバルだからな」
「そうだよ。絶対に負けない」
御堀が強気そうな笑顔で言った。
幾久はその顔を見て、つい笑ってしまった。
「なに」
「いや。いつもの誉になってんなって」
すると急に、御堀は、はあ、とため息をつく。
「あーなんか弱み握られた気分」
「握ってるよ?オレ握りまくってるからね?」
ぐっと幾久の肩に腕をやり、近づくとぼそっと御堀が言った。
「幾だけだよ?」
「……タマには?」
「ほんの少しかな」
「タマの事だから、どうせ深くは聞かないって」
「そうだね」
そう言って御堀はバッグを抱えた。
「さ、帰ろうか、幾」
「―――――うん」
そういって御堀と幾久は玄関から出た。
店の駐車場に車を止めて待っていた宇佐美が二人に気づく。
ドアのロックを開け、幾久と御堀が乗り込んだ。
「お疲れさん!じゃあ早速だけど、とっとと帰っちゃう?」
宇佐美が言うと、シートベルトを着けながら、幾久と御堀が頷いた。
「はいっす!よろしくおなシャス!」
「お世話になります」
二人が言うと、宇佐美が言った。
「じゃあ、出ますか!」
そう言ってアクセルを踏み、ハンドルをきった。
御堀庵の駐車場から車を出し、軽快に走り出した。
「腹減っただろ?どうせ高速乗るからパーキングエリアで飯くうか?案外いけるぞ」
宇佐美が言うと、幾久も御堀も頷いた。
「なんかスゲー腹減ってるっていま気が付いた」
「僕も。物凄くいっぱい食べたいな」
あ、それと、と幾久が言った。
「確かパーキングエリアに御堀庵の外郎売ってるっスよね?買って帰りたい。勝利の祝杯あげる」
御堀が呆れて幾久に言った。
「どうせすぐ生外郎が来るのに」
「だって今日の分がないじゃん」
宇佐美が笑って幾久に言った。
「おいおいいっくん、今日御堀庵で外郎食べたのに?」
え?と驚く御堀に、幾久は「いろいろあったんだ」と笑った。
(そうだ。あの子の事も教えないと。おかげで間に合ったんだし)
きっと御堀の敵もあそこには居るんだろうけれど、ああやって助けてくれる人も居るのだ。
きっと悪い場所じゃない。
(でも、誉は連れて帰るからな)
幾久がそう思って御堀の手を握ると、御堀は手を握り返す。
「幾ってどーしようもないね。外郎で騙されるんじゃないの?」
「なに言ってんだ。生外郎でオレを買収したの誰だっけ」
「……僕です」
そういう幾久に、宇佐美がぎゃはは、と大声で笑った。
「いいっていいって!いっくん、好きなだけ飯食って、好きなだけ外郎買えよ!先輩がおごってやる!報国院からがっぽり頂くからな!」
そう言って楽しそうに笑う宇佐美に、幾久はうわあ、と呆れた。
「先輩のくず」
「必要経費よ!いいっていいって!うまくいったんだし。俺のおかげでな」
そう笑っているが、確かに宇佐美の采配でうまくいったし、御堀の父も宇佐美に頭を下げっぱなしだったので確かにそうなのかもしれないが。
「宇佐美先輩、絶対なんかクズな手を使いましたよね?」
幾久が言うと宇佐美が言った。
「海の藻屑にしなかっただけありがたいと思って?」
うわあ、やっぱりこの先輩クズ、と幾久は呆れるが、御堀が宇佐美に尋ねた。
「でも報国院の支払いって、元を言えば僕の父が支払う分ですよね?」
宇佐美は楽しそうに頷いて言った。
「当然」
「じゃ、遠慮なくおごられます。出所どうせ僕ん家だし。幾、好きなだけ買っていいよ」
「えっ、誉もクズなの」
「失礼な。自分ちの金ならいいだろ別に」
「よ、よくはないんじゃないかなあ」
そう言いつつも、まあ外郎が買えるならいいか、と思った。
「あははは、みほりん調子いいなあ」
「っていうか、『いい調子』に戻ったんじゃないの」
幾久の言葉に御堀は目を細めてふっと笑った。
「そう。僕の安売りキャンペーンはもうおしまい。実家相手でもばんばん回収することにするよ」
これまで自分を安売りしてやり過ごしたことを、もう二度と繰り返さないためにも。
(戦うんだ)
報国院の為に。自分の為に。そしてなにより、それが幾久の為にもなる。
自分が上に行けば行くほど、幾久はそれだけすばらしいと証明することが出来るのだから。
「僕、頑張ろうっと」
楽しそうに言う御堀の言葉が、まるで浮かれていて、幾久は嬉しくなって御堀の手をぎゅっと握った。
「さ、ぼちぼち到着するぞ!思いっきり食って、ハルや瑞祥に土産、たんまり買って帰ろうな!」
「―――――はい」
「うっす!まずは外郎!」
軽快な三人の車が、パーキングエリアに入っていく。
冬の暮れの中、真っ白い息を吐きながら、三人はお土産なににしよう、それより先にごはんかな、お腹すいた、と話しながら店の中へ入って行った。
内剛外柔・終わり
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